2019年03月21日
クロア篇−6章3
試合はあっけなくおわった。術の戦いとなるとやはり魔人に分があったようで、ナーマが楽々と勝つ。クロアののぞんだ結果だ。その歓喜に乗じて、勝者がクロアの胸へ飛びこんでくる。
「ねー、アタシがんばったでしょー?」
「ええ! 試合には勝てたわね」
クロアはナーマの翼に生えた羽毛をなでながら、試合に負けた試験官の様子を見た。ユネスはまったく手傷を負っていない。それは両者ともに敵意のない戦いをおこなったからなのだろうが、はたして実戦でも同様の勝敗になるかというと、未知数だ。この試合はあくまで、勝利条件がナーマに有利であったにすぎない。そう考えるとクロアは手放しによろこべない。
「ねえ、この子を合格にしていい?」
訓練場内から出てきた武官に確認すると、彼は「どうとも言えません」と答えた。クロアは戦闘面でナーマに能力不足があったのかと推察する。
「賊との戦いじゃ、ついてこれなさそう?」
「いや、そういうわけじゃありません。その招獣は幻術が得意だと聞きましたんで」
「幻術が実戦に役立てる、と見込んでいいのね」
「はい。おれが心配してることは『線引き』をどこでするかって──」
言いかけて、ユネスはクロア以外のものに気を取られた。その視線のさきには地面すれすれに飛行する文官がいる。あのような移動方法をとる者は古株の高官だけだ。
クロアはナーマに触れていた手をおろした。のんきにじゃれついている状況ではない。
「離れてくれる?」
「えー、このまんまでもいいでしょ」
有翼の少女はクロアにくっついたままだ。クロアの不本意な態勢で、到着した老爺と応対する状況となる。
「そちらの女子はどういった理由で、ここにおるのです?」
「ユネスと手合せしたの」
クロアが答えたとたん、老爺の眉間にしわが寄ってくる。
「どういったお心づもりで、この者らを競わせたのです?」
「もちろん、戦士の頭数にするため──」
「招獣は人員にかぞえられませんな」
老官が冷たく言いはなった。クロアはこれを不服とする。
「後出しで規定を加えないでちょうだい。やり方が汚いわ!」
「なにをおっしゃるか。招術とは術の一環でございましょう」
「招獣は自分の意思を持った生き物です。術でつくる火や水とはちがうんじゃなくて?」
「どちらも使用の際は術士の精気を消耗します。並大抵の招術士では戦士二人分の戦力にはなりえませぬ」
老爺は公女に抱きつくナーマをにらみつけた。招獣の馴れ馴れしい態度をも彼は気に食っていないようだ。目で不満を訴えられた少女はこそっとクロアの後ろへまわった。
「招獣を呼び出したら、術士は戦えなくなるというの?」
「そのようにお考えになってもよろしい。ましてクロアさまは術が不得手。安定して招術を使いこなす確証がまったくございません」
「そんなの、練習すればなんとかなるわ」
「それだけではありません。ベニトラと呼ぶ飛獣……あれも、同時に使役されるおつもりでしょう?」
老爺は目線をうごかした。クロアが昨日から連れあるく猫をさがしているらしい。ところが今日のベニトラはクロアの部屋で休んでいるので、この場にはいない。
「いまは呼び出しておらぬようですが……戦いでは必要となる者です。招獣を二体も使っていては、いつ精気を使い果たすかわかったものではない。ですから、招獣は術士の能力の範囲内にふくめるべきだと申しておるのです」
クロアは老爺の主張が正しく思えた。しかし詭弁があるやもしれず、戦闘知識の豊富なユネスに視線を送ってみる。ユネスは「普通はそうかもな」とカスバンに同意する。
「おれがさっき言いかけた『線引き』っつうのも、カスバン殿がおっしゃったことと同じなんです」
ユネスがわざとクロアに不利な態度をとるはずはない。クロアは今回、老爺の言葉に折れることにした。ぬかよろこびした、とクロアはがっかりする。
「見方を変えりゃ、野良の魔獣や魔人はいいってわけか?」
ユネスが落胆したクロアを気遣ってか、大胆な仮定を出した。老爺は渋面でうなずく。
「こちらの指示をよく聞き、同士討ちなどしないという保証があれば許可しましょう」
「まぁいねえよな、そんなの」
クロアは自分にくっつくナーマに「一度野良にもどる?」と言ってみた。ナーマが猛然と反対したため、あえなく断念する。
「はぁ……あとはルッツさんだけね……」
「その御仁に試合は必要ありません」
「どういうこと?」
もしやルッツも不適合だと難癖をつけるつもりなのか、とクロアは気が滅入った。しかしカスバンは「不戦勝です」と抑揚なく言う。
「ルッツ殿……の力量はこのカスバンめが責任をもって保証いたします」
「え、ほんとうに?」
「あの方のことは存じておりますゆえ、それを申し上げにまいりました」
クロアはカスバンの了解を得られたことをよろこぶ反面、この老爺が吉報を知らせにきたとの主張には違和感をおぼえた。彼はこの戦士集めには非協力的であったはずだ。
「なぜ、ルッツさんを雇っていいの?」
「あの方は『公女を手助けしたい』とお言いになったのです。無下に断ればバチがあたりましょう」
「ずいぶんとルッツさんを丁重にあつかうのね?」
この高官はクロアを同格未満に見做すフシがありながら、外部からきた戦士を同格以上に遇している。その落差にはおそらくルッツの経歴が関係する。
(王の護衛役をやってたかもって、ダムトは言ってたのよね……)
王の側近になれる者の多くは名家の出身だ。中にはアンペレ家よりも格式ある家門が存在する。そういった名門の出の者には公女に対する以上の礼節を尽くさねばならない、とこの保守的な高官なら考えてもおかしくはない。
老爺は顔色を変えずに「親切な客人には適切にもてなします」とそれらしいこと言って、しのいだ。ルッツの素性を明かす気はないようだ。
「ところで、クロア様への報せはもうひとつありまして……」
「ええ、申しなさい」
「ルッツ殿のお連れ様が試合に挑戦なさるそうです。このまま待機していてくだされ」
カスバンが思いもよらぬ情報を提供した。クロアはしゃっきり背を伸ばす。
「お連れさま? いま、いらしているの?」
「はい、二十歳前後の若者です。ただいま持ち物の検査をほどこされておりました」
「検査がおわったら、ここにおいでになる?」
クロアが周囲へ意識を向けたところ、人声と足音が近づいてきた。人の気配のするほうを見てみると、そこにアンペレの文官と白髪の中年がいる。その後方には羽根帽子を被った青年もいた。
「ねー、アタシがんばったでしょー?」
「ええ! 試合には勝てたわね」
クロアはナーマの翼に生えた羽毛をなでながら、試合に負けた試験官の様子を見た。ユネスはまったく手傷を負っていない。それは両者ともに敵意のない戦いをおこなったからなのだろうが、はたして実戦でも同様の勝敗になるかというと、未知数だ。この試合はあくまで、勝利条件がナーマに有利であったにすぎない。そう考えるとクロアは手放しによろこべない。
「ねえ、この子を合格にしていい?」
訓練場内から出てきた武官に確認すると、彼は「どうとも言えません」と答えた。クロアは戦闘面でナーマに能力不足があったのかと推察する。
「賊との戦いじゃ、ついてこれなさそう?」
「いや、そういうわけじゃありません。その招獣は幻術が得意だと聞きましたんで」
「幻術が実戦に役立てる、と見込んでいいのね」
「はい。おれが心配してることは『線引き』をどこでするかって──」
言いかけて、ユネスはクロア以外のものに気を取られた。その視線のさきには地面すれすれに飛行する文官がいる。あのような移動方法をとる者は古株の高官だけだ。
クロアはナーマに触れていた手をおろした。のんきにじゃれついている状況ではない。
「離れてくれる?」
「えー、このまんまでもいいでしょ」
有翼の少女はクロアにくっついたままだ。クロアの不本意な態勢で、到着した老爺と応対する状況となる。
「そちらの女子はどういった理由で、ここにおるのです?」
「ユネスと手合せしたの」
クロアが答えたとたん、老爺の眉間にしわが寄ってくる。
「どういったお心づもりで、この者らを競わせたのです?」
「もちろん、戦士の頭数にするため──」
「招獣は人員にかぞえられませんな」
老官が冷たく言いはなった。クロアはこれを不服とする。
「後出しで規定を加えないでちょうだい。やり方が汚いわ!」
「なにをおっしゃるか。招術とは術の一環でございましょう」
「招獣は自分の意思を持った生き物です。術でつくる火や水とはちがうんじゃなくて?」
「どちらも使用の際は術士の精気を消耗します。並大抵の招術士では戦士二人分の戦力にはなりえませぬ」
老爺は公女に抱きつくナーマをにらみつけた。招獣の馴れ馴れしい態度をも彼は気に食っていないようだ。目で不満を訴えられた少女はこそっとクロアの後ろへまわった。
「招獣を呼び出したら、術士は戦えなくなるというの?」
「そのようにお考えになってもよろしい。ましてクロアさまは術が不得手。安定して招術を使いこなす確証がまったくございません」
「そんなの、練習すればなんとかなるわ」
「それだけではありません。ベニトラと呼ぶ飛獣……あれも、同時に使役されるおつもりでしょう?」
老爺は目線をうごかした。クロアが昨日から連れあるく猫をさがしているらしい。ところが今日のベニトラはクロアの部屋で休んでいるので、この場にはいない。
「いまは呼び出しておらぬようですが……戦いでは必要となる者です。招獣を二体も使っていては、いつ精気を使い果たすかわかったものではない。ですから、招獣は術士の能力の範囲内にふくめるべきだと申しておるのです」
クロアは老爺の主張が正しく思えた。しかし詭弁があるやもしれず、戦闘知識の豊富なユネスに視線を送ってみる。ユネスは「普通はそうかもな」とカスバンに同意する。
「おれがさっき言いかけた『線引き』っつうのも、カスバン殿がおっしゃったことと同じなんです」
ユネスがわざとクロアに不利な態度をとるはずはない。クロアは今回、老爺の言葉に折れることにした。ぬかよろこびした、とクロアはがっかりする。
「見方を変えりゃ、野良の魔獣や魔人はいいってわけか?」
ユネスが落胆したクロアを気遣ってか、大胆な仮定を出した。老爺は渋面でうなずく。
「こちらの指示をよく聞き、同士討ちなどしないという保証があれば許可しましょう」
「まぁいねえよな、そんなの」
クロアは自分にくっつくナーマに「一度野良にもどる?」と言ってみた。ナーマが猛然と反対したため、あえなく断念する。
「はぁ……あとはルッツさんだけね……」
「その御仁に試合は必要ありません」
「どういうこと?」
もしやルッツも不適合だと難癖をつけるつもりなのか、とクロアは気が滅入った。しかしカスバンは「不戦勝です」と抑揚なく言う。
「ルッツ殿……の力量はこのカスバンめが責任をもって保証いたします」
「え、ほんとうに?」
「あの方のことは存じておりますゆえ、それを申し上げにまいりました」
クロアはカスバンの了解を得られたことをよろこぶ反面、この老爺が吉報を知らせにきたとの主張には違和感をおぼえた。彼はこの戦士集めには非協力的であったはずだ。
「なぜ、ルッツさんを雇っていいの?」
「あの方は『公女を手助けしたい』とお言いになったのです。無下に断ればバチがあたりましょう」
「ずいぶんとルッツさんを丁重にあつかうのね?」
この高官はクロアを同格未満に見做すフシがありながら、外部からきた戦士を同格以上に遇している。その落差にはおそらくルッツの経歴が関係する。
(王の護衛役をやってたかもって、ダムトは言ってたのよね……)
王の側近になれる者の多くは名家の出身だ。中にはアンペレ家よりも格式ある家門が存在する。そういった名門の出の者には公女に対する以上の礼節を尽くさねばならない、とこの保守的な高官なら考えてもおかしくはない。
老爺は顔色を変えずに「親切な客人には適切にもてなします」とそれらしいこと言って、しのいだ。ルッツの素性を明かす気はないようだ。
「ところで、クロア様への報せはもうひとつありまして……」
「ええ、申しなさい」
「ルッツ殿のお連れ様が試合に挑戦なさるそうです。このまま待機していてくだされ」
カスバンが思いもよらぬ情報を提供した。クロアはしゃっきり背を伸ばす。
「お連れさま? いま、いらしているの?」
「はい、二十歳前後の若者です。ただいま持ち物の検査をほどこされておりました」
「検査がおわったら、ここにおいでになる?」
クロアが周囲へ意識を向けたところ、人声と足音が近づいてきた。人の気配のするほうを見てみると、そこにアンペレの文官と白髪の中年がいる。その後方には羽根帽子を被った青年もいた。
タグ:クロア
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