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猫10匹を一列に並ばせて食事をさせた結果がこちら

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子猫もいればおとなの猫もいる……そんな猫10匹がいる状況で、横並びにエサ入れを置いて与えてみたそうです。

戦争でも起きるのか、それとも仲良く食べるのか、映像をご覧ください。





なんてお行儀のよい猫たち!

横一直線でもドーナツ状でも秩序を乱すことはなく、下手な人間以上に食事のマナーが良いですね……。

最後まで平らげているのは子猫。さすが育ちざかりの食欲ですね。





眼科専門医が教える。水道水で目を洗ってはいけない

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かつて、「プールや海水浴のあとは水道の水で目を洗いましょう」と教えられた時代があります。そのためか、いまも目がしょぼしょぼするときやコンタクトレンズを外したときに、水道水で目を洗う習慣はありませんか。

眼科専門医でみさき眼科クリニック(東京都渋谷区)の石岡みさき院長は、「いまでは、水道水で目を洗うと悪影響があることが分かっています」と言います。詳しいお話を聞きました。

■水道水に含まれる塩素が目の表面を傷付ける

水道水が目によくないとはどういう理由なのでしょうか。石岡医師はこう説明します。
「水道水で目を洗うことは、以前は奨励されて学校でも教育されていましたが、今の医学では否定されています。水道水には、感染症を引き起こすウイルスや細菌、病原微生物を消毒するための塩素が含まれていて、これが目の表面を傷付けるおそれがあるからです。

目の表面は3つの層で覆われています。外側は油層、真ん中が涙層、内側がムチン層です。ムチンとは糖分とたんぱく質の混合物で、涙や水分をためて目の潤いを保ち、眼球を保護する役割があります。水道水で目を洗うと塩素がこのムチンを洗い流すため、目に傷が付く可能性が高くなるのです」

ただし、「目にゴミなどが入ったときは別」と、石岡医師は注意を付け加えます。
「ゴミやまつ毛、洗顔石けん、シャンプーなど、水道水よりも目に傷を付ける危険性が高い異物が入った場合は、すぐに水道水で洗い流してください。水道水でムチンを洗い流すことよりも、異物のほうが目に傷を付ける可能性が高いからです」

日常的に、水道水でいつも目を洗う必要はなく、危険でもあるということですか。
「そうです。特に目に異常がないのに、コンタクトレンズを外すたびに目を水道水で洗うとか、入浴中に顔を洗うついでにシャワーで目を洗い流す人もいます。洗顔や洗髪、歯磨きと同じ感覚で、日常的に水道水で目を洗う行為は、目を傷付けるだけです」(石岡医師)

■コンタクトレンズを外したときの付着物は、汚れではない

目の表面に傷が付くと、どのような症状が現れるのでしょうか。
「目の感染症である角膜炎(かくまくえん)や結膜炎(けつまくえん)を引き起こす危険性が増します。また、アレルギーやアトピーがある場合は塩素で傷ができやすい傾向にあり、充血しやすくなります。目の充血は、炎症や傷などの異変が起きているというサインです」と石岡医師。

1日使ったコンタクトレンズを外すと汚れがたくさん付着しています。目を毎日洗った方がよいと思い込んでいました。
「レンズに付いているのは、ムチンや、はがれた上皮細胞(じょうひさいぼう)で、汚れではないことがほとんどです。それを目の汚れと勘違いして水道水で目を洗うと、目の表面を保護している物質をわざわざ洗い流して傷をつくるだけになるのです」(石岡医師)

■目は涙などの成分で守られていて、自浄力がある

かつて、「水道水で目を洗え」と教えられた世代は、「洗顔時や入浴時など、日常的に目を洗っている」と言います。どうすればいいでしょうか。
「以前は、抗菌作用のある市販の点眼薬がなかったので、感染症を予防するために、水道水で目を洗うしかなかったんです。いまは薬局で、防腐剤が含まれていない生理食塩水の『人工涙液』の点眼薬が売られているので、緊急時ではなく日常で目を洗いたいときはそれを使用してください。

本来は、異物が目に入ったときでも、人工涙液の点眼薬で洗い流す方が安全ですが、入浴中にシャンプーが目に入って痛いときに、それらを取り出す余裕はないでしょう。緊急性がある場合は現実的な対応をしてください。

知っておきたいのは、目の表面は三層の成分で頑丈に守られていて、自浄力が備わっているということです。過剰な洗眼や点眼をすると、それが妨げられてしまいます」(石岡医師)

目は、歯や髪と違って洗うものではなく、ムチンや涙で保護されているため、水道水で洗い流すと目の機能を妨げて傷を付けるだけ、ということです。ゴミや異物が入ったとき以外、日常的に水道水で目を洗うことはやめるようにしましょう。





「手配写真」のシステムを作ったひとが、日本初の指名手配犯だってほんと?

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悪いことをすると街じゅうに張り出される「手配写真」。そのシステムを作り出した江藤新平(えとうしんぺい)こそが、日本で最初に「指名手配」された人物なのはご存じでしょうか? 日本の司法制度の祖とも呼べる江藤新平は、現在の法務大臣や最高裁判所長官にあたる初代司法卿(しほう)を務め、日本の近代化に尽力した人物。江戸時代からおこなわれていた「人相書き」を「手配写真」に変え、警察の近代化もこのひとの功績です。ところが政府とは意見が合わず反乱に加担……こともあろうか自分の「手配写真」が出回り、日本発の「指名手配犯」になってしまったのです。■罪を憎んでひとを憎まず



明治維新の立役者のひとりである江藤新平は、1834年に佐賀藩の武士の長男として誕生した。16歳になると藩校である弘道館で学び、やがては政治結社・義祭(ぎさい)同盟のメンバーとなり、大隈重信らと行動を共にします。23歳になると「開国してもっと強い国になるべき」とした意見書・図海策(ずかいさく)を作成。先見の明がある! と評価され、これを機に脚光を浴びるようになりました。



28歳のときに脱藩し京都で活動、桂小五郎や伊藤博文など明治初期に活躍した人物らと交流を持つように。当時の「脱藩」は重罪で、江藤も捕まり佐賀に連れ戻されてしまいます。通常なら死刑にあるところを藩主・鍋島直正(なべしま なおまさ)の温情によって無期限謹慎に減刑されました。33歳になると、政権が朝廷に返上される「大政奉還」がおこなわれ、これを機に謹慎が解除され、江藤は佐賀藩の代表として政治デビューを果たしました。

それからの江藤は「法律こそ近代国家の根底」と考え、法律と司法制度の整備に尽力します。1872年・39歳のときに初代・司法卿(しほうきょう)に就任、現在なら法務大臣、最高裁判所長官などに相当する重職なので、活躍ぶりがうかがえよう。その後は「人民の権利を保護する」をキャッチフレーズに司法制度の土台を確立、悪人を取り締まるのと同時に「罪を憎んで人を憎まず」の精神から「監獄則および監獄図式」を発令。いまでいう刑務所での規則にあたり、

・まじめに作業した者には工銭(=給料)を支払う

・刑務所内に病院を新設する

と人間味あふれる内容もあれば、

・逃亡したらすぐに捕まえられるように、あらかじめ写真を撮っておく

と、性善説?性悪説?の両面を備えていた。この写真こそが、日本の元祖・手配写真である。

■法に守られなかった「法の番人」

順調に思えた江藤の人生は、1873年に一変する。よりにもよって政府相手に暴動を起こしてしまうのです。江戸幕府から切り替わったばかりの明治政府は文字通り混乱の毎日で、激しい意見の対立など朝飯前、意見が通らなかった江藤は、西郷隆盛らとともに職を辞し佐賀に戻りました。ところが、江藤を待ち受けていたのは不満をもった士族たちで、最初はなだめていたものの引っ込みがつかなくなり、ついに反乱へと発展します。これが1874年の佐賀の役である。

悪い流れは変わらないもので、1ヶ月ほどで敗退……応援を請うため江藤は薩摩や土佐を巡るがこれも空振り。今の高知県で捕まってしまいました。このとき、決め手になったのが「手配書」で、つまりは自分の作ったシステムによって、逮捕されてしまったのです。

東京で裁判にかけられることを望んだが、ろくな審議もされずその日のうちに死刑が言い渡され、江藤はその生涯を閉じる。彼が作り出した「手配写真」は機能したようだが、肝心の「法」はどこ吹く風か。江藤の理想は先進的すぎたようです。



・「手配写真」を作り出したのは、江藤新平

・39歳で司法卿(しほうきょう)に就任。日本の「法」の祖と呼べる人物

・意見の対立を理由に辞職、佐賀に戻って暴動を起こす

・手配書によって逮捕された、日本初の指名手配犯でもある…






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