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2019年01月18日

クロア篇−1章4

 屋敷内の門の下を荷台が通過する。荷を引く馬が進行を止めないうちからクロアは荷台に駆けよった。朱色の魔獣は荷台に縛りつけられてある。ねむっているかのようにおとなしいが、その口元はモソモソうごいていた。起きているのか、夢の中でなにかを食べているのか。クロアはその判断ができそうなダムトをあおぐ。
「この魔獣、寝てるの?」
「そのフリをしているようです」
 ダムトがそう言ったとたん、馬と荷台の見張りをしていた兵士たちがどよめいた。馬を誘導していた者まで慌てだすので、馬はその場に停止した。
 クロアはビビる兵たちを一瞥した。だが彼らの軟弱な対応を責める気はない。やはり魔獣はおそろしいもの。その畏怖の対象を従わせようとする行為は危険なのだと、クロアはひそかに自戒する。
「ふーん、起きてるのね」
 その感想は強がりでもなんでもなかった。すでに目覚めているのなら本題に入れる、とクロアは判断する。
「荷台はここで止めていいわ。さきにこの魔獣と話をつけるから」
 魔獣の輸送にたずさわった者はダムト以外、荷台から距離を置いた。反対にクロアとともに魔獣を出迎えにきた領主と少女はクロアのそばに寄った。
 クロアは強制的にうつ伏せになる獣を見下ろした。伏せる獣は咀嚼するかのように口をうごかす。
「空より来たるもの、大地から涌き出るもの、生命の根源となるもの……」
 獣は呪文めいた言葉をつぶやき、まぶたを開いた。眼孔がクロアに向かう。
「わかるか? 魔障の娘よ」
 呪文はクロアへの問いかけだったらしい。だがこの質問には中年が反応を見せる。
「私の子を『魔障』と呼ぶな。四分の一、魔族の血が入っているだけだ」
 温厚な父がめずらしく刺々しい物言いをする。静かな怒りには娘への庇護の情があった。失言をもらした朱色の獣はふんと鼻をならす。
「明公(めいこう)、我が処分を如何(いかん)とする?」
「お前の処遇は娘のクロアに任せる。だが無礼が過ぎればただでは済まぬと心得なさい」
「了解した。ではクロア、我になにを所望する?」
 獣は物憂げな瞳をクロアに向けつづけた。敵意は感じられない。その瞳に宿すものは疲労や怠惰の念だった。
「わたしの招獣になってちょうだい。見返りに快適な住まいを提供してさしあげますわ」
 招獣とは人と協力関係にある魔獣を指す。魔獣を招獣とする技術を、招術といった。クロアがこの魔獣を仲間にする、と言うのは魔獣を招獣として使役することを意味した。
 招獣は人の呼びかけに応じて、瞬時に招術士のもとへ招喚される。この術を利用すれば、領内の防衛力不足になやむクロアにはちょうど良い戦力が確保できる。おまけにこの朱色の魔獣は飛行能力がある。その背中に人が乗れるのなら、飛獣としても重宝するだろう。それゆえクロアは是が非でも捕縛中の魔獣が欲しいと思った。
「我が心は山野に有り。人中での蟄居(ちっきょ)はあたわず」
 魔獣は大自然の中ですごしたいらしい。クロアは条件を譲歩する。
「では呼出しに応じてくれるだけいいですわ。それ以外のときは山でぶらぶらしていてかまいません。招術を使えば一瞬でわたしのもとに移動できますもの」
「ならば良し。盟約を交わそう」
 獣が太い前足をうごかした。その足は荷台の縄の拘束は受けていないが、ダムトの網のせいで自由に可動できない状態でいる。
「この足に己が手で触れ、精気を流せ」
 魔獣を招獣とする際は相互に精気を渡しあうという。そのやり方を魔獣本人から教わるとは、クロアは心外だった。クロアの考えていた予定ではダムトかレジィに聞きながらやろうかとしていた。
「そうだったわね。できるかしら……」
 クロアは以前、招獣を持っていたことがある。しかし忘却力の強いクロアは、当時のやり取りの大部分をわすれてしまった。とどこおりなく招術を使う自信はなかった。
 クロアは毛むくじゃらな魔獣の足を一本、両手で包んだ。深呼吸を繰り返し、集中する。ふさふさした毛皮の温かさと共に、別の感覚が手中に集まる。それがクロアの精気。この精気を獣の足へ押しこむよう想像すると、別種の力が自身の指先から手首へと伝わってきた。これは魔獣が招獣となることを受け入れた合図だ。外部からくる力は手首にとどまる。その堰を外し、腕から肩へと流した。同時に自分からの力の注入は継続する。二方向の精気の行き来が判然としなくなってくると、獣の前足が上下にうごく。
「盟約は成った。次は我が名を定めるべし」
「ご自分の名前は持っていらして?」
「若き招術士が授けた名はある。『ベニトラ』……それが唯一の我が名」
「ではわたしもそうお呼びしますわ。よろしいかしら」
「可もなく不可もなし」
 ベニトラと名乗る魔獣は体を縮めた。体積が小さくなり、子猫のような大きさと顔になる。縮小したベニトラは縄と網の間をすり抜ける。
「今後、魔獣を捕えるときは術が使えなくなる道具を用いよ」
 尊大な助言とは裏腹に、弱々しい幼獣がクロアの足元にすり寄る。そのしぐさに、クロアは庇護欲をかきたてられた。内面は老爺のようだが現在の姿は子猫。クロアは子猫に変じた獣の両脇を持ち上げ、父に見せる。
「ふふ、あたらしい仲間ができましたわ」
「強い招獣がほしい、とよく言っていたからね。これでその獣はクロアの友だ」
 クロアの手の中で幼獣は体を増長させた。おどろいたクロアは獣を取り落としそうになる。だが獣の肥大化した胴体は再度、両手におさまった。体の大きさは成猫と同じくらい。顔つきには幼さが残っていた。

タグ:クロア
posted by 三利実巳 at 17:30 | Comment(0) | 長編クロア

2019年01月17日

クロア篇−1章3

 クロアは飛馬のおもむくままに行かせた。クロア自身は飛馬を操縦した経験があまりなく、いつもはダムトが付き添う。信頼する保護者がいないいまでは空中散歩をたのしむ余裕はなかった。しかしここでビビっては同乗するレジィに不安をいだかせてしまう。それゆえ、平常をよそおって「この景色を見ておきなさい。いつもは見られないからね」ともっともらしく語った。
 飛馬は屋敷の厩舎のあたりで着地した。この場にいない乗り手が出した命令に忠実に沿ったのだ。クロアとレジィが下馬するのを厩舎担当の官吏が手伝う。地に降りたクロアは官吏に
「ダムトがくるまでこの子の荷物はこのままにして」
 と言い置いた。この飛馬には魔獣捕縛用の道具が胴体の左右にくくりつけられてある。ダムトが用意した荷だ。他人が勝手にいじってはいけないとクロアは思った。飛馬自体はこの屋敷の所有物であり、けっしてダムトの私物ではないのだが、クロアの言葉に異を唱える者はいなかった。
 クロアが屋敷へ入ろうとするとレジィが「クノードさまに会いにいきましょう」と言ってきた。それは優先事項だとクロアは思う。公女にも主君に成果を報告する義務があるのだ。
「どこにいらっしゃるのかしら?」
「射場におられるとか」
「そう、では報告しに行ってくるわ。あなたは魔獣が到着したらわたしに教えてくれる?」
「はい、じゃあ外にいますね」
 クロアとレジィは別行動をはじめた。クロアは父のいる射場へ向かう。射場は弓術の訓練をする場所だ。クロアにはあまり縁がない。弓が弾けないわけではないが、性格と体型的に不向きだ。大ざっぱな性格ゆえに正確に的を射る技術はなかなか身に付かず、また、弦を引き絞る際に胸が邪魔になった。クロアの胸は母譲りの豊かさをもつ。
(胸と髪の色はお母さまに似たわ)
 クロアは胸当てに防護された自身の胸を下から支えた。自分には不要だと思う、豊満な肉体だ。母も似たような色気のある体つきである。そのためか母は無意識にいろんな異性をとりこにしがちだ。しかしなぜだかクロアのほうはそうでもない。ただ無駄に胸が出ているだけだ。
 クロアは自身の色香が足りないことをダムトになじられることがあった。クロアはその言い分に腹が立ったが、ダムトにはそう感じるだけの理由がある。彼の感性は独特だ。ダムトはクロアの母の蠱惑的な姿態に微塵も興味を示さない。多くの男性がまどわされる母の魅力を、ダムトは跳ねのけているのだ。そのように領主一家の女人を異性として見ない男性だからこそ、彼はいまなお従者でいられる。信頼のおける仲間を欲するクロアにとって、けっしてわるいことではない。彼は大事な戦友だ。
(お母さまは武器をふるうことがないからいいけれど、わたしには邪魔よ)
 戦闘において、大きな胸が有利になる場面はない。扱える武器は制限されるし、攻撃をかわす際は余分に体をうごかさねばならない。術士に転向したなら激しい動作は抑えられるだろうが、クロアは術が不得意だ。
(術がヘタクソなのはお父さまに似たんだわ)
 父は術が不得手な反面、弓馬を得意とする。父からは唯一、武才を受け継いだのだとクロアは自身を納得させていた。
 クロアは屋内に設けた射場に着いた。現在は十数名の弓手が鍛錬を行なっている。皆が一様に地味な胸当てを装備する中、一人だけが色の異なる武具を身に着けていた。白銀の防具とそれに合わせた白塗りの弓。白い武具の中年は弦を引きしぼる。彼の横顔は真剣そのもの、視線はすでに数間先の的を射抜く。矢は視線と同じ軌跡を描き、円盤の中央に刺さる。射手は深く息を吐き、弓を下ろす。茶色の髭をたくわえた顔がクロアに向けられる。
「よく無事で。クロアが魔獣討伐に行っていると思うと、落ち着かなかった」
「ご心配をおかけいたしました。このとおり、大事なく帰還できましたわ」
「赤い石は破壊できたかな?」
「はい。残骸はダムトが回収しました。あとで届けさせます」
「彼はクロアと一緒にもどらなかった、と」
「いまは捕えた魔獣の運搬に付き添っています」
「そうか。ところでその魔獣を、どうする気でいる?」
「わたしの仲間にしたいと考えております」
 中年の顔に緊張の色が見えた。その反応は正しい。人が魔獣を友とするとき、かならず魔獣と意志疎通がはかれる状態でなくてはいけない。それはつまり、覚醒した魔獣がクロアに危害を加えられる状況でもある。その危険な可能性を、父は案じている。石が破壊されても魔獣そのものの性格が凶暴でない保証はないのだ。
 父娘の会話途中、射場に少女が駆けこんでくる。それがレジィだとわかったクロアは「魔獣が着いたの?」とたずねた。少女は「もうすぐです!」と元気よく答える。
「外へ出ませんか?」
「ええ、行かなくちゃね。魔獣を荷台から下ろす人手がいるでしょうし」
 クロアは退室のまえに礼儀として父に一礼する。彼は「待ってくれ」と娘を引き止める。
「私にも会わせてほしい。町を荒らした者の顔は見ておきたい」
 クロアは父の申し出を快諾した。どのみち父に魔獣を見せるつもりはあったので、断る理由がなかった。
 中年は弓矢を保持したまま射場を離れる。訓練中の者たちは手を止め、中年に一礼した。

タグ:クロア
posted by 三利実巳 at 23:13 | Comment(0) | 長編クロア
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