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2024年07月10日

性根

母親の認知症が進んできた。自分のことがでできるからまだいいのかもしれないが。
少しずつ進行するのだろう、前はちゃんとやっていたことも、やっていたこと自体を忘れている。新たに覚えて何かをやるといったことは期待できない。それと毎日何度言ってもできないことがある。
庭で野菜をビニール袋に入れて冷蔵庫に入れてはいけないと注意する。みずみずしいので、袋内部に水滴が付いて痛むのが早いからだ。でも帰って冷蔵庫を見るとビニール袋に入った野菜がある。
そんなことは1例で、毎日の生活で自分がやっていたことを条件反射のようにこなしているだけだ。それはもちろん感謝しなければいけないことなのかもしれないが。
間違ってもしれているのだ、ただ洗濯洗剤の中に詰め替えの柔軟剤を入れていて全て捨てたこともあるが。

会社に行かない火・木・土・日はすべて自分が料理をする。実際のところ、そんな状態の母親が作ったものは食べたくない、衛生面でもいいかげんだ。
もう1年以上そうやっているが、曜日感覚がないのかうっかりすると何か作ろうとする。勝手に必要以上のコメを炊いたりする。会社に行っているときは食べるものを昼と夜に分けたトレイに入れて、紙を貼って冷蔵庫に入れているが、それもその通りにならない。
怒ってはいけないと思いながらも怒ってしまう。怒るというレベルではなく怒鳴っている。それは間違ったことをしても、自分は間違っていないとすぐ言うからだ。
はいはい、そうですか...といった対応をしなければいけないのだろうが、まともな人を相手にしているように対応してしまう。

前にも何度も書いたことだ、反省しないといけないと。
でも相変わらず怒ってしまう。怒ってしまうもう一つの要因は、まるで自分と接しているようだからということもある。すぐ言い逃れをする、それもとっさに相手の言ったことを聞いてうまく言い逃れる言い訳を言う。瞬間にだ。それは嘘を交えることが多い。
自分もそういうところがあった。記憶の限りかなり幼いころからだ。
今はそうかといえばそうではない。自分が持っていて、直さないといけないと思ったことは直すようにした。それでも気づかず直っていない悪い部分はいっぱいあるだろう。決していい人になろうと思って直そうとしたわけでない、自分が成長していく過程でそうしただけのことだ。

他にもたくさん母親を見ていて自分が持っていた傾向と同じものを感じる。
それは恐らく幼いころから見てきたから、自分にも備わったことなのかもしれない。両親を見て学ぶのだ、良いことも悪いことも。世間を知って、それが世間に通用しないことが多くあると認識する。
両親は自営業だった。それほど広い世界を知っているわけでもないのだ。
決して両親を見下して思っているわけではない。一生懸命育ててくれた記憶しかない。どもの家にも、世間から見るとダメダメなことが常識化していることはあるだろう。
性根。その人が持って生まれたモノもあれば、生活での経験を経て変化することもあるだろう。
母親や父親を見ていて、十分理解できる同じ感覚がある。親子だ、近い性根があるのだろう。

自分は人当たりは良いほうだ。
でもそれが身内になると一変する。厳しいことをコトバで言ってしまう。そとづらが良いだけなのだろう。
今、それを素直に反省して直さなければいけない。身内だからと言って自分が甘えているだけなのだ。

身体の状態。
左胸が少し攣ったような痛みを感じる。気管支についても、閉塞した状態を感じることも多い。
右脚の痺れ等は強くなったり弱くなったり。でも簡単だ、強かろうが弱かろうが脚を前に出さないと進めないのだ。
posted by shigenon at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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