2017年03月14日
アスペルガー症候群とアダルトチルドレンの組み合わせはカサンドラ愛情はく奪症候群の鉄板!(その3)
⇒アスペルガー症候群とアダルトチルドレンの組み合わせはカサンドラ愛情はく奪症候群の鉄板!
⇒アスペルガー症候群とアダルトチルドレンの組み合わせはカサンドラ愛情はく奪症候群の鉄板!(その2)
毎日闇のなかをさまようような境遇は何年も味わってきました。しかし結果的に100%自分の気持ちを理解してくれて全面的にサポートしてくれるということは今の今までありません。当然ですよね。でもどこか他人に依存してしまう心が残っているのは確かです。
そんななかでもわずかながらでも心が前進したかな?と感じるときがあります。
それは不安だったり心配だったり、イライラしたりするものの自分自身で自分の行動に
責任を持って動いてみたときです。
たいていは行動する前に最悪なことを考えてしまい失敗はしたくないという思いが
先行して動けなくなってしまうことも多いです。
最悪なことが自動思考としてめぐってきますから怖くて動けなくなるのです。
完ぺき主義者の人は一見なにに対しても細かくアンテナが広く周りからの信頼も
厚いことが多いように感じます。ただ度が過ぎると「なにもしない完ぺき主義者」
といわれるぐらい知識やさまざまなケースが思い浮かぶがために失敗したくない
気持ちで押しつぶされそうになるのです。
その結果なにもしないことが最善であるように感じてしまうこともしばしばです。
完ぺき主義者の人は周りの目線をものすごく気にします。世間体もきにします。
だって親にそれが正しいことと言われ続けていますから。
気がつかないよりは気がついたほうがまし!という感覚で自分の行動を前向きにとらえようとしたり、
整合性を合わせようとしたりして自分自身にむちをうちつづけてしまうことも珍しくありません。
しかし、日本社会では気がつく人のほうが素晴らしく、気がつかない人は無神経だという根底の発想がありますが、どちらに傾き過ぎてもよくありません。周りの評価が良くないというよりも無理してその極端な偏りを無意識にでも演じている場合は、その反動がばねのように作用するからです。
無理してばねを伸ばし過ぎると、放したときにとんでもない力で逆方向へ力が反発することでしょう。向上心は人間が進化していくためには必要なものでしょうが、無理のし過ぎは心も体もボロボロにしてしまうという代償があるのだということも気がつく必要があります。
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毎日闇のなかをさまようような境遇は何年も味わってきました。しかし結果的に100%自分の気持ちを理解してくれて全面的にサポートしてくれるということは今の今までありません。当然ですよね。でもどこか他人に依存してしまう心が残っているのは確かです。
そんななかでもわずかながらでも心が前進したかな?と感じるときがあります。
それは不安だったり心配だったり、イライラしたりするものの自分自身で自分の行動に
責任を持って動いてみたときです。
たいていは行動する前に最悪なことを考えてしまい失敗はしたくないという思いが
先行して動けなくなってしまうことも多いです。
最悪なことが自動思考としてめぐってきますから怖くて動けなくなるのです。
完ぺき主義者の人は一見なにに対しても細かくアンテナが広く周りからの信頼も
厚いことが多いように感じます。ただ度が過ぎると「なにもしない完ぺき主義者」
といわれるぐらい知識やさまざまなケースが思い浮かぶがために失敗したくない
気持ちで押しつぶされそうになるのです。
その結果なにもしないことが最善であるように感じてしまうこともしばしばです。
完ぺき主義者の人は周りの目線をものすごく気にします。世間体もきにします。
だって親にそれが正しいことと言われ続けていますから。
気がつかないよりは気がついたほうがまし!という感覚で自分の行動を前向きにとらえようとしたり、
整合性を合わせようとしたりして自分自身にむちをうちつづけてしまうことも珍しくありません。
しかし、日本社会では気がつく人のほうが素晴らしく、気がつかない人は無神経だという根底の発想がありますが、どちらに傾き過ぎてもよくありません。周りの評価が良くないというよりも無理してその極端な偏りを無意識にでも演じている場合は、その反動がばねのように作用するからです。
無理してばねを伸ばし過ぎると、放したときにとんでもない力で逆方向へ力が反発することでしょう。向上心は人間が進化していくためには必要なものでしょうが、無理のし過ぎは心も体もボロボロにしてしまうという代償があるのだということも気がつく必要があります。
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コメントありがとうございます!
そうですね。その感覚はあると思います。だって最大の壁ですから^^
会話って本来はそういう物ではないと思いますが、こちらから話題を振るという
のは結構リスキーなことです。自分の価値観が受け入れられないかもしれない。
もしかしたら否定されるかもしれない。なんてものが潜在的にあれば、
こちらからフランクに話すということはできなくなると思います。
そのため、相手がなにか話題を振ったことに回答する。しかも一般的な
目線でとか世間的に常識的な範疇でとか。
たぶんリスクヘッジを潜在的に考えながら回答するので不自然になるのでしょう。
より自然になんて意識すると余計に不自然になるかもしれません。
全然その感覚はあるあるですよ。
・家族はみんなで仲睦まじく食事をすべきだ
・友達たくさんでわいわい旅行に行くことが幸せだ
みたいな親の先入観を植え込まれた結果でしょうね。
マロンさんは友達と食事をしたり旅行へいくことももちろんすきでしょうが、
それ以上に1人で誰にも干渉されずに行動するということも好きだということです。
世間体的には、あまり1人で行動していると「友達がいないんじゃない?」
「友達少ない人だね」みたいになぜかネガティブにかんがえて優越感に
浸ろうとする人たちがいます。別に1人で行動して何が悪いのやら。
ひとりも好きだし、複数ならより共感できる人との時間が楽しみたい
ということでしょう。
親からの呪縛ですからちょっとずつ気にしないようにした方が賢明です^^
コメントありがとうございます!
いえいえ、なにもしない完璧主義者は私のことです^^
石橋を懸命に叩いて結果的にわたらないなんてことは日常茶飯事でした。
いまでもまだまだすべてを解放したとはいいがたいです。
マロンさんが書いているように自分で自分に辟易してしまうような
感覚は本当によくわかります。
ほどほどで満足する親ではなかったからでしょうね。
やるならしっかりやりなさい!
どうして最後までやらないの?
結局親が描く理想というラインにのっかていることが成功という
認識で脳にインプットされています。そこから外れようとすると
当時の母親と当時の自分が「あなたは駄目な奴」というレッテルを
はり続けているのでしょうね。
気づいたばかりに生殺しと感じる人ももちろんいるでしょうが、
わからなかったらさらにたくさんの人を傷つけるような発言や態度を
私自身がし続けることになったのだろうなぁと思うので、
個人的には苦しい時期は何年もありましたが、結果オーライと思うようにしています。
いわゆる普通の親子らが、たまに会ったから照れてしまってとは別の感じです。
私、昔からそうなんですよね。
私から発信する会話が変なんです。変というか、不自然なんですよ。
自覚あります。
取引先の人と待ち時間に無理矢理話すみたいな感じ?うまく表現できないですが。
昔から、食事が済んだら即刻自室で勉強しろと言われてきて、ここ最近実家に戻ったら「ご飯の後はリビングでゆっくりすればいいやない」と言われても、話すこともなければ黙ることも息苦しい。ほんとに居た堪れない。
こんな思いになるの、ありますか?
だからでしょうか、、
私、ほんっとに孤食が好きです。飲み会とか、友達とかとはもちろん楽しんでましたが、基本は孤食派。結婚生活でもそう感じました。
癖って抜けないですね。
ちなみに、20代後半より、断然ひとり旅派になりました。
孤独に悩むくせに、人に認められたいくせに、ほんとのコアな部分はとんでもなく一人好きです。
自分でも自分を持て余してます…
私のことー?って感じです。
失敗したくないんですよね…
自分の人生の汚点を増やしたくないし、人からバカにされるのも、憐れまれるのも苦しい。
おかしな自意識ですよね。誰も私の事をそんな気にしていないのに。
頭では分かっている、でも現実にそう思えてしまう、それが本人としては辛いです。
一度きりの人生なんです。守りに入りきってたらつまらないです。
だいたい、人生終える時に失敗が少なかったと言って賞賛が得られるかと言えば違います。仮に得られたとしても虚しいでしょう。
自分の頭が完璧に支配下に置かれていて、死ぬ時まで親の正しさにうたがを持たずにいられたらそれでもいいんでしょうがね。
途中で半端に気付いてしまうと、なんだか虚無感でかなしいですね。
私もきっと、認めて欲しい、分かち合いたいという思いが強いです。
友人に求めがちです。
でも、逆に自分が求められても対処しきれないだろうから、私自身も求め過ぎはダメだとよく思います。
そんな日々です。