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2019年03月21日
クロア篇−6章3
試合はあっけなくおわった。術の戦いとなるとやはり魔人に分があったようで、ナーマが楽々と勝つ。クロアののぞんだ結果だ。その歓喜に乗じて、勝者がクロアの胸へ飛びこんでくる。
「ねー、アタシがんばったでしょー?」
「ええ! 試合には勝てたわね」
クロアはナーマの翼に生えた羽毛をなでながら、試合に負けた試験官の様子を見た。ユネスはまったく手傷を負っていない。それは両者ともに敵意のない戦いをおこなったからなのだろうが、はたして実戦でも同様の勝敗になるかというと、未知数だ。この試合はあくまで、勝利条件がナーマに有利であったにすぎない。そう考えるとクロアは手放しによろこべない。
「ねえ、この子を合格にしていい?」
訓練場内から出てきた武官に確認すると、彼は「どうとも言えません」と答えた。クロアは戦闘面でナーマに能力不足があったのかと推察する。
「賊との戦いじゃ、ついてこれなさそう?」
「いや、そういうわけじゃありません。その招獣は幻術が得意だと聞きましたんで」
「幻術が実戦に役立てる、と見込んでいいのね」
「はい。おれが心配してることは『線引き』をどこでするかって──」
言いかけて、ユネスはクロア以外のものに気を取られた。その視線のさきには地面すれすれに飛行する文官がいる。あのような移動方法をとる者は古株の高官だけだ。
クロアはナーマに触れていた手をおろした。のんきにじゃれついている状況ではない。
「離れてくれる?」
「えー、このまんまでもいいでしょ」
有翼の少女はクロアにくっついたままだ。クロアの不本意な態勢で、到着した老爺と応対する状況となる。
「そちらの女子はどういった理由で、ここにおるのです?」
「ユネスと手合せしたの」
クロアが答えたとたん、老爺の眉間にしわが寄ってくる。
「どういったお心づもりで、この者らを競わせたのです?」
「もちろん、戦士の頭数にするため──」
「招獣は人員にかぞえられませんな」
老官が冷たく言いはなった。クロアはこれを不服とする。
「後出しで規定を加えないでちょうだい。やり方が汚いわ!」
「なにをおっしゃるか。招術とは術の一環でございましょう」
「招獣は自分の意思を持った生き物です。術でつくる火や水とはちがうんじゃなくて?」
「どちらも使用の際は術士の精気を消耗します。並大抵の招術士では戦士二人分の戦力にはなりえませぬ」
老爺は公女に抱きつくナーマをにらみつけた。招獣の馴れ馴れしい態度をも彼は気に食っていないようだ。目で不満を訴えられた少女はこそっとクロアの後ろへまわった。
「招獣を呼び出したら、術士は戦えなくなるというの?」
「そのようにお考えになってもよろしい。ましてクロアさまは術が不得手。安定して招術を使いこなす確証がまったくございません」
「そんなの、練習すればなんとかなるわ」
「それだけではありません。ベニトラと呼ぶ飛獣……あれも、同時に使役されるおつもりでしょう?」
老爺は目線をうごかした。クロアが昨日から連れあるく猫をさがしているらしい。ところが今日のベニトラはクロアの部屋で休んでいるので、この場にはいない。
「いまは呼び出しておらぬようですが……戦いでは必要となる者です。招獣を二体も使っていては、いつ精気を使い果たすかわかったものではない。ですから、招獣は術士の能力の範囲内にふくめるべきだと申しておるのです」
クロアは老爺の主張が正しく思えた。しかし詭弁があるやもしれず、戦闘知識の豊富なユネスに視線を送ってみる。ユネスは「普通はそうかもな」とカスバンに同意する。
「おれがさっき言いかけた『線引き』っつうのも、カスバン殿がおっしゃったことと同じなんです」
ユネスがわざとクロアに不利な態度をとるはずはない。クロアは今回、老爺の言葉に折れることにした。ぬかよろこびした、とクロアはがっかりする。
「見方を変えりゃ、野良の魔獣や魔人はいいってわけか?」
ユネスが落胆したクロアを気遣ってか、大胆な仮定を出した。老爺は渋面でうなずく。
「こちらの指示をよく聞き、同士討ちなどしないという保証があれば許可しましょう」
「まぁいねえよな、そんなの」
クロアは自分にくっつくナーマに「一度野良にもどる?」と言ってみた。ナーマが猛然と反対したため、あえなく断念する。
「はぁ……あとはルッツさんだけね……」
「その御仁に試合は必要ありません」
「どういうこと?」
もしやルッツも不適合だと難癖をつけるつもりなのか、とクロアは気が滅入った。しかしカスバンは「不戦勝です」と抑揚なく言う。
「ルッツ殿……の力量はこのカスバンめが責任をもって保証いたします」
「え、ほんとうに?」
「あの方のことは存じておりますゆえ、それを申し上げにまいりました」
クロアはカスバンの了解を得られたことをよろこぶ反面、この老爺が吉報を知らせにきたとの主張には違和感をおぼえた。彼はこの戦士集めには非協力的であったはずだ。
「なぜ、ルッツさんを雇っていいの?」
「あの方は『公女を手助けしたい』とお言いになったのです。無下に断ればバチがあたりましょう」
「ずいぶんとルッツさんを丁重にあつかうのね?」
この高官はクロアを同格未満に見做すフシがありながら、外部からきた戦士を同格以上に遇している。その落差にはおそらくルッツの経歴が関係する。
(王の護衛役をやってたかもって、ダムトは言ってたのよね……)
王の側近になれる者の多くは名家の出身だ。中にはアンペレ家よりも格式ある家門が存在する。そういった名門の出の者には公女に対する以上の礼節を尽くさねばならない、とこの保守的な高官なら考えてもおかしくはない。
老爺は顔色を変えずに「親切な客人には適切にもてなします」とそれらしいこと言って、しのいだ。ルッツの素性を明かす気はないようだ。
「ところで、クロア様への報せはもうひとつありまして……」
「ええ、申しなさい」
「ルッツ殿のお連れ様が試合に挑戦なさるそうです。このまま待機していてくだされ」
カスバンが思いもよらぬ情報を提供した。クロアはしゃっきり背を伸ばす。
「お連れさま? いま、いらしているの?」
「はい、二十歳前後の若者です。ただいま持ち物の検査をほどこされておりました」
「検査がおわったら、ここにおいでになる?」
クロアが周囲へ意識を向けたところ、人声と足音が近づいてきた。人の気配のするほうを見てみると、そこにアンペレの文官と白髪の中年がいる。その後方には羽根帽子を被った青年もいた。
「ねー、アタシがんばったでしょー?」
「ええ! 試合には勝てたわね」
クロアはナーマの翼に生えた羽毛をなでながら、試合に負けた試験官の様子を見た。ユネスはまったく手傷を負っていない。それは両者ともに敵意のない戦いをおこなったからなのだろうが、はたして実戦でも同様の勝敗になるかというと、未知数だ。この試合はあくまで、勝利条件がナーマに有利であったにすぎない。そう考えるとクロアは手放しによろこべない。
「ねえ、この子を合格にしていい?」
訓練場内から出てきた武官に確認すると、彼は「どうとも言えません」と答えた。クロアは戦闘面でナーマに能力不足があったのかと推察する。
「賊との戦いじゃ、ついてこれなさそう?」
「いや、そういうわけじゃありません。その招獣は幻術が得意だと聞きましたんで」
「幻術が実戦に役立てる、と見込んでいいのね」
「はい。おれが心配してることは『線引き』をどこでするかって──」
言いかけて、ユネスはクロア以外のものに気を取られた。その視線のさきには地面すれすれに飛行する文官がいる。あのような移動方法をとる者は古株の高官だけだ。
クロアはナーマに触れていた手をおろした。のんきにじゃれついている状況ではない。
「離れてくれる?」
「えー、このまんまでもいいでしょ」
有翼の少女はクロアにくっついたままだ。クロアの不本意な態勢で、到着した老爺と応対する状況となる。
「そちらの女子はどういった理由で、ここにおるのです?」
「ユネスと手合せしたの」
クロアが答えたとたん、老爺の眉間にしわが寄ってくる。
「どういったお心づもりで、この者らを競わせたのです?」
「もちろん、戦士の頭数にするため──」
「招獣は人員にかぞえられませんな」
老官が冷たく言いはなった。クロアはこれを不服とする。
「後出しで規定を加えないでちょうだい。やり方が汚いわ!」
「なにをおっしゃるか。招術とは術の一環でございましょう」
「招獣は自分の意思を持った生き物です。術でつくる火や水とはちがうんじゃなくて?」
「どちらも使用の際は術士の精気を消耗します。並大抵の招術士では戦士二人分の戦力にはなりえませぬ」
老爺は公女に抱きつくナーマをにらみつけた。招獣の馴れ馴れしい態度をも彼は気に食っていないようだ。目で不満を訴えられた少女はこそっとクロアの後ろへまわった。
「招獣を呼び出したら、術士は戦えなくなるというの?」
「そのようにお考えになってもよろしい。ましてクロアさまは術が不得手。安定して招術を使いこなす確証がまったくございません」
「そんなの、練習すればなんとかなるわ」
「それだけではありません。ベニトラと呼ぶ飛獣……あれも、同時に使役されるおつもりでしょう?」
老爺は目線をうごかした。クロアが昨日から連れあるく猫をさがしているらしい。ところが今日のベニトラはクロアの部屋で休んでいるので、この場にはいない。
「いまは呼び出しておらぬようですが……戦いでは必要となる者です。招獣を二体も使っていては、いつ精気を使い果たすかわかったものではない。ですから、招獣は術士の能力の範囲内にふくめるべきだと申しておるのです」
クロアは老爺の主張が正しく思えた。しかし詭弁があるやもしれず、戦闘知識の豊富なユネスに視線を送ってみる。ユネスは「普通はそうかもな」とカスバンに同意する。
「おれがさっき言いかけた『線引き』っつうのも、カスバン殿がおっしゃったことと同じなんです」
ユネスがわざとクロアに不利な態度をとるはずはない。クロアは今回、老爺の言葉に折れることにした。ぬかよろこびした、とクロアはがっかりする。
「見方を変えりゃ、野良の魔獣や魔人はいいってわけか?」
ユネスが落胆したクロアを気遣ってか、大胆な仮定を出した。老爺は渋面でうなずく。
「こちらの指示をよく聞き、同士討ちなどしないという保証があれば許可しましょう」
「まぁいねえよな、そんなの」
クロアは自分にくっつくナーマに「一度野良にもどる?」と言ってみた。ナーマが猛然と反対したため、あえなく断念する。
「はぁ……あとはルッツさんだけね……」
「その御仁に試合は必要ありません」
「どういうこと?」
もしやルッツも不適合だと難癖をつけるつもりなのか、とクロアは気が滅入った。しかしカスバンは「不戦勝です」と抑揚なく言う。
「ルッツ殿……の力量はこのカスバンめが責任をもって保証いたします」
「え、ほんとうに?」
「あの方のことは存じておりますゆえ、それを申し上げにまいりました」
クロアはカスバンの了解を得られたことをよろこぶ反面、この老爺が吉報を知らせにきたとの主張には違和感をおぼえた。彼はこの戦士集めには非協力的であったはずだ。
「なぜ、ルッツさんを雇っていいの?」
「あの方は『公女を手助けしたい』とお言いになったのです。無下に断ればバチがあたりましょう」
「ずいぶんとルッツさんを丁重にあつかうのね?」
この高官はクロアを同格未満に見做すフシがありながら、外部からきた戦士を同格以上に遇している。その落差にはおそらくルッツの経歴が関係する。
(王の護衛役をやってたかもって、ダムトは言ってたのよね……)
王の側近になれる者の多くは名家の出身だ。中にはアンペレ家よりも格式ある家門が存在する。そういった名門の出の者には公女に対する以上の礼節を尽くさねばならない、とこの保守的な高官なら考えてもおかしくはない。
老爺は顔色を変えずに「親切な客人には適切にもてなします」とそれらしいこと言って、しのいだ。ルッツの素性を明かす気はないようだ。
「ところで、クロア様への報せはもうひとつありまして……」
「ええ、申しなさい」
「ルッツ殿のお連れ様が試合に挑戦なさるそうです。このまま待機していてくだされ」
カスバンが思いもよらぬ情報を提供した。クロアはしゃっきり背を伸ばす。
「お連れさま? いま、いらしているの?」
「はい、二十歳前後の若者です。ただいま持ち物の検査をほどこされておりました」
「検査がおわったら、ここにおいでになる?」
クロアが周囲へ意識を向けたところ、人声と足音が近づいてきた。人の気配のするほうを見てみると、そこにアンペレの文官と白髪の中年がいる。その後方には羽根帽子を被った青年もいた。
タグ:クロア
2019年03月16日
クロア篇−6章2
翌朝、クロアはレジィに起こされた。深く眠ってしまったようで、レジィが枕元に立つ気配を感じとれなかった。クロアが起き上がろうと手をついたとき、寝具ではないものに触れた。羽の生えた少女だ。これがどういう人物なのか、クロアは思い出せなかった。
薄着の少女は目をつむったまま、クロアにすり寄ってくる。クロアは反射的にその額を人差し指で押した。少女はそれでもぐいぐい顔を押し付けてくる。だがクロアの力にはかなわず、顔をぼすんっと布団に伏せる。
「もー、クロちゃんの馬鹿力ー」
その甘ったるい声にはクロアの聞き覚えがあった。昨晩捕えた魔人だ。はじめて会ったときは成熟した女性だったが、いまは卑弱な少女に変化している。そのようにクロアが変えたのだ。力量を弱めても好色な性格には影響がないらしい。
「厄介な子をしょいこんでしまったわね……」
「せっかく招獣にしたんですし、傭兵の代わりになる強みはないですかね?」
レジィの発案はクロアの盲点だった。もとよりナーマをなにかに役立てる、という考えはクロアにない。ただ民衆への被害をなくす目的で、そばに置くと決めたのだが。
「そうね……この子は術が使えるんだし、戦力になるのかも」
「じゃあユネスさんに伝えておきますね。今日の腕試しは二人、予定が入ったって」
「ふたり……?」
クロアはほかの先約があったことをわすれていた。レジィに身支度をととのえてもらうかたわら、彼女がダムト伝いに聞いた昨晩の出来事をおさらいした。そのおかげでクロアはルッツという槍使いが屋敷に再来訪することを思い出す。
「あの方はきっとお強いわ。ナーマも合格すれば、戦士が二人確保できるわね」
「なんだか順調ですね。いつもの兵士不足がウソみたい」
そうこう話すうちにクロアは支度をしおえた。ナーマは二度寝したようで寝台からうごかず、円卓上のカゴを寝床にするベニトラもまだねている。クロアは人外の仲間を部屋に放置し、朝食をとりに行った。
いつもの居室には父母と祖母がいた。クロアは父と外見年齢のあまり変わらない祖母を見て、昨日の夢魔話を連想する。その内心をさとられまいとして、顔を伏せがちにした。
「昨晩、魔人の女性を保護したそうだね」
クロアの不安をよそに、クノードが雑談のていで話しかけてくる。
「その後、どうだい?」
「え? ええと、わたしの招獣になって、部屋で過ごしていますわ」
「そうか。新しい友だちが増えて、よかったよ」
父の言い方にクロアは違和感をおぼえた。しかしそのことには触れない。夢魔という存在は、腫れ物に等しい。そう父が判断したがゆえに、真実を知っているはずの父はあいまいな言葉を使うのだ。この場にいる、祖母と母のために。
クロアは無難に朝食をおえた。居室を出るとレジィがやってきて「いまから試合ができます」と報告する。クロアは午前の職務を先延ばしにしておき、訓練場へ急行した。部屋へもどってからナーマを連れだすより、招術で呼び寄せたほうが早いと思ったためだ。
第三訓練場には木剣の素振りをするユネスがいた。クロアは彼と挨拶を交わしたのち、しばし待機を命じる。対戦相手を呼出したいが、肝心の呼び方をよく知らない。その場でレジィに教わることにした。
「まず、呼びたい相手の姿かたちを想像します」
これは昨日、ダムトと遠距離で会話したときと同じ手法だ。クロアは目を閉じる。有翼の少女の、温かそうな羽と耳を入念に想像した。
「次に相手に話しかけます。これは心の中でしゃべってください」
「心の中で……」
クロアは夢魔の幼い形態を髣髴しながら、何度も名前を呼びかけた。
『なーに、クロちゃん』
「あ、返事があったわ」
「呼び出しの了解をとったら、その姿がここに現れるように想像してください」
レジィの指示通り、クロアは『わたしのところにきてくれる?』と
『いいよん。視界のどこかを強く念じて。そしたらそこに行けるから』
クロアは訓練場のそばに設置された長椅子に注目した。なにも置かれていない椅子。その上部分に集中する。
数秒ののちに視界に歪みが生じる。奇妙なもやが椅子の上にでき、人型となる。もやが取り払われ、そこに人が出現した。有翼の少女である。クロアはやっと術士らしいことができたという達成感が湧いてきた。レジィもクロアの手をとって「成功しましたよ!」と我がことのようにはしゃぐ。
「これでもう招術はバッチリですね!」
「ええ、術は苦手だと思っていたけど……意外とすんなりできたわ」
クロアたちが歓喜に湧く一方、ナーマは長椅子の上でくつろいだ。片肘をついて横になっている。これから戦う、ということをまだ理解できていないようだ。彼女は朝方、クロアたちの会話を聞いていたとクロアは思ったのだが、うまく伝わらなかったらしい。
「ナーマ、あなたこれからこの男性と一戦交えてくれる?」
クロアは自身の手の先をユネスに向けた。ナーマは起き上がり、空中であぐらをかく。
「えぇ? 招術の練習をしたかっただけじゃないの?」
「ちょっとした腕試しをしてほしいの。あなたは術で戦えるでしょ?」
「こんなチビッ子状態じゃ威力がでないわよぉ」
「威力は弱いほうがいいわ。相手の体に攻撃を当てるだけだもの、ね?」
クロアはユネスに試験内容を確認した。ユネスは「先に三回当てたら勝ちだ」と昨日の対弓士との試合と同じ条件を提示する。
「おれが使う術は水の弾だ。当たっても痛くねえようにするが、もしケガをしたらそこのレジィに治してもらえ」
レジィが手をあげて「治療はまかせて!」と豪語した。ナーマは「戦うの好きじゃないんだけどぉ」とぶつくさ言いつつも訓練場へ入る。試験官のユネスは木剣を長椅子に置いてから入場した。挑戦者は術士だと判断したうえでの徒手だ。
訓練場の出入口が封鎖され、障壁が一面に出現する。ナーマは屋根を形作る障壁を見上げて「逃亡防止用なの?」と若干引き気味になった。相対するユネスは腕組みをする。
「あんたが仕掛けてきたら、試合開始だ」
「余裕こいちゃって。さっさと三発当てちゃうよぉ」
複数の光球が少女の周囲に現れる。それらは雹(ひょう)のごとく武官へ降りそそいだ──
薄着の少女は目をつむったまま、クロアにすり寄ってくる。クロアは反射的にその額を人差し指で押した。少女はそれでもぐいぐい顔を押し付けてくる。だがクロアの力にはかなわず、顔をぼすんっと布団に伏せる。
「もー、クロちゃんの馬鹿力ー」
その甘ったるい声にはクロアの聞き覚えがあった。昨晩捕えた魔人だ。はじめて会ったときは成熟した女性だったが、いまは卑弱な少女に変化している。そのようにクロアが変えたのだ。力量を弱めても好色な性格には影響がないらしい。
「厄介な子をしょいこんでしまったわね……」
「せっかく招獣にしたんですし、傭兵の代わりになる強みはないですかね?」
レジィの発案はクロアの盲点だった。もとよりナーマをなにかに役立てる、という考えはクロアにない。ただ民衆への被害をなくす目的で、そばに置くと決めたのだが。
「そうね……この子は術が使えるんだし、戦力になるのかも」
「じゃあユネスさんに伝えておきますね。今日の腕試しは二人、予定が入ったって」
「ふたり……?」
クロアはほかの先約があったことをわすれていた。レジィに身支度をととのえてもらうかたわら、彼女がダムト伝いに聞いた昨晩の出来事をおさらいした。そのおかげでクロアはルッツという槍使いが屋敷に再来訪することを思い出す。
「あの方はきっとお強いわ。ナーマも合格すれば、戦士が二人確保できるわね」
「なんだか順調ですね。いつもの兵士不足がウソみたい」
そうこう話すうちにクロアは支度をしおえた。ナーマは二度寝したようで寝台からうごかず、円卓上のカゴを寝床にするベニトラもまだねている。クロアは人外の仲間を部屋に放置し、朝食をとりに行った。
いつもの居室には父母と祖母がいた。クロアは父と外見年齢のあまり変わらない祖母を見て、昨日の夢魔話を連想する。その内心をさとられまいとして、顔を伏せがちにした。
「昨晩、魔人の女性を保護したそうだね」
クロアの不安をよそに、クノードが雑談のていで話しかけてくる。
「その後、どうだい?」
「え? ええと、わたしの招獣になって、部屋で過ごしていますわ」
「そうか。新しい友だちが増えて、よかったよ」
父の言い方にクロアは違和感をおぼえた。しかしそのことには触れない。夢魔という存在は、腫れ物に等しい。そう父が判断したがゆえに、真実を知っているはずの父はあいまいな言葉を使うのだ。この場にいる、祖母と母のために。
クロアは無難に朝食をおえた。居室を出るとレジィがやってきて「いまから試合ができます」と報告する。クロアは午前の職務を先延ばしにしておき、訓練場へ急行した。部屋へもどってからナーマを連れだすより、招術で呼び寄せたほうが早いと思ったためだ。
第三訓練場には木剣の素振りをするユネスがいた。クロアは彼と挨拶を交わしたのち、しばし待機を命じる。対戦相手を呼出したいが、肝心の呼び方をよく知らない。その場でレジィに教わることにした。
「まず、呼びたい相手の姿かたちを想像します」
これは昨日、ダムトと遠距離で会話したときと同じ手法だ。クロアは目を閉じる。有翼の少女の、温かそうな羽と耳を入念に想像した。
「次に相手に話しかけます。これは心の中でしゃべってください」
「心の中で……」
クロアは夢魔の幼い形態を髣髴しながら、何度も名前を呼びかけた。
『なーに、クロちゃん』
「あ、返事があったわ」
「呼び出しの了解をとったら、その姿がここに現れるように想像してください」
レジィの指示通り、クロアは『わたしのところにきてくれる?』と
『いいよん。視界のどこかを強く念じて。そしたらそこに行けるから』
クロアは訓練場のそばに設置された長椅子に注目した。なにも置かれていない椅子。その上部分に集中する。
数秒ののちに視界に歪みが生じる。奇妙なもやが椅子の上にでき、人型となる。もやが取り払われ、そこに人が出現した。有翼の少女である。クロアはやっと術士らしいことができたという達成感が湧いてきた。レジィもクロアの手をとって「成功しましたよ!」と我がことのようにはしゃぐ。
「これでもう招術はバッチリですね!」
「ええ、術は苦手だと思っていたけど……意外とすんなりできたわ」
クロアたちが歓喜に湧く一方、ナーマは長椅子の上でくつろいだ。片肘をついて横になっている。これから戦う、ということをまだ理解できていないようだ。彼女は朝方、クロアたちの会話を聞いていたとクロアは思ったのだが、うまく伝わらなかったらしい。
「ナーマ、あなたこれからこの男性と一戦交えてくれる?」
クロアは自身の手の先をユネスに向けた。ナーマは起き上がり、空中であぐらをかく。
「えぇ? 招術の練習をしたかっただけじゃないの?」
「ちょっとした腕試しをしてほしいの。あなたは術で戦えるでしょ?」
「こんなチビッ子状態じゃ威力がでないわよぉ」
「威力は弱いほうがいいわ。相手の体に攻撃を当てるだけだもの、ね?」
クロアはユネスに試験内容を確認した。ユネスは「先に三回当てたら勝ちだ」と昨日の対弓士との試合と同じ条件を提示する。
「おれが使う術は水の弾だ。当たっても痛くねえようにするが、もしケガをしたらそこのレジィに治してもらえ」
レジィが手をあげて「治療はまかせて!」と豪語した。ナーマは「戦うの好きじゃないんだけどぉ」とぶつくさ言いつつも訓練場へ入る。試験官のユネスは木剣を長椅子に置いてから入場した。挑戦者は術士だと判断したうえでの徒手だ。
訓練場の出入口が封鎖され、障壁が一面に出現する。ナーマは屋根を形作る障壁を見上げて「逃亡防止用なの?」と若干引き気味になった。相対するユネスは腕組みをする。
「あんたが仕掛けてきたら、試合開始だ」
「余裕こいちゃって。さっさと三発当てちゃうよぉ」
複数の光球が少女の周囲に現れる。それらは雹(ひょう)のごとく武官へ降りそそいだ──
タグ:クロア