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ミュシャ展

ミュシャ展私が尊敬してやまない“ミュシャ”の絵を観に東京都美術館へ行ってきましたー。
天気は頗る悪く、雨がパラついたり曇りに戻ったり、美術館へ入る人・出る人みながこの天気に右往左往している感じ。華やかなミュシャの絵とは正反対な天候だ。だがしかし、館内に入ってしまえばそんな天気具合は何処へやら!一歩踏み込めば、そこにはもう延々と広がるミュシャ・ワールドが…!
ミュシャと言えば、アールヌーボーの艶やかなイラストレーションが浮かぶけれど、どうもそれはミュシャのほんの一面だったらしい。油絵も描けば、宝飾品のデザインもする。
精細なデッサンがあればこそ!のイラストレーションの数々は、見ているだけで溜め息が…。
これぞ巨匠ミュシャの作品。
画集では味わえないビッグ・サイズの作品群に圧倒されてしまう。
この空間すべてがミュシャ・ミュシャ・ミュシャ!!!!………そんなミュシャでも初期の作品にはやはり若さを感じる。絵というのはどんどん成長していくものなんだと実感。
習作を描くときに、鉛筆・ペン・インク・クレヨン・ドローイング・木炭・チョークにパステル、水彩とそのときどきで何でも使ってしまうところには惚れます…。私もラクガキや下書きにはペン立てにささってる様々なペン(鉛筆・筆ペン・いろんな太さ、色のペン・サインペン・パステル・木炭…etc)をそのときどきの気分で使っているので、用具にこだわらない人が好き。いや、でもミュシャはそのときどきでいちばん良いと思われるモノを使っていたのかもしれないよな…。まあいいや、勝手に思い込み。
ミュシャの生まれはチェコ。生きている間に第一次大戦を経験している。
その頃はチェコ語学校のための資金収集キャンペーンポスターを作っていた。
ハプスブルク帝国でドイツ化政策が進み、公立学校ではドイツ語が採用されていたため。
このポスターはアールヌーボーの巨匠には似合わない程に暗い。宝くじのポスターだと書いてあったので何故こんなに暗いのかと思っていたらチェコのそういう逼迫している状況があったからだ。
第二次大戦は勃発前に亡くなったため第三帝国との関わりはない。1933年ヒトラーが首相となりナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)が台頭。1938年にスデーテン地方もドイツ領となった。ミュシャがもっと長生きしていたら、祖国のためにさらに色々なことをしたのだろうなあと思ってみたり。反戦運動でなくても何か…。
私が今回改めて、いちばん好きになった作品はプラハ時代に描かれた「アメリカでのクリスマス」(1919年油彩)。全体がふわふわしたイメージで、少女のふっくらした感じ、温かみ、清楚さがほんわかと伝わってくる。観ているとこっちまで幸せな気分になるのだ。少女自身はそんなに笑っているわけでもないのに、眺めていると笑顔のようにも見えてくる。不思議。惚れてしまうよ…(冗談)。
他の好きな作品をざざっと挙げると、
■「少女の頭部」(1900年ブロンズ・銀・金メッキ)
   これまで観た像の中でもこれがいちばん!
■「『ジスモンダ』のポスター」(1894年リトグラフ)
   淡い色合いと女性の目線が好き。
■「『愛人たち』のポスター」(1895年リトグラフ)
   人間の動きが最高。本当に生きているみたいだ。
■「12カ月の下絵」(1899年鉛筆・白のハイライト)
   完成品よりも下絵のが好きなのです。
■「黄道十二宮」(1896年リトグラフ)
   髪がアーチしているデザイン具合といい各星座といい女性の横顔、全体のバランス、色彩すべてが美しい。
■「ビザンティン風の頭部:ブロンド」(1897年リトグラフ)
   宝飾品の素晴らしさ、女性の横顔のラインの美しさが絶妙!
■「羽根」(1899年リトグラフ)
   全体のラインが好き。
……といった感じです。
【ミュシャのこと】
アルフォンス・ミュシャ −Alfons Mucha−
1860年(万延元年)7月24日チェコ(南モラヴィア)生まれ。
アール・ヌーヴォーの巨匠。ウィーン、ミュンヘンで学んだ後パリに出て数年の下積み時代を経験。
女優サラ・ベルナールのポスター「ジスモンダ」を制作し一躍有名になる。
ミュシャの作品なくしてはアール・ヌーヴォーは語れないとまで言われ、別名「ミュシャ様式」とも呼ばれている。
主な作品『ジスモンダ』、『四季』、『サロン・デ・サン』、『スラブ叙事詩』など。
1939年(昭和14年)7月14日没。

〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36

映画資料展「生誕100年 映画監督・成瀬巳喜男」

邦画はあまり観ないため、成瀬巳喜男氏の作品も失礼ながらほとんど知らず…。ご高名な事のみ承っておりますといったところだ(迂愚で申し訳ありません)。
今回、世田谷文学館で行われた「生誕100年 映画監督・成瀬巳喜男」は映画資料展なので、映画を撮ることに関して興味を持っている私にとっては興味津々な展示だった。
撮影台本やセットの図面、脚本、セットの再現などなど映画製作の様々な資料を目の前にし、心躍った。
映画製作の大変さが伝わってくる一方でその魅力も全身に染み渡ってくる。
ああ、何て素晴らしいんだろう…。
なかでも私の目に留まったのは映画のポスター。
当時はポスターは手描き。現在のように写真を加工してテキストを入れて…という作業とはまったく違う。文字もすべて手で描く。しかし、ひとつひとつのポスターに味があり、今のようなデジタル感たっぷりの勢いはないけれど、人物の精彩さや位置関係(配置?)、文字の感じ、全体の統一感、これらすべてをひっくるめて、とにかくデザイン性が非常に高い。アナログの凄味だ。
デジタルによるポスターが横行するなかで、アナログ感たっぷりのポスターを製作したら、もっと人の心を掴む作品が出来るのでは、なんて思ってしまう。
【成瀬巳喜男のこと】
1905年(明治38年)東京生まれ。
昭和5年『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。
主な作品『めし』、『おかあさん』、『稲妻』、『夫婦』、『妻』、『あにいもうと』、『山の音』、『晩菊』、『浮雲』
最後の作品『乱れ雲』、生涯に89本の映画を製作する。
1969年(昭和44年)7月2日没。

〒157-0062 東京都世田谷区南烏山1-10-10

おてがる海鮮コース

日本料理屋で“おてがる海鮮コース”なるものを注文しました。
タイトルは“おてがる海鮮コース”だけど今回の主題は別。
今回の主人公はとある仲居さんだ。

店自体は別段混んでいる様子もなかったのだが、私たちが座っていた椅子席側でなく奥の座敷に大人数が来ていたらしい。だがこの日、仲居さんは人が足りなかった模様。パタパタと大忙しだ。
そこにまたお客さんがやって来た。
「予約した田中ですが〜。」、
そしたらその仲居さん「ふぇ?田中??」と言って奥に戻ってしまった。
戻ったと思ったらすぐに出てきて「田中様、お待ちしておりました!」とおっしゃる…。
ついさっき「ふぇ?」と言ったはずなのに「お待ちしておりました!」はないだろう。
予約と聴いたら大抵はすぐに「お待ちしておりました。」と言うだろうにこの脱力感。
なんてお茶目な仲居さん!
私は仲居さんがその場を立ち去るまで笑いを堪えるのに精一杯だった。

この仲居さん、一風変わった人でその後も忙しいはずなのにちょこちょこと私たちの処へやってくる。で、私が頼んだコースのお櫃(ご飯)ではないのに、パカッと開けては「たくさん食べてくださいね!」と言う。お茶碗が一つ多いのはそのせいらしい(私のは別にご飯が付いているというのに)。
また少しすると「たくさん食べてくださいね!」とお櫃をパカッと開けて戻る。
そんなに大食漢に見えるのかな?
次に来たときは
「このフリカケ、かけて食べてくださいね!このフリカケはね、お味噌汁のために出汁をとったカツオの身を使って作ってるんですよ!出汁は出ちゃってるけど手作りだから美味しいの!ごはんにかけてたくさん食べてくださいね!!」
と宣ふ。
要は出汁とった後のカスで作ったってことじゃないかい?このフリカケ。
そこまで説明しちゃっていいのかい?
で、やっぱりご飯はたくさん食べなければいけないんですかい?
私のことをお譲ちゃんと連発するのだが、こう見えても二十代半ばなのだ。
成長真っ盛りに見えるのだろうか。。。
やっと私のご飯が運ばれてきた。
それを運んできた仲居さんは別の人。
「フリカケ、当店の手作りですのでぜひ召し上がってください。」
そうひと言残して去って行った。ん!これぞ正しい勧め方だ。
“カス・カツオのフリカケでござい!!”では食べる気なくなるもんなあ。
現に私たちは誰も“フリカケ”に手をつけなかった。
第一印象が悪すぎたのだ。

でもこの仲居さんは憎めない人。
我われの食事処に笑いを運んできてくれたとでも申しましょうか…。

アイ・アム・サム

『フォレスト・ガンプ』を観た時と同じような気分になってしまった。
サムは頑張っているのに…。
サムに対する感情移入やルーシーの気持ち、周りの人間の思いすべてが絡み合って自分の中で葛藤してしまう。リタ(ミシェル・ファイファー)が良い味だしていたので余計にいろいろと考えてしまった。
通常は子供の成長は嬉しいもの。
サムにとっても娘・ルーシーの成長は嬉しい。
でもルーシーは父より知能が高いという現実を受け入れたくない。周りはそんな二人を引き離そうとする。
ルーシーの成長にとっては二人を引き離すことがいちばん良いのかもしれない。
けれど、この親子の愛情を引き離すことが出来ようか…。そんなことは出来るわけがない。
ルーシーにとってパパはサムだけなのだ。
どうして二人の深い愛情・絆を大切にしてあげられないのだろう。
何がいちばん良いのかなんて当人たち以外誰にも決められないことではないか。
印象に残ったのはサプライズ・パーティーの場面。ルーシーの表情が特に忘れられない。
このパーティーでサムとルーシーの間に少し隔たりが出来たのではないかと思ってしまったからだ。
養父母の家からサムのところへ無断で何度も何度も行ってしまうルーシーを見れば取り越し苦労だが。
最終判決には心拍数が上がったがハッピー・エンドで良かった。
I am Sam 2001年アメリカ制作  goo 映画
【監督】ジェシー・ネルソン
【脚本】クリスティン・ジョンソン / ジェシー・ネルソン
【キャスト】
サム・ドーソン:ショーン・ペン
ルーシー:ダコタ・ファニング
リタ・ハリソン:ミシェル・ファイファー
 
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