2022年12月27日

2022年最後の出社

少し痺れが強くなったと感じていたが昨日の午後からは少し緩和した。
痺れの強さはなかなか感じ辛いし表現もしづらい。痺れているか痺れていないかだと簡単だ、健常な人はそうだ。
痺れている人にとってはどれが標準の痺れか判らない。言えるのは昨日から+1や−2といったカンジだ。
それでいうと1週間前くらいはこれまでよりも−3くらいだったし、今は−1くらいか。
いや、10段階では難しい。0が全く痺れていないと想定するなら20くらいの刻みだろうか。

帰省までにやっておくことは散髪だけになった。
今日は出先から早く帰って散髪・ジム。そして元居酒屋SのSマスターと呑む約束。考えたら今年は1回呑んだだけか。1年のうち330日は居酒屋Sで4、5時間は過ごしていたのだ、約10年近く。
今回の約束も11月頃に一緒に呑みに行くタイミングが合わなくてズレた。
ちょうど長野から帰った日にSさんが家の下から電話してきたのだ。下にいるよと。
顔のケガにも、治りかけたらアットノンを塗った方が良いとアドバイスをもらって実践している。

顔のケガ。
湿潤療法の甲斐が合って思ったより早く治った。これを普通の絆創膏を貼っていたら今頃はカサブタが取れ始まる状態かもしれない。
ただ跡がまだある。軽いキズの目の横、額も赤い状態。鼻の頭は打って赤くなったのが治らない。
一番深い眉間と鼻の下。キズは治ってはいるけど赤く荒れた状態。
デコのたんこぶはまだ小さくならない。
キズ自体は治っているから良いが、跡がいつになったら薄くなるのか。とりあえずはアットノンを毎日刷り込んでいる。

明日は大阪で打ち合わせ、そして帰省。
帰省して夜に同級生の新築祝いにその家に集まる。どんな家になったのか。前の家は外の階段から部屋に上がれるので、学生時代は溜まり場だったのだ。
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2022年12月26日

クリスマスの週末

久しぶりに人と楽しむ週末になった。金曜日に居酒屋Q、イブにとお願いしていたチキンがもう用意してあるがそれは我慢して翌日のイブに。ヨーコさんたちも来てけっこう酒が進んだ。翌日は店が終わったらママとヨーコさんカップルでカラオケに行こうという話になった。
翌日、チキンとエビフライを食べて店の終わってから近所のカラオケパブ。
近所にはカラオケパブが複数あり、3000円ほどで呑み放題なのだ。来ている客はほとんどが70歳以上、90歳に近い人もいる。下町ならではか。
この日のカラオケパブも3度目。

カラオケは得意でない。どちらかというと音程が安定しない。
なぜかこの日だけは調子が良かった。ママが今日は上手と言う。じゃあやはりいつもはヘタなのだ。
何時に帰ったのだろう、そんな遅い時間ではない。帰ったらベッドに直行。聖なる夜といっても何もすることがある訳でもない。
チラっと思った、8度目の誕生日だったのだなと。

日曜日は掃除をしなければ。あちこちにずいぶん埃が溜まっているのを見て見ぬふりをして過ごしてきた。年内最後の掃除だ。
トイレ掃除をしてから掃除機。やはり腰が痛くなる。気を付けないと、冬はぎっくり腰になりやすい。
掃除など上体だけを使う動作は腰に負担がかかる。途中で腰が張ってきたのでベッドに横たわって足で円を描くように回す。後は股関節を開く。
腰が気持ち良くなるような動きを模索して、この2つをやった。気持ちよく感じることは矯正に間違いのないことだ。

日曜日、夕方から沖縄のAさん会。
2か月ぶりの帰京か。いつもの中華料理屋で食べ放題・呑み放題。今回は元居酒屋Kのマスターも来た。そしてその居酒屋Kによく来ていたKさんカップルも来た。この二人とは店が閉店して以来だから4、5年ぶりか。
呑み放題はみんな十分モトは取れるが、食べ物は進まない。もう歳なのだ。一人で食べていた。
中華料理屋を出ていつも行くカラオケスナックへ。昨日と同じ歌を歌うのだがそんな満足感はない。昨日は自分でも上手だと思ったのだが。
それでも友達たちは○○ちゃん、腕上げたね〜とか言う。これまでどれだけダメだったのだろうか。

土曜日には年内最後の鍼。
ジムで筋トレ・ストレッチを終えるまでは調子良かった。風呂の湯船で右のお尻の横側が気になるからそこから下腿にかけて指圧をしていた。押せば瞬間痺れが強くなる、これはよくあることだ。
それが強くなったまま戻らない。
家に帰ってからもチェックをするが、そんな強い痺れではないが確実に前日までの痺れよりも強くなっている。今年の年初に痺れが緩和していた状態だったのが、足裏を自分でマッサージしてから痺れが悪化しているのだ、イヤな予感を感じる。そのあと鍼で腰から足先への刺激を感じたのだが、余計に悪くなったのだった。

鍼で前日までの調子に戻れるだろうか。
ベッドに仰向けに寝るといつもの順序と違って、いきなり前脛骨筋に鍼。
「いやぁ、なんかソコが気になって」とセンセイ。
まあ確かにここ1,2か月とは違って痺れが強いのだ。何かカタチが変化しているのだろうか。
4年ほど前か、一通り打った後に左の大腿四頭筋への1本の鍼。これが左脚全体がピクピク動く鍼で、これにより左脚に筋肉が付くようになった。
いつも診てもらって変化がわかり、それに加えてカンのあるセンセイに任せるしかない。

さっきタバコロードを歩きながらチェックしたが、先週に比べて少し痺れは強いか。
かといってこれまでの強さなのかどうか。痺れの強弱は解り辛い。
歩けないことはない、酷い状態から歩いてきたのだから。地面の感覚が先週より感じにくいなぁという感覚。足裏の痺れと下腿の痺れは連動しているようだ。
ストレッチマットに座って右脚を伸ばして足首を回せば気持ちいいだろうなと想う。

さあ年内の出勤は今日と明日。明後日は大阪。
散らかり放題のデスクや周辺を片付けるか。
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2022年12月23日

8歳のプレ誕生日

なんとか年賀状の印刷を終わらせた。
年賀状の印刷をするたびに受傷した前日を思い出す。あの日はゴルフを終えて戻ったのが早かったので年賀状を印刷。黒のインクが出なくなってあて名書きを手書きでしていたのだ。
半分を終わらせて居酒屋Yに行った。居酒屋Yではそんなに呑んでいないはずだ。
帰って残り半分を終わらせて満足感とともに寝たのだった。
そして翌朝。立ち上がって電気を点けたまでしか覚えていない。

先月の長野での転んでケガした時もそうだ。転んだ瞬間を全く覚えていない。
確かに酒がかなり入っていた。が、その直前の記憶は確実にある。
誰かが言った…事故などの恐怖の体験はそれ自体が記憶に残らないようになっていると。怖い体験を覚えているとそのたびに恐怖にかられる。目の前に地面が迫り、顔がキズつく感触なんて覚えていたくもない。忘れるように脳が働いているらしい。

受傷した時に四肢は全く動かなかった。あの不思議な感覚だけは覚えている。
病院のベッドに横たわった時も、右手はナースコールを押す力もなかった。かろうじて右脚を少し動かすことができたから足元にナースコールを付けてもらった。
年末までの記憶はけっこうある。というかテレビをずっと見ていた。ダマされた大賞、ダーツの旅スペシャル、ダウンタウンの笑ってはいけないなどを受傷する前と同じ感覚で見ていた。
深刻な事態を深刻に考えないように脳が働いていたのだろうか。

元々は深刻に考えるタイプなのだ。
それが年齢とともに少しづつ変わったのかもしれないが、いくらなんでも呑気すぎだったような気がする。やはり特別な事だと脳が判断して気分が緩和するよう働いたのか。
過去の事をどう思っても仕方がない。今と未来しかないのだ。そういう気持ちは受傷前から年齢を重ねると同時に強くなってきていたのは間違いないが。

最近気を付けないといけない。調子に乗りすぎだ。長野での転倒もそう。
昨日も地下鉄の階段を降りながら思った。コロナ禍になってからなのだ、左脚の違和感少なく階段を降りられるのは。階段を降りながらほとんどの時にそれを思う。
それを思わない時もある。健常な時にタイムスリップしたかのように何も考えずに。いつ左足が十分に上がらずに着地するか判らないのだ。上げたつもりで上がっていないことはある、これが神経の障害だ。

昨日書いたように調子は悪くないのだ。
手も痺れている、足も痺れている、でも生きて人と接し笑って泣いて腹を立てている。
何処へだって歩いて行けるのだ、これ以上の幸せはない。
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2022年12月22日

2022年12月22日のカラダ

身体の状態。
右脚はまだ調子の良さを継続。上腿の横や裏は時々押せば痛い状態がある。
下腿のこれまであったぼんやりとした痺れは軽くなっている。押すと痛い部分はあるが、これまでよりも痛くない。足裏はピリピリした痺れだから軽くなっているのだろう、前は感覚すらなかったのだ。地面の感覚を感じる。
左腕は肩の可動は数か月前に良くなってから変わらないか、悪くない。

歩くという行為、これも不自由はない。ただ良くなったかどうか。
タバコロードを歩いていると左脚がガックンとすることもある。ただ修正の仕方を心得ている。いつものように手を後ろに組むだけ。足裏の痺れが軽くなって地面を踏む感覚を感じられることがいいようだ。
たまに信号手前で道を横断する。その時は小走りだ。危険だから横断歩道以外は渡らないようにしないといけないのだが、正直、小走りがしたくて渡っている。ふつうの道で目的無く小走りはできないものだから。小走りをすると左脚と右脚のバランスの悪さを感じる。早歩きの時もそうだ。
これもやっていないから出来ないことなのだろうか。

去年の今頃も良い状態だったようだ。それが年明けて悪くなっている。
それがそのまま今年の秋まで続いたのだ。痺れが強い状態にこれまで慣れてしまっているから少しづつ強くなっても気づかない。茹でガエルと一緒だ。
去年のブログを見返していると今とおなじよう深夜に目が覚めている。この頃からだったのか。
日々の生活で覚える能力が弱くなってきているのだろうか。それもあるだろうが、細かな事を気にしなくなってきたのかもしれない。それは加齢なのだろうか。
脳の働きかもしれない。細かな事を気にしていると何らかのストレスでもある。ストレスを感じないよう脳は最大限の調整をしてくれているのだろうと考えることにする。

年内にやるべきこと、書き出したにも関わらずやっていないこと多数。
もう気分は年末年始だ。28日に大阪で打ち合わせてそのまま帰省。
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2022年12月20日

マスターからの贈り物

広島に住んでいた頃、毎月山口に出張していた。
山口県内も翌朝の仕事の関係から色んな場所のホテルに宿泊したがある地域にしか泊まらなくなった。
それはお気に入りのの焼き鳥屋ができたから。そこに行きたくてその地域から県内に行くようになった。
一番最初に行ってからもう30年以上になる。
広島を離れ、その地に行く用事が無くなっても、例えば福岡に用事があれば翌日に休みを取って訪れる。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/700/0?1671410731
マスターが気になり、たまに電話をする。10月頃か、ふと思い出して電話をした。
相変わらず元気な声で喋る。昔より少し声が小さくなったか。ふつうで言えば大声だが。
マスターから電話があったのは12月8日。

この日は区のプレミアム商品券を年内に消化するため、一人では行ったことのない居酒屋に行っていた。
着信‥「元気かね〜」…マスターだ。
「兄ちゃん、住所は・・・・・でええかね」長門弁が懐かしい。
いや、その住所は違うよと。その住所は結婚していた時の住所だ。そういえば写真入りの年賀状を送った、それを大事に持っていてくれているのだ。
従業員の人と替わり住所を告げる。ハムを送ってくれるというのだ。
それが土曜日に届いた。居酒屋Qで呑んでいたのだが19時の受付にしていたので早く帰った。翌日はゴルフだったので早く帰るきっかけにもなった。
有難いことだ。マスターの焼く焼き鳥は絶品なのだ。今度いつ行けるだろうか。

ゴルフ後の身体。歩くという行為はやはり良くなる。力が入りやすい。
それ以外に今回期待していたのが左腕の可動。筋肉も付いたので力が入りやすくなるのではないかと期待していた。
身体の不自由さをあまり感じなかった。カートの乗り入れ不可だったので歩きなのだが、全く不自由はなかった。左腕はたまに力をうまく使えない時はあったものの、前ほど力が入らないという状態ではい。
それ以上に寒さと風が気になった。他の事が気になるほど身体は安定していた。
結局は久しぶりの大叩きで終わった。

12月ももう下旬。あと1週間で帰省だ。
年末までにやるべきこと…息子へのクリスマスプレゼント送付、年賀状、大掃除。
夏布団と扇風機を粗大ごみで出さないと。
posted by shigenon at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年12月19日

ラストコンペになるか

日曜日は寒い日だった。向島の料理屋さんの定例コンペ。
去年も12月に行っているがこれほど寒くはなかったような。午前中は日差しが無く、午後は日差しはあったが風が強い。風速1mで体感温度は1℃下がるという。
もしかしたら今回がコンペ参加最後になるかもしれない。もう来年の3月が定年だ、東京にいることはない。今出ている家賃補助が無くなるのだ。それと親元へ戻ろうという気持ち。
ただ縁のあった東京、友達もそうだが鍼治療もある。今のところは3か月に2回くらいは上京しようと考えている。
このゴルフ会もそのタイミングに合えば参加できる。

とはいえ、定年後どうするか決まっていない。
健常な時、それはもう8年前か、漠然とイメージしていた。家を出たのが18歳。頻繁に帰っているとはいえ両親も高齢だ。最後は一緒に暮らしたい。60歳になったら実家に戻ろうと。
仕事はやらなくてもいいかと。毎日ジムに行って、週に1回ゴルフに行って、週に2回ほど夜はどこか馴染みの店を作って呑んで。
そして月に1回東京に2泊3日位で行く。
そんな生活を具体的に金額に落とし込んで概算費用も考えていた。なんとか株の運用や個人年金や貯蓄の切る崩しで賄えるか。
ただ自分が何歳まで生きるのかということ、大きな病気をしてずっと入院とかになること、それが解らない・解るわけがない。

そう思っていて受傷した。
大まかな定年後のイメージは変わらないが継続して働くのも一つかなと考えるようになった。
カネはいくらあっても困るものではない。足りなければ困る。カネがないとセコくなるのも事実だろう。
再雇用以外でアルバイトと考えても条件的に良いものはないだろう。昔の顔で働けるのが一番ラクだ。
もう仕事で何かを成し遂げるとかを思うことは無い、これまで成し遂げたこと大事に思うだけでいい。あとは労働に対する対価としてのギャラだけを思うだけだ。

そう思っているのだが、今の段階で何も決まっていない。
工場現場を別にして、これまで定年再雇用で働いた人はそんなに多くない。若い会社だ。
現場以外の総合職社員の定年に伴う再雇用という仕組みが構築されていないのだ。
8月に担当役員と話をして、そこを言うとその通りと。その後何の回答もない。もう12月になっているのに。
腹も立つし、もうそれだったら働かないとは考えない。一時の腹立ちで自分の選択肢を狭めるようなことはしても仕方ない。

ゴルフとそれによる身体の変化を書こうと思っていたら、流れで自分の定年後の話になってしまった。
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2022年12月16日

昨年を読み返す

昨日、去年のこの時期のブログを読み返していた。
寒い時期にどう過ごしていたのかを見ようと。1年経つと忘れる、先週の事でも忘れているのだ。
去年の10月に痺れが消えた日があり、それがしばらく続いたことは覚えている。その後また痺れが強くなったままだと思っていた。
それは違って12月は再び痺れが緩和していたのだった。それは年明けまで。
1月の下旬には強くなったと書いている。

完全なる坐骨神経痛の症状が1月の下旬に出ている。お尻が痛くなったと。
やはり右脚の痺れは坐骨神経痛によるものが大きいのだろう。もちろん中枢神経障害による痺れもあるが、増幅されるのだろうか。
12月〜1月に何か無理をしたわけでもない。ただ気になる項目があった。
痺れが軽くなっているからか、脚の筋肉を意識して鍛えている。そしてその後に足首から下が痺れている。足裏を呑みながら長く自分でマッサージをしている。足裏がジンジンしていたようだ。

良くなれば喜び、悪くなれば対処しようとする。これは当たり前だから何が良かった・悪かったはないのだけども。
今の状態も先週と比べてどうなのか。先週の方が軽かったような気もするが、これまでよりも断然軽い症状。ただ長く強い痺れを持っていたから多少強くなっても危険信号だという判断ができない。
脳が痺れに対して寛容になっているのだ。これは仕方ない、いちいち気にしてられないから。

まあ出来ることをするだけ。
足首回し、足首伸ばし、股関節の柔軟を保つ。今から坐骨神経痛の予防を調べよう。
今日は金曜、居酒屋Qへ。日曜日はゴルフだ。
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2022年12月15日

寒さの始まり

今日は今年一番の冷え込みらしい。
起きてキッチンで牛乳を入れてリビングに運ぶ。寒い日は何度かこの寒いキッチンの数十秒で身体が震えてキッチンに運ぶ途中で牛乳を飛び散らせてしまう。
今日は寒さを感じたけど大丈夫。
後は家を出て駅まで2分程度の歩行。寒いと固まったようにぎこちない歩きになる。両手両足が一緒に出るような動き。

外に出て歩くとやはり違和感。寒くて震えている訳ではないが震える手前なのだろう。
身体に力が入るから力を抜いたりとか、これまで色々試してきた。でもこの寒さによる固まりだけはコントロールできない。
ただ今日外に出て駅まで歩くことは楽しみだった。というのはこのところの痺れの緩和による快調さ。この状態で寒さを感じた歩きはどうなるのかが知りたかった。

やはり固まったような動き。右脚は強いから力づくで動かしている。左脚はやはり麻痺側だ、動きが悪い。
ただこれまでの寒い時期の歩き方よりはスムーズなように感じる。今日は3分ほど遅く家を出たので早足になったこともあるか。
この状態は地下鉄の構内に潜ると緩和する。そして地下鉄に乗って温まると到着駅では何事もなかったかのように普通の歩行になる。身体の気温への慣れなのだろうか。
寒さを感じると本能は何を差し置いても身体を震えさせて温める。一度暖まると安心するのだろうか。
去年の冬はそれほど動きにくかった日はなかったように覚えているが今年はもっとスムーズになるだろうか。寒さを怖がっていた頃からはかなり進歩した。

最近は測ったように3時40分に目覚める。この前まで2時だったり2時半だったり。
目覚めるとトイレに行って再び寝ようとするが1時間以上は眠れない。2時台ならまだ少しは睡眠は確保できるが3時40分の目覚めは辛い。そこから眠れないことが多い。
ただ横になって目を閉じていると身体は休まるのだろう。眠ることとの違いは脳が休まるかどうかなのかだろうか。

昨日は帰ってからソファ周りの片付け。年末に向けて部屋の片付けと掃除を計画的にやらないといけない。これは昔からそうなのだがやるべきことを書き出してスケジュールの中に落とし込む。
そうしないとラクに過ごして結局は最後にバタバタしてしまう。
昨日と今日は「片付け」。
あとのやるべきことは年賀状、掃除機、散髪、息子へのプレゼント送付。
今日はキッチンとベッドルームを片付けよう。
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2022年12月13日

年末に想う

もう来週末はクリスマスだ。
受傷8年のその日を迎える。たまに思う、SF的だが過去に戻って注意を促せないかと。じゃあそれでその後の過ごし方がどう変わったのだろう。
毎日呑みに出て毎週ゴルフをしていた頃だ。その後何か違う病気や事故にあっていたかもしれない。人生なんてどうなるかわからないのだ。
昨日寝る前に1年が終わることを思った時に、一般的に皆が言うセリフを思い出した。あぁ1年早かったなぁというコトバ。早くなんかない、1年は1年。時間にヒズミはない。

1年を振り返ったりした時に、あまり達成感がなかったと感じるから早かったと感じるのだろうか。
実は自分は毎年感じているのだ。だから1年と言う時間軸でものごとを考えなくなった。
そんなことを思った時に、10年ひと昔という今ではあまり聞かないコトバが浮かんでくる。10年という期間に多くの変化があるからそう言ったのだろう。ただその頃は自分に変化があっても社会はそれほど変化しない時代だったのかもしれない。それだけに自分に起こる変化が大きく感じられたのかもしれない。
今の社会の変化はどうなんだろう。コロナ禍3年だが、もう生活の中にコロナが定着している。
DXの名の下で生活は気づかないうちに少しづつ便利という名の合理化が進んでいる。
環境が変化することが当たり前になった今、人生を振り返る軸はどう考えたらいいのだろう。

20年。
自分を振り返った時に、20年という期間が一つの‘人生’になるか。かなりざっくりだ、これはもう60歳になろうとするからそう思うのだろうが。
ハタチまでの自分、40歳までの自分、60歳までの自分(今)、これから20年生きられるかどうかわからないがあと20年。
その60歳までの自分ももうすぐ終わりだ。そう思うと次の20年を考えないといけない。
過去を想っても仕方ない。過去の良いことも悪いことも自分が起因したことだ。
未来の事も自分が何か起こさないといけない。

さあ3つ目の20年人生の終盤。
少し不自由だがちゃんと動く。次の20年も何とかなるだろう。
posted by shigenon at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年12月12日

実は...

そろそろ安心していいのだろうか。
これまでも書いている通り良くなったり・悪くなったりなのだが、今回は少し違うか。これまでの良くなった感覚は続いても2,3日だったと思う。
気づけば元の痺れになっている。ただ、それを繰り返しながら良くなっていく箇所もあったか。
右脚と右足裏の痺れがずいぶん緩和したのはいつからだったろう。緩和したことは書いてはいるのだが、またすぐに元に戻ることが多いので大げさには書いていないと思う。

緩和していった過程。
何が要因だったかは覚えていないのだ。これからこの1ヵ月ほどのブログを読み直して思い返さなければいけない。ただ覚えているのは右脚全体と足裏の痺れはセットで緩和したような。
これまで押して痛い箇所が多くあった。押さなければ痛くない。ただその箇所は痺れがあるから押したくなるのだった。
その押して痛い箇所は変化するがだいたい同じ箇所だった。その箇所が少なくなった。
じゃあ今押して痛い箇所はないのかというとそうではない。これまでよりは軽いがモモ裏が健常な人が感じる筋肉痛のような痛みを感じる。

長野に行く前の週、11月19日の鍼でセンセイに言ったのを覚えている。
「坐骨神経痛に起因する痺れがほとんど消えたような気がする」と。残った痺れは頚髄損傷に起因した痺れなのか。
でもいつ“坐骨神経痛が起因する痺れ”が復活するか判らないから全く安心はしていなかった。
この頃からの右脚の変化で一番大きいのがふくらはぎに感じていた筋硬結のような感覚が少しづつ無くなってきたこと。

筋硬結は健常な時に左の首筋にいつも感じていた。
恐らく20年近くあったように覚えている。ここを揉みほぐして欲しい気持ちでずっとマッサージに通っていた。痛い箇所を直接施術してもらうことだけを思っていた。
その完全な揉みほぐしができる施術師にこれまで一人だけ巡り合ったが。
筋硬結というコトバを知ったのでさえ受傷後だ。その筋硬結のような感覚が右のふくらはぎにあった。
実際に硬くなっていたかといえば、そうではないように思う。ふくらはぎの筋肉の中に芯のような痛みがある感覚だった。それは神経の感覚だけなのかもしれない。

これが少しずつ和らいできていた。
直径5センチくらいの筋硬結の棒がふくらはぎにあるようなイメージだったのだが、それが1センチづつ小さくなってきているようなイメージ。
右脚を上にして脚を組むクセがあるが、このときに左膝の上に右脚のふくらはぎを乗せてゴリゴリする。これも習慣にしていた。これが何か効果があったかどうかといえば何とも言えない。この動作は何年も前からやっていることなのだ。
それと足首の前に痛みがあったのだが、これが消えると同時に足首が柔らかくなった気がする。
横屈伸が地面まで座れるくらい股関節が柔らかくなったことも関係しているか。股関節というより脚の内側のスジか。これまでほとんど動かしていない箇所だった。

先週の土曜日の鍼で再び坐骨神経痛に起因する痛みが緩和したことをセンセイに伝える。
「ずいぶんと耕されてきましたよ」とセンセイは言う。「耕されるとちょっとしたことでも良く効きますからね」
確かにそうなのだ。この土曜の鍼もこれまでとほぼ同じ箇所に打ってもらっているが、感じる感覚が違う。もちろんその日の状態で鍼の感覚は変わるのだが、1本1本の鍼が鋭く感じる。
荒地を耕すというセンセイの表現はまさに的を得た表現だなぁと改めて思う。

右脚全体が動かしやすく感じる。これは痺れが緩和しているからか。
いや、感覚としては右下腿と足首・足裏までの動きの連動が良くなったというイメージ。これまではそれぞれが分断されていたような感覚がある。
足首の動きが要なのだろうか。足裏の痺れが緩和したから地面を踏んでいる感覚を感じることも良いのか。
良くなった原因は解らないがそれを考えることは大事だ。そして元に戻らないようそれぞれの機能を磨くだけだ。
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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