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2020年04月19日

「どーせ私なんか」のメカニズム 〜親への復讐か、親の支配下からの脱出か〜

自己肯定感、自尊心が低いと、
何をするにも「どーせ私なんか」と思ってしまう。

「どーせ私なんか」と自己否定するのは苦しい。
なのに、なぜ止められないんだろう。



その理由の1つは、

「どーせできない私」を生み育てたあんたらの子育ては失敗だ、ざまみろ
という、親への無意識の復讐じゃないだろうか。




だけど、「どーせできない私」でいることは、
本当に復讐の成功なんだろうか。

「どーせできない私」でいる限り、
実は親の思惑どおりに支配され続けてるんじゃないだろうか。




つい最近まで自己否定が止められなかった僕が、
「どーせ私なんか」のメカニズムを考えてみる。


ー目次ー
  1. 「どーせ私なんか」は、親の子育て失敗の証明?
  2. 「どーせ私なんか」は、親の支配下に置ける好都合な状態
  3. 親の子育ては失敗と思い込みたい自分の存在
  4. 自分を認める旅の第一歩は、拗ねてる自分に気づくこと

1.「どーせ私なんか」は、親の子育て失敗の証明?

親が認めてくれず、否定ばかりする
親が自分に関心を向けてくれない

例えばそうやって過ごしてきて
自分は価値のない、何もできない人間と思い込んだら。

自分を大切に扱わない親を、
自分をどーせできない人間だと思わせた親を許せなくなる。



親を許せなくなると、
できるようになること、幸せになることを自分自身が抑える。

なぜなら、
自分が幸せになってしまったら
親の子育ては成功したことになるから。


そんなの認めたくない。

だから、どーせできない私であり続けないと
親に復讐できずに自分が困る。



自分が今こんなに苦しい人生なのは、
自分が何をやってもダメな人間になったのは親のせいだ。
親が自分を認めず、否定し、関心を向けてくれなかったからだ。




その怒りが無意識の復讐心となり、
どーせできない私でいることで「親のせい」と証明しようとする。

2.「どーせ私なんか」は、親の支配下に置ける好都合な状態

でも、

どーせできない私であり続けることは一見、
親への復讐に成功しているように見えて、
実は親の思惑どおりに生きてる。




親はどうして子どもに
どーせ私なんかと思い込ませたいのか。

それは
自信をなくさせた人間は思い通りに動かせるから。



なぜ思い通りに動かしたいのか。それは
親自身が不安で怯えてるから。

思い通りにならず、結果が想像できないことは不安でたまらない。
だから子どもを思い通りに支配して安心しようとする。



子どもがいつまでも
どーせできない私でいてくれれば、
その自己否定を利用し、思い通りに動かせる。

自信なんて持たれたらコントロールできなくなる。

コントロールできなくなると不安でたまらないから、
とにかく否定し、自信をなくさせて、支配下においておきたい。



どーせできない私と自分を責め続けることで、
親の子育て失敗を証明できた!ざまみろ!
と、復讐に成功したと思い込む。


でも、その実態は、

どーせできない私でいる限り
復讐に成功したと言っている自分そのものが
親の手のひらで踊らされる人形なんだ。


3.親の子育ては失敗と思い込みたい自分の存在

どーせ私なんかと、自分を否定するのは苦しい。

苦しみから脱するには、自己否定を止める、
そんなことは頭では十分わかってる。

何十年と積み重なった自己否定の癖を変えるのは難しい。
だから僕を含め、多くの人が苦しんでる。



そして、

どーせ私なんかを止めるのと同じくらい、
「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」を認めるのも苦しい。

自分にあんなことをした親を認めたくない、拗ねていたい。
拗ね続けて「あいつらは失敗した」と思い込んでいれば、
親のせいにできて楽だから。自分と向き合わなくて済むから。




自責思考を変えるのと同じくらい、この葛藤が苦しい。

4.自分を認める旅の第一歩は、拗ねてる自分に気づくこと

僕は今、どーせ私なんかと言わなくなった段階。

自分は自信を持っていい、
幸せに生きていいと思えるようになってきた。



ただ、長らく格闘中の相手は、
「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」。

認めて前を向きたい自分と、
親のせいにして拗ねていたい自分がせめぎ合ってる。

「どーでもいいじゃん、自分が幸せになればさ」
「やだ!あいつらのせいにしていたいんだ!」


きっと、この闘いはまだまだ続く。



「親の子育ては失敗と思い込みたい自分」がいることを
いきなり認められなくてもいい。

そんな、拗ねてる自分の存在に気づくことが、
どーせ私なんかを辞める第一歩かも知れない。

自分を認める旅は、始まったばかり。



posted by 理琉(ワタル) at 23:48 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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