2017年05月21日
他人との比較と見栄に固執しなければ幸せはやってくる!(その3)
→他人との比較と見栄に固執しなければ幸せはやってくる!(その1)
→他人との比較と見栄に固執しなければ幸せはやってくる!(その2)
中庸という言葉があるように、物事を程良く楽しむような適度の中に
幸せを感じられる体質というのは必要な気がします。
新しい物、便利な物を購入すればもちろん満足度や多幸感はアップするでしょう。
しかしそれは永遠ではありません。技術革新によってどんどん新しい物は
開発されていきます。物で自分を満たそうとするのは結果的にナンセンスなのです。
隣の芝ばかりみてため息が出てしまう人は、自分がどんなふうだったら
幸せなのかという現実像が描けないぐらい疲弊している人が多いでしょう。
・他人よりもお金がたくさんあれば幸せでしょうか?
・新しい物をバンバン購入できれば毎日満たされるでしょうか?
・自分のことをすべて理解してくれるパートナーがあらわれれば満足でしょうか?
おそらく具体的にどんなふうだったら満足かを描くことができても
それが非現実的な世界感であればどんな環境にいても満足できるということは
むずかしいでしょう。
自分が本質的に求めている幸せが空想に近いことであれば、その理想は
現実的ではないわけですから叶わないことを求めて毎日落胆するのであれば
それは幸せなんて感じられるわけがないのです。
毎日3食ご飯が食べられることだって、考え方によってはものすごく幸せなことでしょう。
数日プチ断食でもすれば毎日食べられていることの幸せというのは再認識することも可能です。
あたりまえのことがあたりまえになりすぎると人間は多幸感を得られにくくなるという特性もあるでしょう。これらは需要と供給の関係にも似ています。
あたりまえ→すごくたくさん物がある(供給)と仮定すれば、供給量が多くなりすぎて
需要という名の多幸感がどんどん落ちていきます。供給が多すぎると需要が減るわけです。
おそらく戦後でものも食糧も少ない時代というのは食事ができることがあたりまえではありません。
つまり供給量がものすごく少ないわけです。
しかし需要は一定にある。
だからこそ現代と食事が取れることに対する多幸感も異なります。
もし自分の多幸感を高めたいのであれば自分の中で
需要と供給を調整してみると目の前のあたりまえに対する価値観も変容するかもしれません。
幸せというものは誰かが運んできてくれるものでも、どこかに宝物のように落ちているものでもありません。すでに幸せというものは自分の中にあるということを心がけて生活をしてみたいものですね。
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→他人との比較と見栄に固執しなければ幸せはやってくる!(その2)
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幸せを感じられる体質というのは必要な気がします。
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しかしそれは永遠ではありません。技術革新によってどんどん新しい物は
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幸せなのかという現実像が描けないぐらい疲弊している人が多いでしょう。
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おそらく具体的にどんなふうだったら満足かを描くことができても
それが非現実的な世界感であればどんな環境にいても満足できるということは
むずかしいでしょう。
自分が本質的に求めている幸せが空想に近いことであれば、その理想は
現実的ではないわけですから叶わないことを求めて毎日落胆するのであれば
それは幸せなんて感じられるわけがないのです。
毎日3食ご飯が食べられることだって、考え方によってはものすごく幸せなことでしょう。
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あたりまえのことがあたりまえになりすぎると人間は多幸感を得られにくくなるという特性もあるでしょう。これらは需要と供給の関係にも似ています。
あたりまえ→すごくたくさん物がある(供給)と仮定すれば、供給量が多くなりすぎて
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おそらく戦後でものも食糧も少ない時代というのは食事ができることがあたりまえではありません。
つまり供給量がものすごく少ないわけです。
しかし需要は一定にある。
だからこそ現代と食事が取れることに対する多幸感も異なります。
もし自分の多幸感を高めたいのであれば自分の中で
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