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2017年06月13日

リハビリ病院での生活の始まり

転院したら、またMRIなどを受ける。15日の手術後にMRIしたのにまた?
同じ経営母体なのにカルテは共有されていないらしい。だったら家に近い病院に転院したよ。
リハビリ病院の病棟医に血液検査をお願いする。結果、やはり尿酸値は上がっていた。すぐに尿酸値を下げる薬を処方してもらう。

転院してOTさんとPTさんと顔合わせ。僕にとってリハビリの時間はとても大事な時間。いかにその時間で回復させるか位思っていた。PTさんは経験豊富な方、OTさんは経験の浅い人だった。
残念ながら「脳障害」中心の患者ばかりなので、どうでもいい頭の回転のチェックのようなことで時間を費やされる。これが一日ならまだしも、2日続いた。野菜を10種類言えたところで、それが何になるのか。そもそも健常な人でも10種類を短時間でみんな言えるのか?
僕としては早く「回復のためのトレーニング」を進めたかった。

3日目、いきなり部屋を移動するという。「リハビリ病棟」の部屋が空いたそうだ。
そもそも一般病棟とリハビリ病棟は何が違うのか聞くと、一般病棟は一日にリハビリ2回(OT・PT各1回) リハビリ病棟は一日にリハビリ3回(OT1回、PT2回)なそうな。
それは嬉しい限りだけど・・・聞いたら病棟が変わったら担当のOTさんPTさんも変わるとか。
「ふざけるな」 また最初から“見立て”をしてもらってリハビリのスタート?
結局同じOT・PTさんで調整してもらって部屋を移動した。

最初のころのリハビリの内容はあまり覚えていない。自身の症状の回復に合わせて進めていただいた。いつもPTさん、OTさんが時間になると病室まで迎えに来てくれた。
転院してすぐに杖を借りたが、杖なしでリハビリ室(エレベーターの乗り継ぎや渡り廊下、階段もあった)まで行くよう言われた時はドキドキだったが、後ろでPTさんに見守ってもらっているのは心強かった。

この病院はワンセグ電波が届いたのでテレビカードの消費は少なかった。テレビカードはマッサンだけにし、その他はスマホでテレビ。夕食後はテレビだけが楽しみ。
前の病院と違って個室なのに9時には消灯させられる。前の病院は「個室ですから」ということで、何時でも電気を点けていて良かった。
ここでは消灯後にワンセグを見ながら、大体10時くらいには寝て7時に起きる生活だった。
この時のテレビ番組には毎日のように「ゴッスンゴレライ」と「あったかいんだから〜」
今でもこの頃の映像を見ると白い部屋にいる気分になる。

大体が10時に1回リハビリ、午後に2回リハビリで一日が終わった。この合間の時間潰しに困った。
最初の頃は、大抵は横になっていた。

リハビリ病棟に移動したばかりの時は部屋に異常はなかった。奇妙な現象が起き始めたのは3月の上旬だったか。
部屋の洗面台の水道は手をかざすと水が出るタイプ。それが真夜中に急に水が出始めるのだ。
時計を見ると丑三つ時。背筋が凍った。
毎日ではなかったが、週に2日位この現象はおこった。看護師に言うと、「病院ですからね〜」と意味深な言葉を返された。
仕方なく自動水洗のコンセントを外して寝る習慣になった。これで水が流れる様だったら部屋を変えてもらおうと思ったが、さすがに水は出なかった。
posted by shigenon at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 頸髄損傷
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shigenon
2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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