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2023年01月31日

疼痛

今年に入って何度か肩の疼痛が気になった。
肩の疼痛はもう忘れていた。忘れていたといっても無くなっている訳でなくずっとある。痛いことを完全に頭から消し去る、そんな極意を身につけていた。
肩の疼痛は三角筋にくる。前は三角筋の中心部に痛みがあった。それが三角筋の後部が痛くなり始めた。その後部の痛みに馴れていないのだろう、それで気になることがあるのだと思う。
痛みの種類はどうだろう、神経痛とは違う痛さ。チクッと刺した痛さが筋肉内部に広がる感じか。

痛さを忘れることは自然と身についた。入院中は疼痛はなかったのに退院すると肩に疼痛。
何度ネットでペインクリニックを検索しただろうか。それくらい痛みを感じていた。
肩は疼痛、脚は痺れ。身体もうまく動かない。そんな中での日常生活。
ふと気づいたのが、何かに夢中になっていたら痛みという感覚は忘れることができること。疼痛は実際に擦り傷などの外傷を負っている訳ではない。脳が感じているのだ。
痺れの感覚は何かに夢中になっても忘れることができなかった。ジンジンと皮膚に響いているからか。
仕事で初めての人と話することが多く、ほどよい緊張感+夢中さで肩の疼痛はそれほど感じなくなった。

朝起きた時だけ肩の疼痛は感じた。歯を磨くころには疼痛は感じない、忘れているのだ。
少なくとも去年位まではそうだったのが、いつの間にか朝起きた時も疼痛を感じなくなっていた。
これは脳が慣れたからか。
今年に入ってから感じる痛み。これはこれまでと少し場所が違うからなのだろう。違う場所に痛みを感じているから脳が「ご主人様、違う場所に痛みですがどうでしょうか」と聞いているのかもしれない。
疼痛の痛みに種類があるのかどうか解らない。でも同じ痛みで場所が違うだけだ、問題ないだろう。
最近は腕の筋トレの合間にエアーで腕を色んな方向に動かしている。これによって何年も動かしていなかった筋肉が動いたからからか。良いように考えよう。

昨日は何故だか解らないが脚が軽快だった。
早足をやってみるがスムーズ。ただお尻やお尻の横に痛みがある。足裏の痺れは強くない状態が続いている。前に書いたように、足裏から感じる感覚が脚の動きに良い影響を与えているように感じる。
posted by shigenon at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月30日

人やお店との関わり

これが最後かと思うことは多くある。
この人に会うのはもうないだろうとか、この店も最後かなとか。人の場合は2種類かな、またどんなことをしても会いたいと思う人ともう会うことないと思う人。まあ店も同じか。
どんなことをしても会いたい人・行きたいと思っている店は間違いなく再会している。
最後の会社の全体会議。2度と会うことが無いなと思いながら人を見ていた。仕事だけの付き合いなのだ、それも熱い思いを持って何かを一緒に成し遂げた人やそれを引き継いでくれている人はいない。ただの使われ人ばかりだからもう会うことはない。
お店は10年以上行った店。多い時は2か月に1回か。ここにはまた訪れることはあるだろう。

そんな出張を終わらせて土曜日に帰京。帰京して居酒屋Qへ。
金曜日から出張だったが先週は土曜に店が休みでママと呑んだもののそれを言うのを忘れていた。出張前に金曜日は出張で行けないよとLINEしようかと思ったが、そこまではいいかと何度か思い悩んで止めた。いつも開店時間前に行っているのに心配しないかなという思いだ。反面、そこまではいいかなとか。
電車の遅れもあり土曜日は18時頃に店に着いた。
やはりそうだ、ママが着くなり心配したという。金曜来ないこと、その日も開店前に来ていないから実家で何かあったのかと思ったと言う。

申し訳ない気持ちだ。そこまで思ってくれているのに応えていない自分を恥じた。
3月に実家に帰ることを伝えた時に悲しんでくれた。東京に来るときはウチに泊まったらいいと何度も言ってくれている。そんな付き合いの中なのだ。
あと残された時間、何回お店に行けるか。10回ないかもしれない。
山口県の焼き鳥屋さん、大阪のお好み焼き屋さん、東京の居酒屋S、それぞれの店で長く過ごして長い付き合いになっている。客なのだが客を超えた人としての付き合い。

日曜日に久しぶりにポイント刺激のEMSを使った。
冬は肌が乾燥しているから電気が通りにくい、化粧水を付けてから使う。足首に押すと足の小指まで響くポイントがある。そこに押し当てると鍼の時にパルスを入れたような刺激が伝わる。
効果のほどは解らない。ただ自分では筋肉の中までは刺激できないのだ。
ベッドに横になると痺れが緩和するのだが、EMSの刺激を入れた後は足首と甲にいつもある痺れがより緩和していた。
そういえば超音波治療器も久しく使っていない。良い効果を得られる刺激はやった方がいいと解りながらも不自由さを感じなくなったら使わなくなっている。
もっと良くなるという努力を惜しんではいけない。
posted by shigenon at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月26日

寒い日

寒い日が続いているが身体が固まることなく、逆に快調に動けている。
火曜日にジムで筋トレした時にずいぶんと股関節が柔らかくなったと感じた。それはレッグプレスで足裏を板に逆八の字でつけるが、その時にいつも脚を開いてストレッチをする。
その開脚具合がいつもより広かった。やはり脚の動きと股関節の柔軟性は密接なのだろうか。
開脚だけでなくこの時に足首のマッサージも。足首の少し上を押すと足の甲まで響くポイントがある。響かせるのが良いのかどうか解らないがいつも押している。

火曜日の夜になって強い風。そんな中、家を出て洋食屋へ。普通は出ていかないだろうなと思いながら。
あれだけニュースで10年に1回の寒波と行っているのに。
洋食屋ではいつものようにワイン1本を空けて焼酎2杯。この日はラザニアを食べたので腹は満たされている。たまに帰りになか卯に寄ってしまうことがある。
昨日は家食。呑みながらトップガン1がテレビでやっていたので見る。トム・クルーズは同い年なのだ。
受傷しなかったら今のトム・クルーズくらい動けただろうかとぼんやり想う。それは無理だ。

動きが良くなっても油断はできない。上手に動くという筋肉的なことと動く指令は別ものなのだ。それとそれに加わる痺れも。
いくら筋肉が元通りになっても両手の握力はほとんど変わらない。右60s、左50sあった時とほとんど変わらないくらいの腕の筋肉になっている、しかし握力は右35s、左は30sもない。
これが動く指令である神経の障害。握力を司る神経が働いていないのだ。今は歩けているが新たな神経の障害で動きがストップする可能性もあるかもしれない。
上手に動く…これは身体の動かし方がリセットされたようになったから再教育しないといけない。長く正常に動かなかったから筋肉が衰えているということもあるだろうし、握力と同じように神経の信号が弱い筋肉があったりする。
痺れは痺れていないと思うしかないのだろう。慣れだ。それが良いかどうか解らないが痺れを怖がっていたら何も進まない。

何よりも神経の疎通が全てだろう。「中枢神経を損傷すると2度と元に戻りません」ということは事実なのだ。ただ回復できる。新しいシナプスの形成があったから自分は動いているのだ。
そのシナプスがどうやって形成されるかが解明されればリハビリは大きく変わるだろう。
シナプスの形成とかそういうことを何も思わない時に自分が単純に思っていたことは抹消の神経を刺激するということ。末梢神経を刺激したら中枢神経に何らかの刺激が行かないだろうかという稚拙な思い。
筋トレをする。動かない所を何とかして動かす。気合で。
まあそれで今の自分があるのか、それで重度の坐骨神経痛になったのも事実なのだが。

これから神経の疎通である中枢神経自体が悪くなることはあるのだろうか。椎弓形成術という手術を行い頚髄の通り道を広くしている。実際に自分の損傷がどのような状態だったのか解らない。損傷したという事実だけだ。頚椎を広げることで圧迫されなくなるという説明は受けた。
ただ病院のカルテには後縦靭帯硬化症とも書かれていた。国が指定する難病だ。
前に肩こりが酷くて整形で診てもらった時に普通より頸椎が狭いと指摘されたことがある。大阪時代だから23年くらい前。それでしばらく首の牽引とかに行っていた。

頸椎を広げることで骨化した靭帯による圧迫を防ぐ目的だったのだろうか。それと浮腫による圧迫もあったのだろう。
受傷から手術までは3週間だった。年末年始だったからか。
今、調べると手術は早ければ早いほど回復するという論文も見られる。もう済んだことだが。
医師に言われたコトバ「頸椎を広げるから、もういくら転んでも大丈夫ですよ」
そのコトバを真に受けると自分の頚髄はこれ以上何か影響を受けることはないと安心するが。

とにかく自分のできることは自分快適に動けるために努力するしかないのだ。
明日から1泊2日の出張。おいしい魚だけが楽しみ。
posted by shigenon at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月24日

感覚を刺激する

痺れがまた緩和した気がする。
といっても昨年末くらいの状態か。年明けて少し強くなった感覚だったがその前の状態に戻った。かといってお尻やモモの裏は押せば痛い。
いつも湯船の中でマッサージをする。右のお尻とモモの間くらいか一番押したら痛い箇所は。そこから膝にかけてをよく押すが、昨夜はつねってみた。
つねるといってもそんなに強くではない。

鍼のAセンセイが言っていたことを思い出したのだ。センセイは自分が不調な時は自分で鍼を打つ。羨ましい限りだ。センセイが言っていたのは皮膚を刺激するといい、つねったらいいんですよと。
何度か聞いているが聞き流していた。
湯船のマッサージで手が疲れてきた。神経痛は押しても押してもイタ気持ちいい感覚が永遠に続く。これが筋肉の張りによるものだったら変化が起こるのだが。
疲れたのでつねった。案外気持ちいい、もちろん軽く。

入院中にOTのHさんが言っていたことを思い出す。ほとんど動かない左手を撫でながら“動け、動け”って言いながら皮膚を刺激するといいんですよと。
同時に昨日の昼に歩いていて思ったことがあった。
昨日の昼から足裏の感覚が良かった。足裏への鍼が効いたのか、お尻の坐骨神経管への鍼にパルスを入れたのが良かったのか。考えるが解らない。
歩いていて地面の感覚が感じられる、これがいい。地面の感覚を感じることで脚の出し方や踏ん張り方、歩くという行為がスポーツだとするとストロークが良くなっている。

これは感覚神経と運動神経の関係なのだろうか。
間違いなく動作は脳が指令するが、感覚に反応して瞬時に動くには痺れていては無理なのだ。何度熱いものを触ったままでいて火傷をしたか。歩くという連複動作は感覚神経が弱くても動かせるが、やはり足裏の感覚を意識すれば動きは良いのだろう。
これまでは歩き方を頭で学習してそのフォーム通り脚を出せることに注力した。1歩1歩考えながら歩いていたのはそれだったのだろう。それが考えずに歩けるようになったのが去年。
そのころはまだ痺れは強かったが、筋肉の負荷がかかるどこかの感覚神経が良くなったから脳で考えなくても自然反応で脚が出るようになったのだろうか。

今朝も4時過ぎに目が覚めたので横になったまま脚の痺れの感覚はどうかと思う。
横になっていると痺れを感じない。足裏も痺れていないような感覚。前は横になってもジンジンとした感覚があった。痺れが無くなったと喜んだ時の感覚になっている。
横になっていると痺れを感じないが立ち上がると力が入らない。だから生まれたての小鹿になる。
痺れていてもちゃんと睡眠がとれるように横になった時に脚全体のスイッチがOFFになるように脳が働いたのだろうか。
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2023年01月23日

週末いろいろ

20日の金曜日はとても楽しみにしていた日だった。
今年の年賀状は2つに分けた。1つは会社関係、これには本年で年賀状を終えること。友人と親戚には4月から住所が変わることとLINEのIDを書いていた。
何人かがLINEで連絡をくれた。そのうちの一人、M。
彼は新卒で入った会社の同期。配属から札幌支店だった。入社3年目で札幌に転勤した時、心強い存在だった。

札幌でくじけて会社を辞めた。くじけてという表現がいいかどうか、腹が立つことが多かったのだ。
そして実家に帰るのだが、その頃にMは結婚した。同じ札幌支店の女性だ。
Mは和歌山出身だった。その結婚式に呼ばれて行ったのを覚えている。それからも付き合いがあった。彼の子供が生まれた時に家に泊まりに行った。これは東京での出来事だと思っていたが大阪だったようだ。子供の歳から逆算すると1994年のことだったのだ。
そのあとに彼の今の東京の住まいの街で呑んだことも覚えている。これは自分が東京に来てからかと思っていたが、どうも出張で来ていた時のようだ。

もう一人Gが来た。Gは入社した時に同じビルの勤務だった。
入社した会社は事業部制で、同じ会社だが事業部色の方が強かった。大阪だけで3つのビル、同じビルにいないと合うことはあまりない。
Gとは札幌に転勤するときに送別会に来てくれて以来だと思う。たぶん、来たかと思うのだが。
19時半に新宿南口で待ち合わせ。時間があるので居酒屋Qで呑んでから行った。3人でグループラインを作っていた。早く着いたので「着いてるよ」と送るとGも居るという。
見渡すが解らない。ルミネのエスカレーター下と送ると声をかけられた。どこのオッサンかと思った。でも面影はある。腹が出ていた。
アパレルで女性相手だし販売員も女性。だから社員は男前が多かった。Gもシブがき隊のやっくんのような感じだったのだ。

少し遅れてMが来た。
Gとは35年ぶり、Mは少なくとも20年ぶりか。
その後は目についた居酒屋に入り3時間ほど喋りっぱなしだ関西弁で。入社したころの話、他の同期の事や先輩のこと。
何よりもお互い定年を迎えたことだ。Gは7年くらい前に辞めたという。Mは去年の定年と同時に辞めて今年から別の会社だという。
別れたのは22時半くらいか。
久しぶりの高揚感、久しぶりの楽しい席。翌日目が覚めてもその余韻を感じた。

土曜はいつものようにジム、2週ぶりの鍼。
2週間鍼をしなくて何が変わるか。生活していてそれはよく解らない。この2週間でも痺れは強かったり弱かったり。ただ鍼を打つと変化があるのは感じる。
足裏と甲の外側の痺れが強く感じていた。お尻とモモ裏も押せば痛い。典型的な坐骨神経痛なのだがこれまでのように下腿に強い痺れは無い。
鍼の翌日に感じたのは足裏の痺れがかなり弱まっていること。それはダイレクトに鍼を打つからだろうか、それとも坐骨神経自体を刺激したからだろうか。

土曜の鍼後は居酒屋Qというパターンだが、この日は休み。マスターのお兄さんが亡くなったというのだ。
それでママに呑みに行こうかと誘ったらゆきちゃんと呑みに行くという。ゆきちゃんは毎週来るお客さんでいつもヘロヘロに酔っぱらって帰る。
去年は和式トイレに座ったまま動けなくなり大騒ぎを起こしている。気の良い人なのだ、呑み過ぎなければ。イヤな予感も感じつつ3人で呑みに行くことになった。
鍼を終えてタクシーで2人が呑んでいる焼き鳥屋へ。
そこでボトル2本呑んで次はカラオケへ。平均年齢80歳くらいの人たちの社交場としてのカラオケパブ。何度か行っているが、本当はお年寄り専用だと思わないといけない。オーナーの趣味の店なのだ。

そいうう店だからいつも来ているお年寄りや店のルールに従わなければいけないと自分は思っている。
そこでゆきちゃんは近くに座っているお年寄りに絡んで全く何の意味のない会話をしたり、飲み物が無くなると注文しているのに遅いと手を上げてすみませーんを大声で連発したり。人が歌っているのに。
こちらの歌の番になって2本のマイクを同時に入れてハウリングした。そしたら店のママが大きな声で「マイク切って」と言った。
これに居酒屋Qのママが腹が立ったようだ。
いや腹を立てるところではないのだ。常識なのだ。それを客に偉そうに言ったとか文句を言っている。

店を出た。出る時にママがママに文句を言っている。もう2度と来ないとか。
うんざりだ。客商売をしている人の中には他の店に行くとこうなることがある。ふだん自分が客に我慢していることの反動が来る。自分だったらそうはしないのにとか、自分は今日は客だというような思いが強くなる。それは解らないでもない。
もうこの店には来られないのか、ここのマイクだと自分のヘタな歌も上手に聞こえていたのだ。
帰りにママの家で呑もうと誘われたが断った。マスターは遠方まで葬式に行って疲れて寝ているだろう。
人の事をどこまで思いやれるのか、それを言われてやることは誰でもできる。言われずに思うことが大切だと自分は思っている。

そんな土曜を過ごし日曜日はのんびりと家にいた。一歩も外に出なかった。
1か月ぶりに英会話がスタート。もうテキストはレベル3になっているので2時間くらいの予習が必要になった。そうだ、今日も英会話だ。
今週は寒くなるという。少し寒さに対する恐怖が緩和したが、やはり身体が硬直しそうで怖い。
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2023年01月19日

感覚麻痺なのかどうか

昨日は4月から自分の置かれる状況を書いたが実感はない。
常に変化を求めて動き回る時とそれと相反するずるずる日常に溺れる時。人の本能としては平静な日常を求めたいものなのだろう。
人類の過去を考えても狩猟しながら移動生活から定住による稲作と変化している。他の土地への侵略行動、これは現況への不満や‘隣の芝生は青い’的な欲望なのか。
何か自分からコトを起こすことはかなりのチカラが必要だ。

これまで自分の意とする大きなアクションは何かしただろうか。会社を変わるとかそういうことくらいか。
あとは会社の転勤で各地に住み、その各地で楽しく過ごしているのが現状。置かれた状況で対処する能力はかなりついたか。
言い換えればどんな状況でも自分の欲が消化できるように持っていくことに慣れたのだろう。これが受傷して全く左腕が動かない・左脚がほとんど動かないという状況になっても悲観的にならなかったことか。その時の自分の状況は自分でさえ理解しにくい。

身体の状態。
受傷後ずっと気になっていた左手首の冷感。これがほとんど感じなくなった。去年もそうだったか。
左手首のためにサポーターを何度も買っていたのだ、今やそれを付けようと思わないのだからかなり改善したのだろう。
感覚麻痺で冷感かと思っていたが実際に冷たかったのだ。
これは血流なのか。左腕自体に筋肉が付いたことで指先までの血流が良くなったからなのだろうか。
お尻の痛みはまだある。火曜日にジムに行った後少し痺れが強くなった。でも今はそんな苦ではない状態。2週間前と比べてどうかというと、押して痛い箇所が増えた気がする。
だがこの押して痛いことこそが感覚麻痺なのだろう。
感覚麻痺だからその押して痛い箇所自体の筋肉などは損傷していないのだろうか。
posted by shigenon at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月18日

4月から

先週の金曜日に親会社の総務から電話があった。今は親会社から出向している身だ。
今年の3月の誕生日で60歳、定年だ。役員になれなかった果てだ。
60歳になったらどうするか、これについては50歳位から漠然と思っていた、受傷前の健常な時に。
まず1番は実家に帰ること。18歳に家を出て一度は実家に戻ったがずっと出ている。昔から長男という重責を周りから言われ続けていた。就職でも相談することなく家を出たまま。
大阪⇒札幌と過ごした会社を3年で辞めて先輩の会社。そこも辞めて地元企業に入ったがそこから転勤の人生。

大きな休みは絶対に実家に帰った。年末年始・GW・お盆。素直に両親には言えないが、両親と過ごす時間を取りたかったのだ。
嬉しいことに両親は存命だ。自分の残りの人生、両親と一緒に過ごしたいという気持ちが強い。
受傷前に思っていたこと。
もう仕事はしなくてよいだろう。わずかながら蓄えがある。株の配当もあるし個人年金もある。週1回の平日ゴルフや週1日に近所に呑みに出るという計算でもなんとかなりそうかなと。
その頃はゴルフも絶好調だしシングルでも目指そうかと思っていた。
そう思っていてから変わったこと。受傷したこと・コロナ禍になったこと・両親が急に老いたこと。

受傷したことで何が影響したか。
元通りを取り戻そうと8年が過ぎた。健常なままであればゴルフも楽しいかもしれない。いや今楽しくないわけではないが、思いどおりに打てないリハビリゴルフだ。知らない人と廻って自分のゴルフを研鑽できる状態でない、ただのヘタだ。実家に帰ったら一人ゴルフで予約して知らない人と組み合わされても自信があったが今はどうだろう。
コロナ禍での在宅勤務。
何も仕事をしなくても過ごせた。よく退職して時間が余ってすることなく…という話を聞く。自分は過ごせるなぁと思った。株を売買して散歩してジムに行って。これでもう夕方になる。ただ株の売買で300万以上の損失を出した。時間があるということは余計なことをしてしまうのか。

両親はいつまででも元気でいるものだと思っていた。
思い込みたかった。ボケたり動けなくなったりすることを思いたくなかったのだろう。
大して歩けなくなった父親。物忘れが多くなった母親。一緒に過ごしてBBQをしたり買い物に行ったり温泉行ったり、もちろんまだ大丈夫なのだがアクティブなことは出来ない。
運転免許を返納し、近所に買い物には行くようだがそれも危ない。病院に行くのも姉や姉の亭主に頼り切りだ。

実家に帰省して1週間いるだけでも何度も母親にキツく言ってしまう。賞味期限の切れた食材を見つけたり不衛生なことをしたりして。
これが一緒に住むとなったらどうなのだろう。実家にいると高校生のままの状態になってしまうのだろう。その立ち位置も自分が反省しながら改めないといけないのだろう。
そして出した結論。
週に3日だけ働こう。社会との断絶…今の自分は想像できていないだけなのだ。しかも今は東京にいて友達もたくさんいる。実家に帰ったらどうだ。同級生はまだ働いている。そんなしょっちゅう会えない。
今は社会との繋がりがあるという前提があるから一人で何一過ごしても不安はないのだろう、間違いない。

夏ごろに親会社の取締役と話した。親会社は会社自体が若返ったため自分が知っているだけでも定年退職した人は3人だ。そのうちの1人はパートみたいな状態で働いていたように思う。もう10年以上前だ。それは営業系の話。工場もあるが工場は定年後の仕事も変わらないカタチで雇用しているようだ。
中堅企業が企業としての再雇用の仕組みを作っている段階なのだ、営業系の退職者をどう取り扱うか仕組みにしなければいけないのは理解できる。同一賃金同一労働という法令もある。
3月に定年と言う期限は決まっているのに全く連絡がなかった。親会社の総務担当は昔営業していた後輩だ。どないなってんねん!と電話しようと思ったが止めた。

そして先週の金曜日の電話。
夏の面談で親会社の別の子会社が介護関係の製品を販売しているので、そちら関係をやりたいと言っていた。実は23年前に親会社の中で新規事業として介護の部門の責任者をしていたことがある。
福祉用具専門相談員の資格も取得した。たぶん更新していないから消えているだろうが。
その面談の時に週3日の勤務も言っていた。
電話では親会社の部門に所属してその子会社の企画をやって欲しいと。
すかさず言った、週3日勤務でやるよと。給料は今の3割程度減。それで週3日となるとその4割減だろうか。今の42%ほどの収入だろうか。

でも週3日勤務だと社会との接点も維持しながら自分の時間も持てる。
両親を病院に連れていくこともできるだろう。平日昼間にジムに行って筋トレも出来る。平日の安い時にゴルフも出来る。
前年の税金を払えばほとんど残らないだろう、でも働かないよりマシだ。厚生年金も継続できるし保険も自分負担でない。
気が向いた時だけアルバイトをするのとは大きく違う。長年この会社にいたメリットは甘受したい。

新しい仕事に何の不安もない。
一応4月からの予定は決まった。あとは3月までどう今までのことを整理するかだ。
posted by shigenon at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月17日

うっそー、見えないです

昨日は客先の互例会。
そこの窓口としては充分な仕事をした。しかしもう3月で定年なのだ、後任を連れて参加。
見知った顔ぶれに挨拶をすると同時にもう担当替わりますよと告げる。「えっ、何で」「いや、もう定年なんですよ」「うっそー、全然そういう歳に見えないじゃないですか」
よく言われた、昔から。歳よりは若く見えるのだ。35くらいまでは20代に、45くらいまでは30代に。
それが50くらいになると言われなくなった。
30代前半まで若いと言われることは嬉しくなかった。年下と思われなめられるのがイヤだった。
もちろん良い面がたくさんなのだが、若いと言われるのが当たり前に思っていた。

それが言われなくなって久しい。その中で昨日は10人くらいの人から同じ反応をもらった。
この歳になったら嬉しさしかないと感じる。心の中ではオレって若く見えるよな?と思っていたのだ。
それは今年の3日にあった中学の同窓会で感じた。
還暦同窓会と銘打った同窓会。心の中で自分は参加した中で若く見えるぞと自慢したい気持ちがあった。
まあその評価は解らないが、若く見える方だったかなと集合写真を見ながら思うが歳なりと言えば歳なりか。
なんというかくたびれた感が顔に出ているのだ。決して疲れているわけではないのに。
これが加齢なのだろう。

昔からカッコいい歳の取り方を思っていた。それは外面も内面も。
ハタチくらいから思っていたのだ、それは思っているだけで何か努力をしたわけではないが。今から思えば無理して日に焼いたりしなければ良かったと思うが。
内面に関しては知識を付けることと色んな人と付き合って肌で感じる部分で自分に吸収できることは吸収できたように思う。物事を俯瞰で見る目も付いたか。
ただ自分の感情に左右されること、これは治っていないかも。少しはマシになったとは思うが。
その集大成の60歳が3月か。

身体の状態。坐骨神経痛の痺れが強くなったのだが少し収まった。
痺れの強さは緩和したが、まだお尻がピリピリする。足裏の感覚は悪くないのが良い。足裏の感覚が一つの痺れが強くなったかどうかの判断基準になるような気がする。

定年後の仕事等が大まかに決まった。これについては次回。
posted by shigenon at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月16日

鷹揚さをもつ

土曜日は鍼を休んだ。というのが元々この日は富岡八幡宮にお詣りに行く予定だった。
それが一緒に行く人の息子がコロナ感染、濃厚接触者なので行けなくなった。一人でお詣りも行く気がせず。
鍼は毎週土曜日に時間を空けてもらっている。土曜に予定が入ると解り次第早く言う。今月は再来週も会議なので1週おきになってしまう。
皆が行きたい時間である土曜の午後2時半という時間をずっと空けてもらっている。毎週行っているのだから気にする必要はないのかもしれないが。
いや、そういうことを気にする方だ。だから調子が良くて来週はいいやという風にはできない。
それが結果的に改善に向かったかもしれない。

調子は良かった。痺れも軽いままだ。
土曜日のジム、ルーティンワーク。ただ違ったのがマシンの順番。いつもローから始めるが使っていた。
空いているマシンから始める。前から感じていたことも検証したかった。
それは使うマシンの順番が変わると筋肉への刺激の入り方が変わるということ。いつもだいたい順番通りにマシンを使うが、たまに変えた時に荷重の感じ方が変わったりしていた。
脚のマシン3種類に対して腕や胸のマシンは5種類使う。

ローを3番目にするといつもの荷重なのに重く感じる。
脚のマシンをやっている間も両腕を閉じたり開いたりという動きをする。腕の筋トレ後のストレッチにもなり気持ちがいいのだ。
やはり腕の感じが違う。張っているのだ。マシンを使う順番で刺激の入り方が変わるのは間違いなさそうだ。これからは順番を変えるのも一つかもしれない。

ジム後に鍼がないのでまったりと家で過ごす。このあとは鰻を食べに行く予定だ。
金曜日にGo to eat 東京のクーポンを使うために検索していると前から行きたかった鰻屋が対象店だった。予約の電話を入れるが一人の予約は受け付けないとのことだった。
17時の開店の前に行く。一人ですけどと言うとアルバイトの子は少々お待ちくださいと中に入る。一人客はあまりいないから入れていいものかどうかの確認なのだろうか。半分は予約で席が埋まっていたが空いているのだ。
まあ不審な人には見えなかったようで無事入れた。

焼き物は時間がかかるだろうとビールのアテに1品たのんでキモ焼きと特上。1品は遅く来たのでたのむ必要はなかったか。
店で鰻を食べるのは久しぶり、それほど濃くないあっさりのタレで美味しかった。うな肝がこれまで食べた中で一番美味しかった。
鰻屋の後は時間を潰してバーに行こうと思っていたが、お腹がいっぱいになり何の水分も入りそうになかったので帰宅。帰っても呑むことすらできずにマッサージ機で時間を過ごしていたら眠くなった。
たまの贅沢もいいものだ。

日曜日にトイレで目が覚めるとお尻に痛みが。立ち上がると右下腿の痺れが強い。
どうしたのだろう、何か変な動きはしていない。筋トレやストレッチで違う動きもしていない。強いといっても痺れが弱くなったと感じる前位の強さか。右足の甲が痺れている、これはいつもそうだったのがいつの間にか消えていたので久しぶりの感覚。
消えていた箇所に痺れが加わると解るのだが、痺れている箇所の痺れが強くなっても気づきにくい。
膝の前とかハムとか痺れが無くなっていた箇所が痺れ、下腿の痺れに繋がっている。坐骨神経痛による痺れだ。

慌てることはしない。慌てたところで何も変わらない。
仕方ないなくらい思って再び寝る。日曜日も予定なく家でまったりだ。起きて洗濯をしたり灯油を買いに行ったり部屋の中をウロウロしたりしていると少しマシになってきた。
去年も1月の下旬に急に痺れが強くなっているのだ。そんなことがもう起きないくらいに快調な日々が続いていたのだが、こればかりは自分でもどうしようもない。気を付ける項目がよく解らないのだ。
起因を考えるが、ストレッチで膝を折り曲げて腹にくっつけるストレッチくらいしか思いつかない。それがお尻に効くストレッチなのだが、そんなのは毎回やっていることだ。
今は金曜日の状態と比べてそれほど変わらないように思う。

介護はまわりの人が頑張りすぎないこととよく言う。それは自分じゃなくて人が対象だが。
リハビリもそうかもしれない。何も自分で努力していない人任せな人は別だ。神経に起因することは脳も関わっているから思った通りになるわけでもない。ただ良い方向には持っていける。その中でちょっとしたことで状態は変わるくらいの鷹揚さを持つことが大事だろう。他の人は知らないが自分は頑張っている方だと思う。生真面目な性格でなくて良かったのだ。
posted by shigenon at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月13日

アナミさんからの電話Bとママからの電話J

そうだ、年明けにアナミさん、今週の火曜日にママから電話があった。
アナミさんやママ…大阪時代のお好み焼き屋のママ、そこで知り合ったアナミさんについては何度も書いている。
アナミさんは前に電話がかかった時に調子は良くないと言っていた。頚椎症のような症状。どうなの?と聞くと元気ですよと。
去年の夏は久しぶりに潜りに行ったという。アナミさんとは3回くらい潜りに行って岩ガキやサザエ、アワビを獲った。アワビはアナミさんが沖まで潜りに行って1時間は帰ってこない。そんなアナミさんなのだ、調子が悪くても復活できると思っていた。

アナミさんはママに電話するが繋がらないと言っていた。えっ、そうなのと返してそのままだった。
先週の金曜日に見知らぬ番号から会社携帯に着信があった。気にはなったが放置していた。そして火曜日に洋食屋で呑んでいたら個人携帯に着信。これも登録にない番号。
出るとママだった。どうも番号が変わったみたいだ。
いつもママには年賀状を書いている。そして年賀状のお礼はいつも電話なのだ。アナミさんが心配していたことを伝え、しばらく世間話をした。元気そうで安心した。
思えばママのお好み焼き屋に行っていたのは20年前なのだ。飲食店の店主と客で20年の付き合いとは素晴らしい。山口の焼き鳥屋のマスターは33年の付き合いか。

今日は週末。居酒屋Q。
Go to eat 東京のクーポンを買っている。8000円で1万円使える。この期限が1/25までだ。土曜日は対象店を探して行くことにするか。
posted by shigenon at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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shigenon
2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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