2019年03月14日
クロア篇−6章1
クロアはダムトからもらった飴のおかげで元気が多少もどってきた。彼の付き添いは地下牢までにしておき、クロアは体を洗いに向かう。すぐにでもねたいくらいだったが、今日はいろんなところへ出かけたので、体についた汗や埃は落としておきたいと思った。
移動の間、少女と化したナーマは低空飛行し、クロアの背後に付きまとった。ナーマの下乳がクロアの肩甲骨に当たり続ける。クロアは居心地がわるかった。が、どうせ入浴の際に離れてもらおうと思い、抵抗しなかった。
風呂場の脱衣場に入るとき、クロアは招獣二体にこの場で待機するよう命じた。ナーマは一緒に入ろうとしたものの、ベニトラに入口の番を任せてこれを阻んだ。
猫の庇護のもと、クロアは無事に入浴を終えた。脱衣場にある自分用の寝間着を着て、自室にもどる。その道中はベニトラが背中に張り付いてきた。この獣は身を挺してナーマによる抱きつきを防いでいるのだ。クロアはその気遣いとあたたかい腹毛の感触によろこび、自身の両肩に乗る前足をなでて「ありがとう」と言った。
クロアは自室にもどった。室内に寝間着姿のレジィがいるのを見つける。
「レジィ、なにか用があったの?」
「あ、ベニーくんの寝床をととのえにきたんです」
レジィが卓上のカゴをかたむけた。カゴの中には敷物が詰まっていて、だいぶ底が浅くなっている。膝掛け毛布がカゴの上部に置いてあり、まるで赤子の寝台のようでもあった。
「ここの机に置いてあったものは全部、ベニーくん用なんですよね?」
「ええ、そうなの。あなたがうまく寝床をつくってくれて、よかったわ」
いまのクロアにはどの布地をどこへ使う、といった試行錯誤をやれる気力がない。今晩もベニトラの寝床を用意しないまますごそうかと、ちょっと思ったくらいだ。
ベニトラはクロアの背中から離れ、レジィが手掛けた寝床に入る。ベニトラはいちど毛布の中へもぐりこみ、顔を出してみせた。作り主の思惑通りの使用方法だ。レジィは満面の笑みで「かわいぃ〜」とよろこんだ。
猫の寝台を完成させた従者はひとしきりベニトラの頭をなでる。そうして卓上のカゴから目線をはずし、今度はクロアの寝台を見る。そこに好色な夢魔が寝転んでいた。
「あの、そちらの女の子は……牢屋に入れてた魔人ですか?」
クロアは寝台の端に座り、「そう」と答える。
「ナーマというの。町で男性の精気を吸っていた夢魔よ」
「え、一緒にいて安全なんですか?」
「わたしの招獣にしたの。そうすれば他人の精気を奪わなくてもよくなるそうよ」
「クロアさまの精気を吸わせちゃって、いいんですか? あの、すけべなことを……」
レジィは露出の多い少女を不安気に見る。色気がしぼんだナーマはクロアに抱きつく。
「変なことしないってば」
「言ってるそばからベッタリしてくるんだから」
クロアは物言いこそ夢魔を突き放すが、内実はそこまで邪険に思っていない。聖都の学生寮にいる妹はこのナーマと外見年齢が近い。その影響で新たに妹を持ったような気持ちになった。
クロアはレジィを立ったままにさせてはいけないと思い、寝台に座らせた。レジィはクロアの手を見て「あっ」と声をあげる。
「その指輪、どうしたんです?」
「え? ああ、ダムトが買ったのよ」
「指輪を……贈られたんですか?」
レジィが自身の両手をかたく握って問いただしてくる。色恋沙汰に関心を寄せる少女のようだ。クロアは彼女の勘違いをただすべく苦笑いする。
「贈る、なんて大層な代物じゃないわ。あいつは経費で買ったことにするつもりだもの」
「経費? じゃあそれ、普通の指輪じゃないんですね」
「幻術にかかりにくくなるらしいわ。このナーマを捕まえるまえにダムトが調達したの」
思えばダムトがとった夢魔への対処はムダがないようだった。そのことをクロアはいまになって不思議がる。
「よく事前調査もなしに、的確な対策がとれたものだわ」
「えっと……夢魔が幻術を得意とすることは、めずらしくないと思います」
「そうなの?」
「昔から、夢魔は人間にすてきな夢を見させて、その間に精気を奪うと言われています。このときに人間が見る夢が、幻術によるまぼろしなんだそうです」
「うーん、そういえばそんな話を学官が言っていた気がするわ」
クロアは不確かな知識をひねり出した。おぼろげな魔物学講座には関連項目も付随する。
「んー、そのときに気になることを聞いたわ……お母さまも夢魔の血を引いている──」
「学官がそのことを直接、クロアさまに言ったんですか?」
「ええ、そうだったと思う。それがなにかまずいの?」」
「まずい、かどうかわからないんですけど……フュリヤさまが半分夢魔だってことを、あまり話題にしてはいけない雰囲気があって……」
クロアはレジィの推察が正しいと思えた。その根拠は過去に、自分もそう感じたことだ。
「そうね……きっとそうなんだわ。わたしはむかし、お婆さまにたずねたことがあるもの。お母さまの父親はどんな人だったの、って……そうしたらひどく悲しいお顔をされて、それ以上聞けなかった。そのころのわたしは無知な子どもだったけれど、お婆さまに聞いてはいけないことだけはわかったわ」
後々、クロアの疑問は母が教えてくれた。祖母は若い頃、夢魔にさらわれ、何年も家に帰れなかった。はからずも救出がかない、家にもどれたが、生活は元通りにならなかった。その原因は彼女ら生活に夢魔の子が混ざりこんだことにある。フュリヤは忌み子と揶揄され、その冷遇に耐えかねた母子は家を出たという。このことをクロアがレジィに明かすと、ナーマが「あるある話ね」と会話に加わる。
「男の夢魔にかどわかされて、身籠ったってやつよ。よくあるでしょ? 帝王国の先代のお妃も、その母親が夢魔と通じて生まれた子だって」
「エミディオ王にまつわることなら知ってるわ! そう、半魔の女性は領主の娘だったけれど、『不義の子だから』と幽閉されていて、王がその女性を助けるのよ」
「現実はそんなキレイなもんじゃない。地方領主が謀反を企てたのを制圧して、そのついでに娘をかすめ取ったってとこよ。夢魔の子はみんな美人だしねぇ」
「細かいことは気にしないわ。二人にはちゃんと愛があったんだから」
先王は妃との間に四人の子をもうけた。そのうちのひとりが帝王国の現国王だ。ナーマは「愛がどうとかはいいんだけど」と軌道を修正する。
「世間体としちゃ、夢魔と交わった女性も子どもも、いいふうには思われないの。クロちゃんのお婆ちゃんがイヤな顔したのはそのせいねぇ」
「そう? お父さまもエミディオ王も、ご自分の意思で夢魔の娘を妻にしたはずよ。もう周りを気に病む必要なんて──」
「あとは夢魔と交わった本人の気持ちよね。誘拐されて無理やりってやつだと、死ぬまで引きずっちゃうんじゃない?」
それもそうかもしれない、とクロアは内心同意した。祖母にとって、フュリヤは心からのぞんで得た娘ではない。忌まわしい過去が永遠に祖母を縛り付ける──
と、クロアは推察を深めたかったが、眠気のあまりに頓挫した。それゆえ「もう寝ましょう」と話を切り上げる。レジィは立ち上がったが、その場を離れない。
「寝込みを襲われたり……しないですか?」
彼女はナーマの出来心を心配している。クロアは「だいじょうぶ」と大きくうなずく。
「わたしはこの子の力を制限してるもの。屈するはずがないわ」
それでもなおレジィは不安な表情を浮かべていた。不意に真顔になり、円卓へ近寄る。卓上のカゴの中でねていたベニトラの首をがしっとつかんだ。かっと見開いた猫の目と、レジィの視線が合わさる。
「ベニーくん、クロアさまのお体をお守りしてね。絶対だからね?」
少女に気圧された猫が一拍おいて「承知」と律儀に答える。ほぼ強制的に言わせた状況だったが、レジィは承認の言葉に満足したようで、自室へもどっていった。
移動の間、少女と化したナーマは低空飛行し、クロアの背後に付きまとった。ナーマの下乳がクロアの肩甲骨に当たり続ける。クロアは居心地がわるかった。が、どうせ入浴の際に離れてもらおうと思い、抵抗しなかった。
風呂場の脱衣場に入るとき、クロアは招獣二体にこの場で待機するよう命じた。ナーマは一緒に入ろうとしたものの、ベニトラに入口の番を任せてこれを阻んだ。
猫の庇護のもと、クロアは無事に入浴を終えた。脱衣場にある自分用の寝間着を着て、自室にもどる。その道中はベニトラが背中に張り付いてきた。この獣は身を挺してナーマによる抱きつきを防いでいるのだ。クロアはその気遣いとあたたかい腹毛の感触によろこび、自身の両肩に乗る前足をなでて「ありがとう」と言った。
クロアは自室にもどった。室内に寝間着姿のレジィがいるのを見つける。
「レジィ、なにか用があったの?」
「あ、ベニーくんの寝床をととのえにきたんです」
レジィが卓上のカゴをかたむけた。カゴの中には敷物が詰まっていて、だいぶ底が浅くなっている。膝掛け毛布がカゴの上部に置いてあり、まるで赤子の寝台のようでもあった。
「ここの机に置いてあったものは全部、ベニーくん用なんですよね?」
「ええ、そうなの。あなたがうまく寝床をつくってくれて、よかったわ」
いまのクロアにはどの布地をどこへ使う、といった試行錯誤をやれる気力がない。今晩もベニトラの寝床を用意しないまますごそうかと、ちょっと思ったくらいだ。
ベニトラはクロアの背中から離れ、レジィが手掛けた寝床に入る。ベニトラはいちど毛布の中へもぐりこみ、顔を出してみせた。作り主の思惑通りの使用方法だ。レジィは満面の笑みで「かわいぃ〜」とよろこんだ。
猫の寝台を完成させた従者はひとしきりベニトラの頭をなでる。そうして卓上のカゴから目線をはずし、今度はクロアの寝台を見る。そこに好色な夢魔が寝転んでいた。
「あの、そちらの女の子は……牢屋に入れてた魔人ですか?」
クロアは寝台の端に座り、「そう」と答える。
「ナーマというの。町で男性の精気を吸っていた夢魔よ」
「え、一緒にいて安全なんですか?」
「わたしの招獣にしたの。そうすれば他人の精気を奪わなくてもよくなるそうよ」
「クロアさまの精気を吸わせちゃって、いいんですか? あの、すけべなことを……」
レジィは露出の多い少女を不安気に見る。色気がしぼんだナーマはクロアに抱きつく。
「変なことしないってば」
「言ってるそばからベッタリしてくるんだから」
クロアは物言いこそ夢魔を突き放すが、内実はそこまで邪険に思っていない。聖都の学生寮にいる妹はこのナーマと外見年齢が近い。その影響で新たに妹を持ったような気持ちになった。
クロアはレジィを立ったままにさせてはいけないと思い、寝台に座らせた。レジィはクロアの手を見て「あっ」と声をあげる。
「その指輪、どうしたんです?」
「え? ああ、ダムトが買ったのよ」
「指輪を……贈られたんですか?」
レジィが自身の両手をかたく握って問いただしてくる。色恋沙汰に関心を寄せる少女のようだ。クロアは彼女の勘違いをただすべく苦笑いする。
「贈る、なんて大層な代物じゃないわ。あいつは経費で買ったことにするつもりだもの」
「経費? じゃあそれ、普通の指輪じゃないんですね」
「幻術にかかりにくくなるらしいわ。このナーマを捕まえるまえにダムトが調達したの」
思えばダムトがとった夢魔への対処はムダがないようだった。そのことをクロアはいまになって不思議がる。
「よく事前調査もなしに、的確な対策がとれたものだわ」
「えっと……夢魔が幻術を得意とすることは、めずらしくないと思います」
「そうなの?」
「昔から、夢魔は人間にすてきな夢を見させて、その間に精気を奪うと言われています。このときに人間が見る夢が、幻術によるまぼろしなんだそうです」
「うーん、そういえばそんな話を学官が言っていた気がするわ」
クロアは不確かな知識をひねり出した。おぼろげな魔物学講座には関連項目も付随する。
「んー、そのときに気になることを聞いたわ……お母さまも夢魔の血を引いている──」
「学官がそのことを直接、クロアさまに言ったんですか?」
「ええ、そうだったと思う。それがなにかまずいの?」」
「まずい、かどうかわからないんですけど……フュリヤさまが半分夢魔だってことを、あまり話題にしてはいけない雰囲気があって……」
クロアはレジィの推察が正しいと思えた。その根拠は過去に、自分もそう感じたことだ。
「そうね……きっとそうなんだわ。わたしはむかし、お婆さまにたずねたことがあるもの。お母さまの父親はどんな人だったの、って……そうしたらひどく悲しいお顔をされて、それ以上聞けなかった。そのころのわたしは無知な子どもだったけれど、お婆さまに聞いてはいけないことだけはわかったわ」
後々、クロアの疑問は母が教えてくれた。祖母は若い頃、夢魔にさらわれ、何年も家に帰れなかった。はからずも救出がかない、家にもどれたが、生活は元通りにならなかった。その原因は彼女ら生活に夢魔の子が混ざりこんだことにある。フュリヤは忌み子と揶揄され、その冷遇に耐えかねた母子は家を出たという。このことをクロアがレジィに明かすと、ナーマが「あるある話ね」と会話に加わる。
「男の夢魔にかどわかされて、身籠ったってやつよ。よくあるでしょ? 帝王国の先代のお妃も、その母親が夢魔と通じて生まれた子だって」
「エミディオ王にまつわることなら知ってるわ! そう、半魔の女性は領主の娘だったけれど、『不義の子だから』と幽閉されていて、王がその女性を助けるのよ」
「現実はそんなキレイなもんじゃない。地方領主が謀反を企てたのを制圧して、そのついでに娘をかすめ取ったってとこよ。夢魔の子はみんな美人だしねぇ」
「細かいことは気にしないわ。二人にはちゃんと愛があったんだから」
先王は妃との間に四人の子をもうけた。そのうちのひとりが帝王国の現国王だ。ナーマは「愛がどうとかはいいんだけど」と軌道を修正する。
「世間体としちゃ、夢魔と交わった女性も子どもも、いいふうには思われないの。クロちゃんのお婆ちゃんがイヤな顔したのはそのせいねぇ」
「そう? お父さまもエミディオ王も、ご自分の意思で夢魔の娘を妻にしたはずよ。もう周りを気に病む必要なんて──」
「あとは夢魔と交わった本人の気持ちよね。誘拐されて無理やりってやつだと、死ぬまで引きずっちゃうんじゃない?」
それもそうかもしれない、とクロアは内心同意した。祖母にとって、フュリヤは心からのぞんで得た娘ではない。忌まわしい過去が永遠に祖母を縛り付ける──
と、クロアは推察を深めたかったが、眠気のあまりに頓挫した。それゆえ「もう寝ましょう」と話を切り上げる。レジィは立ち上がったが、その場を離れない。
「寝込みを襲われたり……しないですか?」
彼女はナーマの出来心を心配している。クロアは「だいじょうぶ」と大きくうなずく。
「わたしはこの子の力を制限してるもの。屈するはずがないわ」
それでもなおレジィは不安な表情を浮かべていた。不意に真顔になり、円卓へ近寄る。卓上のカゴの中でねていたベニトラの首をがしっとつかんだ。かっと見開いた猫の目と、レジィの視線が合わさる。
「ベニーくん、クロアさまのお体をお守りしてね。絶対だからね?」
少女に気圧された猫が一拍おいて「承知」と律儀に答える。ほぼ強制的に言わせた状況だったが、レジィは承認の言葉に満足したようで、自室へもどっていった。
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