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玉置浩二『スペード』七曲目「スペード」です。玉置さんの曲でアルバムのタイトルナンバーはしばしばシングル曲でないのですが(「あこがれ」「CAFE JAPAN」「JUNK LAND」「GRAND LOVE」「ニセモノ」と半数以上が該当します。「LOVE SONG」はアルバム名『LOVE SONG BLUE』にニアミスですんでこれらに並べるか一瞬迷うところですが、よく考えたらシングルです)、アルバムの象徴となる曲でありしばしばシングル曲を超えるインパクトを残してくるのです。これもそんな曲です。
そのインパクトを生み出しているのはしばしば歌のメロディではなくリズム、そしてリフレインです。玉置さんは安全地帯のころからその卓越したメロディセンスによって人を酔わせる美旋律を次々と繰り出し多くの人をノックアウトしてきたわけなんですが、このアルバムが出た2001年、玉置さんのトレードマークである美旋律はすっかり影を潜めリズムとリフレイン主体に移行していたのでした。言葉もときにはとことんロマンチックに、ときにはとことんシリアスにその美旋律を彩ってきた松井さんの言葉ではなく、玉置さん自身の魂をダイレクトに届かせるかのような、リフレインと一体化した強烈な言葉へと変わっていました。ですから、このインパクトを正確に感受できた人は多くなかったと考えられます。人間、そこにあるものをそこにあるから感受するのではなく、そこにあると期待・想定するものをそこにあるものの中から優先的に感受するものだからです。だからこそわたしたちは雑踏の喧騒の中でも知り合いとのおしゃべりを続けることができるのでしょう。
安全地帯の失われた90年代、わたしたちはいつだって玉置さんの声とあの美旋律を求めてきたように思います。安全地帯のアルバムを手に入れるとかならず陶酔できたあの快感をずっと玉置ソロに求めてきたのです。そしてその渇望は『JUNK LAND』『GRAND LOVE』あたりまではつねにある程度満たされてきました。ですが、『ニセモノ』『スペード』ではもはやそれを満たすものはなく、喧騒の中で会話が成り立っていると思っていたら実はお互い全然別の事を話していたことを後になって知り愕然としたような感覚を味わうことになったのです。ここを乗りこえることができたリスナーと乗りこえられず離れてしまったリスナーの感覚にズレが生じる時代といえます。場合によっちゃ不和に発展するかもしれません。「ミキちゃんランちゃんスーちゃん絶対やめちゃだめだー!」「いや僕だって淋しいけどさ、普通の女の子に戻りたいって気持ちを尊重しようよ本当のファンならさ」「なにをー!貴様おれを本当のファンじゃないというのか!表に出ろ!」みたいな感じで。いやー罪作りなことです(笑)。わたくしですか?キャンディーズの時代は小学校に入る前でしたから、特に意識しませんでした。土曜のドリフで出てくる人たちが変わったというくらいで。ですが、少年〜青年期のわたくしにとっての安全地帯・玉置浩二はそれとはまったく事情が異なっており、安全地帯の代わりなんてなかったんです。だから、玉置ソロの変化は玉置ソロの変化として、安全地帯とは別個に受け止めるしかありませんでした。安全地帯は唯一無二でもう姿が見えないもの、玉置ソロはそれに次ぐもので現在あるもの、という感覚です。第一ニカイア公会議で言うとアリウス派ですから、異端として排斥されてしまっても仕方がない立場です。やっぱり罪作りですねえ(笑)。
「カカッカカッカ!カーカッ!カカッカカッカ!カーカッ!カカッカカッカ!カーカッ!」というリズムがアコギで刻まれ、それに乗せて鋭いメロディーをスチール弦の響き(オクターブで二本重ねている?)で何度も繰り返す(リフレイン)という、もうそれだけでこの曲の骨格が半分以上出来上がってしまっています。Bad Religion「American Jesus」なみのインパクトの強さです。もう、正体不明なパーカッションがなんであるかとか、安藤さんの鍵盤の音が「シュワー」と不思議な音を背景に入れているとか、そういった要素がもうあまり気にならないくらいのインパクトです。
歌詞のほうはといえば、力強いサウンドとは別にヨブの忍耐のような敬虔な男の心情が訥々と語られるのです(Job's Patienceですんで「ヨブの忍耐」というんだと思っていたのですが、どうも日本では「ヨブの苦難」という言い方をすることが多いようです)。いや、占いとかやってみてるんですけども(笑)、音楽に対してはいささかも玉置さんの信念が揺らがなかった点で、ヨブになぞらえたいのです。占い、これは陰陽道でしょうか、「方角が悪かった」と言ってますし。でも「晩年は良くなってくる」のも「だそうだ」ですから、あんまり信じてませんね。どうでもいいよって感じでしょう。昨日はあの辺にて今日はここまで来たという、日々の歩みの確実さに比べれば、そんなあやふやで遠い話なんで知ったことじゃないですし、明日どっちに行くべきかという切実さに比べれば無に等しい指標です。ここでリフレインからリズムを変えてBメロ、そんな夢とも現実ともつかぬ運勢運命など意に介さないでただひたすらに心を込めて音楽と向き合うんだと力強く宣言をしたかと思うと「ダダッダ!…スタン!」と通常のドラムが入り、「ガマン……ガマン……」おおよそサビにふさわしくないメイン旋律らしからぬコーラスの入った叫びとも呟きともつかぬ心情の吐露がリフレインとともに展開されます。こんなサビありか!しかも歌詞カードを見ると「我慢だ ガマン」と書かれていますが「だ」は実際に歌われていないようにしか聴こえません。型破りにもほどがある!自由律か!ツッコミどころだらけなのにそのインパクトは心に強く刻印され、易々とついつい口ずさんでしまうに至ります。「そうすりゃいいことあるだろう」「どうだ」!いやどうだって言われたって……でも、自分の人生で我慢が肝心な時期を迎えたらこれが沁みて仕方なくなるんです。バイクでバイパスを走り、ちょっと泣きながら「ガマン……ガマン……」とヘルメットの中で歌うくらいにまで心が浸食されます。これこそが安全地帯の頃から変わらぬ玉置ワールドの強さなのでした。
短い間奏を挟み歌は二番、「切り札はスペード」と勝負に興じている様子が歌われます。ですがやっぱり勝敗など占いと同じくどうでもいいようで、運は運でしかなく、そんなの我慢して着実に積み重ねていく実力に比べたら屁でもない、そのためならその日暮らしだっていい、我が身を捨てて道化になってもいい(ジョーカーを引いて負けたっていい)我慢だ、ガマン……そうすりゃどうにかなる、いいことがある……この「どうにかなる」「何とかなる」「いいことある」だって、その日がしのげる程度のことかもしれません。でも、しのげればいいのです。
最後の「ガマン……」はギターのアオリが入って、そのままアウトロのギターソロへの導入になっていきます。これが玉置さんが矢萩さん風に弾いたものか矢萩さんが弾いたものか区別がつかないくらい、もう二人が一体化した様子のよくわかるソロになっています。そのソロもこだわることなく、次曲「ブナ」がリプライズになっているのかと思うくらいあっさり終わります。「アンクルオニオンのテーマ」と「スペード」、「ブナ」は一つの曲なんだとわたくし思っています。新たな三位一体説です(笑)。アルバム全体での構成というかコンセプトというか……Queensrÿcheの『Operation Mindcrime』みたいな意味でのアルバム全体の組み立て方という点では、わたくし安全地帯とか玉置ソロとかに格別の期待をしたことがほとんどないんですが、この三曲に関してはその趣を強く感じます。安全地帯・玉置ソロ全体を見渡してみても、とりわけ感動が強い組み立て方だと思っています。
さてさて……二か月以上も更新できずにおりましたが、ようやくこの記事を書くことができました。年単位で休んでいたのが2020年にとつぜん更新を再開して半年くらい書いたと思ったらまたドカンと何か月か休んだ時以来でしょうか。いやーあのときはすっかりpandemic fatigueでした。いまでも完全にはコロナ以前に戻ってませんね。全米でタバコの消費量が上がったそうですから、ある意味コロナによって昔に戻ったところはあるんでしょうけども、なんだかよくわかんないですねえ。時は戻ったり進んだりするものでなくて、ただただすべてが今なんだ、というのが正しいのでしょう。玉置さんの音楽も「進んだ」「戻った」と考えるのはナンセンスなんだと思わずにいられません。
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