2019年01月17日
クロア篇−1章3
クロアは飛馬のおもむくままに行かせた。クロア自身は飛馬を操縦した経験があまりなく、いつもはダムトが付き添う。信頼する保護者がいないいまでは空中散歩をたのしむ余裕はなかった。しかしここでビビっては同乗するレジィに不安をいだかせてしまう。それゆえ、平常をよそおって「この景色を見ておきなさい。いつもは見られないからね」ともっともらしく語った。
飛馬は屋敷の厩舎のあたりで着地した。この場にいない乗り手が出した命令に忠実に沿ったのだ。クロアとレジィが下馬するのを厩舎担当の官吏が手伝う。地に降りたクロアは官吏に
「ダムトがくるまでこの子の荷物はこのままにして」
と言い置いた。この飛馬には魔獣捕縛用の道具が胴体の左右にくくりつけられてある。ダムトが用意した荷だ。他人が勝手にいじってはいけないとクロアは思った。飛馬自体はこの屋敷の所有物であり、けっしてダムトの私物ではないのだが、クロアの言葉に異を唱える者はいなかった。
クロアが屋敷へ入ろうとするとレジィが「クノードさまに会いにいきましょう」と言ってきた。それは優先事項だとクロアは思う。公女にも主君に成果を報告する義務があるのだ。
「どこにいらっしゃるのかしら?」
「射場におられるとか」
「そう、では報告しに行ってくるわ。あなたは魔獣が到着したらわたしに教えてくれる?」
「はい、じゃあ外にいますね」
クロアとレジィは別行動をはじめた。クロアは父のいる射場へ向かう。射場は弓術の訓練をする場所だ。クロアにはあまり縁がない。弓が弾けないわけではないが、性格と体型的に不向きだ。大ざっぱな性格ゆえに正確に的を射る技術はなかなか身に付かず、また、弦を引き絞る際に胸が邪魔になった。クロアの胸は母譲りの豊かさをもつ。
(胸と髪の色はお母さまに似たわ)
クロアは胸当てに防護された自身の胸を下から支えた。自分には不要だと思う、豊満な肉体だ。母も似たような色気のある体つきである。そのためか母は無意識にいろんな異性をとりこにしがちだ。しかしなぜだかクロアのほうはそうでもない。ただ無駄に胸が出ているだけだ。
クロアは自身の色香が足りないことをダムトになじられることがあった。クロアはその言い分に腹が立ったが、ダムトにはそう感じるだけの理由がある。彼の感性は独特だ。ダムトはクロアの母の蠱惑的な姿態に微塵も興味を示さない。多くの男性がまどわされる母の魅力を、ダムトは跳ねのけているのだ。そのように領主一家の女人を異性として見ない男性だからこそ、彼はいまなお従者でいられる。信頼のおける仲間を欲するクロアにとって、けっしてわるいことではない。彼は大事な戦友だ。
(お母さまは武器をふるうことがないからいいけれど、わたしには邪魔よ)
戦闘において、大きな胸が有利になる場面はない。扱える武器は制限されるし、攻撃をかわす際は余分に体をうごかさねばならない。術士に転向したなら激しい動作は抑えられるだろうが、クロアは術が不得意だ。
(術がヘタクソなのはお父さまに似たんだわ)
父は術が不得手な反面、弓馬を得意とする。父からは唯一、武才を受け継いだのだとクロアは自身を納得させていた。
クロアは屋内に設けた射場に着いた。現在は十数名の弓手が鍛錬を行なっている。皆が一様に地味な胸当てを装備する中、一人だけが色の異なる武具を身に着けていた。白銀の防具とそれに合わせた白塗りの弓。白い武具の中年は弦を引きしぼる。彼の横顔は真剣そのもの、視線はすでに数間先の的を射抜く。矢は視線と同じ軌跡を描き、円盤の中央に刺さる。射手は深く息を吐き、弓を下ろす。茶色の髭をたくわえた顔がクロアに向けられる。
「よく無事で。クロアが魔獣討伐に行っていると思うと、落ち着かなかった」
「ご心配をおかけいたしました。このとおり、大事なく帰還できましたわ」
「赤い石は破壊できたかな?」
「はい。残骸はダムトが回収しました。あとで届けさせます」
「彼はクロアと一緒にもどらなかった、と」
「いまは捕えた魔獣の運搬に付き添っています」
「そうか。ところでその魔獣を、どうする気でいる?」
「わたしの仲間にしたいと考えております」
中年の顔に緊張の色が見えた。その反応は正しい。人が魔獣を友とするとき、かならず魔獣と意志疎通がはかれる状態でなくてはいけない。それはつまり、覚醒した魔獣がクロアに危害を加えられる状況でもある。その危険な可能性を、父は案じている。石が破壊されても魔獣そのものの性格が凶暴でない保証はないのだ。
父娘の会話途中、射場に少女が駆けこんでくる。それがレジィだとわかったクロアは「魔獣が着いたの?」とたずねた。少女は「もうすぐです!」と元気よく答える。
「外へ出ませんか?」
「ええ、行かなくちゃね。魔獣を荷台から下ろす人手がいるでしょうし」
クロアは退室のまえに礼儀として父に一礼する。彼は「待ってくれ」と娘を引き止める。
「私にも会わせてほしい。町を荒らした者の顔は見ておきたい」
クロアは父の申し出を快諾した。どのみち父に魔獣を見せるつもりはあったので、断る理由がなかった。
中年は弓矢を保持したまま射場を離れる。訓練中の者たちは手を止め、中年に一礼した。
飛馬は屋敷の厩舎のあたりで着地した。この場にいない乗り手が出した命令に忠実に沿ったのだ。クロアとレジィが下馬するのを厩舎担当の官吏が手伝う。地に降りたクロアは官吏に
「ダムトがくるまでこの子の荷物はこのままにして」
と言い置いた。この飛馬には魔獣捕縛用の道具が胴体の左右にくくりつけられてある。ダムトが用意した荷だ。他人が勝手にいじってはいけないとクロアは思った。飛馬自体はこの屋敷の所有物であり、けっしてダムトの私物ではないのだが、クロアの言葉に異を唱える者はいなかった。
クロアが屋敷へ入ろうとするとレジィが「クノードさまに会いにいきましょう」と言ってきた。それは優先事項だとクロアは思う。公女にも主君に成果を報告する義務があるのだ。
「どこにいらっしゃるのかしら?」
「射場におられるとか」
「そう、では報告しに行ってくるわ。あなたは魔獣が到着したらわたしに教えてくれる?」
「はい、じゃあ外にいますね」
クロアとレジィは別行動をはじめた。クロアは父のいる射場へ向かう。射場は弓術の訓練をする場所だ。クロアにはあまり縁がない。弓が弾けないわけではないが、性格と体型的に不向きだ。大ざっぱな性格ゆえに正確に的を射る技術はなかなか身に付かず、また、弦を引き絞る際に胸が邪魔になった。クロアの胸は母譲りの豊かさをもつ。
(胸と髪の色はお母さまに似たわ)
クロアは胸当てに防護された自身の胸を下から支えた。自分には不要だと思う、豊満な肉体だ。母も似たような色気のある体つきである。そのためか母は無意識にいろんな異性をとりこにしがちだ。しかしなぜだかクロアのほうはそうでもない。ただ無駄に胸が出ているだけだ。
クロアは自身の色香が足りないことをダムトになじられることがあった。クロアはその言い分に腹が立ったが、ダムトにはそう感じるだけの理由がある。彼の感性は独特だ。ダムトはクロアの母の蠱惑的な姿態に微塵も興味を示さない。多くの男性がまどわされる母の魅力を、ダムトは跳ねのけているのだ。そのように領主一家の女人を異性として見ない男性だからこそ、彼はいまなお従者でいられる。信頼のおける仲間を欲するクロアにとって、けっしてわるいことではない。彼は大事な戦友だ。
(お母さまは武器をふるうことがないからいいけれど、わたしには邪魔よ)
戦闘において、大きな胸が有利になる場面はない。扱える武器は制限されるし、攻撃をかわす際は余分に体をうごかさねばならない。術士に転向したなら激しい動作は抑えられるだろうが、クロアは術が不得意だ。
(術がヘタクソなのはお父さまに似たんだわ)
父は術が不得手な反面、弓馬を得意とする。父からは唯一、武才を受け継いだのだとクロアは自身を納得させていた。
クロアは屋内に設けた射場に着いた。現在は十数名の弓手が鍛錬を行なっている。皆が一様に地味な胸当てを装備する中、一人だけが色の異なる武具を身に着けていた。白銀の防具とそれに合わせた白塗りの弓。白い武具の中年は弦を引きしぼる。彼の横顔は真剣そのもの、視線はすでに数間先の的を射抜く。矢は視線と同じ軌跡を描き、円盤の中央に刺さる。射手は深く息を吐き、弓を下ろす。茶色の髭をたくわえた顔がクロアに向けられる。
「よく無事で。クロアが魔獣討伐に行っていると思うと、落ち着かなかった」
「ご心配をおかけいたしました。このとおり、大事なく帰還できましたわ」
「赤い石は破壊できたかな?」
「はい。残骸はダムトが回収しました。あとで届けさせます」
「彼はクロアと一緒にもどらなかった、と」
「いまは捕えた魔獣の運搬に付き添っています」
「そうか。ところでその魔獣を、どうする気でいる?」
「わたしの仲間にしたいと考えております」
中年の顔に緊張の色が見えた。その反応は正しい。人が魔獣を友とするとき、かならず魔獣と意志疎通がはかれる状態でなくてはいけない。それはつまり、覚醒した魔獣がクロアに危害を加えられる状況でもある。その危険な可能性を、父は案じている。石が破壊されても魔獣そのものの性格が凶暴でない保証はないのだ。
父娘の会話途中、射場に少女が駆けこんでくる。それがレジィだとわかったクロアは「魔獣が着いたの?」とたずねた。少女は「もうすぐです!」と元気よく答える。
「外へ出ませんか?」
「ええ、行かなくちゃね。魔獣を荷台から下ろす人手がいるでしょうし」
クロアは退室のまえに礼儀として父に一礼する。彼は「待ってくれ」と娘を引き止める。
「私にも会わせてほしい。町を荒らした者の顔は見ておきたい」
クロアは父の申し出を快諾した。どのみち父に魔獣を見せるつもりはあったので、断る理由がなかった。
中年は弓矢を保持したまま射場を離れる。訓練中の者たちは手を止め、中年に一礼した。
タグ:クロア
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