2017年05月20日
他人との比較と見栄に固執しなければ幸せはやってくる!(その2)
→他人との比較と見栄に固執しなければ幸せはやってくる!(その1)
自分よりも周りの家庭、友達、親戚、会社の人が幸せそうに見える…
根拠なんて大してない割に自分は劣等生だということを脳が認めて
しまっている状態です。どうしてそんな風に思い込むかといえば
やはり幼少期の環境というものは大きく関係していると思います。
ありのままの自分の姿を両親が受け止めてくれないような家庭環境ですと、
承認欲求を満たされない子どもは別のことでその欲求を満たそうとします。
存在しているだけで価値がある!なんて思えないぐらいに親からダメ出しを
されたり、後ろ向きな言葉という毒を浴びせ続けられて考え方が悲観的になる
癖がついてしまっているのです。
そして厄介なことはクセというものはそう簡単に治らないということ。
・そんな後ろ向きに考えても仕方がないじゃない
・もっとプラス思考でいこうよ!
・元気と笑顔が一番だよ!
まわりからありきたりなアドバイスをもらっても満足なんてできません。
なぜなら自分でもそんなこと表面的には理解しているからです。
わかっているのにそれができない自分にいらついている面もあります。
日本人の女性はファッションを取り入れる際ブランド物にこだわる
性質があるようです。高校生ぐらいになればブランド物の財布とバック
は1つはもっていたい。友達がもっているから自分ももっていたい。
そんな心理が働くのでしょうか。
そのブランドの品質の良さから購買意欲をかき立てられて購入している
人がどのぐらいいるのでしょうか。実際は〇〇ちゃんがもっているから
負けずに私も欲しい!私も負けてられない!という見栄だけでもっている
という若い女性が多い気がします。
この見栄というのも厄介です。比較することと内容は被りますが、
品質の良さというよりブランド物をもっている自分はステータスが高いんだ!
という自分は他人よりステータスが高い人間であるというアピールがしたい面が
あります。
人類が進化していくためには比較したり、切磋琢磨したりすることは重要
だったのかもしれません。しかし物があふれている現代で比較と見栄でしか
判断できないと自分が苦しくなってくる世の中なのではないでしょうか。
物や社会的な肩書きなどで自分の優位性を固めて優越感を感じることが
人生において幸せかといえば、そう感じる人もいるでしょうが本質的には
それは刹那的な幸せであり、かつエンドレスな欲求であるともいえます。
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存在しているだけで価値がある!なんて思えないぐらいに親からダメ出しを
されたり、後ろ向きな言葉という毒を浴びせ続けられて考え方が悲観的になる
癖がついてしまっているのです。
そして厄介なことはクセというものはそう簡単に治らないということ。
・そんな後ろ向きに考えても仕方がないじゃない
・もっとプラス思考でいこうよ!
・元気と笑顔が一番だよ!
まわりからありきたりなアドバイスをもらっても満足なんてできません。
なぜなら自分でもそんなこと表面的には理解しているからです。
わかっているのにそれができない自分にいらついている面もあります。
日本人の女性はファッションを取り入れる際ブランド物にこだわる
性質があるようです。高校生ぐらいになればブランド物の財布とバック
は1つはもっていたい。友達がもっているから自分ももっていたい。
そんな心理が働くのでしょうか。
そのブランドの品質の良さから購買意欲をかき立てられて購入している
人がどのぐらいいるのでしょうか。実際は〇〇ちゃんがもっているから
負けずに私も欲しい!私も負けてられない!という見栄だけでもっている
という若い女性が多い気がします。
この見栄というのも厄介です。比較することと内容は被りますが、
品質の良さというよりブランド物をもっている自分はステータスが高いんだ!
という自分は他人よりステータスが高い人間であるというアピールがしたい面が
あります。
人類が進化していくためには比較したり、切磋琢磨したりすることは重要
だったのかもしれません。しかし物があふれている現代で比較と見栄でしか
判断できないと自分が苦しくなってくる世の中なのではないでしょうか。
物や社会的な肩書きなどで自分の優位性を固めて優越感を感じることが
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コメントありがとうございます!
そうですね。幸せのために生きているといっても
人によって幸せの価値観ややりたいことって違うから
他人と比較して幸せを見いだそうとしているときりがないでしょうね。
私の場合は、今でもはっきりと自分が何が本当は好きで、何がしたいのかが
不鮮明になるときがあります。それこそ世間体や比較や見栄というものが
ちらつきかけると本当の自分の気持ちを押し殺して心の奥にしまい込んで
周りに合わせるというクセが根付いてしまっているからです。
悩む時間を1分でも減らして、楽しいと思えることを1秒でも増やしていけるといいですよね。
コメントありがとうございます!
そうですね。人間の遺伝子には比較するという特性がインプットされているのかもしれませんね。
くせなんかもそうですが、悪いことだから全面的に排除しよう!となると
逆に多大なストレスを内包するということは間々あります。
むしろ比較してしまうのは自然なことで、思ってしまうのは仕方がない。
だけどいつまでもそのことに固執するのではなく、やっぱり自分は自分だよね!
という頭の切り替えができるように訓練していくことも必要なのでしょうね。
人と比較することで自己の成長はありますが、永遠に幸せにはなれません。
どんどんじんせの迷路にはまりこんでいくだけです。
気づいたら、右も左も分からなくなってます。
生きることの意味が幸せになることだとしたら、そんな人生はつまらないです。
もっと自由に、もっと自然に、生きることを楽しみたいです。
自分の人生かそうなっていくことを、強く願います。
現在、多くのメディア・人が『比較はやめよう!自分を追い込むだけだ!』と叫んでおりますが、消えることはありません。
実際、自分もそうです。
なので、追い込まれた時は↓のサイトで取り上げられていた『太古の昔(今でも?)他者との比較は繁殖に必要なものだったから、どれだけ頑張っても消えない。』説を思い出すようにしています。
「ああ、今『繁殖に関わる本能』が暴れている…。」という冷めた視点ができたせいか、比較をしても少しだけ楽になれました。
http://ho-sekkotsu.main.jp/blog/%e5%bf%83%e7%90%86/%e6%80%9d%e8%80%83%e7%99%96%e3%81%ae%e7%9b%b4%e3%81%97%e6%96%b9%ef%bc%88%ef%bc%92%ef%bc%89%ef%bd%9e%e3%81%8a%e9%87%91%e3%81%af%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%82%92%e5%b9%b8%e3%81%9b%e3%81%ab%e3%81%99/