2017年05月22日
実母が子どもっぽく見える!考え方が一方的で決めつけが多く批判には逆ギレがパターン化!(その1)
彼氏彼女、妻や夫は他人どうしです。
さまざまな問題はあるにせよ縁を切るということは可能。
しかしながら、両親というものはそう簡単にはいきません。
現代ではそういうなかで親との向き合い方に困っている人が多いようです。
■親なのに子どもみたいな発想しかない母親
自分が大人になればなるほど、社会が理解できればできるほど
親が子どもっぽく感じてしまう。というのが実感していることです。
冷静に考えれば、親は老化していくわけですし、自分は成熟していくので
当然といえば当然です。しかしインナーチャイルドが癒やされていない人たちは
どこかで親を見る目線というのは幼い頃の印象で見ていることが多かったり、
過去に親からいわれたことを丁寧に守ったりするような視点から向き合って
いる傾向です。
同性同士の方が結構ガツンときついことを言い合ったりすることが
多いようですが、私の場合は逆ですね。母と息子というのはまた母と娘
という関係とは異なるものがあるのかもしれません。
話せば話すほど、
「うちの母親はこんなにせまい考えの人なんだ」
「こんなに偏見がある人なのだ」
「まるでいっていることが子どものよう」
そんな風に感じてしまって叩きのめすように批判をする前に
あまりにも愕然として呆れてしまうというのが正直なところです。
ただ遠回しに否定的なことを言うとお決まりの
「あなたにはまだわからないのよ」
という投げ捨てする言葉で場の雰囲気と相手を傷つけていきます。
この言葉を聞くと、本当に幼少期こういう言葉を安易に投げかけられて
傷つけられたのだということが実感できます。
■親を責めても出てくるのは悲しみと憎しみ…そして自分不要説
話をすればたまに爆弾を仕込んでくる親となると、正直あったり話したり
するのが億劫になっても当然です。
「なんか実家に帰りたくないな」
「でも帰らないと親不孝しているみたい」
そんな葛藤がある人は気持ちに余裕がない場合は無理に
親に孫を見せて親孝行しようなんて思わない方が良いです。
気持ちに余裕がないときにこれをやると、せっかく足を運んだのに
自分を否定された気持ちになり余計に遺恨を残すからです。
どうしても帰省するなら日帰りとか1泊ぐらいが良いと思います。
実家だから数日泊まるというのは問題なくできると思いますが、
異なる環境の人が数日同じ屋根の下で生活するのは結構なトラブルが
発生します。
最終的に絶対に帰ってやるもんか!二度と実家はいきたくない!
なんて気持ちになることも珍しいことではないでしょう。
気持ちが苦しくなったり、締め付けられるのはまだまだ親から
幼少期に無意識に受けた呪縛から解放されていないからともいえます。
良い親でも悪い親でも親を否定するということは間接的に
自分の存在を否定するようなことにもなり得るので、自分が
生きている価値すら削られるような感覚に襲われることもあるでしょう。
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しかしながら、両親というものはそう簡単にはいきません。
現代ではそういうなかで親との向き合い方に困っている人が多いようです。
■親なのに子どもみたいな発想しかない母親
自分が大人になればなるほど、社会が理解できればできるほど
親が子どもっぽく感じてしまう。というのが実感していることです。
冷静に考えれば、親は老化していくわけですし、自分は成熟していくので
当然といえば当然です。しかしインナーチャイルドが癒やされていない人たちは
どこかで親を見る目線というのは幼い頃の印象で見ていることが多かったり、
過去に親からいわれたことを丁寧に守ったりするような視点から向き合って
いる傾向です。
同性同士の方が結構ガツンときついことを言い合ったりすることが
多いようですが、私の場合は逆ですね。母と息子というのはまた母と娘
という関係とは異なるものがあるのかもしれません。
話せば話すほど、
「うちの母親はこんなにせまい考えの人なんだ」
「こんなに偏見がある人なのだ」
「まるでいっていることが子どものよう」
そんな風に感じてしまって叩きのめすように批判をする前に
あまりにも愕然として呆れてしまうというのが正直なところです。
ただ遠回しに否定的なことを言うとお決まりの
「あなたにはまだわからないのよ」
という投げ捨てする言葉で場の雰囲気と相手を傷つけていきます。
この言葉を聞くと、本当に幼少期こういう言葉を安易に投げかけられて
傷つけられたのだということが実感できます。
■親を責めても出てくるのは悲しみと憎しみ…そして自分不要説
話をすればたまに爆弾を仕込んでくる親となると、正直あったり話したり
するのが億劫になっても当然です。
「なんか実家に帰りたくないな」
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そんな葛藤がある人は気持ちに余裕がない場合は無理に
親に孫を見せて親孝行しようなんて思わない方が良いです。
気持ちに余裕がないときにこれをやると、せっかく足を運んだのに
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どうしても帰省するなら日帰りとか1泊ぐらいが良いと思います。
実家だから数日泊まるというのは問題なくできると思いますが、
異なる環境の人が数日同じ屋根の下で生活するのは結構なトラブルが
発生します。
最終的に絶対に帰ってやるもんか!二度と実家はいきたくない!
なんて気持ちになることも珍しいことではないでしょう。
気持ちが苦しくなったり、締め付けられるのはまだまだ親から
幼少期に無意識に受けた呪縛から解放されていないからともいえます。
良い親でも悪い親でも親を否定するということは間接的に
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コメントありがとうございます!
赤裸々な家庭環境を聞かせていただき参考になります。
話だけで聞くとお母様もお父様も強烈な印象が焼き付いてしまいますが、
仮にお母様の目線でたった場合は世間に誰も自分を理解してくれる
人がいないという孤独感と満たされない感情で生活していたのかもしれませんね。
その満たされない気持ちや孤独感を新興宗教に求めたのかはわかりませんが、
すごく理解者がいないことっていきていくにはしんどいです。
さらに昔の人ほど選択肢というのはさほどおおくないでしょうから、
結果的に自分が我慢するしかないというケースもおおかったのではないでしょうか。
現代はさまざまな情報を共有する手段がありますから
その点はいいですよね。
コメントありがとうございます!
お返事遅くなりすみません…
おっしゃるとおりでしょうね。
本当はわかって欲しい気持ちはありますね。
しかもそう思っているのは大人の自分ではありません。
子どもの頃の自分がそう訴えかけているのだと思います。
大人の自分はいまさらそんなこと親に求めたって仕方ないじゃない!
そんなことぐだぐだ言っている自分に自己嫌悪という合理的な
考え方で子どもの頃のかなしみを押し殺そうとしているのかもしれません。
でもつらいものはつらいのでそれは認められるようになったというのは
総合的に見ればプラスだと思いますよ!
本来子どもって無償の愛情をもらって安心して自分の家で生活してこそ
機能不全ではない家庭で生活できるのだと思います。
私自身は条件付きの愛情家庭で育っていますので、いまだに無償の愛情
が言葉ではわかっても心のそこからはピンときません。
ある程度の時間は必要だと思いますので、いまは客観的に自分とお母様を
見られるようにできるといいですね!
私は母と同居してますが、母の事で父方、母方の親戚から同情されます。
母を知る人はみんな「母と分かりあえる人はいない」と口を揃えます。理由は後述しますが、私もそう思えます。
父は何度も結婚で失敗しましたが、母に関しては息子の私からみても、なぜ結婚出来たのが不思議なくらいの人です。
母は新興宗教を信仰しているのですが、宗教を盾に必要以上に干渉することが多く、私の友達から果ては仕事に関わる人間関係はほとんど母に壊されました。また、その新興宗教の教えでは不平や不満は直接相手に言っても良く、罵倒しても良いらしいので、世間一般のイメージの毒親よりキツい人です。
今年、私が死にかけた際に親戚から母と私に「いい加減(母を)見捨てろ、孤独死しても誰も責めない」と言われました。
親戚の叱責を黙って聞いていると母から「何か反論しろ」と怒られました。
私は「感情的に反論するのはいつでも出来る。お母さんは俺が泣いたり怒ったりして困ってる様を見たいだけじゃないの?」と言うと「どっちの味方なの!」と怒ります。
私はこういう場だと全く周りに流されず、冷静になるんです。この場合は母の悪態を叱責されたのですが、息子の私が観ても客観的に観ても親戚の叱責は正論で事実なのです。親戚も感情的に罵っている訳でもないので、いたずらに反論してもどうにもなりません。(親戚は学者や経営者が多く、その場しのぎの小細工は通用しません)
私は母子家庭で育ちましたが、母は新興宗教にお金を注ぎ込みました。親戚の支援してくれたお金は全て宗教にいきました。
(この話、今でも親戚から怒られます)
この事は当時、兄弟と母で喧嘩になりましたが、母は全然懲りなかったので私達兄弟は呆れました。
私達兄弟はお金の使い方がおかしいと追及します、母は宗教のありがたみや新興宗教の造語で自己擁護します。これでは喧嘩どころか会話になりません。当時の経験から母との喧嘩で感情的になることは無くなりました。
しかし親戚からすれば理不尽な話です。ですが感情的に反論しても、それは結局は自分の意思ではなく、親の悪態を私がそのまま出してるだけだと思い、この場で反論するのは違うなと思ったのです。
とはいえ、親戚の叱責は止みません。今も母と同居しているので親戚から共依存だと危惧されたりしています。
同居の理由は単に私に自活できるだけの経済的な余裕が無いだけです。もし余裕があっても母が宗教にお金を注ぎ込むので、生活レベルが上がることはありません。今の私は体を壊して働いていません。正直、貯金も余裕はあまりありません。父からは心配されていますが、母からは「仮病でしょ?」と言われる始末です。
父は通院代などを宗教にお金を注ぎ込まれるのを知ってるので、干渉できません。
以前、私がどんな状態でも母は病院に行かないと書きました。
その理由は二つあり、治療費を宗教に注ぎ込むのと、宗教上の教えで「病院が存在するのは信仰心が無いか、足りない連中か行く所、信仰心さえあればケガや病気には絶対にならない」というぶっとんだ理由です。
親戚に叱責された話ですが「感情の整理が落ち着かないから、反論は後にします」とはぐらかして話を終わりました。親戚もそこらへんを忖度してくれるので助かります。母の話なのに母だけ置いてけぼりで、まだ分かっていないようでした。
隣の芝とか毒親の話から離れすぎたので本題に戻しますが、今の私は状態が状態なので、ばか正直にその都度、向き合う余裕も無いので良くも悪くも「真摯になることを諦めました」
何事にも向き合う誠実さは大切ですが、自分を律するあまり、ルールを課し過ぎて自分自身を縛り付けては元も子もありません。
私は周りから母を毒親だと言われます。客観的に観たらそうかもしれませんが、私には毒親の定義が何なのか分からないので私は母を毒親だとは思ってませんし、縛られてもいません。
母は羨ましいと言ったと思ったらその直後にそれらを否定します。宗教観など理由はさまざまですが、母は隣の芝がとても気になるようです。私はあまり関心は無い方だと思います。
子供の頃ファミコンが爆発的な人気で、ねだってもいないのに、周りの子に置いてかれると世間体を気にしたのか母が父を説得して買いましたが、私は次の日には買って貰ったこと自体を忘れてました。思い出したのは5年後でした(笑)
最後に私は母と違って新興宗教を信仰してません。兄弟もです。父は呆れて離婚しました。
(父も空気を吸うように不倫してたのでアレですが)
新興宗教側はあの手この手で私達兄弟が信仰しているという証拠を持ってきますが、私達本人が否定してるので変ですが彼らは真面目です。
そもそも、宗教の自由のはずですが
新興宗教にはそんなの関係ありません。
それは、本当は分かり合いたいからです。
心の奥底ではまだ幼い私がいて、本当は親に大事にしてほしいのです。
自分を認めてほしいのです。
レベルが高くなくても、よその子よりかわいくなくても、唯一無二で愛してほしいのです。
表ではこれほどに敵対するのに、本心はそこにあります。
母も私と良い関係でいたいと思っていることはよく分かります。
海外研修だって、大学だって、反対する父にかわって母が整えてくれました。細かいこと言えば、この間まで私一人のために朝早く食事の支度をして、お風呂は必ず一番風呂に入れさせようとします。
私と母って、水と油のような気がします。
互いに歩み寄ろうするのだけど、もともとの性質が違っていて叶わない。
とても寂しく思います。