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2021年10月29日

急遽実家へ@(長文)

今、実家で書いている。
26日の火曜日、早く仕事を切り上げジムに行っていた。ふくらはぎの鍼が落ち着いたので刺激を入れようと。
帰宅して料理。レンジでできる焼き豚、豚バラ肉300gを買って作った。
その時にLINEに気づいた。姉からだった。

父親がおかしくなっていると。尿がでなく尿管をつけてもらったと。そして言動もおかしい、動けなくなっているとも。
すぐに電話したが出ない。実家の母親に電話した。
父親は夜中にトイレに行きたいが全く動かない。ふとんに父親を乗せてトイレまで廊下を引きずったこと。結局尿が全く出ず、近所の医院の紹介状を書いてもらって病院の泌尿器科に行ったこと。
その話を聞いていると姉から電話が折り返しかかってきた。

姉が言うには、尿管を付けたが、そのあとの状態として様子がおかしいと。何十年も前のことを急に言ったり、手を急に動かして畑に種を植えていると言ったり。
身体が動かなく尿が出ないのは、脳が何か異常な状態ではないかと。脳出血か脳梗塞か。
それで水曜日にもう一度近所の医院に行って脳神経科への紹介状を書いてもらおうかと。その考えには全く同意だ。尿がでなくなるだけでボケた症状。逆を考える。脳に異常があるから尿もでなくなっているのではないかと。

水曜日は仕事の予定があったので、木・金と休んで実家に帰ろうかと思った。
でも思い直した。父親の一大事だ、水曜日の早い新幹線で実家に帰ることにした、水曜の予定は社内のことだ、いつでもできる勉強会だった。
300gの焼き豚は、切りにくかったこともあってその日に食べた。煮卵2個も作っていたのだが、1個食べて翌朝に1個。その日は夜中に目が覚めたが、それから寝られなかった。かなり胃がもたれた。

水曜日の午前に実家についた。
途中の大きな駅で幼いころ、父がよく買って帰ってくれていたたこ焼きを途中下車して買った。なんでだろう、父がボケていてもそれを食べたら正気になるような気がしたのだ。
いつも地元の駅に着くと父が迎えに来てくれていた。つい先月帰った時もそうだったのだ。
タクシーで実家に向かう。

実家に着いて父は僕を見上げると一瞬驚いたようだった。誰か判ってはいるようだ。
普通に話ができる。別にボケてはいないようだ。ただ、顔が急に老けたように感じた。
姉が昼休みに実家に来た。昨日はこんな様子じゃなかったという。何を言っているか解らない話をしていたらしい。
夕方、姉と二人で父を連れて近所のかかりつけの医院に一緒に行く。家から2分程の距離。この医院の医者は、尿が出ないと行った父の様子がおかしいのに気づき、翌日の朝に家まで寄ってくれたり、次の日に電話もくれたりしている。この医者のお父さんに、僕の子供時代にはお世話になっている。
その前に町の社協で車いすを借りに行っていた。もう父は歩けなかった。

父親はずっとこの医師に診てもらっている。だから医師も父親の状態をよく知っているのだ。
尿が出なかったのは病院の検査で腎臓結石と前立腺肥大だと報告する。肝心なのは歩けないこととボケの症状だ。
医師によると、この89歳という歳になるとふだんやっていることを2日やらなければもうその機能が衰えるという。ボケた状態になったのは、それもあるし、腎臓結石による急激な痛みでパニックになるとそういった症状になるという。
痛みで脳がパニックになり脳が機能しなくなるというのは高齢ではあり得るのだろう。そんなことばかり考えている自分にとっては説得力のあるコトバだ。
父も医師の前ではすごくしっかりしている。結局、脳の検査のための紹介状は言い出せなかったし、このしっかりした父の状態では必要性もないように思った。

その日は車いすに乗ったが、医院から帰ると杖で歩いたりもできた。
リビングから食卓まで杖で歩けた。
医院に行っているときに母親は自分のケアマネージャーに相談の電話を入れ、翌日の木曜に来てくれることになった。トイレに行くときにふとんで引きずる状態だったことを伝えたようだ。
この時点でそのケアマネは介護ベッドの手配をしてくれた。
このケアマネも父を知っている。だからこそ、こういう状態になったらもう要介護認定になると確信したのだろう。

そんな状況で帰省した水曜日は終わった。
posted by shigenon at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月26日

臨床事例を増やす

ふくらはぎの張りは少しずつ収まってきた。
昨日帰って酒を呑んでいてふくらはぎが柔らかくなっていることに気づいた。家ではソファに座り、右足を上に組んでいる。いつもふくらはぎは左の膝で押しつぶされている。
これが良かったのかどうか。
左脚と比べてもかなり柔らかい。やはり時間とともに変化した。

歩く感覚はいいのだ。足を上げて足裏で着地し親指から抜けるよう軽く蹴り上げるイメージで歩く。右下腿が痺れていようが、足裏の感覚が無かろうが歩く動作は変わらない。感覚が無くても違和感をもたずにこの動作ができるよう習慣づけた。これが長年のリハビリの成果ともいえる。
この歩く動作でどこかに痛みを感じることはない。

痺れや痛みがあっても、治療とか筋トレによって刺激が入ってその種類や感じ方は上書きされる。前はどうだったっけと。
先週はふくらはぎなど右下腿の痺れや痛みはほぼ消えた。今は消えていた部分が、押せば痛い。
痛いと言っても、よく肩こりの状態で凝っているところを押すとキューっと感じることがある。その感覚だ。その痛みを感じる箇所が随時変わる。
この痛みは押さない限りないし、歩くことに不自由はない。ただ痛みが何を自分に訴えているのかが解らないのが気持ち悪い。
一般的に痛みは危険を知らせる信号だ。

それが中枢神経に障害がある人の症状ですよと明確に言ってもらえたらラクだ。
たぶんそうなんだろうと思うが、それを明言できるドクターはいるのだろうか。自分がその状態にならないと言えないような類のことだ。頚髄損傷のドクターは間違いなくいると思うが。
ただ、中枢神経の障害による症状は十人十色だ。

今日はジムで筋トレをしてみる。
刺激を入れることでどう変わるのか。やってみないと判らないが、臨床事例は増やしたい。
posted by shigenon at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月25日

ふくらはぎを攻める

金曜日はいつもの如く居酒屋Qへ。
脚の調子はいいのだが、1週間の勤務で疲れがある。特に何か一生懸命に働いたわけでなくても疲れは来る。眠くなって20時半くらいに帰宅。
帰宅するともう何もすることはない。ベッドに直行なのだが、この日は腹が減っていたようでカップ麺を食べる。起きるとカップ麺を食べたことを忘れていた。
これは酒が弱くなったのだろうか、それとも老いなのだろうか。

土曜日はジム。最近レッグカールの35キロが辛い。この数か月だ。レッグカールはモモ裏だ。チカラを入れづらい。思い当たるフシはないのだが。重く感じる時は荷重を下げた方がいいのだろう。勢いをつけてマシンを動かすのはあまり効果がない。
脚の調子のいい時は脚の筋肉が柔らかい。ストレッチをしていて感じる。特に痛みを感じるところはない。

鍼に行ってセンセイに先週の鍼後の状態について報告。これまでの中で一番効果を感じられたのだ。
一体何が良かったのかという話になるが、それはセンセイも判らない。毎回同じように打ったからといって同じ効果にならない。身体は変化する。その時に気になって目についた箇所を打つのだ。
ただ思ったのは、ふくらはぎに多く打った鍼でふくらはぎの痛みが緩和され、足首の鍼で足首の可動が良くなって足裏や甲の痺れがマシになったように思う。

土曜日の鍼。先週と同じく下腿、足首。
うつ伏せでは、これでもかという位にふくらはぎへの鍼。先週良くなった原因だと思われた。ふくらはぎだけで50本の鍼。集中鍼だ。ふくらはぎに弓矢で打たれ続けているイメージが頭に浮かぶ。
終わってすぐに居酒屋Q。呑んでいる時は鍼の効果などは感じやしない。鍼による身体の効果よりも脳がリラックスしている。
酔って帰ってすぐ就寝。

夜中に目覚める。ふくらはぎが熱く痺れている。足首から先はそれほど痺れていない。
ふくらはぎの鍼が多すぎたのだろうか。先週1週間は寝ている時の脚はほとんど痺れを感じていなかったのだ。ふくらはぎの筋肉が硬直しているように感じる。筋肉痛に近い。
鍼を打つと色んな変化がある。打ってすぐに柔らかくなることもある。筋肉がどのように反応しているのかは解らない。筋肉に緊張状態が生まれたのだろうか。

どちらにせよ痺れが戻ったことは悲しいが、それほど酷くはない。
鍼を打ったことで変化があったのだ。この筋肉の張りも永遠に続くものではない、その後にどう変化するかだ。
センセイはよく言っている。「いっぱい打ってれば“当たる”時もあるんですよ。打ち過ぎて悪くなることはめったにないですから」
これはホンネだろう。常にどう打ったらいいかを考えている人だから言っていいコトバだと思う。
posted by shigenon at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月22日

一番乗りの会社で

会社には一番乗りだ。
コロナ禍のフレックス勤務、7時半から16時半。オフィスに入るとブラインドを開ける。
こんなことは後から来る若い子にやらせればいいのだが、昨年定年退職した一番乗りの人がやっていたから仕方なくやる。

重労働だった。ブラインドの数は16個。
普通の人は簡単だ、ただ面倒くさいだけ。紐を持って下へ送り出すという簡単な動作が可動の悪い左腕にはキツかった。
それもリハビリだと思ってやっている。今日、そんなことを想いながらブラインドを開けていたが、前よりもずいぶん早くなった。手の送り出しがスムーズになったのだ。
いやいや、普通の人よりは下になった左腕を素早く上に上げることは遅いかもしれないが、前はもっと手間取っていたのだ。

ブラインドを上げ終わったらコーヒーの準備。デリンギのマシンの水補給と皿の溜まった水を捨てる。
人のためではない、自分がすぐに飲みたいのだ。
そういう朝の作業が15分くらいかかる。仕方なくやっていることだが、それらを動作のリハビリと考えたら確実に上達している。

受傷後、実際の生活においてやらなくていいことはやらなくなった。
それは思うように身体が動かないからだ。必要最低限のことだけだ。ブログを書き始めて鮮明に覚えているのが扇風機の組み立てだ。苦労していたこととタイトルを鮮明に覚えている。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/188/0?1634859275
3年前の状態を読み返すと今は身体の可動がかなり良くなったのだと思う。
良く感じたり悪く感じたりする神経の症状は繰り返しだ、それをもって症状固定というコトバは正解なのだろう。

身体の可動が変わることが生活の質を変える。
痛い・痺れるといった症状さえもある程度コントロールできる。
「症状固定」にとらわれ、イタイイタイ、シビレルシビレルと言っているだけでは何も進まない。
posted by shigenon at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月21日

流ちょうに英語を話して力強く歩く

英会話は続いている。
月に8回なのだが、これがなかなか多く感じる。休日に1回としても、平日も1回はこなさないといけない。
お気に入り講師をブックマークし予約する。もうA講師とは2年以上か。
講師をどう選ぶか。それは顔写真とプロフィールが一覧になっている。顔写真で選んだ。

選んだ講師でレッスンを受けて初めて合う合わないが解る。
レッスンだから当たり前なのだが、発音を何度も注意した講師はお気に入りから外した。英会話の学習なのだ、それはいい講師なのだ。でも楽しく笑いながらレッスンをしたい。厳しそうな女子は苦手だ。
テキストに沿って会話をするが、いつも何かネタを仕込む。講師を笑わせたいのだ。人を笑わせたいのは関西人としての血か。
その仕込みも苦労する。英語で言わないといけない。翻訳サイトで前もって予習する。もちろんテキストも予習する。1時間前には予習をして、テキストを暗記する。
いいカッコしいなのだ、流ちょうに会話できるフリをしたい。

Aさんを予約していても、トラブルで違う講師になる時がある。
そういう時は違う講師が勝手に選ばれる。今、お気に入りにブックマークしている他の2人は、それが縁で受講し気に入った講師。BさんとGさん。
Bさんはとにかく笑う。いつも笑っている。Bさんのレッスンを受けた後は何かハッピーな気持ちになる。Gさんはまじめで丁寧だ。不思議なのだ、講師が違えば自分の英語の発音も変わる。Gさんのレッスンをしていると上手な英語を話せる。昨日はGさんだった。

身体の調子。
先週の鍼で奇跡のように痺れが無くなったのはその夜だけ。しかし右下腿の痺れはずいぶん少なく感じる。昨日の昼はやはり痺れているなと感じた。
昨晩、いつものごとく深夜や早朝に目が覚めるが、目が覚めた時に右下腿の痺れはかなり少なかった。
横になっているからだろうか。これまでと比べると半分以下の痺れ。
痺れと身体の動きは別だ。
いつものように歩く1歩1歩をチェックしているが、左足の着地がヘタだ。少しペッタンと音がする。
右足、前はもう少し力強かったように思う。
ただ、それも1日の中の時間による。帰りに駅に向かう時は力強い。

英語も講師によって変わる。歩きもシチュエーションによって変わる。
これを脳の働きと言わずして何なのだろう。
posted by shigenon at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月20日

コンパクトな生活

大体の平日の夜を家で過ごすようになったのはコロナ禍の少し前。
近所の居酒屋Yが閉店したのは去年の2月の最初だったか。特に新しく夜を過ごせる居酒屋を開拓しないままコロナ禍となった。

近所で落ち着いて呑める店はなかなかない。そうしているうちに居酒屋Qに行くようになった。だが、居酒屋Qは徒歩15分くらいなのだ。酔っぱらってもすぐ家に着く距離の基準は徒歩5分と思っている。ましてやこの身体の状態で酔っぱらって歩くことは避けたい。
これまでもそうだが、居酒屋での一人飲みは黙々と食べて飲むのではない。カウンターに座って店主と少し話ながら、また、隣り合わせた客との会話も楽しみながら時間を過ごす。
人と知り合う・人と話するのが好きなのだろう。
もう長年の飲み方だ。だからそういう雰囲気の店を探すし、一度行ったら長い付き合いになる。

東京に来てからは居酒屋Sには毎日行っていた。日曜日も。そこでは多くの友人ができた。
居酒屋Sの閉店後、居酒屋Yに行くようになった。毎日ではない。週に2回くらい。実はそれほど気に入ってはいなかった。マスターも客も居酒屋Sの時の雰囲気とはまるで違った。ただ家に近いというだけだ。
ただ夜の時間を潰すには良かった。居ても2時間程度。帰ってシャワーを浴びて寝るという規則正しい週2回のルーティンだった。

そのルーティンが無くなってどう夜を過ごそうかという時にコロナ禍のステイホーム。
緊急事態宣言が明け、感染者数が激減したからといって新たなホームとなる居酒屋を開拓しようとは思はない。
それは、新たに人との関係を作るのが面倒くさいということも大きな要因だ。

コンパクトな生活。
そう言ったら聞こえはいいが、もう58歳なのだ。自分の好きなことをやるだけで手いっぱいだ。
何かを我慢して将来に向けて修行することは、好きなこと以外に必要はない。
そう、好きな事だけでいいのだ。
新たな関心や新たな学びを放棄するわけではない。ただ基準は好きな事。
好きな事と言ってもなかなか出てこない。まずはイヤな事をしないということからのスタートだろうか。

まずは平日の夜をどう一人で過ごしたら快適なのかから考えないといけないか。
posted by shigenon at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月19日

振り返ってみる

右下腿の痺れは全く無くなった訳ではないが、感覚がずいぶん違う。
もちろん痺れているのだ。だがこれまでは触らない限り感覚がなかったくらいの痺れだった。これはいつからだったのだろう、そのためにこのブログで記しているのだが。

記憶にあるのは昨年の龍王峡を歩いてから格段に歩行が良くなったこと。
そのあたりから振り返って読み返す。ちょうど1年前。
その頃に手の痺れが緩和したと書いている。それは今も続いている。これは間違いなく受傷後よりも良くなったのだ。
この頃に歩き方を考えている。「右足裏で地面を舐めるように」という表現。今更ながら読み返して何のことかと思った。要はこれまで足裏全体を地面につけて、足裏でキックせずに脚を運ぶ歩きだったようだ。それを踵から足裏全体を地面に設置することを意識し、最後に足で蹴る歩き。

昨晩これを読み返して今朝は何も意識せずに歩いてホームに向かう。
ちゃんと足裏が地面を舐めている。習慣になったのだ。果たして受傷前はそう歩いていたのかは思い出せないが、正しい歩き方だ。
右下腿はこの頃から痺れが強くなったようだ。足の甲の痺れも書いていた。
我ながら長いし読みにくい文章だ。1か月分読んだらイヤになった。

昨晩は久しぶりに超音波治療器を使った。
土曜の鍼後に右ふくらはぎと足首がすごく柔らかかった。鍼後にすぐに何か変わることは珍しい。
昨日触ると、もう硬くなっていた。やはり寒かったからだろうか。
超音波治療器を右の足首からふくらはぎの外側をあてる。その時に感覚はあまりないが、風呂に入った時に超音波治療器をあてた箇所が他より熱を持っているのが感じ取れる。

何故、右下腿の痺れが強くなってしまったのか。現段階の推測。
足裏を使うようになってふくらはぎの筋肉を使い、そしてふくらはぎと足首のケア不足で硬くなって甲まで痺れたという推測。
もう一つは冷え。4月くらいからはお湯に浸からずシャワー。脚が温まっていない。

今日は昨日の続から読み返してみよう。
posted by shigenon at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月18日

右下腿の痺れが消える

右下腿の痺れが一瞬消えた。
これは日曜日の深夜に目覚めた時。寝ぼけているのかとトイレにも立ったが痺れがない。

金曜日はいつものごとく居酒屋Qへ。会社を出て駅へ向かう時に思わず笑ったのは、その日そんなに良くも悪くもない脚の調子だったのが、スイスイ歩いている。
居酒屋に呑みに行くのが嬉しいのだ。何度も書いているが、脳が喜んでいる。実際に歩いていて、それ以外に要因はないので笑ってしまった。マスクをしていて良かった。

土曜日はジム。
同じ荷重のマシンを動かしても重く感じる時とラクな時がある。これも“やる気”の問題なのだ。
自分が腕の動きとか働きをチェックしながら動かしていると、それほど重く感じない。それが、何も考えずに義務のようにジムに来て動かしていると重く感じる。
これも脳の働きだと思う。現実のマシンの荷重は変わらないのだ。

ジム後は鍼へ。
先週は休んだので先々週からの身体の変化をメモしていた。前回の鍼後すぐは足首の可動が良く、痺れも少なくなった。その後はモモ裏の張りや力が抜けるなどの事象があった。
今思えばふくらはぎが柔らかくなったから足首の動きが良くなったように感じたのだろう。元々硬い足首だが、それほど可動域は変わっていなかった。

鍼の打つ箇所の微妙な違いは解らない。ただAセンセイは狙って打ってくれている。
1本1本打ってもらう度にどこに刺激がいったかを感じている。下腿の外側に打つ鍼で、足の親指に軽く響く鍼、足裏に響く鍼、甲に響く鍼と色々だ。打つ深さ毎に反応する箇所が変わるのを感じ取れる。
これは自分の特殊な能力なのだ。何故かと言うと、右脚全体が痺れているためにすごく敏感なのだ。
同じように左脚に打ってもらっても感じ方がまるで違う。右脚は鍼が入った瞬間から深く入っていくまでを感じ取れる。

この日の鍼は何が違ったのか正直解らない。仰向けは同じように下腿と足裏。
足裏はどれくらいの深さ入っているんですか?と聞くと5センチ位との回答。正直2.3センチと思っていた。考えるとゾッとするが。
うつ伏せでの鍼は、前回と同様にふくらはぎへの鍼。それはそれほど深く入っていない。
ただ、本数は前回より多かった。あと、モモ裏に1本深い鍼。希望としてはモモ裏にもっと打って欲しい。あとお尻も多く打って欲しいなと思った。押して痛いところは鍼で刺激したいと思うのが素人考えだ。

終わってすぐは良くなったと漠然と思っただけ。
それから居酒屋Qまで歩く。呑んだ帰りも歩き。何も意識していなかった。
呑んで帰ったら20時過ぎなのだが、量を多く呑んでいるしする事もないのですぐ眠くなる。そのまま就寝。深夜に目が覚めたら最初に書いたように痺れがほぼ無くなっていた。

長く治療をしているのだ、何かの変化は起こる。
だが、これほどはっきり感じた変化は初めてだった。
じゃあ翌日はどうかというと、全く痺れがないわけではないが、これまでとは違う。靴下2枚脱いだ感覚だ。
日曜日、雨ということもあったが鍼の効果がどう持続するかも検証したいのでジムには行かなかった。

今朝の通勤。
先々週は痺れが緩和したけど力が入り辛いなどを感じたが、それはない。快調だ。
思ったのがこの状態は今までで一番良い状態なのかどうか。
少なくとも足裏の着地など歩き方を習慣化させようと書いていた頃、痺れはあったがそれほど強かったのだろうか。

知らず知らずのうちに痺れが強くなっていたと思う。痺れているがゆえ、それが強くなっていても違和感を思わなかった。なぜなら動けるから。脚の動かし方と痺れは別だ。痺れているから動かせないという思い込みを脳から払しょくしている。
それをそう思うのは、通常出勤になって通勤路やタバコロードを久しぶりに歩いた時、踵からついて足裏外側から親指に蹴るというチェックをしていたが、地面の感じ方がぼんやりしていた。

だから悪い状態が良くなったのだろう、でも、その前よりも痺れが緩和しているようにも感じる。
どちらにしろ良くなったのだ。良くなった時は良くなった理由を検証し、それを記しておくことが大事だ。
ただ、日曜の夜中に右下腿のほとんどの痺れが消えたのは幻ではない。
posted by shigenon at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月15日

新たな痺れ

良いと思ったら何か悪くなる。
実際これの繰り返しなのだが、少し気になる症状。左肩から腕・小指にかけて痺れがある。
これは受傷による症状と別ものだ。
なぜ別ものかと言い切れるかというと、過去に経験した痺れなのだ。

10年くらい前にゴルフ中に左肩から腕にかけて“ピキッ”という音がしたような状態で力が入らなくなった。リキんでドライバーの素振りをしていた時だ。
ゴルフ後、腕と小指が痺れる。
今でこそ頚髄損傷という原因が解った上での痺れだが、ふつうは痺れなど起こると身体に何の異変が起きたのか心配になる。痺れは正座によるもの以外は馴染みがないものだ。

その時に整形外科に行った。I整形外科だ。
そこはその後、頚髄損傷で入院したのちに近くでリハビリできればと行ったところ。「こんな重症な人は来てもらってもどうしようもない」くらいの勢いで言われた。
そのゴルフ後の痺れで行った時も、「痺れは見えませんからね、神経を取り出して修理するという訳にはいきませんから」みたいなことを言われた。
いつも混んでいる。2時間待ってこれだ。今、思い出すだけでも腹が立つ。

結局、自分で調べて「胸郭出口症候群」ではないかなと思った。胸郭から肩・腕・小指と繋がる神経が痺れていたのだ。胸郭を押せば痺れが少し緩和した。
それは自分の診察であり、I整形外科で言われた通り“痺れは治らない”と思っていた。
今から思えば、頚髄が狭いことも影響していたのではないかとも思う。過去にそういう診断を受けていた。違う医者に行っていれば頚髄の狭さや後縦靭帯の骨化についても明らかになり、この頚髄損傷という事態にならなかったかもしれない。

そんなことを言っても仕方ない。
今の肩・腕・小指の痺れ。これはその時の痺れ方に似ている。頚髄損傷による痺れがある上にその痺れが加わっているのだ。よく違う痺れが感じ取れるなとも思う。それくらい頚髄損傷による痺れは自分の身体の一部になっているのかと思うと笑えてくるのだが。
前の症状と違うのが、胸郭からその痺れが来ていない。自分で押して痺れの元をたどると、左首の側面から肩の後ろを通って腕・小指へと痺れている。

前と違って“痺れ”のエキスパートだ。
この新たな痺れ、受傷はあまり関係ないだろう。まあ何らかの影響はあるかもしれないが。
1か月くらい前から左肩あたりに変な感じがあったのだ。肩こりもあった。
左を下にして寝ていると肩が痺れることもあった。これはどこかが神経を圧迫しているのだろう。
考えられることとして、これまで可動が悪かった左腕が少し良くなったことにより、筋肉も付き始めた。
筋肉が付き始めたが、それに見合う動きが出来ていないのかも。筋肉は筋トレなので、生活で付いたものではないから。
まあ解らない。後は対処療法しかない。明日の鍼でセンセイに相談だ。

今日は金曜日。くだらない会議をこなし、居酒屋Qへ行こう。TGIF!
posted by shigenon at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月14日

調子が戻る

もう木曜日。長旅だった。
土曜に実家へ帰った。両親ともに元気なのだが、89歳の父親は春から膝が痛くてあまり歩けない。去年まで毎日1万歩以上歩いていたのに。
膝が痛い・水が溜まっている状態でも無理をした。無理して動かせば良くなるだろうという考え。その習性は自分にも当てはまる。

膝の不具合を別にすれば元気だ。母親も元気だ。
親が元気で長生きしてほしいと思うのは子供として当たり前の感情だ。しかし、寿命だけはだれも予測できない。会える時に会い、一緒に時間を過ごしたい。
実家に帰ってもすることはない。10月なのに連日30度くらいまで上がる気温。家の中でゴロゴロしていた。

身体の具合は良い。
右下腿は痺れも少ないし、右太ももの裏の張りや痛みも少なかった。これはゴロゴロして脚を使っていないからだろうか。
金曜日、筋肉痛のような張りを感じていた時にいつも通りの筋トレをした。何か刺激を入れないと変化はない。
これが良かったのだろうか。張りは消えた。こんなことで変わるのだ。身体は不思議だ。

土曜日に帰省したので鍼に行っていない。
鍼後に右脚は調子良かったのだが、その時の状態になっている。鍼による効果であるのは間違いないのだが、その間に悪くなって回復するという状態。それを思うと毎週の鍼という頻度はどうなのだろう。
本当は自分の調子で行くべきタイミングで判断して行けることが望ましいが、そういう訳にもいかない。
毎週土曜の決まった時間を空けてもらっているのだ。

今日・明日と社内でルーティンの仕事。
通勤・タバコロードと歩きのチェックができる。先週から日々の状態を簡単にスマホにメモしている。
これを鍼のセンセイに報告して新たな改善にしよう。
posted by shigenon at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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