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2015年10月23日
2015年10月22日のつぶやき
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2015年10月22日
アスペ嫁の「やった」は、AC夫からするとほとんどが「やったつもり」
今日は、早朝から洗面所の掃除とトイレ掃除、ガスコンロ周辺の掃除を
してみたAC夫です。きれいになるって気持ちよいですね^^
日頃から綺麗に整えている方ではないので、私が腰を上げるということ
は、それほど酷い状態になっているともいえます。
「もう、いいかげんそろそろやらないとまずいな」と、
本当はこうなる前に、サイクル的にできるといいのですが、
掃除嫌いの私にはなかなか難しいものです。
その私以上に、掃除センスがゼロなのがアスペ嫁なのはよくご存知でしょうが、
一番困るのは、「平然と掃除をやった気でいる」ことです。
アスペ嫁は、自分が掃除が上手くできない割に、子どもに対しては、
「脱いだ物が散らかりっぱなし!」「かばんとか綺麗に片付いてない!」
なんて常に注意しているのです。常にですよ。開口一番「注意」がでますから、
子どもからすれば、辟易してしまいますよね。
いっているそばから、アスペ嫁の下着が散乱しているわ、バッグがつみかさなって
いるわ、自分のことは基本的に「棚に上げます」ので人のことしか目に入らないのでしょう。
今朝も、私があまりの汚さに掃除をし始めたのですが、最初はいつも
「なんでこんなこと俺がしなきゃいけないんだよ」と思ってしまうのですが、
最終的には、綺麗になったことで気持ちもリフレッシュ!ということで、
自分の気持ちをいいものとして終わることが出来るようになってきました。
・きれいになる⇒気持ちよくて爽快である。
・誰もやらない⇒仕方なく自分が嫌々やる。
どちらにしても結果は同じく綺麗になるのですが、心に残る
気持ちは雲泥の差になるので、やる場合はそうしようと心がけています。
ただ、一番いただけないのがアスペ嫁のちょっとしたひとことです。
今朝は、爽快感をじんわり味わっているところアスペ嫁がおきてきて、
「私、毎日トイレも洗面所も掃除してるんだけど?」
とか、いってくれてしまうので、テンションダウン。
どこをどうみたら、きれいにしたといえるのかわたしにはわかりませんが、
「やった」と言い張るアスペ嫁。
私からすれば、きれいになっていないわけですから、「やってないだろ!」という
話になるのですが、このやりとりになると、アスペ嫁と私のそもそもの論点が違うので
最終的に気持ちが悶々としてくるというのが本音でしょうか。
アスペ嫁を擁護するつもりはないですが、アスペ嫁視点で言うと、…
「便座カバーを変えた」⇒掃除をした。
「トイレットペーパーを変えた」⇒掃除をした。
「ちょっと気になるところを拭いた」⇒掃除をした。
こういうふうに1つでも自分がやっていれば、「やった」となります。
私からするとどう考えても「やったつもりになっているだけ」だと思うのですが、
本人も全くやっていないわけでは無いから、なかなか引き下がらないのがうっとうしい^^
アスペ嫁の場合を考察すると、話なんかでもそうですが、
1〜10まで話のないようがあるとすると、2割ぐらいしか頭に入っていません。
それゆえ、先走って失敗したり、内容が把握できて無くて自分のニュアンスで
色々と進めてしまって失敗したり、早合点となりやすいのです。
部分的にインプットして全体を分かった気になってしまうんです。
行動についても、ほぼ同じと思って良いでしょう。
例えば、2回以上行ったことがある場所については、
「よくいったことがある」という表現をします。
一般的な人からすると、2回はよくいったとはいいませんが、
本人からするとそうではないようです。
この流れで話すと分かるのでしょうが、掃除なんかも同じですよね、
1から10まで掃除の行程があるのであれば、そのうち1つでもやっていれば、
「やった」といいはります。たしかに間違いでは無いのですけど…。
私からすると、「やった」か「やっていない」ということでなく、
きれいな状態をキープできているかということが問題なはずなのですが、
視野が狭いからか、自分がやったとおもっているからかそこに視点は行かないのです。
愛情表現なんかもこの例と同じです。
うちの例ですが、1年前にくれたメールに「パパのこと大切だと思っています」
と書いたから、もう十分、大切だという気持ちは伝えたと^^
もうね、期待しちゃ駄目ですよ^^
こういう特殊な感覚があることどうしても日常生活では
耐えきれなくなることも多いと思います。一般的に考えたら、
こんな馬鹿な話無いですからね。
でも、パートナーがアスペだとすると、そんなことが多くなってしまうのは、
こういうことだからなのかもしれません。
片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術
してみたAC夫です。きれいになるって気持ちよいですね^^
日頃から綺麗に整えている方ではないので、私が腰を上げるということ
は、それほど酷い状態になっているともいえます。
「もう、いいかげんそろそろやらないとまずいな」と、
本当はこうなる前に、サイクル的にできるといいのですが、
掃除嫌いの私にはなかなか難しいものです。
その私以上に、掃除センスがゼロなのがアスペ嫁なのはよくご存知でしょうが、
一番困るのは、「平然と掃除をやった気でいる」ことです。
アスペ嫁は、自分が掃除が上手くできない割に、子どもに対しては、
「脱いだ物が散らかりっぱなし!」「かばんとか綺麗に片付いてない!」
なんて常に注意しているのです。常にですよ。開口一番「注意」がでますから、
子どもからすれば、辟易してしまいますよね。
いっているそばから、アスペ嫁の下着が散乱しているわ、バッグがつみかさなって
いるわ、自分のことは基本的に「棚に上げます」ので人のことしか目に入らないのでしょう。
今朝も、私があまりの汚さに掃除をし始めたのですが、最初はいつも
「なんでこんなこと俺がしなきゃいけないんだよ」と思ってしまうのですが、
最終的には、綺麗になったことで気持ちもリフレッシュ!ということで、
自分の気持ちをいいものとして終わることが出来るようになってきました。
・きれいになる⇒気持ちよくて爽快である。
・誰もやらない⇒仕方なく自分が嫌々やる。
どちらにしても結果は同じく綺麗になるのですが、心に残る
気持ちは雲泥の差になるので、やる場合はそうしようと心がけています。
ただ、一番いただけないのがアスペ嫁のちょっとしたひとことです。
今朝は、爽快感をじんわり味わっているところアスペ嫁がおきてきて、
「私、毎日トイレも洗面所も掃除してるんだけど?」
とか、いってくれてしまうので、テンションダウン。
どこをどうみたら、きれいにしたといえるのかわたしにはわかりませんが、
「やった」と言い張るアスペ嫁。
私からすれば、きれいになっていないわけですから、「やってないだろ!」という
話になるのですが、このやりとりになると、アスペ嫁と私のそもそもの論点が違うので
最終的に気持ちが悶々としてくるというのが本音でしょうか。
アスペ嫁を擁護するつもりはないですが、アスペ嫁視点で言うと、…
「便座カバーを変えた」⇒掃除をした。
「トイレットペーパーを変えた」⇒掃除をした。
「ちょっと気になるところを拭いた」⇒掃除をした。
こういうふうに1つでも自分がやっていれば、「やった」となります。
私からするとどう考えても「やったつもりになっているだけ」だと思うのですが、
本人も全くやっていないわけでは無いから、なかなか引き下がらないのがうっとうしい^^
アスペ嫁の場合を考察すると、話なんかでもそうですが、
1〜10まで話のないようがあるとすると、2割ぐらいしか頭に入っていません。
それゆえ、先走って失敗したり、内容が把握できて無くて自分のニュアンスで
色々と進めてしまって失敗したり、早合点となりやすいのです。
部分的にインプットして全体を分かった気になってしまうんです。
行動についても、ほぼ同じと思って良いでしょう。
例えば、2回以上行ったことがある場所については、
「よくいったことがある」という表現をします。
一般的な人からすると、2回はよくいったとはいいませんが、
本人からするとそうではないようです。
この流れで話すと分かるのでしょうが、掃除なんかも同じですよね、
1から10まで掃除の行程があるのであれば、そのうち1つでもやっていれば、
「やった」といいはります。たしかに間違いでは無いのですけど…。
私からすると、「やった」か「やっていない」ということでなく、
きれいな状態をキープできているかということが問題なはずなのですが、
視野が狭いからか、自分がやったとおもっているからかそこに視点は行かないのです。
愛情表現なんかもこの例と同じです。
うちの例ですが、1年前にくれたメールに「パパのこと大切だと思っています」
と書いたから、もう十分、大切だという気持ちは伝えたと^^
もうね、期待しちゃ駄目ですよ^^
こういう特殊な感覚があることどうしても日常生活では
耐えきれなくなることも多いと思います。一般的に考えたら、
こんな馬鹿な話無いですからね。
でも、パートナーがアスペだとすると、そんなことが多くなってしまうのは、
こういうことだからなのかもしれません。
片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術
2015年10月21日
アスペルガー症候群の人たちへのキャッチボールは鉛の玉。
アスペルガー症候群、自閉症スペクトラム、発達障害…
いやというほどこの言葉を検索して、必死に自分のパートナーのために
もしくは、自分の辛い気持ちをすこしでもまぎらわそうとしている人たち。
アスペルガーを配偶者に持った人でないと分からない何ともいえない
さみしさと、せつなさで毎日覆われてしまっているのですよね。
どんなに勉強しても100%理解するなんて事はできませんので、
まず100%を求めるのは止めましょう。
そこにゴールを置くと99%にたっしたとしても1%の不満で不幸な気持ちになります。
人によって発達障害のパートナーはなにが困るのかと聞かれれば、
「コミュニケーションの特異性」ということがメインになるのかとも思います。
ざっくりいえば、
「何考えているのか分からない」
「質問したのに返事が来ない」
「大切な話が真剣に意見交換できない」
どれも夫婦として、人間としては必要なことだと思いますが、
できないものは、できないんですね。
しかも、私たちが求める要素が大きく高い目標であることが多くそれが
余計に夫婦の溝や温度差を顕著な物にしてしまっていることになります。
おそらく、彼氏、彼女という間柄でたまにしかあわないという間柄のうちは、
それでも、何とかやり過ごすことができるかもしれません。
しかし、結婚、出産となると本当にガラッと生活体が変わってしまうのですよね。
子供に恵まれたとしても、恵まれなかったとしても一緒にいる時間が長くなれば
なるほど、健常者同士でも多少の摩擦は生まれます。
ですから、人の話を聞いているかきいていないか分からないような、パートナーですと、
もう、「自分が何のために一緒にいるのかが分からない」という状態に陥ります。
だって、本当は一緒に、家族のこと、夫婦のこと、子供のこと色んな話を
一緒に共有して、大切な話をしたいじゃないですか。
でも、私たちが思っているようにはどう転んでもなり得ないのでしょう。
アスペルガー症候群の人とのたとえで、キャッチボールをするという表現が出てきますが、
野球場でキャッチボールをするイメージなんかしちゃいけません。
それが普通だと思っているから、出来ない苦しさが増してきます。
〇私たちがしている会話は、まずキャッチボールではないという認知。
アスペルガー症候群の人との会話は、私からみたら、
「大海原に一人ボートを浮かべて、鉛の玉を海底に落とすようなものです」
アスペ嫁は、海底をマイペースで動き回ってます。こちらはなんとかピンポイントに
相手のいる場所へ鉛の玉を落とすのですが、鉛ですからね。野球ボールじゃ無いんですよ。
「投げ返せば良いだけなのに!」というのは野球ボールだと思うから。
海底にいるアスペ嫁は、自由気ままにふらふらと浮遊してます。
気圧も違うのに平気で生きていますし、私たちとは違った五感の世界です。
鉛の玉が落ちてきたのには気づいているのです。
気づいてはいるのですが、結局返す気が無いわけでも悪気も無いのですが、
重すぎて海面まで上げることが出来ない。その結果海底に置き去りにしてしまう。
こんなイメージなのでは無いかと思います。
アスペ嫁からすると、上からボンボンと鉛の玉をなげられて、それをかえすどころか
今度は逃げることに必死になってもう返すことなど出来ないんです。
本人は自分を守ることで精一杯ですから、返事が出来ないことに悪気もありませんし、
鉛が落ちてこなければ、ホッと安心して、またふらふらと浮遊を始めます。
このぐらいすんでいる場所や完成が違うということを自分でインプットしておかないと、
結局は、こちらのいう野球ボールでのキャッチボールをいつまでも求め続けて
しまい、満たされない気持ちをよりえぐってしまうことになるでしょう。
ちなみに私は今日も鉛の玉をぶん投げましたが…^^
いやというほどこの言葉を検索して、必死に自分のパートナーのために
もしくは、自分の辛い気持ちをすこしでもまぎらわそうとしている人たち。
アスペルガーを配偶者に持った人でないと分からない何ともいえない
さみしさと、せつなさで毎日覆われてしまっているのですよね。
どんなに勉強しても100%理解するなんて事はできませんので、
まず100%を求めるのは止めましょう。
そこにゴールを置くと99%にたっしたとしても1%の不満で不幸な気持ちになります。
人によって発達障害のパートナーはなにが困るのかと聞かれれば、
「コミュニケーションの特異性」ということがメインになるのかとも思います。
ざっくりいえば、
「何考えているのか分からない」
「質問したのに返事が来ない」
「大切な話が真剣に意見交換できない」
どれも夫婦として、人間としては必要なことだと思いますが、
できないものは、できないんですね。
しかも、私たちが求める要素が大きく高い目標であることが多くそれが
余計に夫婦の溝や温度差を顕著な物にしてしまっていることになります。
おそらく、彼氏、彼女という間柄でたまにしかあわないという間柄のうちは、
それでも、何とかやり過ごすことができるかもしれません。
しかし、結婚、出産となると本当にガラッと生活体が変わってしまうのですよね。
子供に恵まれたとしても、恵まれなかったとしても一緒にいる時間が長くなれば
なるほど、健常者同士でも多少の摩擦は生まれます。
ですから、人の話を聞いているかきいていないか分からないような、パートナーですと、
もう、「自分が何のために一緒にいるのかが分からない」という状態に陥ります。
だって、本当は一緒に、家族のこと、夫婦のこと、子供のこと色んな話を
一緒に共有して、大切な話をしたいじゃないですか。
でも、私たちが思っているようにはどう転んでもなり得ないのでしょう。
アスペルガー症候群の人とのたとえで、キャッチボールをするという表現が出てきますが、
野球場でキャッチボールをするイメージなんかしちゃいけません。
それが普通だと思っているから、出来ない苦しさが増してきます。
〇私たちがしている会話は、まずキャッチボールではないという認知。
アスペルガー症候群の人との会話は、私からみたら、
「大海原に一人ボートを浮かべて、鉛の玉を海底に落とすようなものです」
アスペ嫁は、海底をマイペースで動き回ってます。こちらはなんとかピンポイントに
相手のいる場所へ鉛の玉を落とすのですが、鉛ですからね。野球ボールじゃ無いんですよ。
「投げ返せば良いだけなのに!」というのは野球ボールだと思うから。
海底にいるアスペ嫁は、自由気ままにふらふらと浮遊してます。
気圧も違うのに平気で生きていますし、私たちとは違った五感の世界です。
鉛の玉が落ちてきたのには気づいているのです。
気づいてはいるのですが、結局返す気が無いわけでも悪気も無いのですが、
重すぎて海面まで上げることが出来ない。その結果海底に置き去りにしてしまう。
こんなイメージなのでは無いかと思います。
アスペ嫁からすると、上からボンボンと鉛の玉をなげられて、それをかえすどころか
今度は逃げることに必死になってもう返すことなど出来ないんです。
本人は自分を守ることで精一杯ですから、返事が出来ないことに悪気もありませんし、
鉛が落ちてこなければ、ホッと安心して、またふらふらと浮遊を始めます。
このぐらいすんでいる場所や完成が違うということを自分でインプットしておかないと、
結局は、こちらのいう野球ボールでのキャッチボールをいつまでも求め続けて
しまい、満たされない気持ちをよりえぐってしまうことになるでしょう。
ちなみに私は今日も鉛の玉をぶん投げましたが…^^
2015年10月20日
アスペ嫁の頭の中は大混乱!?料理することが苦手な3つの理由
ものや食べ物があふれている現代では、
毎日の生活で、食事をするということがどうしても
当たり前に感じてしまうことが多いです。
人間は欲の塊とも言えますから^^あたりまえなことは、
より自分の欲求を満たそうと、欲が出てくるところもあります。
もの凄い美味しいものを食べることが出来ても、毎日同じ物を
食べていれば、たいていのひとは飽きが来るでしょう。
アスペ嫁には、その感覚が薄いようで、2週間でも1ヶ月でも
自分が好きだと思ったものは食べ続けることが出来るそうです(本人談)
比喩表現として、
「これが山盛り毎日食べることが出来たら幸せだな!」なんて
つかうことってありますけど、アスペ嫁の場合比喩ではないのです^^
そんな、アスペ嫁が料理が上手く出来ないのには3つの理由があります。
〇複数のことを同時にこなさなくてはいけない。
これは、料理が好きでない私が料理をはじめて感じたことでもありますが、
料理ってほとんどが同時進行であることが多いです。しかも下ごしらえしたり、
先のことを考えながら行動する必要もあるので、実はかなり頭を使うんです。
いつも美味しい料理を作ってくれる奥様がいる場合は、それだけで幸せですよ^^
野菜の皮をむきながら、お湯を沸かして、食材を解凍しながら、レンジで下ごしらえ…
とにかく、手際と順序が大切になってくるのでしょうが、アスペ嫁にとっては
かなり脳がオーバーヒートしながら取り組むことになります。
ただ、例外側として、自分の頭にインプットされてしまった物は早く作れるように
なります。それは特定の物になりますけど。
〇味覚障害があるからか味が安定しない。想像できない。
おいしくない料理を作ってしまうのは、「味見をしていないからだ!」と私は思っていたので、
味見をお願いしつづけていたわけですが、全く変わらず、味噌汁の味ですら毎回ととのわないのです。
だしからとっているわけでもなく、だし入りの味噌を溶いて調整するだけなのに、これが
安定しません。他の複雑な料理ならなおさらですね^^
ある日、私が調理しているときにアスペ嫁に味見をさせてみたのですが、
もの凄く味が両極端の時でないと、他は全部同じような味に感じるようだという
話をしていました。そして結果的に分からないから、適当になるのだそうです。
分からないなら、レシピ通りの分量で作っていれば良いのですが、
面倒になってしまうのか、鬼のような目分量になってしまうことが多いです。
味音痴が、目分量で作っていれば、この味になるのも納得です^^
〇冷蔵庫の中を整理できない
冷蔵庫の中の整理って結構大変です。わたしも好きでは無いです。
ただ、きれいにする事は出来ます。アスペ嫁は、前に話したとおり、
賞味期限や、消費期限をみて食材を使うという発想がありませんので、
基本的に、冷蔵庫を開けて目の前にあるものから使うことが多いわけです。
自分があまり使わない食材や、どう処理して良いか分からない野菜は、
自然に冷蔵庫の奥に押し込められていくのです。
そして、あるにもかかわらず、気づかず買ってきたり、
「ないない」と大騒ぎをしたりは日常茶飯事。
その結果、整理は出来ないうえに、野菜は腐る。食品の期限はきれるで大慌て。
一般の主婦であれば、多少賞味期限や消費期限が切れても自分の味覚でつかえるかを
判断できると思いますが、味覚障害もありますから、それも無理。
平気でわるくなっている物を出すこともありますから、
私や家族からすると「賞味危険」になります^^
【送料無料】 アスペルガーの男性が女性について知っておきたいこと / マクシーンアストン 【単...
料理だけでなく、家事全般は、併行して行われることが多く、
当たり前のように毎日こなしているお母様方が多いわけですが、
これは、実際ものすごくたいへんなことなんですよ。
ですから、主婦でやっている人は本当にすごいことを毎日こなしている
のだと思って下さい。そして、その能力があるのだと。
結婚するなら、相手の胃袋をつかめとは昔の人はうまいことをいったものです。
本当その通りだと思います。毎日おいしいご飯が食べられる。これは作ってくれる
人が目では見えない工夫を日々してなりたっているものなので、こころをこめて
「いただきます」と感謝の気持ちを伝えていきたいですね。
毎日の生活で、食事をするということがどうしても
当たり前に感じてしまうことが多いです。
人間は欲の塊とも言えますから^^あたりまえなことは、
より自分の欲求を満たそうと、欲が出てくるところもあります。
もの凄い美味しいものを食べることが出来ても、毎日同じ物を
食べていれば、たいていのひとは飽きが来るでしょう。
アスペ嫁には、その感覚が薄いようで、2週間でも1ヶ月でも
自分が好きだと思ったものは食べ続けることが出来るそうです(本人談)
比喩表現として、
「これが山盛り毎日食べることが出来たら幸せだな!」なんて
つかうことってありますけど、アスペ嫁の場合比喩ではないのです^^
そんな、アスペ嫁が料理が上手く出来ないのには3つの理由があります。
〇複数のことを同時にこなさなくてはいけない。
これは、料理が好きでない私が料理をはじめて感じたことでもありますが、
料理ってほとんどが同時進行であることが多いです。しかも下ごしらえしたり、
先のことを考えながら行動する必要もあるので、実はかなり頭を使うんです。
いつも美味しい料理を作ってくれる奥様がいる場合は、それだけで幸せですよ^^
野菜の皮をむきながら、お湯を沸かして、食材を解凍しながら、レンジで下ごしらえ…
とにかく、手際と順序が大切になってくるのでしょうが、アスペ嫁にとっては
かなり脳がオーバーヒートしながら取り組むことになります。
ただ、例外側として、自分の頭にインプットされてしまった物は早く作れるように
なります。それは特定の物になりますけど。
〇味覚障害があるからか味が安定しない。想像できない。
おいしくない料理を作ってしまうのは、「味見をしていないからだ!」と私は思っていたので、
味見をお願いしつづけていたわけですが、全く変わらず、味噌汁の味ですら毎回ととのわないのです。
だしからとっているわけでもなく、だし入りの味噌を溶いて調整するだけなのに、これが
安定しません。他の複雑な料理ならなおさらですね^^
ある日、私が調理しているときにアスペ嫁に味見をさせてみたのですが、
もの凄く味が両極端の時でないと、他は全部同じような味に感じるようだという
話をしていました。そして結果的に分からないから、適当になるのだそうです。
分からないなら、レシピ通りの分量で作っていれば良いのですが、
面倒になってしまうのか、鬼のような目分量になってしまうことが多いです。
味音痴が、目分量で作っていれば、この味になるのも納得です^^
〇冷蔵庫の中を整理できない
冷蔵庫の中の整理って結構大変です。わたしも好きでは無いです。
ただ、きれいにする事は出来ます。アスペ嫁は、前に話したとおり、
賞味期限や、消費期限をみて食材を使うという発想がありませんので、
基本的に、冷蔵庫を開けて目の前にあるものから使うことが多いわけです。
自分があまり使わない食材や、どう処理して良いか分からない野菜は、
自然に冷蔵庫の奥に押し込められていくのです。
そして、あるにもかかわらず、気づかず買ってきたり、
「ないない」と大騒ぎをしたりは日常茶飯事。
その結果、整理は出来ないうえに、野菜は腐る。食品の期限はきれるで大慌て。
一般の主婦であれば、多少賞味期限や消費期限が切れても自分の味覚でつかえるかを
判断できると思いますが、味覚障害もありますから、それも無理。
平気でわるくなっている物を出すこともありますから、
私や家族からすると「賞味危険」になります^^
【送料無料】 アスペルガーの男性が女性について知っておきたいこと / マクシーンアストン 【単...
料理だけでなく、家事全般は、併行して行われることが多く、
当たり前のように毎日こなしているお母様方が多いわけですが、
これは、実際ものすごくたいへんなことなんですよ。
ですから、主婦でやっている人は本当にすごいことを毎日こなしている
のだと思って下さい。そして、その能力があるのだと。
結婚するなら、相手の胃袋をつかめとは昔の人はうまいことをいったものです。
本当その通りだと思います。毎日おいしいご飯が食べられる。これは作ってくれる
人が目では見えない工夫を日々してなりたっているものなので、こころをこめて
「いただきます」と感謝の気持ちを伝えていきたいですね。
2015年10月19日
「おいしい」といわれると毎日でもおなじものをつくるアスペ嫁。
アスペ嫁は、以前からお伝えしているように料理が苦手です。
これは得手不得手もあるので、家の場合は、まだつくろうと
努力はしてくれる(本人の中での話ですが)というだけよいの
かもしれませんけど……
苦手という表現は、適切では無いかもしれないのは、
あくまでも「私から見て」苦手だと思うからです。
本人は作ったものは美味しいと思って食べていることがおおいです。
私も料理が得意なわけではありませんが、その自分があじわっても
お世辞にもおいしいとはいえないこともおおく毎日の生活では
困ってしまうところでもあります。
現在は、私が作れるときはつくっているので少し問題解決してますがね。
アスペ嫁の厄介なところは、「おいしい!」といわれると次の日からその料理の
オンパレードになることが多いという危険をはらんでいます。
子どもは、味覚にはまだまだ鈍感ではありますが、毎日食べるものですから
感想って素直に言うじゃないですか。
そして、子どもは「味が濃い」ものを美味しいと感じる節もあるようで、
「味が濃い」=「おいしい」とだれかしらが口に出してしまうことがあるんです。
子ども「ママ、これおいしかったよ!」
嫁「本当!?じゃあ明日も作ってあげるね」
ここまでは良いと思うのですが、私が味見をしてみると、
ちょっと眉間にしわを寄せてしまうような味付けです。
ストップをかけない限り、1週間ぐらい平気で同じメニューになることはざらなのです。
「おいしい」という言葉をそのまま等身大にしか受け取れていない証拠ですね。
私「もう、いい加減3日連続だから変えたら?」と言わないと、やめません。
私「どうして毎日同じにするのよ?」と聞けば、
嫁「だって、みんな美味しいっていってるから!」と、
みんなが美味しいとはいっていないのに、「おいしい」しか頭に残っていないんです。
そして、アスペ嫁の味覚中枢には、毎日同じものを食べ続けると
人間は、そのうちに「飽きてくる」という感覚が非常に薄いのです。
それゆえ、こういう行動が出来てしまうともいえます。
結婚して2人で生活を営んでいるときや新婚早々のときは、
私自身もかなりアスペ嫁に対して尊重していたのでしょう。
傷つけないようにと、おいしくなかったとしても「おいしい」といって
いたのですが、これは良い面と悪い面がありますね。
こういうことばが必要なときもあるでしょうが、
私は、この言葉でかなり胃袋に負担をかけました^^
この頃も流石に1週間近く同じメニューで止めてくれと行って
止めることが多く、おいしくないこともさることながら、
「同じ料理を連続して食べる」ということが苦痛になっていました。
こう考えるとやはり、アスペ嫁と生活する上では、いかにこちらが
良い点と悪い点をオブラートに隠さず、伝えることの重要性を感じます。
アスペ嫁は、本当まるで子育てと同じような感じなのです。
アスペ嫁と生活することは子育てのようで、子育てとは、子どもを育てているようで、
自分自身を育てていることでもありますから、結局、アスペ嫁との生活は、自分自身を
育てるためと考えてやっていくことが一番の近道なのでしょう。
キャベツのせん切り、できますか?
これは得手不得手もあるので、家の場合は、まだつくろうと
努力はしてくれる(本人の中での話ですが)というだけよいの
かもしれませんけど……
苦手という表現は、適切では無いかもしれないのは、
あくまでも「私から見て」苦手だと思うからです。
本人は作ったものは美味しいと思って食べていることがおおいです。
私も料理が得意なわけではありませんが、その自分があじわっても
お世辞にもおいしいとはいえないこともおおく毎日の生活では
困ってしまうところでもあります。
現在は、私が作れるときはつくっているので少し問題解決してますがね。
アスペ嫁の厄介なところは、「おいしい!」といわれると次の日からその料理の
オンパレードになることが多いという危険をはらんでいます。
子どもは、味覚にはまだまだ鈍感ではありますが、毎日食べるものですから
感想って素直に言うじゃないですか。
そして、子どもは「味が濃い」ものを美味しいと感じる節もあるようで、
「味が濃い」=「おいしい」とだれかしらが口に出してしまうことがあるんです。
子ども「ママ、これおいしかったよ!」
嫁「本当!?じゃあ明日も作ってあげるね」
ここまでは良いと思うのですが、私が味見をしてみると、
ちょっと眉間にしわを寄せてしまうような味付けです。
ストップをかけない限り、1週間ぐらい平気で同じメニューになることはざらなのです。
「おいしい」という言葉をそのまま等身大にしか受け取れていない証拠ですね。
私「もう、いい加減3日連続だから変えたら?」と言わないと、やめません。
私「どうして毎日同じにするのよ?」と聞けば、
嫁「だって、みんな美味しいっていってるから!」と、
みんなが美味しいとはいっていないのに、「おいしい」しか頭に残っていないんです。
そして、アスペ嫁の味覚中枢には、毎日同じものを食べ続けると
人間は、そのうちに「飽きてくる」という感覚が非常に薄いのです。
それゆえ、こういう行動が出来てしまうともいえます。
結婚して2人で生活を営んでいるときや新婚早々のときは、
私自身もかなりアスペ嫁に対して尊重していたのでしょう。
傷つけないようにと、おいしくなかったとしても「おいしい」といって
いたのですが、これは良い面と悪い面がありますね。
こういうことばが必要なときもあるでしょうが、
私は、この言葉でかなり胃袋に負担をかけました^^
この頃も流石に1週間近く同じメニューで止めてくれと行って
止めることが多く、おいしくないこともさることながら、
「同じ料理を連続して食べる」ということが苦痛になっていました。
こう考えるとやはり、アスペ嫁と生活する上では、いかにこちらが
良い点と悪い点をオブラートに隠さず、伝えることの重要性を感じます。
アスペ嫁は、本当まるで子育てと同じような感じなのです。
アスペ嫁と生活することは子育てのようで、子育てとは、子どもを育てているようで、
自分自身を育てていることでもありますから、結局、アスペ嫁との生活は、自分自身を
育てるためと考えてやっていくことが一番の近道なのでしょう。
キャベツのせん切り、できますか?
2015年10月18日
人やもの、環境に対して「期待」をあまりしなくなると、幸せが舞い込んでくる!?自動思考
私たちって日々の生活の中で、人やもの、環境など、なにかに「期待」をして、
生きているんですよね。この「期待」は自分の幸せとかなり深い関係があります。
ACの人の場合、こういう話をすると「期待をすること」は悪いことなの?
みたいに良いこと悪いことだけでしか判断しない、白黒思考がおこることがあります。
もちろん「期待をすること」が悪いことなんかではありません。
期待をしちゃったから、悪いことしちゃったといちいち落ち込む必要もありません。
逆に「期待をしないこと」が良いことということでもありません。
ACの頭の中は、良いことか悪いことかで判断する基盤が出来ていることが多く、
そして、自分は良いことをする人間でありたい、世間的に見て良い方の部類で
周りから見られて、評価もされたいという感覚が潜在的にありますから、
「良いか悪いかはっきりしないこと」をもの凄くイライラしてストレスを
感じてしまうものでもあります。
でも、世間は、白でも黒でも無いグレーなことが思った以上に多く、
そう言うグレーな世界の中で、白だけを求めて生活しているため
どうしても、理想と現実とのギャップに生きづらさを感じたりしてしまうのです。
「期待」はしてもいいのでしょうが、ACの良くないところをいえば、
「期待しすぎる」ということでしょうか。「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、
過剰な期待は、自分の幸せな感覚を紡いでしまいかねないのです。
「自動思考」という言葉は、自分がアダルトチルドレンであると気づいてから、
学習した言葉です。その名の通り、自動的に思いつく思考のことですが、
自分では全く気づいていなかったと言っても過言ではありません。
自分の気分や機嫌は、最終的には自分の脳みそが判断を下すわけで、
その大役をかっているのが「自動思考」でもあります。
勝手に高い目標や期待をしてしまうのも自動思考が潜在的にしているので、
口では、期待していないといっても脳みそでは期待しちゃっているわけです。
そして、期待通りにならないことが多いわけですから、結果的に幸せでなく
不満が積もっていく生活になりやすいとも言えます。
そもそも「期待」って、「自分が思ったようになってもらいたい」という
部分が多分に含まれている利己的な一面という見方も出来ます。
ACは、自分の成功基準や理想という妄想を高く置いていることが多いですから、
そのたかーい目標を満たさないと、幸せはやってこないのです。
ですから、
夫婦なんだから、しっかりお互い話し合いが出来て、お互い愛し合っていて、
親子のコミュニケーションもバッチリで、子供は反抗もしない聞き分けの良い子で、
家族の皆が尊重し合いながら毎日暮らせたら良いなぁ…なんてたっかい期待をすれば、
それを満たすことはまずないですから、幸せな気持ちよりも、満たされなかった不幸な
気持ちで頭が占有されるわけです。
過剰に期待をしてしまうのは、どこか現実を直視できていないことでもあります。
アスペ嫁は、今この瞬間を生きていますが、
AC夫である私は、過去の後悔や失敗と、未来の不安の中で生きています。
「こうであったらいいなぁ」という気持ちで占有されやすいのかもしれません。
そして、そう思っているうちは、現実のことを考えなくてすむ自己防衛になってい
るともいえます。
現実を等身大で直視するということができずに、自動思考が妄想へといざない、
自分がこれ以上傷つかないようにしているのです。
ですから、「期待をしない」ということに精を出すのでは無く、
良いと思うことも、悪いと思うことも、全てひっくるめて今現在の自分の置かれた
環境やなどをまず認知すると言うことが、幸せの第一歩なのかもしれません。
アスペ嫁は、いつまで経ってもアスペ嫁なのは変わらないでしょう。
でも、どこかで「私のことを今以上にわかってくれるようになるかも」という
期待がぬぐえないのです。これは自動思考がそうさせるので自分が悪いわけではありません。
「このぐらいやってくれても良いのに」
「私の気持ちも分かってくれても良いのに」
そう思うのは仕方が無いことなのですから、その気持ちは否定しないで下さい。
自分は寂しいという気持ちは事実なのです。でも現実はいくら寂しがっていたとしても、
相手が変わるわけでは無いという事実も少しずつ認知していく必要があります。
世の中にはパートナーだけが自分に幸せを与えてくれる人間ではありません。
我が子だから、1番に自分のことを思ってくれるわけでもありません。
人、もの、環境に期待を緩めていけると、そういったことに執着せず、
「今日はちょっと幸せな気持ちになれたかな?」という日もでてくるはずです。
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生きているんですよね。この「期待」は自分の幸せとかなり深い関係があります。
ACの人の場合、こういう話をすると「期待をすること」は悪いことなの?
みたいに良いこと悪いことだけでしか判断しない、白黒思考がおこることがあります。
もちろん「期待をすること」が悪いことなんかではありません。
期待をしちゃったから、悪いことしちゃったといちいち落ち込む必要もありません。
逆に「期待をしないこと」が良いことということでもありません。
ACの頭の中は、良いことか悪いことかで判断する基盤が出来ていることが多く、
そして、自分は良いことをする人間でありたい、世間的に見て良い方の部類で
周りから見られて、評価もされたいという感覚が潜在的にありますから、
「良いか悪いかはっきりしないこと」をもの凄くイライラしてストレスを
感じてしまうものでもあります。
でも、世間は、白でも黒でも無いグレーなことが思った以上に多く、
そう言うグレーな世界の中で、白だけを求めて生活しているため
どうしても、理想と現実とのギャップに生きづらさを感じたりしてしまうのです。
「期待」はしてもいいのでしょうが、ACの良くないところをいえば、
「期待しすぎる」ということでしょうか。「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、
過剰な期待は、自分の幸せな感覚を紡いでしまいかねないのです。
「自動思考」という言葉は、自分がアダルトチルドレンであると気づいてから、
学習した言葉です。その名の通り、自動的に思いつく思考のことですが、
自分では全く気づいていなかったと言っても過言ではありません。
自分の気分や機嫌は、最終的には自分の脳みそが判断を下すわけで、
その大役をかっているのが「自動思考」でもあります。
勝手に高い目標や期待をしてしまうのも自動思考が潜在的にしているので、
口では、期待していないといっても脳みそでは期待しちゃっているわけです。
そして、期待通りにならないことが多いわけですから、結果的に幸せでなく
不満が積もっていく生活になりやすいとも言えます。
そもそも「期待」って、「自分が思ったようになってもらいたい」という
部分が多分に含まれている利己的な一面という見方も出来ます。
ACは、自分の成功基準や理想という妄想を高く置いていることが多いですから、
そのたかーい目標を満たさないと、幸せはやってこないのです。
ですから、
夫婦なんだから、しっかりお互い話し合いが出来て、お互い愛し合っていて、
親子のコミュニケーションもバッチリで、子供は反抗もしない聞き分けの良い子で、
家族の皆が尊重し合いながら毎日暮らせたら良いなぁ…なんてたっかい期待をすれば、
それを満たすことはまずないですから、幸せな気持ちよりも、満たされなかった不幸な
気持ちで頭が占有されるわけです。
過剰に期待をしてしまうのは、どこか現実を直視できていないことでもあります。
アスペ嫁は、今この瞬間を生きていますが、
AC夫である私は、過去の後悔や失敗と、未来の不安の中で生きています。
「こうであったらいいなぁ」という気持ちで占有されやすいのかもしれません。
そして、そう思っているうちは、現実のことを考えなくてすむ自己防衛になってい
るともいえます。
現実を等身大で直視するということができずに、自動思考が妄想へといざない、
自分がこれ以上傷つかないようにしているのです。
ですから、「期待をしない」ということに精を出すのでは無く、
良いと思うことも、悪いと思うことも、全てひっくるめて今現在の自分の置かれた
環境やなどをまず認知すると言うことが、幸せの第一歩なのかもしれません。
アスペ嫁は、いつまで経ってもアスペ嫁なのは変わらないでしょう。
でも、どこかで「私のことを今以上にわかってくれるようになるかも」という
期待がぬぐえないのです。これは自動思考がそうさせるので自分が悪いわけではありません。
「このぐらいやってくれても良いのに」
「私の気持ちも分かってくれても良いのに」
そう思うのは仕方が無いことなのですから、その気持ちは否定しないで下さい。
自分は寂しいという気持ちは事実なのです。でも現実はいくら寂しがっていたとしても、
相手が変わるわけでは無いという事実も少しずつ認知していく必要があります。
世の中にはパートナーだけが自分に幸せを与えてくれる人間ではありません。
我が子だから、1番に自分のことを思ってくれるわけでもありません。
人、もの、環境に期待を緩めていけると、そういったことに執着せず、
「今日はちょっと幸せな気持ちになれたかな?」という日もでてくるはずです。
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