2012年11月18日
鎌倉日帰り旅〜大仏と極楽寺族〜
「源氏山から北鎌倉まで」たどった葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースを、
北鎌倉とは逆方向に進むと、鎌倉の「大仏」に出合えます。
こちらのルートも緩い起伏のある山道となりますが、途中で木々の合間から
鎌倉の海を望むことができ、最後に急な階段を下りきると、大仏が待っています。
<銭洗弁財天>
「銭洗弁財天」は、源氏山から西よりに降りて行く途中の鳥居のあるトンネルをくぐると
洞窟になっている境内につながります。こちらは正式には
「銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)」といいます。
境内の洞窟にある湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって返ってくると伝えられており、
そのため「銭洗弁財天」として知られています。
謂れによると、源頼朝が巳年(1185年)の巳の月(旧暦4月)巳の日に見た霊夢にもとづき、
佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけて、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったとあり、
北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが「銭洗」の始まり、とのことです。
この霊水は「銭洗水」と呼ばれ、鎌倉五名水の一つに数えられているそうです。
銭洗いをする場合は、ざるが用意されており、これに硬貨や紙幣を入れて洗います。
中には、財布ごと洗う方もいるようです。
<佐助稲荷>
「銭洗弁財天」からハイキングコースを進んでいくと、「佐助稲荷」に着きます。
朱塗りの鳥居がずらりと並んでいる、こちら「佐助稲荷神社」は、源頼朝が
佐殿(すけどの)と呼ばれていた幼い頃、病の床で見た夢に「隠れ里の稲荷」からの
“兵を挙げて平家を討つべし!”とお告げがあり、その神託により平家討伐を成したとし、
頼朝が鎌倉に入った後、「隠れ里の稲荷」を見つけ出し、佐殿を助けたという意で
「佐助稲荷」と名づけたそうです。祭神は「銭洗弁財天」と同じ「宇賀福神(うがふくじん)」で、
「銭洗弁財天」は財運や繁栄の神様として、「佐助稲荷」は出世稲荷として知られています。
<鎌倉大仏>
「高徳院」という浄土宗の寺院にある国宝の阿弥陀如来像で、鎌倉市長谷(はせ)にあるため
「長谷の大仏」とも呼ばれています。
正式には「大異山高徳院清浄泉寺(こうとくいんしょうじょうせんじ)」という寺院です。
開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳で、大仏の造像の経緯についても史料が乏しく
不明な点が多いとのことです。初期の頃は真言宗でしたが、のちに臨済宗に属し建長寺の
末寺となり、江戸時代に江戸増上寺の祐天上人により再興され、その時に浄土宗に属し
「高徳院」と称するようになったということです。
大仏堂は鎌倉時代に建立され、木造大仏の開眼供養が行なわれた記録があるようです。
銅造大仏の造立が開始された記述は不明で、また、大仏堂がいつ無くなった(倒壊した?)
のかもわかっていないようです。通説では、室町時代の地震(明応地震:1498年9月20日)と
津波で倒壊したといわれていますが、それ以前に著された書物によると、1486年時点で
「無堂宇而露坐(大仏堂は無く露天で坐している)」との記述があるようです。
また、1369年に大仏堂が倒壊したという記録があり、2000〜2001年の発掘調査では
1369年以後に再建された形跡は見出されなかったようで、地震や津波で大仏堂が
無くなったわけではないと思われています。
ちなみに、像の内部は空洞で入ることができ、一般の拝観者であっても大仏内部を見学する
ことが可能です。
<長谷観音>
大仏から江ノ電の方向へ進むと、「長谷寺(はせでら)」があります。
こちらの本尊は十一面観音で、「長谷観音」と呼ばれ親しまれています。
「長谷寺」は、浄土宗系統の単立寺院で、山号は海光山で院号は慈照院といい、開山は
徳道(とくどう)上人です。伝承によると、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基でもある
徳道上人が、楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体を大和の長谷寺の本尊とし、
もう1体を祈請の上で海に流したところ、相模国三浦半島に流れ着き、そちらを安置して
開いたのが鎌倉の「長谷寺」であるということです。
観音堂など主な堂宇は海を見晴らす山腹にあり「あじさいの径」で巡ることができます。
<極楽寺>
江ノ電の長谷駅から江の島に向って1つ隣に極楽寺駅があります。駅を降りて江ノ電の
線路を跨ぐ桜橋という名の赤い橋を渡るとすぐに「極楽寺」に着きます。
鎌倉では珍しい真言律宗の寺院であり、山号は霊鷲山で、正式には
「霊鷲山感応院極楽律寺(りょうじゅさんかんのういんごくらくりつじ)」といいます。
もと深沢(鎌倉西部)にあった念仏系の寺院を、鎌倉幕府の六波羅探題を務めていた
北条重時が移したようです。開山は忍性(にんしょう)上人とされており、古絵図には、
施薬院・療病院・薬湯寮などが見られ、医療・福祉施設としての役割も果たしており、
最盛期には七堂伽藍に49箇院の子院が立ち並んでいたといわれています。
極楽寺駅周辺は、1976年のテレビドラマ「俺たちの朝」のロケ地となったことより、
観光客が突然急増し、「極楽寺族」と呼ばれる人たちでたいへん賑わったようです。
今では、鎌倉といえば Southern All Stars ですが、彼らがデビューする前までは
「俺たちの朝」のドラマの世界として知れ渡っており、今でも放送当時の面影を
残している場所があります。むかし懐かしい昭和の雰囲気に浸ることができ、
ちょっと時間を遡る小さな旅といった感じでしょうか。
★「俺たちの朝」については、[続きを読む...]をクリック!
少し歩き疲れたなと思ったら、「長谷」にあるスィーツ系のお店を紹介しますので、
江ノ電で「極楽寺」に向かう前に、ちょっと一休みを・・・
<鎌倉ジェラート>
添加物や香料・着色料などを使用していない、毎日手造りの本格イタリアンジェラート。
「長谷観音前」の大きな交差点から大仏の方に向かうと「長谷郵便局」があり、
その向い側にお店があります。ジェラートは、シングル・ダブル・トリプルとあり、
フレーバーは毎日12種類用意されているとのことです。季節や旬の果物が
メインですが、天候や店長の気まぐれで、メニューが決まるそうです。
また、焼き立てワッフルがあり、熱々ワッフルとジェラートのコラボが絶妙です。
<カフェ四葩店>
こちらは、あぶらとり紙で有名な「鎌倉四葩(かまくらよひら)」のカフェです。
「長谷郵便局」から大仏の方へ、もうしばらく行くと、「鎌倉四葩」の本店と
並んでお店があります。
☆ちなみに「よひら」とは、四つの花片という意味で「あじさい」の別名という
ことです。
カフェでは、お餅で作ったワッフルである「モッフル」とソフトクリーム、それに
甘酒「糀ストレート」をいただくことができます。
あと「たまごケーキ」というカステラ風のテイクアウトもあります。
せっかくですから、隣の「鎌倉四葩」にも寄って、あぶらとり紙も買って帰ると
いいと思います。
また、その隣には「和紙よひら店」という、和紙雑貨と和紙素材を扱っているお店があり、
封筒便箋葉書・ポチ袋・化粧紙・和紙素材といった和紙関連の商品を購入できます。
☆「鎌倉四葩」は北鎌倉にも支店があります。
「縁切寺(東慶寺)」と「浄智寺」のちょうど中間ぐらいの処になります。
この後は、ちょっと足を伸ばして、稲村ヶ崎まで温泉に入りに行きましょう!
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<俺たちの朝>
「俺たちの朝」は、日本テレビ系列で1976年秋から1年間放送されていた青春ドラマです。
中村雅俊主演の「俺たちの旅」の後番組で、この後「俺たちの○」シリーズが続きます。
「太陽にほえろ!」のテキサス役で殉職した勝野洋の次回作であり、初の主演作です。
勝野洋演じる大学を中退したオッスと、小倉一郎が演じる在学中の友人チューが
オッスの先輩である秋野太作が演じるヌケのいる鎌倉にやってきるところから始まります。
長谷直美演じる美大生カーコと知り合い、3人の共同生活が始まり、それぞれ夢を追います。
オッスはヨットでの世界一周、チューは役者、カーコは染色デザイナー。
様々な紆余曲折があり、3人で始めたジーンズショップが閉店するなど、現実と向かい合い
夢から遠ざかっていくが、最後にオッスは念願のヨットでの航海に出ることに・・・
といったストーリーです。
「俺たちの旅」に出ていたキャストの多くが、この作品にも出ています。
ヌケ(ヌケ作とも)役の秋野太作は、前作の時は津坂まさあきという芸名でしたが、
この作品での役名である秋野太作を、そのまま芸名に変えています。
なんでも「俺たちの朝」が「秋の大作」という触れ込みで付けられた役名だったそうで
その命名の仕方を気に入ったそうですが、役柄は前作同様、ちょっと頼りない先輩です。
他にも、前作で秋野太作の奥さん役だった上村香子がスナックのママ役だったり、
田中健の妹役だった岡田奈々が、こちらではオッスの妹役だったり、
他にも、森川正太や北村和夫、名古屋章、穂積隆信といった人達が連続出演しています。
また、井上純一、柳生博、加藤治子、原田美枝子、大滝秀治という面々が脇を固めています。
前作「俺たちの旅」の勢いを引き継ぎ、テキサス役で話題となった勝野洋や
番組とともに注目されるようになった長谷直美らの人気が高まるにつれ
ストーリーに共感を覚えた若者たちが、極楽寺を訪れるようになり、
当時廃線が危ぶまれていた江ノ電の乗客数がうなぎ登りとなってしまい
記念乗車券が発売されるなど、存続を決定づけることとなり、
そんな彼らは「極楽寺族」と呼ばれていました。
「俺たちの朝」は、日本テレビ系列で1976年秋から1年間放送されていた青春ドラマです。
中村雅俊主演の「俺たちの旅」の後番組で、この後「俺たちの○」シリーズが続きます。
「太陽にほえろ!」のテキサス役で殉職した勝野洋の次回作であり、初の主演作です。
勝野洋演じる大学を中退したオッスと、小倉一郎が演じる在学中の友人チューが
オッスの先輩である秋野太作が演じるヌケのいる鎌倉にやってきるところから始まります。
長谷直美演じる美大生カーコと知り合い、3人の共同生活が始まり、それぞれ夢を追います。
オッスはヨットでの世界一周、チューは役者、カーコは染色デザイナー。
様々な紆余曲折があり、3人で始めたジーンズショップが閉店するなど、現実と向かい合い
夢から遠ざかっていくが、最後にオッスは念願のヨットでの航海に出ることに・・・
といったストーリーです。
「俺たちの旅」に出ていたキャストの多くが、この作品にも出ています。
ヌケ(ヌケ作とも)役の秋野太作は、前作の時は津坂まさあきという芸名でしたが、
この作品での役名である秋野太作を、そのまま芸名に変えています。
なんでも「俺たちの朝」が「秋の大作」という触れ込みで付けられた役名だったそうで
その命名の仕方を気に入ったそうですが、役柄は前作同様、ちょっと頼りない先輩です。
他にも、前作で秋野太作の奥さん役だった上村香子がスナックのママ役だったり、
田中健の妹役だった岡田奈々が、こちらではオッスの妹役だったり、
他にも、森川正太や北村和夫、名古屋章、穂積隆信といった人達が連続出演しています。
また、井上純一、柳生博、加藤治子、原田美枝子、大滝秀治という面々が脇を固めています。
前作「俺たちの旅」の勢いを引き継ぎ、テキサス役で話題となった勝野洋や
番組とともに注目されるようになった長谷直美らの人気が高まるにつれ
ストーリーに共感を覚えた若者たちが、極楽寺を訪れるようになり、
当時廃線が危ぶまれていた江ノ電の乗客数がうなぎ登りとなってしまい
記念乗車券が発売されるなど、存続を決定づけることとなり、
そんな彼らは「極楽寺族」と呼ばれていました。
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