2017年08月27日
30年以上ぶりの聖地
最後にあの聖地に足を踏み入れたのはいつだっただろう・・・
小学生時代、夏時期になるとそこに通い詰めた。
朝早く、学校帰り、稀にではあったが夜にも足を踏み入れた。
その多くは友人とだった。
初めて足を踏み入れた日の事は覚えていない。
だから、誰に教えられ、誰に連れて行ってもらったのか・・・
全く思い出せない。
その聖地の名は、通称「水牛山」。
物心ついた時からそこは「水牛山」だった。
クワガタを捕るならそこに行け・・・だった。
なぜ水牛山なのか・・・それは「ノコギリクワガタ」のあごの形が
水牛の角に似ているからだった。
すなわち、水牛と称されるノコギリクワガタは
比較的サイズの大きなノコギリクワガタであることの証でもあった。
そのノコギリクワガタの聖地として崇めていたのが「水牛山」だった。
その聖地に、30年以上ぶりに足を踏み入れた。
当時、自転車で乗り入れることが出来た砂利道には、膝上から腰下ぐらいの雑草が茂っていた。
聖地に入る前の最初の難関となった。
100mほどその雑草地帯を突き進むと、懐かしい光景が目に入った。
あの時のまま・・・とは感じなかった。
こんな感じだったかな・・・あぁ、そうだったかもしれない・・・
現地の人もあまり足を踏み入れていない・・・そんな印象を受けた。
そのせいだろうか・・・聖地は荒れていた。
子供の頃は、林に平行している石段の上を歩くことが出来たのだが、
生い茂った草木で歩行は困難となっていた。
スズメバチも多く飛び交っていたこともあり
殆ど入口付近で引き返した。
でも、その日はずっと興奮していた。
懐かしい記憶、聖地に足を踏み入れた感動。
水牛山に30年以上ぶりに戻ってきたという感動。
あの頃・・・この聖地である水牛山に向かう時も
帰った時も、いずれも母がいた。
母が行ってらっしゃいを言ってくれて
お帰り、と迎えてくれた。
いろんな記憶が感情を高ぶらせ、興奮させた。
やはり水牛山はいろんな意味で「聖地」だった。
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小学生時代、夏時期になるとそこに通い詰めた。
朝早く、学校帰り、稀にではあったが夜にも足を踏み入れた。
その多くは友人とだった。
初めて足を踏み入れた日の事は覚えていない。
だから、誰に教えられ、誰に連れて行ってもらったのか・・・
全く思い出せない。
その聖地の名は、通称「水牛山」。
物心ついた時からそこは「水牛山」だった。
クワガタを捕るならそこに行け・・・だった。
なぜ水牛山なのか・・・それは「ノコギリクワガタ」のあごの形が
水牛の角に似ているからだった。
すなわち、水牛と称されるノコギリクワガタは
比較的サイズの大きなノコギリクワガタであることの証でもあった。
そのノコギリクワガタの聖地として崇めていたのが「水牛山」だった。
その聖地に、30年以上ぶりに足を踏み入れた。
当時、自転車で乗り入れることが出来た砂利道には、膝上から腰下ぐらいの雑草が茂っていた。
聖地に入る前の最初の難関となった。
100mほどその雑草地帯を突き進むと、懐かしい光景が目に入った。
あの時のまま・・・とは感じなかった。
こんな感じだったかな・・・あぁ、そうだったかもしれない・・・
現地の人もあまり足を踏み入れていない・・・そんな印象を受けた。
そのせいだろうか・・・聖地は荒れていた。
子供の頃は、林に平行している石段の上を歩くことが出来たのだが、
生い茂った草木で歩行は困難となっていた。
スズメバチも多く飛び交っていたこともあり
殆ど入口付近で引き返した。
でも、その日はずっと興奮していた。
懐かしい記憶、聖地に足を踏み入れた感動。
水牛山に30年以上ぶりに戻ってきたという感動。
あの頃・・・この聖地である水牛山に向かう時も
帰った時も、いずれも母がいた。
母が行ってらっしゃいを言ってくれて
お帰り、と迎えてくれた。
いろんな記憶が感情を高ぶらせ、興奮させた。
やはり水牛山はいろんな意味で「聖地」だった。
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