・台東区立旧東京音楽学校奏楽堂 一般300円
せっかくの機会なので朝倉彫塑館見学の後に行ってみた。京成上野駅から歩くと目的地は東京国立博物館へ向かう広場の左手の道にあった。奏楽堂ホールしか見学するものが無いのかと思っていたら玄関から入ると資料展示室があった。展示内容は以下の通りだ。
1)旧東京音楽学校と奏楽堂の歴史
2)奏楽堂移築と耐震改装の歴史
3)本居長世 音楽資料
4)東京芸術大学音楽学部卒の音楽家の足跡
参考:収蔵資料について
https://www.taitocity.net/zaidan/sougakudou/rekishi/collection/
奏楽堂の歴史とその展示物は明治時代の遺物をトーハクみたいに陳列しており余り興味をそそられるものはなかった。一方で手掛けた童謡を何曲も知りながら本居長世氏についてはまったく知らずその生涯に大いに興味を持った。
江戸時代の国学者本居宣長の子孫で幼いころに両親を病で失い、祖父母に育てられ国学を学ぶ。それでも音楽の道に進むと決意したと言うのだからなかなかドラマチックだ。
娘さん3人が美人なうえに歌唱力と舞踊に才能があり、父の作った童謡を歌いブームの立役者になったそうだ。関東大震災時の欧米からの援助のお礼として海外ツアーを行ったと言うのだからまるで日本のトラップ一家みたいだ。昭和に入り軍国主義台頭でブームが去り人々から忘れ去られた寂しい晩年を過ごしたと記載されていた。
NHK連続テレビ小説のモデルとして最適ではないかと思う生涯だ。本居氏本人か娘3人のうち1人を主人公にして海外ツアー出発まで描けば、懐かしい童謡が数多く流れるミュージカル風の楽しく華やかなドラマになるのではないかと思う。
参考:東京音楽学校出身の作曲家・本居長世。
https://artplaza.geidai.ac.jp/column/11937/
音楽学部卒の音楽家の足跡を見ると大正デモクラシーという機運に恵まれ活躍していたが、昭和時代の軍部台頭と経済不況で活躍の場が失われた様だ。一方で軍歌等を手掛けた人もいたとのこと。1929年の世界恐慌がなければ世界と日本の歴史は変わっただろうにと思う時代背景だ。
朝倉文夫氏が瀧廉太郎像を制作したと文面がありながら展示室に像本体がないと思ったら屋外とは気づかなかった。「台東区立朝倉彫塑館」見学後だったので見たかった。瀧氏は24歳前に結核で夭逝していて結核という病が恨めしい。
こちらもじっくり見ても1時間弱の展示内容だったが童謡の歴史を知ることが出来て大変面白かった。唯一残念なのは展示されていた楽曲を実際に聴けなかったことだ。楽譜を見てもどんな楽曲か思い出せないこともあるので音楽学部の学生が演奏したCDでも聴けたら良かったと思う。
15時半に奏楽堂を出て新宿マルイアネックス7Fに向かった。
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