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2024年04月26日

自分でできる対策で

曜日は父親を連れて銀行へ。カードの再発行は本人が書類を書かないといけない。もう今後は通帳と印鑑とカードは自分が管理しようと決めた。
久しぶりに右の足の裏の痺れが強かった。ほとんど感覚が無いのはすごく久しぶりだ。車の運転はどうかなと思ったが、ペダルを踏む感覚は足裏だけでなく足全体で感じられる。

午後からジム。どこの痺れが強くてもできる対策は限られる。筋を動かし刺激を入れるしかない。じっとしていて治ることはまずない。
その刺激をどう入れるか。神経に直接的な刺激は入れることはできない。
痺れている箇所に負荷が加わる筋トレは気持ちいい。周辺の関節や筋膜で繋がっているであろう箇所にも刺激を入れる。筋肉への負荷だけでなく、フットローラーによる直接の刺激も。
パワーブレードの刺激も良い。痺れは痺れている箇所だけの問題ではない、その原因はどこにあるのか判らないのだ。パワーブレードは当たっている箇所から繋がっている筋膜全体に振動が伝わる。

足の痺れには足首を動かすことで改善できることが最近判った。足首がかなり硬いのだ。回すだけでなく、ナナメになった台に足首が折れるように立つ。
それと股関節のストレッチ。やはり身体の動きがスムーズになると良いようだ。ジムを終えて風呂から出るとずいぶん緩和していた。血流が良くなること、身体が温まることは神経に良い。

良い状態から言えば今は悪い状態か。さほど不自由さはないが痛みや痺れが気になる。
だからといってもどうしようもないのだ。痛みを感じないようにしようと思ったらリリカの容量を増やすか、ブロック注射とかしかないのだろう。痺れはどうだろう。これも神経の感じ方だから、同じような処方なのだろうか。
薬を完全に否定はしない。薬を嫌がり自然治癒を望む人が多いこともよく判る。自分は薬によってラクになるのであれば良いことだと思っている。どうしようもない状態を薬が救って、あとは自分の力で良い状態になっていくこともあるのではないか。

明日から10連休の会社も多いのだろう。
28日から30日まで岡山の旅。4日5日は奈良の旅。
posted by shigenon at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月24日

対策を打つ

「頭痛―る」というアプリを入れた。気圧の変化を見ることができるというアプリ。
ここまで低気圧に影響を受ける状態は数年ぶりだ、何か体質が変わったのだろうか。まあ自然現象だが、対策はあるようだ。
耳の奥にある内耳の気圧センサーが、気圧の変化を感知する際に過剰反応し、それによって自律神経のバランスが乱れて様々な不調を引き起こすことが原因らしい。耳の周りの血行を良くすることによって防げるらしい。まあやらないよりやった方がよいのだろう、アプリの危険予測時間を見ながらやってみるか。

昨日は母親を連れて銀行へ。カードを紛失してしまっている。
知らなかったが、郵便局は通帳だけでもお金をおろせるようだ。去年、銀行に連れて行った際に通帳だけ持っていっていておろせなかった。そのことがあって以来、通帳とカードをセットにしていたのだが、またバラバラにして、挙句の果てにどこに仕舞ったか判らなくなっている。
銀行印もそうだ。たくさん印鑑があり、どれがどの印鑑か判らない。この銀行の印鑑がないとカードの再発行も出来ない。
朝、すべての印鑑を出すよう言ったが、どうも前見た時より印鑑の数が少ない。これで全部か、絶対他にもあるよと言ったが本人は全部だと言う。それで言い争いにもなった。

銀行で印鑑を確認してもらう。通帳も母親と父親の二人分。2枚のカードを紛失している。
母親の通帳の印鑑は持っていった印鑑の中にあったが、父親の印鑑がない。やはりすべての印鑑ではなかったのだ。母親分だけ再発行手続き。帰って残りの印鑑は見つかるのだろうか。父親のカード再発行にまた来ないといけない。
もう一回探してと言って部屋へ、なんか疲れて寝てしまった。
起きて母親に印鑑はあったか?と聞くと何のことかというような顔。印鑑を出してというと3つの印鑑を出す。そこには、前に銀行名と父親の名前のシールを貼った印鑑があった。
本人は今朝からのバタバタは覚えているのかどうか。見ている限り忘れているような感じだ。

これが認知症なのだろう。その時その時にちゃんと反応できるだけ良いのだろう。
悪いことを忘れてくれるのは良いことだ。ついつい怒っていってしまい、言い争いになるのだが、それすら忘れている。怒ってはいけない、怒っても仕方ないと思いながらも、腹を立ててしまう。まともな人を相手にしているようにしている自分がいる。母親の認知症を認めたくないのだろうか。
確実に忘れるスピードは速くなっているようだ。もう何かを学んで気をつけるということは出来ないのだ。今やっていることを忘れないようにする手伝いをしなければいけないのだろう。
怒鳴って怒らせることは良くない。気分よく調子を合わせてあげることをしなければいけないのだろう。

夜は21時には寝ているのだが、帰ると物音で起きてくることがある。
満面の笑みで「明日休み?」と聞いてくる。1日おきの出勤だ、聞くまでもないことなのだが。いつまでたっても子供なのだ、母親にとって。
最後は両親と一緒に過ごそうと思って実家に戻ったのだ。その想いを忘れてはいけない。その想いをちゃんと成し遂げないといけない。

一昨日、低気圧で手の痺れが強く感じた時に手のリンパマッサージをした。
それは手の甲に5指を押し当てて指先に向けて流すように動かす。それだけのことなのだが、手の痺れが大きく緩和した。
今日は雨。一昨日ほどではないが重い感じはある。
posted by shigenon at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月22日

思い込ませる

やはり幾分痺れを強く感じている。
部分部分の痺れの強さを感じたり、気圧の影響と思われる身体の曇った状態は有ったのだが、この1年くらいはあまり気になっていなかった。
最近の右脚下腿の痺れは、ジムでフットローラーで解消していた。それが解消しきれなくなったような感がある。

強く感じるのは、両手の痺れと右下腿の痺れ。右お尻の痛みはあったりなかったりだからこんなもんか。
両肩の疼痛も久しぶりに感じている。
これまでと同じように、気にしないで過ごそうとすれば気にはならないのだが、時々我に返った時に痺れを感じるということは強くなっているのだろう。
かといって耐えられない状態ではない。痺れを忘れられるようクセ付いている。
痺れが強くなるメカニズムが未だ理解できないのだから対処のしようもない。単に硬くなった筋肉をほぐすことで血流が良くなって神経の疎通が良くなるくらいの理解。だからフットローラーで物理的に硬くなった筋肉を押しつぶす。

右下腿はフットローラーの筋肉押しつぶしで解消していた。
フットローラーを使っている時は皮膚が裂けていても気づかないほど気持ちいいのだ。フットローラー後にストレッチポールで右ふくらはぎをゴリゴリ押し当てると、全く筋肉の硬結が無くなっているのが判る。小麦粉のダマを良くかき混ぜることで無くなるようなイメージ。
筋肉の硬い部分が無くなると色んな流れが良くなる。血液、リンパ、神経。それによって痺れも緩和。

気圧配置を見ると西側に低気圧。良い天気だったかと思えば、考えたら雨も続いた。はり気圧配置なのか。気圧配置に影響しない身体になったと書いたのは1年ほど前のことだが、そうではなかったようだ。
気圧配置を見て納得したのだが、見て「仕方ない」と思う気持ちが脳の気にしない作用を弱めさせる。病は気からという精神論はある面正しいと思う。
去年実家に戻り、あまり悪化したように感じなかったのは悪い状態を過ごしていない街に変わったからだろうか。悪い状態を過ごした環境、部屋や歩いている街の風景だと、悪化した状態に馴染んでいる。
プラセボ効果を自分の中に植え付けないといけない。
これをやれば良くなるという思い込みは大事だ。実際、これまでもそうしてきた。

まあ立って歩けているのだ、痛みや痺れは人には見えない。
健常人に見えている幸せを感じよう。
posted by shigenon at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月19日

指の動き

健常な人の普通の状態を忘れてはいけない。でも、不自由な状態が10年も続くとそれが当たり前になってしまう。
これは良し悪しなのだろう。ずっと健常な状態と比較して暮らすのは苦痛だ。いつも辛さを抱えないといけない。一方、その不自由さに慣れてしまうと改善に対しての危機感が気薄になる。
何度も書いているが、痛みや痺れは慣れる。慣れるという言葉が正しいかどうかは判らないが、常に意識しないようにはできる。脳のコントロール。

指の動きをしばらく意識することはなかった。
左人差し指だけが曲げて伸ばす時のスピードが遅い。今も続けてやっているが、グーパーをやることで少しは改善されたし、続けていることで維持できているのかもしれない。
それ以外は気にはしていなかった。指を使わないと生活はできない。パソコンの入力もそうだし、何かを持ったり。ただ、細かく動かすという動きを避けていたのだろう。
力を入れて複数の指を連動させるという動きをやらなくなっていた。ただ愚直にグーパーを1日50回やることで満足していた。

この前、ちょっとした動きで指の動きがすごく改善された。それで気づいたこと。
今までは5本の指を同時に動かして何とか動きが良くならないかと模索していた。それを中指から小指までの3本のグーパー、人差し指と親指だけのグーパーと分けてやってみた。
そうすると5本動かす時と違う刺激が腕橈骨筋に感じる。かなり心地よく、筋肉が付く感覚がある。指を分けることで、動く筋肉と止まる筋肉との拮抗があるのだろうか。

久しぶりに刺激を感じる動き。身体に刺激を感じると何か良いことだと思い込んでいるのもしれない。でも何か刺激を入れないと身体は変わらない。少なくともこのブログを始めた2017年からどれだけ身体が変わったか。キズではないのだ、自然治癒はしない。

気づけばGWが目の前。前半は倉敷の旅、後半は奈良の旅を計画している。
posted by shigenon at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月15日

股関節&足首

金曜日は出汁巻き玉子の美味しい居酒屋で。
月水金の外呑みの選択肢は4軒。この出汁巻き玉子・おでんの居酒屋、と焼き鳥・おでんの居酒屋2軒、おばんざいの店、魚の居酒屋。
何のために酒を呑むのだろうと思ったこともないことを考えたりする。決して、たぶん、アル中ではないのだが、飲酒はまぎれもなく生活の中で大きな部分を占めている。
今、会社のある事を策定する資料を作っている。久しぶりに考える仕事だ。何事もそうだが、目的や意味をきっちり定義しないといけない。そんなことをやっていて何のために呑んで帰っているのだろうとふと思った。
まあ、それについては今日考えながら呑もう。

土曜日は同級生会だった。あれほど楽しみにしていた同級生の集まりなのだが、前よりも行く楽しみが感じられなくなった。もちろん楽しいのだが、ここまで頻度が高いと飽きてくるのだろう。
2か月に1回なのだが、先月に幹事会があったからなのだろうか。
まあ、それでも腹いっぱい食べて呑んで、2次会は行かずに帰った。2次会は1万円程度支払わないといけない、別におカネに困ってはいないが現役時代と同じように思ってはいけない、年収は4割もないのだ。1万円あったら他に使うことがあるだろうなと、あまり今まで考えたことがないことを思うようになった。

金銭感覚はしっかりしているようでだらしない。基本的には節約家なのだが。
誰でもそうなのだろうが、自分の満足に使う分には全く惜しくない。ゴルフ、飲食、株。といっても変な所で細かく考えてしまうこともある。
家計簿のアプリを付けている。入ってくる収入に見合った生活をと思いながらも、現役時代と何ら変わらない支出だ。まあ株の配当やらなんやで、とりあえずは大丈夫だと試算しているが。
個室に入院して毎日2万円以上の部屋代を支払っていたことを思うと、800円のラーメンに300円のトッピングをすることなど躊躇する必要はないのだ。

金曜日に少し痺れが強く感じると書いたが、それはあまり解消していない。
動くことに不自由を感じないから細かいことを気にせずに過ごしている。それが良いことなのか悪いことなのか。
これまでは身体の変化に敏感だった。このブログを書き始めた意図も、自分の身体の変化を記し、意識することで良い方向に向ける目的もあった。
慣れて身体の調子の波を理解できたのだろう。良いときと悪いとき。だから気にしなくなったし、細かく気にしていると気分も暗くなる。

土曜日、日曜日のジムではいつもの筋トレ、そしてストレッチは股関節と足首の柔軟性を高めることを。
足首がナナメになる角度のついた台があるのだが、これが案外効果を発揮する。
土曜日の同級生会は掘りごたつの座席だったが、胡坐がかける自分に驚いた。ストレッチをしてすぐだったからだろう。しばらくすると両脚の角度ははね上がる。
胡坐と、いわゆる「ウンチ座り」は出来なかった。これも小学生の時から。おそらく子供のころから身体の使い方を理解していなかったのだろう。

受傷による麻痺した状態でスムーズに歩くには柔軟性が必要だ。曲げて伸ばすアローワンスを持たないといけないと気づいた。固まった状態になるとき、例えば膝関節が固まったとしても股関節や足首をうまく使えたら上手に歩くという行為は達成できる。調子が良いとき、股関節や足首が柔らかいと駆けだしそうなくらいの感覚を持てる。
受傷は関係なく、股関節と足首の硬さはいつか解消しないといけないことだったのだろう。ふつうの生活をしていたら、そんなことを気にかけることもなかったのだろう。

月曜日。そんな辛くないのは明日が休みだからだろう。
歯医者、母親の介護認定の調査員訪問がある。同級生が個展を開いているので覗きに行こうか。
posted by shigenon at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月12日

Sマスターと呑む

昨日は東京から元居酒屋Sマスター夫婦が遊びに来た。
居酒屋Sは2003年に東京に引っ越した日に入った店だ。その前の大阪でもそうだったが、引っ越し初日に入った店にずっと行っていた。まるで家猫だ。
東京に引っ越した初日、かなり家の周りをウロついたのを覚えている。最初に入る店はずっと行くようになる店だと自分でも思っていたのだ。家の近所というのが重要だ。
その通り、居酒屋Sには閉店する2012年だったか?までほとんど毎日を過ごすようになった。東京での友人もここで知り合った人が殆どだ。

居酒屋Sでは18時半から23時ころまで過ごした。365日のうち、出張や帰省以外の日のほとんど毎日。
焼酎のボトルを入れた日は5000円、入れない日は3000円。2日に1回900mlのボトルを飲み干していた。食べ物の注文は殆どしない。マスターが作って出してくれる。腹が張って満足するまでだ。
ここの客はほとんど近所の常連さん。なぜかこの店とここのお客さんに馴染んだ。帰ろうと思ったら次の常連さんが来るといった状況だったので、長い時間呑むようになった。
ずっと話していた。マスターや常連さんと。
マスターは睨みのきくタイプ、変な客は来ない。どれだけの時間を一緒に過ごしただろう、どれだけ話しただろう、自分のことを一番わかっている人かもしれない。

店が閉店してからもたまに会っていた。
自分が受傷し入院したことを知ったのは、年始に呑みに行こうと電話をくれた時だったようだ。自分は忘れていたが昨日聞いた。病院へは何度も見舞いに来てくれた。
奥さんとも何度も会って親しくなった。呑みにいく時は奥さんも一緒に来た。東京を離れる時はふぐ屋で送別会をしてくれた。

昼過ぎに到着し、車で近郊の名勝地に連れて行った。瀬戸内海が見渡せる道の駅、桜で有名な公園。なんとか桜は持ってくれていた。そして夜は魚の美味しい居酒屋を予約していた。
良く呑んで食べた。今日はそのまま別の地に泊まるらしい。
最後は固く握手をして別れた。

これまで色んな人と知り合い、同じ楽しい時を過ごしてきた。
人と知り合い仲良くなるということは、その人に魅力があるからだ。
これから新たな人間関係を構築する人が出てくるのだろうか。人が魅力を感じてくれるよう自分はまだ輝いているのだろうか。

身体の調子。右脚の下腿の痺れはやや強い。
ジムで筋トレをしてフットローラーでほぐすと翌日は調子いい。それに加えて股関節のストレッチ。
全てとは言わないが、簡単に家でもできることもあるのだ、少しは家での対策もやらないといけない。
posted by shigenon at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月01日

この1週間

これまで1週間ブログを書かなかったことはなかったか。
あまりにも変化のない生活なので書くことが無いのも事実なのだ、変化というのは生活もそうだが身体も。
火曜日は歯医者。今まで受けたことのない治療としては、かぶせを外して土台のまま数か月放置してあること。グラついている土台がしっかりするらしい。右下、左上は土台のままで他の歯の治療を進めている。前歯の差し歯もやり直すから、あと10回は通わなければならないのだろう。

土曜日はゴルフだった。去年の10月以来だ。
ずっと雨だったり朝晩は冷え込んだりだったが、この土曜日は快晴。気温も高くなった。いわゆる絶好のゴルフ日和なのだ。ただゴルフ気分が自分の中でまだ盛り上がっていない。
自分にとってゴルフを楽しむ要素はいくつかあり、イメージした良いショットを打つ・良いスコアが出る・レジャーとして呑んで楽しめるなどだが、一番はリハビリとしての運動。
リハビリとしてのゴルフはとても行きたいのだが、それ以外をあまり思わなかった。会社のゴルフだからだろうが、やはり昔の仲間とだったらスコアを握ったりするからそれなりの緊張感や呑む楽しみを持っていたのだが。

今回は何も考えずに打つだけのゴルフだった。リハビリとしては感じることは多数ある。
ずっと書いているゴルフ後の脚の調子。これを思うと、それはかなり歩くことに難があった頃なのだろう。確かにコース内を歩くことも必死だった。今ではほとんど苦を感じずに歩ける。ただ疲れやすさはあるからカートに乗るが、前とは全く違う。
スウィングをして、健常な時と受傷後しばらくとの違いが感じられるのも良い点。脳は同じような命令を下してそれに筋肉が反応してクラブを振るのだ。健常な時と何が違っているのかがよく判る。
少なくとも左腕の可動域はかなり良くなっていることを感じる。力強さも出てきた。
ただ、それとスコアは別物だ。もうスコアは付けなかったが酷いスコアだった。こんなゴルフをしてはいけないのだ、それはもはやゴルフではないのだ。

ゴルフの翌日にジムに行ったことはこれまでほとんどなかったかもしれない。
やはり脚の調子よさは感じる。これまでも書いたように足首の柔軟性が大きな要因。ジムでストレッチをした時にそれは確信に変わった。右足首の前傾が通常よりもかなり良い。つまりは足首の柔らかさを保てば歩行も良くなるということなのだろう。
鉄のクラブを振ることは筋トレと同じだ。ジムでいつものマシンでいつもの荷重なのだが、ゴルフで使った筋肉に刺激が入っているのが判る。違う動きは大事だ、そこの筋肉を起点として中枢神経に働きかけれるように感じる。末梢神経が中枢に働きかけるという考え、これはほとんど動けないときにそうならないかと夢物語のように思ったことだが、経験上実際にあると思っている。

昨日、日曜日にジムから帰ると母親から息子が来たと伝えられる。
火曜日に大学入学のお祝いを送っていた。その礼にと来てくれたらしい。元奥さんの運転で。30分早く帰っていれば会えたのだろう。
でも思う、自分は息子に会う心の準備は何も出来ていない。息子はどうなのだろう、居るだろうと思って来たのだ、自分の記憶にない父親に会う心の準備は出来ているのだろう。彼にとっては全く記憶にない父親、自分にとってはつい昨日のように思い出せる、ただ赤ちゃんだが。
その間、どう育っていったのか、似たような歳の子供が気になったこともこの前のことのように思う。
このブログを書き始めた2017年は12歳だったのだ。

会えることが現実に近づいてきた。何度も夢見たこと。
どんな顔で何を語ればよいのだろうか。何も考えなくて良いか、いや多感な年ごろなのだ、悩む。
一番望んでいた嬉しいことが現実に近づいた時、それは無感覚に近いような感覚で何も考えられない。

今週は桜が満開になるだろう。珍しく週末は花見に出かける。
posted by shigenon at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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