2020年04月17日
子どもにスパルタ練習を課す親 〜子どもは親の劣等感を埋める道具じゃない〜。
区体育館でたまに見かける、
子どもに罵声を浴びせ、スパルタ式にしごく親の姿。
何も知らない、外野の僕は、
子どもたちが望んで取り組んでることかわからない。
もし、親が一方的に厳しくやってるとしたら。
子どもをしごくのは「子どものため」じゃなく、
親の自己愛と劣等感を埋めるためじゃないの?
今まさに、親に厳しくされてる人、
逆に子どもを厳しくしごいてる親がいるなら。
僕の外野からの考えが、少しでも響いたら嬉しい。
ー目次ー
区体育館に行くと、たまにこんな光景を目にする。
10歳くらいの女の子と、
7〜8歳くらいの男の子が必死で練習する姿。
ミニバス少年団に所属してる子だろうか。
そして、
その子たちの練習を仁王立ちで睨みつける母、
コート外でスマホをいじりながら文句を言う母。
そんな親子が3組。
コートに母の罵声が響きわたる。
「ホラ、休むな!」
「動きが遅い!」
「何度言ったらわかるんだ!」
「はい外したー、1からやり直し」
動き続ける子どもたちに笑顔はない。
無言、無表情で、ただ身体を動かし続ける。
そんな姿を見るたびに、僕は疑問に思う。
この子たち、本当にバスケが好きなんだろうか。
親にやらされてるんじゃないだろうか。
そして、親に向けてはこう思う。
そういう罵声や厳しい練習を課す許可を、子どもに取りましたか?
自分の子どもだからどう扱ってもいいと思ってませんか?
あの子たち、最初は好きでバスケを始めたんだと思う。
コートとバッシュの感覚を覚え、
シュートを決めて、ドリブルを覚え、パスを覚え、
きっと、楽しくてわくわくしたと思う。
そんな楽しみを、親は利用してるんじゃないの?
子どもを鍛えて、上達して、活躍して、自分が満足するために。
ウチの子を絶対にスタメンにする、エースにする。
全道大会、全国大会に出させる。
そしたら、チームのエースを鍛えた親が褒められる。
もしくは、
自分は子どもの頃、スタメンになれなかった。
試合に出られなかった。1回戦で負けた。
だから子どもをバスケのエリートにして、自分の悔しさを晴らす。
どちらも親の自己愛を満たし、劣等感を埋めるため。
そこに子どもの意志はない。
「親のスパルタ教育のおかげで、ここまで来れました」
という親子の根性物語を、僕は好きになれない。
子ども本人が心から望んで、心から好きなら素晴らしい。
でも、そうじゃないなら。
気づいたら親にやらされていたなら。
子どもは、親の果たせなかった夢を代替実現する道具じゃないか。
人生を決めるのは本人の意思ではなく、親の劣等感なの?
本当にそれでいいの?
事情もわからない僕が、勝手に悲しいと思うこと。
それは、ずーっと先の未来に、
あの子たちがバスケを嫌いになり、辞めてしまうこと。
そして、
「バスケは親の劣等感を埋めるための道具」
としか教えてくれなかった親を恨むこと。
バスケはこんなに怒鳴られて、走らされる。
バスケは苦役、しんどいだけ。
親は僕らが試合に出て、勝ったら喜んでくれるけど、
レギュラーになれなかったり負けたりしたら不機嫌。
バスケなんて、もう嫌だ。辞めよう。
親はどうしてこんなに苦しいことを僕らに教えるんだろう。
って。
あのスパルタ練習が楽しければいいけど、
苦しいのに親が怖いから従ってるとしたら悲しい。
「あなたのために、心を鬼にしてしごくのよ」
それは親自身の劣等感を子どもで埋めようとしてるだけ。
中学生になり、高校生になり、大人になり、
バスケが苦しくて辞めた。なんてことになってほしくない。
バスケの楽しさを、親の監視ぬきで味わえる機会が、
あの子たちにあればいいなぁ。
子どもに罵声を浴びせ、スパルタ式にしごく親の姿。
何も知らない、外野の僕は、
子どもたちが望んで取り組んでることかわからない。
もし、親が一方的に厳しくやってるとしたら。
子どもをしごくのは「子どものため」じゃなく、
親の自己愛と劣等感を埋めるためじゃないの?
今まさに、親に厳しくされてる人、
逆に子どもを厳しくしごいてる親がいるなら。
僕の外野からの考えが、少しでも響いたら嬉しい。
ー目次ー
- 子どもをしごく親の罵声、子どもに許可は取りましたか?
- ”バスケが楽しい”を奪う、親の自己愛と劣等感
- 親子の二人三脚、根性物語を好きになれない
- ”バスケは苦役”と教えた親を恨むかも知れない
- 親の監視ぬきで、バスケの楽しさを知ってほしい
1.子どもをしごく親の罵声、子どもに許可は取りましたか?
区体育館に行くと、たまにこんな光景を目にする。
10歳くらいの女の子と、
7〜8歳くらいの男の子が必死で練習する姿。
ミニバス少年団に所属してる子だろうか。
そして、
その子たちの練習を仁王立ちで睨みつける母、
コート外でスマホをいじりながら文句を言う母。
そんな親子が3組。
コートに母の罵声が響きわたる。
「ホラ、休むな!」
「動きが遅い!」
「何度言ったらわかるんだ!」
「はい外したー、1からやり直し」
動き続ける子どもたちに笑顔はない。
無言、無表情で、ただ身体を動かし続ける。
そんな姿を見るたびに、僕は疑問に思う。
この子たち、本当にバスケが好きなんだろうか。
親にやらされてるんじゃないだろうか。
そして、親に向けてはこう思う。
そういう罵声や厳しい練習を課す許可を、子どもに取りましたか?
自分の子どもだからどう扱ってもいいと思ってませんか?
2.”バスケが楽しい”を奪う、親の自己愛と劣等感
あの子たち、最初は好きでバスケを始めたんだと思う。
コートとバッシュの感覚を覚え、
シュートを決めて、ドリブルを覚え、パスを覚え、
きっと、楽しくてわくわくしたと思う。
そんな楽しみを、親は利用してるんじゃないの?
子どもを鍛えて、上達して、活躍して、自分が満足するために。
ウチの子を絶対にスタメンにする、エースにする。
全道大会、全国大会に出させる。
そしたら、チームのエースを鍛えた親が褒められる。
もしくは、
自分は子どもの頃、スタメンになれなかった。
試合に出られなかった。1回戦で負けた。
だから子どもをバスケのエリートにして、自分の悔しさを晴らす。
どちらも親の自己愛を満たし、劣等感を埋めるため。
そこに子どもの意志はない。
3.親子の二人三脚、根性物語を好きになれない
「親のスパルタ教育のおかげで、ここまで来れました」
という親子の根性物語を、僕は好きになれない。
子ども本人が心から望んで、心から好きなら素晴らしい。
でも、そうじゃないなら。
気づいたら親にやらされていたなら。
子どもは、親の果たせなかった夢を代替実現する道具じゃないか。
人生を決めるのは本人の意思ではなく、親の劣等感なの?
本当にそれでいいの?
4.”バスケは苦役”と教えた親を恨むかも知れない
事情もわからない僕が、勝手に悲しいと思うこと。
それは、ずーっと先の未来に、
あの子たちがバスケを嫌いになり、辞めてしまうこと。
そして、
「バスケは親の劣等感を埋めるための道具」
としか教えてくれなかった親を恨むこと。
バスケはこんなに怒鳴られて、走らされる。
バスケは苦役、しんどいだけ。
親は僕らが試合に出て、勝ったら喜んでくれるけど、
レギュラーになれなかったり負けたりしたら不機嫌。
バスケなんて、もう嫌だ。辞めよう。
親はどうしてこんなに苦しいことを僕らに教えるんだろう。
って。
5.親の監視ぬきで、バスケの楽しさを知ってほしい
あのスパルタ練習が楽しければいいけど、
苦しいのに親が怖いから従ってるとしたら悲しい。
「あなたのために、心を鬼にしてしごくのよ」
それは親自身の劣等感を子どもで埋めようとしてるだけ。
中学生になり、高校生になり、大人になり、
バスケが苦しくて辞めた。なんてことになってほしくない。
バスケの楽しさを、親の監視ぬきで味わえる機会が、
あの子たちにあればいいなぁ。
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