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2024年07月26日

米を捨てる

スマホを新しくした。別に不具合があったわけではないけど、2年で新しい機種に変えてくれる。
それに伴って大変なのがデータの移行。ほとんどはそのままだけど、アプリによっては再ログインが必要になる。ポイントカードのアプリはほとんどそうだった。
今週は取り立ててやる業務は何もない。毎日依頼が来ればやるルーティンの業務だけで、それもすぐにこなせる業務だ。
何かやることあったらやりますよとは伝えてある。だが何の指示もないから仕方ない、ヒマで遊んでいるよう見えないようパソコンをいじっている。新しいスマホへのデータ移行も水曜日にほとんどを終わらせた。

以前ならこんな状態には耐えられなかった。どんどん新しい仕事を見出してきた、自分が部署の責任者である時のことだ。今は全く別の業務だし引退の身なのだ、自分から何かを創出することはない。
当時部下だったN君を思う。彼は自分の部署の大阪の責任者だったが、何か自分から考えて行動を起こすことはなく、多くの時間を社内で過ごしていた。
親会社に戻り、全く経験のない部署での嘱託勤務。言われたことだけをやるN君を思い出した。難易度の高いことは知らんふりして過ごしてきたN君、お日様西西とはこういうことだとよく思ったが、今は自分がそうだ。

左脇の痛みは会社にいる時だけ起きている。とりあえず椅子の位置を高くしてみるとマシになった。
が、ちょっと数少ない業務を詰めてやると痛みが出る。一度痛くなるとずっと痛みが続く。どこかを触ったり伸ばしたりしても痛みは変わらないのが辛い。会社を出ると痛みは無くなる。
昨日は月一の整形外科。せっかくだし医師とのコミュニケーションもあるので、左脇の痛みについて訴える。医師は後ろに回って肩をつかんで「肩が張ってますね」と。いや、張っているのは判っているのだが。まあ触らない医者が多い中、良いほうだ。これ以上酷くなるようだったら対処しましょうと言ってくれたのは良かった。

昨日の昼に夜の食べる量の米を用意していた。いくらご飯を炊くのか用意しておかないと母親は判断できない。いつも米をボウルに入れて、その上に何合と書いて貼る。
ふと米を見ると虫がいる。見たことのない小さな幼虫のような。
最初は取っていたが、あまりにも多くて取り切れない。取り切ったと思って米を洗おうとすると浮いてくる。これは気持ち悪いので捨てた。ふだんは米粒一つ残さず食べるの人間なのだが。
調べると「ノシメマダラメイガ」の幼虫。そういえば2週間ほど前、ハイザー(米びつ)の取り皿に米が残ったまま蓋を閉じていなかった。開けると蛾のような虫が2匹。取り除いて米を戻したのだが、その時に卵を産み付けていたのか。気づかずに食べていたのかと思うと今でも吐き気がする。

ハイザーの米は残り少なかったので全部出して捨てた。米の中には幼虫から蛹になったものまで付いている。
ジムの帰りにスーパーへ米を買いに寄る。そこで初めて知った、米不足が起きていることを。スーパーの棚には全く在庫がなかった。知らぬ間に米騒動が起きていたのか。仕方なく別のスーパーに向かうが、スーパーよりも食品を取り扱っているドラッグストアの方がねらい目かと寄ってみた。在庫はあったので買う。
インバウンドによる需要増加と天候不順が原因なようで、新米が入る時期まで不足気味のようだ。

もう週末。自分だけ1週間が早いような感覚になる。こう暑いと活動も鈍る。いや、暑くなくても鈍っているのだ。冬の羽毛布団を干して仕舞わないと。
posted by shigenon at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年07月22日

Windowsトラブルから

母親の認知症がまた1段階進んだか。
その場その場で何かに対しての行動はできるが、覚えていられる時間がだんだん短くなっている。食器などは洗った後に元の場所に戻らない。
夕食の材料を用意して、何度も現物を見せたうえでメニューを紙に書いてテーブルに貼っているのだが、何もおかずがないと言っているらしい。父親に聞いた話だが。
父親はまだ頭はしっかりしているが、少しづつ思考や動きが緩慢になってきたか。
こればかりはどうしようもないのだ。今から身体能力が上がったり頭の回転が良くなったりすることはない。全てを受け入れて対応してやらないといけない。

左脇下の鈍痛とともに咳が出る。痰がうまく切れないから何度も咳をするといった状態だ。
左脇下といっても場所が特定できない。肺なのかと言われればそうかもしれない。外科的な要素なのだろうか内科的なことなのだろうか不安になっている。
狭窄感があって腕が痺れることを考えると外科的なことなのだろうか。背中が痛いと言って背中に湿布を貼って出かけようとしたときに玄関で倒れた山ピーを思う。心筋梗塞で運ばれた時には手遅れだった。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/53/0?1721365518

と、ここまで書いたところでパソコンがシャットダウン。例のブルースクリーン問題だ。
仕事中の一息ついた合い間に書いているのだが、これ以降なんの業務もできなかった。7/19 14:08のこと。

今日、出社したがパソコンは立ち上がらない。修復方法は社内SNSで配布しているという。が、会社支給のスマホにそのSNSを入れていないから見ることができない。ふつうは入れるのだろうが、会社スマホは現役でない自分にとって何の必要もないのだ。パソコンを立ち上げる時の顔認証だけだ。
朝から若いシステム担当者に頭を下げて復旧してもらったが、なんか気分的にすっきりしない。こういうトラブル時の対処はこうなのか。システマチックな世の中についていけないだけなのだろうか。

土曜日の朝、久しぶりにマッサージ機に乗った。背中の筋肉、縦に長い筋肉だから脊柱起立筋だろうか、そこを揉み手が触れるとコリコリしている。肩甲骨あたりもかなり硬いようだ。
これまで肩こりには敏感だったはずだが、全く自覚症状がなかった。そういえば前回の針の時にセンセイから背中が張ってますねと言われた。全く張っている感覚はなかった。
マッサージ機を終えてもまだすっきりしない。ハンディガンを出してきて、父親に背中に当ててくれるようお願いした。父親は素人ながらも指圧がとても上手だ、ツボもよく知っている。ただもう手で押すのは疲れてしまうだろうから、ハンドガンなら疲れないだろうと。
腰から背中、肩へと適切なポイントにハンドガンを当ててくれる。頭の中に“筋肉のねじれ”というコトバが思い出される。

どこで耳にしていたのだろう。Aセンセイだったか。筋肉のねじれ…コトバだけでもイメージがわく。
調べてみると偏った筋肉の使い方で筋膜がねじれることのようだ。また、巻き肩による腕のねじれという解説もなるほどと思った。ここしばらく脇の下あたりの狭窄感はこれが原因のようだ。
自分の場合はこの巻き肩が思い当たる。横を向いて寝ることや胸の筋肉は鍛えているが背中の筋肉は鍛えていないとか。
ストレッチでの解消法も多く出ている。だが、とにかく凝り固まった筋をほぐしたかった。
最強度でハンドガンを当ててもらった。

土曜日は熱中症アラートが発令される暑さ。ハンドガンマッサージ後に買い物、昼食の用意。
それからだ、具合が悪くなったのは。暑さのせいか、暑さといっても車に乗った時とスーパーの駐車場くらい。昼食を食べそのあといつもジムにいくのだが、身体を動かす気力がなかった。凝った筋肉をほぐしただるさなのだろうか、熱っぽい感覚もある。
夕方までリビングのソファでダラダラ過ごし、夕方に夕食の準備をしたが自分の分は作らなかった。全く食欲がなかったのだ。
すぐベッドに向かい、途中何度か目が覚めたものの15時間ベッドで過ごした。

熱中症だったのか、コリがほぐれた好転反応だったのか。
とにかくよく寝た後は通常に戻った。少し変化を感じたのは、痰が切れない状態だったのが少し切れるようになったこと。筋肉のねじれで肺を圧迫し、それが気道に影響していた?というバカなことを想像したりもした。
会社で通常のようにパソコンに向き合うが、やはり左脇下が攣りそうな感じになる。ただ前と違うのは要因となってる場所がわかること。あばら骨の後部、広背筋か。手がギリギリ届くが、そこを押すと痛みが緩和する。

巻き肩や筋肉バランスもあるが、この症状が出始めたときに環境が変わったことが2つある。
1つが前歯が入って歯の治療が終わったこと。少し期待とは違った治療で終了した。先生はかみ合わせが悪いと肩こりが酷いからと散々言っていたのだが、かみ合わせが果たして良いのかどうか。なんか左奥歯が低いような気がしている。
もう1つはパソコン。デスクトップからラップトップに変わり、大きなモニターを取り付けた。そのモニターの向きや高さ。それと繋いでいるキーボードの高さ。
まあ何が原因にしても何らかの対処をしないと。ただデスクに座ると痛んで左腕が痺れてくるから、やはり原因はパソコン環境なのだろうか。とりあえずモニターの位置を低くした。

昨日は軽くいつもの筋トレだけはした。1日寝込んだだけで体重が1.5キロ減っていた。帰るとクーラーの効いた部屋でグッタリだ。
ダラけてグッタリするのも仕方のない気温だが、これがクセにならないようにしなければいけない。怠惰は身体の老化と精神の老化を進めてしまう。
posted by shigenon at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年07月17日

足の爪が伸びるのがとても早くなった。
もともと身体が硬いから足の爪を切るのは苦手だった。だから足の爪の伸び具合はいつもチェックしている。
去年くらいまでは足の爪の伸びる速度は遅かった。手の爪を3回切るタイミングくだった。それが今は手の爪を2回切るタイミングで伸びている。

なぜ爪が伸びるのが早いか。足の血行が良くなったからだろうかと思っていた。
調べると新陳代謝が良いと伸びるのが早いようだ。あとはたんぱく質が十分摂取されているとか。
細胞に新陳代謝の材料である酸素や栄養を運んでいるのは血液だから、やはり血行が良くなったことが大きな要因のようだ。
血行が良くなったと感じるのは、足首が柔らかくなったからだ。これまで足首だけを一生懸命前傾させたり回したりしていたが、それほど効果はなかった。股関節のストレッチは効果を発揮し、股関節は少しは柔らかくなっていた。その股関節のストレッチを少しハードにしてみた。
その組み合わせが良かったのか、ほんの少しだが足首が柔らかくなったのだ。股関節と足首は関係あるのかどうかは判らないが。足首に血が通う感覚を持てていた。

受傷して40日間全く動かなかった左腕。その時に左手の爪は全く伸びなかった。左人差し指に魚の目のようなイボがあって、1週間ごとに爪切りで削るほど大きくなっていたのだが、それさえも大きくならなかった。
爪が伸びないこととイボが大きくならないことは「左手は死んだ」と思うには十分だった。
左手が動くようになっても爪の伸びは遅かった。やはり活発に動かさないと新陳代謝は悪いのだろう。
一度は死んだかと思った左手、それを思うと爪が早く伸びるということは喜ぶべきことだ。

連休の最終日の月曜と火曜で両親、姉夫婦とともに淡路島に旅行した。旅行といっても家から車で2時間弱の距離。
去年、鳥取に旅して以来の家族旅行だ。旅行といっても温泉に入って料理を食べるだけ。特に観光地を調べて行ったりはしない。非日常感は温泉と料理だ。
それでも時間をもてあそぶので途中“たこせんべいの里”に立ち寄った。ここはたこせんべいを製造していて、試食もできる。
夜はビュッフェに鱧料理2品をプラス。両親もけっこうな量を食べていた。
お風呂では久しぶりに父親の背中を流した。あと何度こうやって一緒に大浴場に入ることがあるのだろう。

左脇下の鈍痛が続いている。なんか狭窄しているような感覚。左の上腕までがその鈍痛で少し痺れている。息苦しさも感じる。
胸郭出口症候群のような狭窄感だ。違うのは胸郭出口症候群だと、押せば気持ち良い感覚で狭窄部分が緩和する。
この脇の下なのかそれより後部なのかの鈍痛は、押しても緩和するポイントがわからない。左手を上げて曲げ伸ばしすると少し痛みは緩和するのだが。

もう7月中旬。蝉も鳴き始めた。何かトキメクことのある夏になるのだろうか。
posted by shigenon at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年07月10日

性根

母親の認知症が進んできた。自分のことがでできるからまだいいのかもしれないが。
少しずつ進行するのだろう、前はちゃんとやっていたことも、やっていたこと自体を忘れている。新たに覚えて何かをやるといったことは期待できない。それと毎日何度言ってもできないことがある。
庭で野菜をビニール袋に入れて冷蔵庫に入れてはいけないと注意する。みずみずしいので、袋内部に水滴が付いて痛むのが早いからだ。でも帰って冷蔵庫を見るとビニール袋に入った野菜がある。
そんなことは1例で、毎日の生活で自分がやっていたことを条件反射のようにこなしているだけだ。それはもちろん感謝しなければいけないことなのかもしれないが。
間違ってもしれているのだ、ただ洗濯洗剤の中に詰め替えの柔軟剤を入れていて全て捨てたこともあるが。

会社に行かない火・木・土・日はすべて自分が料理をする。実際のところ、そんな状態の母親が作ったものは食べたくない、衛生面でもいいかげんだ。
もう1年以上そうやっているが、曜日感覚がないのかうっかりすると何か作ろうとする。勝手に必要以上のコメを炊いたりする。会社に行っているときは食べるものを昼と夜に分けたトレイに入れて、紙を貼って冷蔵庫に入れているが、それもその通りにならない。
怒ってはいけないと思いながらも怒ってしまう。怒るというレベルではなく怒鳴っている。それは間違ったことをしても、自分は間違っていないとすぐ言うからだ。
はいはい、そうですか...といった対応をしなければいけないのだろうが、まともな人を相手にしているように対応してしまう。

前にも何度も書いたことだ、反省しないといけないと。
でも相変わらず怒ってしまう。怒ってしまうもう一つの要因は、まるで自分と接しているようだからということもある。すぐ言い逃れをする、それもとっさに相手の言ったことを聞いてうまく言い逃れる言い訳を言う。瞬間にだ。それは嘘を交えることが多い。
自分もそういうところがあった。記憶の限りかなり幼いころからだ。
今はそうかといえばそうではない。自分が持っていて、直さないといけないと思ったことは直すようにした。それでも気づかず直っていない悪い部分はいっぱいあるだろう。決していい人になろうと思って直そうとしたわけでない、自分が成長していく過程でそうしただけのことだ。

他にもたくさん母親を見ていて自分が持っていた傾向と同じものを感じる。
それは恐らく幼いころから見てきたから、自分にも備わったことなのかもしれない。両親を見て学ぶのだ、良いことも悪いことも。世間を知って、それが世間に通用しないことが多くあると認識する。
両親は自営業だった。それほど広い世界を知っているわけでもないのだ。
決して両親を見下して思っているわけではない。一生懸命育ててくれた記憶しかない。どもの家にも、世間から見るとダメダメなことが常識化していることはあるだろう。
性根。その人が持って生まれたモノもあれば、生活での経験を経て変化することもあるだろう。
母親や父親を見ていて、十分理解できる同じ感覚がある。親子だ、近い性根があるのだろう。

自分は人当たりは良いほうだ。
でもそれが身内になると一変する。厳しいことをコトバで言ってしまう。そとづらが良いだけなのだろう。
今、それを素直に反省して直さなければいけない。身内だからと言って自分が甘えているだけなのだ。

身体の状態。
左胸が少し攣ったような痛みを感じる。気管支についても、閉塞した状態を感じることも多い。
右脚の痺れ等は強くなったり弱くなったり。でも簡単だ、強かろうが弱かろうが脚を前に出さないと進めないのだ。
posted by shigenon at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年07月08日

新しいこと

いくつ歳をとっても学ぶことは大事だとずっと思っていた。それについて誰もがよいことだと思うのは間違いない。
会社のパソコン環境が大きく変わった。慣れ親しんだマイクロソフトからグーグルへの移行。つまりワードやエクセル、パワーポイントが使えなくなる。共有を目的とした仕事になり、Googleワークスペースの使用。もちろん文書作成や表計算、プレゼンと似たような機能はある。
しかし使いにくいのだ。慣れ親しんだやり方で資料が作れない。

思えば個人のパソコンでの仕事が一般的になったのはWindows95が発売された時か。1994年だったか。使いながら学んでいった。まだ30歳だったのだ、それから30年、たいていのことはできていたのだ。
それがついていけなくなった。というのも、それを使わないと仕事にならないのだが、自分が主導して書類や資料を作ることは今はない。だから必死になって覚えようとしないのだ。
つい最近、客先などはワード・エクセル主体なので併用することになってほっとした。
あとデスクトップやノートパソコンが廃止になり、ラップトップになった。各自大きなモニター2台が配布された。

ワードやエクセルを使えるまだ古いデスクトップを使っていたが、ラップトップにofficeをインストールしてもらえることになり、今日使っていたデスクトップを廃棄しラップトップにモニターを繋いだ。
モニターは1つだけにした。かなり大きく、2つも使う必要はなかった。ここでまた問題がおきた。いわゆるマルチモニターだ、どうやって開いているモノを分けるのか。ラップトップもモニターも同じモノしか映っていない。それだったら画面の拡大にしかならない。こうやって仕事の合い間にブログを書いていることがまるわかりだ。
画面の拡張という機能で画面は分けることができた。そうしたら次はカーソルが別画面にあって動かない。それでしばらく何もできなかったが、聞いて解決。

歳をとっても学ぶことは確かに大事だが、もういいのではという気持ちになった。
おそらく色んなことでもういいや≠ェこれから起きるのだろう。学ぶことは大事だと認識しながらも、知らず知らず学ぶことを避けてラクをして、そして時代についていけなくなるのだろう。
スマホを使える老人と使えない老人の差は、孫とSNSをしたいから努力した老人とそれ以外の差かもしれない。
何か目の前に楽しい結果が見えないと、新しいことを受け入れるのは難しいのかもしれない。

身体の状態。
気圧が不安定にも関わらず前ほどの調子のムラはない。相変わらず気管支は不調だ。
今日、9月の沖縄行きのチケットと宿を予約した。沖縄に住むAさんに会いに行くのが大きな目的だ。
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2024年07月05日

人との付き合い

人に対しての付き合いで考えることがあった。
以下は自分の考えであり、かといって自分が人に対して何か優れた付き合いができることでもない。所詮弱さをいっぱい持っている人間だ、感情的になることも多い。

これまで色んな人と知り合い、人それぞれの傾向や持って生まれた性根を理解しようとして付き合ってきた。その中で「表面的な付き合い」←――→「心から信頼した付き合い」を自分なりに判断。これまで多くの人と知り合ったゆえに、その判断についてはある程度の自信もあった。そして自分が付き合う深度を測ってきた。
自分の理解の範疇を超えた人もいたが、それぞれの人の持つ傾向の種類はそれほど多くない。何に対してどう考えるかという複数の価値判断の組み合わせ。

そんな風にばかり思いながら人と付き合う訳ではない。新しく人と知り合うと、この人はどんな人なんだろうということを思うのは当然のことだ。
接点が多くなるほど色んなことに対する価値判断が見えてくる。その中で自分が好きなことの価値判断が近かったら仲良くなれるし、自分と全く違う判断でもなるほどと思えることがあれば理解が深まる。
仮に自分が嫌いな価値判断を持っていたとしても、それを上回って共有できることがあれば付き合いは深まる。
でも人は色々だ。なかなかこれまでの自分の経験で理解できない人も多い。
環境・考え・性格の違いがあっても自分なりの人を評価する尺度は持っている。根本的に差別的な考えというものは持っていない。
人付き合いに対してだけでなく、他のことに対しての向き合い方も似ている。
何かを盲目的に信じたりすることはまずない。全て疑いと否定から入るタイプなのだろう。自分なりの裏付けがあって初めて信じるという面倒くさいタイプか。

そういう自分でも色んな判断を見誤ることがたくさんある。
判断を間違ってもそれも経験だ。見誤った原因を考えその傾向と対策。それをこれまでの人生で繰り返してきた。
今は会社には属しているものの、現役時代と違って新しく多くの人と知り合うことはめっきり減った。この状況の中で知り合う人を大事に思おうと思った。人生の後半の社会生活において、そんな許容できない人と知り合うことはなかったこともある。
今は寂しいからこれまでの自分なりの価値判断が緩んでいるのだろう。

自分は全く嘘をつかないわけでもない。ただ殆ど嘘はつかない、誰に何を隠すのだ。有休申請の時の理由に嘘を書くくらいか。
ついた嘘を忘れてしまうということもあるが、どちらかというと自分をさらけ出すタイプなのだ。自分をさらけ出した中で、お互いの価値観の共通点を探りたいのだ。だから正直なことを良いことも悪いことも口から出る。お上手も言わない。
嘘をつきながらお上手をする人はたくさんいる。自分は関わりたくない人種だ。
そういう人と関わっても心から仲良くなれることはないのだ、悲しみしか感じない。

身体の状態。
何故だか判らないが調子は良い。晴天が続いて気圧が上昇しているからだろうか。
前脛骨筋をフットローラーに当てるのも良いようだ。足首の状態が良い。
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2024年06月28日

今年に入って気に入った靴がある。SNSによく広告が出ていて気になっていた。
SNSでは一度クリックすると、ずっとその広告が表示されることが多くある。何度も目にして欲しくなった。
武骨にソールにゴムを貼り付けた鳶足袋のよう。きっと地面へのホールド感は良いのだろうと思っていた。アッパーの素材がカンガルー皮というのも気になっていた。デザインはゴムを貼った武骨さをうまく活かしてなかなかカッコよくて気に入っていた。

初めて手にしたのは2月。ネットショッピングでも買えるが、サイズ感が判らないのでショップで買おうと思っていた。呑み会が大阪であったので、その時に心斎橋のショップを訪れた。
その日、駅に向かうバスに乗ってきた若者がまさにその靴を履いていたのは偶然だった。使い古された靴も良い味が出てカッコ良かった。
店頭で実際に手に取るとかなり重い。想像以上の重さで戸惑った、これまで履いた靴の中で一番の重量だ。
受傷後、ちゃんと歩くにはどんな靴が良いか真剣に考えた。受傷後の最初の靴はかなり軽い靴、ソールはテニスシューズのようにペッタンコ。その次はジョギングシューズ。
どれも違和感なく自分の歩きの向上に役立った。

重さは気になったが、実際に履くとフィット感が良い。サイズがS・M・Lといった大まかな区分けなので履かないと自分に合ったサイズが判らなかったのだ。
結局バスで見た若者が履いていたのと同じ靴を購入。紺色なので会社でも使用できる。もう4か月その靴を通勤で履いている。重さにも慣れてきた。
相変わらずSNSには広告が流れてきて、春の新色とかの情報が。もうサイズは判ったので、ついつい違うタイプの商品も買った。

前回書いたが、歩き方がちぐはぐになることが多くなっていた。
今日は雨。その普段履いている靴を雨に濡らしたくないので、雨の日はこれまで履いていたスタンスミス。バス停まで向かうといつもより足取りが軽い。やはり靴の重量が全く違うからか。
それもそうだが、ソールに踵の高さがないほうがスムーズに脚が運べるようだ。踵着地がしやすいのだろうか。
健常な時にはどんな靴を履いても身体が対応できた。感覚神経と運動神経の連携だ。
色んなタイプの靴を毎日履き替えることで、それは鍛えられるかなと思ったりもした。

先週の鍼治療で下腿の色んな箇所は良い感じになったが、足首の前の部分の痛みが強くなった。各部位の痛みが軽くなった分、全てがそこに集まったように。
昨日ジムでのフットローラー。前脛部をローラーに当てたことはない、間違いなく骨に当たって痛い思いをするだろう。今回、注意深く前脛部を当ててみた。
案外前にも筋肉は付いている。うまくローラーに当てると気持ちいい。足首もうまく当てられた。すると強くあった痛みが殆どなくなった。やはり筋硬結には物理的な処理も良いのだろう。

梅雨は例年通り7月中旬に開けるらしい。あと5,6回の通勤で梅雨明けかと思うと、梅雨のうっとうしさも感じない。7月の連休には両親と姉夫婦と温泉の旅を計画している。
posted by shigenon at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年06月26日

身体の動きを考える

東京に住んでいる時は色々と身体をチェックする機会が多かった。
地下鉄までの道、地下鉄の通路、地下鉄を降りた後、タバコロードなど。今は週3日とはいえその日々は同じような行動範囲で動いているにもかかわらず、あまり身体のチェックが出来ていない。ほんの少しだけのチェックだ。
痛みや痺れがあるにしても、あまり心配するどの酷い状態ではないからなのだろうか。

家を出てバス停まで徒歩5分。この時の歩きはあまり良くない。
なんか左右の力の入れ方がうまくいかず、ちぐはぐな歩きになる。家の中では感じないことだ。これは家という狭い領域ではなく、見渡せられる広い道を歩いていることも関係あるのだろうか。
身体を動かすには脳→神経→筋肉だが、目に入る情報で自然と命令することがあるのかもしれない。例えば広々としているから、筋肉の緊張が解けすぎて力が入りにくいとか。

バスに乗車して降りた時も動きは良くない。バスは座ることが出来る。
東京では地下鉄に乗った後の歩きはすごく良かった。それまでの地下鉄通路がちぐはぐな歩きでも、地下鉄に乗って降りるとちゃんとした歩きになった。
歩いて乗り物に乗って落ち着くから、ちゃんと歩けるようになると思っていた。それは違ったようで、地下鉄で立っていて揺れを脚で吸収することが良かったのではないかと思うようになった。その証拠にバスのあと10分ほど列車に立ったまま揺られるが、その後の歩きは良くなる。

不思議なことに会社内での移動の動きは以前より良くない。この理由がよく判らない。
やはり以前の東京のオフィスと比べて目に入る情報が違うからなのだろうか。天井の高さが賃貸ビルとは違って高いのだ。広々としている。
終業時間が終わって席を立ってからの歩く動きは、その日の中で一番良いのは変わりない。やはり前に書いた“脳が喜ぶ”ことはあるのだ。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/875/0?1719382658

肉体的な刺激、精神的な刺激、この両方で身体を動かすことが変わるのは間違いない。歩くという動作の中で言えば、基本的な筋肉が付いていればあとは柔軟性なのだろう。柔軟性というか身体を使うしなやかさという表現がピッタリか。
精神的な部分は自分が頭で考えるよりも深層の部分か。無理やり脳を喜ばせようと考えても、それは脳の浅い部分の騙しに過ぎない。脳は騙せない、騙すことを考えるのも脳だ。

今日、バスを降りた後のちぐはぐな歩き。どう脳をコントロールできるか色んなことを考えた。
脳は騙されない、そうなれば全然関係のない事実の楽しいことを思い浮かべた。どう脚を動かして歩くということは全く思わず、全く違う楽しいことを思い浮かべて歩いた。
左右の力の入り方が違う歩きが、足並みが揃ったような気がした。そうか、こちらに帰ってきて調子が良いように感じていたのは、これまでの身体のチェックポイントが無くなって身体を意識することが少なくなったことが良いように働いていたのかもしれない。

もう1回出勤すると今月が終わる。
今年も半分が終わったことになる。いったい何をやってんだか。
posted by shigenon at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年06月24日

6週間

先週は東京へ。
もう6週間経ったのかと思う。同じことを毎回顔を出す洋食屋のママにも言われた。東京での最後の1年間、毎週火曜日に呑みに行っていた洋食屋さん。ここには到着してジム後にはいつもランチに行く。
ママに言った、9回会ったら1歳年取るよ。自分に言ったのかもしれない。
実際、元々住んでた街の雰囲気は変わらない。店も人も変わらない。しかし良く見ると、ところどころの建物が取り壊されたり、たまに行っていた立ち食い蕎麦屋が閉店していたり。
6週間は6週間、1年の9分の1なのだ、色んなことは変化しているのだ。

鍼に行って調子はどうですかと聞かれる。
これは毎回聞かれることなのだが、最近は自分の調子がどうなのか判らなくなってきた。毎週行っていた頃は小さな変化を言っていたが、今の6週間という期間では身体の変化を自分で咀嚼しながら対応しているのが現状だ。だから今の状態よりも6週間の変化を言うべきなのだろう。
短い期間の小さな変化こそが大事で、それを一つ一つ潰していったからこそ今の自分の状態があるのは間違いない。街の変化と同じで、短い期間だと変化をとらえられるが、変わってしまうと前に何があったのかが思い出せなくなる。

いつも右下腿の鍼は足先や色んな所への響きを敏感に感じ取るのだが、今回は鈍かった。
そう言うといつもより深く本数も多かった。それでだろうか、術後はいつもより強く効いている。その時の自分の感じ方が鈍かっただけなのだろう。
最近は右下腿自体の痺れはそれほど強く感じていない。痺れよりも押したら神経痛を感じるくらいだ。それとふくらはぎの筋硬結。
3日経った今現在、それらはかなり改善されている。横になると右下腿がリラックスした感覚であり、気持ちよく呼吸しているイメージだ。
ただ、足首の前方が締め付けられるような痛みが強い。これは足首ストレッチを始めてから感じている痛みだが、なぜかその痛みだけが強くなっている。まあイヤな感覚の痛みではない。

金曜日は居酒屋Qのママと呑んだ。
前に会ったのは2月。マスターは近くの商店街の総菜屋に勤めていて来れなかった。帰り道、マスターの顔を見に家に寄った。肺の調子が悪くて2週間入院したと聞いていたが元気そうだった。
4年の付き合いか。ほとんどの週末の金・土を店で過ごしていた。マスターの作る料理はどれも美味しかった。エビフライをよくリクエストした。タルタルソース山盛りと言ってからは、丼1杯のタルタルソースが付くようになった。予約してスッポンを食べたことも懐かしい。一緒に旅行に行ったのも楽しい思い出だ。

土曜日はSNSのグループの集まり。
考えたら6週間前も集まって呑んだのだが、今回はグループ3周年の集まり。昼前に集まり23時前まで4軒を呑み歩いた。思えばここの集まりに初めて行く時のために酒を呑んで歩く練習をしたことを思い出す。3年前と比べると自分の身体は色んな動きに対応できるようになったのだ。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/938/0?1719195588
酔った状態で歩くということに慣れたからなのだろうか。何事も慣れることというのは正しいのかもしれない。

6月も最終週となった。明日は息子の19歳の誕生日だ。
東京に行く前にプレゼントを贈っていた。今年は皮のペンケース。でも考えたらパソコンやスマホの時代にペンを使うことは少ないかもだ。まあ、それだけに貴重なモノになるかもしれないが。
posted by shigenon at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年06月14日

息苦しさ

やはり全般的に体力が衰えているのか。
数日筋トレを空けただけで筋肉は張るし、筋肉を使うと疲れて眠くなる。昨日もジムから帰るとソファで1時間ほど寝てしまっていた。
老人のようだ。アクティブという言葉から程遠い。心肺機能にも少し心配がある。息切れすることが多い。

この1カ月ほどだが、喘息の症状が出る。
それは夜に横になると気道が狭くなり呼吸がしにくくなる。この症状はずっとあったが毎日ではなかった。だいたいが夜中に目覚めた時に苦しくなる。苦しいから目覚めるのかもしれない。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/743/0?1718339305
東京に居た時にいつも行っていた居酒屋のママから器官を広げるスプレーを貰っていた。それもなくなり、こっちの医者でも貰っていた。
その症状が夜だけでなく日中も出るようになった。

気管支が炎症を起こして狭くなることが喘息。何か他が悪くなって、症状として息苦しくなるのではない。症状そのものが喘息という病気か。それを思うと自分は喘息を再発しているのだろう。
これまで3回喘息の治療をした。最初は札幌で入院。その後は広島。東京でも医者に通った。
昔は飲み薬だった。飲み薬と今も使っている気管支を広げるスプレー。その後は毎日吸入する薬だったか。
最後に通院した東京では2種類の吸入薬を処方された。やたら薬代が高かったのを記憶している。

喘息という病気、最悪は呼吸が出来なくて死んでしまうのだろう。
唾液が気管に入って咳が止まらなくなることもよくある。この数か月でも2.3回あった。死ぬほど咳が出て涙も溢れる。ただこれは喘息は関係ないか。
誤嚥性肺炎というワードを思い浮かべるが、肺炎ではないのだ、ただの誤嚥。
誤嚥性肺炎を調べると、高齢の人や脳梗塞の後遺症やパーキンソン病などの神経疾患を抱えている人が多いらしい。脳からの命令がうまく伝わらないことでいえば自分もその範疇か。呑み込むという筋肉は衰えてはいないと思うが、もしかしたら何か働いていない筋肉があってもおかしくはない。

いずれにせよ息が苦しくなって死ぬということは避けたい。
咳こんで涙を流しながらヒィーヒィーと言いながら死にたくない。
誤嚥は気をつけていれば避けられるか。喘息はこれまでもそうだったように薬で治療するしかないだろう。
そろそろタバコを止めなければいけない時期がきたか。

今日は全く呑んで帰ろうという気が起きない。何でなのか自分でも判らない。
肉体的な疲れなのか、精神的な疲れなのか。
身体が欲しがることをすればいいのだ。特に明日やらねばいけない大した用事はない。
posted by shigenon at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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