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2024年01月31日

手の痺れと孤独

オフの火曜日は朝から粛々とやる予定を進めていった。
買い物、髪のカット、そしてヒトカラへと。近所のカラオケボックスが11時開店だと知ったのは着いてから。10時半だ、仕方なく隣の食堂チェーンへ。
朝飯定食を食べている人の中で、酎ハイが目についたので酎ハイとイワシの梅煮。朝から食べるメニューではないが。11時にカラオケボックスに行ったが開いていない。30分待っても開かないので諦めた。
今週は東京でSNSの友達と新年会、カラオケに行くので少し練習をしておこうかと思ったのだ。
帰ってのんびりしてから歯医者へ。
この日は下の奥歯5本分のかぶせが入った。ようやく左だけは噛めるようになったが、嚙み合わせを高くしたため違和感がある。噛めるかというと今日の昼めし現在、噛みにくい。

一昨日書いたが、手首から先の動きに不安があると思った。でもそれは手の痺れが強くなっているからかもしれない。
手の痺れの強弱はもう意識していなかった。痺れていないと思って手を使っていたら、痺れている感覚は気にならない。それに慣れ過ぎたのだろうか。
シャツの胸ポケットにタバコとライターを入れる時に。2回ライターを入れそこなった。いちいち胸ポケットを見なくても出来ていたはずなのだ。胸ポケットの幅を指で触れて開き具合とかを感じながらしまうという行為。
それと朝にシャツを着る時に、ボタンが閉めづらい。クリーニングによる糊の強さかと思ってはいたが、視認しないとはめ辛い。見なくても感覚で出来ていたのだが。

今日、会社に来ると給与支払報告書を各行政に提出する作業を手伝ってほしいと言われた。かなりの件数がある。
単純作業だ。レターパックに作っておいた住所を貼る。そしてレターパックの問い合わせコードを剥す。
ラベルシールを剥す、レターパックの問い合わせシールを剥す、これらの作業をやりながらも感じた、やはり指の感覚が少し鈍っている。つまりは痺れが強いのだろう。
受傷後、いつから手の痺れを感じ始めたのだろうと思い返す。最初は動かないから痺れているという感覚はなかったと思う。動くようになってからか。
いや、もっと強い痺れだったように思う。正座した時の限界の痺れ。指は機能として動かしにくかったことに加えて痺れていたのだったか。

両手の痺れを悲観的に感じたことを覚えている。もっと酷い症状があってもあまり悲観的に思ったことはないのに、両手の痺れだけは自分が生活できるのだろうかという不安を感じさせた。
ビタミンB2が痺れに良いと聞いて飲んでいた。
いつも間にか疼痛と痺れを感じないようにするコントロールができた。脳も常に痛みや痺れを感じることに疲れたのだ。
今も入力しながら手に意識を向けると、確かに前よりも痺れているのは間違いない。低気圧の影響など一過性であればよいが。

2週間ほどワクワクするような楽しい日々だった。それについては書かないが、それも終わるようだ。やはり自分は色んなことに適切に対処することができないのだろうか。仕事以外のことに。
人にはその人の持つ傾向がある。自分の傾向は孤独を求めるのだ。そうならないよう、長い人生の中で気を付けてはいるのだが、どうやら死ぬまで傾向とやらは変わらないのだろう。
木曜の夜行バスで東京。前回の後脛骨筋への鍼をリクエストしよう。手の痺れも話してみよう。
土曜日は昼前から多くの友達との呑み会。半分以上は初めて会う人だ、それも楽しみだ。
posted by shigenon at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月29日

首から先の連動した動き

朝から社内報を各拠点に発送する作業。
もうすでに送った拠点もあり、社内報の箱は開いている。寒いしワーキングスペースじゃなく自席で封入をやろうと運ぶ。
箱の開いた部分を両手で持つ。持ち上がらない。箱の下から腕を使って持つとなんとか持てる。
どれくらいの重さなのだろう、10キロあるのだろうか。でもあってもそれくらいだろう。それがうまく持てない。筋トレでは33キロを押しているのだが。

グリップが付いたものを上げたり引いたり押したりするのとは違うことは判る。だが不安定なものを持ち上げるということが10キロ程度で苦労する。本当に重いのかどうか、隣席の女性に持ってもらったが、何とか持っていた。
空いた箱を空いたフタをつかんで上げるといった動作は指で挟む力と手首の力、そして腕の力だろうか。
これがダメなのだろう。握力は筋肉がかなり付いた今でも6,7年変わっていない。それぞれの単体の力もあるが複数の力を組み合わせるということも必要だ。
単に引っ張り上げるだけだと箱のふたがよじれて破れる。そうならないよう、手の力を入れたまま手首を動かしたり力を調整していたと記憶している。それを頭が覚えている。力を入れるだけでなく力を抜く調整、それができない。

最初の頃に書いたよう、受傷後はなぜかスリッパを履けない。履いてもすぐ脱げる。これは他の中枢神経損傷者の人も同じだったという。足首がうまく動かないからか。いや、足首だけでなく足先から踵までの動きだろう。スリッパを足に密着させるには脱げないように足指や足全体の角度、足首をうまく微調整しているのだ。その複数の動きのコントロールができないのだろう。
スリッパが脱げずに履けるようになったのは、足首に柔軟性が出たから。脱げにくくなっただけだが。
冬になり、ブカブカのボアのスリッパをはいている。それは踵も靴下のように覆えるのだが、スリッパの状態で使用している。
履き始めは脱げることなく履いていたので、何か自分の状態が進歩したように感じていた。それが、先週あたりから階段を降りる時に脱げるようになった。

自分では悪化せずに良い状態が続いていると思っていた。そして機能も良くなっているのではという期待を持っていた。
足首や手首から先の動かし方、それも複数の筋肉をうまく使う動き。それが回復していない。それをリハビリしていない。どういう訓練をすればよいのだろう。長い棒を手のひらに立ててバランスを取るような事を思い浮かべるが、どうなのだろう。
中枢神経損傷者がこのような動きに難があることは明らかになっているのだろうか。そしてそれに対するリハビリとかは行われているのだろうか。優先度が低くはない事柄だとは思うのだが。
posted by shigenon at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月26日

元通りまでの生活

身体の状態を最近意識しなくなっている。
最近は1日の中で別のことをして時間を過ごすことが多くなったからだろう。
それに加えて以前のように痛みや痺れが強くなることが少なくなったからか。それはそれで嬉しいことなのだが。
この前の鍼以降右ふくらはぎの張りは減っていたのだが、気づくと張っていた。張っていても何か日常の動作に影響があるかと言えばない。昨日フットローラーに乗って気づくほどだ。
それは自分で解決できる。フットローラーで筋硬結を潰すように当てる。そのものが対処療法なのだが仕方ない。
意識しないと痛みや痺れを感じないのは良いことなのか悪いことなのか。

意識しないと痛みや痺れを感じないのは、自分がそう訓練しただけのことだ。辛さを常に感じながら生活はしたくないので、それはそれで良い。
ただ、それに慣れてしまうのは良くないのだろう。持病のように当たり前化はしたくない。症状固定を認めていることになる。ただ、いつも自分の身体の状態を思うことに疲れたのは事実だ。
悪く感じればそれなりに自分の症状を変える術を考えていた。今は何か新しいことを考えているかといえば何もない。

何かをすることが目的ではない。元通りが終了地点。何もせずに終了地点には行けないが、途中の生活を楽しみながらが大事なのだ。90歳まで生きたが、89歳に元通りになりましたでは悲しすぎる。
今の身体の限界を知らないといけないな。そうしないと禁忌事項が定められない。まずはどれくらい歩けるかという身近なことからなのだろう。
2年前に龍王峡を歩いた時も腰と肩がパンパンになった。先週2日で28000歩の翌日は腰と脚がパンパンだった。もちろん健常な時もそうなったのだろうが、これしきの距離ではならなかった。
それはうまく身体が使えていないことなのだろう。
何事もやってみて初めて気づくことも多いのだ。
posted by shigenon at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月24日

最後まで生きる人

月曜日の夕方、電話が鳴った。アナミさんだ。
「久しぶりです〜、〇〇さん!」と元気のよい声。アナミさんは大阪時代にお好み焼き屋で知り合った人。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/628/0?1706056886
もう廃業したお好み焼き屋のママやアナミさんからは時々電話がある。その都度書いていたが、ここ最近書くのを忘れていた。
ママからは今年の正月に電話があった。いつも年賀状が着いたら電話をくれる。去年こちらから電話をしたのだが全然出なくて心配をしていたのだが、元気そうで安心した。
アナミさんも、こちらに帰ってきてから一度電話した。それ以来だった。

「大変だったんですよ〜、死ぬとこやったんです」
アナミさんは自分より10歳くらい歳上だが、いつも丁寧語を使う。
聞けば、先週まで入院していたという。大動脈乖離で救急車で緊急入院していたと。それも、前回電話をした翌日位に急に倒れて救急車を呼び、先週まで。7か月くらい入院していたそうだ。
「サイレン鳴らさんと来てくれ言うたら、あかん言われてね」「国道まで出るわ言うたら、動いたらあかん言うし」「もう家出た言うてウソついて国道出ましたわ」
ポンポン喋る。もう回復したのかと聞くがそうでもないようで、息が切れるという。入院していても瀕死の状態だと自分でも思ったという。
「1回夏に退院して、会社の若い子連れてアワビ取りに行ったんやけど、ボート引くだけでゼイゼイでしたわ」「波打ち際でチャプチャプ遊んでましたわ」
おい、入院中に海に行くなよ。屈託のない笑顔で喋るアナミさんが目に浮かぶ。まるで目の前にいるようだ。

よく一緒に海に行った。1時間半ほど沖から戻らず、心配しているとニコニコしてアワビを10個くらい取ってきたアナミさんそのままだ。大阪を離れてからも2回会ったか。
「近いうちにママにも声かけて呑みに行きましょうよ」という。いや、呑んでも大丈夫なのだろうか。
聞くと家では呑んでいるという。
アナミさんは死なない。何が起こっても最後まで生きる人だ。それを思うと、なんて自分の周りには生命力に溢れた人が多いのだろう。何度も書いた元居酒屋Kのマスター、沖縄のAさん。どちらもステージ4からの復活。
受傷前から、このような人たちと仲良く呑んで多くの時間を過ごしていた。それは少なからず、自分が当たり前のように元通りを目指すことを思ったことと無関係ではない。
posted by shigenon at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月22日

コミュニケーション能力と人たらし

昨日・一昨日で28000歩。これは2年前まで行っていた龍王峡ハイキングよりも多い。
何だったかというと、呑み歩きやらルミナリエ。そんなに歩いたという実感はなかったが、アプリの万歩計を見て驚いた。やはり楽しいと実感が無くなるのだろうか。その楽しさについては成就すれば書こう。
脚への影響はどうかというと、右のハムが少し張っているくらい。筋肉痛なのだろうが、普通の人が感じる筋肉痛とは違った感覚。受傷してからこれまでの筋肉痛という感覚は感じなくなり、感覚は神経痛だ。
最初の頃は何か異変が起きているのだろうかと思ったが、今はその種類の痛みでも驚かない。
ただ歩いただけなので、歩数が多くてもリハビリ運動としての効果はないのかもしれない。

先週、マレーシアから研修生が来た。各部署をしばらく回るのだが、数人で昼食を一緒に食べながらコミュニケを取ることになった。
水曜日にその順番が来た。英語については長くオンライン英会話をやっているが、実際の会話レベルにはかなり不安がある。同じ部署の女性3人と同席してのランチ。
英語を使わないといけないし、イスラム教という文化の違いもあり、なかなか会話の糸口がない。
ムスリムだから食べ物の話も難しい。こういう時はスマホに入っている画像か。ということで、富士山の画像、奈良の5重の塔などを見せてつたない英語でコミュニケを取ることができた。アプリで性転換した自分の画像、若くなる画像を見せるとお互い笑いながら会話ができ、少しは楽しいランチ会となった。

ランチ会が終わり、隣席の女性が言う。
「○○さん(自分)、さすがコミュケーション能力高いですね」と。その女性が自分のことをどう見ているかは判らないが、東京にいる時も何度か仕事を一緒にしたことのある女性だ。
そうなのだろうか。人として人と接するということを考えると、接する時の態度もあるが、ほとんどは会話だ。その人とどうしたいか。
ビジネスならば取り引きの拡大だろうし、単に呑み屋の横なら暇つぶしの盛り上がりだろうし。異性の場合は仲良くなりたいと思う気持ちだろうし。

「人たらし」という言葉もある。その言葉で思い出すのはYさんだ。
この人は凄いなと思った数少ない人だ。そのYさんをある同僚が評して「Yさんは人たらしだから」と言っていた。決して悪い意味で使ったのではない、その時に初めて人たらしという言葉を聞いて‘なるほど’と思った。あまりにもすぐに客先の人と仲良くなって、みんながYさんファンになるからだ。
Yさん ⇒ https://fanblogs.jp/shigenon/archive/300/0?1705878998
何度もYさんと商談の同席をした。良く喋る、相手の気持ちを先読みして話す。決して口先だけではない印象を与える。実際はどうか、実際にそうなのだ。口先だけのことや、人を騙そうとしてそういう話ができる人もいるのだろうが、そうではない。
人が嫌いではないのだろう。それはテクニックでもなんでもない、本音で話すからだ。

自分はどうか。居酒屋では多くの友達を作っていた。話すことが嫌いではないから。
ただビジネスにおいては、そういう関係づくりを仕事で思ったことがなかった。Yさんは違うのだ、ビジネスであろうが何であろうが人への接し方は変わらなかった。
自分はYさんみたいに人の懐に入って人間関係を作りたいと心から思ったのだ。それは純粋にビジネスを成功させるため。それで、何かビジネスの商談においてもビジネス臭さを排除した。ただ単に自分という人間を知ってもらうような話や、相手との共通項を見出すことだけに終始した。
最初はビジネスの成功という打算が頭にあったが、だんだん完全にそれが無くなった。単に人と知り合って話することだけが本当に楽しくなったのだ。
でも、結果として多くのビジネスパートナ―と言っていいくらいの人間関係を多く作れた。

人と話す時にそれが当たり前になった。何か打算を考えるわけでない。話す相手が楽しめるようというのが自然になった。何でも習慣にするのが自分なのだろう。
つい先日、知り合った人から‘人たらし’という言葉を言われた。決して悪く、非難めいて言われたわけでない。それでYさんを思い出した。
嬉しいのだ。Yさん、オレもとうとう人たらしという称号を言ってもらったよという感覚だ。Yさんは社内での評価は低かった。それは簡単なことだ。焼きもちなのだ。
多くの得意先のトップまでもがYさんのファンになる。そうなれば、了見の狭い上司は腹が立つようだ。
何かといちゃもんを付けていたのを知っている。得意先での人気者はYさんだ。誰もが自分が人気者になりたいのだ。自分も全く同じ目にあった
久しぶりにYさんを思い出し、連絡をとってみようと思った。全く酒を呑まないYさんだが、いつも酒飲みの自分に付き合ってくれた。いつ遊びに来る!と言ってくれるだろう。
posted by shigenon at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月19日

衰え

認知症の進行は人に聞くと「早いよ〜」という。
母親の進行がまた早くなったように思う。目の前のことをこなすのもスローになってきた。水曜日に呑んで帰り、冷蔵庫を開けると自分が買っておいた冷凍の食材が封を開けて置いてある。
先週の休みの日、いつもその日の夕食材料を一緒に買いに行って自分が作るのだが、ジムから帰ってくるとその冷凍の食材がテーブルに出してあった。買い物に行って夕食材料を一緒に買いに行くということを忘れて、おかずがないから作ろうとしたようだ。冷凍なので朝から解凍しないと無理な食材。そもそも自分がお取り寄せで買ったもので、十分に調理方法を見ながら作ろうと思っていたのだ。母親には難しいだろう。
それをかなりきつく注意して、「買い物はいつも休みの時に一緒に行くやろ?」と言った。

もうその食材を触ることはないだろうと安心していた。そしたら水曜日に何を思ったか冷凍から封を開けて皿に入れて冷蔵庫にある。他に取り寄せていた冷凍になったベーコンブロックも冷凍庫から冷蔵庫に入っている。
水曜日はちゃんと両親分の夕食の食材をそろえ、テーブルに大きく何を作ると書いていたのだが。
書いていたものを読む前に何かしようとしたのだろうか。いつも朝食の時に、昼は何を食べる・夜は何を食べると繰り返し伝えているうえに、メモも書いているのだけど。
当の本人は、その行為すら覚えていなかった。
昨晩、寝る前に加湿器のスイッチの入れ方がわからないと聞いてきた。

「早いよ〜」というのは、もうそれが終わってしまった人が言うことなのだろう。
恐らく振り返って思うことなのだろう。認知症の末期を経験した人の言葉だと思う。それを思うと今は始まりなのだろうか。
これまでは書いているよう、かなりキツク母親に対応していた。それが病気であるとは分かってはいるけど普通の時の方が多かった。ボケた人に対する対応のようにはしたくない自分がいた。これからはそれではいけない、2歳児を見守るようにしないといけないのだろうか。
これで自分の身体が不自由なままであったらイラつきもあっただろう。
でも今は生活においての不自由はない。健常な時に比べて、バランスを崩す、重い物をうまく持てないくらいか。フィジカル的にはひ弱な男性程度の役割は果たせるのだ。見かけは筋肉が付いているが。

歳をとること…体力の衰えだけでない、脳の衰え。病気は内臓だけでない、自分に起きた神経もそうだし脳も。気力の衰えも起きて来る。
肉体的な若さはまだ作ることはできる。かなりの無理が必要だが。まあ、それは今の維持で良い。
精神的な若さ、これは何かにときめいて、がんばろうと気を張り続けないと維持できないだろう。
posted by shigenon at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月17日

支払う価値観

今日はこの冬一番の冷え込みだった。
起きる前に部屋を温めようとタイマーをかけていたが、作動していなく顔が冷たくて目が覚めた。会社に着くと、外の喫煙所にある火を消す瓶に入った水が凍っていた。
そんな寒さなのだが、身体が震えることなく、固まることなくふつうに歩けているのに自分でも驚く。前に書いた寒さへの慣れなのだろうか。
東京の生活では、ベッドルームからタイマーで暖めたリビングに向かう10数歩が辛かった。手も足も固まって動きづらかった。
今の実家の方が温度が低いのに不思議だ。

月曜日は美味しい魚を満喫した。カニみそ和え、あん肝も美味しい。
けっこう呑んで満足する量を食べて5500円くらい。これを高いと思うかどうかは人それぞれなのだろう。30歳頃から多くの日を居酒屋で過ごすようになった。自分の感覚の話になるが、だいたい日々の居酒屋は4000円くらいで楽しんでいた。焼肉とかハレの食事はプライスレスだが、限度として一人10000円くらいか。
洒落たレストランに行くことはなく、リーズナブルで料理が美味しくて酒も楽しめるところにしか行っていない。今の呑みに行く店リストでは、ただ呑むだけの大衆居酒屋で3000円しない。仲良くなったおばんざいのお店で4000円しないか。
家の近所の魚が美味しく酒の種類が豊富な店は6000円を超える。家まで歩いて帰れるという利点はあるが、足が遠のいている。

価値に対してお金を払うのだ。それは能動的な場合。
美味しい食べ物、心地よい体験。でもその対価に対しての費用は個人の培ってきた、個人が持ってる価値観なのだろう。もちろん持っているカネも大きく影響するが。
受動的な場合。
自分で言えば入院中の個室か。救急で運ばれた時に個室しか空いていなかったのだ。1日21600円だったか。その時の自分の価値観では払うのをためらう額だろうが、仕方がない。
毎月の支払い、治療費を別にすれば60万円以上だった。これで自分の金額に対する感覚が変わったかもしれない。毎日温泉宿に泊まれる価格。
でも、リハビリ病院に転院する時は個室を自らお願いした。個室が空くまで待っていた。それは自分の症状の深刻さを十分に痛感したからだ。せめて部屋くらいは一人で。新車1台買ってすぐに廃車になったと思えばよいと思うようにした。

能動的に支払いができることは良いことなのだ。
それができる状態で、その対価に対して期待を持っているのだ。もちろん対価をきちんと理解して。
3月に志賀島、別府に旅をする。別府ではSNSの友達と呑むだけなのでホテルは6000円しないところを取った。どうせ寝るだけなのだ。せっかくの旅、もう少し良いところに泊まればいいとも思うが、それが自分の価値観。案外セコイのだ。
posted by shigenon at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月15日

スケジュール化

金曜日はだし巻き卵の居酒屋さんで柔らかいものを食べた。硬い付きだしの枝豆は前歯で。土曜日は出かけて居酒屋はしご。タコの有名な町だけあって、タコは美味しかった。
ある程度呑んでも、歩けなくなるという心配はなくなったか。いや、正気でいられる酒量で抑えているからだろう。今朝、座って靴を履いて立ち上がるときにバランスを崩して腰かけていた場所に転んだ。体重のバランスをうまく取れないのだ。ふつうは身体がナナメになるとそれを感知して何らかのアクションをとるのだろうが、そのナナメになった時への感知ができないようだ。
加えて、どこまでナナメになるとバランスを崩すといった感覚も欠乏しているよう。

これは退院してからも変わっていない。ただ倒れそうになる時に踏ん張る筋肉は付いたので防げていることは多い。
バランスについては体幹の問題なのだと思ってはいるものの、どう改善すればよいのか理解していない。ジムでバレトン、ポルトブラといった体幹を使うレッスンがあるが、お年寄りばかりで参加しずらく二の足を踏んでいる。
体幹トレーニングで検索すると、インナーマッスルを鍛えることだとある。
インナーマッスルの重要性は入院中のOTさんからかなり言われた記憶がある。それなのに自分の考えはアウターマッスル志向だった。
調べると多くの体幹トレーニングメニューが出てくる。どれも簡単にできそうなものなので、やってみようか。

何かを始めることで生活は変わるのだろう。
もう遅すぎたくらいだ、実家での生活も10か月めに入っている。現状に満足していないのに変えようとしないことは嫌いだったはずだ。
これまでの自分の生活を考えると、能動的に生活を変えようとしたことはあまりないかもしれない。ほとんどが外的な要因がきっかけだったかもしれない。それなのに変わろうとしないことは嫌いという勝手なものだ。ぬるま湯に浸かっていると茹で蛙になってしまう。

昔から何かに書き出してスケジュールにしないと出来ないタイプだ。ラクな方に流されるタイプ。
高校や大学の受験の時の勉強スケジュールもそうだった。何時から何をするといった計画。
これまでのブログを読んでくれている人には、そう思えないだろう。自分を律しながら頑張るタイプと思われているかもしれないが、実はそうではない。
自分の身体のことだから必死になっているだけなのだろう。でもこれは重要なこと、どんないい加減な人間でも、何を差し置いてでも身体のことを最優先で思わないと改善はしないということかもしれない。

時間の使い方を変えよう。休日は週に4日もある。朝の7時半の起床時間を守り、母親との買い物は朝一番に終わらせよう。昼食や夕食のメニューは前日の寝る前に考えよう。もちろん買う物を書き出して。
そう思って今1日のタイムスケジュールを書き出していくと、時間は作れる。ボーっとして過ごしていた合間時間を詰めていく。
昼食作成と夕食作成はたまにサボろう。出来合いの物で。そうすれば自由時間も増える。
あとは何をするかだけだろう。とりあえず体幹トレーニングを起きてから30分やってみよう。

ジムの筋トレが目的になってはいけない。何度も書いてるけど、筋肉を付けるのが目的ではない。
ストレッチだけで終わらせる日もあってよいかもしれない。
フットローラーとパワーブレードで、たまに右脚に感じる違和感は解消できるようになった。もう3年前や6年前の状態とは違うのだ、自分が活き活きと生活できる状態にまで回復したのだ、リハビリという名の形骸化したトレーニングも見直さないといけないか。

今日は月曜。魚の美味しい居酒屋に予約をしている。前は初出の日だった、もう10日も経ったのか。
posted by shigenon at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月12日

慣れ

水曜日の夜はたまに行くおばんざいのお店に立ち寄った。
おばんざいが美味しいので、どちらかというと食べるだけに行っていたが、女将やバイトの女性とも話すようになり居心地がだんだん良くなってきた。やはり自分の呑み方というのは誰かと触れ合いながらが良いのだろう。
いつもの酒量より多いが、バスで寝てしまうことも無くなった。これも慣れなのだろうか。

朝の気温が氷点下前後。寒くなって止まらない震えが起きることを心配していたが、その時以来震えていない。震えると止まらなくなるのは神経の障害によるものだろう。
今シーズン寒くて震えたと昨年の12月6日に書いている。今よりもかなり高い6℃弱のようだったが、暖かい状態から急に寒くなったからだろうか。
それが今は震えない。それも寒さへの慣れか。間違いなく去年までの東京の部屋よりは寒い1軒屋なのだが。

何でも慣れるとそれが当たり前になる。良いことで当たり前の状態であればいいが。
良くするために習慣化することを心掛けないといけないのはもちろんだ。それ以外に常に自分がやっていること、常習化している事柄を「何でそうしているのか」を常に思わないといけないのだろう。
そうでないと意識せずに習慣化していることは、その状況が変わると混乱する。企業で言うカイゼンを自分の習慣化したことに取り入れないといけない。
正しい歩き方を習慣化させたつもりだった。踵着地の足先から地面を蹴る一連の動作。
それまでは一歩一歩、頭で思いながら指示して歩いていた。いつの間にかそれを思わなくてもちゃんと正しく歩けるようになった。
それでも時々意識を歩き方に向けると、足裏の地面への接地が十分でなかったりと気づきがある。歩くことは日常的な行為だが、それ以外のことも気にしないと同じようにズレていることがあるのだろう。

母の認知症がまた進んだか。少なくとも3日前に比べて。
充電式の掃除機が充電場所にないので聞くと、それが何か判っていなかったりする。結局倉庫で見つかった。年明けに使ったにもかかわらず。
昨日ケアマネさんが来たので、外に出て誰かと接している方が少しは良いのではないだろうかということになり、デイサービスをもう1日増やせられるか相談した。
本人はその時は何か考えてやっているのだろうが、やったことを忘れてしまう。

下の左右の奥歯の被せを取っているので咀嚼ができない。何を食べても美味しくない。
美味しくないと酒を呑む気にもならないが今日は金曜日、柔らかい食べ物で呑んで帰ろう。
posted by shigenon at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月10日

隠居の思い

初出を挟んだ長い休暇も終わり。8連休プラス4連休だった。
何をしたのかというと何もしていない。ただ12日間というのは数値化すると、1年のうちの3.3%なのだ。何と無為に日々を浪費したのだろうと思ったりもする。

仕事をしていると、その業務の長期・中期・短期の展望や実施項目を考えて動く。それを着実にこなし、振り返る。そうやっていて日々が過ぎる。そんな中での休日は休んだ感がある。酒を飲んだりレジャーに出かけたり。ただその満足感のある休日も、仕事をやるうえでの自分のためのオフ。
仕事が中心なのだ。
カネをもらっている以上、それは生業だから一生懸命やるのは当たり前。それをその言葉で言っていたのはSマスター。東京でいつも過ごしていた居酒屋のマスター。
仕事の愚痴を言いたくなった時に、その言葉を思い出していた。

今はどうだろう。仕事ではもう自分が主体となって何かを画策して実行するという立場でもない。言われたことを完璧にこなせば良い。もうこれまで十分にやったのだ。それを隠居というのだろうか。
その隠居の中で、仕事に変わる個人に属することで長期・中期・短期の展望や実施項目を明確にしないといけないのだろう。
無為に過ごしたと感じるのは、何か自分が前進したという感覚を持てないからだろう。
ジムやリハビリは自分を維持するためだけのもので、もう生活の一部なのだ。それ以外で考えていかないといけない。

今行っている歯科医院が面白い。
最初に行った歯医者で噛み合わせが酷くなり、知り合いの衛生士が診てやると言ってくれて変えた歯医者。
先生もそうだが、その院の雰囲気が居酒屋っぽいのだ。先生は治療以外に色んな話をする。先生が何か話せば、衛生士が合いの手のように何か答える。まるでマスターと従業員のいる小さな居酒屋を思い起こさせる。先生はたまたまだが、地元の中高と同級生とゴルフ友達。
昨日も治療中に「ドライバーが飛ばない」とか「クラブ名に使ってる?」とか聞いてくる。口を開けている時にもそう話しかけてくる。その中で「最近いつゴルフ行った?」と聞かれる。
どうだったけ、9月か10月だ。新しいアイアンを買って1度だけ使ったか。
知り合いの衛生士が「〇〇さんは木曜日休みやから一緒に行けるよ」と先生に言う。そうしたら先生が「ゴルフ行こか」と誘ってくれる。間違いなく居酒屋だ。

今年はゴルフを真剣に復活させようと考える。
受傷する前に思っていたのは、60歳で退職して地元に戻って平日1回のゴルフと後はジムで過ごそうと。
受傷してからも、これまで書いているようにゴルフ復活への思いは強い。しかも自分のリハビリにも十分に役立っている。ゴルフをすることで色んな気づきがあった。
去年の猛暑のゴルフでくじけたのだ。猛暑だけでなく、打っても打ってもうまく球が打てない。これは右手首の捻挫の影響だとは分かったが。
寒い時期に無理して身体を動かすほど若くはない。3月後半に一人予約でプレーすることを目指して練習をしていこう。

身体の調子は悪くない。何か心配するような状態がないことは良いことだ。
人生を楽しむための筋トレリハビリだ、それが目的になってしまってはいけない。
posted by shigenon at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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