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2020年04月23日
「ほーら見ろ」の真意 〜親自身の人生への後悔、苦しみと我慢の正当化〜。
親は表向きには「子どもに幸せになってほしい」と言う。
なのに、なぜ「我慢しろ」と言うんだろう。
なぜわざわざ「社会は厳しい」と怖がらせるんだろう。
そして、怖がらせた子どもが実際に失敗した時、
なぜ「ほーら見ろ」と喜ぶんだろう。
子どもに幸せになってほしいはずなのに。
「ほーら見ろ」に隠された、真のメッセージは
お前は苦しみと我慢が足りないから失敗しただろう。
だから苦しくて我慢ばかりの俺の人生は正解だろう。
頼むから正解だったことにさせてくれよ!
という、親自身の人生に対する必死の正当化じゃないだろうか。
今、親に「ほーら見ろ」と言われてる人。
その言葉の真意は、親自身の後悔かも知れない。
今、子どもの失敗に「ほーら見ろ」と言っている親。
その言葉、本当は自分に言ってませんか?
ー目次ー
僕が失敗するたびに、父が必死で叫んだこの言葉。
「男はすべてを我慢して家族のために働くものだ!」
「お前は甘ったれている、社会をなめている!」
これだって、きっと「ほーら見ろ」と同じ。
父の本音を代弁してみる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ほーら見ろ。
生きるって苦しいだろ、我慢だろ。
お前は我慢が足りない、苦しみが足りないんだよ。
だから、生きるのは苦しい、我慢と
お前に言ってきた俺は正しいだろ?
俺がこんなに辛くて、我慢して生きてる人生が
正解だっただろ?
正しかったと思いたいんだよ、
正しかったことにしたいんだよ。
だって、
辛くなくて、我慢しなくていい人生があったら、
俺の辛さと我慢が無意味になるだろ?
だから、我慢せず好きなことをするお前の生き方を
許すわけにはいかないんだよ。
許したら、
辛くて我慢して生きてる俺がバカみたいだろ?
そんなの耐えられないんだよ。
我慢しないお前を不正解にさせてくれよ。
俺の辛さを正解にさせてくれよ。
俺の苦しみと我慢は正しかったと思わせてくれよ!
俺の意見を押しつけさせてくれよ。
俺が勧める仕事にだけ就いてくれよ。
俺が求める学校の成績を取ってくれよ。
その範囲内で生きられることを証明してくれよ。
俺の考えが正しいと採点させてくれよ。
これ以外の道で成功しないでくれよ。
俺の知らない生き方をしないでくれよ。
だって、
俺の知らない道でお前に成功されたら、
俺が間違えてることになるだろ?
そんなの耐えられないんだよ。
俺の辛さと我慢は正しかったんだよ。
正しかったと思い込みたいんだよ。
そうしないと心が潰れてしまうんだよ。
頼むよ、正しかったことにさせてくれよ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
親自身、本当はやりたいことがあった。
本当はなりたい職業があって、挑戦したいことがあった。
だけど、それができなかった。
挑戦する勇気がなかった。
そして、
勇気がない自分を認めることもできなかった。
やりたくないことに耐えて生きてる自分を
正当化しないと後悔に押し潰される。
だから、
やりたくないことをやらずに生きるのは、
許してはいけないこと。
なぜなら、自分の人生が否定されるから。
「ほーら見ろ、俺の言う通り失敗しただろう?」
もし今、親からのそんな言葉に苦しんでいるなら。
親はそうやって自分の後悔を正当化しないと
耐えられないぐらい必死なんだと考えられたら、
心の傷を少しだけ、浅くできるかも知れない。
なのに、なぜ「我慢しろ」と言うんだろう。
なぜわざわざ「社会は厳しい」と怖がらせるんだろう。
そして、怖がらせた子どもが実際に失敗した時、
なぜ「ほーら見ろ」と喜ぶんだろう。
子どもに幸せになってほしいはずなのに。
「ほーら見ろ」に隠された、真のメッセージは
お前は苦しみと我慢が足りないから失敗しただろう。
だから苦しくて我慢ばかりの俺の人生は正解だろう。
頼むから正解だったことにさせてくれよ!
という、親自身の人生に対する必死の正当化じゃないだろうか。
今、親に「ほーら見ろ」と言われてる人。
その言葉の真意は、親自身の後悔かも知れない。
今、子どもの失敗に「ほーら見ろ」と言っている親。
その言葉、本当は自分に言ってませんか?
ー目次ー
- 俺の苦しみと我慢は正しかったんだ!
- 俺の知らない生き方で成功しないでくれよ!
- 親はきっと、人生の後悔の正当化に必死
1.俺の苦しみと我慢は正しかったんだ!
僕が失敗するたびに、父が必死で叫んだこの言葉。
「男はすべてを我慢して家族のために働くものだ!」
「お前は甘ったれている、社会をなめている!」
これだって、きっと「ほーら見ろ」と同じ。
父の本音を代弁してみる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ほーら見ろ。
生きるって苦しいだろ、我慢だろ。
お前は我慢が足りない、苦しみが足りないんだよ。
だから、生きるのは苦しい、我慢と
お前に言ってきた俺は正しいだろ?
俺がこんなに辛くて、我慢して生きてる人生が
正解だっただろ?
正しかったと思いたいんだよ、
正しかったことにしたいんだよ。
だって、
辛くなくて、我慢しなくていい人生があったら、
俺の辛さと我慢が無意味になるだろ?
だから、我慢せず好きなことをするお前の生き方を
許すわけにはいかないんだよ。
許したら、
辛くて我慢して生きてる俺がバカみたいだろ?
そんなの耐えられないんだよ。
我慢しないお前を不正解にさせてくれよ。
俺の辛さを正解にさせてくれよ。
俺の苦しみと我慢は正しかったと思わせてくれよ!
2.俺の知らない生き方で成功しないでくれよ!
俺の意見を押しつけさせてくれよ。
俺が勧める仕事にだけ就いてくれよ。
俺が求める学校の成績を取ってくれよ。
その範囲内で生きられることを証明してくれよ。
俺の考えが正しいと採点させてくれよ。
これ以外の道で成功しないでくれよ。
俺の知らない生き方をしないでくれよ。
だって、
俺の知らない道でお前に成功されたら、
俺が間違えてることになるだろ?
そんなの耐えられないんだよ。
俺の辛さと我慢は正しかったんだよ。
正しかったと思い込みたいんだよ。
そうしないと心が潰れてしまうんだよ。
頼むよ、正しかったことにさせてくれよ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
3.親はきっと、人生の後悔の正当化に必死
親自身、本当はやりたいことがあった。
本当はなりたい職業があって、挑戦したいことがあった。
だけど、それができなかった。
挑戦する勇気がなかった。
そして、
勇気がない自分を認めることもできなかった。
やりたくないことに耐えて生きてる自分を
正当化しないと後悔に押し潰される。
だから、
やりたくないことをやらずに生きるのは、
許してはいけないこと。
なぜなら、自分の人生が否定されるから。
「ほーら見ろ、俺の言う通り失敗しただろう?」
もし今、親からのそんな言葉に苦しんでいるなら。
親はそうやって自分の後悔を正当化しないと
耐えられないぐらい必死なんだと考えられたら、
心の傷を少しだけ、浅くできるかも知れない。
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2020年04月22日
リストカットと自慢話は、同じ悲鳴をあげている 〜お願い、私を見て、褒めて〜。
僕は最近、
自慢する人、武勇伝を語る人の心理を考えている。
この人はどうして、自慢せざるをえないんだろう。
どうして、過去の武勇伝を語らずにいられないんだろう。
自分を大きく見せたい
自分の力を誇示したい
承認欲求が強い
劣等感の裏返し
実は自信がない
いろいろ考えたけど、それって表向きの理由じゃないか。
いちばん深い、底の底にあるのは、
リストカットやOD(オーバードーズ)と同じ、
「お願い、私を見て」という悲鳴なんじゃないか。
ー目次ー
リストカットやOD(オーバードーズ)は
本当に自殺することが目的じゃない。
真のメッセージは叫び、心の悲鳴。
「お願い、私を見て、私の存在を受け入れて」という、命がけの主張。
→「リストカットは心の悲鳴 〜”寂しい。お願い、気づいて”〜。」
→「OD(オーバードーズ)した時の気持ち 〜人生最期の、親への復讐〜。」
リストカットと自慢話。一見するとぜんぜん違う。
本当に違う?
認められ、褒められ、満たされてたら、
わざわざ自慢し、武勇伝を語る必要がない。
だって、そういう話は
他人の自慢話を聞きたい相手でなければ閉口される。
そんなリスクを負ってまで自慢しないといけないのはなぜ?
それは、
リスクを負ってアピールしないといけないくらい、
その人が褒められてこなかったからじゃない?
自分はこれだけすごいんだ、できるんだ。
なのにどうして誰も褒めてくれないの?
どうして誰も自分を見てくれないの?
ここに、一所懸命やってる自分がいるんだよ。
お願い、誰か褒めてよ。認めてよ、こっち見てよ!
リストカットやODと自慢話は表現方法が違うだけ。
まったく同じ、悲痛な寂しさを叫んでる。
褒められてこなかった人が
本当に褒められたいのは誰から?
それは、親であり、養育者の立場だった人。
自分を作った人たちが褒めてくれたら、認めてくれたら。
自分は何も自慢しなくても十分な存在。
自分を作った人たちに褒めてもらえなかったら。
自分はそこに居るだけじゃ、褒められないんだと学ぶ。
自慢話をする人が、本当に褒められたいのは親。
ならばなぜ、親でない他人にも自慢話をするの?
それは、
自分を作った親ですら、自分を褒めてくれないなら、
他人が無条件で自分を褒めてくれるはずがないから。
親に褒められるのが叶わない。
ならばせめて、周りの人に褒めてもらいたい。
親の代わりでいい、誰か代わりに承認をください!
武勇伝、自慢話。
根底にある、寂しさの闇は深い。
リストカット、ODを経験した僕が、
その時の気持ちからという視点で分析してみた。
人の行動には理由がある。
一見、「うーん…」と思うようなことでも、
根底にある気持ちを想像したら、違った見方ができる。
他人の気持ちがわかるはずもないけど、
理解しようとする姿勢はきっと、お互いを助けてくれる。
自慢する人、武勇伝を語る人の心理を考えている。
この人はどうして、自慢せざるをえないんだろう。
どうして、過去の武勇伝を語らずにいられないんだろう。
自分を大きく見せたい
自分の力を誇示したい
承認欲求が強い
劣等感の裏返し
実は自信がない
いろいろ考えたけど、それって表向きの理由じゃないか。
いちばん深い、底の底にあるのは、
リストカットやOD(オーバードーズ)と同じ、
「お願い、私を見て」という悲鳴なんじゃないか。
ー目次ー
- リストカットと自慢話は、表現方法が違うだけ
- 自慢話をする人が本当に褒められたいのは親から
- 人の行動の理由、根底にある気持ちを想像する
1.リストカットと自慢話は、表現方法が違うだけ
リストカットやOD(オーバードーズ)は
本当に自殺することが目的じゃない。
真のメッセージは叫び、心の悲鳴。
「お願い、私を見て、私の存在を受け入れて」という、命がけの主張。
→「リストカットは心の悲鳴 〜”寂しい。お願い、気づいて”〜。」
→「OD(オーバードーズ)した時の気持ち 〜人生最期の、親への復讐〜。」
リストカットと自慢話。一見するとぜんぜん違う。
本当に違う?
認められ、褒められ、満たされてたら、
わざわざ自慢し、武勇伝を語る必要がない。
だって、そういう話は
他人の自慢話を聞きたい相手でなければ閉口される。
そんなリスクを負ってまで自慢しないといけないのはなぜ?
それは、
リスクを負ってアピールしないといけないくらい、
その人が褒められてこなかったからじゃない?
自分はこれだけすごいんだ、できるんだ。
なのにどうして誰も褒めてくれないの?
どうして誰も自分を見てくれないの?
ここに、一所懸命やってる自分がいるんだよ。
お願い、誰か褒めてよ。認めてよ、こっち見てよ!
リストカットやODと自慢話は表現方法が違うだけ。
まったく同じ、悲痛な寂しさを叫んでる。
2.自慢話をする人が本当に褒められたいのは親から
褒められてこなかった人が
本当に褒められたいのは誰から?
それは、親であり、養育者の立場だった人。
自分を作った人たちが褒めてくれたら、認めてくれたら。
自分は何も自慢しなくても十分な存在。
自分を作った人たちに褒めてもらえなかったら。
自分はそこに居るだけじゃ、褒められないんだと学ぶ。
自慢話をする人が、本当に褒められたいのは親。
ならばなぜ、親でない他人にも自慢話をするの?
それは、
自分を作った親ですら、自分を褒めてくれないなら、
他人が無条件で自分を褒めてくれるはずがないから。
親に褒められるのが叶わない。
ならばせめて、周りの人に褒めてもらいたい。
親の代わりでいい、誰か代わりに承認をください!
武勇伝、自慢話。
根底にある、寂しさの闇は深い。
3.人の行動の理由、根底にある気持ちを想像する
リストカット、ODを経験した僕が、
その時の気持ちからという視点で分析してみた。
人の行動には理由がある。
一見、「うーん…」と思うようなことでも、
根底にある気持ちを想像したら、違った見方ができる。
他人の気持ちがわかるはずもないけど、
理解しようとする姿勢はきっと、お互いを助けてくれる。
2020年04月21日
仮面ライダーショー出演への道 〜スーツアクター事務所への入所、訓練、選抜〜。
僕は仮面ライダーや戦隊ヒーローショーの
スーツアクターをしていたことがある。
2年間の在籍で、訓練を経てショーデビューし、
貴重な出演経験を積ませてもらった。
今回は、僕がスーツアクターの事務所に入った経緯や、
訓練内容、給与などについて話してみようと思う。
※僕が所属していた当時のショー出演部門での経験です。
イベントスタッフやバックヤードとは違う場合があります。
ー目次ー
当時、僕はシアーミュージックで音楽を学んで2年目。
ボーカルとギターを学びにシアーに入会してきた団員に
誘われたのがきっかけ。
自分の存在の表現に意義を感じていた僕は、
その団員の紹介で事務所の面接を受けることになった。
面接と言っても、選考やオーディションではなく
意思確認の場という意味合いが強かった。
特に念押しされたのが、この2点。
僕はその頃
某モデル事務所に合格して間もないタイミングだった。
こちらでショー出演の活動をしてもよいか確認し、
OKをもらえていた。
事務所の2階が訓練施設になっていて、
フローリングの床と、壁には大きな鏡。
訓練は平日の夜、週2回で、
時間は18〜21時。
下は小学1年生から、上は20代前半、
学生時代からずっと所属するベテランたち。
訓練内容は
後半は「殺陣(たて)」という立ち回りの訓練。
いわゆるチャンバラ。
ここがショー最大の見せ場。
悪役がどれほどヒーローを追い詰めるか、
ヒーローがいかにかっこよく悪役を倒すかが最重要。
殺陣までの全体訓練が終わったら、小中学生は帰宅。
高校生以上は帰宅も可。
多くは過去のショーの映像を見て研究、
もしくは空きスペースで自主練。
当時、24歳で入所した僕は最年長だった。
当時、その事務所が手掛けたショーは主に以下。
主な会場は、
スーツアクターをしていたことがある。
2年間の在籍で、訓練を経てショーデビューし、
貴重な出演経験を積ませてもらった。
今回は、僕がスーツアクターの事務所に入った経緯や、
訓練内容、給与などについて話してみようと思う。
※僕が所属していた当時のショー出演部門での経験です。
イベントスタッフやバックヤードとは違う場合があります。
ー目次ー
- きっかけ
- 面接、入所
- 殺陣(たて)の訓練
- ショー内容、メンバー選抜
- ショー出演時の給与
- 2年在籍での出演実績
- 挑戦を終えた感想
1.きっかけ
当時、僕はシアーミュージックで音楽を学んで2年目。
ボーカルとギターを学びにシアーに入会してきた団員に
誘われたのがきっかけ。
自分の存在の表現に意義を感じていた僕は、
その団員の紹介で事務所の面接を受けることになった。
2.面接、入所
面接と言っても、選考やオーディションではなく
意思確認の場という意味合いが強かった。
特に念押しされたのが、この2点。
- ショーに出演して初めてお金になる
だから稼ぐためにやるのであればおすすめしない
それでもやってみたいか - 他の芸能事務所に所属しているかどうか
モデルやタレント事務所に所属によっては、
規定によってはこちらでのショー活動がNGな場合がある
この点は所属事務所に事前に確認すること
僕はその頃
某モデル事務所に合格して間もないタイミングだった。
こちらでショー出演の活動をしてもよいか確認し、
OKをもらえていた。
3.殺陣(たて)の訓練
事務所の2階が訓練施設になっていて、
フローリングの床と、壁には大きな鏡。
訓練は平日の夜、週2回で、
時間は18〜21時。
下は小学1年生から、上は20代前半、
学生時代からずっと所属するベテランたち。
訓練内容は
- 格闘技
- 剣術
- ダンス
- 身振り手振りでの演技
後半は「殺陣(たて)」という立ち回りの訓練。
いわゆるチャンバラ。
ここがショー最大の見せ場。
悪役がどれほどヒーローを追い詰めるか、
ヒーローがいかにかっこよく悪役を倒すかが最重要。
殺陣までの全体訓練が終わったら、小中学生は帰宅。
高校生以上は帰宅も可。
多くは過去のショーの映像を見て研究、
もしくは空きスペースで自主練。
当時、24歳で入所した僕は最年長だった。
4.ショー内容、メンバー選抜
1.ショー内容と会場
当時、その事務所が手掛けたショーは主に以下。
- 仮面ライダー
- 戦隊ヒーロー
- プリキュア
- ドラえもん
- アンパンマン
主な会場は、
- 大型ショッピングモールなどのステージ
- 地域のお祭りやイベントの特設ステージ
- レンジャーレッド、仮面ライダー
主演、いちばんの実力者 - 悪の親玉
次点の実力者、またはベテランかつ身長が高め - レンジャー残り4名と悪の参謀
実力者と身長に応じて。参謀は身長が高ければなおよし - <日帰り>
小樽ウイングベイ
京極町ふるさとまつり - <2泊の遠征>
中標津イオン
紋別みなとまつり
ショーは基本的に土日祝。
繁忙期はイベント数の関係から、春〜秋にかけて。
GWと夏休みは毎週、道内各地へ何名かが遠征。
2.メンバー選抜方法
訓練で実力をつける、これに尽きる。
小学生でも、力量があれば普通に出演する。
(遠征は年齢の規定や親の意向がからむので、
基本的には市内か、近郊での日帰り限定)
札幌市内や近郊へ行く部隊と
道内各地への遠征部隊(宿泊あり)に分かれ、
基本的にどの部隊にもベテランや年長組が数人、
リーダーとして配置される。
3.役割
基本的に主演から実力順。
ここでのポイントは身長。
高すぎるとヒーローを演じる機会が減る可能性あり。
逆に、高身長は悪役に適任。
(威圧感で子どもを怖がらせ、泣かせるため)
高身長で主演をできないわけではないが、
特に戦隊ショーの場合は似通った身長の5人を揃える場合が多い。
5.ショー出演時の給与
当時の出演ギャラは
日帰りで1万円〜1万2千円、遠征で2〜3万円程度。
役回りによって上下はあるが詳細は不明、
支払方法は個別に事務所へ出向いての手渡し。
訓練は無料、ただし無給。
よって、ショー出演メンバーに選抜されなければいつまでも無給。
(デビューできない期間が長いからといって強制退所はなく、
平日の訓練へ参加は制限なく可能)
面接で何度も「稼ぎたいならやめた方がいいよ」
と念を押されるのはこのため。
訓練や遠征の費用を負担せずに
未経験から格闘技や演技の練習ができ、
出演者やスタッフの裏側を知れる。
これを「無給」と捉えるか、「経験」と捉えるかは自分次第。
6.2年在籍での出演実績
僕は10か月の訓練期間を経てショーデビューし、
2年間の在籍で4箇所のイベント、合計8本のショーに出演できた。
最初の10ヵ月くらい訓練に明け暮れた後、
”悪の参謀”として運よくショーデビューできた。
そこから退所までの1年間、同じく”悪の参謀”役で
コンスタントに抜擢された。
7.挑戦を終えた感想
僕が在籍していた部門は
ショー出演のアクター養成所という色が濃かった。
そのためか、
体育会系のような上下関係や、
下手な立ち回りによる厳しい叱責は日常だった。
ベテランたちは20代前半ながら、
幼少からこの道場で鍛えた人がほとんど。
半数以上を占める小中学生の訓練生たちに
恐れられながらも慕われていた。
僕が訓練1年未満でデビューできたのは、
180センチの身長が悪役にぴったりだったから。
開演時にはいつも、こう言って送り出されていた。
「最前列の子を全員泣かせて来い」
実力はもとより、役回りのニーズもかみ合わないと
デビューまでになかなか時間がかかる。
なので、厳しい訓練を生き残っているのは
ヒーローショーに出るのが本当に好きな面々だけだった。
険しい道のりだったけど、動き出したことですべてが変わった。
2年間、恐れずに挑戦してよかったと思う。
2020年04月20日
支配欲と束縛を育てているのは、我慢する人 〜共依存から抜け出す、1日1回の自問〜
支配欲が強い人、
他人を束縛したくて仕方ない人の相方には
我慢強い人が選ばれてるように思う。
僕の両親がまさにそうで、
支配欲の強い父と、自分を出さず我慢する母。
そういう組み合わせの場合、支配欲の強い人が
より支配的になり、より強烈に束縛するように見える。
なぜ?
実は我慢する人が育ててるからじゃないだろうか。
そんな支配と我慢の根底には、
親から愛情をもらえなかった悲しみと怒りが潜んでるんじゃないだろうか。
ずっと我慢する側から抜け出せなかった僕が、
共依存に気づき、自分を変えようと考えたことを書いてみる。
ー目次ー
自分を出さず我慢し続ける人
寂しさのあまり、見捨てられ不安が強い人のもとには、
世界に怯えるあまり、他人を支配せずにいられない人が集まる。
需要と供給が一致していて、一見うまくいくように見える。
でも残念ながら、
支配したがる人はより支配欲の強い人間になり、
我慢し続ける人は今まで以上の我慢の人生を強いられる。
相性が良さそうなのに、どうして先鋭化するの?
それは、
どれだけ支配しようと束縛しようと
相手が我慢してくれるから。
自分がやりたい放題に支配しても、
自分ルールで行動を縛っても、暴力や暴言で粗末に扱っても、
相手は自分のもとを離れていかず、我慢してくれる。
相手は一人になりたくない、
見捨てられたくないから、耐えてくれる。
だったら、これぐらい縛っても大丈夫だろう。
あ、大丈夫だ。
よし、もっと強く支配しても大丈夫だろう。
もっともっとがんじがらめにしてやろう。
こうして、
「やっていいこと」のボーダーラインがどんどん下がり、
価値観の押し付けや自分ルールへの従属が強化されていく。
支配しても、支配欲が一時的に満たされるだけ。
支配できなくなったらどうしようという不安は拭えない。
見捨てられ不安から、支配的な人と一緒にいても、
我慢しすぎてストレスが溜まるだけ。
その我慢の先に、支配と束縛が止むことはない。
支配する人、我慢する人。
根底にあるのは、
親から愛情や承認をもらえなかった悲しみと怒り。
親から否定され、罵倒され、認められずに育った人は、
他人から否定されるのが怖くてたまらなくなる。
だから、もう自分を否定させないために、
周囲を抑えつけ、コントロールしなければと学ぶ。
「私はこんなに我慢してきたんだから、あなたも我慢しないと許さない」
そんなメッセージを受け取って育った人は、
親を我慢させるような不幸な人生にしたという罪悪感を植え付けられる。
だから自分も我慢しなきゃいけないんだ、
好きなことをしたり、幸せになってはいけないんだと学ぶ。
こうして、お互いが親から学んできた人生観を
体現してくれそうな相手を、知らず知らずのうちに選ぶ。
そしてその親たちもまた、自分の親にそう刷り込まれてきている。
さらにその親もまた…。
支配と我慢の、悲しみの連鎖は何世代も続いてる。
現状維持バイアスは強敵。
変える苦しさより、我慢し続ける苦しさを選ぶ。
「支配されるままに我慢しません、本音を言います」
よりも
「不満もストレスも溜まるけど、支配されてる方が安心」
が勝る。
それに、
自分がこんなに支配され、束縛されてるのに
離れられない本音と向き合うのはもっと苦しい。
こんなにどす黒い感情が自分の中にあったのかと、
言葉にできないドロドロした感情は直視に耐えない。
本当は親に認めてほしかった、抱きしめてほしかった、
そう認められるまでに、どれだけの泣き明かす夜を超えるだろう。
そんな感情と真正面から向き合ったら、自分の心が壊れてしまう。
そうまでして変わるよりは、現状のままの方が安心。
現状維持バイアスは強敵。
僕は我慢する側だった。
嫌われるのが、見捨てられるのが怖くて本音が言えなかった。
今も、本音をぱっと言えるようになったわけじゃない。
だけど変わったのは、我慢してる自分に気づいたこと。
自分は何を我慢してるの?
いま本音を飲み込んだ背景には、どんな気持ちが隠れてたの?
どうしてその気持ちを直視したくなかったの?
そう自分に問いかけるようになった。
自分への問いかけを繰り返すうちに、
寂しさや悲しみの感情、そしてルーツである親との関係に行きついた。
1日1回の問いかけから始め、ゆっくりと。
怖くなって、後戻りして、何も言えなくなった。
それでも、1日1回だから続けられた。
それがいつのまにか1日2回になり、3回になり、
気づいたら、我慢を止める行動ができ始めた。
終わりなき我慢で覆いつくされた未来の景色が、
少しずつ晴れてきた。
もし今、見捨てられ不安から我慢している人がいるなら。
1日1回、「自分は何を我慢してるの?」って、
問いかけから始めてみてもいいかも知れない。
きっとそれが、
支配と我慢の共依存から抜け出す、千里の道の一歩。
他人を束縛したくて仕方ない人の相方には
我慢強い人が選ばれてるように思う。
僕の両親がまさにそうで、
支配欲の強い父と、自分を出さず我慢する母。
そういう組み合わせの場合、支配欲の強い人が
より支配的になり、より強烈に束縛するように見える。
なぜ?
実は我慢する人が育ててるからじゃないだろうか。
そんな支配と我慢の根底には、
親から愛情をもらえなかった悲しみと怒りが潜んでるんじゃないだろうか。
ずっと我慢する側から抜け出せなかった僕が、
共依存に気づき、自分を変えようと考えたことを書いてみる。
ー目次ー
- 他人を支配したい、見捨てられたくない
- 親からもらえなかった愛情を、支配と我慢で代替する
- 変わることを阻む、現状維持バイアス
- 支配と我慢の共依存から抜け出す、1日1回の自問
1.他人を支配したい、見捨てられたくない
自分を出さず我慢し続ける人
寂しさのあまり、見捨てられ不安が強い人のもとには、
世界に怯えるあまり、他人を支配せずにいられない人が集まる。
需要と供給が一致していて、一見うまくいくように見える。
でも残念ながら、
支配したがる人はより支配欲の強い人間になり、
我慢し続ける人は今まで以上の我慢の人生を強いられる。
相性が良さそうなのに、どうして先鋭化するの?
それは、
どれだけ支配しようと束縛しようと
相手が我慢してくれるから。
自分がやりたい放題に支配しても、
自分ルールで行動を縛っても、暴力や暴言で粗末に扱っても、
相手は自分のもとを離れていかず、我慢してくれる。
相手は一人になりたくない、
見捨てられたくないから、耐えてくれる。
だったら、これぐらい縛っても大丈夫だろう。
あ、大丈夫だ。
よし、もっと強く支配しても大丈夫だろう。
もっともっとがんじがらめにしてやろう。
こうして、
「やっていいこと」のボーダーラインがどんどん下がり、
価値観の押し付けや自分ルールへの従属が強化されていく。
2.親からもらえなかった愛情を、支配と我慢で代替する
支配しても、支配欲が一時的に満たされるだけ。
支配できなくなったらどうしようという不安は拭えない。
見捨てられ不安から、支配的な人と一緒にいても、
我慢しすぎてストレスが溜まるだけ。
その我慢の先に、支配と束縛が止むことはない。
支配する人、我慢する人。
根底にあるのは、
親から愛情や承認をもらえなかった悲しみと怒り。
親から否定され、罵倒され、認められずに育った人は、
他人から否定されるのが怖くてたまらなくなる。
だから、もう自分を否定させないために、
周囲を抑えつけ、コントロールしなければと学ぶ。
「私はこんなに我慢してきたんだから、あなたも我慢しないと許さない」
そんなメッセージを受け取って育った人は、
親を我慢させるような不幸な人生にしたという罪悪感を植え付けられる。
だから自分も我慢しなきゃいけないんだ、
好きなことをしたり、幸せになってはいけないんだと学ぶ。
こうして、お互いが親から学んできた人生観を
体現してくれそうな相手を、知らず知らずのうちに選ぶ。
そしてその親たちもまた、自分の親にそう刷り込まれてきている。
さらにその親もまた…。
支配と我慢の、悲しみの連鎖は何世代も続いてる。
3.変わることを阻む、現状維持バイアス
現状維持バイアスは強敵。
変える苦しさより、我慢し続ける苦しさを選ぶ。
「支配されるままに我慢しません、本音を言います」
よりも
「不満もストレスも溜まるけど、支配されてる方が安心」
が勝る。
それに、
自分がこんなに支配され、束縛されてるのに
離れられない本音と向き合うのはもっと苦しい。
こんなにどす黒い感情が自分の中にあったのかと、
言葉にできないドロドロした感情は直視に耐えない。
本当は親に認めてほしかった、抱きしめてほしかった、
そう認められるまでに、どれだけの泣き明かす夜を超えるだろう。
そんな感情と真正面から向き合ったら、自分の心が壊れてしまう。
そうまでして変わるよりは、現状のままの方が安心。
現状維持バイアスは強敵。
4.1日1回の自問は、支配と我慢の共依存から抜け出す一歩
僕は我慢する側だった。
嫌われるのが、見捨てられるのが怖くて本音が言えなかった。
今も、本音をぱっと言えるようになったわけじゃない。
だけど変わったのは、我慢してる自分に気づいたこと。
自分は何を我慢してるの?
いま本音を飲み込んだ背景には、どんな気持ちが隠れてたの?
どうしてその気持ちを直視したくなかったの?
そう自分に問いかけるようになった。
自分への問いかけを繰り返すうちに、
寂しさや悲しみの感情、そしてルーツである親との関係に行きついた。
1日1回の問いかけから始め、ゆっくりと。
怖くなって、後戻りして、何も言えなくなった。
それでも、1日1回だから続けられた。
それがいつのまにか1日2回になり、3回になり、
気づいたら、我慢を止める行動ができ始めた。
終わりなき我慢で覆いつくされた未来の景色が、
少しずつ晴れてきた。
もし今、見捨てられ不安から我慢している人がいるなら。
1日1回、「自分は何を我慢してるの?」って、
問いかけから始めてみてもいいかも知れない。
きっとそれが、
支配と我慢の共依存から抜け出す、千里の道の一歩。
2020年04月19日
「どーせ私なんか」のメカニズム 〜親への復讐か、親の支配下からの脱出か〜
自己肯定感、自尊心が低いと、
何をするにも「どーせ私なんか」と思ってしまう。
「どーせ私なんか」と自己否定するのは苦しい。
なのに、なぜ止められないんだろう。
その理由の1つは、
「どーせできない私」を生み育てたあんたらの子育ては失敗だ、ざまみろ
という、親への無意識の復讐じゃないだろうか。
だけど、「どーせできない私」でいることは、
本当に復讐の成功なんだろうか。
「どーせできない私」でいる限り、
実は親の思惑どおりに支配され続けてるんじゃないだろうか。
つい最近まで自己否定が止められなかった僕が、
「どーせ私なんか」のメカニズムを考えてみる。
ー目次ー
親が認めてくれず、否定ばかりする
親が自分に関心を向けてくれない
例えばそうやって過ごしてきて
自分は価値のない、何もできない人間と思い込んだら。
自分を大切に扱わない親を、
自分をどーせできない人間だと思わせた親を許せなくなる。
親を許せなくなると、
できるようになること、幸せになることを自分自身が抑える。
なぜなら、
自分が幸せになってしまったら
親の子育ては成功したことになるから。
そんなの認めたくない。
だから、どーせできない私であり続けないと
親に復讐できずに自分が困る。
自分が今こんなに苦しい人生なのは、
自分が何をやってもダメな人間になったのは親のせいだ。
親が自分を認めず、否定し、関心を向けてくれなかったからだ。
その怒りが無意識の復讐心となり、
どーせできない私でいることで「親のせい」と証明しようとする。
でも、
どーせできない私であり続けることは一見、
親への復讐に成功しているように見えて、
実は親の思惑どおりに生きてる。
親はどうして子どもに
どーせ私なんかと思い込ませたいのか。
それは
自信をなくさせた人間は思い通りに動かせるから。
なぜ思い通りに動かしたいのか。それは
親自身が不安で怯えてるから。
思い通りにならず、結果が想像できないことは不安でたまらない。
だから子どもを思い通りに支配して安心しようとする。
子どもがいつまでも
どーせできない私でいてくれれば、
その自己否定を利用し、思い通りに動かせる。
自信なんて持たれたらコントロールできなくなる。
コントロールできなくなると不安でたまらないから、
とにかく否定し、自信をなくさせて、支配下においておきたい。
どーせできない私と自分を責め続けることで、
親の子育て失敗を証明できた!ざまみろ!
と、復讐に成功したと思い込む。
でも、その実態は、
どーせできない私でいる限り
復讐に成功したと言っている自分そのものが
親の手のひらで踊らされる人形なんだ。
どーせ私なんかと、自分を否定するのは苦しい。
苦しみから脱するには、自己否定を止める、
そんなことは頭では十分わかってる。
何十年と積み重なった自己否定の癖を変えるのは難しい。
だから僕を含め、多くの人が苦しんでる。
そして、
どーせ私なんかを止めるのと同じくらい、
「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」を認めるのも苦しい。
自分にあんなことをした親を認めたくない、拗ねていたい。
拗ね続けて「あいつらは失敗した」と思い込んでいれば、
親のせいにできて楽だから。自分と向き合わなくて済むから。
自責思考を変えるのと同じくらい、この葛藤が苦しい。
僕は今、どーせ私なんかと言わなくなった段階。
自分は自信を持っていい、
幸せに生きていいと思えるようになってきた。
ただ、長らく格闘中の相手は、
「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」。
認めて前を向きたい自分と、
親のせいにして拗ねていたい自分がせめぎ合ってる。
「どーでもいいじゃん、自分が幸せになればさ」
「やだ!あいつらのせいにしていたいんだ!」
きっと、この闘いはまだまだ続く。
「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」がいることを
いきなり認められなくてもいい。
そんな、拗ねてる自分の存在に気づくことが、
どーせ私なんかを辞める第一歩かも知れない。
自分を認める旅は、始まったばかり。
何をするにも「どーせ私なんか」と思ってしまう。
「どーせ私なんか」と自己否定するのは苦しい。
なのに、なぜ止められないんだろう。
その理由の1つは、
「どーせできない私」を生み育てたあんたらの子育ては失敗だ、ざまみろ
という、親への無意識の復讐じゃないだろうか。
だけど、「どーせできない私」でいることは、
本当に復讐の成功なんだろうか。
「どーせできない私」でいる限り、
実は親の思惑どおりに支配され続けてるんじゃないだろうか。
つい最近まで自己否定が止められなかった僕が、
「どーせ私なんか」のメカニズムを考えてみる。
ー目次ー
- 「どーせ私なんか」は、親の子育て失敗の証明?
- 「どーせ私なんか」は、親の支配下に置ける好都合な状態
- 親の子育ては失敗と思い込みたい自分の存在
- 自分を認める旅の第一歩は、拗ねてる自分に気づくこと
1.「どーせ私なんか」は、親の子育て失敗の証明?
親が認めてくれず、否定ばかりする
親が自分に関心を向けてくれない
例えばそうやって過ごしてきて
自分は価値のない、何もできない人間と思い込んだら。
自分を大切に扱わない親を、
自分をどーせできない人間だと思わせた親を許せなくなる。
親を許せなくなると、
できるようになること、幸せになることを自分自身が抑える。
なぜなら、
自分が幸せになってしまったら
親の子育ては成功したことになるから。
そんなの認めたくない。
だから、どーせできない私であり続けないと
親に復讐できずに自分が困る。
自分が今こんなに苦しい人生なのは、
自分が何をやってもダメな人間になったのは親のせいだ。
親が自分を認めず、否定し、関心を向けてくれなかったからだ。
その怒りが無意識の復讐心となり、
どーせできない私でいることで「親のせい」と証明しようとする。
2.「どーせ私なんか」は、親の支配下に置ける好都合な状態
でも、
どーせできない私であり続けることは一見、
親への復讐に成功しているように見えて、
実は親の思惑どおりに生きてる。
親はどうして子どもに
どーせ私なんかと思い込ませたいのか。
それは
自信をなくさせた人間は思い通りに動かせるから。
なぜ思い通りに動かしたいのか。それは
親自身が不安で怯えてるから。
思い通りにならず、結果が想像できないことは不安でたまらない。
だから子どもを思い通りに支配して安心しようとする。
子どもがいつまでも
どーせできない私でいてくれれば、
その自己否定を利用し、思い通りに動かせる。
自信なんて持たれたらコントロールできなくなる。
コントロールできなくなると不安でたまらないから、
とにかく否定し、自信をなくさせて、支配下においておきたい。
どーせできない私と自分を責め続けることで、
親の子育て失敗を証明できた!ざまみろ!
と、復讐に成功したと思い込む。
でも、その実態は、
どーせできない私でいる限り
復讐に成功したと言っている自分そのものが
親の手のひらで踊らされる人形なんだ。
3.親の子育ては失敗と思い込みたい自分の存在
どーせ私なんかと、自分を否定するのは苦しい。
苦しみから脱するには、自己否定を止める、
そんなことは頭では十分わかってる。
何十年と積み重なった自己否定の癖を変えるのは難しい。
だから僕を含め、多くの人が苦しんでる。
そして、
どーせ私なんかを止めるのと同じくらい、
「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」を認めるのも苦しい。
自分にあんなことをした親を認めたくない、拗ねていたい。
拗ね続けて「あいつらは失敗した」と思い込んでいれば、
親のせいにできて楽だから。自分と向き合わなくて済むから。
自責思考を変えるのと同じくらい、この葛藤が苦しい。
4.自分を認める旅の第一歩は、拗ねてる自分に気づくこと
僕は今、どーせ私なんかと言わなくなった段階。
自分は自信を持っていい、
幸せに生きていいと思えるようになってきた。
ただ、長らく格闘中の相手は、
「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」。
認めて前を向きたい自分と、
親のせいにして拗ねていたい自分がせめぎ合ってる。
「どーでもいいじゃん、自分が幸せになればさ」
「やだ!あいつらのせいにしていたいんだ!」
きっと、この闘いはまだまだ続く。
「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」がいることを
いきなり認められなくてもいい。
そんな、拗ねてる自分の存在に気づくことが、
どーせ私なんかを辞める第一歩かも知れない。
自分を認める旅は、始まったばかり。
2020年04月18日
電車で高齢者に席を譲るか迷ったら、自分の親切心に正直になる。
交通機関に乗った時に、
多くの人が一度は迷っただろうと思うこと。
それは
お年寄りに座席を譲るかどうか。
譲ると「老人扱いするな!」
譲らないと「老人に席を譲れ!」
そう怒鳴られたような苦い過去があれば、
本音では譲りたくても二の足を踏んでしまう。
そんな、座席を譲るかどうかで揺れた僕の経験を、
話してみようと思う。
ー目次ー
ある日、小樽に行った帰りの電車は珍しく混んでいた。
疲れていた僕は、何とか席を見つけて座った。
小樽駅の次、南小樽駅で、70代くらいの夫婦が乗ってきた。
彼らも疲れた様子だったので、僕は席を譲りたくなった。
でも、ここで過去の2つの苦い経験が二の足を踏ませた。
1つ目は、電車で僕が席を譲ろうとした時。
「俺を老人扱いするな!」
と怒鳴られ、怖い思いをした記憶がよみがえった。
2つ目は、怒鳴られる人を目撃した記憶。
やはり70代くらいの人が乗ってきた時に、
着席していた若い人に
「老人に席を譲れ!」
と怒鳴っている場面に遭遇した。
この時の僕は親切心が経験に邪魔され、
身動きが取れなくなった。
どうしよう。
優しそうな人たちだけど、
あの時みたいに怒鳴られたら嫌だな…。
でも、僕の本音は席を譲りたいと思ってる。
あぁどうしようどうしよう…。
1分くらいの葛藤の末、僕は自分の本音に従った。
疲れた様子の夫婦を見てられなくなった。
「お席どうぞ。」
怒鳴られる覚悟はできた(1分の葛藤で)。
僕は本音で動くんだ、さぁ来るなら来い。
そんな警戒心を、心の奥底に持ちながら。
「あらぁ、ありがとう。」
優しそうに見えた夫婦は、優しかった。
にっこり微笑んで、お礼を言ってくれた。
世界は思ったより優しかった。
札幌に近づく途中の、とある駅で、その夫婦は降車した。
その時、近くに立っていた僕を呼び止め、
「さっきはありがとうね。」
心がほっこり温まった。
電車で席の譲り合いを巡って、嫌な思いをしたり、
区役所やお店でキレる人に遭遇したり。
苦い経験が自分の親切心を鈍らせた。
→「区役所で怒鳴る人に遭遇…。」
→「レジで店員にスゴむ壮年に遭遇。」
だけど、
席を譲った結果どうなるか、
「親切心が仇」になるかどうかは偶然に過ぎない。
誰にもわからない未来を憂いて、本音にフタをしてモヤモヤするか。
席を譲りたいという、自分の本音に正直に行動するか。
結局は、自分がどうしたいかで判断するのが、いちばん大切。
最近は、
何をしても「●●ハラスメント」と呼ばれるからか、
声かけや親切心すらも出しづらくなってきてる。
席を譲ろうとしたら、喜んでもらえる機会の方が多いだろうに、
たった数回のキレられた経験から、行動に移しづらくなってる。
「そんな世の中の風潮を変えたい!」などと、大それたことは言わない。
僕にできるのは、困ってる人がいたら席を譲ること。
できる範囲のことを、本音に正直にやっていきたい。
多くの人が一度は迷っただろうと思うこと。
それは
お年寄りに座席を譲るかどうか。
譲ると「老人扱いするな!」
譲らないと「老人に席を譲れ!」
そう怒鳴られたような苦い過去があれば、
本音では譲りたくても二の足を踏んでしまう。
そんな、座席を譲るかどうかで揺れた僕の経験を、
話してみようと思う。
ー目次ー
- 「俺を老人扱いするな!」「老人に席を譲れ!」
- 「お席どうぞ」「あらぁ、ありがとう」
- 親切心が仇になっても、本音に正直な行動が大切
- 自分にできることは、席を譲ること
1.「俺を老人扱いするな!」「老人に席を譲れ!」
ある日、小樽に行った帰りの電車は珍しく混んでいた。
疲れていた僕は、何とか席を見つけて座った。
小樽駅の次、南小樽駅で、70代くらいの夫婦が乗ってきた。
彼らも疲れた様子だったので、僕は席を譲りたくなった。
でも、ここで過去の2つの苦い経験が二の足を踏ませた。
1つ目は、電車で僕が席を譲ろうとした時。
「俺を老人扱いするな!」
と怒鳴られ、怖い思いをした記憶がよみがえった。
2つ目は、怒鳴られる人を目撃した記憶。
やはり70代くらいの人が乗ってきた時に、
着席していた若い人に
「老人に席を譲れ!」
と怒鳴っている場面に遭遇した。
この時の僕は親切心が経験に邪魔され、
身動きが取れなくなった。
2.「お席どうぞ」「あらぁ、ありがとう」
どうしよう。
優しそうな人たちだけど、
あの時みたいに怒鳴られたら嫌だな…。
でも、僕の本音は席を譲りたいと思ってる。
あぁどうしようどうしよう…。
1分くらいの葛藤の末、僕は自分の本音に従った。
疲れた様子の夫婦を見てられなくなった。
「お席どうぞ。」
怒鳴られる覚悟はできた(1分の葛藤で)。
僕は本音で動くんだ、さぁ来るなら来い。
そんな警戒心を、心の奥底に持ちながら。
「あらぁ、ありがとう。」
優しそうに見えた夫婦は、優しかった。
にっこり微笑んで、お礼を言ってくれた。
世界は思ったより優しかった。
札幌に近づく途中の、とある駅で、その夫婦は降車した。
その時、近くに立っていた僕を呼び止め、
「さっきはありがとうね。」
心がほっこり温まった。
3.親切心が仇になっても、本音に正直な行動が大切
電車で席の譲り合いを巡って、嫌な思いをしたり、
区役所やお店でキレる人に遭遇したり。
苦い経験が自分の親切心を鈍らせた。
→「区役所で怒鳴る人に遭遇…。」
→「レジで店員にスゴむ壮年に遭遇。」
だけど、
席を譲った結果どうなるか、
「親切心が仇」になるかどうかは偶然に過ぎない。
誰にもわからない未来を憂いて、本音にフタをしてモヤモヤするか。
席を譲りたいという、自分の本音に正直に行動するか。
結局は、自分がどうしたいかで判断するのが、いちばん大切。
4.自分にできることは、席を譲ること
最近は、
何をしても「●●ハラスメント」と呼ばれるからか、
声かけや親切心すらも出しづらくなってきてる。
席を譲ろうとしたら、喜んでもらえる機会の方が多いだろうに、
たった数回のキレられた経験から、行動に移しづらくなってる。
「そんな世の中の風潮を変えたい!」などと、大それたことは言わない。
僕にできるのは、困ってる人がいたら席を譲ること。
できる範囲のことを、本音に正直にやっていきたい。
2020年04月17日
子どもにスパルタ練習を課す親 〜子どもは親の劣等感を埋める道具じゃない〜。
区体育館でたまに見かける、
子どもに罵声を浴びせ、スパルタ式にしごく親の姿。
何も知らない、外野の僕は、
子どもたちが望んで取り組んでることかわからない。
もし、親が一方的に厳しくやってるとしたら。
子どもをしごくのは「子どものため」じゃなく、
親の自己愛と劣等感を埋めるためじゃないの?
今まさに、親に厳しくされてる人、
逆に子どもを厳しくしごいてる親がいるなら。
僕の外野からの考えが、少しでも響いたら嬉しい。
ー目次ー
区体育館に行くと、たまにこんな光景を目にする。
10歳くらいの女の子と、
7〜8歳くらいの男の子が必死で練習する姿。
ミニバス少年団に所属してる子だろうか。
そして、
その子たちの練習を仁王立ちで睨みつける母、
コート外でスマホをいじりながら文句を言う母。
そんな親子が3組。
コートに母の罵声が響きわたる。
「ホラ、休むな!」
「動きが遅い!」
「何度言ったらわかるんだ!」
「はい外したー、1からやり直し」
動き続ける子どもたちに笑顔はない。
無言、無表情で、ただ身体を動かし続ける。
そんな姿を見るたびに、僕は疑問に思う。
この子たち、本当にバスケが好きなんだろうか。
親にやらされてるんじゃないだろうか。
そして、親に向けてはこう思う。
そういう罵声や厳しい練習を課す許可を、子どもに取りましたか?
自分の子どもだからどう扱ってもいいと思ってませんか?
あの子たち、最初は好きでバスケを始めたんだと思う。
コートとバッシュの感覚を覚え、
シュートを決めて、ドリブルを覚え、パスを覚え、
きっと、楽しくてわくわくしたと思う。
そんな楽しみを、親は利用してるんじゃないの?
子どもを鍛えて、上達して、活躍して、自分が満足するために。
ウチの子を絶対にスタメンにする、エースにする。
全道大会、全国大会に出させる。
そしたら、チームのエースを鍛えた親が褒められる。
もしくは、
自分は子どもの頃、スタメンになれなかった。
試合に出られなかった。1回戦で負けた。
だから子どもをバスケのエリートにして、自分の悔しさを晴らす。
どちらも親の自己愛を満たし、劣等感を埋めるため。
そこに子どもの意志はない。
「親のスパルタ教育のおかげで、ここまで来れました」
という親子の根性物語を、僕は好きになれない。
子ども本人が心から望んで、心から好きなら素晴らしい。
でも、そうじゃないなら。
気づいたら親にやらされていたなら。
子どもは、親の果たせなかった夢を代替実現する道具じゃないか。
人生を決めるのは本人の意思ではなく、親の劣等感なの?
本当にそれでいいの?
事情もわからない僕が、勝手に悲しいと思うこと。
それは、ずーっと先の未来に、
あの子たちがバスケを嫌いになり、辞めてしまうこと。
そして、
「バスケは親の劣等感を埋めるための道具」
としか教えてくれなかった親を恨むこと。
バスケはこんなに怒鳴られて、走らされる。
バスケは苦役、しんどいだけ。
親は僕らが試合に出て、勝ったら喜んでくれるけど、
レギュラーになれなかったり負けたりしたら不機嫌。
バスケなんて、もう嫌だ。辞めよう。
親はどうしてこんなに苦しいことを僕らに教えるんだろう。
って。
あのスパルタ練習が楽しければいいけど、
苦しいのに親が怖いから従ってるとしたら悲しい。
「あなたのために、心を鬼にしてしごくのよ」
それは親自身の劣等感を子どもで埋めようとしてるだけ。
中学生になり、高校生になり、大人になり、
バスケが苦しくて辞めた。なんてことになってほしくない。
バスケの楽しさを、親の監視ぬきで味わえる機会が、
あの子たちにあればいいなぁ。
子どもに罵声を浴びせ、スパルタ式にしごく親の姿。
何も知らない、外野の僕は、
子どもたちが望んで取り組んでることかわからない。
もし、親が一方的に厳しくやってるとしたら。
子どもをしごくのは「子どものため」じゃなく、
親の自己愛と劣等感を埋めるためじゃないの?
今まさに、親に厳しくされてる人、
逆に子どもを厳しくしごいてる親がいるなら。
僕の外野からの考えが、少しでも響いたら嬉しい。
ー目次ー
- 子どもをしごく親の罵声、子どもに許可は取りましたか?
- ”バスケが楽しい”を奪う、親の自己愛と劣等感
- 親子の二人三脚、根性物語を好きになれない
- ”バスケは苦役”と教えた親を恨むかも知れない
- 親の監視ぬきで、バスケの楽しさを知ってほしい
1.子どもをしごく親の罵声、子どもに許可は取りましたか?
区体育館に行くと、たまにこんな光景を目にする。
10歳くらいの女の子と、
7〜8歳くらいの男の子が必死で練習する姿。
ミニバス少年団に所属してる子だろうか。
そして、
その子たちの練習を仁王立ちで睨みつける母、
コート外でスマホをいじりながら文句を言う母。
そんな親子が3組。
コートに母の罵声が響きわたる。
「ホラ、休むな!」
「動きが遅い!」
「何度言ったらわかるんだ!」
「はい外したー、1からやり直し」
動き続ける子どもたちに笑顔はない。
無言、無表情で、ただ身体を動かし続ける。
そんな姿を見るたびに、僕は疑問に思う。
この子たち、本当にバスケが好きなんだろうか。
親にやらされてるんじゃないだろうか。
そして、親に向けてはこう思う。
そういう罵声や厳しい練習を課す許可を、子どもに取りましたか?
自分の子どもだからどう扱ってもいいと思ってませんか?
2.”バスケが楽しい”を奪う、親の自己愛と劣等感
あの子たち、最初は好きでバスケを始めたんだと思う。
コートとバッシュの感覚を覚え、
シュートを決めて、ドリブルを覚え、パスを覚え、
きっと、楽しくてわくわくしたと思う。
そんな楽しみを、親は利用してるんじゃないの?
子どもを鍛えて、上達して、活躍して、自分が満足するために。
ウチの子を絶対にスタメンにする、エースにする。
全道大会、全国大会に出させる。
そしたら、チームのエースを鍛えた親が褒められる。
もしくは、
自分は子どもの頃、スタメンになれなかった。
試合に出られなかった。1回戦で負けた。
だから子どもをバスケのエリートにして、自分の悔しさを晴らす。
どちらも親の自己愛を満たし、劣等感を埋めるため。
そこに子どもの意志はない。
3.親子の二人三脚、根性物語を好きになれない
「親のスパルタ教育のおかげで、ここまで来れました」
という親子の根性物語を、僕は好きになれない。
子ども本人が心から望んで、心から好きなら素晴らしい。
でも、そうじゃないなら。
気づいたら親にやらされていたなら。
子どもは、親の果たせなかった夢を代替実現する道具じゃないか。
人生を決めるのは本人の意思ではなく、親の劣等感なの?
本当にそれでいいの?
4.”バスケは苦役”と教えた親を恨むかも知れない
事情もわからない僕が、勝手に悲しいと思うこと。
それは、ずーっと先の未来に、
あの子たちがバスケを嫌いになり、辞めてしまうこと。
そして、
「バスケは親の劣等感を埋めるための道具」
としか教えてくれなかった親を恨むこと。
バスケはこんなに怒鳴られて、走らされる。
バスケは苦役、しんどいだけ。
親は僕らが試合に出て、勝ったら喜んでくれるけど、
レギュラーになれなかったり負けたりしたら不機嫌。
バスケなんて、もう嫌だ。辞めよう。
親はどうしてこんなに苦しいことを僕らに教えるんだろう。
って。
5.親の監視ぬきで、バスケの楽しさを知ってほしい
あのスパルタ練習が楽しければいいけど、
苦しいのに親が怖いから従ってるとしたら悲しい。
「あなたのために、心を鬼にしてしごくのよ」
それは親自身の劣等感を子どもで埋めようとしてるだけ。
中学生になり、高校生になり、大人になり、
バスケが苦しくて辞めた。なんてことになってほしくない。
バスケの楽しさを、親の監視ぬきで味わえる機会が、
あの子たちにあればいいなぁ。
2020年04月16日
息子の土下座を見て、満足げに帰る親 〜人生最大の屈辱〜。
僕は結婚する直前に、人生最大の屈辱を味わった。
パートナーの家族のいる前で土下座する息子を見て、
満足げな面持ちの両親。
親への怒り、憎しみに支配されていた頃の、
狂った自分の気持ちを素直に書く。
同じように今、親への怒りを吐き出している人に、
何か届いたら嬉しい。
ー目次ー
僕は”居候”扱いする親と喧嘩を繰り返し、
リストカットとオーバードーズの末に家を飛び出した。
そうして親と音信不通になり、2年後に結婚が決まった。
僕は自分の家族に入籍を知らせず、式も挙げたくなかった。
相手の親族がそれを許さず、顔合わせの場が設けられた。
某ホテルの小会議室に集まったのは、
パートナーの家族のいる前で土下座する息子を見て、
満足げな面持ちの両親。
親への怒り、憎しみに支配されていた頃の、
狂った自分の気持ちを素直に書く。
同じように今、親への怒りを吐き出している人に、
何か届いたら嬉しい。
ー目次ー
- 結婚式を巡る、両家の顔合わせ
- 息子の土下座を見届け、満足げに立ち去る両親
- 支配欲の充足、”恥をかかせてやろう”
- この屈辱は無駄じゃない、今のところは
1.結婚式を巡る、両家の顔合わせ
僕は”居候”扱いする親と喧嘩を繰り返し、
リストカットとオーバードーズの末に家を飛び出した。
そうして親と音信不通になり、2年後に結婚が決まった。
僕は自分の家族に入籍を知らせず、式も挙げたくなかった。
相手の親族がそれを許さず、顔合わせの場が設けられた。
某ホテルの小会議室に集まったのは、
- 僕とパートナー
- 僕の両親と妹弟
- パートナーの両親と妹
の9名。
父は正装に近いスーツ。
母も正装に近い服装ながら、
ブラウスにはシミがつき、生地もくたびれて
みすぼらしい雰囲気だった。
父は場をわきまえず、
いつものように一人でしゃべり倒した。
父が息継ぎするタイミングで
パートナーの両親が何とか式の話をねじこんだ。
費用、日取り、その他もろもろ、
僕の両親は興味がなさそうな素振りで
次にしゃべりまくるタイミングを伺っているように見えた。
2.息子の土下座を見届け、満足げに立ち去る両親
なんとか話し合いが終わり、おひらきかという時、
父「おい、航(ワタル)」
親は突然、口調を変え、僕を呼び止めた。
※「航」は僕の旧名
「家庭裁判所で戸籍改名、”代えの利かない自分”を生き直す。」
父「で、何か言うことあるんじゃないか?」
母「あと一言なきゃねぇ。」
全員が静まり返り、僕に視線が集まった。
今まで話し合っていた内容が内容、
僕に何をしてほしいか、察しがついた。
「…式の費用、出してください…」
僕は悔しさをこらえ、小声で絞り出すも、届かなかった。
ん?聞こえない。というジェスチャーが見えた。
悔しさで身体が震え出し、恥ずかしさで顔が紅潮する。
パートナーの両親は帰り支度を始めている、
待たせるわけにはいかない。
早くしろという声が、僕の中でどんどん大きくなる。
ついに、
「お金、出してください!お願いします!」
僕は近くの椅子をどかし、
石材のフロアに手をつき、土下座した。
父「よーしよし」
それを見た両親は、満足げな面持ちでさっさと帰っていった。
妹弟は親に続いて、無言で立ち去った。
3.支配欲の充足、”恥をかかせてやろう”
僕の家族が立ち去った後、
僕はあまりの悔しさと屈辱で、その場に崩れ落ちた。
パートナーは僕の肩を抱きかかえ、
両親と妹は、何が起きたのかと啞然としていた。
式について話し合うはずの、両家の顔合わせ。
僕の親が大暴れし、異常な家族関係の暴露になってしまった。
親からすれば、逆らって出ていった挙句の結婚に
金を出すのは気分が悪くて当然。
ただ、去り際の満足げな面持ちから、
僕が読み取ったのは、それだけじゃなかった。
「相手の家族の前で、恥をかかせてやろう」
そんな、支配欲の充足だった。
4.この屈辱は無駄じゃない、今のところは
あの頃の僕にとって、親は怒りと憎しみの対象だった。
自分を家族扱いしない、信頼に値しない、
支配、コントロール、服従、反抗、愛情飢餓…。
親の敵視、世界への歪んだ認識、僕は狂っていた。
人生最大の屈辱を味わい、始まった結婚生活は2年で幕を閉じた。
→「半日で協議離婚が成立した時の話 〜パートナーの両親がやってきて「じゃ、元気でな」。〜」
皮肉にも、幕を閉じたから自分が狂っていたことに気づいた。
自分の家族の異常さにも気づいた。
だから、土下座の屈辱は無駄じゃなかった。
あくまでも、今のところは。
2020年04月15日
【発達障害】”国旗マニア”を誇れるようになった経緯 〜夢中な人は輝いてる〜。
僕は8歳で世界地図と年鑑に夢中になり、
世界のすべての国旗を当てられるようになった。
結果、
学校で「国旗マニア、キモい」といじめられ、
「何かに詳しくなることは恥ずかしいんだ」
という考えに長らく縛られて生きてきた。
もし今、何か飛び抜けて詳しい知識があることで
いじめられ、悩んでる人がいたら。
僕が辿った
「マニアやオタクでいることは恥ずかしい」
↓
「そこまでのめり込む力を誇っていい」
というマインド転換の経緯が参考になれば嬉しい。
ー目次ー
自閉症スペクトラムによく見られる特徴
世界のすべての国旗を当てられるようになった。
結果、
学校で「国旗マニア、キモい」といじめられ、
「何かに詳しくなることは恥ずかしいんだ」
という考えに長らく縛られて生きてきた。
もし今、何か飛び抜けて詳しい知識があることで
いじめられ、悩んでる人がいたら。
僕が辿った
「マニアやオタクでいることは恥ずかしい」
↓
「そこまでのめり込む力を誇っていい」
というマインド転換の経緯が参考になれば嬉しい。
ー目次ー
- 自閉症スペクトラムの特徴”狭くて深い興味と知識”
- 国旗に詳しくても褒められない、いじめられるんだ
- 悔しさと嫉妬心、”同じことをしてるのに、なぜあの子は褒められるの?”
- 過去の棚卸が教えてくれた、”好きを貫いて、輝いていい”
- ”のめり込む力”を誇って生きていきたい
1.自閉症スペクトラムの特徴”狭くて深い興味と知識”
自閉症スペクトラムによく見られる特徴
- 独特のこだわりがあり、興味や関心の幅が狭い
- そのため限定的な範囲の知識がものすごく深くなる
- 学校は均質な労働者を育てるために「出る杭を打つ」場所
- 自分が理解できないことをけなす人間もいる
僕は世界地図の暗記と、国旗作りに夢中になった。
画用紙に描いた国旗を切り取り、
「国旗入れ」と名付けた専用ペンケースに入れて持ち歩いた。
まるで英単語の暗記用カードだった。
社会科の授業で先生が国旗の絵を出し、
「どこの国かわかる人」と挙手を求めた。
僕はすぐに手を挙げ、授業のたびに即答した。
先生がマイナーな国旗を持ってきても、
挙手のスピードは変わらなかった。
2.国旗に詳しくても褒められない、いじめられるんだ
毎回の授業で国旗を当て続ける僕は、
クラスで「すごい」と一目置かれることはなかった。
むしろ始まったのは、陰口といういじめ。
「出た出た、国旗マニア」
教室のどこからともなく、小声で聞こえてきた。
クラスで「キモい」扱いが露骨になる中、
僕は次第にこう思うようになった。
人より地図や国旗に詳しくなっても、誰にも褒められない。
むしろ、それを見せたらいじめられるんだ。
いじめられるということは、
地図や国旗に詳しいことは、恥ずかしいんだ。
当時、描きかけだったアフリカ諸国の国旗たちは完成せず、
僕は12歳で国旗作りを辞めた。
3.悔しさと嫉妬心、”同じことをしてるのに、なぜあの子は褒められるの?”
数年前、
僕と同じように世界の国旗を手作りし、
すべて覚えた小学生が、ニュースで紹介されていた。
インタビュアーが驚き、褒めたたえる姿を見た僕は、
悔しさと嫉妬が止まらなくなった。
それがメディアの、商業目的の台本とわかっていても。
どうして、まったく同じことをしてるのに、
この子は「詳しい、すごい」と褒められ、
僕は「国旗マニア、キモい」といじめられたの?
もちろん、褒められるためにやってたわけじゃない。
だけど、悔しさと嫉妬心でいっぱいの自分には、
「人と比べても仕方ない」という言葉は届かなかった。
4.過去の棚卸が教えてくれた、”好きを貫いて、輝いていい”
数年が経ち、
僕は自分がアダルトチルドレンだと気づいた。
そこから親との関係を洗い出す中で、
学校の仕組みや、人間の多様性についても学んだ。
これが理解できてから、国旗に詳しいあの子の
バックグラウンドを想像できるようになった。
この子だってクラスでは
僕と同じように「国旗マニア」と呼ばれてるかも知れない。
飛び抜けて詳しい”出る杭”は、学校では打たれる。
嫉妬を買って、いじめられてるかも知れない。
その上で、周りがどう言おうと”好き”を貫いてるから、
あんなにキラキラした表情だったんじゃないか。
国旗作りを辞めた僕は、たぶん暗い顔をしていた。
好きなことを語ってるあの子の顔は輝いていた。
僕も、輝いてよかったんだ。
そう悟った時、
「国旗マニアは恥ずかしい」が、
「のめり込む力がある自分を誇っていい」に変わった。
5.”のめり込む力”を誇って生きていきたい
僕は今でも、Google地図を眺め出したら止まらなくなる。
マニアと呼べるほどでもないけど、
今は世界の離島や極地を調べるのが楽しい。
それについて、もし何か言われたら、
その時は悲しんで、凹んでも、辞めようとは思わない。
だって、
夢中になれるものがあるって素晴らしいし、
夢中になってる時って、最高に楽しいでしょ?
いじめが嫌で封印して
褒められてる人に嫉妬して
過去の棚卸の中でたくさん学んで
自分も輝いていいんだと悟って
マニアは誇っていいんだとわかって
ようやくたどり着いた、マインドの転換。
今後、
好きなこと、尖ることを批判され、凹んだとしても、
”のめり込む力”を誇って生きていきたい。
2020年04月14日
自己受容の秘訣は、”できない自分を認める”の解釈を変えること。
僕は自己肯定感がゼロに近かった。
だから人の役に立つことで、自分は必要な人間だと実感したかった。
有益な人間でいなければ自分には価値がない、
そこに居るだけでは自分に価値がないと思い込んでいた。
自分を認められない、許せない。ずっと苦しかった。
自己肯定感、自尊心を高めたかった。
役立てない、できない自分を認めたかった。
でも、しっくりこない。
何をすれば、できない自分を認めたことになるんだろう。
何をすれば「欠けてる自分」という欠乏感を無くせるだろう。
自己受容ができず悩んでいた1年前、僕は突然
「できない自分を認める」の解釈を変えることができた。
「今できること以外はできない」
「今できないことは、練習してできるようになればいい」
こうして、自分なりの自己受容の方法を見つけた。
ー目次ー
僕にとって、「できない自分を認める」のは
ずっと違和感が強かった。
できる自分でありたい、現実はそうもいかない、
だからできない自分を認め、受け入れないと自分が苦しい。
頭では十分わかってた。
でも、
できない自分を認めようとすればするほど、
「できない自分を認めなくてはならない」という
義務感に変化していった。
できない自分を認めることすら、自分にはできないのか。
何かが欠けている、劣っている、そんな欠乏感はずっと消せないのか。
できない自分を認められなくて苦しんできたのに、
できない自分を認められない自分が、もっと苦しくなった。
そんな「できない自分」を巡る苦悩に変化があったのは、
ある日の社会人バスケのプレー中だった。
試合に負け、相手にいいようにされ、悔しがる。
そんな自分を突然、遠くから見つめる目が訴えかけてきた。
「できないプレーばかり数えてない?」
「手持ちの武器を数えなさいよ!」
僕はハッとした。
相手の得意な土俵で、無理に勝負を仕掛ける自分に気づいた。
「負けたくない」の裏にある、
ちっぽけなプライドを捨てられない自分に気づいた。
その日から、僕の考え方が変わった。
長い目で物事を考える余裕が、突如として現れた。
どうせ今できるプレー以外はできないんだから、
練習して何年後かにできるようになってればいい。
数年後、まだできてなかったら、
さらにまた練習すればいいじゃないか。
いつまでもできるようになれないか不安?
結局できるようになれなかったら無駄?
全然。
だって、僕には
「馬鹿正直に練習し続ける力」だけはあるから。
→悔しかったあの頃の自分へ、「大丈夫、10年後に見返せるから」。
人生を掘り返したら、
自信を持って「力」と呼べる能力が、自分にはあった。
バスケでそう思えるようになってから、
日常生活でも応用しようと意識を始めた。
すると、
できないこと、能力が低いことに遭遇した時の
自分の反応が変わっていった。
そんなセルフトークを繰り返すうちに、
僕はいつの間にか自分に合った自己受容の方法を見つけていた。
「ありのままの自分を認めよう」と思うよりも、
「どうせ今できないでしょ?」と開き直る方がしっくりきた。
「自己肯定感、自尊心を高めよう」
「できない自分、ありのままの自分を認めよう」
そう思えて、違和感なく進めるなら、ぜひ続けていいと思う。
僕はそれがかえって義務感に変わってしまったけど、
開き直りという自分なりの方法にたどり着けた。
自分に合った自己受容の方法はある。見つけられる。
それが僕みたいに好きなことをやってる時か、
いつ訪れるかはわからないけど、
”今”見つからないだけ。
何年後かに見つかっていればいいじゃない。
食事に行ったら気を遣い過ぎて、
料理の取り分けばかりする僕でも見つけられたんだから。
だから人の役に立つことで、自分は必要な人間だと実感したかった。
有益な人間でいなければ自分には価値がない、
そこに居るだけでは自分に価値がないと思い込んでいた。
自分を認められない、許せない。ずっと苦しかった。
自己肯定感、自尊心を高めたかった。
役立てない、できない自分を認めたかった。
でも、しっくりこない。
何をすれば、できない自分を認めたことになるんだろう。
何をすれば「欠けてる自分」という欠乏感を無くせるだろう。
自己受容ができず悩んでいた1年前、僕は突然
「できない自分を認める」の解釈を変えることができた。
「今できること以外はできない」
「今できないことは、練習してできるようになればいい」
こうして、自分なりの自己受容の方法を見つけた。
ー目次ー
- ”できない自分”を認められずに苦しむ
- バスケが教えてくれた”手持ちの武器を数えなさい”
- 練習して、何年後かにできればいいでしょ?
- ”どうせ今はできないでしょ?”という開き直りがしっくりきた
- 自分に合った自己受容の方法はある
1.”できない自分”を認められずに苦しむ
僕にとって、「できない自分を認める」のは
ずっと違和感が強かった。
できる自分でありたい、現実はそうもいかない、
だからできない自分を認め、受け入れないと自分が苦しい。
頭では十分わかってた。
でも、
できない自分を認めようとすればするほど、
「できない自分を認めなくてはならない」という
義務感に変化していった。
できない自分を認めることすら、自分にはできないのか。
何かが欠けている、劣っている、そんな欠乏感はずっと消せないのか。
できない自分を認められなくて苦しんできたのに、
できない自分を認められない自分が、もっと苦しくなった。
2.バスケが教えてくれた”手持ちの武器を数えなさい”
そんな「できない自分」を巡る苦悩に変化があったのは、
ある日の社会人バスケのプレー中だった。
試合に負け、相手にいいようにされ、悔しがる。
そんな自分を突然、遠くから見つめる目が訴えかけてきた。
「できないプレーばかり数えてない?」
「手持ちの武器を数えなさいよ!」
僕はハッとした。
相手の得意な土俵で、無理に勝負を仕掛ける自分に気づいた。
「負けたくない」の裏にある、
ちっぽけなプライドを捨てられない自分に気づいた。
3.練習して、何年後かにできればいいでしょ?
その日から、僕の考え方が変わった。
長い目で物事を考える余裕が、突如として現れた。
どうせ今できるプレー以外はできないんだから、
練習して何年後かにできるようになってればいい。
数年後、まだできてなかったら、
さらにまた練習すればいいじゃないか。
いつまでもできるようになれないか不安?
結局できるようになれなかったら無駄?
全然。
だって、僕には
「馬鹿正直に練習し続ける力」だけはあるから。
→悔しかったあの頃の自分へ、「大丈夫、10年後に見返せるから」。
人生を掘り返したら、
自信を持って「力」と呼べる能力が、自分にはあった。
4.”どうせ今はできないでしょ?”という開き直りがしっくりきた
バスケでそう思えるようになってから、
日常生活でも応用しようと意識を始めた。
すると、
できないこと、能力が低いことに遭遇した時の
自分の反応が変わっていった。
- これはできない、そんな自分はダメだ
”今”できないのが現実、良いも悪いもない - 役立てない、そんな自分には価値がないんだ
”今”役立てなかっただけ、次回できればいいでしょ?
そんなセルフトークを繰り返すうちに、
僕はいつの間にか自分に合った自己受容の方法を見つけていた。
「ありのままの自分を認めよう」と思うよりも、
「どうせ今できないでしょ?」と開き直る方がしっくりきた。
5.自分に合った自己受容の方法はある
「自己肯定感、自尊心を高めよう」
「できない自分、ありのままの自分を認めよう」
そう思えて、違和感なく進めるなら、ぜひ続けていいと思う。
僕はそれがかえって義務感に変わってしまったけど、
開き直りという自分なりの方法にたどり着けた。
自分に合った自己受容の方法はある。見つけられる。
それが僕みたいに好きなことをやってる時か、
いつ訪れるかはわからないけど、
”今”見つからないだけ。
何年後かに見つかっていればいいじゃない。
食事に行ったら気を遣い過ぎて、
料理の取り分けばかりする僕でも見つけられたんだから。