アフィリエイト広告を利用しています

2024年04月24日

対策を打つ

「頭痛―る」というアプリを入れた。気圧の変化を見ることができるというアプリ。
ここまで低気圧に影響を受ける状態は数年ぶりだ、何か体質が変わったのだろうか。まあ自然現象だが、対策はあるようだ。
耳の奥にある内耳の気圧センサーが、気圧の変化を感知する際に過剰反応し、それによって自律神経のバランスが乱れて様々な不調を引き起こすことが原因らしい。耳の周りの血行を良くすることによって防げるらしい。まあやらないよりやった方がよいのだろう、アプリの危険予測時間を見ながらやってみるか。

昨日は母親を連れて銀行へ。カードを紛失してしまっている。
知らなかったが、郵便局は通帳だけでもお金をおろせるようだ。去年、銀行に連れて行った際に通帳だけ持っていっていておろせなかった。そのことがあって以来、通帳とカードをセットにしていたのだが、またバラバラにして、挙句の果てにどこに仕舞ったか判らなくなっている。
銀行印もそうだ。たくさん印鑑があり、どれがどの印鑑か判らない。この銀行の印鑑がないとカードの再発行も出来ない。
朝、すべての印鑑を出すよう言ったが、どうも前見た時より印鑑の数が少ない。これで全部か、絶対他にもあるよと言ったが本人は全部だと言う。それで言い争いにもなった。

銀行で印鑑を確認してもらう。通帳も母親と父親の二人分。2枚のカードを紛失している。
母親の通帳の印鑑は持っていった印鑑の中にあったが、父親の印鑑がない。やはりすべての印鑑ではなかったのだ。母親分だけ再発行手続き。帰って残りの印鑑は見つかるのだろうか。父親のカード再発行にまた来ないといけない。
もう一回探してと言って部屋へ、なんか疲れて寝てしまった。
起きて母親に印鑑はあったか?と聞くと何のことかというような顔。印鑑を出してというと3つの印鑑を出す。そこには、前に銀行名と父親の名前のシールを貼った印鑑があった。
本人は今朝からのバタバタは覚えているのかどうか。見ている限り忘れているような感じだ。

これが認知症なのだろう。その時その時にちゃんと反応できるだけ良いのだろう。
悪いことを忘れてくれるのは良いことだ。ついつい怒っていってしまい、言い争いになるのだが、それすら忘れている。怒ってはいけない、怒っても仕方ないと思いながらも、腹を立ててしまう。まともな人を相手にしているようにしている自分がいる。母親の認知症を認めたくないのだろうか。
確実に忘れるスピードは速くなっているようだ。もう何かを学んで気をつけるということは出来ないのだ。今やっていることを忘れないようにする手伝いをしなければいけないのだろう。
怒鳴って怒らせることは良くない。気分よく調子を合わせてあげることをしなければいけないのだろう。

夜は21時には寝ているのだが、帰ると物音で起きてくることがある。
満面の笑みで「明日休み?」と聞いてくる。1日おきの出勤だ、聞くまでもないことなのだが。いつまでたっても子供なのだ、母親にとって。
最後は両親と一緒に過ごそうと思って実家に戻ったのだ。その想いを忘れてはいけない。その想いをちゃんと成し遂げないといけない。

一昨日、低気圧で手の痺れが強く感じた時に手のリンパマッサージをした。
それは手の甲に5指を押し当てて指先に向けて流すように動かす。それだけのことなのだが、手の痺れが大きく緩和した。
今日は雨。一昨日ほどではないが重い感じはある。
【このカテゴリーの最新記事】
posted by shigenon at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月22日

思い込ませる

やはり幾分痺れを強く感じている。
部分部分の痺れの強さを感じたり、気圧の影響と思われる身体の曇った状態は有ったのだが、この1年くらいはあまり気になっていなかった。
最近の右脚下腿の痺れは、ジムでフットローラーで解消していた。それが解消しきれなくなったような感がある。

強く感じるのは、両手の痺れと右下腿の痺れ。右お尻の痛みはあったりなかったりだからこんなもんか。
両肩の疼痛も久しぶりに感じている。
これまでと同じように、気にしないで過ごそうとすれば気にはならないのだが、時々我に返った時に痺れを感じるということは強くなっているのだろう。
かといって耐えられない状態ではない。痺れを忘れられるようクセ付いている。
痺れが強くなるメカニズムが未だ理解できないのだから対処のしようもない。単に硬くなった筋肉をほぐすことで血流が良くなって神経の疎通が良くなるくらいの理解。だからフットローラーで物理的に硬くなった筋肉を押しつぶす。

右下腿はフットローラーの筋肉押しつぶしで解消していた。
フットローラーを使っている時は皮膚が裂けていても気づかないほど気持ちいいのだ。フットローラー後にストレッチポールで右ふくらはぎをゴリゴリ押し当てると、全く筋肉の硬結が無くなっているのが判る。小麦粉のダマを良くかき混ぜることで無くなるようなイメージ。
筋肉の硬い部分が無くなると色んな流れが良くなる。血液、リンパ、神経。それによって痺れも緩和。

気圧配置を見ると西側に低気圧。良い天気だったかと思えば、考えたら雨も続いた。はり気圧配置なのか。気圧配置に影響しない身体になったと書いたのは1年ほど前のことだが、そうではなかったようだ。
気圧配置を見て納得したのだが、見て「仕方ない」と思う気持ちが脳の気にしない作用を弱めさせる。病は気からという精神論はある面正しいと思う。
去年実家に戻り、あまり悪化したように感じなかったのは悪い状態を過ごしていない街に変わったからだろうか。悪い状態を過ごした環境、部屋や歩いている街の風景だと、悪化した状態に馴染んでいる。
プラセボ効果を自分の中に植え付けないといけない。
これをやれば良くなるという思い込みは大事だ。実際、これまでもそうしてきた。

まあ立って歩けているのだ、痛みや痺れは人には見えない。
健常人に見えている幸せを感じよう。
posted by shigenon at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月19日

指の動き

健常な人の普通の状態を忘れてはいけない。でも、不自由な状態が10年も続くとそれが当たり前になってしまう。
これは良し悪しなのだろう。ずっと健常な状態と比較して暮らすのは苦痛だ。いつも辛さを抱えないといけない。一方、その不自由さに慣れてしまうと改善に対しての危機感が気薄になる。
何度も書いているが、痛みや痺れは慣れる。慣れるという言葉が正しいかどうかは判らないが、常に意識しないようにはできる。脳のコントロール。

指の動きをしばらく意識することはなかった。
左人差し指だけが曲げて伸ばす時のスピードが遅い。今も続けてやっているが、グーパーをやることで少しは改善されたし、続けていることで維持できているのかもしれない。
それ以外は気にはしていなかった。指を使わないと生活はできない。パソコンの入力もそうだし、何かを持ったり。ただ、細かく動かすという動きを避けていたのだろう。
力を入れて複数の指を連動させるという動きをやらなくなっていた。ただ愚直にグーパーを1日50回やることで満足していた。

この前、ちょっとした動きで指の動きがすごく改善された。それで気づいたこと。
今までは5本の指を同時に動かして何とか動きが良くならないかと模索していた。それを中指から小指までの3本のグーパー、人差し指と親指だけのグーパーと分けてやってみた。
そうすると5本動かす時と違う刺激が腕橈骨筋に感じる。かなり心地よく、筋肉が付く感覚がある。指を分けることで、動く筋肉と止まる筋肉との拮抗があるのだろうか。

久しぶりに刺激を感じる動き。身体に刺激を感じると何か良いことだと思い込んでいるのもしれない。でも何か刺激を入れないと身体は変わらない。少なくともこのブログを始めた2017年からどれだけ身体が変わったか。キズではないのだ、自然治癒はしない。

気づけばGWが目の前。前半は倉敷の旅、後半は奈良の旅を計画している。
posted by shigenon at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月15日

股関節&足首

金曜日は出汁巻き玉子の美味しい居酒屋で。
月水金の外呑みの選択肢は4軒。この出汁巻き玉子・おでんの居酒屋、と焼き鳥・おでんの居酒屋2軒、おばんざいの店、魚の居酒屋。
何のために酒を呑むのだろうと思ったこともないことを考えたりする。決して、たぶん、アル中ではないのだが、飲酒はまぎれもなく生活の中で大きな部分を占めている。
今、会社のある事を策定する資料を作っている。久しぶりに考える仕事だ。何事もそうだが、目的や意味をきっちり定義しないといけない。そんなことをやっていて何のために呑んで帰っているのだろうとふと思った。
まあ、それについては今日考えながら呑もう。

土曜日は同級生会だった。あれほど楽しみにしていた同級生の集まりなのだが、前よりも行く楽しみが感じられなくなった。もちろん楽しいのだが、ここまで頻度が高いと飽きてくるのだろう。
2か月に1回なのだが、先月に幹事会があったからなのだろうか。
まあ、それでも腹いっぱい食べて呑んで、2次会は行かずに帰った。2次会は1万円程度支払わないといけない、別におカネに困ってはいないが現役時代と同じように思ってはいけない、年収は4割もないのだ。1万円あったら他に使うことがあるだろうなと、あまり今まで考えたことがないことを思うようになった。

金銭感覚はしっかりしているようでだらしない。基本的には節約家なのだが。
誰でもそうなのだろうが、自分の満足に使う分には全く惜しくない。ゴルフ、飲食、株。といっても変な所で細かく考えてしまうこともある。
家計簿のアプリを付けている。入ってくる収入に見合った生活をと思いながらも、現役時代と何ら変わらない支出だ。まあ株の配当やらなんやで、とりあえずは大丈夫だと試算しているが。
個室に入院して毎日2万円以上の部屋代を支払っていたことを思うと、800円のラーメンに300円のトッピングをすることなど躊躇する必要はないのだ。

金曜日に少し痺れが強く感じると書いたが、それはあまり解消していない。
動くことに不自由を感じないから細かいことを気にせずに過ごしている。それが良いことなのか悪いことなのか。
これまでは身体の変化に敏感だった。このブログを書き始めた意図も、自分の身体の変化を記し、意識することで良い方向に向ける目的もあった。
慣れて身体の調子の波を理解できたのだろう。良いときと悪いとき。だから気にしなくなったし、細かく気にしていると気分も暗くなる。

土曜日、日曜日のジムではいつもの筋トレ、そしてストレッチは股関節と足首の柔軟性を高めることを。
足首がナナメになる角度のついた台があるのだが、これが案外効果を発揮する。
土曜日の同級生会は掘りごたつの座席だったが、胡坐がかける自分に驚いた。ストレッチをしてすぐだったからだろう。しばらくすると両脚の角度ははね上がる。
胡坐と、いわゆる「ウンチ座り」は出来なかった。これも小学生の時から。おそらく子供のころから身体の使い方を理解していなかったのだろう。

受傷による麻痺した状態でスムーズに歩くには柔軟性が必要だ。曲げて伸ばすアローワンスを持たないといけないと気づいた。固まった状態になるとき、例えば膝関節が固まったとしても股関節や足首をうまく使えたら上手に歩くという行為は達成できる。調子が良いとき、股関節や足首が柔らかいと駆けだしそうなくらいの感覚を持てる。
受傷は関係なく、股関節と足首の硬さはいつか解消しないといけないことだったのだろう。ふつうの生活をしていたら、そんなことを気にかけることもなかったのだろう。

月曜日。そんな辛くないのは明日が休みだからだろう。
歯医者、母親の介護認定の調査員訪問がある。同級生が個展を開いているので覗きに行こうか。
posted by shigenon at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月12日

Sマスターと呑む

昨日は東京から元居酒屋Sマスター夫婦が遊びに来た。
居酒屋Sは2003年に東京に引っ越した日に入った店だ。その前の大阪でもそうだったが、引っ越し初日に入った店にずっと行っていた。まるで家猫だ。
東京に引っ越した初日、かなり家の周りをウロついたのを覚えている。最初に入る店はずっと行くようになる店だと自分でも思っていたのだ。家の近所というのが重要だ。
その通り、居酒屋Sには閉店する2012年だったか?までほとんど毎日を過ごすようになった。東京での友人もここで知り合った人が殆どだ。

居酒屋Sでは18時半から23時ころまで過ごした。365日のうち、出張や帰省以外の日のほとんど毎日。
焼酎のボトルを入れた日は5000円、入れない日は3000円。2日に1回900mlのボトルを飲み干していた。食べ物の注文は殆どしない。マスターが作って出してくれる。腹が張って満足するまでだ。
ここの客はほとんど近所の常連さん。なぜかこの店とここのお客さんに馴染んだ。帰ろうと思ったら次の常連さんが来るといった状況だったので、長い時間呑むようになった。
ずっと話していた。マスターや常連さんと。
マスターは睨みのきくタイプ、変な客は来ない。どれだけの時間を一緒に過ごしただろう、どれだけ話しただろう、自分のことを一番わかっている人かもしれない。

店が閉店してからもたまに会っていた。
自分が受傷し入院したことを知ったのは、年始に呑みに行こうと電話をくれた時だったようだ。自分は忘れていたが昨日聞いた。病院へは何度も見舞いに来てくれた。
奥さんとも何度も会って親しくなった。呑みにいく時は奥さんも一緒に来た。東京を離れる時はふぐ屋で送別会をしてくれた。

昼過ぎに到着し、車で近郊の名勝地に連れて行った。瀬戸内海が見渡せる道の駅、桜で有名な公園。なんとか桜は持ってくれていた。そして夜は魚の美味しい居酒屋を予約していた。
良く呑んで食べた。今日はそのまま別の地に泊まるらしい。
最後は固く握手をして別れた。

これまで色んな人と知り合い、同じ楽しい時を過ごしてきた。
人と知り合い仲良くなるということは、その人に魅力があるからだ。
これから新たな人間関係を構築する人が出てくるのだろうか。人が魅力を感じてくれるよう自分はまだ輝いているのだろうか。

身体の調子。右脚の下腿の痺れはやや強い。
ジムで筋トレをしてフットローラーでほぐすと翌日は調子いい。それに加えて股関節のストレッチ。
全てとは言わないが、簡単に家でもできることもあるのだ、少しは家での対策もやらないといけない。
posted by shigenon at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年04月01日

この1週間

これまで1週間ブログを書かなかったことはなかったか。
あまりにも変化のない生活なので書くことが無いのも事実なのだ、変化というのは生活もそうだが身体も。
火曜日は歯医者。今まで受けたことのない治療としては、かぶせを外して土台のまま数か月放置してあること。グラついている土台がしっかりするらしい。右下、左上は土台のままで他の歯の治療を進めている。前歯の差し歯もやり直すから、あと10回は通わなければならないのだろう。

土曜日はゴルフだった。去年の10月以来だ。
ずっと雨だったり朝晩は冷え込んだりだったが、この土曜日は快晴。気温も高くなった。いわゆる絶好のゴルフ日和なのだ。ただゴルフ気分が自分の中でまだ盛り上がっていない。
自分にとってゴルフを楽しむ要素はいくつかあり、イメージした良いショットを打つ・良いスコアが出る・レジャーとして呑んで楽しめるなどだが、一番はリハビリとしての運動。
リハビリとしてのゴルフはとても行きたいのだが、それ以外をあまり思わなかった。会社のゴルフだからだろうが、やはり昔の仲間とだったらスコアを握ったりするからそれなりの緊張感や呑む楽しみを持っていたのだが。

今回は何も考えずに打つだけのゴルフだった。リハビリとしては感じることは多数ある。
ずっと書いているゴルフ後の脚の調子。これを思うと、それはかなり歩くことに難があった頃なのだろう。確かにコース内を歩くことも必死だった。今ではほとんど苦を感じずに歩ける。ただ疲れやすさはあるからカートに乗るが、前とは全く違う。
スウィングをして、健常な時と受傷後しばらくとの違いが感じられるのも良い点。脳は同じような命令を下してそれに筋肉が反応してクラブを振るのだ。健常な時と何が違っているのかがよく判る。
少なくとも左腕の可動域はかなり良くなっていることを感じる。力強さも出てきた。
ただ、それとスコアは別物だ。もうスコアは付けなかったが酷いスコアだった。こんなゴルフをしてはいけないのだ、それはもはやゴルフではないのだ。

ゴルフの翌日にジムに行ったことはこれまでほとんどなかったかもしれない。
やはり脚の調子よさは感じる。これまでも書いたように足首の柔軟性が大きな要因。ジムでストレッチをした時にそれは確信に変わった。右足首の前傾が通常よりもかなり良い。つまりは足首の柔らかさを保てば歩行も良くなるということなのだろう。
鉄のクラブを振ることは筋トレと同じだ。ジムでいつものマシンでいつもの荷重なのだが、ゴルフで使った筋肉に刺激が入っているのが判る。違う動きは大事だ、そこの筋肉を起点として中枢神経に働きかけれるように感じる。末梢神経が中枢に働きかけるという考え、これはほとんど動けないときにそうならないかと夢物語のように思ったことだが、経験上実際にあると思っている。

昨日、日曜日にジムから帰ると母親から息子が来たと伝えられる。
火曜日に大学入学のお祝いを送っていた。その礼にと来てくれたらしい。元奥さんの運転で。30分早く帰っていれば会えたのだろう。
でも思う、自分は息子に会う心の準備は何も出来ていない。息子はどうなのだろう、居るだろうと思って来たのだ、自分の記憶にない父親に会う心の準備は出来ているのだろう。彼にとっては全く記憶にない父親、自分にとってはつい昨日のように思い出せる、ただ赤ちゃんだが。
その間、どう育っていったのか、似たような歳の子供が気になったこともこの前のことのように思う。
このブログを書き始めた2017年は12歳だったのだ。

会えることが現実に近づいてきた。何度も夢見たこと。
どんな顔で何を語ればよいのだろうか。何も考えなくて良いか、いや多感な年ごろなのだ、悩む。
一番望んでいた嬉しいことが現実に近づいた時、それは無感覚に近いような感覚で何も考えられない。

今週は桜が満開になるだろう。珍しく週末は花見に出かける。
posted by shigenon at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年03月25日

旅の話の続きと61歳の誕生日

志賀島の翌日、別府に向かうのだが、博多発の特急ソニックが10時20分発。9時の船に乗らないといけないので8時半のホテルバスで志賀島港へ。
港に着くと博多ふ頭までの船が欠航と出ている。なんせ風が強く時化ていた。仕方ないのでJR西戸崎駅に向かう。海の中道大橋で博多まで繋がっている。
ちょうど良い電車があったので安心。ところが乗り換えを待っていると、風の影響で飛来物が架線に引っかかったとかで電車が遅れている。まあまだ余裕のある時間だ。

博多駅に着いて一服しようとしていると放送が。ちょうど乗る予定の特急が運休になるという。
それに乗らないと、別府で予約している地獄めぐりツアーに間に合わないのだ。時刻板を見ると10時の特急が遅れて入ってくるようだ。その特急の自由席に並ぶ。その電車は30分遅れの10時半に出るのでなんとか別府には予定に近い時間で到着した。
昼食後に別府温泉地獄めぐりのバスツアーに乗車。バスガイド発祥の会社・亀の井バスのツアー、さすがにバスガイドさんの説明も良かった。3時間のツアーだが、これをレンタカーを借りて一人で行ったところで、ただの温泉が湧き出た絵ずらにしか思わなかっただろう。案内があってこそ楽しめた。

別府のホテルは安い価格のビジネスホテル。SNSの友達と呑みに行くから寝るだけで良い。
でもさすがに温泉地、温泉の大浴場があった。風呂に入って友達からの連絡を待つ。風呂を出るやいなや、早く終わったので別府駅に向かっているとの連絡。18時ころから駅近くの居酒屋で呑み始めた。
彼とはもう2年前になるだろうか、同じSNSのグループの友人たちと奈良に旅行を計画した時、急に別府から参加してくれた。それ以降はグループへの投稿やコメントのやり取りだけ。
会うのは2度目だが、そういったやり取りがあるので親密感を感じる。彼は歌が好きなので、居酒屋の次はスナックへ。日付が変わるまで呑んで歌った。

翌日は帰るだけ。ただ特急を降りる北九州で一旦途中下車を予定していた。
ラーメンが大好きなので、ラーメンを食べて帰ろうと。前に旅行に来ていた北九州の男性と呑んだことがある。看護師をしているという男性、シフトだろうから休みかなと期待したが仕事だった。
彼にラーメン屋を聞いていたが、そこはJRを乗り換えていかないといけない場所だったので諦める。駅の近くにある老舗のラーメン屋へ。残念ながら期待した味ではなかった。
想定の時間よりも早く帰った。家に帰ると案の定夕食に用意していた食材を食べていない。

母親の認知症がまた進んだようだ。覚えてられる時間がだんだん短くなっている。
日曜日の昨日の朝には、朝の6時に起こしに部屋に入ってきた。日曜日だと判らずに朝食も作っていた。それ以外にも言ったことに返事をしながらも、やることは全く間違えたことをする。夕食の準備は自分がするから何もしないでねと言って、わかったと言った1分後に台所で翌日の両親の夕食用に買った魚を調理しようとしている。

22日の誕生日は楽しく過ごした。自分にとっても新しい人生の始まりかもしれない日だった。それについてはまた書くかもしれない。
それに加えて嬉しいことがあった。息子が家に来たのだ。それは誕生日の22日の午後15時ころ。自分がいないタイミングを計ってなのだろうか。それはお互い会うには、まだ時期ではないのかもしれない。受験の結果を持ってきてくれた。旧国立1期校である大学の法学部に合格したという知らせ。
自分には全く届かない大学だ。真面目に勉学に取り組んだ成果なのだろう。それをサポートしてくれた彼の母親にも感謝だ。

1週間ぶりにジムでの筋トレ。
筋トレ後に筋肉痛を感じている。筋肉が落ちる感覚が加齢とともに早くなったのだろうか。
今日は歩く感覚がすごく良い。これも筋肉がパンプしているからだろうか。旅行前からけっこう呑みが続いている。土曜日は同級生会もあった。今日は出勤しているので呑んで帰る日だが、なんとなく呑んで帰る気がしない。総菜でも買って帰り、家でビール1缶くらいにしておこうか。
posted by shigenon at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年03月22日

60プラス1

楽しい旅だった。
仕事を終えて岡山へ。岡山から夜行バスで博多。岡山での2時間弱は適当に駅前の店で呑む。やはり旅は呑んでスタートしたい、呑むことでプライベート感を感じる。
高速バスは最悪だった。後輪のタイヤの上で揺れが酷くてほとんど眠れなかった。やはり席選択ではタイヤのの上は避けないといけない。
朝到着、予定通り朝ラーメンを食べて博多ふ頭へ。船で志賀島に向かう。

船に乗る頃に雨が降り出した。ずっと晴れ予報だったのに。
志賀島に着くとすぐ近くの予約していたレンタサイクルへ。雨は強い、コーヒーを飲んで貸し出しの時間を遅らしてもらうが止みそうにない。小雨になったところでスタート。まずは金印公園へ。
漢委奴国王の金印が発見されたのは志賀島。確か畑の中から出てきたと記憶していたが、公園は小高い山になっていた。
金印公園を後にする頃には雨が激しくなってきた。風もある。借りたのはクロスバイク。運転しながら片手を放してみるが、片手だとハンドルがぶれる。こらが受傷前だったら片手でもしっかり持てたのだろうかなとか考える。

次に立ち寄る箇所を見ながら走る。塩見公園と矢印があるが、急な坂を上らないといけないようなのでパス。雨の中、潮の流れを見る気はない。
とにかく海を見ながら走り続けた。雨が強くなっても雨宿りをする場所はない。アップダウンもあり、これは大腿四頭筋を鍛えているから耐えられるのだなと思いながら漕ぐ。
このままだと1周はすぐ終わってしまう。レンタサイクルは3時間、あまり早く返すのももったいない気がする。ただ風雨で寒かったので、港に戻って酒でも飲もうかなと考えていた。
途中、ホットドッグの店があったので、そこに寄ることにした。ホットドッグを食べている間に晴れ間が出てきた。

ホットドッグは美味しかった。その後は志賀海神社に行って終了。なかなか大きな神社だった。
レンタサイクルの店はカフェメニューもあったし、ビールもあった。ビールでも飲みながら港に来るホテルのバスを待とうと。
するとビールが品切れという。このお店は地元のコンビニ的な存在でもあるようで、日用品や食料品も置いていた。ビールも売っていて、それを買って飲んでも良いという。
原価のビールを店で飲みながらバイトの若い男女と色んな話をする。60歳だと言うと、久しぶりに大げさなリアクションでえぇ〜と言ってくれた。久しぶりだ、その歳に見えないというリアクション。これがすごく嬉しい年齢になった。精神的に歳をとったのだろう。

バスでホテルへ。バスには韓国人カップルが先に乗っていた。
ホテルは一人で泊まるにはもったいない部屋だった。眺めも良い、窓からは海が見える。すぐにお風呂に浸かり、疲れていたので横になる。バスでは3時間も寝ていない。
食事はビュッフェスタイル。このホテルチェーンはビュッフェなのだが、なかなか美味しい。一昨年の東北の旅で乳頭温泉に泊まった時に利用したチェーンだ。
食い気はまだある。全種類の料理の8割以上は食べただろうか。何度も何度も料理を取りに行く。合計6回取りに行っている。
かなり食ってテーブルを離れる。同じ時間に食事を始めたバスで一緒だった韓国人カップルはまだ食べていた。少し敗北感を感じた。
夜はすることがない。港で買っておいた日本酒を呑むが、眠気もあり早く就寝。

今日は61歳の誕生日だ。感覚としてこれまでと違うのが、歳が増えるというより何かが失われていく感じがある。
まあ顔に歳が書いているわけでもないのだ、この前のバイト君のリアクションを励みにしよう。
身体は特に不具合はない。旅という脳が喜ぶことをしたからか。
以降の旅についてはまた後日書こう。
posted by shigenon at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年03月18日

楽しい週の半ば

♪東京へはもう何度も行きましたね〜♬♬という歌が頭の中にこだまする。かなり古い歌だ。
木曜日は大阪で呑んで高速バスへ。この便は朝早く着くのでネカフェで時間を潰す。そしてかつて住んでいた街へ移動してジムへ。
もう東京を離れて1年になるが、8回目の上京になる。住んでいた家の前は工事中だった新築も完成し、生活を感じるようになっている。
ジムの筋トレ、前回もそうだがレッグカールが軽く感じる。モモ裏の筋肉が付いたのだろうか。横屈伸も完全にお尻を下せるようになった。股関節の継続したストレッチの効果だろう。

昼飯は洋食屋へ。6週間ぶりなのだがそんなに時間が経ったとは思えない、2週間ぶりくらいな感覚。
これは気を付けないといけない、3倍の時間感覚の麻痺だ。
1時間半、ママとお喋りして鍼へ。自分は関西のおばさんくらい話好きなのだ。
洋食屋を出て鍼へ。鍼が必要無いくらい、全体的には不調はなかった。右モモ横・裏・前の付け根、右足首の前が押せば痛かったのでそれを言うくらいか。
基本的に打つ箇所は同じなのだが、自分で気づかない状態を診て打ってもらえるから安心だ。前提にはここに打ったら良いだろうというセンセイの診立てを信用している。

痛い箇所にそのまま打って改善できるものではない、痒いところを掻くのとは違う。ただ深層部の痛みに届かすには鍼しかない。
最後の仕上げに立っった時に、今回気になっていた右モモの付け根を打ってもらった。3寸の鍼が根元まで下に入る。実際に鍼が体内に入るのは見ていて気持ちが良いものではない。
鍼が終わる夜は元同期との呑み会。東京を離れる時に会ってからだがより仲良くなった気がする。
土曜日に大阪でSNSの友達との呑み会があったので、翌日は大阪へ。昼からお好み焼き屋で呑んで、最後のカラオケまで。

日曜日はゆっくりジムへ。やはり鍼後に筋肉を伸ばすのは良いことなのだと改めて思った。鍼で刺激を受けて筋肉に酸素が送り込まれたように感じる。
ストレッチをしながら鍼前に気になっていた箇所、モモ横・裏、モモ付け根の痛みが殆どないことに気づく。モモ横と裏は鍼を打っていない。ということは足先まで響くお尻に打った鍼が効いているのか。
モモ付け根の痛みが消えているのには驚いた。直接の鍼で効果が出ることはあまり経験がない。あの痛みは筋肉の痛みだったのだろうか。筋肉の痛みならあり得ることなのだろう。

今夜から博多、志賀島、別府への旅。
今日は出勤して、時間があればゆっくり回る場所を見ようと思っていたが、思いのほか仕事が忙しい。このブログも休憩の合間に書いているから脈絡がない話になっているだろう。
気分は東京から続く旅の途中なのだが。
posted by shigenon at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2024年03月13日

時間

早いもので、もう6週間が経ったので明日から東京。
年齢とともに月日の過ぎる感覚が早くなるか、いやそれはない。その時の自分が置かれた環境だけなのだ。仕事に忙殺されていた頃は年明けから4月までがすごく早く感じた。納期を意識した仕事をしていた時も時間は早く感じた。
迫りくる期日や時間に焦ることが大嫌いだ。例えば時間を約束していたら、その時間より前に到着できるよう準備をする。期日のある仕事の時は、その仕事のフェーズを考え周到にスケジュールを組んでた。ギリギリのことをやると神経を大きくすり減らす。それが自分の性分なのだろう。

時間は誰にも平等に与えられている。それを精いっぱい楽しめるかどうかは自分次第なのだ。
そんなことは百も承知ながら、無駄な時間を消費しているのではないかと思ってしまう。アウトプットに対する時間の使い方という観点で見れば、最小の時間で最大の効果なのだろう。
一つの約束のために何度も電車の時間を確認し、万一に備えて早めの行動をとる。同じ約束でも、違う人はギリギリで間に合わせるかもしれない。ただ、その費やす時間の差をどう使っているかだけなのだが。

実家に戻った今の生活は何か目標があるのか考えると、何も思いつかない。
最大の目標は、年老いた両親と一緒に過ごすだ。だが過ごす中でもっと考え、やってやれることをしなければ、ただの自己満足だ。両親も高齢だ、今の状況がずっと続く訳でもない。
自分のことはどうなんだろう。この先の自分に向けたことを考えないといけない。

受傷したことで少なからず目標が出来ていた。
失った機能を取り戻すこと。そして元通りの生活をすること。
ただ、元通りの生活に何か目標があったかと考える。小さな目標はあった。ゴルフで80を切るとか。人生の先・定年後を考えた時は、漠然と遊んで暮らすことを思っていた。それは目標ではなく時間の過ごし方ということだけだった。週1ゴルフに行って、後はジムに行って、月1で旅行に行ってと。
人生においては仕事のようにタスクはない。どう生きるか、どう時間を過ごすかは自分次第だ。そんなことは長く生きてきて十分に分かってはいながらも、社会に迎合する生活をしているうちに目先のことだけを考えるようになってしまうのか。

そろそろ誕生日が近づく。
ハタチの頃には想像もつかなかった歳。ハタチの頃、色んなことを経験したいと思ったのは覚えている。保守的ながらもハタチから今まで経験したことは沢山だ。
今を楽しみながら、その先にあるモノを明確に考えないと。
posted by shigenon at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
ファン
検索
<< 2024年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
shigenonさんの画像
shigenon
2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
プロフィール