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2018年09月23日
プラスチックゴミ再び(九月廿日)
ストローからの連想でプラスチックのリサイクルについて記事をでっちあげたのは今月の初めのことだった。それが、あそこに書いたことが前提から間違っていたことを最近知った。ソースはニューズウィークの七月の末の記事。
中国に輸出されたプラスチックのゴミは、リサイクルされて新たに原料として生まれ変わるのではなく、コミとしてゴミ捨て場に捨てられるのだという。掲載されている写真を見るとおぞましささえ感じてしまう。こんなところで餌を探すカモメが、餌と一緒に、もしくは餌と間違えてプラスチックを食べてしまう恐れが高いのは想像に難くない。それに放置されたプラスチックゴミがさまざまな要因でゴミ捨て場の外に出て、汚染の原因になっているというのもありそうである。東京のゴミ捨て場兼埋立地だった通称「夢の島」もこんな感じだったのだろうか。
そしてこの記事によれば、ゴミとして分別回収されたプラスチックのうち、本当にリサイクルされるのは14パーセントでしかないらしい。ゴミの分別さ盛んでプラスチックゴミの回収率の高いいわゆる先進国で集められたプラスチックゴミは、中国などに輸出され、ゴミ捨て場に野ざらしで放り出される。これが、プラスチックのリサイクルの実態だったのである。これはもう詐欺としか言いようがない。
我々が面倒だと思いつつもプラスチックゴミを分別して処理しているのは、これがリサイクルされて新たなプラスチック製品の材料になると信じているからであって、中国に輸出されてゴミ捨て場に放置されるという現実に、何のために分別しているのだろうと言いたくなる。中国で野ざらしにされたゴミは、さまざまな形で日本の環境に悪影響を与えることになるだろうし。
今年に入って、マクドナルドなどがプラスチックのストローを廃止するとか言い出したときに、日本はゴミはゴミ箱にという文化があってプラスチックのストローもちゃんとプラスチックのゴミ用のゴミ箱に入れるからあまり関係ないとか、プラスチックのストローはプラスチックのリサイクルに乗りにくいから、ストローの使用量を減らそうというのは理にかなっているとかいう意見を目にしたものだが、どれもこれも、この回収されたプラスチックゴミの処理の現実の前では的外れだったというしかない。
ストローがプラスチックのゴミとして回収されたとしても、中国のゴミ捨て場から外に流れ出して環境汚染の一因となる可能性は高いのである。そもそもプラスチックのゴミを放置するゴミ捨て場の存在自体が環境汚染だともいえる。汚染を一地域に押し込めているのだという言い訳は成立するにしても、プラスチックゴミを分別して回収することが、絶対的に環境汚染の防止につながるとはいえないだろう。
そう考えると、プラスチックのストロー廃止の動きも、世界のゴミ捨て場となっていた中国が、プラスチックゴミの輸入を停止したため、捨て場のなくなった回収されたゴミが国内にあふれかえるのを防ぐためのゴミ削減の一環だと考えられそうである。その第一歩として廃止しても反対の少なそうなストローが選ばれたということか。
九十年代の初めに川崎市に住み始めたときに、ゴミの分別がまったく求められていないのに驚いた記憶がある。瓶や缶は別になっていたかもしれないが、当時田舎では当然だった燃えるものと燃えないものの分別も不要だったのである。川崎市では市民に分別という余計な手間をかけさせるのは行政サービスの衰退だとど主張し、同時にゴミ処理場の焼却能力が高いのでプラスチックなどを焼却しても有害物質が発生することはないと自慢していた。その市の姿勢は、環境意識の高い人たちによって強く批判されており、90年代の後半には、ゴミの量が焼却炉の能力を超える恐れが出てきたという理由をつけて、ゴミの分別収集を導入したのだが、実際には批判のうるささに耐えられなくなったというのが真相ではなかっただろうか。
しかし、今回のプラスチックゴミをめぐる騒ぎから考えると、正しかったのは環境保護にうるさい連中ではなく川崎市のほうだったようだ。高性能の焼却炉でプラスチックゴミを燃やして、発電や発熱に利用すれば、プラスチックが環境に流れ出すこともなく、発電の燃料費も抑制できるはずである。それに、中国などに輸出するための輸送にかかる燃料なども減らせるから、ゴミとして中国に輸出してリサイクルしたふりをするよりははるかに環境にかかる負荷が小さくなる。
現在の状況は、自然環境保護のための手段であったはずのプラスチックの分別回収が、目的と化してしまった結果、プラスチックの回収率は上ったのに、リサイクルによる再生産は増えず、リサイクルできないゴミが増え続けているというところだろうか。仮に中国のゴミ輸入の停止がなくても、早晩この見た目だけのプラスチックリサイクルが破綻していたであろうことは想像に難くない。
いま必要なのは、回収したリサイクルには回せないプラスチックゴミをどう処理するかの対策であるはずなのだが、その対策がプラスチックのストローの禁止というのでは貧弱に過ぎる。ゴミを減らそうという試みとしては評価できるが、どんなに削減に努力したところでリサイクル可能なレベルである現在のゴミの量の14パーセントにまで削減するのは、無理な話である。可能であるとすれば、法律で強制的にプラスチックの使用を禁止するぐらいか。
ならば、プラスチックゴミは、プラスチックを燃やしても有毒物質の出ない設備を備えた発電所で燃料として使用するしかないのではないか。ゴミを焼却処分するというとイメージが悪いけど、プラスチックゴミ発電と名前を変えたら、ちょっと環境によさそうに響かないかな。環境保護論者なら飛びつきそうな気もする。少なくとも森林や田畑を破壊しての太陽光発電よりは、現実にも環境への負荷は少なくなるわけだし。
2018年9月21日18時。