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2019年03月06日
クロア篇−5章6
物腰の柔らかい戦士が退室した。ダムトはルッツが使用した茶器を片付ける。クロアは自身に配られた茶を飲みながら、雑務中の従者の顔色をうかがう。
「ルッツさんはどんなお方だと予想したの?」
クロアは従者が純粋なお茶出し目的で同席したのではないと察しがついていた。
「大官ではなく小官でもない、聖都の元武官でしょう」
「傭兵かもしれないじゃない」
「クロア様をしのぐ気品を有した傭兵なぞおりましょうか」
ダムトはなに食わぬ顔でクロアの杯に茶を注ぎ足す。クロアはわずかに眉をしかめる。
「またわたしをコケにしてくれるのね。でもあの方はたしかに品格があったわ」
「それに、ルッツ殿は十代のころから聖都で勤務したと自己紹介なさりました。普通の傭兵がひとつどころに長く勤続するとは思えません」
「腕利きの傭兵でないなら高位の武官だったんじゃなくて?」
「それはどうでしょう。重役の退官は我らにも伝わりますが、ルッツ殿のような方の報せはありません」
「じゃあ中間管理職だったのかしらね。ダムトの言い方だとそうなんでしょ」
ダムトは首を横にふる。
「ルッツ殿はアンペレからの救援要請の棄却についてご存知なかった様子。領主からの要請は中位の武官に伝わり、最初は彼らの裁量で可否を決めるといいます。中位の者では決めかねる場合は高位の武官が決断し、それでも判断がむずかしいときは王がご決定なさるとか。アンペレからの要請はベニトラの件以前にも複数回あったはずなのに、ルッツ殿が一度も協議の輪に入れなかったとは妙な話ですよ」
ルッツは賊退治の話題が出た際、聖都の助けを求めないのかと言ってきた。アンペレからの依頼自体、存在するとは思っていなかったようだ。
「え……どういうこと? 中級武官だと言いたいのではないの?」
「官位の上位、下位が明確でない職分があるでしょう。たとえばこの俺です。アンペレの高官であるカスバン殿はクノード様に次ぐ権威をお持ちですけど、俺に命令することはできません。個人的なお願いをする程度が限界です。その理由はおわかりになりますか?」
「わたしの従者だもの、カスバンのいいように使われちゃ我慢ならないわ」
「そうでしょうとも。貴人に直接お仕えする者は、貴人の命令をいつでもこなせるように準備しておかねばなりません。もし俺がカスバン殿の指示を遂行する間、俺の不在を突いてクロア様が暗殺されようものなら元も子もない」
「ふん、わたしはそう簡単にやられないわよ」
「ええ、敵が術を使わなければ」
クロアは今宵の幻惑の件を思い出した。自分のふがいなさにいたたまれなくなる。
「……今日はイヤな目に遭っちゃったわ。あの幻術使いはどうなったのかしら?」
「術封じの縄で縛ったまま、牢屋にいると思われます」
「会ってもいい?」
「おひとりではいけません。俺が同伴いたします」
クロアはぐっと茶を飲み干し、茶杯をダムトに渡す。クロアの膝からベニトラが跳び下り、机の下をくぐりって扉の前に座る。ダムトは茶器を配膳台に置きながらクロアを見る。
「これはあとで片付けましょうか」
「さきに流しに置いておきましょ。わすれるとほかの人が困るもの」
クロアも片付けについていくことにした。廊下にてダムトが台車を押しつつ「ルッツ殿の素性についてはもう満足されましたか」とたずねる。クロアはうなずく。
「王族の護衛だったってことを言いたいんでしょう?」
「よくおわかりで」
「近衛兵なら経歴をかるがるしく言えないでしょうよ。それがバレたら『王について教えろ』とか『王族に口利きをしろ』とか、めんどうなことを周りから言われそうだわ。お辞めになった理由は……年齢かしらね。ボーゼンが四十を越えると衰えを感じてきた、と言っていたもの。本気で言ってるのか、わたしにはわからなかったけれど……」
「まあ、そんなところでしょうね」
ダムトはまだ腹に言い残したことがあるようだが、クロアはそれ以上の詮索を止めた。クロアは他人の来歴にはさほど興味がない。クロアが知りたいのはその人物が信頼に足る者か、そして民衆に利益をもたらす能力を持ちうる者かどうかだ。
二人は暗い厨房に入った。廊下からもれる明かりを頼りに、ダムトが茶器を流し台に運ぶ。彼は夜目が利く方だとクロアは聞いていたが、半端に光がある場所でも位置を把握できるのは視力のおかげではない気がした。普段からやり慣れているのだ。かちゃかちゃとした音が鳴り止むとクロアは「いつもありがとう」と言った。その一言には今日一日分の従者の職務に対する謝意をこめた。が、ダムトには伝わらず「急になんです、気色悪い」と一蹴された。クロアはせっかくの感謝の気持ちを台無しにされた気分になる。
「もう、いちいちムカツクやつね」
「俺が嫌いならクビにしてもよろしいのですよ」
「なにを言うの、ヨボヨボになるまでこき使ってやるわ」
「クロア様のことですから、本当に俺が老いぼれても仕事をおしつけてきそうですね」
「足腰が立つうちはなんでもやらせるわよ」
と言いつつもクロアは老いたダムトが想像できなかった。かつてのダムトの同僚、エメリは少女の時分にクロアの従者となった。成人し、母親となった元従者がいる一方で、ダムトは従者になりたての当時と同じ外見のまま、勤続している。
(きっと、わたしが中年になっても若いままなんだわ)
ダムトには加齢による退職の可能性がない。それがクロアには心強い。同じ従者でもエメリは普通の人間で、家庭を持たずとも去る日がいずれ来た人物だ。レジィも同じである。退官の見通しがないダムトは小憎らしい性分であっても、クロアにはありがたかった。
「ルッツさんはどんなお方だと予想したの?」
クロアは従者が純粋なお茶出し目的で同席したのではないと察しがついていた。
「大官ではなく小官でもない、聖都の元武官でしょう」
「傭兵かもしれないじゃない」
「クロア様をしのぐ気品を有した傭兵なぞおりましょうか」
ダムトはなに食わぬ顔でクロアの杯に茶を注ぎ足す。クロアはわずかに眉をしかめる。
「またわたしをコケにしてくれるのね。でもあの方はたしかに品格があったわ」
「それに、ルッツ殿は十代のころから聖都で勤務したと自己紹介なさりました。普通の傭兵がひとつどころに長く勤続するとは思えません」
「腕利きの傭兵でないなら高位の武官だったんじゃなくて?」
「それはどうでしょう。重役の退官は我らにも伝わりますが、ルッツ殿のような方の報せはありません」
「じゃあ中間管理職だったのかしらね。ダムトの言い方だとそうなんでしょ」
ダムトは首を横にふる。
「ルッツ殿はアンペレからの救援要請の棄却についてご存知なかった様子。領主からの要請は中位の武官に伝わり、最初は彼らの裁量で可否を決めるといいます。中位の者では決めかねる場合は高位の武官が決断し、それでも判断がむずかしいときは王がご決定なさるとか。アンペレからの要請はベニトラの件以前にも複数回あったはずなのに、ルッツ殿が一度も協議の輪に入れなかったとは妙な話ですよ」
ルッツは賊退治の話題が出た際、聖都の助けを求めないのかと言ってきた。アンペレからの依頼自体、存在するとは思っていなかったようだ。
「え……どういうこと? 中級武官だと言いたいのではないの?」
「官位の上位、下位が明確でない職分があるでしょう。たとえばこの俺です。アンペレの高官であるカスバン殿はクノード様に次ぐ権威をお持ちですけど、俺に命令することはできません。個人的なお願いをする程度が限界です。その理由はおわかりになりますか?」
「わたしの従者だもの、カスバンのいいように使われちゃ我慢ならないわ」
「そうでしょうとも。貴人に直接お仕えする者は、貴人の命令をいつでもこなせるように準備しておかねばなりません。もし俺がカスバン殿の指示を遂行する間、俺の不在を突いてクロア様が暗殺されようものなら元も子もない」
「ふん、わたしはそう簡単にやられないわよ」
「ええ、敵が術を使わなければ」
クロアは今宵の幻惑の件を思い出した。自分のふがいなさにいたたまれなくなる。
「……今日はイヤな目に遭っちゃったわ。あの幻術使いはどうなったのかしら?」
「術封じの縄で縛ったまま、牢屋にいると思われます」
「会ってもいい?」
「おひとりではいけません。俺が同伴いたします」
クロアはぐっと茶を飲み干し、茶杯をダムトに渡す。クロアの膝からベニトラが跳び下り、机の下をくぐりって扉の前に座る。ダムトは茶器を配膳台に置きながらクロアを見る。
「これはあとで片付けましょうか」
「さきに流しに置いておきましょ。わすれるとほかの人が困るもの」
クロアも片付けについていくことにした。廊下にてダムトが台車を押しつつ「ルッツ殿の素性についてはもう満足されましたか」とたずねる。クロアはうなずく。
「王族の護衛だったってことを言いたいんでしょう?」
「よくおわかりで」
「近衛兵なら経歴をかるがるしく言えないでしょうよ。それがバレたら『王について教えろ』とか『王族に口利きをしろ』とか、めんどうなことを周りから言われそうだわ。お辞めになった理由は……年齢かしらね。ボーゼンが四十を越えると衰えを感じてきた、と言っていたもの。本気で言ってるのか、わたしにはわからなかったけれど……」
「まあ、そんなところでしょうね」
ダムトはまだ腹に言い残したことがあるようだが、クロアはそれ以上の詮索を止めた。クロアは他人の来歴にはさほど興味がない。クロアが知りたいのはその人物が信頼に足る者か、そして民衆に利益をもたらす能力を持ちうる者かどうかだ。
二人は暗い厨房に入った。廊下からもれる明かりを頼りに、ダムトが茶器を流し台に運ぶ。彼は夜目が利く方だとクロアは聞いていたが、半端に光がある場所でも位置を把握できるのは視力のおかげではない気がした。普段からやり慣れているのだ。かちゃかちゃとした音が鳴り止むとクロアは「いつもありがとう」と言った。その一言には今日一日分の従者の職務に対する謝意をこめた。が、ダムトには伝わらず「急になんです、気色悪い」と一蹴された。クロアはせっかくの感謝の気持ちを台無しにされた気分になる。
「もう、いちいちムカツクやつね」
「俺が嫌いならクビにしてもよろしいのですよ」
「なにを言うの、ヨボヨボになるまでこき使ってやるわ」
「クロア様のことですから、本当に俺が老いぼれても仕事をおしつけてきそうですね」
「足腰が立つうちはなんでもやらせるわよ」
と言いつつもクロアは老いたダムトが想像できなかった。かつてのダムトの同僚、エメリは少女の時分にクロアの従者となった。成人し、母親となった元従者がいる一方で、ダムトは従者になりたての当時と同じ外見のまま、勤続している。
(きっと、わたしが中年になっても若いままなんだわ)
ダムトには加齢による退職の可能性がない。それがクロアには心強い。同じ従者でもエメリは普通の人間で、家庭を持たずとも去る日がいずれ来た人物だ。レジィも同じである。退官の見通しがないダムトは小憎らしい性分であっても、クロアにはありがたかった。
タグ:クロア
2019年03月05日
クロア篇−5章5
クロアは白髪の戦士に礼がしたいと申し出た。彼は「それがしは療術を少々お掛けしたまで」と辞退しそうな雰囲気を出したが、クロアから視線をはずしたのちに承諾した。みなそれぞれの飛獣に乗り、姿を消して移動する。その道中で互いの素性を明かした。
戦士はルッツと名乗った。彼が騎乗するベイレとともに旅をしているという。長年聖都で勤め、現在は辞職した。以後は旅行を楽しんでいるそうだ。聖都で具体的になにをしていたかを聞くとはぐらかされ、それ以降ルッツがクロアたちへの質問攻めをした。
屋敷に着くとダムトが透明化の術を解除する。
「さきに応接間へ向かってください」
彼は捕えた魔人を牢屋へ連れていく。ソルフがその同伴をするので、クロアはルッツと二人で応接間に向かう。その際、彼が所有する槍は一時衛兵にあずからせた。表向きは客人が不必要な荷物を持ちあるかなくてすむようにする配慮だが、内実は得体の知れない人物を警戒しての対処だ。ルッツが「これが貴方がたの職務ですからな」と言いながら槍を渡したのは、その内情を察していたからだろうとクロアは思った。
応接間にてクロアは客人の戦士と真向いに席に着く。もてなし用の茶器や茶菓子などは用意できていないが、クロアは話をはじめる。
「お礼をする、とは言ったものの、なにをあげたらよいか思いつきませんわね」
「かまいませぬ。それがしは返礼を所望いたしません」
「あら、ではどうしてお越しくださったの?」
「公女に同行しました理由は罪人の監視です。飛行できる相手は万一逃がすとあとが大変でございますゆえ」
その配慮は一介の武人がなかなか思いつけないこと。クロアは「お心遣いに感謝しますわ」と謝辞を述べるかたわら、ルッツは聖都の警備兵でもしていたのだろうか、と考えた。
(べつに隠さなくてよろしいのに……)
クロアは膝にいる猫の腹毛を触った。ルッツは幼獣形態の獣にほほえみかける。
「こちらの招獣はなかなかの強者ですな。公女が苦しまれた幻術を跳ねのけるとは」
「もしかしたら、この首輪の効果かもしれませんわ」
クロアはベニトラの首にある黄色の宝石をつまむ。
「この子は石付きの魔獣でしたの。これはこの子が招獣だという目印のために買った首輪です。品物を決めるときに店の者が『また術のせいで暴れてもらったら困る』と言って、術耐性を強める品をすすめたのです」
「ほう、石付き……ですか」
「はい。昨日までに数度、町を襲ってきましたの」
「ははあ、それがしは出遅れてしまったようですな」
出遅れた、の意味をたずねる前に部屋の扉が開いた。移動配膳台を押すダムトが入室する。彼は手甲を脱いだ手で茶を注ぎはじめた。クロアは従者に労わりの言葉をかける。
「背中が痛むのではなくて? ほかの者に任せていいのよ」
「俺のことはかまわず、お話しになっていてください」
手負いの従者は下男の役目を強行する。そこに彼なりの意図がある、とクロアは感じる。
「わかったわ……かわりに明日一日、ちゃんと休みなさいね」
ダムトが二つの茶杯を出した。雑用をすませたダムトはルッツの座席からひとつ飛ばした隣席にすわる。彼は背もたれに寄りかかった。そして目をつむる。思えば今日のダムトは朝から働きづめだ。表面上はいつもと変わらないが、やはり疲弊しているのだろうか。
(わたしの攻撃が追い打ちになったのかもしれないわね)
魔人の捕縛直後のダムトは元気そうに見えたせいで、クロアは謝罪をしなかった。あれは痩せ我慢だったのだろう。あとできちんと礼をするか謝るかしよう、と心に決めた。
ルッツは香りの立つ茶を静かにたしなんでいる。彼の言葉遣いも仕草も、気品がある。身の上を明かさない者だが、その育ちの良さは隠しきれていない。
(自分のことを言いたくないようだし……そこは聞かないでおきましょ)
クロアは深入りをやめ、ダムトが入室する直前の会話を続行する。
「さきほど『出遅れた』とおっしゃいましたわね」
ルッツが茶器をもつ手を止めた。彼は柔和な面持ちでクロアを静観している。
「どういうことかしら?」
「それがしがこの町に訪れる動機が、すでに除かれていたということです」
「ルッツさんは魔獣退治をなさりにいらっしゃったの?」
「おおせの通りです。こちらで出没する飛獣に、聖都の正規兵も手こずっているとの噂を耳に入れましたゆえ……」
「手こずる、はすこし語弊がありますわ。たしかにわたくしどもは聖都の救援をお願いいたしました。けれど、そういうときにかぎって魔獣があらわれません。ですから結局、聖都の方々はなにもせずお帰りになったのですわ」
クロアは聖都の援兵が無力ではなかったことを強調した。それが聖都で勤めていたであろう武官の気持ちを安んじる言葉だと考えたのだ。もと武官らしき男性は満足げに笑む。
「ではそれがしも槍を振るわずにアンペレを発つことになりますな」
「あ、それは……」
クロアはここが好機と見て話題を変える。
「出発なさるまえに、アンペレの強兵と手合わせ願えませんこと?」
ルッツは目を丸くした。手にした茶杯を机上に置く。
「はあ、断る理由はありませんが……どういった目的で?」
「近隣にいる盗賊を捕えるためです。試合に勝った者を傭兵として雇う段取りですの」
「聖都の助力は得られないのですか?」
「父は……伯は目立つ被害が出てからでないと応援要請は難しいとお考えです」
ルッツは「そんなことは」と言いよどんだ。だが口をつぐみ、言葉を模索する。
「……些事の始末に聖都の出番はないというわけですな」
「ええ、王の御手はわずらわせませんわ。ですが現状の兵力では不安があります」
「わかり申した。いつ手合わせが行われるのでしょうか?」
「明日の午前中はどうかしら?」
「はい。ではそのように」
「こちらでお泊まりになってはいかが?」
「すでに宿は決めました。連れもおりますゆえ、そのお心だけ頂きましょう」
ルッツは茶杯を空にした。その行為が帰り支度と見たダムトは席を立ち、扉の前に待機する。ルッツは自席の隣りの椅子にいた小さな飛獣を抱え、挨拶をして離席した。彼の槍は守衛が預っているため、そのことをダムトが一言ルッツに伝えた。
戦士はルッツと名乗った。彼が騎乗するベイレとともに旅をしているという。長年聖都で勤め、現在は辞職した。以後は旅行を楽しんでいるそうだ。聖都で具体的になにをしていたかを聞くとはぐらかされ、それ以降ルッツがクロアたちへの質問攻めをした。
屋敷に着くとダムトが透明化の術を解除する。
「さきに応接間へ向かってください」
彼は捕えた魔人を牢屋へ連れていく。ソルフがその同伴をするので、クロアはルッツと二人で応接間に向かう。その際、彼が所有する槍は一時衛兵にあずからせた。表向きは客人が不必要な荷物を持ちあるかなくてすむようにする配慮だが、内実は得体の知れない人物を警戒しての対処だ。ルッツが「これが貴方がたの職務ですからな」と言いながら槍を渡したのは、その内情を察していたからだろうとクロアは思った。
応接間にてクロアは客人の戦士と真向いに席に着く。もてなし用の茶器や茶菓子などは用意できていないが、クロアは話をはじめる。
「お礼をする、とは言ったものの、なにをあげたらよいか思いつきませんわね」
「かまいませぬ。それがしは返礼を所望いたしません」
「あら、ではどうしてお越しくださったの?」
「公女に同行しました理由は罪人の監視です。飛行できる相手は万一逃がすとあとが大変でございますゆえ」
その配慮は一介の武人がなかなか思いつけないこと。クロアは「お心遣いに感謝しますわ」と謝辞を述べるかたわら、ルッツは聖都の警備兵でもしていたのだろうか、と考えた。
(べつに隠さなくてよろしいのに……)
クロアは膝にいる猫の腹毛を触った。ルッツは幼獣形態の獣にほほえみかける。
「こちらの招獣はなかなかの強者ですな。公女が苦しまれた幻術を跳ねのけるとは」
「もしかしたら、この首輪の効果かもしれませんわ」
クロアはベニトラの首にある黄色の宝石をつまむ。
「この子は石付きの魔獣でしたの。これはこの子が招獣だという目印のために買った首輪です。品物を決めるときに店の者が『また術のせいで暴れてもらったら困る』と言って、術耐性を強める品をすすめたのです」
「ほう、石付き……ですか」
「はい。昨日までに数度、町を襲ってきましたの」
「ははあ、それがしは出遅れてしまったようですな」
出遅れた、の意味をたずねる前に部屋の扉が開いた。移動配膳台を押すダムトが入室する。彼は手甲を脱いだ手で茶を注ぎはじめた。クロアは従者に労わりの言葉をかける。
「背中が痛むのではなくて? ほかの者に任せていいのよ」
「俺のことはかまわず、お話しになっていてください」
手負いの従者は下男の役目を強行する。そこに彼なりの意図がある、とクロアは感じる。
「わかったわ……かわりに明日一日、ちゃんと休みなさいね」
ダムトが二つの茶杯を出した。雑用をすませたダムトはルッツの座席からひとつ飛ばした隣席にすわる。彼は背もたれに寄りかかった。そして目をつむる。思えば今日のダムトは朝から働きづめだ。表面上はいつもと変わらないが、やはり疲弊しているのだろうか。
(わたしの攻撃が追い打ちになったのかもしれないわね)
魔人の捕縛直後のダムトは元気そうに見えたせいで、クロアは謝罪をしなかった。あれは痩せ我慢だったのだろう。あとできちんと礼をするか謝るかしよう、と心に決めた。
ルッツは香りの立つ茶を静かにたしなんでいる。彼の言葉遣いも仕草も、気品がある。身の上を明かさない者だが、その育ちの良さは隠しきれていない。
(自分のことを言いたくないようだし……そこは聞かないでおきましょ)
クロアは深入りをやめ、ダムトが入室する直前の会話を続行する。
「さきほど『出遅れた』とおっしゃいましたわね」
ルッツが茶器をもつ手を止めた。彼は柔和な面持ちでクロアを静観している。
「どういうことかしら?」
「それがしがこの町に訪れる動機が、すでに除かれていたということです」
「ルッツさんは魔獣退治をなさりにいらっしゃったの?」
「おおせの通りです。こちらで出没する飛獣に、聖都の正規兵も手こずっているとの噂を耳に入れましたゆえ……」
「手こずる、はすこし語弊がありますわ。たしかにわたくしどもは聖都の救援をお願いいたしました。けれど、そういうときにかぎって魔獣があらわれません。ですから結局、聖都の方々はなにもせずお帰りになったのですわ」
クロアは聖都の援兵が無力ではなかったことを強調した。それが聖都で勤めていたであろう武官の気持ちを安んじる言葉だと考えたのだ。もと武官らしき男性は満足げに笑む。
「ではそれがしも槍を振るわずにアンペレを発つことになりますな」
「あ、それは……」
クロアはここが好機と見て話題を変える。
「出発なさるまえに、アンペレの強兵と手合わせ願えませんこと?」
ルッツは目を丸くした。手にした茶杯を机上に置く。
「はあ、断る理由はありませんが……どういった目的で?」
「近隣にいる盗賊を捕えるためです。試合に勝った者を傭兵として雇う段取りですの」
「聖都の助力は得られないのですか?」
「父は……伯は目立つ被害が出てからでないと応援要請は難しいとお考えです」
ルッツは「そんなことは」と言いよどんだ。だが口をつぐみ、言葉を模索する。
「……些事の始末に聖都の出番はないというわけですな」
「ええ、王の御手はわずらわせませんわ。ですが現状の兵力では不安があります」
「わかり申した。いつ手合わせが行われるのでしょうか?」
「明日の午前中はどうかしら?」
「はい。ではそのように」
「こちらでお泊まりになってはいかが?」
「すでに宿は決めました。連れもおりますゆえ、そのお心だけ頂きましょう」
ルッツは茶杯を空にした。その行為が帰り支度と見たダムトは席を立ち、扉の前に待機する。ルッツは自席の隣りの椅子にいた小さな飛獣を抱え、挨拶をして離席した。彼の槍は守衛が預っているため、そのことをダムトが一言ルッツに伝えた。
タグ:クロア