2020年07月07日
常陸温泉旅(偕楽園・弘道館)
水戸は東京から北東に約100kmにあり
JRの特急で1時間10分程の処です。
江戸時代には徳川御三家の一つである
水戸徳川家が治めていました。
徳川家康の十一男である徳川頼房が
初代となりますが、特に有名なのは
「水戸黄門」とも呼ばれていた二代の
徳川光圀ではないでしょうか。
18歳の時に、司馬遷の『史記』を読み
感銘を受け勉学に勤しむようになり、
日本の史書も編纂すべきとの考えから
彰考館を設け『大日本史』を作ります。
日本の通史を明らかにしていく中で、
古来からの伝統を国学・史学・神道を
基に追求した学問が生れ水戸学として
形成されていきます。
『大日本史』は紀伝体である『史記』に
倣い、天皇一人ずつ最初の神武天皇から
百代の後小松天皇までの歴代天皇の治世を
「百王本紀」として著したものです。
ここで南北朝時代については南朝正当論が
唱えられ、それが現代まで続いています。
光圀の存命中に「本紀」と「列伝」は
ほぼ出来ますが、「志」「表」を含めた
完成を見るのは明治39年です。
<弘道館>
江戸幕府の最後の将軍である十五代目の
徳川慶喜の実父は、水戸藩の九代藩主の
徳川斉昭です。
藩校弘道館を創設し、水戸学を尊王攘夷
思想へと導きました。弘道館は、学問は
一生行うものである生涯教育の考えから、
卒業の概念は無く、若者も年配者も共に
文武両道を学んだとのことです。
JR水戸駅北口から徒歩で10分弱にあり
茨城県三の丸庁舎の裏側に位置します。
<偕楽園>
弘道館で文武を修める藩士の余暇休養と
領民が楽しむ処として、徳川斉昭が自ら
構想を練り造園した庭園が偕楽園です。
岡山の後楽園、金沢の兼六園と並んで
日本三名園の一つに数えられています。
偕楽園は中国の古典『孟子』に記された
「古の人は民と偕(とも)に楽しむ」から
名付けられたとのことです。
偕楽園の正門(表門)は敷地の北西にあり
その先の「一の木戸」から孟宗竹と杉林の
中を進むと「吐玉泉(とぎょくせん)」という
大理石に囲まれた湧水泉があります。
通り過ぎて杉の中の坂を上っていくと
好文亭(こうぶんてい)に着きます。
「好文」は梅の異名で、建物の前方には
梅林が広がり、また千波湖を臨むことが
できる開放的な景観を楽しめます。
好文亭(こうぶんてい)を挟んで陰と陽の
世界を表していると言われています。
偕楽園の東門の隣に常磐神社があります。
祭神は、徳川光圀と徳川斉昭です。
JRに偕楽園という駅があり、そこから
偕楽園の東門まで5分ほどです。
ただし、偕楽園駅は梅まつり期間中に
下り線のみが停車する臨時駅の扱いです。
通常は水戸駅からバスでアクセスします。
<東照宮>
徳川家ゆかりの地には、幕府の祖である
東照大権現の徳川家康を祀る神社である
東照宮が存在します。
水戸の東照宮は、JR水戸駅北口から
歩いて5〜6分の処にあります。
祭神としては、徳川家康だけでなく
昭和11年に水戸藩初代の徳川頼房も
配祀されるようになっています。
また、徳川斉昭が考案した日本最古の
鉄製戦車「安神車(あんじんしゃ)」が
文化財として保存されています。
<配水塔>
茨城県三の丸庁舎の近くにゴシック風の
レトロな建造物があります。
水戸市水道低区配水塔という低地に
水道水を供給するための設備です。
窓にはレリーフが彫られている優美な
形状で、国指定の登録有形文化財です。
<水戸の温泉>
水戸駅近辺には自噴温泉は無いようです。
温泉付きのビジネスホテルがありますが
運び湯での温泉提供になっています。
・スーパーホテル水戸 天然温泉「梅里の湯」
泉質:ナトリウム-炭酸水素塩温泉
(弱アルカリ性-低調性高温泉)
源泉:西方町いきいきロマンの湯
浴室:男女入れ替え制 内風呂のみ
・天然温泉「香梅の湯」ドーミーイン水戸
泉質:ナトリウム・カルシウム-硫酸塩温泉
(低張性-弱アルカリ性-低温泉)
源泉:手綱温泉
浴室:男女別 内風呂+露天風呂
☆夜鳴きそば(ラーメン1杯無料)あり
<内原鉱泉>
JR常磐線の水戸駅から3つほど東京寄りに
内原駅があり、駅から徒歩で15分弱の処に
内原鉱泉 割烹旅館湯泉荘があります。
(でも館内には温泉分析書はありません)
WiFi・FAXが無料利用できるビジネス対応を
謳っている旅館で、わりとリーズナブルに
利用することができます。
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