2019年03月16日
クロア篇−6章2
翌朝、クロアはレジィに起こされた。深く眠ってしまったようで、レジィが枕元に立つ気配を感じとれなかった。クロアが起き上がろうと手をついたとき、寝具ではないものに触れた。羽の生えた少女だ。これがどういう人物なのか、クロアは思い出せなかった。
薄着の少女は目をつむったまま、クロアにすり寄ってくる。クロアは反射的にその額を人差し指で押した。少女はそれでもぐいぐい顔を押し付けてくる。だがクロアの力にはかなわず、顔をぼすんっと布団に伏せる。
「もー、クロちゃんの馬鹿力ー」
その甘ったるい声にはクロアの聞き覚えがあった。昨晩捕えた魔人だ。はじめて会ったときは成熟した女性だったが、いまは卑弱な少女に変化している。そのようにクロアが変えたのだ。力量を弱めても好色な性格には影響がないらしい。
「厄介な子をしょいこんでしまったわね……」
「せっかく招獣にしたんですし、傭兵の代わりになる強みはないですかね?」
レジィの発案はクロアの盲点だった。もとよりナーマをなにかに役立てる、という考えはクロアにない。ただ民衆への被害をなくす目的で、そばに置くと決めたのだが。
「そうね……この子は術が使えるんだし、戦力になるのかも」
「じゃあユネスさんに伝えておきますね。今日の腕試しは二人、予定が入ったって」
「ふたり……?」
クロアはほかの先約があったことをわすれていた。レジィに身支度をととのえてもらうかたわら、彼女がダムト伝いに聞いた昨晩の出来事をおさらいした。そのおかげでクロアはルッツという槍使いが屋敷に再来訪することを思い出す。
「あの方はきっとお強いわ。ナーマも合格すれば、戦士が二人確保できるわね」
「なんだか順調ですね。いつもの兵士不足がウソみたい」
そうこう話すうちにクロアは支度をしおえた。ナーマは二度寝したようで寝台からうごかず、円卓上のカゴを寝床にするベニトラもまだねている。クロアは人外の仲間を部屋に放置し、朝食をとりに行った。
いつもの居室には父母と祖母がいた。クロアは父と外見年齢のあまり変わらない祖母を見て、昨日の夢魔話を連想する。その内心をさとられまいとして、顔を伏せがちにした。
「昨晩、魔人の女性を保護したそうだね」
クロアの不安をよそに、クノードが雑談のていで話しかけてくる。
「その後、どうだい?」
「え? ええと、わたしの招獣になって、部屋で過ごしていますわ」
「そうか。新しい友だちが増えて、よかったよ」
父の言い方にクロアは違和感をおぼえた。しかしそのことには触れない。夢魔という存在は、腫れ物に等しい。そう父が判断したがゆえに、真実を知っているはずの父はあいまいな言葉を使うのだ。この場にいる、祖母と母のために。
クロアは無難に朝食をおえた。居室を出るとレジィがやってきて「いまから試合ができます」と報告する。クロアは午前の職務を先延ばしにしておき、訓練場へ急行した。部屋へもどってからナーマを連れだすより、招術で呼び寄せたほうが早いと思ったためだ。
第三訓練場には木剣の素振りをするユネスがいた。クロアは彼と挨拶を交わしたのち、しばし待機を命じる。対戦相手を呼出したいが、肝心の呼び方をよく知らない。その場でレジィに教わることにした。
「まず、呼びたい相手の姿かたちを想像します」
これは昨日、ダムトと遠距離で会話したときと同じ手法だ。クロアは目を閉じる。有翼の少女の、温かそうな羽と耳を入念に想像した。
「次に相手に話しかけます。これは心の中でしゃべってください」
「心の中で……」
クロアは夢魔の幼い形態を髣髴しながら、何度も名前を呼びかけた。
『なーに、クロちゃん』
「あ、返事があったわ」
「呼び出しの了解をとったら、その姿がここに現れるように想像してください」
レジィの指示通り、クロアは『わたしのところにきてくれる?』と
『いいよん。視界のどこかを強く念じて。そしたらそこに行けるから』
クロアは訓練場のそばに設置された長椅子に注目した。なにも置かれていない椅子。その上部分に集中する。
数秒ののちに視界に歪みが生じる。奇妙なもやが椅子の上にでき、人型となる。もやが取り払われ、そこに人が出現した。有翼の少女である。クロアはやっと術士らしいことができたという達成感が湧いてきた。レジィもクロアの手をとって「成功しましたよ!」と我がことのようにはしゃぐ。
「これでもう招術はバッチリですね!」
「ええ、術は苦手だと思っていたけど……意外とすんなりできたわ」
クロアたちが歓喜に湧く一方、ナーマは長椅子の上でくつろいだ。片肘をついて横になっている。これから戦う、ということをまだ理解できていないようだ。彼女は朝方、クロアたちの会話を聞いていたとクロアは思ったのだが、うまく伝わらなかったらしい。
「ナーマ、あなたこれからこの男性と一戦交えてくれる?」
クロアは自身の手の先をユネスに向けた。ナーマは起き上がり、空中であぐらをかく。
「えぇ? 招術の練習をしたかっただけじゃないの?」
「ちょっとした腕試しをしてほしいの。あなたは術で戦えるでしょ?」
「こんなチビッ子状態じゃ威力がでないわよぉ」
「威力は弱いほうがいいわ。相手の体に攻撃を当てるだけだもの、ね?」
クロアはユネスに試験内容を確認した。ユネスは「先に三回当てたら勝ちだ」と昨日の対弓士との試合と同じ条件を提示する。
「おれが使う術は水の弾だ。当たっても痛くねえようにするが、もしケガをしたらそこのレジィに治してもらえ」
レジィが手をあげて「治療はまかせて!」と豪語した。ナーマは「戦うの好きじゃないんだけどぉ」とぶつくさ言いつつも訓練場へ入る。試験官のユネスは木剣を長椅子に置いてから入場した。挑戦者は術士だと判断したうえでの徒手だ。
訓練場の出入口が封鎖され、障壁が一面に出現する。ナーマは屋根を形作る障壁を見上げて「逃亡防止用なの?」と若干引き気味になった。相対するユネスは腕組みをする。
「あんたが仕掛けてきたら、試合開始だ」
「余裕こいちゃって。さっさと三発当てちゃうよぉ」
複数の光球が少女の周囲に現れる。それらは雹(ひょう)のごとく武官へ降りそそいだ──
薄着の少女は目をつむったまま、クロアにすり寄ってくる。クロアは反射的にその額を人差し指で押した。少女はそれでもぐいぐい顔を押し付けてくる。だがクロアの力にはかなわず、顔をぼすんっと布団に伏せる。
「もー、クロちゃんの馬鹿力ー」
その甘ったるい声にはクロアの聞き覚えがあった。昨晩捕えた魔人だ。はじめて会ったときは成熟した女性だったが、いまは卑弱な少女に変化している。そのようにクロアが変えたのだ。力量を弱めても好色な性格には影響がないらしい。
「厄介な子をしょいこんでしまったわね……」
「せっかく招獣にしたんですし、傭兵の代わりになる強みはないですかね?」
レジィの発案はクロアの盲点だった。もとよりナーマをなにかに役立てる、という考えはクロアにない。ただ民衆への被害をなくす目的で、そばに置くと決めたのだが。
「そうね……この子は術が使えるんだし、戦力になるのかも」
「じゃあユネスさんに伝えておきますね。今日の腕試しは二人、予定が入ったって」
「ふたり……?」
クロアはほかの先約があったことをわすれていた。レジィに身支度をととのえてもらうかたわら、彼女がダムト伝いに聞いた昨晩の出来事をおさらいした。そのおかげでクロアはルッツという槍使いが屋敷に再来訪することを思い出す。
「あの方はきっとお強いわ。ナーマも合格すれば、戦士が二人確保できるわね」
「なんだか順調ですね。いつもの兵士不足がウソみたい」
そうこう話すうちにクロアは支度をしおえた。ナーマは二度寝したようで寝台からうごかず、円卓上のカゴを寝床にするベニトラもまだねている。クロアは人外の仲間を部屋に放置し、朝食をとりに行った。
いつもの居室には父母と祖母がいた。クロアは父と外見年齢のあまり変わらない祖母を見て、昨日の夢魔話を連想する。その内心をさとられまいとして、顔を伏せがちにした。
「昨晩、魔人の女性を保護したそうだね」
クロアの不安をよそに、クノードが雑談のていで話しかけてくる。
「その後、どうだい?」
「え? ええと、わたしの招獣になって、部屋で過ごしていますわ」
「そうか。新しい友だちが増えて、よかったよ」
父の言い方にクロアは違和感をおぼえた。しかしそのことには触れない。夢魔という存在は、腫れ物に等しい。そう父が判断したがゆえに、真実を知っているはずの父はあいまいな言葉を使うのだ。この場にいる、祖母と母のために。
クロアは無難に朝食をおえた。居室を出るとレジィがやってきて「いまから試合ができます」と報告する。クロアは午前の職務を先延ばしにしておき、訓練場へ急行した。部屋へもどってからナーマを連れだすより、招術で呼び寄せたほうが早いと思ったためだ。
第三訓練場には木剣の素振りをするユネスがいた。クロアは彼と挨拶を交わしたのち、しばし待機を命じる。対戦相手を呼出したいが、肝心の呼び方をよく知らない。その場でレジィに教わることにした。
「まず、呼びたい相手の姿かたちを想像します」
これは昨日、ダムトと遠距離で会話したときと同じ手法だ。クロアは目を閉じる。有翼の少女の、温かそうな羽と耳を入念に想像した。
「次に相手に話しかけます。これは心の中でしゃべってください」
「心の中で……」
クロアは夢魔の幼い形態を髣髴しながら、何度も名前を呼びかけた。
『なーに、クロちゃん』
「あ、返事があったわ」
「呼び出しの了解をとったら、その姿がここに現れるように想像してください」
レジィの指示通り、クロアは『わたしのところにきてくれる?』と
『いいよん。視界のどこかを強く念じて。そしたらそこに行けるから』
クロアは訓練場のそばに設置された長椅子に注目した。なにも置かれていない椅子。その上部分に集中する。
数秒ののちに視界に歪みが生じる。奇妙なもやが椅子の上にでき、人型となる。もやが取り払われ、そこに人が出現した。有翼の少女である。クロアはやっと術士らしいことができたという達成感が湧いてきた。レジィもクロアの手をとって「成功しましたよ!」と我がことのようにはしゃぐ。
「これでもう招術はバッチリですね!」
「ええ、術は苦手だと思っていたけど……意外とすんなりできたわ」
クロアたちが歓喜に湧く一方、ナーマは長椅子の上でくつろいだ。片肘をついて横になっている。これから戦う、ということをまだ理解できていないようだ。彼女は朝方、クロアたちの会話を聞いていたとクロアは思ったのだが、うまく伝わらなかったらしい。
「ナーマ、あなたこれからこの男性と一戦交えてくれる?」
クロアは自身の手の先をユネスに向けた。ナーマは起き上がり、空中であぐらをかく。
「えぇ? 招術の練習をしたかっただけじゃないの?」
「ちょっとした腕試しをしてほしいの。あなたは術で戦えるでしょ?」
「こんなチビッ子状態じゃ威力がでないわよぉ」
「威力は弱いほうがいいわ。相手の体に攻撃を当てるだけだもの、ね?」
クロアはユネスに試験内容を確認した。ユネスは「先に三回当てたら勝ちだ」と昨日の対弓士との試合と同じ条件を提示する。
「おれが使う術は水の弾だ。当たっても痛くねえようにするが、もしケガをしたらそこのレジィに治してもらえ」
レジィが手をあげて「治療はまかせて!」と豪語した。ナーマは「戦うの好きじゃないんだけどぉ」とぶつくさ言いつつも訓練場へ入る。試験官のユネスは木剣を長椅子に置いてから入場した。挑戦者は術士だと判断したうえでの徒手だ。
訓練場の出入口が封鎖され、障壁が一面に出現する。ナーマは屋根を形作る障壁を見上げて「逃亡防止用なの?」と若干引き気味になった。相対するユネスは腕組みをする。
「あんたが仕掛けてきたら、試合開始だ」
「余裕こいちゃって。さっさと三発当てちゃうよぉ」
複数の光球が少女の周囲に現れる。それらは雹(ひょう)のごとく武官へ降りそそいだ──
タグ:クロア
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