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2021年01月21日
ワクチン接種を巡っても混乱(正月十八日)
ハンドボールの世界選手権のカーボベルデは結局プレーできる選手を集められないということで出場辞退ということになった。せっかくエジプトまで出かけたのに1試合、初戦でハンガリーに負けただけで終わってしまった。当初の予定では最終戦のウルグアイに勝って、2次グループに進出というところだったのだろうけど。これ以上没収試合が増えないことを願うのみである。
さて、本題である。ファイザー社のワクチンがEUでも認可されて、加盟各国への搬送が始まったのが昨年の年末のこと。それがチェコに届いてワクチン接種が始まったのは、クリスマス開けの週末のことだった。当然、医療関係者の中でも特に感染者の処置に関っている人から優先的に接種されることになったのだが、慌てすぎているのではないかという印象を拭えなかった。
どうも、国内での各病院への搬送も製造業者のファイザーに任せていたようで、案の定、すぐにあちこちの現場から、予定していたワクチンが届かないとか、来ないはずのワクチンが届いて接種する人を集めるのが大変だったとか悲鳴が上がり始めた。政府だけの責任ではなく、ファイザー社の供給体制が不安定だったのも原因なのだけど、政府のやり方が無計画、無責任だったことは否定できない。
その後、チェコに供給されたワクチンの数と、実際に接種された数に大きな差があることが判明して、政府が当初主張していたような届いた分はすぐに接種にまわしていて順調に進んでいるというのがまやかしでしかないことが明らかになった。計画的に、毎日一定数の接種を行うために、一度どこかに集めてからチェコ各地に配送するシステムになっていれば、この差はいくら大きくても問題はないと思うのだが、そんなことはしていなかったからなあ。
二つ目の認可されたモデルナ社のワクチンも、一回目に納入された分は、数の関係でオストラバのあるモラビアシレジア地方だけで使用することになったのはいいにしても、納入の予定がころころ変わっていたのには現場の人たちは大変だろうなと同情を禁じえなかった。実際に病院を運営する地方から上がってくる不満の大半は、情報が、正確であれ不正確であれ届かないことで、これは春の最初の流行時から変わっていない。
政府の予定では、少なくともこちらが理解した範囲では、まず、感染が広まったら困る医療関係者、長期入院者、老人ホーム関係者、入居者のワクチン接種が終わってから、少しずつ対象を広げていくという話だった。それが全国的なコーディネートが存在しないので、医療関係者や老人ホームの接種が終わらないうちに、厚生省などの役人、地方の役人などまで摂取を受け始め、今月の半ばからは、80歳以上のお年寄りを対象にワクチン接種の予約が始まることになった。
役人のワクチン接種に関しては、その家族までもがなぜか優先的に接種を受けたということで、1980年代の、知り合いの知り合いをたどって便宜を図ってもらう必要のあった時代に逆戻りじゃないかと強く批判され、責任者が辞任することになった。地方の役人はパルドビツェだったか、フラデツ・クラーロベーだったかの地方政府の高官が、なぜか優先的に接種されたときに、奥さんまで連れてきて接種させたらしい。好き勝手なことをやるのはANOの政治家だけではないのである。
15日の金曜日に始まった高齢者の予約のネット上での受付は、あれこれ批判を浴びながらも、例えば80歳以上の人がネットを使いこなして予約なんでできるのかとか、予約の手続きが煩雑すぎて手間がかかりすぎるとか言われていたのだが、何とか機能している。理解不能なのは、病院関係者などへの接種が完全に終わっていないのに、一般の80歳以上の高齢者への接種を始めたことで、当初の計画とは大きく変わっている。
その結果、12月に一回目の接種を受けた人たちはそろそろ二回目の接種が必要なはずだが、ワクチンの数が足りなくなる恐れが出てきて、一週間延ばそうとか言い出している。一番の原因はファイザー社が生産量を増やすために生産体制の改変を実施し、その間生産量を減らすと言い出したことだけれども、行き当たりばったりではなく計画的に進めていればこんなアホなことにはならなかったはずである。一部の地方からはすべてのワクチンの接種が終わったのに新しいのが届かないなんて悲鳴も上がっているしさ。
全国的な予約システムも機能していないとは言わないけれども、予約した時間に出かけたのに接種は受けられなかったなんてことが何件も起こったらしい。接種を待つ間のお年寄りの様子がニュースで流れたのだが、以前と変わらず普通に隣り合って座っていた。検査の際には2メートルの間隔をあけろという政府の推奨がある程度守られているのに、いいのか、これでと思った人は多いはずだ。ワクチン接種の際に感染なんて洒落にならないことが起こっても不思議はない。
こういう混乱振りを見ていると、二回摂取を受けなければならないワクチンが、現時点で二種類使用されているわけだが、一回目と二回目で別のワクチンの接種を受けるなんて事故が発生してもおかしくないような気もする。幸いなことに今のところ二つ目のワクチンはモラビアシレジア地方でしか使用されていないし、モラビアシレジア地方にはファイザー社のワクチンは届いていないはずだから起こりようはないのだけど、今後の展開しだいではありえないとはいえないのである。
チェコという国は、政治家や官僚のだめさを、現場の有能な人たちの工夫で何とか支えて持っている国である。ただ、現在のように現場が疲弊していると、現場の人たちが間違いを犯しても責められない。責められるべきは政府であり官僚たちである。批判ばかりしている野党が政権をとっていたとしても大差はなかっただろうとは思うけど。
2021年1月19日23時。
タグ:コロナウイルス
2021年01月20日
4格をとる前置詞最終回(正月十七日)
ハンドボールの世界選手権の出場を辞退したのはチェコだけではなかったようだ。オーストリアとの試合を見たスイスが、アメリカが辞退したことで出場権が回ってきたらしい。解説の話では出場権が回ってくることを信じて、決まる前から選手を集めて合宿を組むなどしっかり準備をしていたようで、オーストリアにも勝ったし、ノルウェーともいい試合をしていた。
そして今日、ドイツとカーボベルデの試合が中止となり没収試合扱いで、ドイツが10−0で勝利したことになっていた。恐らく感染者が大量に出てチーム編成ができない状態になったのだろう。チェコも無理に出場していたら、こんなことになっていた可能性もあるわけだ。
とまれ、前置詞の続き。4格をとる前置詞。まずは「v」から。「v」というとどうしても場所をあらわすときに使う6格との組み合わせの印象が強いのだが、例外的に「na + 4格」を取る動詞がいくつか存在する。
・věřit(信じる)
日本語では、「〜を信じる」なので、前置詞なしの4格を取ると思いがちなのだが、チェコ語では3格を取ることが多い。ここまではいいのだが、信じる対象が抽象的な名詞の場合に、「v + 4格」を取ることがあるのだ。「Věřím v Boha(神を信じている)」、「Věřím v budoucnost(未来を信じている)」なんて使い方を見たときには、正直やめてくれと思ったのだが、印象が強かったのか覚えてしまった。自分で使う機会はあまりないのだけど、うまく使えるとうれしい表現のひとつである。
・proměnit se(変身する)
カフカの『変身』のチェコ語訳は「Proměna」だが、その動詞形が「proměnit se」となる。グレゴール・ザムザが変身したのは虫だったが、変身する対象を「v + 4格」で表して「Proměnil se v hmyz」と言う。チェコの童話ではしばしば魔法使いの呪いで、登場人物が変身させられるわけだけれども、その時は、「se」の代わりに変身させられる人物を4格にすることになる。
動作の対象を表すといえそうな「v + 4格」についてはこのぐらいしか書くことがない。例外的な使用法なのである。
この用法の最後は、「o + 4格」であるが、「o」も典型的な6格をとる前置詞で、4格を取るのは例外的である。ただその例外が重要なものというのが困りものである。
・zajímat se(興味がある)
名詞として使った場合の、「Mám zájem o」は、使いやすい覚えやすいということからか、チェコ語の勉強の最初のほうで出てくる。初学のころなんて自己紹介をするにしても大したことは言えないから、お世話になったものだ。これを勉強したときに4格を取るというのも覚えたはずなのだが、まだ格変化を本格的に勉強し始めたところだったので完全には定着しなかったのだろう。その後、前置詞「o」は、6格を取り意味は「〜について」だということを勉強したときに、「Mám zájem o」の後も6格じゃないかと混同してしまった。「Mám zájem o Japonsko」という文は覚えていたけれども、6格を取るのとどちらが正しいのかで頭を抱えたことがある。
それに対して、動詞として使う「zajímat se」のほうは、かなり勉強が進んでから覚えたので、格で混乱した記憶はない。ただ、以前も書いた「zajímá mě」のほうをよく使うようになったこともあるし、自分の言葉で言えることが増えたせいで、わざわざ「〜に興味があります」なんてことを言わなくてもよくなったこともあって、最近は「Mám zájem」も「Zajímám se」も全く使っていない。
最後はまた覚えておいたほうがいい使い方を。形容詞、副詞の比較級を使う場合に、二つのものの間にある差を「o + 4格」で示すのである。一般的には数詞を使うことが多けれども、頭一つ分の差とか、指一本分の差なんてことをいうこともある。「Jsem o dva roky starší než on(私はあの人より2歳年上です)」とか、「Ten kůň doběhl do cíle o hlavu rychleji než druhý(その馬は2位の馬より頭一つ分先にゴールした)」などという具合である。
形容詞、副詞を使わない場合にも使うことはあるけれども、使える動詞は、形容詞から作られた動詞や、「間に合わない」「届かない」など限定的である。以前サッカーの中継で、ボサーク師匠が動詞は忘れたけど、「o prsa korejské ženy」とか言っていた。国が国なら差別だとか叩かれまくるのだろうけど、チェコだしボサーク師匠だし特にそんなことはなかったと思う。
以上で4格をとる前置詞の説明は終わりである。特に最後の動作の対象を示す使い方については、動詞との組み合わせで覚えておかなければならないことを改めて強調しておく。何らかのルールがあってそれに基づいて考えれば正しく使えるのであれば、学習者は誰も苦労しないのである。何と組み合わせるかわからない動詞が出てきたら、経験をもとに推測するしかないのだが、大抵は「mimo」になることが多い。語学の勉強なんてそんなもんである。
2021年1月18日24時30分。
2021年01月19日
4格を取る前置詞4(正月十六日)
ハンドボールの世界選手権、開催国エジプトが強い。初戦のチリは相手が相手だったので勝っても、相手を圧倒してもそれほど驚かなかったけど、チェコでも苦戦することの多い、相手ホームではほぼ絶対に勝てない北マケドニアを粉砕していた。準々決勝を目標にしているというのは、本気だったようだ。
とまれ、チェコ語の4格の話、前置詞を使って動作の対象を表す使い方の続きである。二つ目は、個人的にすべての前置詞の中で一番厄介だと思っている「za」をとる動詞である。
・děkovat(感謝する)
お礼を言うときに使う動詞で、感謝する相手は3格。確か千野栄一氏がチェコ語のお礼の言葉は「十九番」と言っておけばいいなってことを言っていたけれども、「Děkuju vám」まではお礼の言葉として、観光でチェコに来る人でも覚えている人が多いのではなかろうか。一歩進むと、その後に「za + 4格」で何に対してお礼を言うのか表現できるようになる。「za pomoc(手伝い)」「za pozvání(招待)」「za radu(助言)」なんかがよく使われる。さらに先に行くなら、名詞で済ませずに、「za to」の後ろに「že」で始まる節をつけて文で具体的な御礼の対象を表現することができる。去年は「Děkuji vám všem za to, že jste všichni dodržovali vládní opatření(みなさま、政府の規制をまもってくれてありがとうございます)」なんて、心にもなさそうな発言を何度も聞かされたものだ。
・omlouvat se(謝罪する)
謝罪のための動詞も、感謝のときとまったく同じように使う。謝罪する相手は3格、謝罪の対象となることは「za + 4格」で、「za to, že」でより具体的にすることもできる。初めて聞いたときには、「Já se vám omlouvám」の、「vám」で韻を踏んでいるような最後の二語の響きが美しくて聞きほれたのを覚えている。
謝罪するときには、もう一つ「prominout」という動詞を使うこともあるが、こちらの本来の意味は「許す」で、命令形の「promiň(te)」を謝罪の言葉として使うのである。ただし「omlouvat se」とはちがって、具体的な謝罪の対象については「za to」は使わずに、直接「že」でつなぐだけでいい。
・trestat(罰する)
処罰の対象となる行為を「za + 4格」で表す。動詞ではなく名詞「trest」にも同様につけることができ、何に対する罰なのかを表現する。裁判での判決や、刑務所に入っているなんてことを説明する際に別の動詞が使われた場合も、処罰の対象となる行為は、「za + 4格」で表す。スポーツの反則も同様である。
逆に表彰されるような行為についても、「za + 4格」で表すことが多い。一番有名なノーベル賞の中でもオリンピック度同様に役目を終えたものを例にとると、「Nobelova cena za mír(平和賞)」「Nobelova cena za literaturu(文学賞)」となる。
・považovat(みなす)
これは対象と言っていいのかどうか微妙なのだけれども、「AをBとみなす」というときのBにあたる部分を「za + 4格」で表す。この言葉を覚えたばかりの頃は、なぜかすごく便利な言葉のように思えて、濫用していたのだが、最近はとんと使わなくなった。昔と違ってあえてややこしい言い回しを使わなくなったからかな。
こちらも最後に、知っておくと便利な表現を紹介して終わりにしよう。一つ目は「stojí za to + 動詞」。この「stojí」は、「いくらですか」と聞くときの「stojí」だが、「値する」という意味だと理解できる。それに「za to + 動詞」を組み合わせると、「〜するに値する」とか「〜する甲斐がある」という意味になるのである。
二つ目は可能を表す動詞「moct」と「za to」を組み合わせた表現で、「Za to můžeš ty(お前が悪い)」とか、「Za to můžu já(私のせいです)」などと使う。何でそんな意味になるのかはよくわからないけれども、便利なのでよく使う。よく使うのだけど、「za」はやっぱりよくわからんというのが正直なところである。
2021年1月17日23時。
2021年01月18日
4格を取る前置詞3(正月十五日)
ハンドボールの世界選手権の話が長くなって、実は今日も日本がクロアチアに勝ったら、ハンドボールにしようかとも思ったのだけど、終了直前に追いつかれて引き分けに終わったので、当初の予定通りチェコ語に戻ることにする。前半の前半しか見られなかったから、大センザツェにはならない引き分けぐらいだとかけることも多くないのである。
ということで、承前。
D動作の対象を表す前置詞
この中には、個別に取り上げた「pro」も入ると思うのだが、いくつかある前置詞の個々の意味の違いは全く判然としない。どの前置詞を使うかは動詞によって決まるとしか言いようがなく、動詞を覚える際に組み合わせるべき前置詞も覚えなければならない。
まずは「na + 4格」をとる動詞から。
・čekat(待つ)
待つ対象を「na + 4格」で示すのだが、それを知らないと前置詞なしの4格にしてしまいそうである。ややこしいのは人間が主語で、誰かや何かを待つ場合には、前置詞の「na」が必要なのに、逆に、何か、特にイベントの類が人間を待つという場合には、前置詞なしの4格で済む点である。「Čeká mě těžká zkouška(難しい試験が私を待っている)」などと使うのだが、日本風の言い方をするなら、「私は難しい試験を控えている」とでもなるだろうか。
・dívat se(見る)
これも4格でよさそうだが、前置詞「na」が必要になる。同じように「見る」と訳せる「vidět」のほうは前置詞なしの4格である。この二つの動詞の区別は、意識して見ようとして見るのが、「dívat se」で、自然と目に入ってくるのを見るのが「vidět」だという。人によっては「vidět」は日本語の「見える」に対応するともいうのだけど、「見える」に対応するのは「je vidět」という使い方で、「vidět」自体は「見る」と「見える」の中間的な存在だと考えている。
・zeptat se(質問する)
質問する相手は2格で表すが、何を質問するのかは、「na + 4格」で示す。チェコに来たばかりのころは、これを使って、「Mohl bych se vás na něco zeptat?(ちょっと質問してもいいですか)」とあちこちで質問していた。もちろん「Mám otázku(質問があります)」なんて簡単な言い方も使ったけれども、見ず知らずの人に使うには直接的過ぎるので、師匠との授業中とか、知り合いに質問するのに使っていた。師匠に丁寧な言い方で質問を求めると、嫌がられたのでこんな言い方も使う必要があったのである。「Mám na tebe otázku」なんていうこともあったから、ここでも「na + 4格」がでてきた。
・myslet(考える)
普通に何活にいて考えるという場合には、「o + 6格」でいいのだが、誰かのことを考える場合には、「na + 4格」を取る。「na + 4格」は人じゃなくてもいいかもしれないし、人の場合でも「o + 6格」を使えるような気もする。つまり区別がよくわからないということなのだが、自分では最初に書いたように使い分けをしている。
延々と動詞をいくつも並べていっても仕方がないので、これぐらいにしておくが、「jít + na + 4格」も、この動作の対象を表すものに入れてよさそうである。
最後に「na + 4格」を使った覚えておくと便利な表現を紹介して、またまた無駄になったこの記事を終わらせよう。動詞「mít」と組み合わせて、その能力があるかどうかを表すことができる。普通は「Nemá na to」という形で、話題にされている仕事や課題を達成するだけの力がないことをいう。サッカーの試合の中継のときにボサーク師匠がある外国人選手について、「Na českou ligu nemá(チェコリーグでプレーするレベルにない)」とかなんとか言っていたのも覚えているが、この表現の意味を知らなかったときには、何のことやらさっぱりわからなかった。
次は「za + 4格」の予定である。
2021年1月16日22時30分。
2021年01月17日
小さな絆創膏(正月十四日)
チェコ語で、「マラー・ナープラスト」というと、絆創膏の小さなものを指す言葉だが、ときどき比喩的に、絶望を味わった後の小さな喜びをこの言葉で表すことがある。スポーツの試合なら、大惨敗をした試合で、最後に若手の期待選手がちょっとした活躍を見せたようなときに、その活躍をせめてもの絆創膏、つまりは心の傷をふさぐものだと比喩的に言うのである。
と書けば、おわかりであろう。絶望と共に始まった今年のハンドボール世界選手権を見ていて小さな、本当に小さな喜ぶべき事実を発見したのだ。ささい過ぎて中継される試合を全部見るぞという気合を入れることはできないのだけど、チェコと同グループになるはずだったスウェーデンを応援して、その試合はできるだけ見るようにしようと思うことができた。
今日もまた、6時過ぎに自宅に戻ってきてテレビをつけたら、オーストリアとスイスの試合が放送されていた。前半が終わった時点で同点で、オーストリアならチェコ代表勝てるはずだよなあとか、何でオーストリアとスイスは無事に出場できて、チェコはできなかったんだろうなんてことを考えてしまって、試合を見ていても、試合自体は互角の面白い試合だったのだけど、あまり楽しくなく、後半はまたニュースにチャンネルを合わせた。
そして、8時半からはスウェーデンとチェコの代理で出場している北マケドニアの試合の放送が始まることは知っていたけれども、北マケドニアのハンドボールは嫌いでチェコの代理に選ばれたことが許せないので、自らに観戦を禁じるためにその時間帯にシャワーを浴びることにした。当然、試合が終わるまでの間シャワーを浴び続けていられるわけがなく、寝巻きに着替えた後についついハンドボールにチャンネルを変えてしまった。
テレビ画面にハンドボールが映っていれば、ささいなわだかまりは捨て去って、見てしまうのは仕方がない。他のチャンネルで見るに値するものが放送されていれば話は違うのだろうけれども、チェコも日本よりはましだけど、テレビで放送されるものの多くは、あえて見る価値などのない暇つぶしにしかならない番組である。残念ながら今日も例外ではなかった。
後半開始から見始めた試合は、スウェーデンが大きくリードしていて、チェコだったらもう少しマシな試合をしているだろうと想像できただけでもちょっとした喜びではあった。ただ、点差がつくと、無観客の試合はどうしてもだれてしまうもので、途中からスウェーデンのプレーの質が北マケドニアと同レベルまで落ちて何ともしょうもない試合になっていた。途中、10分近くどちらも得点できない時間帯があったんじゃなかったかな。最終的にはスウェーデンが10点以上の差をつけて勝った。
喜びはその結果ではなく、スウェーデンのゴールキーパーの名前にある。以前の大会、ヨーロッパ選手権にも出場していたと思うのだが、アンドレアス・パリチカというのである。毛っこベテランだったと記憶するから、この大会にも出ているとは思わなかった。パリチカは父親がチェコスロバキアの出身だというから、チェコ代表のいない今回の世界選手権においては、チェコ代表の代わりのようなものだ。だから、チェコの代役としてパリチカのいるスウェーデンを応援するために、スウェーデンの試合はできるだけ見ることにしよう。ちょっとだけ楽しみが増えた。それにしてもチェコの代役がスロバキアにならなかったことが残念でならない。
ところで、大会のホームページを見ていて不思議なことに気づいた。国旗の代わりにシュートする選手をモチーフにしたマークが書かれている国が存在して、RHFという国名になっている。開けてみたらロシア代表のことのようだった。IHFのワイルドカードで出場というのだけど、ドーピング疑惑でオリンピックから除外されたロシアは、あらゆるスポーツで世界選手権などの国際大会に公的には出場できなくなっているのだったか。それを救済するためにRHF、多分ロシアハンドボール協会名義で、ワイルドカードで出場させたということか。やっぱ、IHFも腐ってるなあ。
三日連続ハンドボールねたで、同じような愚痴の繰り返し、絶望の大きさがわかってもらえるものと思う。
2021年1月14日24時。
2021年01月16日
世界選手権開幕(正月十三日)
チェコ代表が出場自体を余儀なくされて、何が何でも見なければならないという気分は失せてしまったのだが、ハンドボールの試合である。機会があれば、仕事があっても後回しにして見てしまうことになるだろう。今日も自宅に戻ってテレビをつけたら、世界選手権の開幕戦が行われていたので見てしまった。チェコ代表が辞退を決める前は、仕事を早めに切り上げて試合開始から見るぞと張り切っていたのにすっかり忘れていた。
開幕戦なので開催国のエジプトの試合だったが、対戦相手はグループ最弱と見られるチリ。前半終了間際でエジプトが、7点差でリードしていた。チリのディフェンスが荒くて、数分しか見ていないのに二人か三人の退場者を出していた。エジプト側も退場者がいたから、例のアラブの笛というわけではなく、実力差どおりの点差という印象だった。
あまり面白い試合ではなかったので、チェコ代表が出ていたらつまらない試合でも最後まで見ていただろうけど、後半はニュースにチャンネルを変えた。スポーツニュースでエジプトの勝利を伝えていたのだが、両チームの得点を確認しようと、大会のホームページを覗いたら、Gグループの結果画を伝えるページのこの試合のところには開始時間が書かれているだけだった。使えねえ。
チェコ代表が辞退したということは、このグループは3チームになるのかと思っていたのだが、代理のチームが参加するようで、すでに4チームの名前が並んでいた。代理のチームは、北マケドニア、韓国が旭日旗だと批判しそうな国旗が表示されていた。よりによってバルカンハンドボールの国かよ。またちょっとこの大会を見る意欲が下がってしまった。チェコ代表がなんどバルカンの笛に泣かされてきたことか、それを考えると、チェコの代わりに北マケドニアを選ぶのは、嫌がらせにしか思えないのだけど、被害妄想の類かなあ。
ところで、エジプトとチリの試合のハーフタイムの番組に、ハンドボール協会の会長が出演して辞退に至った経緯をややこしく説明していた。ややこしくというのは何が言いたいのかよくわからなかったからで、理解できたのは、出場辞退は、一部のファンが疑っているのとは違って、協会の幹部で決めたことではなく、代表チームのほうから辞退したいと声が上がってきて、検討した結果、今回は辞退したほうがいいという決定に至ったということだった。責任は自分がとるけれども、決定を下したのは自分ひとりではないとも言っていたかな。
とまれ、年末までは順調に準備が進んでおり、監督二人の陽性が判明したときも、フェロー諸島に出発する前に、選手のうちの一人が陽性となったときにも、チーム内に蔓延することは予想もしていなかったらしい。それがフェロー諸島で試合前の検査を受けたところ、一度に8人の選手が陽性の判定を受け、チェコに戻ってきてからも陽性者の数が増え、追加で選手を呼んだところでどうしようもないところまで追い込まれていたよう。確か、監督のヤン・フィリップが、我々は現在先発メンバー7人を揃えることすらできない状況にあると語っていた。
同時に、陽性判定を受けていない選手たちの中にも、体調不良を訴える選手が増えたことも、辞退という決定に寄与したという。もしかしたら、検査で陽性は出ないけれどもすでに感染していたのかもしれないし、長期にわたって隔離されたチームの中で、感染者が現れ、更なる隔離が続くというストレスからのものかもしれない。そこに世界選手権に出られるかどうかという問題も絡むから、いかに精神的に強いといわれるハンドボールの選手たちでも、参ってしまったとしても不思議はない。選手たちも、仮に何とかチームを組織できたとしても、こんな状況では更なる感染拡大の恐れもあり、出場は避けたいと考えたのだろう。会長の話では、選手側からも無理だという声が上がっていたらしい。
ファンの中には、Bチーム、Cチームを準備しておけばよかったのにと批判する人たちもいるようだが、予選の一試合を予備チームで戦うならともかく、今シーズン最大のイベントである世界選手権に予備チームで臨むってのは、個人的に反対である。協会の会長も言っていたけど、準備不足の予備チームで出場してぼろ負けをしたら、ファンたちはどうして出場したんだと批判するに決まっている。点があまり入らないサッカーなら予備チームでそれなりの試合、それなりの結果を持ち帰れるだろうけど、ハンドボールは、点が入りやすいので実力差が点差に反映されやすいのである。
ニュースでは、チェコだけでなくブラジルも感染者が出てチームを組織するのに苦労すると言っていた。始まってしまった以上は最後まで何事もなく開催できることを祈るしかない。エジプトでは当初観客をれて開催しようと考えていたようだが、あちこちからの反対で、無観客で開催されている。来年のヨーロッパ選手権は観客を入れて開催でき、チェコが問題なく出場できることも、あわせて祈っておこう。
2021年1月14日20時30分。
2021年01月15日
トラゲディエ(正月十二日)
思わず、チェコ語をカタカナ表記したものを表題にしてしまったが、悲劇である。考えうる限り最悪の事態が発生してしまった。これはもう、チェコは国家として中国に対して損害賠償の請求をするべきである。いや断交して、中国からの入国を、人も物もすべて禁止にしてしまったほうがいい。なんてトチ狂ったことを叫んでしまうのは、ハンドボールのチェコ代表が世界選手権の出場辞退を余儀なくされてしまったからである。
正直な話、どれだけ多くの人が感染し、入院し、最悪の場合には亡くなったとしても、所詮は他人事でしかないので、ウイルスを輸出した中国に対する怒りを爆発させることはない。形あるものは必ず崩れ、命あるものは必ず死ぬのである。具体的にどれぐらいの人が感染したり亡くなったりしているかで警戒を強めたり緩めたりはするけれども、生活を大きく変えるつもりはない。
普段通りに自宅と職場を往復するだけの生活を、たまにコーヒーやパンを買うためにお店には寄るけど、続けていて感染してくたばるなら、それはそれで運命というもので、従容として受け入れるだけである。だから、規制を守らない人を大声で糾弾する人の気も、検査やワクチンを求めて大騒ぎする人の気も全く理解できない。そんな仏教的無常観を標榜して生きている人間にも譲れないものはあるのである。
仮に、今年に延期された東京オリンピックが最終的に中止になったとしても、来年中東のどこかで行われるらしいサッカーのワールドカップが中止になったとしても、全く残念だとは思わないとは言わないが、同時に喜んでしまうだろうということも否定できない。スポーツを見るのは好きだけれども、オリンピックである必要はまったくないし、中東の灼熱の太陽の下、プレーする選手を見たいとはあまり思えない。
しかし、ハンドボールとなると話は違う。しかもチェコ代表である。他の国の代表なら、それが日本代表だったとしても、ここまで激昂することもなかっただろうし、大会事態が中止、もしくは延期された場合も、もう少し穏やかな気持ちで受け入れられたに違いない。どうしてよりによって、チェコ代表だけが辞退に追い込まれなければならなかったのかと運命を呪ってしまう。受け入れられない運命も存在するのだ。
ああそうか、こうして人は陰謀論に堕ちてしまうのだ。チェコ代表がエジプトでの世界選手権に出場することは中国にとって極めて都合が悪いことだったに違いない。だから、一年がかりの計画で出場できないように、ウイルスをチェコに送り込んだのだ。それが間違いで世界中に広がってしまったのだろう。その極めて都合が悪いことの具体的な内容はわからないけれども、何かあるはずだ。チェコのハンドボール代表にはそれだけの価値があるのだから。
うーん、何だか政府の政策に、何か隠された意図があるに違いないとして批判する、リベラルと自称するところまで落ちた左翼の政治家やマスコミ並みに堕ちてしまったなあ。いや、東日本大震災の際に、あれは米軍の兵気実験の結果だという与太を本気で信じ込んで広めていた誇大妄想狂と同じか。あのときはそれを本気で信じていた知り合いを思い切り馬鹿にしてしまったのだったけど、こうなると人のことは言えないなあ。信じているわけではなく、言いたいだけなんだけどさ。
そんなことはどうでもいいのである。自分が堕ちることでチェコ代表の価値を高めることになるなら。いや、全く高めることになっていないような気がするけれども、それでもいい。こうして罵詈雑言(ってほどでもないけど)めいた陰謀論を喚くことで多少は気が晴れたような気がしないでもない。
とまれ、詳しい事情はわからないが、辞退を決めたチェコ代表の決定を批判することだけはするまい。苦渋の決断だったに違いないのだし、できるだけの感染対策はしていたはずなのだから。すべては中国の陰謀なのである。どうせなら世界選手権が延期になるような陰謀だったらよかったのになあ。
2021年1月13日23時30分。
2021年01月14日
4格を取る前置詞2(正月十一日)
承前
Amimo
二つ目の、同時に最後の4格しか取らない前置詞は「mimo」である。他にもあるかもしれないけれども、思いつかない。
意味は簡単に言うと「外」。不思議なのだが、「外」を「そと」と読む場合でも、「ほか」と読無場合でも、「外す」と読む場合でも、「mimo」で表せてしまう。あまり使う言葉でもないのだけど、個人的に一番よく使うのは、「Byl jsem mimo Olomouc」という文である。具体的にどこにいたかは言いたくないときに「オロモウツの外にいた」で済ませてしまうのである。
前の文を「オロモウツ以外の場所にいた」と訳せば、「ほか」につながるのだけど、「Je otevřen mimo sobotu」なんてのも例に挙げておこう。「土曜日のほかは開いています」という意味だが、この場合、「kromě soboty」を使うことのほうが多いかもしれない。というか自分では「kromě soboty」を使う。
サッカーやハンドボールなどの試合の中継を見ていると、「Tato střela byla mimo」というのが聞こえてくることがあるが、これは「シュートは外れた」という意味である。もちろん、「mimo branku」が省略された形なのだが、「mimo」だけで「外れ」を表すこともできる。質問の答が、完全にずれているときや、話が本来のテーマと全く関係ないときなんかも、「mimo」で表現する。ずれが小さいときには「vedle(となり)」も使うかな。
最後にもう一つ、よく目にするものを挙げておくと、自動ドアや駅の券売機、自動販売機なんかに注意書きとしてしばしば「mimo provoz」と書かれた紙が貼られている。「故障中」を意味するのだが、無理やり解釈すると「稼動状態の外にある」と言うことだろうか。
B時間を表す前置詞
これについてはすでに時間を表す表現のところで詳しくまとめたので、簡単に復習しておく。
先ず忘れてはいけないのは、曜日と共に使う「v + 4格」である。月曜日と火曜日は格がわかりにくいので、水曜日を使うと「ve středu」となる。ただし、形容詞や指示代名詞などが付くと、前置詞なしの4格だけで表現することが多い。
それから、季節を表す言葉は、前置詞との組み合わせがめちゃくちゃなのだが、秋が「na podzim」と前置詞「na」に4格を付けた形で表される。
最後に「za + 4格」を紹介しておく。4格となるのは時間の長さを表す名詞で、「za dva roky(二年後に)」などと、それだけの時間が経った後のことを指すのに使うのである。ただし、数字が5以上になると、数詞は4格だが、後ろに来る名詞は複数2格になるので注意が必要である。また「za」は場所を表わす場合の7格と共に使うという印象が強いためにしばしば混乱してしまうことがある。
それから「za + 4格」は、後ではなく、その時間の間にという意味でも使われる。一番わかりやすいのは、時速をあらわすときに使う「100km za hodinu」などだろうか。これは別の表現では置き換えられないが、「Za tři roky jsem se naučil více než 1000 znaků(三年の間に1000個以上の漢字を覚えた)」の場合には、「během + 2格」を使いたくなる。
C方向を表わす前置詞
これも一部は復習になるのだが、まずは「na + 4格」から。場所を表す名詞は、それぞれ「v」か「na」を取ることが決まっているのだが、場所で「na+ 6格」を取る名詞は、方向(向かう先)を表わす場合に自動的に「na + 4格」を取ることが決まっている。よく使うもので覚えておいた方がいいのは、駅(nádraží)、郵便局(pošta)、学校(škola)などだろうか。知らない人間には区別はつけられないので、覚えるしかない。また、動詞が場所を必要とするのか、方向を必要とするのかも気を付けたほうがいい。大抵は日本語と同じ感覚で行けるが、「置く」の場合には「položit」を使うと方向で、「nechat」は場所が必要になる。
それから一部の動詞で、物を中に入れる場合と、表面に載せる場合で、「do」と「na」を使いわける。「dát」の場合に、「Dám ho do lednice」は冷蔵庫の中に入れることになるが、「na lednici」を使うと冷蔵庫の上に載せるか、外側に貼り付けることになる。
次は一般には7格を取ると思われている前置詞の「před」「za」「nad」「pod」である。このよっつも、動詞が場所ではなく方向を必要とするときには、4格と共に使わなければならない。そしてこれがなかなかできるようにならない。「v」「do」「na」の場合には、最初から指摘されて、一生懸命覚えて、今でも間違えるけれども、意識して使い分けることはできるようになっている。
それに対して、この四つの前置詞に4格を付ける形は、最初は7格を取ることしか勉強しなかったので、その思い込みが強すぎるのか、間違いを指摘されないとなかなか気づかない。それどころか正しく使っているのに何か変な感じがして無駄に修正してしまうことさえある。
「Pošlete ho před sebe(後ろに送ってください)」「Půjdeme pěšky za hranice(国境の向こうまで歩いて行こう)」「Dejte pravou ruku nad sebe(右手を挙げてください)」「Schovejte se pod stůl(机の下に隠れてください)」なんてのは時間をかけてゆっくり考えたら、正しいことが理解できるし使えなくもないのだが、とっさの場合には、どれもこれも7格にしてしまいがちなのである。
以下次回、じゃなくてその次。
2021年1月12日23時。
2021年01月13日
4格を取る前置詞1(正月十日)
4格を取る前置詞は多いのだが、4格しか取らない前置詞はそれほど多くない。まずは4格しか取れないものを取り上げて、あとはすでに触れたものも含めて、分類した形で示そうと思う。
@pro
日本語では「ため」と訳されることが多いけれども、動作の目的や対象、場合によっては理由、原因を表すことのできる前置詞である。別の表現で置き換えることができる場合も多いのだが、4格を取るということは、1格と同じ形になるものが多いと言うことである。つまりは格変化をあまり覚えていなくても何とか正しく使えるということなので、ついつい使ってしまうものである。
いくつか例を挙げよう。
・Koupil jsem tuto knihu pro kamaráda.
(友達のためにこの本を買った)
≒Koupil jsem tuto knihu kamarádovi.
この文は3格を使って表現しても意味はほとんど変わらないと思う。ただ誰かのために買った後に、それを渡すときに使う。「To je pro tebe」という表現は、3格にはできない。無理やり日本語に訳すと「これはお前のためのものだよ」とでもなるだろうか。日本人なら「はい、どうぞ」とか、「これ、あげる」とかいいそうだけど。これで思い出すのはチェコの童話映画「S čerty nejsou žerty」でいくらでもポケットから金貨を取り出せる魔法の外套を手に入れた主人公が、「To je pro nás(これは我々のためのもの)」「To je pro knížete(これは侯爵のためのもの)」と交互に言いながら一枚ずつ金貨を取り出すシーンである。
これをもう少し進めると、映画「Tmavomodrý svět」で若きチェコ人飛行士が、イギリス軍で英語の授業の後に思わずこぼす「Angličtina není pro mě」(語順は微妙に違うかも)につながる。「英語は俺のためのものではない」、つまり「英語は俺には向いていない」ということである。チェコ語を勉強しているからには、「Čeština je pro mě」と言い続けたいものである。
さらにこれに形容詞を付け加えると、「Čeština je pro mě těžká」などとなるわけだが、日本語に訳すと「チェコ語は私にとって難しい」となるのはわかるだろう。「pro mě」の代わりに「na mě」を使ってもほぼ同じ意味になると思うのだが、チェコの人たちがどう使い分けているのかはよくわからない。自分では、一般的にチェコ語全体を指すときには「pro mě」で、具体的な問題に関しては「na mě」を使っているような気がする。
次の例である。
・Pro nemoc učitele se nebude konat dnešní výuka.
(先生の病気のために今日の授業は行われません)
完全にこれと同じではないけれども、初めてこの手の文を見たときには、一瞬戸惑ったのを覚えている。「pro nemoc」の部分が問題で、病気が目的であるかのような印象、つまり病気になるために授業がないと理解してしまいそうだった。考えてみれば、日本語の「ために」にも原因を表す使い方があるのだからそれと同じだと思ってしまえばいいのだが、こういう場合にはどうしても「kvůli nemoci(病気のせいで)」を使ってしまう。
もう一つ典型的な使い方を。
・Šel jsem do města pro pivo.
(街までコーヒーを買いに行った)
これが、「na pivo」になると、「飲みに行った」ということになる。「na + 4格」の場合には、行った先で、するべきことをする、ビールの場合には飲むのである。だから「na film」だと、「映画を見に行った」になる。それに対して、「pro + 4格」の場合には、行った先で手に入れて戻ってくるのである。だから、街やお店に行った場合には、「買いに行った」になるし、自宅に戻るのなら「取りに行った」で、図書館に「pro knihu」だったら、「借りに行った」ということになる。
ところで、この「pro」と疑問詞の「co」を組み合わせて一語化したのが、疑問詞の「proč」である。「č」は「co」の短縮形で前置詞と合わせて一語化するときに現れるもので、「není zač」の「zač」も「za co」が一語化したものである。「proč」は「pro co」、つまり「何のために」から、「どうして/なぜ」という意味で使われることになったと考えられる。ちなみにスロバキア語も同様で「proč」に当たる言葉は、「prečo」で前置詞の「pre」に疑問詞の「čo」がそのままついたものになる。スロバキア語はあまり詳しくないから、一語化してない可能性もあるけれども。
最後に疑問を、どうしてチェコでは乾杯のときに「na zdraví」というのだろう。健康のために乾杯だったら「pro」でもよくないか。こういうのに疑問を持っても答えは出ないものだけど、この文章を書いていたらそんな疑問がわいてしまった。
以下次回である。
2021年1月11日24時。
2021年01月12日
4格の話(正月九日)
ネタ切れ気味で、しばらく何について書こうか頭をなやなませていたのだが、特に書くべきことも思いつかない。ということで、以前に戻って、困ったときのチェコ語ネタである。以前、2格、7格、3格の使い方と、その格を取る前置詞について書いたのがそこで止まったままになっていた。ここはネタがない時には、残りの格について書いて格と前置詞について終わらせておくべきであろう。
4格というと、昔々、師匠がアメリカから来ていた留学生について、「あいつら、もう一年もチェコ語を勉強しているのに、matkaとmatkuの区別ができない」とブーたれていたのを思い出す。確か「1格と4格の違いだと説明したら、4格って何とかいいやがった」と付け加えたのかな。「そんなものなんで必要なの」とか聞かれたとも言っていたような気もする。
格変化のない英語を母語とする人にとっては、意味不明(勉強すれば大学生なら理解できるだろうけど、ヨーロッパやアメリカの大学から来る留学生は留学という名目で遊びに来るので勉強自体をほとんどしないというのはおいておく)かもしれないが、助詞を駆使して文章を作る日本人にとっては、格変化を覚えるという苦労はあっても、名詞を格変化させて使うこと自体にはあまり抵抗はないはずだ。その中でも一番わかりやすいのが4格だと思う。
日本語の文法用語で何というかはよくわからないのだが、原則として日本語の動詞で名詞に助詞の「を」を付けるものが必要な場合には、チェコ語では名詞を4格にすると考えていい。例外的なのは移動する場所、空間を表す「を」ぐらいだろうか。「街を歩く」「空を飛ぶ」などの場合は、4格ではなく、7格、もしくは前置詞「po」と6格を組み合わせた形を使う。動詞「čekat」や「dívat se」などが、4格は取るけれどもその前に前置詞「na」を必要とするのも覚えておいたほうがいいだろう。
逆に、チェコ語では4格を取るけれども、日本語では助詞「を」にならないものとしては、「〜が好きだ/嫌いだ」というときの、「mít rád + 4格」が先ず思い浮かぶ。「chtít + 4格」もそうだけれども、日本語で主格でもないのに助詞「が」を使うほうが例外的だと考えたほうがいいのかもしれない。動詞を使えば、「〜を好む」「〜を欲する」という形で言い換えることができるのだから。
チェコ語で4格を取る動詞のなかでは、最初から使役の意味を持つ動詞の使い方に気をつける必要がある。日本語だと「私はそれに驚いた」と言うようなところを、「それが私を驚かせた」という言い方をすることも多い。受身を使った「Byl jsem překvapený」や「Překvapil jsem se」ではなく、「To mě překvapilo」という表現が使われることは多いし、自分で使えるようになるとチェコ語の幅が大きく広がるのである。
他にも、「trápit mě(私を苦しませる)」「bavit mě(私を楽しませる)」なんてものがある。「Čeština mě baví」なんて言われると、チェコ語の勉強が楽しそうでうらやましくなる。それから普通は「Mám zájem o to」で済ませてしまう「それに興味がある」という文も、「To mě zajímá」なんて言えると、自分のチェコ語が上達したような気分になれてうれしい。「Co vás zajímá?」なんて質問もできるしね。
最後に、これは復習になるのだけど、時間を表す表現の中に、4格を使えるものがある。ただし4格でなければならないものはそれほど多くなく、絶対に覚えておかなければならないのは、曜日の前に形容詞がついた場合、例えば「minulou neděli(先週の土曜日に)」ぐらいだろうか。形容詞などをつけて2語にした時間を表す表現は、たいてい4格で使えるのだけど、曜日以外は、前置詞と共に使ったり、2格を使ったりすることもできるものが多い。
あとは、名詞なのか副詞なのか判然としない一語の言葉、「ráno(朝)」「dnes(今日)」「letos(今年)」なんかを、名詞として認識する場合には、4格で使われていると解釈するのは、覚えるよりも、副詞として認識したほうがわかりやすいような気もする。
ということで、以上が4格について書けることである。分量が少ないのは、日本人にとって使いやすいことの反映だということにしておく。
2021年1月10日23時30分。
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