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2016年01月21日
年末年始にかけて大掃除に大奮闘!あんなにきれいにしたのにもうぐちゃぐちゃ。(その1)
自分の身の回りを整理整頓しておくことは決して夫婦揃って得意ではありませんが、
やはり、すっきりきれいにした後は、気持ちが良く感じますね!
去年は年内に大掃除が終わらなかったために、年始から大掃除をしていました。
1週間ぐらい掛けて、少しずつやったのであまりイライラもせずできました。
断捨離という意味でも私にとっては掃除は自分の心を見直す役目になっているのかも。
たいてい掃除をするときは、孤独に黙々と私がやることになりますので、(掃除以外も孤独ですけどね^^)
手伝ったとしても子ども達が一緒にやってくれるぐらいです。肝心のアスペ嫁さんは、
普段はまったく掃除をしないのにもかかわらず、私がやっているときに限っては、
「手伝おうか?」なんてしつこくきいてきます。まあ、嫁なりに私へ気を遣っていること、
それも優しさのひとつなのでしょうが^^
心に相当余裕があるときは、手伝ってもらうのですが、そうでないときは、
どちらかというと、こちらの意思が伝わらない疎通が面倒になることが多いので、
「手伝わなくて良い!」と言ってしまうことが多いです。
私もひねくれていて、本当に手伝わなくて良いと思っているときと、気持ちに
余裕がないときなどは、「なにもいわなくても手伝うのが普通だろ?」っていう
気持ちに占有されてしまうことがあるので、この未熟さはなんとかしないといけないと思います。
アスペ嫁は、言葉通りにしか受け止めませんので、「手伝わなくて良い!」というと、
まったく手伝わないで、ぽけーっと座っています。もちろん、本人は手伝わなくて良いといわれた
ことを従順に守っているわけだから、もし私が手伝ってもらいたければ、「手伝って」といえば良いだけの話。
ただ、ここで具体的に言わないと作業ができないのがアスペ嫁の最大の難点です。
頼めば、「いやだとか、えーとか」言わないところはアスペ嫁の良いところです。
こちらが指示をすれば動こうとしてくれるわけですから、この点は感謝しないといけません。
しかし、こちらが思っているような掃除っぷりを期待してはいかんのです。
手伝おうか?としつこい場合は、「じゃあ、〇〇の掃除をおねがいね」と依頼するのですが、
終わった後を見ると、一体どこを掃除してくれたのだろうとおもうぐらいにきれいになっていないのです。
結局私がすべてやって自己満足するのですが、本人は、「掃除した、手伝った」という事実が脳に残っているので、
これを「どこが掃除できてるんだよ?全然きれいじゃない!」と問い詰めると固まってしまいます。
大人だからとか、家族だからとかこちらの物差しで判断せず、上手く出来ないことは、
無理に期待してお願いしない方が良いです。もしお願いするにしても結果を期待せず、
行動しようと思ってくれたことを感謝するぐらい広ーい心を持たないと、婚姻関係も持ちません。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
やはり、すっきりきれいにした後は、気持ちが良く感じますね!
去年は年内に大掃除が終わらなかったために、年始から大掃除をしていました。
1週間ぐらい掛けて、少しずつやったのであまりイライラもせずできました。
断捨離という意味でも私にとっては掃除は自分の心を見直す役目になっているのかも。
たいてい掃除をするときは、孤独に黙々と私がやることになりますので、(掃除以外も孤独ですけどね^^)
手伝ったとしても子ども達が一緒にやってくれるぐらいです。肝心のアスペ嫁さんは、
普段はまったく掃除をしないのにもかかわらず、私がやっているときに限っては、
「手伝おうか?」なんてしつこくきいてきます。まあ、嫁なりに私へ気を遣っていること、
それも優しさのひとつなのでしょうが^^
心に相当余裕があるときは、手伝ってもらうのですが、そうでないときは、
どちらかというと、こちらの意思が伝わらない疎通が面倒になることが多いので、
「手伝わなくて良い!」と言ってしまうことが多いです。
私もひねくれていて、本当に手伝わなくて良いと思っているときと、気持ちに
余裕がないときなどは、「なにもいわなくても手伝うのが普通だろ?」っていう
気持ちに占有されてしまうことがあるので、この未熟さはなんとかしないといけないと思います。
アスペ嫁は、言葉通りにしか受け止めませんので、「手伝わなくて良い!」というと、
まったく手伝わないで、ぽけーっと座っています。もちろん、本人は手伝わなくて良いといわれた
ことを従順に守っているわけだから、もし私が手伝ってもらいたければ、「手伝って」といえば良いだけの話。
ただ、ここで具体的に言わないと作業ができないのがアスペ嫁の最大の難点です。
頼めば、「いやだとか、えーとか」言わないところはアスペ嫁の良いところです。
こちらが指示をすれば動こうとしてくれるわけですから、この点は感謝しないといけません。
しかし、こちらが思っているような掃除っぷりを期待してはいかんのです。
手伝おうか?としつこい場合は、「じゃあ、〇〇の掃除をおねがいね」と依頼するのですが、
終わった後を見ると、一体どこを掃除してくれたのだろうとおもうぐらいにきれいになっていないのです。
結局私がすべてやって自己満足するのですが、本人は、「掃除した、手伝った」という事実が脳に残っているので、
これを「どこが掃除できてるんだよ?全然きれいじゃない!」と問い詰めると固まってしまいます。
大人だからとか、家族だからとかこちらの物差しで判断せず、上手く出来ないことは、
無理に期待してお願いしない方が良いです。もしお願いするにしても結果を期待せず、
行動しようと思ってくれたことを感謝するぐらい広ーい心を持たないと、婚姻関係も持ちません。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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2016年01月20日
体は立派な大人になっても、年齢ともに精神が成熟していくとは限らない。(その3)
⇒体は立派な大人になっても、年齢ともに精神が成熟していくとは限らない。(その1)
⇒体は立派な大人になっても、年齢ともに精神が成熟していくとは限らない。(その2)の続きです。
私はまさにこの逆ばかりをやってしまい自己嫌悪に至るわけですが^^
・言うことをきかないと、不安感を煽る、脅す、怖がらせる。
・言うことをきかないと、ケチョンケチョンに感情的に叱る。
・褒めるよりも、だめ出しをするか、注意ばかりを繰り返す。
・自分が未熟なのに、うまくいかないのは子どもや嫁のせいにする。
心の栄養素を与えるどころか、心に対するネグレクトとでも言いましょうか、
食べ物を与えなければ、人間は餓死して死んでしまいます。もちろん誰が見ても
虐待であることは顕著です。もし、心も成長するのに栄養素が必要だとすれば、
その栄養素を与えず、言うことをきいたときだけ与えていたら…
冷静に考えれば、どちらも酷い虐待であることが分かるのではないでしょうか。
心の成長や成熟度合いは、実際ひとめでは分からないことが多く、体は健康に
みえても心の栄養素不足の飢えで、心が餓死寸前の子どももたくさんいるのでしょう。
こういう状態で、いくら大人になろうが、社会的な肩書きを手に入れようが、老人になろうが、
自分で何が原因なのか気づくことができなければ、心の飢えは無視されたまま、抑圧された
ままいつかどこかで爆発することになります。
私が子どもに対してどうしてしっかり子育てができないのか?と悩みましたが、
結局子育ての本だけを漁って良い情報の収集をするわけです。
子育ての仕方を学ぶことも非常に大切なのですが、
それ以前に私自身が心の飢えを持ったまま大人になって
しまったACなのだという自覚が足りなかったという点が一番大きいのです。
ACだと気づいたからと言って、次の日から意識することはできても、
うまく自分の感情をコントロールすると言うことは簡単にはできません。
年齢が上であればあるほど、考え方の癖を直すと言うことは非常に厄介です。
しかし、そんな自分自身と向き合えないような親であれば、子どもに安心感や
自己肯定感の向上などを与えることなど到底無理なのです。
私自身に足りないエッセンスは、たくさんありますが強いて言うなら
「自分が思ったようにことが運ばなかったときにどういなすか」という点です。
いなすというのは、我慢すると言うことではないです。
そういう考え方もあるんだなと、理解はできなくても受け入れたり受け流したり、
まず肯定してみるという姿勢です。
私の場合は、自分が思うように行かなかったときどういう行動や発言に出るかを
客観的に考えてみましたが、至って短絡的な単細胞な人間でした^^
・感情的な怒りを相手にぶつけ、罵声を浴びせる。
・相手の古い傷跡を開いて塩を塗るような発言をする。
・相手の人格すらも否定するようなことを言う。
どれをとっても安心感ではなく、不安感を相手に与え自分も不安感を得るという行為。
まずは自分で自分を褒めて自己肯定感を向上することが必要なのに、それがうまくできず、
他人の自己肯定感を下げることが癖になっているというジレンマ。
楽しい家庭を築きたい!と妄想や理想でなく現実的に考えて覚悟があるのであれば、
まずは、自分がこういう発言や行動は止めていかないといけないと感じます。
「覚悟」が本当にできている人は、周りの声など気にならないはずです。
でも、それが気になってしまうと言うのは、やはりどこかでパートナーや子どもに
期待して依存している面がぬぐえないからだとも感じます。
今年は、悩む前にまずやってみる。失敗しても行動してみる。ということを
「覚悟」を持ってやっていきたいと思います。
【楽天ブックスならいつでも送料無料】アスペルガーの男性が女性について知っておきたいこと [ ...
⇒体は立派な大人になっても、年齢ともに精神が成熟していくとは限らない。(その2)の続きです。
私はまさにこの逆ばかりをやってしまい自己嫌悪に至るわけですが^^
・言うことをきかないと、不安感を煽る、脅す、怖がらせる。
・言うことをきかないと、ケチョンケチョンに感情的に叱る。
・褒めるよりも、だめ出しをするか、注意ばかりを繰り返す。
・自分が未熟なのに、うまくいかないのは子どもや嫁のせいにする。
心の栄養素を与えるどころか、心に対するネグレクトとでも言いましょうか、
食べ物を与えなければ、人間は餓死して死んでしまいます。もちろん誰が見ても
虐待であることは顕著です。もし、心も成長するのに栄養素が必要だとすれば、
その栄養素を与えず、言うことをきいたときだけ与えていたら…
冷静に考えれば、どちらも酷い虐待であることが分かるのではないでしょうか。
心の成長や成熟度合いは、実際ひとめでは分からないことが多く、体は健康に
みえても心の栄養素不足の飢えで、心が餓死寸前の子どももたくさんいるのでしょう。
こういう状態で、いくら大人になろうが、社会的な肩書きを手に入れようが、老人になろうが、
自分で何が原因なのか気づくことができなければ、心の飢えは無視されたまま、抑圧された
ままいつかどこかで爆発することになります。
私が子どもに対してどうしてしっかり子育てができないのか?と悩みましたが、
結局子育ての本だけを漁って良い情報の収集をするわけです。
子育ての仕方を学ぶことも非常に大切なのですが、
それ以前に私自身が心の飢えを持ったまま大人になって
しまったACなのだという自覚が足りなかったという点が一番大きいのです。
ACだと気づいたからと言って、次の日から意識することはできても、
うまく自分の感情をコントロールすると言うことは簡単にはできません。
年齢が上であればあるほど、考え方の癖を直すと言うことは非常に厄介です。
しかし、そんな自分自身と向き合えないような親であれば、子どもに安心感や
自己肯定感の向上などを与えることなど到底無理なのです。
私自身に足りないエッセンスは、たくさんありますが強いて言うなら
「自分が思ったようにことが運ばなかったときにどういなすか」という点です。
いなすというのは、我慢すると言うことではないです。
そういう考え方もあるんだなと、理解はできなくても受け入れたり受け流したり、
まず肯定してみるという姿勢です。
私の場合は、自分が思うように行かなかったときどういう行動や発言に出るかを
客観的に考えてみましたが、至って短絡的な単細胞な人間でした^^
・感情的な怒りを相手にぶつけ、罵声を浴びせる。
・相手の古い傷跡を開いて塩を塗るような発言をする。
・相手の人格すらも否定するようなことを言う。
どれをとっても安心感ではなく、不安感を相手に与え自分も不安感を得るという行為。
まずは自分で自分を褒めて自己肯定感を向上することが必要なのに、それがうまくできず、
他人の自己肯定感を下げることが癖になっているというジレンマ。
楽しい家庭を築きたい!と妄想や理想でなく現実的に考えて覚悟があるのであれば、
まずは、自分がこういう発言や行動は止めていかないといけないと感じます。
「覚悟」が本当にできている人は、周りの声など気にならないはずです。
でも、それが気になってしまうと言うのは、やはりどこかでパートナーや子どもに
期待して依存している面がぬぐえないからだとも感じます。
今年は、悩む前にまずやってみる。失敗しても行動してみる。ということを
「覚悟」を持ってやっていきたいと思います。
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2016年01月19日
体は立派な大人になっても、年齢ともに精神が成熟していくとは限らない。(その2)
⇒体は立派な大人になっても、年齢ともに精神が成熟していくとは限らない。(その1)の続きです。
自分自身も、子どもも、体は年齢相応に大きくなっていきます。
それは、毎日食べている食事から得た栄養を積み重ねて成長したたまものですね。
ここで結構勘違いが生じるんです。
体が順調に大きくなっていれば、子どもの心(精神状態)もどんどん成熟していって
いるのだろうという目線で親は子どものことを見るようになってくるのです。
もちろん、心も個人差はあれどたくさんの人間と出会い会話したり、成功したり失敗したり
して、成長していきます。当然、心にも体同様に栄養素が必要になるのです。
これを親は、体と連動しているという感覚で見ている人が多いので、
・もう小学生なのだからこのぐらいわかるでしょう?
・高校生なんだから善悪の判断がつくでしょう?
・成人したのだから、親の気持ちもわかるでしょう?
・30歳過ぎたのだから、40歳過ぎたのだからそんなの分かるでしょう?
みたいに、年齢やその人の与えられた肩書き的なものから、精神の成熟度合いを
勝手に決めつけてみてしまっていることが多いんです。
でも、実際はなかなか連動はしません。あくまでその常識だと思っている感覚は、
自分自身の脳はそうだと思っている価値感であるというだけで、その人が
年齢相応の成熟さを持っている保証なんてどこにもないのです。
・警察官でもとんでもない未熟な人間もいます。
・年配者でも厚顔無恥な人間もいます。
・銀行員でもお金にだらしない人もいます。
こうである、ふつうはこうだ!と思わせているのは自分の先入観や固定観念です。
こういうものは幼い頃の親の価値感が植え込まれることが多いんです。
世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えがあっていいんだ!という親の
考え方なら、子どもも視野が広い考え方ができるように心も育つでしょう。
子ども達の心の面も成長させて成熟させていくためには、やはり栄養素が必要です。
体には、バランスの良い食事が主な栄養素になるわけですが、心の栄養素とは
なんなのでしょうか。
・安心感
・自己肯定感を高める
・自尊心を傷つけない
・親自身が自分の未熟さを認知する
こんなことが大切なエッセンスになるのではないでしょうか。
それがわかっても、なかなか実行できないのは私たちがその方法を
親には教わっていないからです。自分で学んで、実習することが大切なんでしょうね。
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
自分自身も、子どもも、体は年齢相応に大きくなっていきます。
それは、毎日食べている食事から得た栄養を積み重ねて成長したたまものですね。
ここで結構勘違いが生じるんです。
体が順調に大きくなっていれば、子どもの心(精神状態)もどんどん成熟していって
いるのだろうという目線で親は子どものことを見るようになってくるのです。
もちろん、心も個人差はあれどたくさんの人間と出会い会話したり、成功したり失敗したり
して、成長していきます。当然、心にも体同様に栄養素が必要になるのです。
これを親は、体と連動しているという感覚で見ている人が多いので、
・もう小学生なのだからこのぐらいわかるでしょう?
・高校生なんだから善悪の判断がつくでしょう?
・成人したのだから、親の気持ちもわかるでしょう?
・30歳過ぎたのだから、40歳過ぎたのだからそんなの分かるでしょう?
みたいに、年齢やその人の与えられた肩書き的なものから、精神の成熟度合いを
勝手に決めつけてみてしまっていることが多いんです。
でも、実際はなかなか連動はしません。あくまでその常識だと思っている感覚は、
自分自身の脳はそうだと思っている価値感であるというだけで、その人が
年齢相応の成熟さを持っている保証なんてどこにもないのです。
・警察官でもとんでもない未熟な人間もいます。
・年配者でも厚顔無恥な人間もいます。
・銀行員でもお金にだらしない人もいます。
こうである、ふつうはこうだ!と思わせているのは自分の先入観や固定観念です。
こういうものは幼い頃の親の価値感が植え込まれることが多いんです。
世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えがあっていいんだ!という親の
考え方なら、子どもも視野が広い考え方ができるように心も育つでしょう。
子ども達の心の面も成長させて成熟させていくためには、やはり栄養素が必要です。
体には、バランスの良い食事が主な栄養素になるわけですが、心の栄養素とは
なんなのでしょうか。
・安心感
・自己肯定感を高める
・自尊心を傷つけない
・親自身が自分の未熟さを認知する
こんなことが大切なエッセンスになるのではないでしょうか。
それがわかっても、なかなか実行できないのは私たちがその方法を
親には教わっていないからです。自分で学んで、実習することが大切なんでしょうね。
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
2016年01月18日
体は立派な大人になっても、年齢ともに精神が成熟していくとは限らない。(その1)
私は、結婚して実際子どもができるまでは、子育てについてや、
親が子どもへ与える影響など漠然としか考えておりませんでした。
「子どもは2人は欲しいなぁ」
「子どもが生まれたら野球をやらせたいなぁ」
「最低でも大学は行かせてあげたいなぁ」
などなど、一般的な感覚ではこんなことを考えるのは別に悪いことでも
何でもないのですが、この発言から既に私が母親に植え付けられてしまった、
子どもを自分の思うようにコントロールしたいという欲求が垣間見えるんです。
こういうことを思っている分には何も害はなく問題ないです。
人それぞれ考え方は違うわけですから^^
しかし、この願望というか妄想というか自分の考えが思ったように必ずいくもの
でもないのが人生です。
・もしかしたら、結婚しても子宝に恵まれないかもしれない。
・子どもが1人しかできないかもしれない。
・子どもが野球が好きではないかもしれない。
・子どもは大学には別に行きたくないかもしれない。
自分が思っているライフスタイルを子どもや他人に対して押しつけるようになると、
それはもはや強制的もしくは、半強制的という言葉に変わってきます。
「僕は野球じゃなくて、サッカーやりたい!」といわれてすんなり我が子の考えを
受け入れられるか?
「僕は大学は行かないで就職したい!」といわれてその考えを尊重できるか?
私はそういうことが、1番上の子には全くできなかったように感じます。
俗に初めての子どもは、両親のさまざまな感情や希望が重くのしかかりすぎて、
子どもはそれがストレスとなるようなケースも多いらしいです。
・〇〇はこうすべきだ。
・〇〇はこうしなければならない。
ACの完璧主義的な自動思考の占有が強いほど、こういう感覚が自然にでます。
結果的に子どもの思考の選択を狭めてしまったことは、今反省しても反省し切れません。
1番上の子は、小学校高学年ですが、親の余計な押しつけがましい
価値感をふんだんに浴びて育ってしまったため、やたらと警戒心が強く、
本音がなかなか言えない抑制された種をかかえて成長することになりました。
気づいたときに取り除こうとしても、一度植え付けられたものを取り除くのは
簡単なことではありません。
子どもが増え、アスペルガー症候群などの発達障害という障害があることを
知ってからは、現在の考えに至るまで時間がかかりました。
家族の問題点は発達障害というパートナーや子どもの面も多分にありますが、
私の絶対正義のような決めつけるような発言や押しつけるような発言、自分が満たされないと
周りに当たってしまうという精神的に未熟な一面があるのだと思うようになりました。
まだ自分が未熟であると気づけただけ良かったのかもしれませんが^^
【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】ぼくはアスペルガーなお医者さん ...
親が子どもへ与える影響など漠然としか考えておりませんでした。
「子どもは2人は欲しいなぁ」
「子どもが生まれたら野球をやらせたいなぁ」
「最低でも大学は行かせてあげたいなぁ」
などなど、一般的な感覚ではこんなことを考えるのは別に悪いことでも
何でもないのですが、この発言から既に私が母親に植え付けられてしまった、
子どもを自分の思うようにコントロールしたいという欲求が垣間見えるんです。
こういうことを思っている分には何も害はなく問題ないです。
人それぞれ考え方は違うわけですから^^
しかし、この願望というか妄想というか自分の考えが思ったように必ずいくもの
でもないのが人生です。
・もしかしたら、結婚しても子宝に恵まれないかもしれない。
・子どもが1人しかできないかもしれない。
・子どもが野球が好きではないかもしれない。
・子どもは大学には別に行きたくないかもしれない。
自分が思っているライフスタイルを子どもや他人に対して押しつけるようになると、
それはもはや強制的もしくは、半強制的という言葉に変わってきます。
「僕は野球じゃなくて、サッカーやりたい!」といわれてすんなり我が子の考えを
受け入れられるか?
「僕は大学は行かないで就職したい!」といわれてその考えを尊重できるか?
私はそういうことが、1番上の子には全くできなかったように感じます。
俗に初めての子どもは、両親のさまざまな感情や希望が重くのしかかりすぎて、
子どもはそれがストレスとなるようなケースも多いらしいです。
・〇〇はこうすべきだ。
・〇〇はこうしなければならない。
ACの完璧主義的な自動思考の占有が強いほど、こういう感覚が自然にでます。
結果的に子どもの思考の選択を狭めてしまったことは、今反省しても反省し切れません。
1番上の子は、小学校高学年ですが、親の余計な押しつけがましい
価値感をふんだんに浴びて育ってしまったため、やたらと警戒心が強く、
本音がなかなか言えない抑制された種をかかえて成長することになりました。
気づいたときに取り除こうとしても、一度植え付けられたものを取り除くのは
簡単なことではありません。
子どもが増え、アスペルガー症候群などの発達障害という障害があることを
知ってからは、現在の考えに至るまで時間がかかりました。
家族の問題点は発達障害というパートナーや子どもの面も多分にありますが、
私の絶対正義のような決めつけるような発言や押しつけるような発言、自分が満たされないと
周りに当たってしまうという精神的に未熟な一面があるのだと思うようになりました。
まだ自分が未熟であると気づけただけ良かったのかもしれませんが^^
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2016年01月17日
アスペルガー症候群の受動型女性は、性欲に関係なく、性被害に遭いやすいのは当たっていると思う。(その2)
⇒アスペルガー症候群の受動型女性は、性欲に関係なく、性被害に遭いやすいのは当たっていると思う。(その1)のつづきです。
■アスペ嫁は性に興味はなく、子どもを作るための行為という認識
うちの嫁に関しては、性的なことにあまり関心はありません。セクシャルコンタクトが嫌い
というわけではないようですが、自分が体を触られても気持ちよいどころかくすぐったいだけ
なので、なぜ男性がこんなにねちっこく時間を掛けて体を触るのかが理解できないそうです。
男性にとっては、相手の反応を見たり、声を聞いたりすることが楽しかったりするのですが、
いわゆるマグロ状態になることが多くなるので、なんとも一体感がない性生活になるのです。
性に興味がない(本人談)アスペ嫁のタイプでも、性的な経験人数は結構多かったりします。
その理由は、なんとなく断り切れなくって…と言うのもあるかもしれませんが、どちらかというと
良いように相手のペースに流されてしまうからです。
前記事で、性的な被害に遭いやすいという内容がありましたが、まさにこれ。
特にセクシャルコンタクトを目的ではないのに、流れで体を重ねてしまう。
ちょっと女癖が悪いような人に引っかかれば、平気で操を明け渡してしまう感じです。
でも、決して軽いわけではないんです。
■性に興味がないはずなのに、流れで体を許してしまうという節操のなさ。
例えば、「美味しいディナーに行かない?」と男性に誘われた場合は、その男性が特に
嫌いでなければ、ホイホイとついて行ってしまいます。
「俺の手料理食べにおいでよ!」といわれれば簡単に男の部屋に行ってしまいますし…
一般的な大人の女性なら、一人で男性の部屋へ行くと言うことは、暗黙の了解で
体も許していると誤解を招かれるかもしれないということは考えるでしょう。
しかし、アスペ嫁は、〇〇くんはそういうことしないから絶対大丈夫だよとか言います^^
だから男が詐欺的に騙しのテクニックの人なら、簡単に騙されてしまうのです。
「他人とHはしちゃダメだよ!」といったとしても、昔ならHはしないけど、キスはしちゃった
とかそういうの結構後になって聞いたこともたくさんあります。
女性の扱いが上手な男性は、基本的に褒めるのが上手です。顔が格好良いというような
要素ももちろん大切なのでしょうが、アスペ嫁ようなタイプは、褒めることと、優しい言葉、
言葉の魔術的なものがあれば、簡単に気持ちだけでなく体もものにできちゃうでしょうね。
アスペルガー症候群で受動型の女性は、不思議ちゃんという現実離れした感性という魅力、
そして、比較的自分の言うことを否定せずにすんなり聞き入れて思うように賛同してくれる、
そんなところが、私にとっては自分のコンプレックスを刺激されず楽な関係だったのかもしれません。
このタイプは当然ですが、結婚したからといって、受動型が私たちにとって都合の良い
万能型や家庭型の人間には変わることはありません。それゆえ家族一体感というのを
味わいたい人にとっては私のように苦悩した毎日が待っていることでしょう。
しかし、その自分にはない発想や感性が面白い人間だなぁとおもって生活できる
人にとっては、楽しんだ生活というのもできるのだろうと思います。早くそうなりたいです^^
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