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2018年09月13日

マスク君とマスクさん

涼しくなると、マスクをしている生徒が増える。
気温の変化が大きい季節になるので、体調を崩しやすいということもあるが、必ずしもそうではない。

マスクは顔の大部分をい覆うことができる。
頭髪規定が厳しい学校でなければ、前髪で目を隠すこともできる。
つまり、顔の表情を他の人に見せまい、とマスクをつけるのだ。

以前、舌にピアスをつけた高校生が、「そのまま学校に行っても、マスクをつけてたから気づかれなかったよ。」、という話を聞いたことがある。そういう強者は少ないだろうが、中高生で、目を隠し、マスクをつけ始めたら要注意である。さらにこれにパーカーを着て、頭からフードをかぶったならば、これで、自分の世界に閉じこもることができる(と考えている)。いわゆる引きこもりの始まりである。

引きこもりは、学校に行けずに家に引きこもっているばかりではない。たとえ学校に行けたとしても、集団を極端に嫌い、自分だけの世界に閉じこもろうとする。

時に笑顔を見せたとしても、それは、一種の防衛反応であって、たいていの場合は作り笑いである。彼らにとって、作り笑いは、かなりのエネルギーを要し、けっこう体力を消費する。だから、一人になったときにどっと疲れが訪れる。

引きこもりにもレベルがあるようで、彼ら、彼女らなりにランクを決めていたりする。
とあるアニメにならって、レベル4だの、レベル5などの、自分たちでレベルを決めている。

以前、私の学校では、『引きこもり同好会』なるものを、密かに立ち上げ、仲間同士で集まっていることがあった。学年をまたいでのグループなので、なかなか始末が悪い。いろいろな意味で、先輩が後輩に影響を与え、引きこもりに学年連鎖ができていた。たいていは、学校や社会、友人に対する不満が共通項となり、波長同通の法則で、互いが集まってくる。

集団を形成していると、必ず集団のカラーから外れる人が出る。子供でも大人でも同じである。昨今は、『違いを認める』ことが重視させているので、以前のように一律に排除する教育は行われていないが、思春期の頃の生徒には、その違いを理解させることは、そう簡単なことではないだろう。

今日も、校内を隠れるように歩いているマスク君やマスクさん。
『自分の世界に足を踏み入れないで欲しい』、と思いながらも、実は、『私の存在に気づいて欲しい。声をかけて欲しい。』とも思っていることも多い。

彼らを見て見ぬふりをするのではなく、積極的に声をかけてみよう。

『できることは何でもやる』という姿勢が我々教師の務めだ。
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