木曜の夜行バスで東京へ。夜行バスはバスによって快適さが違う。微妙なリクライニングの角度、車内の揺れ。車輪の上だと揺れが大きい。
慣れたかどうかでいえば慣れない。呑んで乗るが大抵は1時間くらいで目が覚める。熟睡はなかなかできないが浅い睡眠を3.4時間はできるか。
到着すると時間を潰して10時にジムへ。これまでも鍼治療を受ける前に筋トレをしていたので同じ状態に。ジムを終えると毎週火曜日に行っていた洋食屋へ。ランチを食べて生ビール1杯。
ママさんと喋って時間を過ごし鍼へ。
ここ最近は足裏の痺れが強いような感覚があった。ただそれはいつものほぼ決まった箇所への鍼で解消するのは判っていた。その箇所が鍼を欲しがっているのだ。足裏にも鍼を打ってもらう。
下腿に打ってもらうと甲に響く。イメージは線香花火の火花のような感じ。
他に不具合を感じている箇所を聞かれ、ずいぶん回復はしているが左腕を上に伸ばすと痛いことを言う。荷重をかけて手を上に上げると痛みを感じていた。
三角筋の裏に痛みがあり、伸ばすと上腕三頭筋や上腕二頭筋が引っ張られるような感覚がある。
五十肩になったことはないが、五十肩とはこんな感じなのかと思っていた。よく手が上がらないとか聞く。まあそんな深刻には思っていなかった。少なくとも3、4年前は荷重をかけて左腕を上に上げることは難しかった。ショルダープレスをやるようになって肩の動きが変わったのだ。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/1080/0?1727670046
前は動かしていないから固まっていた。でも今回は動かしているのに痛みがあるから理屈が違うのだろう。
Aセンセイが腕や肩にどんどん打ってくれる。
座って左の背中から肩・腕にかけて打ってもらう。そのまま置いていると筋が締め付けられるような痛みを感じた。鍼を打ってもらってそういう感覚になったことはなかった。
一通り打ってもらうと肩が軽くなった。まだジムでショルダープレスをしていないから何とも言えないが。
金曜日は新卒入社の時の同期と呑み会。東京を離れる時に数十年ぶりに会って呑んだ友達だ。それ以来何度か会うようになった。
土曜日は昼からSNSグループの人との呑み会。何度かコメントのやり取りはあるが会うのは初めての2人。話ははずみ、13時から20時過ぎまで呑んだ。
一人でも時間は過ごせるだろう、でも人と触れ合いたい人間なのだ。人と会うこと・話すことは間違いなく自分を豊かにしてくれる。一人でいると、これまで持っていたものをすり減らしていくだけのように思ったりもする。
日曜日は10時前の新幹線で帰った。帰ってその日の夕食の準備をしなければいけなかった。居ない間、金曜日までは買いそろえ、土曜日は姉に頼んでいた。
9月は4連休が続いた。週3日のラクな勤務がもっとラクだった。
今週はキチンと週3日。1日働けば休みなのだが気持ちはしんどい。人間はラクに慣れるとそうなるのだ。やらないとやるのが億劫になることはたくさんある。人と会うということもそうだろう。
2024年09月30日
2024年09月25日
動く
久しぶりに京都へ。一番最近行ったのはいつだろうと思い返すと5年ほど前だろうか。それは仕事だった。遊びで京都へ行ったこととなれば、学生時代になるのではないだろうか。もう40年前。
大阪にいる時は、近いのでいつでも行けるということと、わざわざ混んでる街に行こうと思わなかった。
もちろん昔より今の方が混んでいる。インバウンドによる日本人気は相変わらずだ。
大手ビールメーカーのクラフトビールの飲食店、有名な卵サンドの喫茶店などを訪れた。食べるか呑むかなのだ、自分の好きなことは。
電車は座れなく立っていたが、うまくシートにもたれかけることができた。
右のお尻をシートにグリグリ押し付ける。もちろん人が見ても判らないように。坐骨神経痛を刺激したくなる、特にお尻の部分。
その後は借りていた電動自転車で市内を移動。すると右脚の痺れが強くなってきた。
痺れの原因は判らない時もあれば判る時もある。今回はお尻グリグリだ。調子に乗ってけっこうな時間
グリグリしていた。グリグリすると足先まで刺激があって気持ちいいのだ。
でも同じ足先まで刺激が伝わるのだが、鍼による刺激とは違うようだ。鈍い痺れが続く。
まあ動けなくなることはない。
震えとかだと実際に震えているわけだが、痺れは脳が感じているだけのことだ。そう思うことにしている。痺れていないと思って躊躇なく普通に動かす。そうしているうちに強い痺れも気にはならなくなる。これまでにないような強い痺れだと別だが、そういう状態にはなっていない。
その後、痺れの強さが緩和されたかどうかも覚えていない。気にしなければ通り過ぎる。
月曜日が祝日だと4連休だ。
火曜日にジムが開いていれば嬉しいが休館日。やはり筋トレをしてストレッチをすると身体が整う感じがする。家でもできないことはないのだろうがなかなかできないものだ。
今週は今日だけ出勤。明日の夜からバスで東京へ。6週間ぶりの鍼、ちょうど右脚が鍼を欲しがっている。
金曜日は前の会社の同期と呑み、土曜日はSNSの友達と呑む。沖縄・京都・東京と毎週動いている。良いことだ。動くことを止めるとケツが重いタイプなのだ。
動ける時に動いて楽しめる時に楽しまないと。老い先が長いわけでもないのだ。
大阪にいる時は、近いのでいつでも行けるということと、わざわざ混んでる街に行こうと思わなかった。
もちろん昔より今の方が混んでいる。インバウンドによる日本人気は相変わらずだ。
大手ビールメーカーのクラフトビールの飲食店、有名な卵サンドの喫茶店などを訪れた。食べるか呑むかなのだ、自分の好きなことは。
電車は座れなく立っていたが、うまくシートにもたれかけることができた。
右のお尻をシートにグリグリ押し付ける。もちろん人が見ても判らないように。坐骨神経痛を刺激したくなる、特にお尻の部分。
その後は借りていた電動自転車で市内を移動。すると右脚の痺れが強くなってきた。
痺れの原因は判らない時もあれば判る時もある。今回はお尻グリグリだ。調子に乗ってけっこうな時間
グリグリしていた。グリグリすると足先まで刺激があって気持ちいいのだ。
でも同じ足先まで刺激が伝わるのだが、鍼による刺激とは違うようだ。鈍い痺れが続く。
まあ動けなくなることはない。
震えとかだと実際に震えているわけだが、痺れは脳が感じているだけのことだ。そう思うことにしている。痺れていないと思って躊躇なく普通に動かす。そうしているうちに強い痺れも気にはならなくなる。これまでにないような強い痺れだと別だが、そういう状態にはなっていない。
その後、痺れの強さが緩和されたかどうかも覚えていない。気にしなければ通り過ぎる。
月曜日が祝日だと4連休だ。
火曜日にジムが開いていれば嬉しいが休館日。やはり筋トレをしてストレッチをすると身体が整う感じがする。家でもできないことはないのだろうがなかなかできないものだ。
今週は今日だけ出勤。明日の夜からバスで東京へ。6週間ぶりの鍼、ちょうど右脚が鍼を欲しがっている。
金曜日は前の会社の同期と呑み、土曜日はSNSの友達と呑む。沖縄・京都・東京と毎週動いている。良いことだ。動くことを止めるとケツが重いタイプなのだ。
動ける時に動いて楽しめる時に楽しまないと。老い先が長いわけでもないのだ。
2024年09月20日
症状固定
簡単に症状固定と言われる。それは6ヶ月の保険診療が終わるからそのコトバを使う医師がいるのだろう。間違いない。
ただその言葉で患者はどれだけショックを受けるか。もう治る見込みがないというコトバをキレイにしたのが症状固定だ。
自分もそうだった。かなりのショックを受けた。諦めの悪い自分はそれを受け入れなかった。
急性期から回復期の6か月、それで症状固定は正しいのか。自分はそう思っていない。
リハビリの保険内治療は6か月と国が定めている。6か月経つと「障害」らしい。そのあとは通院で短い時間のリハビリになる。(全員が対象になるかどうかは不明)それ以外は介護認定を受けて介護施設でどうぞということらしい。
保険医療である以上、期限が付けられるのは仕方ないことだろう。
6か月までが「回復期」と定義づけられている。確かに意欲的でない人にダラダラとリハビリをやっても効果などないだろう。実際にそんな人を目の当たりにしたから言うのだが。
症状によっては半年で回復の見込みがないと確実に判断される症状もあるのだろうが。
自分の6か月はどうだったか。
2014年12月24日からだから2015年6月24日までの間になる。退院したのが4月の上旬だった。左半身は動くようになっていたが力は入らなかった。モノを掴むということも左手は使っていなかった。
短い距離は歩けたが、いかんせん体力と筋肉がなかった。
痺れや痛みを症状というのなら症状は変わっていないかもしれない。広義の機能回復ということでいうなら、自分の感覚では受傷3か月目くらいから進んでいったという感覚だ。リハビリ時間以外に階段を歩いたり自転車マシンに乗ったり。日に日に良くなるといった実感はないにしろ、月単位で見ると大きく回復していった。
退院した時の機能と1年後の機能なんて大きな差がある。このブログを書き始めたのが2017年5月。それから7年経った今はどうか。症状固定なんていうコトバは自分にはあてはまらない。
そうは言うもののこの1年ではどうだろう。
それほど機能の進化はないように感じる。新たなことをやっていないからなのだろうか。いや、そうではない。今の状態でちゃんと過ごせているからなのだ。不自由なのだがその不自由さが我慢できないほどの不自由さでないということ。それに甘んじている。
次のステップが思いつかないのだ。例えば1時間歩き続けられる身体を作るとか。
ひとつひとつの機能だけの話ではないのだ。体力と気力、これこそが結果的に全体的な機能を向上させるのだろう。
ただその言葉で患者はどれだけショックを受けるか。もう治る見込みがないというコトバをキレイにしたのが症状固定だ。
自分もそうだった。かなりのショックを受けた。諦めの悪い自分はそれを受け入れなかった。
急性期から回復期の6か月、それで症状固定は正しいのか。自分はそう思っていない。
リハビリの保険内治療は6か月と国が定めている。6か月経つと「障害」らしい。そのあとは通院で短い時間のリハビリになる。(全員が対象になるかどうかは不明)それ以外は介護認定を受けて介護施設でどうぞということらしい。
保険医療である以上、期限が付けられるのは仕方ないことだろう。
6か月までが「回復期」と定義づけられている。確かに意欲的でない人にダラダラとリハビリをやっても効果などないだろう。実際にそんな人を目の当たりにしたから言うのだが。
症状によっては半年で回復の見込みがないと確実に判断される症状もあるのだろうが。
自分の6か月はどうだったか。
2014年12月24日からだから2015年6月24日までの間になる。退院したのが4月の上旬だった。左半身は動くようになっていたが力は入らなかった。モノを掴むということも左手は使っていなかった。
短い距離は歩けたが、いかんせん体力と筋肉がなかった。
痺れや痛みを症状というのなら症状は変わっていないかもしれない。広義の機能回復ということでいうなら、自分の感覚では受傷3か月目くらいから進んでいったという感覚だ。リハビリ時間以外に階段を歩いたり自転車マシンに乗ったり。日に日に良くなるといった実感はないにしろ、月単位で見ると大きく回復していった。
退院した時の機能と1年後の機能なんて大きな差がある。このブログを書き始めたのが2017年5月。それから7年経った今はどうか。症状固定なんていうコトバは自分にはあてはまらない。
そうは言うもののこの1年ではどうだろう。
それほど機能の進化はないように感じる。新たなことをやっていないからなのだろうか。いや、そうではない。今の状態でちゃんと過ごせているからなのだ。不自由なのだがその不自由さが我慢できないほどの不自由さでないということ。それに甘んじている。
次のステップが思いつかないのだ。例えば1時間歩き続けられる身体を作るとか。
ひとつひとつの機能だけの話ではないのだ。体力と気力、これこそが結果的に全体的な機能を向上させるのだろう。
2024年09月18日
沖縄の旅
心配していた台風はあまり影響なかったようだ。無事飛行機も定刻通りに出発。
久しぶりの飛行機、出発20分前には保安検査を終わらせるとかを忘れてギリギリだった。沖縄に行くのはいつ以来だろう、確か首里城に行った記憶がある。そうだ、新婚旅行。もう19年前になる。
待ち合わせの到着出口の水槽前、遅れてAさんとAさんの連れ合いが登場。二人とも変わらず元気そうだ。
Aさんのミニクーパーに乗ってとりあえずはAさんの住む北谷の部屋へ。海の近くのマンション、部屋の住人の多くは基地に従事している外人だ。
部屋でビールを呑んでゆっくりしてから近所にある人気の沖縄料理屋に向かう。もともとテビチ、ソーキ、ラフテーといった沖縄の豚料理が大好きだ。
楽しく吞んで食べて。この日はこの後もAさんの部屋に戻って呑んだ。
翌日は車で観光。残波岬、真栄田岬、道の駅を廻った。沖縄そば、ブルーシールアイスクリームも食べた。
何よりも暑かった。車を降りるたびに汗が流れ出る。もう少しカラッとしているのかと思っていたが、台風の影響だったのか雨が降ったりやんだりで湿気もあった。
全ておまかせの旅。そもそも旅の目的がAさんに会いにいくだけだったのだ。沖縄の観光地と言われても思いつかないし、海辺でのんびりするくらいしか思いつかない。
2日目の夜はアメリカンビレッジで過ごした。
海の見えるベンチでイオンで買ったビールで。まるで日本ではないような雰囲気。
アメリカンビレッジをぐるぐる回って、最後もベンチに座ってペットボトルに入れてきた泡盛を。Aさんはこのような過ごし方をよくやっているようだ。
自分としても充分沖縄料理は食べたのでそれで良かった。気づけば22時を超えていた、けっこう歩いたので脚も疲れたのでホテルに戻った。
ホテルはAさんの住むマンションの近くだ。
3日目は9時半に迎えに来てくれた。11時20分の飛行機で帰る。
名残りといえばポーク玉子おにぎりを食べなかったくらいか。空港に着いて店に行くも、行列で諦めた。
身体の調子は特に良くもなく悪くもなく。ただホテルから海までの散歩を薦められていたのだが、歩く気がしなかった。今もそうだが、右脚の痺れが少し強い。旅という脳が喜ぶ行動だったからそれほど気にはならなかったのだろうが、脚は疲れていたようだ。
来年も行こうと思った。
Aさんとは20年の付き合いだ、よく呑んで話をしたりゴルフに行ったり。2012年のホールインワンも一緒に回っていた。
ガンになり、それを克服した後に脳梗塞。今でも簡単なモノの名前が出てこない。それ以外は健康だ。
気兼ねせず一緒に時間を過ごしたいと思う友人は大切だ。
久しぶりの飛行機、出発20分前には保安検査を終わらせるとかを忘れてギリギリだった。沖縄に行くのはいつ以来だろう、確か首里城に行った記憶がある。そうだ、新婚旅行。もう19年前になる。
待ち合わせの到着出口の水槽前、遅れてAさんとAさんの連れ合いが登場。二人とも変わらず元気そうだ。
Aさんのミニクーパーに乗ってとりあえずはAさんの住む北谷の部屋へ。海の近くのマンション、部屋の住人の多くは基地に従事している外人だ。
部屋でビールを呑んでゆっくりしてから近所にある人気の沖縄料理屋に向かう。もともとテビチ、ソーキ、ラフテーといった沖縄の豚料理が大好きだ。
楽しく吞んで食べて。この日はこの後もAさんの部屋に戻って呑んだ。
翌日は車で観光。残波岬、真栄田岬、道の駅を廻った。沖縄そば、ブルーシールアイスクリームも食べた。
何よりも暑かった。車を降りるたびに汗が流れ出る。もう少しカラッとしているのかと思っていたが、台風の影響だったのか雨が降ったりやんだりで湿気もあった。
全ておまかせの旅。そもそも旅の目的がAさんに会いにいくだけだったのだ。沖縄の観光地と言われても思いつかないし、海辺でのんびりするくらいしか思いつかない。
2日目の夜はアメリカンビレッジで過ごした。
海の見えるベンチでイオンで買ったビールで。まるで日本ではないような雰囲気。
アメリカンビレッジをぐるぐる回って、最後もベンチに座ってペットボトルに入れてきた泡盛を。Aさんはこのような過ごし方をよくやっているようだ。
自分としても充分沖縄料理は食べたのでそれで良かった。気づけば22時を超えていた、けっこう歩いたので脚も疲れたのでホテルに戻った。
ホテルはAさんの住むマンションの近くだ。
3日目は9時半に迎えに来てくれた。11時20分の飛行機で帰る。
名残りといえばポーク玉子おにぎりを食べなかったくらいか。空港に着いて店に行くも、行列で諦めた。
身体の調子は特に良くもなく悪くもなく。ただホテルから海までの散歩を薦められていたのだが、歩く気がしなかった。今もそうだが、右脚の痺れが少し強い。旅という脳が喜ぶ行動だったからそれほど気にはならなかったのだろうが、脚は疲れていたようだ。
来年も行こうと思った。
Aさんとは20年の付き合いだ、よく呑んで話をしたりゴルフに行ったり。2012年のホールインワンも一緒に回っていた。
ガンになり、それを克服した後に脳梗塞。今でも簡単なモノの名前が出てこない。それ以外は健康だ。
気兼ねせず一緒に時間を過ごしたいと思う友人は大切だ。
2024年09月13日
凍結肩
左腕が上げにくくなってもう2か月くらいか。普段の生活ではなんともないのだが、筋トレマシンのショルダープレスをやると三角筋に痛みが走る。充分に上げきれない。
三角筋もそうだが上腕三頭筋もうまく働いていないような感覚があった。
それが昨日はそれほどの痛みを感じなかった。まだまだ治ったとは言えないが良い傾向だ。
五十肩っていう病名はないと聞いたことがある。もちろん名前自体でそれは分かっていることだが。
調べてみると「肩関節周囲炎」と「癒着性肩関節包炎(凍結肩)」が原因であることが多いようだ。この2つ、その名前だけで症状は想像がつく。
ただ炎症という状態がよく理解できない。炎症といえば歯茎が腫れるといったイメージしかわかない。腫れた部位というのは簡単に薬で鎮静できそうに思うのだが、炎症にも色んな種類があるのだろう。
凍結肩はイメージしやすい、固まってしまっているという理解で良いのだろう。
入院中に全く動かない状態が2か月、動いても力が入れられない状態だった左腕。
お風呂に入って右に手を伸ばして身体を洗うにも右肩に手が届かなかった。右手で肘を持って左腕を伸ばしていた。左肩がうまくうごかなかったのだ。全く動かないわけではないが、何かの助けがないと力が入らなかった。
これは左の脚も同じだった。座った状態で膝から下を動かすのに両手で抱えていた。
左肩は何年も過ぎてから回復した。鍼のAセンセイにそのことを話すと、左肩を思いっきり伸ばして肩に鍼を打った。えっ、それは無茶やないと思った。
修復のイメージをするならその通りなのだろう。硬い関節を伸ばしてそこに鍼を打つ。
そんな簡単な仕組み?とも思った。でもそれでずいぶん左腕が右に動くようになった。凍結肩というコトバに今日触れてそれを思い出した。
素人は動きの悪い箇所や痛むところを下手に触ったり動かしたりするべきではないのだろう。やはり動かすべき方向にちゃんと動かすということが分かった人でこそできることなのだろう。
15日から沖縄。台風が発生して沖縄直撃という。
昨日から何度も気象図をみている。なんとかスピードが早くなって15日には中心が沖縄を通り過ぎているから飛行機は飛ぶ可能性が高いがまだ判らない。
沖縄に移住しているAさんと会うのが楽しみだ。
三角筋もそうだが上腕三頭筋もうまく働いていないような感覚があった。
それが昨日はそれほどの痛みを感じなかった。まだまだ治ったとは言えないが良い傾向だ。
五十肩っていう病名はないと聞いたことがある。もちろん名前自体でそれは分かっていることだが。
調べてみると「肩関節周囲炎」と「癒着性肩関節包炎(凍結肩)」が原因であることが多いようだ。この2つ、その名前だけで症状は想像がつく。
ただ炎症という状態がよく理解できない。炎症といえば歯茎が腫れるといったイメージしかわかない。腫れた部位というのは簡単に薬で鎮静できそうに思うのだが、炎症にも色んな種類があるのだろう。
凍結肩はイメージしやすい、固まってしまっているという理解で良いのだろう。
入院中に全く動かない状態が2か月、動いても力が入れられない状態だった左腕。
お風呂に入って右に手を伸ばして身体を洗うにも右肩に手が届かなかった。右手で肘を持って左腕を伸ばしていた。左肩がうまくうごかなかったのだ。全く動かないわけではないが、何かの助けがないと力が入らなかった。
これは左の脚も同じだった。座った状態で膝から下を動かすのに両手で抱えていた。
左肩は何年も過ぎてから回復した。鍼のAセンセイにそのことを話すと、左肩を思いっきり伸ばして肩に鍼を打った。えっ、それは無茶やないと思った。
修復のイメージをするならその通りなのだろう。硬い関節を伸ばしてそこに鍼を打つ。
そんな簡単な仕組み?とも思った。でもそれでずいぶん左腕が右に動くようになった。凍結肩というコトバに今日触れてそれを思い出した。
素人は動きの悪い箇所や痛むところを下手に触ったり動かしたりするべきではないのだろう。やはり動かすべき方向にちゃんと動かすということが分かった人でこそできることなのだろう。
15日から沖縄。台風が発生して沖縄直撃という。
昨日から何度も気象図をみている。なんとかスピードが早くなって15日には中心が沖縄を通り過ぎているから飛行機は飛ぶ可能性が高いがまだ判らない。
沖縄に移住しているAさんと会うのが楽しみだ。
2024年09月09日
老化
サボるということは人が持っている本能なのだろうか。いや、疲れたら休もうとするとかが本能だ、サボるのは違う働きなのだろうか。
部屋の机の上、色んなものが散乱している。また片づければいいやと思ってのことだが、その場でやらないことを先延ばしししている。これがサボるといった行動だろう。
気分が乗らないからその行動をしないということか。であれば脳の働きなのだろうが、疲れているから身体を休めなければいけないという身体を守るための脳の命令と、気分が乗らないから後回しという脳の命令の差が難しい。
木曜日から中2日空けて日曜日にジム。最近いつもそうなのだが、筋トレ後に疲労が激しい。帰ると16時前になるが、そのままソファで眠ってしまう。身体が休息を求めている。
それと筋肉痛。特に荷重を増やしてはいない、いつもの荷重。それが中2日で心地よいを超えた筋肉痛を感じる時がある。
これまで…少なくとも東京でのジムは週2日だったが筋肉痛を毎回感じるということは無かった。
最近になって筋肉痛を感じるということは、筋肉が中2日で劣化しているのだろうか。
筋トレは筋肉を傷つけ修復する過程で「破壊と再生」を繰り返し、筋組織を太く強くしていく。同じ荷重なのにたった2日で新たな筋肉というのも考えにくい。筋肉痛になるということは筋肉の衰えが早くなったのだろうか。
一般的には何もしないと2週間から3週間で筋肉は急激に落ちるらしい。たかが2日で筋肉は落ちないとは思うのだが。
ただ心配なのが、自分はふつうの身体ではないということ。
いくら筋トレをしても筋肉が付かなかった部分を見ている。神経が働いていないからその部分の筋肉が太くなる働きをしなかった。何年か経ってようやく働きだした部分もある。
これまで神経の働きで筋肉の付く付かないを見ているのだ、急に神経の働きが悪くなって筋肉が落ちるのが早くなったということも考えられるのだ。
もう一つ頭に浮かぶのが「老化」。
疲れやすいとか筋肉の疲労を感じるとか。そういえば階段を上ることがしんどくなってきたのも事実。全体的なパフォーマンスは加齢によって落ちることは間違いない。
フィジカルな面だけではない。最初に書いたサボり癖。これは気力の問題。気力も老化とともに萎えてくるのは間違いないのだろう。
考えたくないことだ。でもそうなのだろう。
サミュエル・ウルマンの「青春」を思い出す。
「若さとは人生の或る期間をいうのではなく、心の持ち方をいう」
放っておいても肉体は歳を取る。心の持ち方を変えれば脳・肉体も老化を防げるような気がする。いや、脳の働きで必ず防げると思う。
部屋の机の上、色んなものが散乱している。また片づければいいやと思ってのことだが、その場でやらないことを先延ばしししている。これがサボるといった行動だろう。
気分が乗らないからその行動をしないということか。であれば脳の働きなのだろうが、疲れているから身体を休めなければいけないという身体を守るための脳の命令と、気分が乗らないから後回しという脳の命令の差が難しい。
木曜日から中2日空けて日曜日にジム。最近いつもそうなのだが、筋トレ後に疲労が激しい。帰ると16時前になるが、そのままソファで眠ってしまう。身体が休息を求めている。
それと筋肉痛。特に荷重を増やしてはいない、いつもの荷重。それが中2日で心地よいを超えた筋肉痛を感じる時がある。
これまで…少なくとも東京でのジムは週2日だったが筋肉痛を毎回感じるということは無かった。
最近になって筋肉痛を感じるということは、筋肉が中2日で劣化しているのだろうか。
筋トレは筋肉を傷つけ修復する過程で「破壊と再生」を繰り返し、筋組織を太く強くしていく。同じ荷重なのにたった2日で新たな筋肉というのも考えにくい。筋肉痛になるということは筋肉の衰えが早くなったのだろうか。
一般的には何もしないと2週間から3週間で筋肉は急激に落ちるらしい。たかが2日で筋肉は落ちないとは思うのだが。
ただ心配なのが、自分はふつうの身体ではないということ。
いくら筋トレをしても筋肉が付かなかった部分を見ている。神経が働いていないからその部分の筋肉が太くなる働きをしなかった。何年か経ってようやく働きだした部分もある。
これまで神経の働きで筋肉の付く付かないを見ているのだ、急に神経の働きが悪くなって筋肉が落ちるのが早くなったということも考えられるのだ。
もう一つ頭に浮かぶのが「老化」。
疲れやすいとか筋肉の疲労を感じるとか。そういえば階段を上ることがしんどくなってきたのも事実。全体的なパフォーマンスは加齢によって落ちることは間違いない。
フィジカルな面だけではない。最初に書いたサボり癖。これは気力の問題。気力も老化とともに萎えてくるのは間違いないのだろう。
考えたくないことだ。でもそうなのだろう。
サミュエル・ウルマンの「青春」を思い出す。
「若さとは人生の或る期間をいうのではなく、心の持ち方をいう」
放っておいても肉体は歳を取る。心の持ち方を変えれば脳・肉体も老化を防げるような気がする。いや、脳の働きで必ず防げると思う。
2024年09月06日
自然の影響
身体の働きは本当に不思議だなと思う。
台風も消えて気圧が安定すると身体の調子は安定してきた。持っている症状が無くなるわけではないが、症状が強調されることが無くなる。自然が身体に影響を及ぼすなんて、どれくらいの人が分かっているのだろうか。
月の満ち引きによる変化。前にも書いたけどこれもあるのだろう。
満月の日には犯罪や事故が多いと大学の時の心理学で学んだ。唯一、ほとんど出なかった一般教養の講義で記憶に残っていることである、
調べるとバイオタイド理論というらしい。
「地球の80%が海で20%が陸であるように、人間も90%が水分で構成されている。すなわち、海の満ち引きが月によってもたらされるように、人間の体内の水分が月によって若干の移動をすることで人間の行動にまで変化があるのではないか」ということらしい。
気圧だけでなく月齢カレンダーも日々チェックしてみるのもひとつか。
身体の症状が強くなっても耐えられるようになった。というかこれも慣れなのだろう。
頭の中で“これ以上酷くならない”ということが分かっている。これ以上酷くならないということは何の根拠もないが、経験として感じていることなのだろう。
痛みや痺れが強いのは分かりやすいが、身体を動かす動作そのものが劣ることは気づきにくい。ここで何度も書いている“脚に力が入りづらい”などはそうなのだろう。一番チェックできるのが階段を降りる動作。普段でもスムーズではないのに一層降りにくい。
太ももを上げる、足首を調整しながら着地する、次の脚の準備をするといった複数動作がぎこちない。
階段を降りる動作は危険がいっぱいなので、日による違いが常に意識される。
9月の週末は全部予定が埋まった。良いことだ。
来週は沖縄に行く気運を高めていこう。
台風も消えて気圧が安定すると身体の調子は安定してきた。持っている症状が無くなるわけではないが、症状が強調されることが無くなる。自然が身体に影響を及ぼすなんて、どれくらいの人が分かっているのだろうか。
月の満ち引きによる変化。前にも書いたけどこれもあるのだろう。
満月の日には犯罪や事故が多いと大学の時の心理学で学んだ。唯一、ほとんど出なかった一般教養の講義で記憶に残っていることである、
調べるとバイオタイド理論というらしい。
「地球の80%が海で20%が陸であるように、人間も90%が水分で構成されている。すなわち、海の満ち引きが月によってもたらされるように、人間の体内の水分が月によって若干の移動をすることで人間の行動にまで変化があるのではないか」ということらしい。
気圧だけでなく月齢カレンダーも日々チェックしてみるのもひとつか。
身体の症状が強くなっても耐えられるようになった。というかこれも慣れなのだろう。
頭の中で“これ以上酷くならない”ということが分かっている。これ以上酷くならないということは何の根拠もないが、経験として感じていることなのだろう。
痛みや痺れが強いのは分かりやすいが、身体を動かす動作そのものが劣ることは気づきにくい。ここで何度も書いている“脚に力が入りづらい”などはそうなのだろう。一番チェックできるのが階段を降りる動作。普段でもスムーズではないのに一層降りにくい。
太ももを上げる、足首を調整しながら着地する、次の脚の準備をするといった複数動作がぎこちない。
階段を降りる動作は危険がいっぱいなので、日による違いが常に意識される。
9月の週末は全部予定が埋まった。良いことだ。
来週は沖縄に行く気運を高めていこう。
2024年09月02日
野分またの日
台風は当地にはそれほど影響はなかった。強く雨が降った時間があったくらいか。
土曜日の早い時間には雨が残っていたが、10時過ぎには太陽が照りだした。
身体の変化についても前回書いたくらいで、台風が過ぎ去った今朝は特に強い症状は感じない。昨日まではいくぶん肩の疼痛が気になっていたのだが、寝るという行為でリセットされるのだろうか。
土曜日にいつものようにジムに行くと車が1台も止まっていない。嫌な予感を感じながら玄関に行くと休館のおしらせ。従業員の安全のため金曜日は20時に終了し、土曜日は休館だと。
金曜日の時点では台風の進路については判らなかったのだ。
もちろん否定的に捉えてはいない、計画運休をする時代だ、計画休館もあるのだろう。人が関わっているのだ、ずっと開けるか開けないか待機する時代でもない。
ちゃんとLINEで案内が来ていた、見ていない自分が悪い。
ジムは日曜日に開いたが意外にも人は少なかった。
いつもの筋トレでここ最近気になっているのが、左腕が上がりにくいこと。もともと上がりにくかった左腕だが、この3年くらいでスムーズに上がるようになっていたのだ。
荷重をかけなかったら問題なく腕は上がる。荷重がかかるとうまく力を入れられないようだ。これは受傷後の障害そのものだ。
一度克服できた症状が元に戻るということは無くはないのだろうが、どちらかというと新たに筋肉的な問題が生じているような気がする。五十肩とかそういったとこか。
これに関しては無理に動かすのが良いようにも思わない。次回、Aセンセイに相談だ。
明日は出勤日ではないが、香川での打ち合わせが入り、特に予定もないので出勤することにした。
今月は珍しく全ての週末が予定で埋まっている。一番楽しみなのは15日発の沖縄なのだが、まだ沖縄へ行くという気分が高揚していない。台風が来ないことを祈るばかりだ。
土曜日の早い時間には雨が残っていたが、10時過ぎには太陽が照りだした。
身体の変化についても前回書いたくらいで、台風が過ぎ去った今朝は特に強い症状は感じない。昨日まではいくぶん肩の疼痛が気になっていたのだが、寝るという行為でリセットされるのだろうか。
土曜日にいつものようにジムに行くと車が1台も止まっていない。嫌な予感を感じながら玄関に行くと休館のおしらせ。従業員の安全のため金曜日は20時に終了し、土曜日は休館だと。
金曜日の時点では台風の進路については判らなかったのだ。
もちろん否定的に捉えてはいない、計画運休をする時代だ、計画休館もあるのだろう。人が関わっているのだ、ずっと開けるか開けないか待機する時代でもない。
ちゃんとLINEで案内が来ていた、見ていない自分が悪い。
ジムは日曜日に開いたが意外にも人は少なかった。
いつもの筋トレでここ最近気になっているのが、左腕が上がりにくいこと。もともと上がりにくかった左腕だが、この3年くらいでスムーズに上がるようになっていたのだ。
荷重をかけなかったら問題なく腕は上がる。荷重がかかるとうまく力を入れられないようだ。これは受傷後の障害そのものだ。
一度克服できた症状が元に戻るということは無くはないのだろうが、どちらかというと新たに筋肉的な問題が生じているような気がする。五十肩とかそういったとこか。
これに関しては無理に動かすのが良いようにも思わない。次回、Aセンセイに相談だ。
明日は出勤日ではないが、香川での打ち合わせが入り、特に予定もないので出勤することにした。
今月は珍しく全ての週末が予定で埋まっている。一番楽しみなのは15日発の沖縄なのだが、まだ沖縄へ行くという気分が高揚していない。台風が来ないことを祈るばかりだ。