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2019年04月03日
クロア篇−6章7
クロアは自身の仕事部屋へ入った。室内ではレジィがせっせとそろばんを弾いている。その背後には有翼の少女がレジィの動作をたいくつそうにながめていた。
「それは今日の分の仕事?」
クロアは従者がなんの計算をしているのか、質問した。
「あ、えっと……仕事というか、活動費用の確認、です」
レジィは気まずそうに答えた。彼女はなにか気がかりに思うことがあるらしい。
「急な出費があったの?」
「ルッツさんたちにかかるお金……です」
「? なんでうちで計算することになるの」
「それが、公女に振り分けた活動費用から捻出することになったそうで……」
クロアはその決定に耳をうたがった。傭兵にかかわる経費は自分負担になるという認識がないのだ。
「……それは、いつ決まったの?」
「今日です。あ、でも雇った方への報酬はクノードさまが融通なさるそうですよ」
「じゃあなんのお金を負担するのかしら?」
「屋敷の滞在費とルッツさんに調練してもらう指導料です」
「指導、料金……」
クロアはたしかに支払うつもりでいた必要経費だ。だがクロアが使う資金から出ていくとは予想だにしていなかった。どこかの部門で負担するもの、とはなんとなく考えていた。その思考のうちに自己負担はふくまれていなかった。自分に都合のよい見通しをしていたと、クロアは気付かされる。
「そっか……わたしがおねがいした話だものね……」
「ひとり分の一日の滞在費は教えてもらったので、あとはルッツさんへの指導料をクロアさまが決めてください」
「もう決めてしまうの?」
「はい。それが決まれば、ルッツさんたちがどれだけここにいられるか、計算できますから」
「それは気にしなくていいわ」
「え? でも……」
「とっとと人を集めてしまえばよいのでしょ」
のこりの予算がどうのと論じても、人材が得られることとはなにも関係しない。
「仕事はほどほどにおわらせて、また昨日みたいに町中へ出かけるわ」
「はい……そうします」
レジィはそろばんを片付けた。そのうしろにいたナーマがレジィの仕事机を飛びこえ、クロアのまえへやってくる。
「アタシが強そうな人をさがしてあげよっか?」
「あなたが?」
この招獣に簡単な事務作業を押しつけようか、ともクロアは多少考えていた。だが、ナーマの発案はそれよりよほど本人に適性のある役目に聞こえる。
「いいわね。あなたなら身軽にうごけるし……」
「でしょ? じゃあ行ってくるね」
ナーマはさっそく室内の窓を開け、屋外へ飛びさった。クロアは彼女のやる気に感心する。
「なーんだ、寝床でごろごろしたがるナマケモノじゃないのね。ベニトラなんかはずっとねむりっぱなしなのだけど」
「あ、ベニーくんはまだねてたんですか?」
「ええ! いっぺん起こしたのに、わたしの部屋を出たらまたねちゃったの」
「精気が回復しきってないんでしょうか……」
猫の招獣は病み上がりだ。そのことをクロアはうっかり失念していた。
「昨日は普通に活動してたみたいだけど……あれは完全に元気になったわけじゃないのね」
「きっとそうです。だからお店で売ってる回復薬がほしいって、言ったんだと思います」
回復薬、にクロアは引っ掛かりをおぼえた。それを口に出すまえにレジィがしゃべる。
「あの、お店でもらった回復薬はベニーくんにあげてみました?」
追い打ちをかけるようにクロアは己が忘却していた事柄を把握した。自身のど忘れぶりに恥入る。
「やだ、食べさせてなかったわ」
「あ、やっぱり」
「もー、レジィもわたしのことをバカだと思っているの?」
クロアはレジィにも認知される自分の忘却力がはずかしかった。言葉尻をとらえられたレジィは「そうじゃありません」といたって冷静に答える。
「いろんなことがいっぺんに起きてて、薬をあげるヒマがなかったんですよね」
年少の従者がやさしくさとすので、クロアはすぐに感情を鎮静する。
「……いまからあげてこようかしら?」
「あ、はい。ベニーくんの体が楽になると思いますし……でも仕事はいいんですか?
はやく取りかかったほうが──」
仕事を早々に片付ければ午後の外出時間が長くとれる、とレジィは言いたげだ。クロアは「夜に出かけられればいいの」と答える。
「夜のほうが強い人を見つけやすいでしょ?」
「じゃあお昼からのお出かけは必須じゃないんですね」
「ええ、そういうこと」
クロアは午前の仕事を午後にまわす予定を立てて、執務室を出た。店でもらった薬類は自室にある。だが部屋のどこにあるのだか、はっきり思い出せなかった。
(昨日はカゴのまわりに置いてたはずだけど……さっきは無かった気がする)
クロアはさきほど、ベニトラをカゴごとマキシに見せた。その後にカゴを自室の円卓にもどしており、そのときの卓上にはなにも物がのっていなかった、と記憶している。
(ダムトかレジィが片付けたのね)
より可能性が高いのは前者だ。そう考えたクロアはまず彼の部屋をたずねた。ダムトに荷物の収納場所を聞いてみて、それからベニトラに薬をあげるのがよいと判断した。
男性従者の自室には二人の男性と猫がいた。男性たちは角がまるくなった楕円状の机で会話していたのを、中断した。クロアは旧知の人物のほうに自身の要求を伝える。部屋主がベニトラ用の薬をもってくると言い、クロアにはここで待つよううながした。それゆえクロアは寝台にねそべる猫のとなりへ座る。片手で猫の胴体をなでた。ふかふか毛皮に艶があって、その毛の持ち主が憔悴しているふうには思えない。
「あなたは……今日ずっとねているようだけど、まだ元気が出ないの?」
「完全回復には至らず」
「そう……すぐにおやつをあげなくて、ごめんなさいね」
ベニトラは長い尾をあげて、クロアの膝元にのせた。気にしなくていい、とでも体で表現しているのだろうか。クロアはもう片方の手で尻尾をやんわりつかむ。
「してほしいことがあったら、言っていいのよ。できるかどうかはそのとき考えるから」
猫はどうとも答えず、尻尾の先を左右にゆらした。肝心なところで意思をはっきりしてくれないやつだ、とクロアは不満に思う。
「もー、しゃべってくれないの?」
「そりゃあきみ、いちいち言わなくても通じるからだろう?」
楕円机に居座る客人が、したり顔で言う。
「なんでもかんでも言葉にしなきゃわからない、というんじゃ、一人前の招術士になれないぞ」
今日出会ったばかりのマキシが先輩風を吹かせてきた。その態度にクロアはカチンとくるものがあったが、冷静に反論する。
「わたくしはこの子と一緒にすごしはじめてから日が浅いのです。自分の解釈が合っているか、確認したいのですわ」
「その気持ちがあれば心配いらない」
「どうしておわかりになりますの?」
「僕の見立てでは、きみらはうまくやれているよ」
「ですから、その理由を──」
折りわるく入室者があり、会話は途切れた。クロアの部屋からもどってきた者は小袋や瓶を四種類、抱えている。
「適当に持ってきました」
「どれでもいいわ、開けてちょうだい」
「そのまえに机のほうへ、ベニトラを移動させてください。食べかすを布団にこぼされては困ります」
部屋主らしい指示を、クロアは素直にしたがった。空いている椅子に座り、膝に猫を乗せる。猫はちょこんと座った。猫の頬へ、マキシの手がのびる。
「きみはいいところにもらわれたな」
マキシはうれしそうな顔で、獣の頬をなでた。
「それは今日の分の仕事?」
クロアは従者がなんの計算をしているのか、質問した。
「あ、えっと……仕事というか、活動費用の確認、です」
レジィは気まずそうに答えた。彼女はなにか気がかりに思うことがあるらしい。
「急な出費があったの?」
「ルッツさんたちにかかるお金……です」
「? なんでうちで計算することになるの」
「それが、公女に振り分けた活動費用から捻出することになったそうで……」
クロアはその決定に耳をうたがった。傭兵にかかわる経費は自分負担になるという認識がないのだ。
「……それは、いつ決まったの?」
「今日です。あ、でも雇った方への報酬はクノードさまが融通なさるそうですよ」
「じゃあなんのお金を負担するのかしら?」
「屋敷の滞在費とルッツさんに調練してもらう指導料です」
「指導、料金……」
クロアはたしかに支払うつもりでいた必要経費だ。だがクロアが使う資金から出ていくとは予想だにしていなかった。どこかの部門で負担するもの、とはなんとなく考えていた。その思考のうちに自己負担はふくまれていなかった。自分に都合のよい見通しをしていたと、クロアは気付かされる。
「そっか……わたしがおねがいした話だものね……」
「ひとり分の一日の滞在費は教えてもらったので、あとはルッツさんへの指導料をクロアさまが決めてください」
「もう決めてしまうの?」
「はい。それが決まれば、ルッツさんたちがどれだけここにいられるか、計算できますから」
「それは気にしなくていいわ」
「え? でも……」
「とっとと人を集めてしまえばよいのでしょ」
のこりの予算がどうのと論じても、人材が得られることとはなにも関係しない。
「仕事はほどほどにおわらせて、また昨日みたいに町中へ出かけるわ」
「はい……そうします」
レジィはそろばんを片付けた。そのうしろにいたナーマがレジィの仕事机を飛びこえ、クロアのまえへやってくる。
「アタシが強そうな人をさがしてあげよっか?」
「あなたが?」
この招獣に簡単な事務作業を押しつけようか、ともクロアは多少考えていた。だが、ナーマの発案はそれよりよほど本人に適性のある役目に聞こえる。
「いいわね。あなたなら身軽にうごけるし……」
「でしょ? じゃあ行ってくるね」
ナーマはさっそく室内の窓を開け、屋外へ飛びさった。クロアは彼女のやる気に感心する。
「なーんだ、寝床でごろごろしたがるナマケモノじゃないのね。ベニトラなんかはずっとねむりっぱなしなのだけど」
「あ、ベニーくんはまだねてたんですか?」
「ええ! いっぺん起こしたのに、わたしの部屋を出たらまたねちゃったの」
「精気が回復しきってないんでしょうか……」
猫の招獣は病み上がりだ。そのことをクロアはうっかり失念していた。
「昨日は普通に活動してたみたいだけど……あれは完全に元気になったわけじゃないのね」
「きっとそうです。だからお店で売ってる回復薬がほしいって、言ったんだと思います」
回復薬、にクロアは引っ掛かりをおぼえた。それを口に出すまえにレジィがしゃべる。
「あの、お店でもらった回復薬はベニーくんにあげてみました?」
追い打ちをかけるようにクロアは己が忘却していた事柄を把握した。自身のど忘れぶりに恥入る。
「やだ、食べさせてなかったわ」
「あ、やっぱり」
「もー、レジィもわたしのことをバカだと思っているの?」
クロアはレジィにも認知される自分の忘却力がはずかしかった。言葉尻をとらえられたレジィは「そうじゃありません」といたって冷静に答える。
「いろんなことがいっぺんに起きてて、薬をあげるヒマがなかったんですよね」
年少の従者がやさしくさとすので、クロアはすぐに感情を鎮静する。
「……いまからあげてこようかしら?」
「あ、はい。ベニーくんの体が楽になると思いますし……でも仕事はいいんですか?
はやく取りかかったほうが──」
仕事を早々に片付ければ午後の外出時間が長くとれる、とレジィは言いたげだ。クロアは「夜に出かけられればいいの」と答える。
「夜のほうが強い人を見つけやすいでしょ?」
「じゃあお昼からのお出かけは必須じゃないんですね」
「ええ、そういうこと」
クロアは午前の仕事を午後にまわす予定を立てて、執務室を出た。店でもらった薬類は自室にある。だが部屋のどこにあるのだか、はっきり思い出せなかった。
(昨日はカゴのまわりに置いてたはずだけど……さっきは無かった気がする)
クロアはさきほど、ベニトラをカゴごとマキシに見せた。その後にカゴを自室の円卓にもどしており、そのときの卓上にはなにも物がのっていなかった、と記憶している。
(ダムトかレジィが片付けたのね)
より可能性が高いのは前者だ。そう考えたクロアはまず彼の部屋をたずねた。ダムトに荷物の収納場所を聞いてみて、それからベニトラに薬をあげるのがよいと判断した。
男性従者の自室には二人の男性と猫がいた。男性たちは角がまるくなった楕円状の机で会話していたのを、中断した。クロアは旧知の人物のほうに自身の要求を伝える。部屋主がベニトラ用の薬をもってくると言い、クロアにはここで待つよううながした。それゆえクロアは寝台にねそべる猫のとなりへ座る。片手で猫の胴体をなでた。ふかふか毛皮に艶があって、その毛の持ち主が憔悴しているふうには思えない。
「あなたは……今日ずっとねているようだけど、まだ元気が出ないの?」
「完全回復には至らず」
「そう……すぐにおやつをあげなくて、ごめんなさいね」
ベニトラは長い尾をあげて、クロアの膝元にのせた。気にしなくていい、とでも体で表現しているのだろうか。クロアはもう片方の手で尻尾をやんわりつかむ。
「してほしいことがあったら、言っていいのよ。できるかどうかはそのとき考えるから」
猫はどうとも答えず、尻尾の先を左右にゆらした。肝心なところで意思をはっきりしてくれないやつだ、とクロアは不満に思う。
「もー、しゃべってくれないの?」
「そりゃあきみ、いちいち言わなくても通じるからだろう?」
楕円机に居座る客人が、したり顔で言う。
「なんでもかんでも言葉にしなきゃわからない、というんじゃ、一人前の招術士になれないぞ」
今日出会ったばかりのマキシが先輩風を吹かせてきた。その態度にクロアはカチンとくるものがあったが、冷静に反論する。
「わたくしはこの子と一緒にすごしはじめてから日が浅いのです。自分の解釈が合っているか、確認したいのですわ」
「その気持ちがあれば心配いらない」
「どうしておわかりになりますの?」
「僕の見立てでは、きみらはうまくやれているよ」
「ですから、その理由を──」
折りわるく入室者があり、会話は途切れた。クロアの部屋からもどってきた者は小袋や瓶を四種類、抱えている。
「適当に持ってきました」
「どれでもいいわ、開けてちょうだい」
「そのまえに机のほうへ、ベニトラを移動させてください。食べかすを布団にこぼされては困ります」
部屋主らしい指示を、クロアは素直にしたがった。空いている椅子に座り、膝に猫を乗せる。猫はちょこんと座った。猫の頬へ、マキシの手がのびる。
「きみはいいところにもらわれたな」
マキシはうれしそうな顔で、獣の頬をなでた。
タグ:クロア
2019年03月27日
クロア篇−6章6
父の執務室を離れたあと、クロアはレジィに午前の仕事をさきに着手するようたのんだ。もはや始業時刻はかなり過ぎていて、昼休みを意識するような時間帯である。やれる事務作業はすくないのだが、なにもしないよりはいいとクロアは判断した。なにより、クロアに敬重の意を示さない客人に向けて「自分は暇人ではない」と強調する意味もあった。とくにやることのないナーマもレジィに付き添わせ、職務の見学をさせることにした。
クロアはマキシを連れて、自分の部屋にもどった。今朝部屋に置いていった猫は専用の寝台で横になっている。あれからずっと寝続けていたようだ。普通の猫はよくねむる生き物だというので、この魔獣も同じなのだろうとクロアは思った。
クロアの部屋のすぐ外にはマキシが待機している。彼は「クロアの部屋には入らない」と領主や公女に約束した。それゆえ、マキシはベニトラが廊下へ出てくるのを待っている。ベニトラにはこの部屋を出てもらわねばならないのだ。
「ねえベニトラ、起きてくれる?」
猫はうっすら目をあけた。
「あなたを観察したいという人がいるの。ちょっと外へ行ってほしいのよ」
「外で、なにをする?」
「観察だもの、好きなようにしたらいいはずよ。でもいちおう、本人に聞いてみるわね」
クロアはベニトラが入ったカゴを両手に抱え、廊下へ出た。廊下で突っ立っていたマキシはカゴに注目する。どこか気取っていた青年が、子どものように無邪気に目を輝かせた。
「おお! そこにいる朱色の動物が、そうなのか?」
「ええ、この子がベニトラ……つい先日まで、石付きだった子です」
青年の手がカゴへのびた。ベニトラの鼻先に彼の指が触れそうになったとき、手をひっこめる。
「あ……さわってみても、いいかな?」
厚顔無恥だった青年がベニトラの目を見ながら言った。彼は魔獣との接し方には慎重なようだ。公女よりも猫を大切にする青年の態度に、クロアは引っ掛かりをおぼえる。しかし彼にならベニトラをあずけても平気だという安心も感じた。
マキシの問いかけに対して、ベニトラは反応しなかった。マキシは次いでクロアを見上げる。クロアを獣の代弁者と見做して、その承認を待っているのだ。
「はい、だいじょうぶですわ」
青年は猫の下あごに指先を当てた。指で毛皮をかきわけ、毛が生えそろわない部位を見る。そこは一昨日、赤い石が付着していた。クロアが石を破壊したあとはその部分だけ素肌が丸見えになってしまい、いまは首輪で毛の抜け具合をごまかしている。傍目には脱毛の程度が気にならないようになっていた。
「ここに……石が埋まっていたのか」
沈痛な様子でマキシがつぶやいた。彼は被害に遭った獣をあわれんでいるようだ。
(ちゃんと情がある人なのね……)
えてして偏狭な好奇心にとらわれた人間は、他者を血の通った生き物とは思わず、非人情な行動に出ることもあるという。まさにベニトラを凶暴化させたやからが、そんな人間だ。だがマキシはそうでない。彼のよき一面を垣間見たクロアは、不遜な青年への悪印象を取りはらった。
マキシがベニトラの脱毛部分を確認しおえる。彼は文具を出して、手帳に書きつけた。彼の調査はもうはじまっているらしい。クロアはもともとたずねたかったことを質問する。
「あの、ベニトラの観察は……この子が自由にしていればよろしいの?」
「ああ、それでいい」
学者もどきの青年は手帳から目をはなさずに答えた。すっかり調査に夢中になっている。
「ベニトラ、マキシさんが観察しやすい場所まで移動してちょうだい」
カゴの毛布にくるまっていた猫がもぞもぞとうごきだした。大きなあくびをひとつかく。そうしてフワっと浮遊をはじめた。マキシは猫の飛翔能力を目の当たりにして、「おお!」と感動する。
「へえ、飛獣か! やっぱり有名な魔獣の子孫かもしれないな!」
有名な魔獣、という言葉にクロアは多少興味を惹いた。しかしそんな会話を弾ませていられる場合ではない。
「ではわたくしは午前の職務にもどりますわ」
「もうすこし待ってくれ。あとは、石付きの魔獣を捕獲した人から経緯を聞きたいな」
「経緯……」
「いつごろ目撃された、とか、どうやって捕まえた、とか……たしか公女とそのお付きの護衛が捕まえたんだろう? きみはいそがしいようだから、護衛の人から話を聞かせてもらえないか」
クロアとともにベニトラを捕えた人物が、いまどこにいるか──クロアは把握していなかった。なにせ今日の彼には一日の休暇を出した。飛獣を有するダムトの行動範囲は広い。下手をすれば町の外へ出かけた可能性があった。昨日一昨日とたいへんな任務をこなしてきた人なので、ゆっくり自室で休んでいても当然なのだが、クロアに確証はない。
「わたくしの護衛は今日、職務を休んでいまして……部屋にいなかったら居場所はわかりませんわ」
「わかった。その部屋をたずねてみて、不在だったらあきらめるよ。どこの部屋だい?」
「真向いの部屋ですわ。ちょっとお待ちになってて」
クロアは両手で持っていたカゴを脇に抱える。空いた手でダムトの部屋の戸をかるく叩いた。「どうぞ」という部屋主の声が返ってくる。クロアは内心とても安堵した。この従者がめんどうな客を対処してくれればまちがいはないと思ったのだ。
クロアが部屋へ踏み入ると部屋主は入口のちかくに立っていた。彼はクロアの後方にいる客人に視線を射る。
「……そちらの男性と、俺が話をしたらよいのですか?」
「あら、聞いてたのね」
「聞こえましたとも。これでは休みが休みになりませんね、まったく」
「あなたが知ってることを話すだけでしょ? 世間話みたいなものよ」
従者は渋々説得に応じ、マキシを接待する支度をはじめた。客をもてなす場所はダムトの部屋に決め、そこで長話するための茶を用意しにいった。
ダムトが部屋を空ける間、ベニトラはダムトの寝台の端っこに身を投げ出した。まだまだごろ寝するつもりだ。その様子をマキシがじっと見ている。猫がすっかり置物のように居付いてしまうと、青年は猫ににじり寄った。寝台から垂れた長い尻尾を、手のひらでそっと持ち上げる。
「尻尾が長いんだな……」
ぽろっと感想をもらすと、また手帳になにかを書いた。いまの彼はベニトラ以外に関心がない。クロアは「わたくしはもう行きます」と一言告げて、退室した。
クロアはマキシを連れて、自分の部屋にもどった。今朝部屋に置いていった猫は専用の寝台で横になっている。あれからずっと寝続けていたようだ。普通の猫はよくねむる生き物だというので、この魔獣も同じなのだろうとクロアは思った。
クロアの部屋のすぐ外にはマキシが待機している。彼は「クロアの部屋には入らない」と領主や公女に約束した。それゆえ、マキシはベニトラが廊下へ出てくるのを待っている。ベニトラにはこの部屋を出てもらわねばならないのだ。
「ねえベニトラ、起きてくれる?」
猫はうっすら目をあけた。
「あなたを観察したいという人がいるの。ちょっと外へ行ってほしいのよ」
「外で、なにをする?」
「観察だもの、好きなようにしたらいいはずよ。でもいちおう、本人に聞いてみるわね」
クロアはベニトラが入ったカゴを両手に抱え、廊下へ出た。廊下で突っ立っていたマキシはカゴに注目する。どこか気取っていた青年が、子どものように無邪気に目を輝かせた。
「おお! そこにいる朱色の動物が、そうなのか?」
「ええ、この子がベニトラ……つい先日まで、石付きだった子です」
青年の手がカゴへのびた。ベニトラの鼻先に彼の指が触れそうになったとき、手をひっこめる。
「あ……さわってみても、いいかな?」
厚顔無恥だった青年がベニトラの目を見ながら言った。彼は魔獣との接し方には慎重なようだ。公女よりも猫を大切にする青年の態度に、クロアは引っ掛かりをおぼえる。しかし彼にならベニトラをあずけても平気だという安心も感じた。
マキシの問いかけに対して、ベニトラは反応しなかった。マキシは次いでクロアを見上げる。クロアを獣の代弁者と見做して、その承認を待っているのだ。
「はい、だいじょうぶですわ」
青年は猫の下あごに指先を当てた。指で毛皮をかきわけ、毛が生えそろわない部位を見る。そこは一昨日、赤い石が付着していた。クロアが石を破壊したあとはその部分だけ素肌が丸見えになってしまい、いまは首輪で毛の抜け具合をごまかしている。傍目には脱毛の程度が気にならないようになっていた。
「ここに……石が埋まっていたのか」
沈痛な様子でマキシがつぶやいた。彼は被害に遭った獣をあわれんでいるようだ。
(ちゃんと情がある人なのね……)
えてして偏狭な好奇心にとらわれた人間は、他者を血の通った生き物とは思わず、非人情な行動に出ることもあるという。まさにベニトラを凶暴化させたやからが、そんな人間だ。だがマキシはそうでない。彼のよき一面を垣間見たクロアは、不遜な青年への悪印象を取りはらった。
マキシがベニトラの脱毛部分を確認しおえる。彼は文具を出して、手帳に書きつけた。彼の調査はもうはじまっているらしい。クロアはもともとたずねたかったことを質問する。
「あの、ベニトラの観察は……この子が自由にしていればよろしいの?」
「ああ、それでいい」
学者もどきの青年は手帳から目をはなさずに答えた。すっかり調査に夢中になっている。
「ベニトラ、マキシさんが観察しやすい場所まで移動してちょうだい」
カゴの毛布にくるまっていた猫がもぞもぞとうごきだした。大きなあくびをひとつかく。そうしてフワっと浮遊をはじめた。マキシは猫の飛翔能力を目の当たりにして、「おお!」と感動する。
「へえ、飛獣か! やっぱり有名な魔獣の子孫かもしれないな!」
有名な魔獣、という言葉にクロアは多少興味を惹いた。しかしそんな会話を弾ませていられる場合ではない。
「ではわたくしは午前の職務にもどりますわ」
「もうすこし待ってくれ。あとは、石付きの魔獣を捕獲した人から経緯を聞きたいな」
「経緯……」
「いつごろ目撃された、とか、どうやって捕まえた、とか……たしか公女とそのお付きの護衛が捕まえたんだろう? きみはいそがしいようだから、護衛の人から話を聞かせてもらえないか」
クロアとともにベニトラを捕えた人物が、いまどこにいるか──クロアは把握していなかった。なにせ今日の彼には一日の休暇を出した。飛獣を有するダムトの行動範囲は広い。下手をすれば町の外へ出かけた可能性があった。昨日一昨日とたいへんな任務をこなしてきた人なので、ゆっくり自室で休んでいても当然なのだが、クロアに確証はない。
「わたくしの護衛は今日、職務を休んでいまして……部屋にいなかったら居場所はわかりませんわ」
「わかった。その部屋をたずねてみて、不在だったらあきらめるよ。どこの部屋だい?」
「真向いの部屋ですわ。ちょっとお待ちになってて」
クロアは両手で持っていたカゴを脇に抱える。空いた手でダムトの部屋の戸をかるく叩いた。「どうぞ」という部屋主の声が返ってくる。クロアは内心とても安堵した。この従者がめんどうな客を対処してくれればまちがいはないと思ったのだ。
クロアが部屋へ踏み入ると部屋主は入口のちかくに立っていた。彼はクロアの後方にいる客人に視線を射る。
「……そちらの男性と、俺が話をしたらよいのですか?」
「あら、聞いてたのね」
「聞こえましたとも。これでは休みが休みになりませんね、まったく」
「あなたが知ってることを話すだけでしょ? 世間話みたいなものよ」
従者は渋々説得に応じ、マキシを接待する支度をはじめた。客をもてなす場所はダムトの部屋に決め、そこで長話するための茶を用意しにいった。
ダムトが部屋を空ける間、ベニトラはダムトの寝台の端っこに身を投げ出した。まだまだごろ寝するつもりだ。その様子をマキシがじっと見ている。猫がすっかり置物のように居付いてしまうと、青年は猫ににじり寄った。寝台から垂れた長い尻尾を、手のひらでそっと持ち上げる。
「尻尾が長いんだな……」
ぽろっと感想をもらすと、また手帳になにかを書いた。いまの彼はベニトラ以外に関心がない。クロアは「わたくしはもう行きます」と一言告げて、退室した。
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