2017年06月04日
欲しかったのはお金でも物でもない!理由なくいられる安心できる場所と安堵感。(その3)
→欲しかったのはお金でも物でもない!理由なくいられる安心できる場所と安堵感。(その1)
→欲しかったのはお金でも物でもない!理由なくいられる安心できる場所と安堵感。(その2)
■毒親の私を無意識で傷つけた口癖
・はぁ〜お金がない、お金がない
・もっと余裕があれば買ってあげたいんだけどね…
そういった母親の声を耳にするだけで子どもながらに
申し訳ない気持ちで一杯になりました。
「自分がいなければムダなお金使わなくていいのか?」
「欲しいものをわがままに買って!なんて悲しむから言わないようにしよう」
そんな気持ちは小学校高学年になると慣れっこになりました。
そんな我慢をしていたというか、母親を困らせたくない!という気持ちで
欲しいものなど言わないようにしていた私でも数年に1回ぐらいどうしても
手に入れたいというものがでてくることがあります。
今思えばファミコンのゲームだったか、おしゃれなスニーカーだったか
忘れましたが、とにかく欲しいと。
でも、ストレートに
「母さんこれ欲しいから買ってよ!欲しい!欲しい!」
みたいには絶対言えないんです。
そんなことをいおうものなら
「何で必要なの?」
「本当に必要なの?」
「いくらすると思っているの?」
「そんなお金どこにあるの?」
矢継ぎ早に聞くのです。それも般若のような表情で…
多分買ってもらえたら満足して満たされたかというと実際は違うと思います。
子どもなんて買えば飽きるし、また新しい物が欲しくなりますからエンドレスなのです。
親からすると「買ってあげられなかったこと」を悔やむようですが、
子どもからすると「最初から否定しないで話をしっかりきいて欲しい」という
試しの行動も混ざっていたのでしょう。子どもは最終的に買わなかったとしても
一緒にどうして欲しいかなどうまく聞いて受け止めてくれれば気持ちは偏屈に
ならなくてすむかもしれません。
余計なことを言うと母親の機嫌は悪くなるし、物はより一層買ってくれなくなるし
悪いことずくめなので私の場合は自分の気持ちを抑圧してしまうクセがもうついていたのです。
遠回しに幼い子どもながら必要な理由や理屈を話して買ってもらおうと
しますが、結果的には却下されるため私の場合はもうこんな嫌な思いを
するなら「欲しい」なんて言わないようにしよう。と心を閉ざしてしまったのだと思います。
当時母親がいっていた言葉で間違っていると思うのは、
「お金さえもっとあれば買ってあげるのに…」という言葉。
私はそうか!お金があれば買ってもらえるんだ!と子どもながらに思いましたが、
実際は違いますよね。お金があるから買ってあげる。お金がないから買ってあげない。
ということはもちろんそうなのですが、お金があればいつでも何でも買ってあげるという
ことではそれこそ本末転倒な教育になってしまうでしょう。
そして物では刹那的な時間しか満たしてくれません。
日々テレビを垂れ流しムダな物への購買欲をかき立て、
友達の持っている新しい物をうらやみ、自分は不幸で母親は
自分の言うことを聞いてくれないひどい人間だと思い込み抑圧される。
どの家庭でもありがちな話ですが、私が本当に欲しかったのは
お金でも物でもなく、母親や父親からうける安心感や理由なんかなくても
いつでもいていい安心な場所だったのかもしれません。
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・もっと余裕があれば買ってあげたいんだけどね…
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「自分がいなければムダなお金使わなくていいのか?」
「欲しいものをわがままに買って!なんて悲しむから言わないようにしよう」
そんな気持ちは小学校高学年になると慣れっこになりました。
そんな我慢をしていたというか、母親を困らせたくない!という気持ちで
欲しいものなど言わないようにしていた私でも数年に1回ぐらいどうしても
手に入れたいというものがでてくることがあります。
今思えばファミコンのゲームだったか、おしゃれなスニーカーだったか
忘れましたが、とにかく欲しいと。
でも、ストレートに
「母さんこれ欲しいから買ってよ!欲しい!欲しい!」
みたいには絶対言えないんです。
そんなことをいおうものなら
「何で必要なの?」
「本当に必要なの?」
「いくらすると思っているの?」
「そんなお金どこにあるの?」
矢継ぎ早に聞くのです。それも般若のような表情で…
多分買ってもらえたら満足して満たされたかというと実際は違うと思います。
子どもなんて買えば飽きるし、また新しい物が欲しくなりますからエンドレスなのです。
親からすると「買ってあげられなかったこと」を悔やむようですが、
子どもからすると「最初から否定しないで話をしっかりきいて欲しい」という
試しの行動も混ざっていたのでしょう。子どもは最終的に買わなかったとしても
一緒にどうして欲しいかなどうまく聞いて受け止めてくれれば気持ちは偏屈に
ならなくてすむかもしれません。
余計なことを言うと母親の機嫌は悪くなるし、物はより一層買ってくれなくなるし
悪いことずくめなので私の場合は自分の気持ちを抑圧してしまうクセがもうついていたのです。
遠回しに幼い子どもながら必要な理由や理屈を話して買ってもらおうと
しますが、結果的には却下されるため私の場合はもうこんな嫌な思いを
するなら「欲しい」なんて言わないようにしよう。と心を閉ざしてしまったのだと思います。
当時母親がいっていた言葉で間違っていると思うのは、
「お金さえもっとあれば買ってあげるのに…」という言葉。
私はそうか!お金があれば買ってもらえるんだ!と子どもながらに思いましたが、
実際は違いますよね。お金があるから買ってあげる。お金がないから買ってあげない。
ということはもちろんそうなのですが、お金があればいつでも何でも買ってあげるという
ことではそれこそ本末転倒な教育になってしまうでしょう。
そして物では刹那的な時間しか満たしてくれません。
日々テレビを垂れ流しムダな物への購買欲をかき立て、
友達の持っている新しい物をうらやみ、自分は不幸で母親は
自分の言うことを聞いてくれないひどい人間だと思い込み抑圧される。
どの家庭でもありがちな話ですが、私が本当に欲しかったのは
お金でも物でもなく、母親や父親からうける安心感や理由なんかなくても
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