2015年10月22日
アスペ嫁の「やった」は、AC夫からするとほとんどが「やったつもり」
今日は、早朝から洗面所の掃除とトイレ掃除、ガスコンロ周辺の掃除を
してみたAC夫です。きれいになるって気持ちよいですね^^
日頃から綺麗に整えている方ではないので、私が腰を上げるということ
は、それほど酷い状態になっているともいえます。
「もう、いいかげんそろそろやらないとまずいな」と、
本当はこうなる前に、サイクル的にできるといいのですが、
掃除嫌いの私にはなかなか難しいものです。
その私以上に、掃除センスがゼロなのがアスペ嫁なのはよくご存知でしょうが、
一番困るのは、「平然と掃除をやった気でいる」ことです。
アスペ嫁は、自分が掃除が上手くできない割に、子どもに対しては、
「脱いだ物が散らかりっぱなし!」「かばんとか綺麗に片付いてない!」
なんて常に注意しているのです。常にですよ。開口一番「注意」がでますから、
子どもからすれば、辟易してしまいますよね。
いっているそばから、アスペ嫁の下着が散乱しているわ、バッグがつみかさなって
いるわ、自分のことは基本的に「棚に上げます」ので人のことしか目に入らないのでしょう。
今朝も、私があまりの汚さに掃除をし始めたのですが、最初はいつも
「なんでこんなこと俺がしなきゃいけないんだよ」と思ってしまうのですが、
最終的には、綺麗になったことで気持ちもリフレッシュ!ということで、
自分の気持ちをいいものとして終わることが出来るようになってきました。
・きれいになる⇒気持ちよくて爽快である。
・誰もやらない⇒仕方なく自分が嫌々やる。
どちらにしても結果は同じく綺麗になるのですが、心に残る
気持ちは雲泥の差になるので、やる場合はそうしようと心がけています。
ただ、一番いただけないのがアスペ嫁のちょっとしたひとことです。
今朝は、爽快感をじんわり味わっているところアスペ嫁がおきてきて、
「私、毎日トイレも洗面所も掃除してるんだけど?」
とか、いってくれてしまうので、テンションダウン。
どこをどうみたら、きれいにしたといえるのかわたしにはわかりませんが、
「やった」と言い張るアスペ嫁。
私からすれば、きれいになっていないわけですから、「やってないだろ!」という
話になるのですが、このやりとりになると、アスペ嫁と私のそもそもの論点が違うので
最終的に気持ちが悶々としてくるというのが本音でしょうか。
アスペ嫁を擁護するつもりはないですが、アスペ嫁視点で言うと、…
「便座カバーを変えた」⇒掃除をした。
「トイレットペーパーを変えた」⇒掃除をした。
「ちょっと気になるところを拭いた」⇒掃除をした。
こういうふうに1つでも自分がやっていれば、「やった」となります。
私からするとどう考えても「やったつもりになっているだけ」だと思うのですが、
本人も全くやっていないわけでは無いから、なかなか引き下がらないのがうっとうしい^^
アスペ嫁の場合を考察すると、話なんかでもそうですが、
1〜10まで話のないようがあるとすると、2割ぐらいしか頭に入っていません。
それゆえ、先走って失敗したり、内容が把握できて無くて自分のニュアンスで
色々と進めてしまって失敗したり、早合点となりやすいのです。
部分的にインプットして全体を分かった気になってしまうんです。
行動についても、ほぼ同じと思って良いでしょう。
例えば、2回以上行ったことがある場所については、
「よくいったことがある」という表現をします。
一般的な人からすると、2回はよくいったとはいいませんが、
本人からするとそうではないようです。
この流れで話すと分かるのでしょうが、掃除なんかも同じですよね、
1から10まで掃除の行程があるのであれば、そのうち1つでもやっていれば、
「やった」といいはります。たしかに間違いでは無いのですけど…。
私からすると、「やった」か「やっていない」ということでなく、
きれいな状態をキープできているかということが問題なはずなのですが、
視野が狭いからか、自分がやったとおもっているからかそこに視点は行かないのです。
愛情表現なんかもこの例と同じです。
うちの例ですが、1年前にくれたメールに「パパのこと大切だと思っています」
と書いたから、もう十分、大切だという気持ちは伝えたと^^
もうね、期待しちゃ駄目ですよ^^
こういう特殊な感覚があることどうしても日常生活では
耐えきれなくなることも多いと思います。一般的に考えたら、
こんな馬鹿な話無いですからね。
でも、パートナーがアスペだとすると、そんなことが多くなってしまうのは、
こういうことだからなのかもしれません。
片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術
してみたAC夫です。きれいになるって気持ちよいですね^^
日頃から綺麗に整えている方ではないので、私が腰を上げるということ
は、それほど酷い状態になっているともいえます。
「もう、いいかげんそろそろやらないとまずいな」と、
本当はこうなる前に、サイクル的にできるといいのですが、
掃除嫌いの私にはなかなか難しいものです。
その私以上に、掃除センスがゼロなのがアスペ嫁なのはよくご存知でしょうが、
一番困るのは、「平然と掃除をやった気でいる」ことです。
アスペ嫁は、自分が掃除が上手くできない割に、子どもに対しては、
「脱いだ物が散らかりっぱなし!」「かばんとか綺麗に片付いてない!」
なんて常に注意しているのです。常にですよ。開口一番「注意」がでますから、
子どもからすれば、辟易してしまいますよね。
いっているそばから、アスペ嫁の下着が散乱しているわ、バッグがつみかさなって
いるわ、自分のことは基本的に「棚に上げます」ので人のことしか目に入らないのでしょう。
今朝も、私があまりの汚さに掃除をし始めたのですが、最初はいつも
「なんでこんなこと俺がしなきゃいけないんだよ」と思ってしまうのですが、
最終的には、綺麗になったことで気持ちもリフレッシュ!ということで、
自分の気持ちをいいものとして終わることが出来るようになってきました。
・きれいになる⇒気持ちよくて爽快である。
・誰もやらない⇒仕方なく自分が嫌々やる。
どちらにしても結果は同じく綺麗になるのですが、心に残る
気持ちは雲泥の差になるので、やる場合はそうしようと心がけています。
ただ、一番いただけないのがアスペ嫁のちょっとしたひとことです。
今朝は、爽快感をじんわり味わっているところアスペ嫁がおきてきて、
「私、毎日トイレも洗面所も掃除してるんだけど?」
とか、いってくれてしまうので、テンションダウン。
どこをどうみたら、きれいにしたといえるのかわたしにはわかりませんが、
「やった」と言い張るアスペ嫁。
私からすれば、きれいになっていないわけですから、「やってないだろ!」という
話になるのですが、このやりとりになると、アスペ嫁と私のそもそもの論点が違うので
最終的に気持ちが悶々としてくるというのが本音でしょうか。
アスペ嫁を擁護するつもりはないですが、アスペ嫁視点で言うと、…
「便座カバーを変えた」⇒掃除をした。
「トイレットペーパーを変えた」⇒掃除をした。
「ちょっと気になるところを拭いた」⇒掃除をした。
こういうふうに1つでも自分がやっていれば、「やった」となります。
私からするとどう考えても「やったつもりになっているだけ」だと思うのですが、
本人も全くやっていないわけでは無いから、なかなか引き下がらないのがうっとうしい^^
アスペ嫁の場合を考察すると、話なんかでもそうですが、
1〜10まで話のないようがあるとすると、2割ぐらいしか頭に入っていません。
それゆえ、先走って失敗したり、内容が把握できて無くて自分のニュアンスで
色々と進めてしまって失敗したり、早合点となりやすいのです。
部分的にインプットして全体を分かった気になってしまうんです。
行動についても、ほぼ同じと思って良いでしょう。
例えば、2回以上行ったことがある場所については、
「よくいったことがある」という表現をします。
一般的な人からすると、2回はよくいったとはいいませんが、
本人からするとそうではないようです。
この流れで話すと分かるのでしょうが、掃除なんかも同じですよね、
1から10まで掃除の行程があるのであれば、そのうち1つでもやっていれば、
「やった」といいはります。たしかに間違いでは無いのですけど…。
私からすると、「やった」か「やっていない」ということでなく、
きれいな状態をキープできているかということが問題なはずなのですが、
視野が狭いからか、自分がやったとおもっているからかそこに視点は行かないのです。
愛情表現なんかもこの例と同じです。
うちの例ですが、1年前にくれたメールに「パパのこと大切だと思っています」
と書いたから、もう十分、大切だという気持ちは伝えたと^^
もうね、期待しちゃ駄目ですよ^^
こういう特殊な感覚があることどうしても日常生活では
耐えきれなくなることも多いと思います。一般的に考えたら、
こんな馬鹿な話無いですからね。
でも、パートナーがアスペだとすると、そんなことが多くなってしまうのは、
こういうことだからなのかもしれません。
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コメントありがとうございます。
近からず遠からずの近親者の場合は、大変さがまたちがうものがあるでしょうね。
私のように配偶者の場合は、血縁的には他人ですが、あまりにも頭にきたときは
不満を等身大でぶつけたり簡単にできる距離にいます。
親戚や兄弟となると、かならずしもそう簡単にはいかないでしょうし、
言ってわかるなら、とうに出来ているでしょうから、こちらは我慢ばかりで
不満や嫌悪感が蓄積していくばかりという悪循環になりそうですね。
のみ様の精神がすり減ってしまう前に距離を取ることが出来る環境なら、
そういったことも視野に入れていきたいですよね。相手は変わりませんから。
いつもコメント励みになります!ありがとうございます。
そこまでの気持ちに至るまでには相当の紆余曲折があったと思います。
それでも、今現在自分が出来る事を自分がなさっていると言うことは
本当にすばらしいことだと思います。
割り切り方は人それぞれだと思いますが、嫁がアスペ様を
私も見習わせてもらおうと思います。お話をしたらつきなそうですね^^
私は姉にADHD(幼少期は、軽め)、義兄にアスペルガー(共に確定診断は未)を持つ者です。
私自身は結婚していませんが、身内にこの障害を持つ人間が2人以上いると凄く厄介です。
「やった」「やってない」の問題、この障害の特有の認知のゆがみだと知っていても、一見普通の人に見える彼らに戸惑うばかりでした。この障害の事を知るまでは「何でこの人、普通の事が出来ないんだろう?」と思って見守っていましたが、知ってしまった今でも理解出来ない行動に振り回されっぱなしです。
他人であれば距離を置くという恰好の対策も功を奏すのですが…。度々、訪問させて頂き勇気を頂きにまいります。
全くこれも同じですね^^
私がこのエントリーを書いているのかとおもってしまいました(笑)
今朝も、「トイレが汚れているから掃除して」とおねがいしようかと
思いましたがやめました。自分でやった方が早いし、面倒も少ない。
もう、何も考えないで行動した方がいいのですよね。
今までは時々我慢できず本人に直接苦情を言っていましたが
もう完全にやめようと思っています。
どこかで話ができればいいや^^;;; って。
なので、時々訪問させていただきます。