2015年10月21日
アスペルガー症候群の人たちへのキャッチボールは鉛の玉。
アスペルガー症候群、自閉症スペクトラム、発達障害…
いやというほどこの言葉を検索して、必死に自分のパートナーのために
もしくは、自分の辛い気持ちをすこしでもまぎらわそうとしている人たち。
アスペルガーを配偶者に持った人でないと分からない何ともいえない
さみしさと、せつなさで毎日覆われてしまっているのですよね。
どんなに勉強しても100%理解するなんて事はできませんので、
まず100%を求めるのは止めましょう。
そこにゴールを置くと99%にたっしたとしても1%の不満で不幸な気持ちになります。
人によって発達障害のパートナーはなにが困るのかと聞かれれば、
「コミュニケーションの特異性」ということがメインになるのかとも思います。
ざっくりいえば、
「何考えているのか分からない」
「質問したのに返事が来ない」
「大切な話が真剣に意見交換できない」
どれも夫婦として、人間としては必要なことだと思いますが、
できないものは、できないんですね。
しかも、私たちが求める要素が大きく高い目標であることが多くそれが
余計に夫婦の溝や温度差を顕著な物にしてしまっていることになります。
おそらく、彼氏、彼女という間柄でたまにしかあわないという間柄のうちは、
それでも、何とかやり過ごすことができるかもしれません。
しかし、結婚、出産となると本当にガラッと生活体が変わってしまうのですよね。
子供に恵まれたとしても、恵まれなかったとしても一緒にいる時間が長くなれば
なるほど、健常者同士でも多少の摩擦は生まれます。
ですから、人の話を聞いているかきいていないか分からないような、パートナーですと、
もう、「自分が何のために一緒にいるのかが分からない」という状態に陥ります。
だって、本当は一緒に、家族のこと、夫婦のこと、子供のこと色んな話を
一緒に共有して、大切な話をしたいじゃないですか。
でも、私たちが思っているようにはどう転んでもなり得ないのでしょう。
アスペルガー症候群の人とのたとえで、キャッチボールをするという表現が出てきますが、
野球場でキャッチボールをするイメージなんかしちゃいけません。
それが普通だと思っているから、出来ない苦しさが増してきます。
〇私たちがしている会話は、まずキャッチボールではないという認知。
アスペルガー症候群の人との会話は、私からみたら、
「大海原に一人ボートを浮かべて、鉛の玉を海底に落とすようなものです」
アスペ嫁は、海底をマイペースで動き回ってます。こちらはなんとかピンポイントに
相手のいる場所へ鉛の玉を落とすのですが、鉛ですからね。野球ボールじゃ無いんですよ。
「投げ返せば良いだけなのに!」というのは野球ボールだと思うから。
海底にいるアスペ嫁は、自由気ままにふらふらと浮遊してます。
気圧も違うのに平気で生きていますし、私たちとは違った五感の世界です。
鉛の玉が落ちてきたのには気づいているのです。
気づいてはいるのですが、結局返す気が無いわけでも悪気も無いのですが、
重すぎて海面まで上げることが出来ない。その結果海底に置き去りにしてしまう。
こんなイメージなのでは無いかと思います。
アスペ嫁からすると、上からボンボンと鉛の玉をなげられて、それをかえすどころか
今度は逃げることに必死になってもう返すことなど出来ないんです。
本人は自分を守ることで精一杯ですから、返事が出来ないことに悪気もありませんし、
鉛が落ちてこなければ、ホッと安心して、またふらふらと浮遊を始めます。
このぐらいすんでいる場所や完成が違うということを自分でインプットしておかないと、
結局は、こちらのいう野球ボールでのキャッチボールをいつまでも求め続けて
しまい、満たされない気持ちをよりえぐってしまうことになるでしょう。
ちなみに私は今日も鉛の玉をぶん投げましたが…^^
いやというほどこの言葉を検索して、必死に自分のパートナーのために
もしくは、自分の辛い気持ちをすこしでもまぎらわそうとしている人たち。
アスペルガーを配偶者に持った人でないと分からない何ともいえない
さみしさと、せつなさで毎日覆われてしまっているのですよね。
どんなに勉強しても100%理解するなんて事はできませんので、
まず100%を求めるのは止めましょう。
そこにゴールを置くと99%にたっしたとしても1%の不満で不幸な気持ちになります。
人によって発達障害のパートナーはなにが困るのかと聞かれれば、
「コミュニケーションの特異性」ということがメインになるのかとも思います。
ざっくりいえば、
「何考えているのか分からない」
「質問したのに返事が来ない」
「大切な話が真剣に意見交換できない」
どれも夫婦として、人間としては必要なことだと思いますが、
できないものは、できないんですね。
しかも、私たちが求める要素が大きく高い目標であることが多くそれが
余計に夫婦の溝や温度差を顕著な物にしてしまっていることになります。
おそらく、彼氏、彼女という間柄でたまにしかあわないという間柄のうちは、
それでも、何とかやり過ごすことができるかもしれません。
しかし、結婚、出産となると本当にガラッと生活体が変わってしまうのですよね。
子供に恵まれたとしても、恵まれなかったとしても一緒にいる時間が長くなれば
なるほど、健常者同士でも多少の摩擦は生まれます。
ですから、人の話を聞いているかきいていないか分からないような、パートナーですと、
もう、「自分が何のために一緒にいるのかが分からない」という状態に陥ります。
だって、本当は一緒に、家族のこと、夫婦のこと、子供のこと色んな話を
一緒に共有して、大切な話をしたいじゃないですか。
でも、私たちが思っているようにはどう転んでもなり得ないのでしょう。
アスペルガー症候群の人とのたとえで、キャッチボールをするという表現が出てきますが、
野球場でキャッチボールをするイメージなんかしちゃいけません。
それが普通だと思っているから、出来ない苦しさが増してきます。
〇私たちがしている会話は、まずキャッチボールではないという認知。
アスペルガー症候群の人との会話は、私からみたら、
「大海原に一人ボートを浮かべて、鉛の玉を海底に落とすようなものです」
アスペ嫁は、海底をマイペースで動き回ってます。こちらはなんとかピンポイントに
相手のいる場所へ鉛の玉を落とすのですが、鉛ですからね。野球ボールじゃ無いんですよ。
「投げ返せば良いだけなのに!」というのは野球ボールだと思うから。
海底にいるアスペ嫁は、自由気ままにふらふらと浮遊してます。
気圧も違うのに平気で生きていますし、私たちとは違った五感の世界です。
鉛の玉が落ちてきたのには気づいているのです。
気づいてはいるのですが、結局返す気が無いわけでも悪気も無いのですが、
重すぎて海面まで上げることが出来ない。その結果海底に置き去りにしてしまう。
こんなイメージなのでは無いかと思います。
アスペ嫁からすると、上からボンボンと鉛の玉をなげられて、それをかえすどころか
今度は逃げることに必死になってもう返すことなど出来ないんです。
本人は自分を守ることで精一杯ですから、返事が出来ないことに悪気もありませんし、
鉛が落ちてこなければ、ホッと安心して、またふらふらと浮遊を始めます。
このぐらいすんでいる場所や完成が違うということを自分でインプットしておかないと、
結局は、こちらのいう野球ボールでのキャッチボールをいつまでも求め続けて
しまい、満たされない気持ちをよりえぐってしまうことになるでしょう。
ちなみに私は今日も鉛の玉をぶん投げましたが…^^
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コメントありがとうございます。
かさんドラゴンというネームいいですね。火山ドラゴンのように炎を
まき散らしたくなる気持ちで私は生活してます^^
ある意味アスペパートナーを持つ人の登竜門と言われる「うつ」まで
闘病されて本当に大変なことだろうと思います。
過去と他人は変えられないという言葉があるように、終わったことは
変えられませんから、考えるだけ病気を悪化させるだけだと思います。
私もなんども「この人と結婚していなければ…」なんて思いましたが、
結婚している事実は変わりません。最悪、私は離婚をすると言うことも
選択に入れて生活をしています。
「絶対離婚しないで良い家庭を」何て思っているとそれが重荷になり、
家族のため、子どものため、嫁のためとかいって自己犠牲で自分をいため
付けることが目に見えているので、自分のために生きることが出来るよう
少しずつシフトしている最中です。
ACや共依存という関係がより離れにくくしていることもありますから、
私たちが頑張りすぎれば頑張りすぎるほど、自分が傷つくことになります。
もうこれ以上無理して頑張りすぎなくて良いのだと思いますよ。
病気になってしまうのは、毎日オーバーヒート状態で生活しているからだと
私は、精神科医によく言われました。
カサンドラに片足を突っ込んだ状態で先はまだ見えず、診断などのことを考えると気が重いですが、自分だけではないんだ、と思うと、少し心が軽くなった気がします。もっと早くに知っていれば、鬱病にもならなかったのかも知れない、などと考えるのはもはや無意味なのでしょうね。
鬱病リハビリの読書が、まさか発達障害関連の本になるとは…。