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2023年03月07日
iPadで古典を読む(前史)
個人用のコンピューター、つまりパソコンの一般への普及の黎明期ともいえる1980年代に中高生だった我々の世代にとって、アップル社のパソコン、マッキントッシュは憧れの対象だった。あのころ実際に目で見て触ったことのあるパソコンは、せいぜい友人の持っていた会社は忘れたけどMSXとかいう規格のものだけで、NECの98、88シリーズも存在は知っていたけど、テレビでしか見たことはなかったと思う。電器屋で見たかもしれないけど。田舎の電器屋においてあったかは怪しいところである。
その代わりといっては何だけど、物書きに特化したコンピューターであるワープロのほうは、いえでは父親が購入したNECの文豪、どこのか忘れたけど今や懐かしいラップトップと呼ばれていた形のものを高校の生徒会で何台か使っていた。だから、フロッピーディスクに関しては、3.5インチの物を最初に使ったため、80年代の末年に理系に進んだ先輩のうちで、NECの98に触らせてもらったときに、5インチのディスクのペラペラ具合に驚くことになる。バイト先でさわったオフコン用の8インチには、存在すら知らなかっただけにさらに驚いたし、昔のMSXのカセットテープというのも今考えるとあれだけど。
その先輩の使っていた98は、まだハードディスクの付いたものではなく、ワープロソフトの一太郎を使うのに、フロッピーを抜き差ししながら操作する必要があるという代物で、理系がデータ処理なんかに使うならともかく、文系の人間が文章を書くのには使えそうもないと思わされた。それで、それまでは、ちょっとかっこつけてPCをワープロ代わりに使いたいなんて色気もあったのだけど、諦めてワープロ専用機を買うことにしたのだった。当時のパソコンは本体だけでも高いのに、使おうと思ったらディスプレイ、プリンターなどを追加で買わなければならないという仕様だったので、経済的にも手が出せなかったというのもある。それどころかOSなどのソフトも全部別売で馬鹿高かった。
アップル社のマッキントッシュ、マックと呼んでたかな、を実際に使ったことのある人の話を聞いたのもその先輩が最初だった。当時、理系の大学では、割安での優遇販売があって、研究室にもマックが置かれているところが結構多かったらしい。それで実際に使ってみての感想は、デザインは凄くかっこいいんだけど、不具合が起こることも多くて使いにくいというものだっただろうか。同時に、同じ値段だったらマック買ったかもと言っていたかな。
その後、90年代の後半になって、職場で本物のマック使いに、あれこれ話を聞かされたのだけど、圧倒的に愚痴が多かった。ただ、OSのアップデートに一晩かけた挙句に失敗したとか、何度再起動してもフリーズして一日仕事にならなかったとか、日本語変換ソフトが使い物にならないとか、内容とは裏腹に、口調は非常に楽しげで、この人は、そんな不具合も含めて、もしくは不具合があるからこそ、マックを愛用しているのだろうと思わされた。そんなソニーマニアや、イタリア製バイクに対する森雅裕のような精神性は持ち合わせていないので、結局自分では職場でも使っていたウィンドウズのパソコンを、値段も落ちていたし、購入することにした。
そんな過去もあって、パソコンじゃなくてもアップルの製品を使うことはないだろうと思っていた。世間で流行った、今も流行っている? スマート何チャラというのも、全く魅力を感じなかったから、アップル製品云々以前に購入検討の対象にすらならなかった。その意味では、タブレットというのも、自分には必要ないと思っていたのだが、ひょんなことからiPADが手に入ってしまった。さて、どうしようというのが本題である。
※この文章を書いたのは昨年(2022年)末のことである。
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2023年02月24日
黒板博士のプラハ滞在記2
承前
プラーハは百塔の都とも称せられて居る。ゴチック式の尖塔高く林立したる盛観は他の欧州に於ける都府で多く見らるるものでない。夫が皆中古の面影を存して基督教の勢力を振った当時を追憶せしむるのである。大詩人ゲーテはプラーハを都市のディヤデムにある真珠なりと激称し、ウィレム・リッターは歴史と建築学の最も貴重な書籍であるといい、フムボルトは中欧に於ける最も美しい都なりと称揚した。
ディヤデム 王冠のことか。
フムボルト 有名なフンボルトというと、アレクサンダーとヴィルヘルムという二人のフンボルトがいるのだけど、ウィキペディアによると兄弟らしい。弟のアレクサンダーの方にゲーテとの交友について書かれているからこっちかな。兄ヴィルヘルムはフンボルト大学の創設者だという。
カールスホーフ寺院、サンクト・ペテル及びサンクト・パウルの寺院、マリエン寺院、マリヤ・シュネー寺院と数え来るもいずれか皆壮麗ならぬはなく、モルダウ河の中流に架せる長さ五百五十ヤードのカール橋、また基督磔刑の像を安んじ、その前を過ぐるものが皆礼拝せる虔敬の様も嬉しきに、ヨハン・ネポミュクの奇蹟がこの橋上にあって今も順礼者の参拝絶えぬ床しさ。
カールスホーフ寺院 カールスホーフはプラハ新市街の一地区であるカルロフのドイツ語名。この地区にある大きな教会と言うと、アウグスティヌス派の修道院に付属していた教会の昇天せし聖母マリア・カール大帝教会であろうか。ウィキペディアによると修道院自体は18世紀に廃止されており、現在は警察博物館として使われている。
サンクト・ペテル及びサンクト・パウルの寺院 ビシェフラットにある聖ペトル・聖パベル教会。19世紀末から20世紀初頭にかけて現在のネオゴシック様式に改築された。
マリエン寺院 新市街の聖マリア教会か。14世紀創建。https://cs.wikipedia.org/wiki/Kostel_Panny_Marie_na_Slovanech#/media/Soubor:Emauzy_katedr%C3%A1la_PM.jpg
マリヤ・シュネー寺院 チェコ語を直訳すると雪をかぶりし聖母マリア教会。聖母マリアを記念した教会は数が多いせいか、区別のために形容詞がつけられることが多い。名前にどんないわれがあるのかまではキリスト教徒でもなし、調べようという気にはなれない。
カール橋 言わずとしれたカレル橋。ここまで並べられた名所を見ると、黒板氏は新市街に宿を取り、市庁舎のある旧市街広場には足を伸ばしていないように思われる。
基督磔刑の像 カレル橋上に設置されている全部で30ある像のうちの一つ。まん中あたりにあるのかな。
ヨハン・ネポミュク チェコ語ではヤン・ネポムツキーと呼ばれる。後に列聖され、チェコ各地に像が残っている。
この橋を渡ってモルダウの左岸に出て、サンクト・ニコラス寺院から東北に折るれば、やがてワルレンスタインの広場に当って三十年戦争の猛将ワルレンスタインの旧邸が立って居る。今もその子孫の伯爵家に属し当時の観を改めぬ内部の室々、刺を通じて之を縦覧すれば、シラーの名著を読む心地せられ、徐ろにその雄風を偲ぶことが出来る。
サンクト・ニコラス寺院 マラー・ストラナの聖ミクラーシュ教会。
ワルレンスタインの旧邸 ワレンシュタイン宮殿(チェコ語ではバルトシュテイン、もしくはバルチュテインと聞こえる)と呼ばれることが多い。現在はチェコの国会の上院の所在地となっている。この建物の正面にあるのがワレンシュタイン広場で、建物に沿うように走っているのがワレンシュタイン通りである。付属する庭園と厩舎も知られている。
シラーの名著 『ワレンシュタイン』と題された戯曲があって、これを読んで感動してドイツ語の勉強を始めたなんて人もいるらしい。
フェルステンベルク侯爵邸を過ぎ、爪先き上りの路を辿れば、プラーハのキャピトルたるフラッヂンは巍然として一部をなし全市に臨んで居る。古王宮は嘗て皇帝カール四世以来マリヤ・テレサに至つて完成せられたるところで、ゴチック式の大寺院と共に華麗と荘厳とに打たれつつ北の方ベルベドルに出づれば、ルネイスサンス風の広壮なる別荘には神話を浮彫りにしたる廻廊を廻らして居る。ここから全市を瞰下すれば、モルダウ河は迂曲してプラーハの市を囲めるところ、所謂百塔の尖頂が林の如く立てる間に緑りの森が之を縫うて居るのに、見渡す限り平和なる空気が全部を蔽うて居る。そしてその下には人種的軋轢も、言語的反抗も包まれておるとは思われぬ。
フェルステンベルク侯爵邸 これはワレンシュタイン宮殿とワレンシュタイン通りを挟んで隣接するフュルステンベルク宮殿のことであろう。現在はポーランドの大使館になっているようだ。近くには小のつくフュルステンベルク宮殿もあって、こちらは上院の建物の一部として使われている。
フラッヂン プラハ城を中心とする地区、チェコ語でフラッチャニのことであろう。この地名も日本語での表記がばらついていて解読に苦労することがある。
ベルベドル 一般にはベルベデールと呼ばれる夏の離宮のこと。ワレンシュタイン宮殿から見るとプラハ城の裏側に広がる庭園の中の建物である。
こうしてあれこれ比定してみると、黒板博士のプラハ散歩の経路が見えてくる。新市街にある教会をいくつか訪ねた後、カレル橋を渡ってまっすぐ行ったところにある聖ミクラーシュ教会の前で、右に折れて、最初の交差点を直進して、ワレンシュタイン広場に出て、右手にワレンシュタイン宮殿を見ながら宮殿沿いに進む。今度は左手にフュルステンベルク宮殿が見えてくる。ワレンシュタイン宮殿の厩舎を越えたところで、左に曲がって、道なりに坂を上って、プラハ城の裏手に出て庭園に入ってベルベデールを望む。といったところである。
聖ビート教会などのあるプラハ城と言われたときに最初に思い浮かべる建物が並んでいる部分には入らなかったのか、入れなかったのか。旧市街広場にかんする言及がないのも含めて、気になる所ではある。これ以上は調べようがないけどさ。
一度失った習慣というものは、なかなか取り戻せないものである。
2023年02月15日
黒板博士のプラハ滞在記1
諸戸博士のモラビア・シレジア紀行に続いて、歴史学者の黒板勝美氏が世界周遊旅行の途中でプラハに立ち寄った際の記録を紹介する。『西遊二年欧米文明記』(1911年刊)については、すでにここで簡単に紹介したが、今回は記事を引用しながら、解説を加えてみる。黒板博士がこの世界旅行に旅立たれたのは1908年で、翌年に帰国しているから、諸戸博士のモラビア旅行よりも早いのだが、活字になったのは同年だし、モラビア在住の日本人としてはプラハを後回しにするのは当然なので、この順番となった。例によって表記は読みやすく新かなに改めてある。
ドレスデンから南の方索遜瑞西(ゼツクスシユワイツ)の勝景を過ぎて墺国の境に入り、やがてボヘミヤの首都プラーハに到れば、まず物寂びた古建築が目につく。その過去の湿っぽい空気に何となく床しい心地がする。しかも清きモルダウ河は絵の如き川中島を横えてプラーハの全市を紆余索回して居るのに、余は京都に遊んで鴨川のあたりにあるのではないかと夢のように疑わるる。
索遜瑞西(ゼツクスシユワイツ) チェコ語のサスケー・シュビツァルスコ、つまりザクセンのスイスと呼ばれる地域のこと。国境を越えてチェコ側のチェコのスイスと呼ばれる地域に続いている。エルベ(ラベ)川の右岸で、チェコ側にもドイツ側にも奇岩のそびえる景勝地が多いらしい。昨年の夏この辺りで森林火災が起こった際に、外国のメディアの中には、チェコとドイツとスイスで火事が起こったと報道したところもあったらしい。
川中島 ブルタバ川右岸の新市街と、左岸のマラー・ストラナとその南のスミーホフ地区の間に浮かぶ三つの島であろうか。
一千四百二十四年のフッシット戦争にも、有名なる三十年戦争にも、墺太利王位継承戦争にも、第二シレシヤ戦争にも、はた一千八百六十六年の普墺戦争にも、このプラーハは包囲せられ、陥落せられた修羅場となった。北独逸と南独逸の政治的兵略的要衝に当って、いつも戦陣の衢となって居る。そして嘗ては皇帝カール四世の下に最も繁華を極めたこの市も何時となく、古色蒼然たる都府となって仕舞ったが、その政治的兵略的の要地たるに至っては、今も昔とかわらぬ。のみならず、その市民が主としてスラーブ人の一派チェヒ族たるがために、墺国に於ける反独逸思想の最も盛なるところで、社会的運動の中堅たる観がある。
フッシット戦争 フス戦争。普通は宗教改革者ヤン・フスの処刑(1415)を契機に起こったフス派の反乱全体(1419〜1436)のことを言うが、黒板博士が、なぜ1424年という年号を使ったのかは不明。
三十年戦争 この戦争のきっかけとなったのが、1618年にプラハの王宮で起こった窓外投擲事件で、最初の大きな軍事的衝突が、1620年のビーラー・ホラの戦いだと言われる。
墺太利王位継承戦争 オーストリア継承戦争中にプラハが包囲され陥落したのは一回目が1741年のことで、二回目がオーストリア継承戦争の一部をなす第二次シレジア戦争中の1744年のことである。どちらも、オーストリア軍によって、短期間で解放されている。継承戦争自体はその後も1748まで継続した。
皇帝カール四世 言わずと知れたルクセンブルク家の神聖ローマ帝国皇帝のカレル4世。ボヘミア王としてはカレル1世なのだが、チェコでもチェコの君主として取り上げる場合でも、慣例的にカレル4世と呼ばれている。ちなみに最近即位した英国王は、即位までは、チェコ語でも「チャールズ」皇太子と呼ばれていたが、即位したとたんに「カレル」三世と名前の呼び方が変わってしまった。
人種の軋轢なるものは長い歴史といえどまた如何ともすることが出来ぬ例証をこの都に示して居る。宗教の力も猶お之を和ぐることが六ヶしい事実を証明して居るのはこのプラーハである。しかもその歴史はますます軋轢の度を増さしむることがある。その宗教は更にその反目を劇しくすることがある。プラーハの現状は之を説明して居るのではあるまいか。
人種の相違は従って言語の相違である。言語の相違が、もし根底に於て国民の親密一致を阻害するものならば、その間に起る誤解から延ひて反目、軋轢となりて現今のプラーハを二分したのである。全市人口の五分一を有する独逸人がその四倍の人口を有するチェヒ人と対抗し得るは政治的関係と商業的勢力に存する。一方は多数を以て他を圧せんとし、一方は勢力を以て他に対して居る。プラーハには到るところ言語人種の相異れるより生じた結果を見ることが出来るのである。
彼等はただ社交上に軋轢して交通するも好まぬという有様ばかりでなく、互に他の言語を了解しながら、自ら語ることを欲せぬ。独逸人の開けるカフェーにはチェヒ人の遊ぶものなく、チェヒ人の商店には独逸人の顧客を有することは出来ぬ。独逸語の大学とチェヒ語の大学と相対する。劇場も同様相分れて、一方に独逸の歌劇を興行すれば、一方にはボヘミヤの国民劇で喝采を博するのである。チェヒ人が毎年独逸人を諷したお祭り騒ぎをやるなどということを聞いたが、そんなデモンストレーションは必ずしもお祭り騒ぎばかりではないように思う。これは人種や言語が容易に同化し難い最も有力な一例として、余は非常に興味を感じぜざるを得なかつた。それに国民の自覚というものがこの問題と結合すれば、その解決がますます困難なるを想わしめたのである。プラーハの博物館や美術館では予想通りの結果を得なかったけれど、この現状を観て余はプラーハに遊んだ甲斐があったと思った。そしてその風光の明媚なるに於て、はた歴史的の都府たるに於て、宗教的の市たるに於て、このプラーハに遊んだことを更に喜ぶのであった。
このあたりは特に解説することもないのだが、黒板博士の観察眼が優れているだけではなく、案内人に人を得たのであろう。言葉の違いは、ある程度耳で聞いてわかるにしても、見ただけで人種の違い宗教の違いが見て取れるとわけではない。名前や名字もそれだけでは、チェコ系か、ドイツ系なのか判別できないことも多いし、この20世紀初頭はよくわからないが、以前は必要に応じてチェコ名とドイツ名を使い分けている人もいたらしいし、本来ドイツ語話者として育った人がチェコ人意識に目覚めて、チェコ語を使い始めるなんてこともあったようだ。
むしろ興味を引くのは、黒板博士は、なぜ人種問題、言語問題、宗教問題と、「国民の自覚」(言い換えれば国民意識とか民族意識となるだろうか)の結びつきに興味を抱いていたかで、当時の日本が日清、日露戦争の勝利に浮かれて、海外進出を進めていたのと関係するなどと妄想してしまう。恐らく、多くの日本人が海外領土を手に入れることを単純に喜んでいた時代に、黒板博士は現実に多民族、多言語、多宗教の雑居するプラハの現実を見て、日本の今後に思いを馳せていたのだろうか。
もう一つ気になるのは、プラハの博物館や美術館にどんなことを期待していたのかだけど、流石にこれまでは憶測のしようもない。現在ではあちこちにいろいろな博物館、美術館が存在するプラハだけど、当時どのぐらいあったのかも、わからない。全くなかったということはないと思うけど、展示内容がいまいちだったのかな。
本来一年ほど前に準備してあったものだが、すっかり忘れていた。今回多少手を入れて掲載。
2023年02月03日
フクロウ考
これまで、猛禽類のうちの昼行性のもの、タカ、ワシの仲間について、日本語での名称とチェコ語での名称を検討してきたのだが、毒を食らわば皿までで、夜行性の猛禽類、つまりはフクロウ、ミミズクの仲間についても取り上げることにする。
昔話、それをモチーフにした映画なんかにもよく登場するから、チェコ語でフクロウのことを、一般的にはsovaと呼ぶということは知っている人も多いだろう。ただし、今回知ったのだが、フクロウというフクロウの仲間の個別の種も存在していて、そちらはチェコ語では、sovaではなく、puštík bělavý(bělavý=白っぽい)と呼ばれるようである。チェコ語でpuštíkと呼ばれるフクロウの仲間には、puštík obecný(モリフクロウ、obecný=普通の)、puštík vousatý(カラフトフクロウ、vousatý=髭を生やした)も存在する。
フクロウの仲間として、名前を知っていたものとしては、光瀬龍の『ロン先生の虫眼鏡』に登場したコキンメフクロウがある。最初にこの名前を見たときには、カタカナで書かれた「コキンメ」が理解できずに、どんなフクロウだろうと頭をひねったのだが、考えてみれば「小金目」で、小さな金色の目をしたフクロウなのだろうと思い至った。そそて、コキンメフクロウがいれば、キンメフクロウもいるはずである。チェコ語だと、どちらも同じ名前でコキンメの方に、「malý」か「menší」つくのではないかと予想しておく。
しかし、調べてみると、日本語の「コ」を示すのは、後ろにつく形容詞ではなくて、名詞の方だった。つまりキンメフクロウ(sýc rousný)の指小形がコキンメフクロウ(sýček obecný)になっているのである。
他にも、スズメフクロウに使われるkulíšek、シロフクロウなどのsovice(sovaの指小形か)もフクロウの種名に使われるようである。一般的なsovaを使うものには。メンフクロウがあるのだが、ウィキペディアの写真を見ると、フクロウと聞いて普通にイメージするものとはちょっと違う。
フクロウ puštík bělavý
モリフクロウ puštík obecný
カラフトフクロウ puštík vousatý
キンメフクロウ sýc rousný
コキンメフクロウ sýček obecný
スズメフクロウ kulíšek nejmenší
シロフクロウ sovice sněžní
オナガフクロウ sovice krahujová
メンフクロウ sova pálená
続いて、ミミズクだが、こちらは一般的に使われるチェコ語はvýr。個別の種名として使われる名詞としては、その指小形だと思われるvýrečekとkalousがあるようだ。オオコノハズクは日本に典型的なミミズクだとみなされているのか、「japonský」という形容詞がついている。残念ながら、以前から名前だけは知っていたアオバズクのチェコ語名は確認できなかった。
ワシミミズク výr velký
コミミズク kalous pustovka
トラフズク kalous ušatý
オオコノハズク výreček japonský
コノハズク výreček malý
2023年01月30日
ワシ考
チェコ語で小型の猛禽類を表わす言葉がsokolなのに対して、大型のものはorelと呼ばれる。こちらは、幸いなことに、日本語のワシと、意味だけでなく使い方でもほぼ対応している。つまり、一般的には「ワシ=orel」で、具体的な種名を表わすときに、日本語ではワシの前に、チェコ語では後ろに言葉を付け加えるのである。
だから、お気に入りのテレビドラマ「チェトニツケー・フモレスキ」に、大きなワシの剥製が出て来て、それを盗んだ犯人が誇らしげに、「単なる鳥じゃなくて、orel mořskýなんだ」と叫ぶのを聞いたときに、何も考えずに、ああウミワシ(mořskýは「海=moře」からできた形容詞)かと思ったのだけど、今回調べてみたら、ウミワシというのは、「海岸や水辺にすみ、魚を主食としているワシ類の総称」(『日本大百科全書』)だというではないか。
では、orel mořskýの日本名はというと、オジロワシのようだ。これが「mořský」ではなく、「běloocasý」(「白い=bílý」+「しっぽ=ocas」)だったら、直訳できて最高なのだけど、世の中、そううまくはいかない。その点、ハクトウワシは、orel bělohlavý(「白い=bílý」+「頭=hlava」)なのでありがたい。問題は、北米の鳥なので、チェコ語日本語の通訳で使う可能性がほぼない、あっても動物園に行ったときぐらいだということだろうか。動物園、植物園で通訳したいかと聞かれたら、答えは否だけど。
他に日本語とチェコ語がほぼ対応しているものとしては、今回辞書を引くまで知らなかったけど、「カンムリワシ=orlík chocholatý」がある。orelではなくて、指小形っぽいorlíkなのはおくにしても、後ろに置かれている形容詞「chocholatý」は「冠羽のある」という意味である。問題は、形容詞も、そのもとになった名詞「chochol」も今まで存在を知らず、これからも使う機会がなさそうなことだ。普通「カンムリ」で思いつくのは、通貨名としても使われる「koruna」なのだけど、こちらは本来「王冠」を指すもので、形容詞は王権に結びつくような意味が出てくるから避けられたのだろうか。korunní princなんて皇太子になっちゃうしさ。
それに対して、直訳すると「王のワシ」となる「カタシロワシ=orel královský」というのもあるけど、こちらは「ワシの中の王」、つまりは「最大のワシ」もしくは「最強のワシ」とでも解釈するべきだろうか。
対応の仕方が、惜しいのが、「オナガイヌワシ=orel klínoocasý」で、形容詞「klínoocasý」は、尾が楔(klín)のようになっていることを意味しているから、「オナガ」に似ていると言えなくもない。ただ、単なる「ワシ」ではなく、「イヌワシ」になっているのも減点で、イヌワシ自体は、orel skalníなので、日本語からすると「イヌ」はどこに行ったと言いたくなる。ちなみに「skalní」は岩(skála)からできた言葉なので、岩場に多いワシということだろうか。
以上、ワシはタカよりはわかりやすいというか、日本語と対応させやすいということはおわかりいただけるだろう。せっかくなので、最後にウィキペディアなどで確認できたワシの仲間の日本名、チェコ名の対応を、上に出てきたものも含めて挙げておく。
アシナガワシ orel křiklavý
イヌワシ orel skalní
コシジロイヌワシ orel damaní
オナガイヌワシ orel klínoocasý
オオワシ orel východní
オジロワシ orel mořský
カタシロワシ orel královský
カラフトワシ orel volavý
カンムリワシ orlík chocholatý
ハクトウワシ orel bělohlavý
※『日本大百科全書』の引用は例によってジャパンナレッジより。
2023年01月27日
ハヤブサ考
日本語の種名としてのハヤブサが、チェコ語のsokol stěhovavýに相当することはすでに紹介したが、他のハヤブサ科の鳥たちもsokolなのだろうか。残念ながらタカの場合と同様に、sokolという言葉が使われるのはハヤブサ一種だけで、ほかの鳥たちは別の言葉で呼ばれているようである。
今回はチェコ語を基準に紹介する。日本語で聞いてもどんな鳥なのか、普通のハヤブサとどう違うのかわからないし、チェコ語の名称も聞いたことのないものばかりである。
➀ostříž
チゴハヤブサ ostříž lesní
エレオノラハヤブサ ostříž jižní
※チゴハヤブサは、「チゴ」がついているから、普通のハヤブサよりも小さいものだと予想されるけど、チェコ語では指小形「sokolík(だと思う)」は使われないようだ。
Araroh
シロハヤブサ raroh lovecký
セーカーハヤブサ raroh velký
ラナーハヤブサ raroh jižní
※シロハヤブサとか、sokol bílýだったら、日本語と対応して学習者は幸せなのだけど、やはりチェコ語は、いや動物の名称は一筋縄ではいかない。
➂poštolka
チョウゲンボウ poštolka
ヒメチョウゲンボウ poštolka jižní
ニシアカチョウゲンボウ poštolka rudonohá
アメリカチョウゲンボウ poštolka pestrá
※そう言えばそんな名前の鳥いたねというのが、チョウゲンボウへの印象で、poštolkaはニュースなどで何度か耳にしたことはあるけど、それが日本語のチョウゲンボウにあたるとは、思ってもいなかった。チョウゲンボウは、タカ科のトビなどと並んで、一般的な名称と個別の種名の関係が、日本語とは対応しないけど、わかりやすいものなのだが、残念ながら、poštolkaではないチョウゲンボウの一種も存在する。
Cdřemlík
コチョウゲンボウ dřemlík tundrový
※どうして、poštolka menšíじゃないの? と命名者に文句を付けたくなってしまう。
ハヤブサの仲間の鳥は、数は少ないけれども、タカの仲間以上に知らないものが多い。細かい種別が重要ではない場合には、全部小型の猛禽類と考えてタカで済ますか、ハヤブサで済ませてしまってもいいのかもしれない。ただostřížとrarohはハヤブサ、poštolkaはチョウゲンボウというのは、実際に使うかどうかは別にして、覚えておいたほうがよさそうだ。
週末投稿で復活のつもりだったのだけど、忘れることが多いので、思い立ったときに投稿することにした。この文章も書いたの数か月前だし、書きかけでまとめていないのも入れればストックはたくさんあるから、週末にこだわることもあるまい。
2023年01月09日
ハヤブサ考じゃなくて、ソコル考(になってしまった)
さて、次の問題は、sokolのもう一つの訳語であるハヤブサである。日本語でハヤブサに対するイメージというと、やはり「速いもの」、「スピードのあるもの」だろうか。たしか、鉄道の特急や、バイクの愛称として使用されていたが、それも速さを強調するために付けられたもののはずだ。新幹線の命名に使われた音や光の速さが、目に見えない、実感できない速さだとしたら、ハヤブサは目で見ることができる速さの象徴だと言えようか。
では、チェコ語のsokolのイメージはというと、正直よくわからない。チェコ語で鳥の名前以外に使われるsokolと言えば、日本でも知る人ぞ知る体操団体「ソコル」で、団体だけではなく会員たちのこともsokolと呼んでいる。女性はsokolkaだったかな。この団体は民族の身体能力向上を目標として19世紀後半に設立され、去年が設立160周年になるのだが、移民などを通じて世界各地に支部が存在する。6年に一度開催される全ソコル大会は、チェコでは大きなニュースとなる。
なぜこの団体が、sokolと名付けられたのかというと、日本語版のウィキペディアでは、「英雄を「ソコル」と呼ぶ南スラヴの習慣から名付けられた」という説を、紹介している。ちなみにこの項目では、チェコ語のsokolを鷹として説明している。この辺にも、動物学と無関係なところでは、「sokol=タカ」という図式が反映されていると考えてよさそうである。
体育団体のソコルは、第一次世界大戦後のチェコスロバキア独立に際しては、オーストリアに徴兵された軍人たちが、シベリアやフランス、イタリアなど国外でチェコスロバキア軍団として活動しており不在だったこともあり、国内における軍事力を担っていたという話もある。軍団員が帰国してチェコスロバキア軍が体裁を整えるまでの間は、ソコルの団員が、軍に入ったかどうかまでは知らないが、銃を手に取って軍事活動に参加していたというのだ。ソコルの訓練の中に軍事的なものが取り入れられていたなんて話も聞いたような記憶もある。
チェコスロバキアの民族的団結の象徴の一つであったソコルは、マサリク大統領には賞賛されたが、ナチスとソビエトには完全に忌避され、ナチスの占領下では活動を禁止され組織も解散を命じられた。ソ連の支配下では、全国的な体操大会は存在したが、ソコルの名は完全に消され、スパルタキアーダという名前の下に、社会主義的なテーマを与えられたマスゲームを中心とした大会が開催されていた。市町村単位から始まる地区予選を勝ち抜いたグループだけが、プラハのストラホフで行われる全国大会に出場することができ、全国から勝ち抜いてきたグループが共同でマスゲームを披露していたという。社会主義的なテーマと、ほぼすべての学校の子供たちが予選に参加していたことを除けば、大会で披露されるマスゲームは、ソコルの時代と極めてよく似ている。
ただし、ソコルの役割は、sletという鳥が跳び集まることを意味する言葉で名付けられた体操大会を開催することだけではない。現在でもチェコの各地に、大きな町になるとその町だけで、いくつかのソコルの支部があり、sokolovnaという体育施設の入った建物が置かれている。そして、多くの場合スポーツチームの拠点、母体となっているのである。支部によって扱うスポーツは違うのだが、オロモウツの場合には、陸上競技場とテニスコートが併設された二つのソコロブナを確認している。
スポーツチームの母体という点では、特に新たなスポーツクラブを立ち上げるのが経済的に割に合わないマイナースポーツの場合には、一部リーグのチームのなかにさえソコルのチームが存在する。例えば、ハンドボールの場合は、男女とも二つのソコルのチームが一部リーグで活動している。スポンサーなどの関係でチーム名からは外しているだけで、実際にはソコルが母体になったチームは、ハンドボールでも、それ以外のスポーツでも他にも多いし、アマチュアや少年スポーツのレベルになるとその数は更に多くなる。
一言で言えば、軍のチーム、もしくはその後継チームであるドゥクラと並んで、チェコではよく見かけるスポーツチームの名前なのである。プロレベルだと選手を一応軍人にして最低の収入を保証している(と思われる)ドゥクラのほうが目立っているけど。それから旧共産圏には、ディナモという名前の、かつては秘密警察とつながりがあったとも言われるチームもあるが、流石にチェコでもその数は多くない。
ということで、ハヤブサの仲間の鳥についてはまた次回。
2023年01月08日
タカ考
前回書いたように、日本語の「タカ」には、トビやノスリなども含まれるのだが、それらのタカの仲間たちはチェコ語では何と呼ばれているのだろうか。種の名称としてはjestřábだということが確認できたので、日本語でタカと呼ばれる鳥たちの多くはjestřábに形容詞が付いた形で種名とされているのだろうと予測したのだが、その形のものは「オオタカ=jestřáb lesní」だけだった。
jestřáb に近いものとしては、jestřábec východníというのがあるが、これはタカの仲間でも「タカ」のつかないサシバを指すもの。後ろに「východní」とあることから、東、この場合には東アジアに固有の種ということになろうか。jestřábecはjestřábの指小形だろうが、ワード上のスペルチェックで赤線が引かれるから、一般的に知られている言葉ではなさそうだ。
以下、せっかくなので、ウィキペディアなどで確認できたタカの仲間の鳥たちの和名とチェコ語名を対照して挙げておく。
➀本語では「タカ」が付くのに、チェコ語では「sokol」はもちろん「jestřáb」も使われていないもの。
ハイタカ krahujec
クマタカ orel horský
ヒメクマタカ orel nejmenší
※クマタカなど日本語では「タカ」なのに、チェコ語では「ワシ=orel」となっている。「タカとワシの区別はかなり便宜的なもので、分類学的な分け方ではない」という『日本大百科全書』の説明を如実に反映している。
A日本語の名称に「タカ」が使われていないもの。
ハチクマ včelojed lesní
※このタカはハチ(の幼虫やさなぎ)を食べるクマタカということでの命名らしいが、チェコ語からは、クマタカとの関連は見いだせない。ただし、včelojedも「ミツバチ食い」とでも訳せそうな言葉ではある。
ミサゴ orlovec říční
※日本語ではタカの仲間なのに、チェコ語ではワシっぽい。この「orlovec」は、orelの指小形だろうから、チェコ語ではミサゴもタカよりはワシに近いと考えられているのだろうか。
➂細かく分類されているもの
トビ luňák (hnědý)
アカトビ luňák červený
ノスリ káně
ヨーロッパノスリ káně lesní
ケアシノスリ káně rousná
アカオノスリ káně rudoocasá
チュウヒ moták východní
ヨーロッパチュウヒ moták pochop
ハイイロチュウヒ moták pilich
ヒメハイイロチュウヒ moták lužní
ウスハイイロチュウヒ moták stepní
※この三種、トビ、ノスリ、チュウヒは、一般的な呼称と、具体的な種名の呼称の関係が、日本語とチェコ語で対応している感じでわかりやすい。アカトビとアカオノスリに至っては、直訳できてしまうレベルである。またチュウヒの例からは、形容詞ではなく名詞(っぽいもの)を付加することがあることも確認できる。
ここにあげた鳥のうち、この調査をするまではチェコ語名を知らなかったというものも多いし、日本語でもそんなのいたっけレベルのものもある。だから、調査をしたかいはあったのだということにしておこう。ただ、鳥類学の素人に見て違いがわかるとは思えないから、これらのうちの多くは、よほど特殊な翻訳、通訳でもしない限りは、使うことはなさそうだけど。
『日本大百科全書』の引用は例によってジャパンナレッジより。
2023年01月01日
ソコルはタカか、ハヤブサか
チェコ語のsokolについては、確か京産大の出版局が発行した『チェコ語・日本語辞典』で調べたときに、「鷹」とあるのを見て以来、ずっとタカを意味するものだと思っていた。実際に、使われる場合も、日本語のタカと同様、大抵は小型の猛禽類(チェコ語ではdravec)を指すのに使われていたし、鷹狩、鷹匠を意味するチェコ語の言葉も、sokolから派生したものだったし、自分の頭の中には、sokol=タカという図式が出来上がっていた。
その思い込みに疑いが生じたのは、確か、テレビでテニスの、デビスカップかフェドカップの試合を見ていたときのことで、ボールのイン/アウトを判定するためのシステム、日本では「ホークアイ」と呼ばれるものが、チェコ語で「イェストシャビー・オコ」と呼ばれていたのである。「鷹の目」だから、チェコ語でも「ソコリー」とかいうsokolから作られる形容詞が使われていると思っていたら、「イェストシャビー」という聞いたこともないような言葉が出てきた。例によって、うちのに質問すると、「イェストシャープ(jestřáb)」という、sokolに似た鳥の名前からできた形容詞だという。
さらに詳しく聞いてみると、鳥の種名としては、sokolはハヤブサで、タカはjestřábにあたるということがわかった。『チェコ語・日本語辞典』にもjestřábが立項されていて、「鷹」という日本語訳が与えられている。ただし、うちのの話では、専門的にはともかく、一般的にはjestřábよりも、sokolを使うことが多いという。ハヤブサとタカが飛んでいるのを見て区別できる人がそれほど多いとは思えないから、タカを見ても、ハヤブサを見ても、日本人は「タカ」といい、チェコ人は「sokol」というのだろう。ウィキペディアによると、最新の分類学では、タカとハヤブサは目レベルで別種のものとされているようだが、以前はタカ目の中にハヤブサ科があったのだし。
この考えを補足するようなことが、『日本大百科全書』の「タカ」の項に書かれている。「タカのなかにハヤブサ科の鳥を含める場合もある」と。鷹狩についても、『世界大百科事典』に「鷹狩につかわれる鳥は,主としてタカとハヤブサ類で」とあることから、この点からもタカとハヤブサは同様に扱われていたと考えてよさそうだ。普通の人間にとっては、タカもハヤブサも似たようなものなのである。ということで、小型の猛禽類をまとめて呼ぶという意味においては、「sokol=タカ」として問題なさそうだ。
ただ『日本大百科全書』のタカの解説中にはタカの仲間として、トビやノスリなども挙げられている。かつて近くの漁港で空を舞うのを見たトビは、こちらの「タカ」に対するイメージよりもずっと大きく、トビだと知らずに見たら、ワシだと思ってしまいそうである。本物のワシは、あれよりも大きいのだろうか。ちなみにトビはチェコ語ではluňák、ノスリはkáněというらしいが、チェコでは「タカ=sokol」とは区別しているのぁもしれない。
ちなみに、現在最も信頼できるチェコ語・日本語辞典である石川達夫編『チェコ語日本語辞典 チェコ語の宝――コメンスキーの追憶に』(成文社)で、念のために「sokol」を引いてみると、「鷹」とあり、その後に用例として「訓練された鷹」が挙げられた後に、動物学の専門用語として「ハヤブサ」も挙がっているが、対応するチェコ語は、単なる「sokol」ではなく、「sokol stěhovavý」という後ろに「移動する」という意味の形容詞のついたものである。これは個別の種の名称ということになる。チェコ語では種を細かく区別するための形容詞は、名詞の前ではなく、後ろに置くのである。
ということで、結論は、最初っから石川先生の辞書を見ておけばよかったというものになる。やはり、先達はあらまほしきものである。
『日本大百科全書』『世界大百科事典』はジャパンナレッジより引用。
今年は完全復活とは行かないと思うけど、キリがいいので元日に久々の投稿。
2022年03月02日
くたばれチェコ政府、もしくはバビシュ政権の最後っ屁
チェコに住んでいる人は、気づいていると思うが、昨年の十一月、十二月ぐらいからチェコ政府による外国人いじめが一段と進行している。外国からの郵便物に関しては、その内容が何である可に関わらず、手紙扱いであったとしても、確か50グラム以上のものは、全て税関で止めて通関手続きを求めるようになっているのである。これまでは、2キロ以下の手紙扱いで送ったものは、箱入りの小包であっても、通関手続きをする必要はなかったのだけど、退陣間近だったバビシュ政権が最後っ屁とばかりに最悪の決定をくだし、新政権も特に問題視していないようで、変更しようという動きは見られない。結局バビシュも非バビシュも目くそ鼻くその違いしかなかったのである。
この最悪の事態に気づいたのは、昨年の十月初めに国会図書館の遠隔複写サービスで依頼したコピーが、昨年の十月末には既に発送したという連絡があった後も、いつまでたっても届かず、十二月の半ばになって郵便局からメールが届いたときである。そのメールには、日本から発送された郵便物が税関で止まっているから、委任状送付などの所定の手続きをするようにと書かれていた。多くとも数十枚のコピーが2キロを越えるはずもなく、手紙として送られているはずなのに、なんで税関で止められなきゃならんのだ。
仕方がないので、委任状を書いてスキャンして、日本の国会図書館から送られた複写物で(趣味の面が大きいけど)学問的な研究上の目的に使用するものだというメールと共に郵便局に送った。考えてみれば、郵便物にはこちらの住所は書いてあっても、メールアドレスなど書かれていないのに、メールアドレスを探して連絡をしてきたということだから、かなりの手間がかかったはずだ。一応通関手続きを郵便局に代行してもらうために委任状を出すのだから、手数料を取られることになるのだが、その額200コルナ、割に合うのかね。
念のために、うちのに確認したところ、最近制度が変わって50グラム以上のものはすべて手続きが必要になったというニュースを聞いたような気がすると言っていた。このときは、非常事態宣言中だったので、非常事態宣言下での特別対応であることを期待したのだが、年明けすぐのニュースで郵便局のEU圏外からの荷物の配達が遅れているというニュースで、非常事態宣言とは関係ないことがわかった。本来であればクリスマスまでに配達されるはずだったプレゼントが年が明けても届かないと不満たらたらのチェコ人も多かったようである。
こちらの手続きのほうは十二月の半ば過ぎにメールを送って以来反応がなく、どうなったのかと思っていたら、郵便局からこちらのメールを読んでいないような、頓珍漢なメールが来た。請求書とか支払い証明を添付しないと通関手続きができないというのである。この辺も、請求書なんてもらってないし、支払いは郵便物が届いてからするんだということを、その事情も含めて最初のメールに詳しく書いておいたはずなのだけど理解されなかったのか。
再び同じことを書いたメールを送ったら、郵便物の表面に値段が書かれていないということは、プレゼントだということではないのかという返事が返ってきた。もしかしたら、面倒くさいからプレゼント扱いで通関させるための書類を出せということだったのかもしれないが、誓約書を出せなんて面倒くさいことをいわれたのと、どんな税額が出てくるのかという好奇心とで、断じてプレゼントではなく、郵便物が届いたら中にはいっている請求書を見て、カードで支払いをするのだというメールを送った。
そうしたら、封筒を開けて中を確認するしかないけどいいかという反応があり、「お前等これまでにも、勝手に荷物の中開けてチェックしたことあるじゃねえか、今回も勝手にやるんじゃねえのか」と書きたい気持ちを抑えて、それしか方法がないならそうしてくれと書いた上で、念のために請求書にはカード払いの場合と、銀行振り込みの場合の請求額が併記されているけど、実際に支払うのはカード払いの場合の請求額だけだということも強調しておいた。
その結果、税額がいくらで確定したというメールが来たのだが、その税額はちょっと頭がおかしいものだった。今回の複写依頼で支払ったのは手数料、郵便料金を含めて合計5千数百円、支払い後のカードの請求額によると、1100コルナほど。それに対する税額が、430コルナほどで、郵便局に払う手数料と合わせて、630コルナほどとなっていた。税率40パーセント、手数料を入れると価格の60パーセントを追加で払わなければいけないのである。恐らくは、こちらのメールでの説明も、請求書に英語で欠かれた説明も無視して、カード払いと銀行振り込みの請求額を合計した数字に税をかけたのだろうが、面倒だったのでいちゃもんはつけずに受け入れた。
これで、通関手続きが終わり、配達体制の不備でまたまた郵便局まで取りに行くことになったのだが、無事にコピーを受け取ることはできた。でも毎回こんな無駄な二重以上の税金を取られるとなると国会図書館で遠隔複写サービスをたのむのも考え物である。法律の改正で申し込んだ複写物をデジタルで送ることができるようになったという話も聞くので、一刻も早くサービスとして導入してほしいものである。戦前の雑誌に関しては全面的にインターネット公開するというのが一番ありがたいのだけど、微妙に著作権が残っているのがあるみたいだからなあ。
とまれ、外国のネットショップで購入した商品にかんして、外国でもチェコでも消費税が課されないのは、チェコ国内の業者に対して不公平だという理由で導入されたこの制度、本来の目的は完全に忘れられて、外国から届く郵便物を使って税収と、赤字にあえぐ郵便局の収入を増やそうというものに変わってしまっている。だから、コロナ渦で国家財政が大きな赤字に陥っている中、所得税の大減税を行ったバビシュ政権は、税収増加のために通関手続きの対象を拡大したのであろう。赤字を減らすことを目的の一つとするフィアラ政権もそれを改める気はないようである。財政の責任者が、カロウセクであれバビシュであれ、別の誰かであれ、外国人から不当に金を搾り取ろうという姿勢では変わりがない。だから、くたばれチェコ政府なのである。
2022年3月1日