2017年03月22日
自分の誕生日が楽しめなかったあの時期は何なのだろう?!(その3)
→自分の誕生日が楽しめなかったあの時期は何なのだろう?!(その1)
→自分の誕生日が楽しめなかったあの時期は何なのだろう?!(その2)
どこかで私自身が誕生日=自分自身という捉え方に固執するようになったのでしょう。
誕生日にだれもお祝いのメールもくれなかった→自分自身を否定されているような気分に
なっていたのでしょう。逆を言えば自分のことをもっとよく見て!自分はここにいるんだよ!
という叫びもあるのかもしれません。
相手のことはそこまでこまかくわからないけど、自分のことは毛細血管の数までわかってもらいたいというような、ひとことでいえばわがままな自分が心の奥底で押しつぶされたままになっているのです。
この自分を表に出すと、わがままだといわれるから普段は出しません。そのかわり不機嫌な顔には
なります。本当に幼いですよね^^
いまではこれは自分の幼い感情がいけないのだと理解できますが、当時は違っていました。
「自分の気持ちをわかってくれない周りが悪い」それしか思えないのです。ただそれを口に出しては
いいません。機嫌だけ悪くなる感じです。そして根に持つタイプですからいつまでも過去のことを持ち出して
あのときはこうだったとかいっちゃうのでしょう。
他人にわかってもらいたいという気持ちが肥大化した感情はまさにモンスターです。
自分でも自分のことがよくわかっていないのに、それ以上を他人に求めているような状態。
本当にこの感情には苦しめられました。白黒思考が強いほどしんどくなります。
・盛大に祝ってもらっている自分→立派な人間でいいこと
・誰にも祝ってもらえない自分→情けなく恥ずかしく悪いこと
こんな二択しか頭になかったでしょうから、場合によっては消えて
しまいたくなっても不思議ではありません。
でもどちらでも結果的に自分自身は本来なにも変化はないはずなのです。
自分は自分なのに自分の思い描く良いイメージ、悪いイメージに自分を
振り分けてしまう脳が錯覚を起こしているともいえます。
祝ってもらっても祝ってもらえなくても、
自分は自分であるという考え方がいつからかできるようになりました。
結婚したころは、奥さんなのだから旦那の誕生日ぐらいしっかり祝いなよ
という気持ちは強かった気がします。
逆に相手の誕生日も盛大にやってあげなければならないという気持ちも大きかったです。
見方によっては凄く冷めた目線に見えますが、あまりひとつのことに拘りすぎてしまうというのは
いけないと考えるようになってからは、誕生日にケーキがなくてもイライラしなくなりました。
自分の脳にだまされてしんどい思いをしている人は多いと思います。自分が思っているのだからそれが
正しいと思って疑わない人もいるでしょう。でもあまりにも毎日がしんどいのであればそれは自分の
考え方がなにかに固執しすぎてしんどくなっているという可能性も大いにあるのです。
こだわりは決して悪いものではありません。しかしその感情にすべてをとらわれてしまうと、
もの凄く視野が広いようで視野が狭い生活を送ることになってしまうのかもしれません。
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→自分の誕生日が楽しめなかったあの時期は何なのだろう?!(その2)
どこかで私自身が誕生日=自分自身という捉え方に固執するようになったのでしょう。
誕生日にだれもお祝いのメールもくれなかった→自分自身を否定されているような気分に
なっていたのでしょう。逆を言えば自分のことをもっとよく見て!自分はここにいるんだよ!
という叫びもあるのかもしれません。
相手のことはそこまでこまかくわからないけど、自分のことは毛細血管の数までわかってもらいたいというような、ひとことでいえばわがままな自分が心の奥底で押しつぶされたままになっているのです。
この自分を表に出すと、わがままだといわれるから普段は出しません。そのかわり不機嫌な顔には
なります。本当に幼いですよね^^
いまではこれは自分の幼い感情がいけないのだと理解できますが、当時は違っていました。
「自分の気持ちをわかってくれない周りが悪い」それしか思えないのです。ただそれを口に出しては
いいません。機嫌だけ悪くなる感じです。そして根に持つタイプですからいつまでも過去のことを持ち出して
あのときはこうだったとかいっちゃうのでしょう。
他人にわかってもらいたいという気持ちが肥大化した感情はまさにモンスターです。
自分でも自分のことがよくわかっていないのに、それ以上を他人に求めているような状態。
本当にこの感情には苦しめられました。白黒思考が強いほどしんどくなります。
・盛大に祝ってもらっている自分→立派な人間でいいこと
・誰にも祝ってもらえない自分→情けなく恥ずかしく悪いこと
こんな二択しか頭になかったでしょうから、場合によっては消えて
しまいたくなっても不思議ではありません。
でもどちらでも結果的に自分自身は本来なにも変化はないはずなのです。
自分は自分なのに自分の思い描く良いイメージ、悪いイメージに自分を
振り分けてしまう脳が錯覚を起こしているともいえます。
祝ってもらっても祝ってもらえなくても、
自分は自分であるという考え方がいつからかできるようになりました。
結婚したころは、奥さんなのだから旦那の誕生日ぐらいしっかり祝いなよ
という気持ちは強かった気がします。
逆に相手の誕生日も盛大にやってあげなければならないという気持ちも大きかったです。
見方によっては凄く冷めた目線に見えますが、あまりひとつのことに拘りすぎてしまうというのは
いけないと考えるようになってからは、誕生日にケーキがなくてもイライラしなくなりました。
自分の脳にだまされてしんどい思いをしている人は多いと思います。自分が思っているのだからそれが
正しいと思って疑わない人もいるでしょう。でもあまりにも毎日がしんどいのであればそれは自分の
考え方がなにかに固執しすぎてしんどくなっているという可能性も大いにあるのです。
こだわりは決して悪いものではありません。しかしその感情にすべてをとらわれてしまうと、
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コメントありがとうございます!
お気遣い頂き感謝です^^
カウンセリングみたいものはもちろんひどいとき受けたことはありますよ!
一応書いているのは今振り返ればそう思うということですので、
どちらかというと現在進行中というわけではありません。
簡単に言うと、自分で選択肢を狭めてしまう傾向の考え方が最高潮に
ひどいときの話です。
考えすぎない人も問題ですが、考えすぎる人も問題だなぁと現状は思います。
カウンセリングを受けた事はありますか?
苦悩から抜けるきっかけとなる手法はあるような気がするのですが。
コメントありがとうございます!
誕生日というのはあくまでもきっかけのひとつであって、結果的には
自分自身をないがしろにされているとか、祝われるべきだという
思考が根底にあるということなので、他のことでも似たようなことはあった
気がしますね。周りに怒りを向けることで自分の悲しみを守っている
という感じだと思います。
自分の感情がわからないというようなことはあると思いますよ。
世間一般的な常識論に寄せようとする脳が先行しますから、本当は…
なんて思ってもいえないとか本当はどう自分で思っているのかを
押し殺しているという感覚はあるカモしれません。
同時に、して欲しかった事がしてもらえず、悲しい気持ちになったのではないかと想像するのですがそういう気持ちはお持ちになりましたか?
私の知り合いに自分の感情を自覚しずらい人がいます。
文章を読んでいて似ている部分があるように感じたので、質問させていただきました。
嫌な気持ちにさせてしまったら大変申し訳ないです。
コメントありがとうございます!
執着がとれるまでにはかなりの期間を要しましたが、とれてしまうと
本当に「なんでそんなに誕生日にこだわったのだろう」と自分でも馬鹿らしく
思えてしまうぐらいです^^
にぼしさんのご家族は誕生日には無関心だったのですね。
うちのアスペルガー受動型の嫁の家族もどちらかというと無関心な傾向では
ありますが、他人の生年月日を記憶するのが得意なようで私も驚かされる
ことがよくありました。自分の友達ぐらいなら良いですが、私の友達とかと
話したときに生年月日の話題が少し出たぐらいでも覚えていたりするので、
相手からすると自分のことをそんなに思ってくれたのだとうれしいきもちに
させるようです。
まあ、単に覚えているというだけなんですけどね^^
コメントありがとうございます!
そうですね。どこかで自分自身の自尊心をまもっていたのかもしれませんね。
男性が自分にどのぐらい貢いでくれるかで自分の価値を判断している
という人はマロンさんが思っている以上に多いかもしれませんよ。
やはり他人から見たフィルターで「良い自分」でないと満足できないような
感じになると、どこかを装いながら生活しないといけないので心はどんどん
すさんでいくのかもしれません。
自分の中に虚栄心がいるなんてことが自覚できるだけでも相当すごいですよ^^
しんどいのはその狭間にいる状態だからだと思います。
すぐには解決できる問題ではないと思いますが、少しずつ完璧でない自分を
受け入れられるようになると思うのであまり完璧ではない自分を責めすぎるのは
抑えめにした方が良いですね。
本当に少しずつしか前進しないのがもどかしいですが、だんだん自分が受け入れ
られるようになると、「あのときなんであんなに考えたのだろう」という日も
来ると思います。自分を知っていくのは自分のモンスターとの闘いを抜きには
すすめませんので、一撃必殺で倒そうとせず、長期戦で対策した方が良いと思います^^
ちょっと乱暴な書き方ですが、誕生日ひとつでそこまで深慮するなんて、まるで哲学の論文を書いてる間に人生を生きてるような人ですね。私はそこまで考えた事無いですよ。私は浅慮だなーと思ってても同じ失敗を繰り返してきましたので対極的ですね。
私は誕生日祝ってもらったこと無いので分からないんですよ。そもそも家族に私の誕生日知ってる人誰もいませんから。健常者の思考回路って凄いですよ、私が障害持ってると分かった途端、関心が無くなるんですよ。私の産んだ母でさえ私の誕生日覚えてませんよ。参考にならなくてすみません。
苦しいですね、モンスターとの共存。敵でも味方でもないような、変な存在です。
ブログの内容、まさに私の思いみたいでした。
私は誕生日に拘りはないですが、友人や恋人が私の誕生日をどう扱うかは、私の自尊心を大きく揺さぶった気がします。
それだけじゃないです。
恥を承知で言います。若い頃は、男が私にいくら使ってくれるかも、私の存在価値を確認する一つの手段にしていました。
男とブランド物に溺れました。そんな大学生でした。
自分の中の片付かない感情に付き合うのはしんどいですから、誤魔化してたと思います。
でも、果てがないですね。男とどれだけ遊んでも、飲み屋のバイト代でショッピングの散財しても、満足するのはほんの一瞬。
果てがないんです。
私、考えるんです。
一体どんな人生なら、どんな生活なら納得できるの?って。
有名な会社に入りたかった、学歴が欲しかった、ハイスペックな結婚、ハイレベルな生活…いろいろ浮かびます。
でも突き詰めて考えたら「嘘偽り誇張のない、等身大の自分でいる生活」のように思いました。
逆を言えば、私いつも何気ない時でも、嘘偽り誇張のある人間なんだと思います。
たかだか私が嘘言ってみても大したことないのに、不要な虚栄心が私を無理させます。
ただの虚栄心。分かってるんです。
楽になりたいですよ。
いつもいつも丁寧なコメントありがとうございます。
癒されます。私の思いを分かってくれたってことに。
全て共感してほしいわけでは全然ないです。ただ、私の話す意味合いとか、なぜそういう考えに至ったかを理解してくださることが嬉しいです。ありがとうございます。