新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2019年03月14日
クロア篇−6章1
クロアはダムトからもらった飴のおかげで元気が多少もどってきた。彼の付き添いは地下牢までにしておき、クロアは体を洗いに向かう。すぐにでもねたいくらいだったが、今日はいろんなところへ出かけたので、体についた汗や埃は落としておきたいと思った。
移動の間、少女と化したナーマは低空飛行し、クロアの背後に付きまとった。ナーマの下乳がクロアの肩甲骨に当たり続ける。クロアは居心地がわるかった。が、どうせ入浴の際に離れてもらおうと思い、抵抗しなかった。
風呂場の脱衣場に入るとき、クロアは招獣二体にこの場で待機するよう命じた。ナーマは一緒に入ろうとしたものの、ベニトラに入口の番を任せてこれを阻んだ。
猫の庇護のもと、クロアは無事に入浴を終えた。脱衣場にある自分用の寝間着を着て、自室にもどる。その道中はベニトラが背中に張り付いてきた。この獣は身を挺してナーマによる抱きつきを防いでいるのだ。クロアはその気遣いとあたたかい腹毛の感触によろこび、自身の両肩に乗る前足をなでて「ありがとう」と言った。
クロアは自室にもどった。室内に寝間着姿のレジィがいるのを見つける。
「レジィ、なにか用があったの?」
「あ、ベニーくんの寝床をととのえにきたんです」
レジィが卓上のカゴをかたむけた。カゴの中には敷物が詰まっていて、だいぶ底が浅くなっている。膝掛け毛布がカゴの上部に置いてあり、まるで赤子の寝台のようでもあった。
「ここの机に置いてあったものは全部、ベニーくん用なんですよね?」
「ええ、そうなの。あなたがうまく寝床をつくってくれて、よかったわ」
いまのクロアにはどの布地をどこへ使う、といった試行錯誤をやれる気力がない。今晩もベニトラの寝床を用意しないまますごそうかと、ちょっと思ったくらいだ。
ベニトラはクロアの背中から離れ、レジィが手掛けた寝床に入る。ベニトラはいちど毛布の中へもぐりこみ、顔を出してみせた。作り主の思惑通りの使用方法だ。レジィは満面の笑みで「かわいぃ〜」とよろこんだ。
猫の寝台を完成させた従者はひとしきりベニトラの頭をなでる。そうして卓上のカゴから目線をはずし、今度はクロアの寝台を見る。そこに好色な夢魔が寝転んでいた。
「あの、そちらの女の子は……牢屋に入れてた魔人ですか?」
クロアは寝台の端に座り、「そう」と答える。
「ナーマというの。町で男性の精気を吸っていた夢魔よ」
「え、一緒にいて安全なんですか?」
「わたしの招獣にしたの。そうすれば他人の精気を奪わなくてもよくなるそうよ」
「クロアさまの精気を吸わせちゃって、いいんですか? あの、すけべなことを……」
レジィは露出の多い少女を不安気に見る。色気がしぼんだナーマはクロアに抱きつく。
「変なことしないってば」
「言ってるそばからベッタリしてくるんだから」
クロアは物言いこそ夢魔を突き放すが、内実はそこまで邪険に思っていない。聖都の学生寮にいる妹はこのナーマと外見年齢が近い。その影響で新たに妹を持ったような気持ちになった。
クロアはレジィを立ったままにさせてはいけないと思い、寝台に座らせた。レジィはクロアの手を見て「あっ」と声をあげる。
「その指輪、どうしたんです?」
「え? ああ、ダムトが買ったのよ」
「指輪を……贈られたんですか?」
レジィが自身の両手をかたく握って問いただしてくる。色恋沙汰に関心を寄せる少女のようだ。クロアは彼女の勘違いをただすべく苦笑いする。
「贈る、なんて大層な代物じゃないわ。あいつは経費で買ったことにするつもりだもの」
「経費? じゃあそれ、普通の指輪じゃないんですね」
「幻術にかかりにくくなるらしいわ。このナーマを捕まえるまえにダムトが調達したの」
思えばダムトがとった夢魔への対処はムダがないようだった。そのことをクロアはいまになって不思議がる。
「よく事前調査もなしに、的確な対策がとれたものだわ」
「えっと……夢魔が幻術を得意とすることは、めずらしくないと思います」
「そうなの?」
「昔から、夢魔は人間にすてきな夢を見させて、その間に精気を奪うと言われています。このときに人間が見る夢が、幻術によるまぼろしなんだそうです」
「うーん、そういえばそんな話を学官が言っていた気がするわ」
クロアは不確かな知識をひねり出した。おぼろげな魔物学講座には関連項目も付随する。
「んー、そのときに気になることを聞いたわ……お母さまも夢魔の血を引いている──」
「学官がそのことを直接、クロアさまに言ったんですか?」
「ええ、そうだったと思う。それがなにかまずいの?」」
「まずい、かどうかわからないんですけど……フュリヤさまが半分夢魔だってことを、あまり話題にしてはいけない雰囲気があって……」
クロアはレジィの推察が正しいと思えた。その根拠は過去に、自分もそう感じたことだ。
「そうね……きっとそうなんだわ。わたしはむかし、お婆さまにたずねたことがあるもの。お母さまの父親はどんな人だったの、って……そうしたらひどく悲しいお顔をされて、それ以上聞けなかった。そのころのわたしは無知な子どもだったけれど、お婆さまに聞いてはいけないことだけはわかったわ」
後々、クロアの疑問は母が教えてくれた。祖母は若い頃、夢魔にさらわれ、何年も家に帰れなかった。はからずも救出がかない、家にもどれたが、生活は元通りにならなかった。その原因は彼女ら生活に夢魔の子が混ざりこんだことにある。フュリヤは忌み子と揶揄され、その冷遇に耐えかねた母子は家を出たという。このことをクロアがレジィに明かすと、ナーマが「あるある話ね」と会話に加わる。
「男の夢魔にかどわかされて、身籠ったってやつよ。よくあるでしょ? 帝王国の先代のお妃も、その母親が夢魔と通じて生まれた子だって」
「エミディオ王にまつわることなら知ってるわ! そう、半魔の女性は領主の娘だったけれど、『不義の子だから』と幽閉されていて、王がその女性を助けるのよ」
「現実はそんなキレイなもんじゃない。地方領主が謀反を企てたのを制圧して、そのついでに娘をかすめ取ったってとこよ。夢魔の子はみんな美人だしねぇ」
「細かいことは気にしないわ。二人にはちゃんと愛があったんだから」
先王は妃との間に四人の子をもうけた。そのうちのひとりが帝王国の現国王だ。ナーマは「愛がどうとかはいいんだけど」と軌道を修正する。
「世間体としちゃ、夢魔と交わった女性も子どもも、いいふうには思われないの。クロちゃんのお婆ちゃんがイヤな顔したのはそのせいねぇ」
「そう? お父さまもエミディオ王も、ご自分の意思で夢魔の娘を妻にしたはずよ。もう周りを気に病む必要なんて──」
「あとは夢魔と交わった本人の気持ちよね。誘拐されて無理やりってやつだと、死ぬまで引きずっちゃうんじゃない?」
それもそうかもしれない、とクロアは内心同意した。祖母にとって、フュリヤは心からのぞんで得た娘ではない。忌まわしい過去が永遠に祖母を縛り付ける──
と、クロアは推察を深めたかったが、眠気のあまりに頓挫した。それゆえ「もう寝ましょう」と話を切り上げる。レジィは立ち上がったが、その場を離れない。
「寝込みを襲われたり……しないですか?」
彼女はナーマの出来心を心配している。クロアは「だいじょうぶ」と大きくうなずく。
「わたしはこの子の力を制限してるもの。屈するはずがないわ」
それでもなおレジィは不安な表情を浮かべていた。不意に真顔になり、円卓へ近寄る。卓上のカゴの中でねていたベニトラの首をがしっとつかんだ。かっと見開いた猫の目と、レジィの視線が合わさる。
「ベニーくん、クロアさまのお体をお守りしてね。絶対だからね?」
少女に気圧された猫が一拍おいて「承知」と律儀に答える。ほぼ強制的に言わせた状況だったが、レジィは承認の言葉に満足したようで、自室へもどっていった。
移動の間、少女と化したナーマは低空飛行し、クロアの背後に付きまとった。ナーマの下乳がクロアの肩甲骨に当たり続ける。クロアは居心地がわるかった。が、どうせ入浴の際に離れてもらおうと思い、抵抗しなかった。
風呂場の脱衣場に入るとき、クロアは招獣二体にこの場で待機するよう命じた。ナーマは一緒に入ろうとしたものの、ベニトラに入口の番を任せてこれを阻んだ。
猫の庇護のもと、クロアは無事に入浴を終えた。脱衣場にある自分用の寝間着を着て、自室にもどる。その道中はベニトラが背中に張り付いてきた。この獣は身を挺してナーマによる抱きつきを防いでいるのだ。クロアはその気遣いとあたたかい腹毛の感触によろこび、自身の両肩に乗る前足をなでて「ありがとう」と言った。
クロアは自室にもどった。室内に寝間着姿のレジィがいるのを見つける。
「レジィ、なにか用があったの?」
「あ、ベニーくんの寝床をととのえにきたんです」
レジィが卓上のカゴをかたむけた。カゴの中には敷物が詰まっていて、だいぶ底が浅くなっている。膝掛け毛布がカゴの上部に置いてあり、まるで赤子の寝台のようでもあった。
「ここの机に置いてあったものは全部、ベニーくん用なんですよね?」
「ええ、そうなの。あなたがうまく寝床をつくってくれて、よかったわ」
いまのクロアにはどの布地をどこへ使う、といった試行錯誤をやれる気力がない。今晩もベニトラの寝床を用意しないまますごそうかと、ちょっと思ったくらいだ。
ベニトラはクロアの背中から離れ、レジィが手掛けた寝床に入る。ベニトラはいちど毛布の中へもぐりこみ、顔を出してみせた。作り主の思惑通りの使用方法だ。レジィは満面の笑みで「かわいぃ〜」とよろこんだ。
猫の寝台を完成させた従者はひとしきりベニトラの頭をなでる。そうして卓上のカゴから目線をはずし、今度はクロアの寝台を見る。そこに好色な夢魔が寝転んでいた。
「あの、そちらの女の子は……牢屋に入れてた魔人ですか?」
クロアは寝台の端に座り、「そう」と答える。
「ナーマというの。町で男性の精気を吸っていた夢魔よ」
「え、一緒にいて安全なんですか?」
「わたしの招獣にしたの。そうすれば他人の精気を奪わなくてもよくなるそうよ」
「クロアさまの精気を吸わせちゃって、いいんですか? あの、すけべなことを……」
レジィは露出の多い少女を不安気に見る。色気がしぼんだナーマはクロアに抱きつく。
「変なことしないってば」
「言ってるそばからベッタリしてくるんだから」
クロアは物言いこそ夢魔を突き放すが、内実はそこまで邪険に思っていない。聖都の学生寮にいる妹はこのナーマと外見年齢が近い。その影響で新たに妹を持ったような気持ちになった。
クロアはレジィを立ったままにさせてはいけないと思い、寝台に座らせた。レジィはクロアの手を見て「あっ」と声をあげる。
「その指輪、どうしたんです?」
「え? ああ、ダムトが買ったのよ」
「指輪を……贈られたんですか?」
レジィが自身の両手をかたく握って問いただしてくる。色恋沙汰に関心を寄せる少女のようだ。クロアは彼女の勘違いをただすべく苦笑いする。
「贈る、なんて大層な代物じゃないわ。あいつは経費で買ったことにするつもりだもの」
「経費? じゃあそれ、普通の指輪じゃないんですね」
「幻術にかかりにくくなるらしいわ。このナーマを捕まえるまえにダムトが調達したの」
思えばダムトがとった夢魔への対処はムダがないようだった。そのことをクロアはいまになって不思議がる。
「よく事前調査もなしに、的確な対策がとれたものだわ」
「えっと……夢魔が幻術を得意とすることは、めずらしくないと思います」
「そうなの?」
「昔から、夢魔は人間にすてきな夢を見させて、その間に精気を奪うと言われています。このときに人間が見る夢が、幻術によるまぼろしなんだそうです」
「うーん、そういえばそんな話を学官が言っていた気がするわ」
クロアは不確かな知識をひねり出した。おぼろげな魔物学講座には関連項目も付随する。
「んー、そのときに気になることを聞いたわ……お母さまも夢魔の血を引いている──」
「学官がそのことを直接、クロアさまに言ったんですか?」
「ええ、そうだったと思う。それがなにかまずいの?」」
「まずい、かどうかわからないんですけど……フュリヤさまが半分夢魔だってことを、あまり話題にしてはいけない雰囲気があって……」
クロアはレジィの推察が正しいと思えた。その根拠は過去に、自分もそう感じたことだ。
「そうね……きっとそうなんだわ。わたしはむかし、お婆さまにたずねたことがあるもの。お母さまの父親はどんな人だったの、って……そうしたらひどく悲しいお顔をされて、それ以上聞けなかった。そのころのわたしは無知な子どもだったけれど、お婆さまに聞いてはいけないことだけはわかったわ」
後々、クロアの疑問は母が教えてくれた。祖母は若い頃、夢魔にさらわれ、何年も家に帰れなかった。はからずも救出がかない、家にもどれたが、生活は元通りにならなかった。その原因は彼女ら生活に夢魔の子が混ざりこんだことにある。フュリヤは忌み子と揶揄され、その冷遇に耐えかねた母子は家を出たという。このことをクロアがレジィに明かすと、ナーマが「あるある話ね」と会話に加わる。
「男の夢魔にかどわかされて、身籠ったってやつよ。よくあるでしょ? 帝王国の先代のお妃も、その母親が夢魔と通じて生まれた子だって」
「エミディオ王にまつわることなら知ってるわ! そう、半魔の女性は領主の娘だったけれど、『不義の子だから』と幽閉されていて、王がその女性を助けるのよ」
「現実はそんなキレイなもんじゃない。地方領主が謀反を企てたのを制圧して、そのついでに娘をかすめ取ったってとこよ。夢魔の子はみんな美人だしねぇ」
「細かいことは気にしないわ。二人にはちゃんと愛があったんだから」
先王は妃との間に四人の子をもうけた。そのうちのひとりが帝王国の現国王だ。ナーマは「愛がどうとかはいいんだけど」と軌道を修正する。
「世間体としちゃ、夢魔と交わった女性も子どもも、いいふうには思われないの。クロちゃんのお婆ちゃんがイヤな顔したのはそのせいねぇ」
「そう? お父さまもエミディオ王も、ご自分の意思で夢魔の娘を妻にしたはずよ。もう周りを気に病む必要なんて──」
「あとは夢魔と交わった本人の気持ちよね。誘拐されて無理やりってやつだと、死ぬまで引きずっちゃうんじゃない?」
それもそうかもしれない、とクロアは内心同意した。祖母にとって、フュリヤは心からのぞんで得た娘ではない。忌まわしい過去が永遠に祖母を縛り付ける──
と、クロアは推察を深めたかったが、眠気のあまりに頓挫した。それゆえ「もう寝ましょう」と話を切り上げる。レジィは立ち上がったが、その場を離れない。
「寝込みを襲われたり……しないですか?」
彼女はナーマの出来心を心配している。クロアは「だいじょうぶ」と大きくうなずく。
「わたしはこの子の力を制限してるもの。屈するはずがないわ」
それでもなおレジィは不安な表情を浮かべていた。不意に真顔になり、円卓へ近寄る。卓上のカゴの中でねていたベニトラの首をがしっとつかんだ。かっと見開いた猫の目と、レジィの視線が合わさる。
「ベニーくん、クロアさまのお体をお守りしてね。絶対だからね?」
少女に気圧された猫が一拍おいて「承知」と律儀に答える。ほぼ強制的に言わせた状況だったが、レジィは承認の言葉に満足したようで、自室へもどっていった。
タグ:クロア
2019年03月10日
クロア篇−5章7
地下牢には収監した者を監視する官吏のほか、牢屋が持ち場でない女性官吏がいた。牢の前でかがむ女性の髪は桃色。やや幼い顔立ちといい、場違いな明るい雰囲気をかもした。
「ああ、クロアさまたちもおいでになったんだね」
「プルケが、どうしてここに?」
「厄介な術を使う夢魔の取り調べときちゃ、なみの尉官じゃ荷が重いでしょー」
プルケは武官の中でも術を得意とする術官。罪人の捕獲や取り調べを担う尉官ではない。しかし手強い術士や魔人、魔獣の関わる案件になるとしばしば駆り出されることがあった。
「あら、でも術封じの道具で拘束してあるはずでしょ。この牢屋も大規模な術は使えない造りになってるって……」
クロアは牢の中で座る魔人を見た。大きな乳房の下部分には縄がしっかり巻かれてある。
「完璧な道具はないんだよ。特に術具ってのは効果のばらつきが出やすくていけないね」
プルケは筆記板に視線を落とす。聴取の内容が紙に書かれていた。
「この夢魔の名前はナーマです。今日の夕刻にアンペレへ到着して、男性十余名の精気を吸いとり、眠らせたと言っています」
「その行為はどう罰せられるの?」
「現行犯で捕まえたなら、わいせつ罪に問えるでしょうけど……」
「ダムトは被害に遭ってないのよね」
「じゃ、ほかの被害者が被害届を出した場合に、罪が成立するってところかな」
「被害届、ね……出るかしら?」
やられる側が幸せそうであった事件だ。これを立件したがる被害者はいるのだろうか、とクロアが暗に言ったところ、有翼の魔人が得意気に翼をあおぐ。その黒い翼は飛竜や蝙蝠のように羽毛がない。
「アタシだって欲求不満そうな人を選んでるの。悪いことはしてないでしょ?」
「実際に被害届が無かったら、そのように判断するよ」
プルケがクロアを見上げて「ほかにご用がある?」とたずねた。クロアは首をかしげて「用というほどではないけど」と前置き、ダムトを指差す。
「この男に釣られた理由はなにか、聞かせてもらえる?」
ナーマが目を大きくした。クロアは説明を加える。
「こいつは女に隙を見せるやつじゃないわ。立ち枯れなのよ」
「俺は爺ですか」
「だってそうでしょ。男を魅了するお母さま相手に、へっちゃらな顔をしてるんだもの」
「それには相性や耐性が関係──」
ダムトの言葉に被せるようにナーマが「だって魔族混じりだもの」と言う。
「魔族の血が入ってると、魔族由来の魅了効果は効きにくくなるのよ」
「あ、やっぱりダムトは普通の人間とはちがうのね?」
クロアはダムトの様子をうかがったが、彼は平静なままだ。
「そう! 人の血が混じってるみたいだけど、魔族のケが濃いわね」
ナーマがクロアとプルケの顔を見回して「あんたたちもそうね」とつぶやく。
「神族が一番偉いと謳ってる聖王国でも、魔族のほうが身近なわけね」
「人外ですって? 両親が半魔だというプルケはともかく、わたしは人間寄りのはず」
プルケがすっくと立ち上がって「言葉の綾でしょう」と口添えする。
「魔族混じりも人外だと言っているんだよ、この夢魔は」
「あーら、アタシは三人とも人間が混じってる魔人だと──」
「人を惑わせるのもいい加減になさい」
プルケがぴしゃりと叱る。ナーマはふくれ面になって顔を背けた。
「クロアさま、夢魔と話していて得るものはないよ。早くお部屋にもどってください」
「そうはいかないわ。この魔人はいずれ釈放されて、また男性の精気を奪うんでしょう。それをやめさせる方法を知りたいのよ」
ナーマは機嫌を直して「それならねえ」とクロアをまっすぐ見る。
「あなたがアタシを招獣にしてくれればいいわ」
「わたしの招獣に?」
「招獣は招術士の精気を分けてもらえるのよ。だから命令を聞いてあげるの」
「わたしでよろしいの? 異性ではないし、生粋の術士でもないのだけど」
「性別は気にしないわ。町の男を狙ってたの、騒ぎになりにくいからやってただけだし」
クロアは判断に迷い、ダムトとプルケに意見を聞く。プルケは気難しそうな顔をする。
「女といえど淫魔。クロアさまの貞操が汚されては大騒ぎになるよ」
「うーん、そうね、スケベはよくないわ」
ダムトは反対に「いいんじゃないですか」と答える。
「クロア様の対策さえ万端にしておけばよいかと」
ダムトが光る小物をひょいと投げる。クロアが両手で受け取ると、指輪だとわかった。
「先刻、術具屋で購入したお守りです。術耐性の低いクロア様には複数種類を装備していただく必要があるやもしれません」
「くれるの?」
「どうぞ。経費で落とします」
「必要経費になるかしら、これが」
「内部崩壊の危険を未然に防ぐ代物だと言えば通用するでしょう」
実際に俺が痛手を負ったわけですし、とダムトが言うと、けたたましい笑い声があがる。
「あっはは! お兄さん、赤毛の子の杖で吹っ飛ばされちゃってたもんね」
捕り物事情を知らぬプルケは「仲間割れしてた?」と聞いてきた。クロアは赤面してうなずく。それをプルケが「気にしないで」となぐさめる。
「クロアさまは術が不得手だからしょうがないよ。術の耐性ってのは術を使ったり食らったりしていくことで上がるんだ」
「術を食らう場合でも耐性がつくの?」
「うん、打たれ強くなる。術の種類ごとに耐性も変わるけどね。術の火を浴びても平気な人が幻に翻弄されないか、というとそんなことはないから」
「へえ、それは知らなかったわ」
話題が逸れたためにナーマが「で、招獣にしてくれるの?」と聞いてくる。クロアは今一度プルケに「いいと思う?」と念を押した。プルケがダムトの顔をちらりと見る。
「クロアさまを一番よく知ってるダムトがいいって言うんだ。その判断に任せるよ」
クロアは足元に控える猫にも目線でたずねた。ベニトラは長い尻尾をクロアの足に巻きつける。どういう意図のしぐさなのかわからないが、止める気はないらしい。
「じゃあ招獣になってもらうわ。えっと、どこにさわったらいいかしら」
拘束状態の囚人は鉄格子の隙間に顔を出して「顔をさわって」と言った。クロアはダムトのくれた指輪をさっとはめ、両手でナーマの頬を包んだ。目を閉じて集中する。昨日の復習だ。手に筋力ではない力をこめる。魔力の放出はすなわち精気の放流。クロアは流せるだけの精気を送った。それが腹をすかす相手の食事になるとも考えて。
手に触れていた肌が遠のき、クロアは体がふらついた。揺らぐ体を誰かの腕が支える。まぶたを開けるとダムトの顔があった。
「大盤振る舞いしてしまったようですね。これをなめて滋養を摂ってください」
ダムトが封を切った飴を見せる。おそらく普通の飴ではない。それがいまのクロアに必要な栄養をこめた薬だと思ったクロアは口を開けた。その中に丸い飴が入れられた。
「以後は精気の管理も把握してください。いまのように与えすぎては自滅します」
クロアは「ふぁーい」と気の抜けた返事をした。どうにも元気が出ないのだ。プルケはクロアが正常な判断のできぬ状態だと知りつつ、囚人の処分をみなに問う。
「それで、この夢魔はどうする? 招獣にしたんなら閉じこめる必要はないんだけど」
プルケの釈放の提案には囚人が喜びいさんだ。この過剰な反応に対し、プルケが「本当に招獣になったの?」と疑いを持つ。
「クロアさまの力をもらうだけもらって、逃げるつもりじゃ」
「だったらアタシの魔力に制限をかけてみて。術士なら魔力の変化が感じ取れるでしょ」
「そうきたか……クロアさま、この夢魔の力を弱められる?」
「えー……どうやるの?」
「たとえて言うと……招獣が弱く、小さくなるような想像をしてくれればいい」
クロアは足元の猫に目を向けた。ベニトラは自分の意思で勇壮な成獣から愛くるしい幼獣へ変化した。その例にならい、妖艶な魔人が柔弱な女性へと変ずる姿を頭に思い描いた。
「これがクロちゃんの趣味? まあいいんだけど……」
クロアが牢を見るとたるんだ縄の中に少女がいた。十代前半の少女の耳は獣のように毛で覆われ、翼も温かそうな羽毛が生える。胸の厚みは減ったが一般的な女性程度にはある。
「あらら……ちょっとベニトラの成分が混じっちゃったわ」
クロアならではの変化だと見たプルケは「鍵を開けよう」と言い、監視役に声をかけた。
「ああ、クロアさまたちもおいでになったんだね」
「プルケが、どうしてここに?」
「厄介な術を使う夢魔の取り調べときちゃ、なみの尉官じゃ荷が重いでしょー」
プルケは武官の中でも術を得意とする術官。罪人の捕獲や取り調べを担う尉官ではない。しかし手強い術士や魔人、魔獣の関わる案件になるとしばしば駆り出されることがあった。
「あら、でも術封じの道具で拘束してあるはずでしょ。この牢屋も大規模な術は使えない造りになってるって……」
クロアは牢の中で座る魔人を見た。大きな乳房の下部分には縄がしっかり巻かれてある。
「完璧な道具はないんだよ。特に術具ってのは効果のばらつきが出やすくていけないね」
プルケは筆記板に視線を落とす。聴取の内容が紙に書かれていた。
「この夢魔の名前はナーマです。今日の夕刻にアンペレへ到着して、男性十余名の精気を吸いとり、眠らせたと言っています」
「その行為はどう罰せられるの?」
「現行犯で捕まえたなら、わいせつ罪に問えるでしょうけど……」
「ダムトは被害に遭ってないのよね」
「じゃ、ほかの被害者が被害届を出した場合に、罪が成立するってところかな」
「被害届、ね……出るかしら?」
やられる側が幸せそうであった事件だ。これを立件したがる被害者はいるのだろうか、とクロアが暗に言ったところ、有翼の魔人が得意気に翼をあおぐ。その黒い翼は飛竜や蝙蝠のように羽毛がない。
「アタシだって欲求不満そうな人を選んでるの。悪いことはしてないでしょ?」
「実際に被害届が無かったら、そのように判断するよ」
プルケがクロアを見上げて「ほかにご用がある?」とたずねた。クロアは首をかしげて「用というほどではないけど」と前置き、ダムトを指差す。
「この男に釣られた理由はなにか、聞かせてもらえる?」
ナーマが目を大きくした。クロアは説明を加える。
「こいつは女に隙を見せるやつじゃないわ。立ち枯れなのよ」
「俺は爺ですか」
「だってそうでしょ。男を魅了するお母さま相手に、へっちゃらな顔をしてるんだもの」
「それには相性や耐性が関係──」
ダムトの言葉に被せるようにナーマが「だって魔族混じりだもの」と言う。
「魔族の血が入ってると、魔族由来の魅了効果は効きにくくなるのよ」
「あ、やっぱりダムトは普通の人間とはちがうのね?」
クロアはダムトの様子をうかがったが、彼は平静なままだ。
「そう! 人の血が混じってるみたいだけど、魔族のケが濃いわね」
ナーマがクロアとプルケの顔を見回して「あんたたちもそうね」とつぶやく。
「神族が一番偉いと謳ってる聖王国でも、魔族のほうが身近なわけね」
「人外ですって? 両親が半魔だというプルケはともかく、わたしは人間寄りのはず」
プルケがすっくと立ち上がって「言葉の綾でしょう」と口添えする。
「魔族混じりも人外だと言っているんだよ、この夢魔は」
「あーら、アタシは三人とも人間が混じってる魔人だと──」
「人を惑わせるのもいい加減になさい」
プルケがぴしゃりと叱る。ナーマはふくれ面になって顔を背けた。
「クロアさま、夢魔と話していて得るものはないよ。早くお部屋にもどってください」
「そうはいかないわ。この魔人はいずれ釈放されて、また男性の精気を奪うんでしょう。それをやめさせる方法を知りたいのよ」
ナーマは機嫌を直して「それならねえ」とクロアをまっすぐ見る。
「あなたがアタシを招獣にしてくれればいいわ」
「わたしの招獣に?」
「招獣は招術士の精気を分けてもらえるのよ。だから命令を聞いてあげるの」
「わたしでよろしいの? 異性ではないし、生粋の術士でもないのだけど」
「性別は気にしないわ。町の男を狙ってたの、騒ぎになりにくいからやってただけだし」
クロアは判断に迷い、ダムトとプルケに意見を聞く。プルケは気難しそうな顔をする。
「女といえど淫魔。クロアさまの貞操が汚されては大騒ぎになるよ」
「うーん、そうね、スケベはよくないわ」
ダムトは反対に「いいんじゃないですか」と答える。
「クロア様の対策さえ万端にしておけばよいかと」
ダムトが光る小物をひょいと投げる。クロアが両手で受け取ると、指輪だとわかった。
「先刻、術具屋で購入したお守りです。術耐性の低いクロア様には複数種類を装備していただく必要があるやもしれません」
「くれるの?」
「どうぞ。経費で落とします」
「必要経費になるかしら、これが」
「内部崩壊の危険を未然に防ぐ代物だと言えば通用するでしょう」
実際に俺が痛手を負ったわけですし、とダムトが言うと、けたたましい笑い声があがる。
「あっはは! お兄さん、赤毛の子の杖で吹っ飛ばされちゃってたもんね」
捕り物事情を知らぬプルケは「仲間割れしてた?」と聞いてきた。クロアは赤面してうなずく。それをプルケが「気にしないで」となぐさめる。
「クロアさまは術が不得手だからしょうがないよ。術の耐性ってのは術を使ったり食らったりしていくことで上がるんだ」
「術を食らう場合でも耐性がつくの?」
「うん、打たれ強くなる。術の種類ごとに耐性も変わるけどね。術の火を浴びても平気な人が幻に翻弄されないか、というとそんなことはないから」
「へえ、それは知らなかったわ」
話題が逸れたためにナーマが「で、招獣にしてくれるの?」と聞いてくる。クロアは今一度プルケに「いいと思う?」と念を押した。プルケがダムトの顔をちらりと見る。
「クロアさまを一番よく知ってるダムトがいいって言うんだ。その判断に任せるよ」
クロアは足元に控える猫にも目線でたずねた。ベニトラは長い尻尾をクロアの足に巻きつける。どういう意図のしぐさなのかわからないが、止める気はないらしい。
「じゃあ招獣になってもらうわ。えっと、どこにさわったらいいかしら」
拘束状態の囚人は鉄格子の隙間に顔を出して「顔をさわって」と言った。クロアはダムトのくれた指輪をさっとはめ、両手でナーマの頬を包んだ。目を閉じて集中する。昨日の復習だ。手に筋力ではない力をこめる。魔力の放出はすなわち精気の放流。クロアは流せるだけの精気を送った。それが腹をすかす相手の食事になるとも考えて。
手に触れていた肌が遠のき、クロアは体がふらついた。揺らぐ体を誰かの腕が支える。まぶたを開けるとダムトの顔があった。
「大盤振る舞いしてしまったようですね。これをなめて滋養を摂ってください」
ダムトが封を切った飴を見せる。おそらく普通の飴ではない。それがいまのクロアに必要な栄養をこめた薬だと思ったクロアは口を開けた。その中に丸い飴が入れられた。
「以後は精気の管理も把握してください。いまのように与えすぎては自滅します」
クロアは「ふぁーい」と気の抜けた返事をした。どうにも元気が出ないのだ。プルケはクロアが正常な判断のできぬ状態だと知りつつ、囚人の処分をみなに問う。
「それで、この夢魔はどうする? 招獣にしたんなら閉じこめる必要はないんだけど」
プルケの釈放の提案には囚人が喜びいさんだ。この過剰な反応に対し、プルケが「本当に招獣になったの?」と疑いを持つ。
「クロアさまの力をもらうだけもらって、逃げるつもりじゃ」
「だったらアタシの魔力に制限をかけてみて。術士なら魔力の変化が感じ取れるでしょ」
「そうきたか……クロアさま、この夢魔の力を弱められる?」
「えー……どうやるの?」
「たとえて言うと……招獣が弱く、小さくなるような想像をしてくれればいい」
クロアは足元の猫に目を向けた。ベニトラは自分の意思で勇壮な成獣から愛くるしい幼獣へ変化した。その例にならい、妖艶な魔人が柔弱な女性へと変ずる姿を頭に思い描いた。
「これがクロちゃんの趣味? まあいいんだけど……」
クロアが牢を見るとたるんだ縄の中に少女がいた。十代前半の少女の耳は獣のように毛で覆われ、翼も温かそうな羽毛が生える。胸の厚みは減ったが一般的な女性程度にはある。
「あらら……ちょっとベニトラの成分が混じっちゃったわ」
クロアならではの変化だと見たプルケは「鍵を開けよう」と言い、監視役に声をかけた。
タグ:クロア