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2024年08月26日

喉の痛み

この前の弱っちい脚、会社を出て呑みに行くときには弱っちさは無くなりしっかり地面を踏んでいる感覚に。
本当に不思議なのだ。脚に力が入らないのは筋肉の問題ではなくて神経の伝達の問題だろう。その神経の伝達、電流に例えれば電流が充分に伝わらず弱いのだろうか。
そこへ、さあ飲みに行くぞという喜びが脳の中を満たし電流が増幅されるのだろうか。
前に書いたが、これは脳内ホルモンの働きなのだろうか。

金曜日の夜に喉が痛くなり眠れないほどだった。
喉の痛みは水曜くらいから。風邪かなと思いPLは飲んでいたのだが。夜中にイソジンを探してうがいしても痛みは収まらない。痛くてうがいもまともにできなかった。
ドラッグストアが開くのをまって喉に直接スプレーする薬を買いに行く。ふだん喘息の吸入を息を吸い込むタイミングで噴霧しているので、ついつい吸い込んでしまう。
器官に薬効成分が入り込み息ができなくなる。窒息死や肺炎で死ぬときはこの苦しさなのだろうと脳裏に浮かぶ。30分苦しんで鎮静した。

これまでの経験だと喉に直接噴霧する薬を使うと1日もしないうちに痛みは消えていた。
しかし緩和はしたもののなかなか治らない。喉の周りをマッサージしてみるとかなり張っている。マッサージで痛みが少しマシになるようだ。喉の周りだけでなく、鎖骨や肩にかけても張っている。
喉の痛みは炎症だ。痛くて力が入るから周囲が張っているのか。でもほぐすことで痛みが緩和する理由が判らない。筋肉が緩んで気道が広がるとかだろうか。

先日の鍼を思い出す。咳で肺が締め付けられるような感覚。筋肉的な症状といえばそうなのだろうが、肺そのものの症状なのでそうは思わなかった。それが背中の鍼で全くなくなった。
今回ののどの痛み、Aセンセイにどこか効果的な場所に鍼を打ってもらったら治るのではないかという思いがかすめる。
まあ、喉の炎症は無理だろうが今度聞いてみよう。

肩こりと筋肉痛の感覚は今も続いている。まあそんなにイヤな感覚でもない、昔から馴染んでいる感覚だ。筋トレを繰り返していたらいつか無くなるだろう。
右脚の痺れは良くも悪くもない、力も金曜の夜からは入っている感覚。
これから先、何か大きく変化することはあるのだろうか。悪い変化が起きることも考えないではない。いくら力を入れても動かない状態、受傷してしばらくの頃だが、そうならないとも限らない。
良くなること。これは急に起きることでもないのだろう。ただ3年前の自分の状態と比べると格段に快適なのだ。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/626/0?1724646533

今週は台風が直撃する。水曜日あたりの予定が週末になったようだ。
自然のこととはいえ、最近の自然災害は大きな爪あと残すから要注意だ。
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posted by shigenon at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年08月23日

弱っちい脚

歩くことは難しいことじゃない。ただ脚を繰り出せばよい。
退院後、そう思って感覚がないがまだ力が出せる右脚を前へ出して蹴る。左脚は力のある右脚の蹴りだしで前に出る。
それを極力スマートに、不具合者に見えないように。
そうやって歩いてきた。その結果、右の坐骨神経に大きな負担がかかったようだ。
右脚は痺れているが、坐骨神経痛による痺れが加わった。今の右脚の痺れは頚髄損傷によるものなのか坐骨神経痛なのか判らない。ミックスされているのだろうか。

今もスマートに歩いている。それはどこが痛かろうか、そう歩くのが習慣になったから。
たまに感じる違和感は、痺れが強い時があることと力が入りづらいこと。
痺れが強いのは坐骨神経に起因しているようだ。お尻からモモ裏に痛み、前脛骨筋やふくらはぎの痛み、足裏の痺れ。それが弱い状態から強くなる。
力が入らない状態は言葉そのまま。力が抜けたようでしっかり踏み込めないような状態。そうなる理由がよくわからない。

今日は脚が弱っちい。階段を上るときに足先を段に引っかけないよう十分気をつける。
どんな状態の時でも気を付けるポイントが頭にインプットされててその注意ができる、酔っているときは別だが。
痺れや弱っちい状態はいつの間にか収まる。出勤して力が入らない状態だなと思っていたら、帰りに急に力強くなったりする。
これまで何度も書いているが、さあ仕事が終わって呑みに行こうと歩き出すと、弱っちかった脚が急に力強くなることがこれまで何十回もあった。

症状の強弱。強と弱の幅はけっこうある。ただそれが普段の動作に及ぼす影響はそう大きくない。
痛いから動かない・できないと言っていたら何もできないのだ。痛さや痺れは気のせいだと思うことが当たり前になっている。
今のところ強くてもそのほとんどが想定内なので安心している。
今日の脚の弱っちさはかなり弱い部類か。寝ててベッドから立ち上がる時に“生まれたての小鹿”という表現をしたことがあるが、それに近い。右脚の力が入りにくい。

筋肉は揉みほぐし過ぎると力が入らなくなるという。
昨日はジムで右脚にフットローラーを当てすぎたのだろうか。今日も帰りは軽く呑みにいく。会社を出る時はは脳が喜んで力強い歩きになるだろうか。
posted by shigenon at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年08月21日

身体の変化

少し変化が起きているかもしれない。
左腕、腕橈骨筋が膨らんできた。特に何かやったわけでない。受傷後左腕が右腕に比べて筋肉量が少なかった。左右同じ筋トレをしても左腕の筋肉は付きにくく、それは受傷の影響だと認識していた。
左腕だけではない、左の胸筋もそうだった。左はいわゆる麻痺側なのだ。

頚髄損傷が筋肉に及ぼす影響。
筋肉は多くの筋繊維があり、それを動かすには脳→中枢神経→筋肉という経路なのは間違いない。その中枢神経を損傷しているのだ、筋肉に伝わる信号も一部なのだろうか。
身体を動かせるようになっても動きが弱い、筋肉が付き始めても全く付かない箇所があるというのはこれまで自身を観察してきて理解している。そう、麻痺側の左。
ただうまく理屈を理解していないかもしれない。
自分のイメージは電気を通す電線。脳の命令を中枢神経という太い電線を経由して各筋肉内部の電線へ。その太い電線が一部損壊しているから伝わらず動かない筋肉があるというイメージ。

身体を動かすには遮断された電線を修復するしかないが、一度遮断された電線は繋がらないようだ。でも細い線1本残っていたら、そこを太くできないか、断線していたならば新しい電線を作れないか。
それが自分のリハビリの基本だ。イメージなしに何かを一生懸命なんて続かない。
退院後、左側は力が入りにくかった。
それは神経の問題であるのに、自分としては筋肉を付ければ力強くなると信じていた。今思えば筋肉があっても動かす命令が伝わらなければ意味がないと分かるのだが。

筋肉を付けることは悪くなかった。弱い信号で動く左脚だが、倒れそうになっても踏ん張ることができた。
もう一つ自分の考えの中に、末梢を刺激することで細い電流が流れる線を太くできないか、または新しい経路ができないかという考え。逆流だ。希望など他にないのだ、思ったことをやるしかない。
そのあたりからこのブログを始めたと思う。
とにかく動かした。左の筋肉は少しは付いたが、右の3分の2くらいだったか。
鍼で刺激したら見えない力で線が太くならないかと夢物語のようなことも思った。でも、それが夢物語ではなかった。
奇跡の1本。何年か経ってからだが改めて書いている。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/740/0?1724214397

それからなのだ、左脚の筋肉は今は左右同じくらい。
今年になって左の胸筋が少し付いてきた。去年からマシンの種類が変わったからかなと思っていた。ただ左腕の筋肉は付いても落ちやすかった。左腕だけ使ってマシンを1セットやっていたのだが、効果はなかった。筋肉計で測ると200〜300gの筋肉が少なかった。
盆休みに大阪で4人でSNSのオフ会。投稿するためにツーショットで写真を撮った。左腕を棚に乗せて撮ったのだが、その腕が太くて驚いた。
半袖だからいつも見ているはずなのに気づいていなかった。改めて見ると膨らみが増えていた。
お盆の期間はジムも休みがあり、筋肉がバンプしていないのだ。それで太く感じるのは筋肉が乗ったのだろうか。筋肉量を測れば良いのだが、気のせいだとショックも大きいのでしばらくしてからにしよう。

もう一つの変化。肩が凝っている。正確に言うと肩の凝りを感じることができている。
受傷前は首コリ肩コリが酷かった。受傷後、身体が変わったのか、首コリ肩コリが無くなった。頸椎を手術で拡げたからコリが無くなったのだろう。全ての元凶だったのではなく、コリは頸椎が狭いことへのSOSだったのだと後になって気づいた。
それが先月くらいからパソコン環境が変わって肩や腰が硬くなっている。それでも受傷前のようなコリ感はなくてストレッチポールに乗った時に張っていることを知るようだった。
それがここ数日前から受傷前に感じていたような肩コリの感覚がある。もう10年ぶりの感覚だ。

それが今回の左腕が膨らんだタイミングと同じなのだ。
それに加え、筋肉痛を感じている。18日にいつもの筋トレをしただけなのだ。これまであまり筋肉痛は感じることはなかった。肩から指までの神経感覚が変わったような感覚を覚える。
これまでもそうなのだが、微細な事柄から身体は変化した。だから極力小さなことでも記してきた。
何か変化を感じることは間違いなく良いことなのだ。良いように身体は変化していると期待しよう。
posted by shigenon at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年08月19日

盆明け

10日から15日のお盆休みもあっという間に。
特に何をしたわけではない、人に会って呑んだくらいか。それはそれで楽しい時を過ごした。もちろんお墓参りにも行った。
ジムが3日間休みだったのも、ある面良かった。ジムが開いてると行かなければいけないという義務感が生じる。
お盆は人が集まるという感覚も忘れ、通常の長い休みの感覚だった。これは帰省するということが無くなったからだろう。両親と姉夫婦と姪で集まり焼肉に行った。
考えたら地元を離れてからお盆に帰らなかったことはない。

身体の調子は悪くない。かといって良くもないが。2週間前の鍼の効果が消えたようには感じる。
睡眠も大きな要素かもしれない。なぜか夜中に暑くて目が覚める。これまでと同じ温度設定でエアコンを動かしているが、サーモスタットの感覚が少し変わってきたようだ。設定温度を下げるとかなり冷えてしまう。フィルターの掃除が必要なのかなと思いながらもやっていない。
そう、やらなければと思いながらやっていないことがたくさん過ぎる。とにかく何かをやる気が起きない暑さだ。

あっという間に夏は終わるのだ。
夏にトキめき終わるのを惜しんだのは何年前だろう。今はこの暑さが早く終わることを願うばかりだ。
逆に数年前までは寒くなるのが怖かった。寒くなると身体が固まった。そうならなくなったのがここ最近だが油断はできない。
去年は秋が無かったような感覚だった。だらだら暑い日が続いて、あっという間に冬になったような記憶だ。今年も同じようなものなのだろうか。
posted by shigenon at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年08月09日

お盆前

日本市場が大荒れだ。株の話。
実は株をたくさん持っている。現役時代は週数回の居酒屋くらい、そんなに贅沢はしないしボーナスも何か大きな買い物をするわけでもない。どんどん色んな銘柄を買った。
株は投資だ。本来はその会社を応援し、自分も関わるために株を買うのだろう。そんな気持ちで買っている人もいるだろうが、ほとんどの人は儲けるためだろう。株価の上昇、配当、株主優待。自分もそうだ。投資というより買ってどれだけ儲けられるかというギャンブルに近いものがあるかもしれない、自分にとっては。
けっこうな含み益が出ていたが、先週の大暴落で多くが消えた。まあ何とか市場は戻ってきてはいるのだが、これから先はどうなるか誰も判らない。金曜に少し手を出したがやけどした。

思えば色んなことを憂うタイプだったのだ。
表面上は平気な顔をしていても、心の中は色んな不安を抱えて曇るタイプ。それが受傷を機に変わった。もともと前向きな性格だったのかだが、けっこうクヨクヨすることもあったのだ。
ここには何度も書いている「起こってしまったことは仕方ない」なのだ。
憂いでも仕方ない、どう対処するかなのだ。
何かの出来事で性格的なことは変わるのだろうか。持って生まれた核の部分は性格の傾向として変わらないのだろうが、思考は変わるのだろう。

身体の調子。
咳は相変わらず出る。風邪なのか何なのか。ただ前に書いたように胸が苦しくなるような感覚は鍼によってなくなった。そうなるのは横隔膜だったのか。
脚の状態は悪くない。特に激しい痺れや痛みはないし可動も悪くない。
左手が上へ上がりにくい。筋トレマシンを動かしていても力が入りづらいような。五十肩のような感じだ。まあ全く痛みや不自由はないので、これは次回センセイに言ってみよう。

今日を終えるとお盆休み。明日は朝の涼しいうちにお墓掃除に行こう。
あとは何をしようか、ジムも休み多かったなぁ。
posted by shigenon at 11:06| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年08月05日

内科のセンセイ

気づけば長く書いていなかった。1週間以上開いたことはあったろうか。
1週間を振り返るにも、もう3日ほど前のことしかあまり記憶にない。こうやって色んなことをすぐに忘れていくことが当たり前になっていくのだろうか。母親の認知症もこれが重くなっただけのことなのだろうか。
全く記憶がないことなのに、なんで覚えていないと責められてもどうしようもないのだ。

先週は東京へ。いつものように行きは夜行バス、今回は大阪発で。
大阪で同級生のK君と呑んだ。K君は2回脳梗塞になったが今は健康そうだ。大手通信会社だったが、再雇用せずに毎日家にいる。
昔から一緒にバカみたいに呑んだ。今は身体を気遣いながらの酒。日本酒を一緒に呑もうと思っていたが手を出さなかった。それでも22時過ぎまで吞んだから結構な量だったか。

脚の調子はそれほど悪くなかったのだが、やはり鍼を打ってもらうと足先まで疎通が良くなるのがわかる。
左脇下が痛いことを言ってみた。左の背中にけっこうな本数を打ってもらう。ついでに咳が出ることも言う。咳が出ると肺が締め付けられるような痛みがあったのだ。でもこれは内科の領域だし、センセイにはこれで咳が止まったら内科のセンセイだよと笑いながら言う。
横隔膜に効くところ、背中に深く打ってもらう。ほんとに横隔膜に響いた。明日にならないとわからないですよとセンセイは言ったが、帰り道で圧倒的に咳が少なくなった。それと驚いたことに咳をしても胸が締め付けられるような痛みが全くなくなったこと。

今も咳をするたび胸が締め付けられるような感じは無くなった。ただ咳は減ったわけでない。咳をする苦しさは無くなった。咳をして締め付けられるように感じるのは内科的な症状でなく横隔膜だったのか。
それと、会社でパソコンを使うと出ていた左脇下の痛みも今のところない。咳による痛みと脇下の痛みは外科的な要因なのだろう。
今でも背中の深い鍼、深く入って前の胸の下がキュッとした感覚を思い出す。横隔膜に効く鍼の打ち方なんかあるのだ。そらそうだ、逆子も戻る鍼があるのだ。

鍼の後はいつも行っていた洋食屋で夜を過ごした。土曜日は昼からSNSグループのオフ会。
13時前から22時過ぎまで呑んで歌って。
自分でも元気だなと思う。健全な精神には健全な肉体。その逆も。楽しいことをして過ごせば身体もついてくる。まあ酒は呑み過ぎないに越したことはないが。

気づけばもう今週末からお盆休み。
帰省する必要もない、どう過ごすかも考えていない。
posted by shigenon at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年07月26日

米を捨てる

スマホを新しくした。別に不具合があったわけではないけど、2年で新しい機種に変えてくれる。
それに伴って大変なのがデータの移行。ほとんどはそのままだけど、アプリによっては再ログインが必要になる。ポイントカードのアプリはほとんどそうだった。
今週は取り立ててやる業務は何もない。毎日依頼が来ればやるルーティンの業務だけで、それもすぐにこなせる業務だ。
何かやることあったらやりますよとは伝えてある。だが何の指示もないから仕方ない、ヒマで遊んでいるよう見えないようパソコンをいじっている。新しいスマホへのデータ移行も水曜日にほとんどを終わらせた。

以前ならこんな状態には耐えられなかった。どんどん新しい仕事を見出してきた、自分が部署の責任者である時のことだ。今は全く別の業務だし引退の身なのだ、自分から何かを創出することはない。
当時部下だったN君を思う。彼は自分の部署の大阪の責任者だったが、何か自分から考えて行動を起こすことはなく、多くの時間を社内で過ごしていた。
親会社に戻り、全く経験のない部署での嘱託勤務。言われたことだけをやるN君を思い出した。難易度の高いことは知らんふりして過ごしてきたN君、お日様西西とはこういうことだとよく思ったが、今は自分がそうだ。

左脇の痛みは会社にいる時だけ起きている。とりあえず椅子の位置を高くしてみるとマシになった。
が、ちょっと数少ない業務を詰めてやると痛みが出る。一度痛くなるとずっと痛みが続く。どこかを触ったり伸ばしたりしても痛みは変わらないのが辛い。会社を出ると痛みは無くなる。
昨日は月一の整形外科。せっかくだし医師とのコミュニケーションもあるので、左脇の痛みについて訴える。医師は後ろに回って肩をつかんで「肩が張ってますね」と。いや、張っているのは判っているのだが。まあ触らない医者が多い中、良いほうだ。これ以上酷くなるようだったら対処しましょうと言ってくれたのは良かった。

昨日の昼に夜の食べる量の米を用意していた。いくらご飯を炊くのか用意しておかないと母親は判断できない。いつも米をボウルに入れて、その上に何合と書いて貼る。
ふと米を見ると虫がいる。見たことのない小さな幼虫のような。
最初は取っていたが、あまりにも多くて取り切れない。取り切ったと思って米を洗おうとすると浮いてくる。これは気持ち悪いので捨てた。ふだんは米粒一つ残さず食べるの人間なのだが。
調べると「ノシメマダラメイガ」の幼虫。そういえば2週間ほど前、ハイザー(米びつ)の取り皿に米が残ったまま蓋を閉じていなかった。開けると蛾のような虫が2匹。取り除いて米を戻したのだが、その時に卵を産み付けていたのか。気づかずに食べていたのかと思うと今でも吐き気がする。

ハイザーの米は残り少なかったので全部出して捨てた。米の中には幼虫から蛹になったものまで付いている。
ジムの帰りにスーパーへ米を買いに寄る。そこで初めて知った、米不足が起きていることを。スーパーの棚には全く在庫がなかった。知らぬ間に米騒動が起きていたのか。仕方なく別のスーパーに向かうが、スーパーよりも食品を取り扱っているドラッグストアの方がねらい目かと寄ってみた。在庫はあったので買う。
インバウンドによる需要増加と天候不順が原因なようで、新米が入る時期まで不足気味のようだ。

もう週末。自分だけ1週間が早いような感覚になる。こう暑いと活動も鈍る。いや、暑くなくても鈍っているのだ。冬の羽毛布団を干して仕舞わないと。
posted by shigenon at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年07月22日

Windowsトラブルから

母親の認知症がまた1段階進んだか。
その場その場で何かに対しての行動はできるが、覚えていられる時間がだんだん短くなっている。食器などは洗った後に元の場所に戻らない。
夕食の材料を用意して、何度も現物を見せたうえでメニューを紙に書いてテーブルに貼っているのだが、何もおかずがないと言っているらしい。父親に聞いた話だが。
父親はまだ頭はしっかりしているが、少しづつ思考や動きが緩慢になってきたか。
こればかりはどうしようもないのだ。今から身体能力が上がったり頭の回転が良くなったりすることはない。全てを受け入れて対応してやらないといけない。

左脇下の鈍痛とともに咳が出る。痰がうまく切れないから何度も咳をするといった状態だ。
左脇下といっても場所が特定できない。肺なのかと言われればそうかもしれない。外科的な要素なのだろうか内科的なことなのだろうか不安になっている。
狭窄感があって腕が痺れることを考えると外科的なことなのだろうか。背中が痛いと言って背中に湿布を貼って出かけようとしたときに玄関で倒れた山ピーを思う。心筋梗塞で運ばれた時には手遅れだった。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/53/0?1721365518

と、ここまで書いたところでパソコンがシャットダウン。例のブルースクリーン問題だ。
仕事中の一息ついた合い間に書いているのだが、これ以降なんの業務もできなかった。7/19 14:08のこと。

今日、出社したがパソコンは立ち上がらない。修復方法は社内SNSで配布しているという。が、会社支給のスマホにそのSNSを入れていないから見ることができない。ふつうは入れるのだろうが、会社スマホは現役でない自分にとって何の必要もないのだ。パソコンを立ち上げる時の顔認証だけだ。
朝から若いシステム担当者に頭を下げて復旧してもらったが、なんか気分的にすっきりしない。こういうトラブル時の対処はこうなのか。システマチックな世の中についていけないだけなのだろうか。

土曜日の朝、久しぶりにマッサージ機に乗った。背中の筋肉、縦に長い筋肉だから脊柱起立筋だろうか、そこを揉み手が触れるとコリコリしている。肩甲骨あたりもかなり硬いようだ。
これまで肩こりには敏感だったはずだが、全く自覚症状がなかった。そういえば前回の針の時にセンセイから背中が張ってますねと言われた。全く張っている感覚はなかった。
マッサージ機を終えてもまだすっきりしない。ハンディガンを出してきて、父親に背中に当ててくれるようお願いした。父親は素人ながらも指圧がとても上手だ、ツボもよく知っている。ただもう手で押すのは疲れてしまうだろうから、ハンドガンなら疲れないだろうと。
腰から背中、肩へと適切なポイントにハンドガンを当ててくれる。頭の中に“筋肉のねじれ”というコトバが思い出される。

どこで耳にしていたのだろう。Aセンセイだったか。筋肉のねじれ…コトバだけでもイメージがわく。
調べてみると偏った筋肉の使い方で筋膜がねじれることのようだ。また、巻き肩による腕のねじれという解説もなるほどと思った。ここしばらく脇の下あたりの狭窄感はこれが原因のようだ。
自分の場合はこの巻き肩が思い当たる。横を向いて寝ることや胸の筋肉は鍛えているが背中の筋肉は鍛えていないとか。
ストレッチでの解消法も多く出ている。だが、とにかく凝り固まった筋をほぐしたかった。
最強度でハンドガンを当ててもらった。

土曜日は熱中症アラートが発令される暑さ。ハンドガンマッサージ後に買い物、昼食の用意。
それからだ、具合が悪くなったのは。暑さのせいか、暑さといっても車に乗った時とスーパーの駐車場くらい。昼食を食べそのあといつもジムにいくのだが、身体を動かす気力がなかった。凝った筋肉をほぐしただるさなのだろうか、熱っぽい感覚もある。
夕方までリビングのソファでダラダラ過ごし、夕方に夕食の準備をしたが自分の分は作らなかった。全く食欲がなかったのだ。
すぐベッドに向かい、途中何度か目が覚めたものの15時間ベッドで過ごした。

熱中症だったのか、コリがほぐれた好転反応だったのか。
とにかくよく寝た後は通常に戻った。少し変化を感じたのは、痰が切れない状態だったのが少し切れるようになったこと。筋肉のねじれで肺を圧迫し、それが気道に影響していた?というバカなことを想像したりもした。
会社で通常のようにパソコンに向き合うが、やはり左脇下が攣りそうな感じになる。ただ前と違うのは要因となってる場所がわかること。あばら骨の後部、広背筋か。手がギリギリ届くが、そこを押すと痛みが緩和する。

巻き肩や筋肉バランスもあるが、この症状が出始めたときに環境が変わったことが2つある。
1つが前歯が入って歯の治療が終わったこと。少し期待とは違った治療で終了した。先生はかみ合わせが悪いと肩こりが酷いからと散々言っていたのだが、かみ合わせが果たして良いのかどうか。なんか左奥歯が低いような気がしている。
もう1つはパソコン。デスクトップからラップトップに変わり、大きなモニターを取り付けた。そのモニターの向きや高さ。それと繋いでいるキーボードの高さ。
まあ何が原因にしても何らかの対処をしないと。ただデスクに座ると痛んで左腕が痺れてくるから、やはり原因はパソコン環境なのだろうか。とりあえずモニターの位置を低くした。

昨日は軽くいつもの筋トレだけはした。1日寝込んだだけで体重が1.5キロ減っていた。帰るとクーラーの効いた部屋でグッタリだ。
ダラけてグッタリするのも仕方のない気温だが、これがクセにならないようにしなければいけない。怠惰は身体の老化と精神の老化を進めてしまう。
posted by shigenon at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年07月17日

足の爪が伸びるのがとても早くなった。
もともと身体が硬いから足の爪を切るのは苦手だった。だから足の爪の伸び具合はいつもチェックしている。
去年くらいまでは足の爪の伸びる速度は遅かった。手の爪を3回切るタイミングくだった。それが今は手の爪を2回切るタイミングで伸びている。

なぜ爪が伸びるのが早いか。足の血行が良くなったからだろうかと思っていた。
調べると新陳代謝が良いと伸びるのが早いようだ。あとはたんぱく質が十分摂取されているとか。
細胞に新陳代謝の材料である酸素や栄養を運んでいるのは血液だから、やはり血行が良くなったことが大きな要因のようだ。
血行が良くなったと感じるのは、足首が柔らかくなったからだ。これまで足首だけを一生懸命前傾させたり回したりしていたが、それほど効果はなかった。股関節のストレッチは効果を発揮し、股関節は少しは柔らかくなっていた。その股関節のストレッチを少しハードにしてみた。
その組み合わせが良かったのか、ほんの少しだが足首が柔らかくなったのだ。股関節と足首は関係あるのかどうかは判らないが。足首に血が通う感覚を持てていた。

受傷して40日間全く動かなかった左腕。その時に左手の爪は全く伸びなかった。左人差し指に魚の目のようなイボがあって、1週間ごとに爪切りで削るほど大きくなっていたのだが、それさえも大きくならなかった。
爪が伸びないこととイボが大きくならないことは「左手は死んだ」と思うには十分だった。
左手が動くようになっても爪の伸びは遅かった。やはり活発に動かさないと新陳代謝は悪いのだろう。
一度は死んだかと思った左手、それを思うと爪が早く伸びるということは喜ぶべきことだ。

連休の最終日の月曜と火曜で両親、姉夫婦とともに淡路島に旅行した。旅行といっても家から車で2時間弱の距離。
去年、鳥取に旅して以来の家族旅行だ。旅行といっても温泉に入って料理を食べるだけ。特に観光地を調べて行ったりはしない。非日常感は温泉と料理だ。
それでも時間をもてあそぶので途中“たこせんべいの里”に立ち寄った。ここはたこせんべいを製造していて、試食もできる。
夜はビュッフェに鱧料理2品をプラス。両親もけっこうな量を食べていた。
お風呂では久しぶりに父親の背中を流した。あと何度こうやって一緒に大浴場に入ることがあるのだろう。

左脇下の鈍痛が続いている。なんか狭窄しているような感覚。左の上腕までがその鈍痛で少し痺れている。息苦しさも感じる。
胸郭出口症候群のような狭窄感だ。違うのは胸郭出口症候群だと、押せば気持ち良い感覚で狭窄部分が緩和する。
この脇の下なのかそれより後部なのかの鈍痛は、押しても緩和するポイントがわからない。左手を上げて曲げ伸ばしすると少し痛みは緩和するのだが。

もう7月中旬。蝉も鳴き始めた。何かトキメクことのある夏になるのだろうか。
posted by shigenon at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年07月10日

性根

母親の認知症が進んできた。自分のことがでできるからまだいいのかもしれないが。
少しずつ進行するのだろう、前はちゃんとやっていたことも、やっていたこと自体を忘れている。新たに覚えて何かをやるといったことは期待できない。それと毎日何度言ってもできないことがある。
庭で野菜をビニール袋に入れて冷蔵庫に入れてはいけないと注意する。みずみずしいので、袋内部に水滴が付いて痛むのが早いからだ。でも帰って冷蔵庫を見るとビニール袋に入った野菜がある。
そんなことは1例で、毎日の生活で自分がやっていたことを条件反射のようにこなしているだけだ。それはもちろん感謝しなければいけないことなのかもしれないが。
間違ってもしれているのだ、ただ洗濯洗剤の中に詰め替えの柔軟剤を入れていて全て捨てたこともあるが。

会社に行かない火・木・土・日はすべて自分が料理をする。実際のところ、そんな状態の母親が作ったものは食べたくない、衛生面でもいいかげんだ。
もう1年以上そうやっているが、曜日感覚がないのかうっかりすると何か作ろうとする。勝手に必要以上のコメを炊いたりする。会社に行っているときは食べるものを昼と夜に分けたトレイに入れて、紙を貼って冷蔵庫に入れているが、それもその通りにならない。
怒ってはいけないと思いながらも怒ってしまう。怒るというレベルではなく怒鳴っている。それは間違ったことをしても、自分は間違っていないとすぐ言うからだ。
はいはい、そうですか...といった対応をしなければいけないのだろうが、まともな人を相手にしているように対応してしまう。

前にも何度も書いたことだ、反省しないといけないと。
でも相変わらず怒ってしまう。怒ってしまうもう一つの要因は、まるで自分と接しているようだからということもある。すぐ言い逃れをする、それもとっさに相手の言ったことを聞いてうまく言い逃れる言い訳を言う。瞬間にだ。それは嘘を交えることが多い。
自分もそういうところがあった。記憶の限りかなり幼いころからだ。
今はそうかといえばそうではない。自分が持っていて、直さないといけないと思ったことは直すようにした。それでも気づかず直っていない悪い部分はいっぱいあるだろう。決していい人になろうと思って直そうとしたわけでない、自分が成長していく過程でそうしただけのことだ。

他にもたくさん母親を見ていて自分が持っていた傾向と同じものを感じる。
それは恐らく幼いころから見てきたから、自分にも備わったことなのかもしれない。両親を見て学ぶのだ、良いことも悪いことも。世間を知って、それが世間に通用しないことが多くあると認識する。
両親は自営業だった。それほど広い世界を知っているわけでもないのだ。
決して両親を見下して思っているわけではない。一生懸命育ててくれた記憶しかない。どもの家にも、世間から見るとダメダメなことが常識化していることはあるだろう。
性根。その人が持って生まれたモノもあれば、生活での経験を経て変化することもあるだろう。
母親や父親を見ていて、十分理解できる同じ感覚がある。親子だ、近い性根があるのだろう。

自分は人当たりは良いほうだ。
でもそれが身内になると一変する。厳しいことをコトバで言ってしまう。そとづらが良いだけなのだろう。
今、それを素直に反省して直さなければいけない。身内だからと言って自分が甘えているだけなのだ。

身体の状態。
左胸が少し攣ったような痛みを感じる。気管支についても、閉塞した状態を感じることも多い。
右脚の痺れ等は強くなったり弱くなったり。でも簡単だ、強かろうが弱かろうが脚を前に出さないと進めないのだ。
posted by shigenon at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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shigenon
2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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