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2024年06月10日

高知と高松の旅

高知・高松は楽しい旅になった。
高知のO君は中高と同じ部活動だった。42年ではなく43年ぶりの再会。ホテルの下にいるよと連絡来て顔を見ると同時に43年の空白は少し埋まる。
案外人の顔は変わらないものなのだ。2年前に同窓会で多くの人達と45年ぶりに会った時はその変貌に驚いたが、基本的な顔の作りまでが変わっている訳ではないのだ。
老けただけだ。もっというと、子供の顔が大人の顔になり、そしてそこから老ける。
その後、2か月に1回の同級生会で顔をつき合わせる機会が多くなると最初の驚きはなくなり、中学時代の顔が記憶から消えて今の顔を受け入れるようになった。

顔の変化にはある程度慣れている。
何か頭の中に若い顔⇔年老いた顔と変換できるアプリが搭載されたようだ。
いや、日常生活でも誰もが経験することなのだろう。5年ぶりに会う、10年ぶりに会うといったことはしばしばある事だ。5年くらいではそれほど変わらない人もいるが、5年の歳月が顔や髪に及ぼす影響を学習してきた。
それが一気に40年を超えるとなるとかなりの変化なのだが、脳内アプリはアップグレードされたようだ。

O君と痛飲。美味しい料理と美味しい酒。食べきれないくらいの料理だった。そして1軒目の支払いは拒絶された。これが高知という土地柄のもてなしなのだろう、遠慮なくご馳走になった。
2軒目は隠れ家のようなバーへ。話が尽きない。23時ころまで呑んだか。
ここは自分が支払ったが、1軒目の4分の1くらいかもしれない。

翌日は朝から高知を離れ昼に高松。
高松ではM君が迎えに来てくれていた。彼は再雇用で継続勤務だが、営業なので時間の融通はきくようだ。
人気のうどん屋に連れて行ってもらう。彼との接点を思い返すが、無いのだ。同級生同士がFBで繋がり、彼も酒や食べ物が好きと判ってコメントのやり取りをしていた。中高は同じなのだが、名前を知っていた程度だったかもしれない。
うどん屋の後はホテルのチェックイン時間まで屋島に連れて行ってもらった。屋島は四国を担当していた頃に2.3度行ったことがある。それはいつだったかと考えると、もう25年以上前のことなのだ。

夜に再び合流。彼の馴染みの居酒屋へ。
刺身とおばんざいで酒が進み4時間近く飲み食いしたか。彼は実家に母親一人だとは知っていたが、認知症が進みこの3月から施設に入ったという。それでも毎日電話をしてちゃんと受け答えがあるようだ。
自分の母親のことを思うと、大して変わりはない状態かもしれない。
今は毎月実家に庭の草引きなどで帰っているという。

翌日は9時前の電車に乗った。昼過ぎに家に帰って買い物とジムに行きたかった。
旅に出る前に2日分の食事は何をどうするとか書いて、冷蔵庫の食材にもいつ食べるかとメモを貼っていた。家に戻ると案の定その通りではなかった。
ジムで体重を測ると2キロ弱増えていた。そりゃそうだ、全く空腹感が感じられない状態なのだ。
ジムでは有酸素運動をしてカロリー消化をしなければいけないのだろうが、どうも気が乗らない。それよりも股関節のストレッチと右ふくらはぎのフットローラーが大事だ。

身体の状態は楽しいことをして過ごしたのだ、特に気にかけることのない状態。脳が喜んでいる。
遊び疲れて月曜日。ふつうのサラリーマンと違うのが明日が休みだということ。これはずいぶんラクなことだ。
今日は魚の美味しい居酒屋の予約日。もう10日経ったのだ。
明日はようやく前歯の差し歯が一気に5本入る。残すは右下の奥歯を被せるだけになった。
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2024年06月05日

正しい動き

やはり心地よい足の状態は続かないものだ。気がつくと右足のふくらはぎ、アキレス腱あたりから膝裏まで“棒”ができている。
これは筋肉の繊維が硬くなっているから筋硬結と言っていいのだろうか。
筋肉は筋繊維が筋束になっているそうだ。いつも筋肉を思い浮かべる時はササミや手羽先を思い起こす。
その筋束まるまるが硬くなっているような感覚。

受傷前は首コリ肩コリが酷かった。
毎週のようにマッサージに行かないと過ごせないほどだった。左の首筋がパンパンになり、肩全体まで張っていた。
不思議なのが受傷して、頸椎をある程度の広さを保つよう広げて固定をすると全く首コリは無くなった。後縦靭帯骨化症と診断書に書かれ、なるほどと思ったものだ。後縦靭帯の骨化による圧迫が常にあったのだろうかと。
受傷する10数年前に大阪の整形医院で「頸椎が狭い」と言われたことがあった。肩こりが酷くて受診したのだったのだろうか。思い起こせば、この時にちゃんと大きな病院に行けば良かったのだろう。

まあそれは後悔しても仕方ない。今の状態に向き合わないと。
それほど不具合は感じないが、この右ふくらはぎの硬い棒は気になるのだ。筋束でいえば2本の束が硬くなったり痛みを感じている。
筋肉の仕組みを十分に理解しているわけではないが、硬くなるというのは筋肉に血液が十分に送られないとか、十分に伸縮ができていないということが原因か。
ただ、ふくらはぎはふつうに常に使っている筋肉だと思うのだが。

もう一つ想像で考えることは、正しい筋肉の使い方ができていないということ。
正しい動きで筋肉は正常に動くのだろうという想像のもとだが。というのが、父は膝関節痛で何とか歩けるといった状態で脚全体はO脚になってしまった。膝が痛いから脚の外側面を地面に着けて歩くからそうなったのだろう。
足裏で着地して地面を蹴るといった歩き方でなく、足裏の外側を地面に着けて何かにつかまって足を繰り出す。大腿四頭筋はみるみる萎んでいっている。脚の外側の筋肉は着地だけに使われ、硬くなってしまっているのか。

自分で考えると、正しい脚の動作が出来ていないのだろうか。
右脚だけが可動した頃、左脚を勢いづけて歩いていたから梨状筋とかに影響して坐骨神経痛になったと確信している。
それがなかなか治らないのは、まだその頃の癖があるからか。それとともに右ふくらはぎの筋肉が正しく動く動作が出来ていないのか。
気づいていなくて、うまく働いていない筋肉があるのかもしれない。今一度、動作を見直す時なのだろう。

明日から高知。そして高松。高知のO君は42年ぶり、高松のM君は5年程前に出張で高松に行った時にうどん屋を案内してくれた。その時も高校卒業以来だった。
懐かしい話で花が咲くことだろう。
posted by shigenon at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年06月03日

フットローラー

ジムを終えるとすこぶる調子の良い状態になる。
家に帰ってソファに足を伸ばして横になると、痺れている右下腿が心地よい感覚。足裏から痺れが放出されているような感覚を覚える。
でもこの心地よい感覚は時間とともに失われていく。ベッドに入った時くらいまでか。

ずっと右ふくらはぎに1本の棒が入っているイメージだった。押せば痛く、その痛い箇所も変わる。痛いという表現は違うか、普通の人の感覚だとイタ気持ちいい感覚だろう。だがイタ気持ちいいというのは短い期間でその感覚が消えるからそう思うのであって、常にその感覚があればそれは痛みでしかない。
自分がここに書いている痛みで両肩の疼痛以外、足に関する“痛み”はそういう痛みだ。針で突つかれたような痛みでなく、神経に響く感覚。

イタ気持ちいい感覚だから刺激を入れるのは苦ではない。
ジムのフットローラーでふくらはぎの“硬い棒”を揉みほぐす。硬くなった箇所が本当に柔らかくなるのは不思議な感覚。硬い鶏肉や牛肉が柔らかくなるのと同じ原理なのだろうか。
この硬い棒はずっと改善できなかった。毎週鍼に通っていた頃も棒はほぐれなかった。フットローラーを使うようになってからだ。
フットローラーをせずにストレッチポールでふくらはぎをゴリゴリするとふくらはぎの中に硬い棒のような硬結は感じられる。が、フットローラー後だと引っかかりが何もない。

それに加えて股関節のストレッチと足首のストレッチ。
ヤンキー座りのできない足首の硬さだった。角度の付いた台に乗り始めて少しは柔らかくなったようだ。それとともに足首周りにピリピリと神経痛を感じるようになった。使わなかった・伸ばさなかった筋を使うようになったからだろうか。そこもフットローラーでゴリゴリする。
この一連の動作を終わらして家に帰ると、心地よいダルさを感じる。

この状態がずっと続いてくれればよいが、次にジムに行ってフットローラーを当てるとゴリゴリ感がある。柔らかく叩いた鶏肉と違うのは、血が通っているからだろうか。
これまで何かの刺激を入れて良く感じると知らぬ間にその良い感覚が当たり前になった。
右脚はもっと強い痺れがあったし、足裏もそうだ。何がきっかけだったかと言えばよく判らないのだ。ただ緩和した状態が続いて、その状態が常習化した。足裏の鍼だったかもしれないし、良い状態の時に色んな動きをして使っていなかった筋を使ったからかもしれない。

今週は木曜日から高知・高松の旅。
観光は全くない、それぞれ同級生と呑むだけだ。高知も高松もさんざん仕事で訪れた街。ただそれは25年も前だから変わっていることだろう。まあ近くていつでも行ける場所だ、今回は呑むだけで。
posted by shigenon at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月31日

栄養

やはり筋肉の落ちるのが早くなった。
日曜日に行って4日目のジム。半袖になると前よりも少し腕が細く感じる。ただこれはいつものことで、最初にやる2つのマシンを使った後は筋肉がパンプアップする。継続は力だな、よく筋肉がついたと思っていた。右腕は受傷前よりも太いかもしれない。
それが少し変わった。筋トレマシン2つ後も膨らみはするが、先月よりも小さい。

前に書いたよう、4日行かなかっただけで筋肉痛を感じることはこれまでなかった。
筋肉の落ちるのが早くなったからだと考えると理屈が合う。筋肉は年齢に関係なく付くという認識は間違ってはいないと思うのだが。現実的にこの1年は筋肉が増加したように思う。
筋肉が加齢で落ちるということを調べるとサルコペニアというワードが出てくる。
サルコペニアを調べるが、何かのウイルスなどによって起きることではないようだ。加齢のみが原因の一次性サルコペニアと、活動、疾患、栄養が原因で起こる二次性サルコペニアに分類されるよう。

自分の場合で当てはめると、神経がうまく伝達できずに筋肉が付かないということを経験した。今でもその個所はある。これもサルコペニアなのだろうか。
それはともかくとして、週に2,3回筋トレをしているのだ、加齢を上回る筋肉活動をしている。特に新たな疾患の自覚症状があるわけでもない、どうしてなのだろう。
栄養なのだろうか。これまでの一人生活と変わらないようなものを食べているつもりだが、前は週末を過ごす居酒屋で週2回はけっこうな量を色々食べていた。

家での調理もやっているが、栄養素など考えてもいなかった。タンパク質が足りないか。
栄養のバランスが悪いとなると、それは自分だけでなく高齢の両親にも影響する。
両親はデイサービスで運動はしているものの、ちゃんとした指導の下で筋肉を維持するといった運動ではないだろう。身体を動かしたという満足のためだ。
食事を作るということは、栄養を考えるということとセットだという認識が足りなかったことを反省しよう。

もう金曜日。今日は栄養を考えたアテを選択しよう。
しばらく食べていない出汁巻き玉子かな。
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2024年05月29日

動きながら考える

昨日は朝から夜まで大雨に見舞われた。とともに身体の状態。
一気に気圧が10hpa下がると疼痛や痺れが強くなる。何もせずにボーッとしていたから余計に判りやすい身体の変化だった。
途中、初めての料理をするためにレシピなどを見ながら集中していると痛みは感じない。
これまで書いていた通りなのだ。もう、雨が降る=気圧が下がって痛くなるということを思わないようにした方が良いのだろう。思わなければ痛くならない。
気合で病気を治すという表現がたまに使われるが、それは真だと思う。

もう月末。現役の時は営業数字やらなんやら気になることも多かったが、気楽なものだ。
出勤した日はどこに呑みに行こうかを考えるだけで良い。そういう割り切りをしても良いのだ、もう十分会社には貢献したのだ。与えられた仕事はこなしている。
月曜日は予約していた魚の美味しい居酒屋さん。帰りは降りるバス停留所を寝過ごしてタクシーで帰った。ほんと気楽なことだ。

どんどん予定を入れていこう。
ジムでも呑みでも旅行でも。忙しくすることで痛みも忘れる。もともとアクティブな方ではないのだ、思い付きの行動などほとんどないタイプだ。
「動きながら考える」…現役時代の仕事でこれを徹底してきたのだ。それがプライベートになるとダラダラしてしまうのが現実だ。
仕事は効率よく成果を上げるということ、その先のことまで考えて今やるべきことをやることを常に思っていた。会社に忠実だったのではない、面倒くさいことが嫌いなのと、ラクをしたいから。
そのラクをしたいがプライベートに現れているのだろう。

今夜も一人呑み。
カレンダーに思いつく限りの予定をいれていくか。家事も予定だし、何か変わった料理を作ってみるのも予定の一つだろう。
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2024年05月27日

習慣を失う

生活や環境が変わると知らず知らずのうちに失っていくものがある。
よく転勤で通勤時間や方法が変わっただけで太る人がいる。例えば毎日30段の階段を上り下りしていたことが無くなると代謝はずいぶんと変わるだろう。
身体の代謝だけでなくアタマもそうかもしれない。昔は客先など複数の電話番号が頭の中に入っていた。それが当たり前だったのだ。毎日必要だから、それが出来たのだ。
生活が変わるということは、毎日やるべき必要なことが変わることなのだろう。それが定着すると以前の生活で習慣だったことが失われていく。

今日は会社の健康診断だった。今の勤務で2回目。これまでの社会人生活では近くの医療機関に行って受けていたが、こちらではバスの診察車両で検診。これまで胃部検診は別料金を払って胃カメラを受診していたが、バスの検診だとバリウム検査になる。
自分の考えだが…バリウム検査で異変があったら胃カメラをするのだから、最初から胃カメラの方が良いのではと思っている。ただ会社の検診なのだ、バリウムはイヤだが仕方ない。
検便の準備も大変だ。毎日快便という状態ではない。昨日は下剤を飲んだ。

今朝はスマホのアラームを知らない間に消していた。母親が呼びに来て初めて目覚めた。
慌てて下に降りて朝食を食べて歯を磨いて。そしてトイレに行く時に気づいた。朝食を食べてはいけないのだ。これで今日のバリウム検査はできなくなってしまった。
一人で住んでいる時はこんなことはなかった。まず、胃カメラ受診だから前日にはその苦しみなど想像したりもする。朝食はいつも食べなかったから前日は何時までに食べたら良いのかを気にしていた。

今の生活では、何かを気にするという習慣が殆どなくなってしまった。
それは何か毎日違うことが起きるから準備しないといけない・考えないといけないという習慣が弱まってしまったからなのだろうか。
同じような生活だから、これまで注意できたことも出来なくなっているのかと思うと情けなくなってきた。老化ではない、習慣を失っただけと思いたい。
色んなことを注意深く、早めに準備するという自分の気質は失ってはいないつもりなのだが。

やはり気圧の影響をうけやすい身体になっている。
これまでもそうだったのだろう、確実に気になっていた時期もあるのだ。しばらく感じなかったのは生活が変わったりして身体を思うことが少なかったからだろうか。
脳の余裕。何かを一生懸命しているとそっちに注力する。痛みも痺れも気にならない。今は何かを一生懸命に思うことが無いからだろうか。
今朝は両肩の疼痛が気になり、これを打っている今は両手の甲の痺れが気になっている。身体を気にすることはもちろん大事なのだが、それを無視することも自分の症状には大事だ。
posted by shigenon at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月24日

筋肉

ここ最近ルーティンのジムワークの中で増やしたことがある。
インスタ動画で見つけた股関節ストレッチ。簡単な動作なので加えた。最初はその姿勢をするだけで股関節と足首が異常なほど硬いことに気づかさせられる。
それが苦痛でなくなってきた。ということは柔らかくなったのだろうか。
足首をナナメにして立つ台があるが、それの2番目の角度でけっこう足首がキツかったのがラクに立てるようになった。
確かに少しは柔らかくなったという実感はあるが、それが全体的な動作にどう良い影響を及ぼしているかまでは判っていない。まあ硬いより柔らかいほうが良い程度だ。

強い低気圧もないようで疼痛や痺れが酷くならずに安定している。
日曜日に筋トレをして木曜日と中4日空いたのだが、昨日は夕方に軽い筋肉痛を感じた。それほど真剣にマシンを動かしたわけでもなかった。筋肉の落ちるスピードが速くなっているのだろうか。
速筋線維と遅筋線維があり、速筋線維は落ちやすいようだ。ただ日常生活で筋肉を使っていたらたかが数日で落ちるわけはない。
だが左の前腕筋がすぐに細くなる。筋トレ後すぐにしぼんでしまうのだ。やはり左腕は神経の伝達が良くないので筋肉が付きにくい状態なのだろう。
筋トレマシンのグリップの持ち方を変えたのが2か月前くらいだが、これも影響しているか。マシンで効く筋肉がグリップ変更で変わって、前腕への刺激が少ないのだろうか。

何のための筋トレか。
他に思いつかないのだ、習慣としてのリハビリを。前にも調べたが、速筋線維と遅筋線維のうち遅筋線維を鍛えることがふらついたり、しっかり歩くことが必要な自分には重要なのだろう。
時々ふらつくことがある。体重がナナメにかかった時に支えきれなくなるようなイメージ。ただその状態になって転ばずにいられるのは筋肉のおかげだろう。昔は似たような状況…それは酔っぱらって家に入った玄関口で起こった…身体を支えきれずに倒れたことが何回かある。
ふつうは身体のバランスを取るものだが、その感覚も少し麻痺しているのかもしれない。
まあ詳しく考えず、できることをやるだけ。それも続けられることを。

もう金曜日、早い。同じことを来週も言っているだろう。
posted by shigenon at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月22日

Time goes by

よく定年退職してやることがなくさ迷う人がいるという。
居場所もなく、やることもなくといった。そういう情報をたくさん見てきた。自分の場合はそんなことには全くならないと思っていた。事実、今までやっていた仕事や会社での立場には未練もなく、新しい人生という気持ちだ。
まあ少しはこれまでやってきたことへの自慢とプライドはあるが、もともと会社という後ろ盾を持って生きていなかったからだろう。
それとはまったく違うのかどうか、時間の感覚が麻痺してきた。

なんせ1週間が早い。いや、時間はみな同じスピードで平等に与えられているのだが。
同じことの繰り返しだからなのだろう。それと心に残ることが少ないからか。これまでも心に残ることがどれだけあったかというと、そんなにあるわけではない。
呑みに行って話をして、これまでなかった新しいメニューに喜ぶくらいだったのだ。それでも変化を感じられていたのだろう。人と接する、食べる、呑む、この頻度が高かった。いや、それしかなかったか。
毎日がつまらないものと思うのは個人の意識の持ち方なのだろうか。
定年退職後の他のしょぼくれたオヤジが持つ感覚と同じにはなりたくない。

2,3か月に1回の旅行、鍼のためとはいえ6週間に1回の東京、週3回の一人呑み。
これだけの刺激では満たされないのだ。毎日のルーティンの中に刺激が欲しいのだろう。それは自分次第なのだろう。自分が何か1歩踏み出したことをしない限り何も変わらないのだ。
忙しければ気にもしなかったことに、ヒマだと考えたりしてしまう。それは避けたい。そんなことに関わるほどオレはヒマじゃないという自分でいないと。

今日は人と呑む約束。3月に魚の美味い居酒屋で知り合った人だ。
ノマドワーカーだ。各地のシェアハウスを転々としている。今は四国に居て、今日関西に移動するというので約束した。彼とは3度くらい一緒に呑んでいる。
こういった約束して呑みに行くというような小さな楽しみが週に2.3回欲しいというのは贅沢な欲望なのだろうか。
よく自分を表して「自遊人」とかたる人がいる。自遊人という言葉に憧れた
自遊人の自は自由の自なのだろうか、それとも自分の自なのだろうか。自由であるという定義は何かに束縛されることがないということだろう。それに加えて遊ぶのだ。自分の自ということで考えると、自ら遊びを見つけて遊ぶという意味になるのだろうか。
どちらにしても自ら何か行動しない限りは自遊人にはなれないのだろう。

月曜日のような感覚だが、月曜は日帰り出張に行ったのでブログを書くヒマがなかった。水曜日だ、次に出勤した時は週末。
今週も早く過ぎていく。時間が早く過ぎる感覚の恐怖、それは老いに対する恐怖なのだろう。
posted by shigenon at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月17日

一人で楽しむ

出勤日の帰りに軽く呑んで帰る。休日は買い物とジムだけという去年から続いているパターンに戻った。
基本的には出不精なのだ。東京に住んでいた時も、家を一歩出れば人は多いので何か出かけた感を感じたが、結局はジムと居酒屋くらいだ。それもチャリで10分圏内。
家の必需品の買い出しということをやジムに行かなければということが無ければ引きこもりになっているかもしれない。
そういえば25歳の頃を思い出す。新卒入社の会社を辞めて実家に戻ってきた。1987年か。
その会社で知り合った同郷の先輩が会社を辞めて実家に戻り新しいことをやり始めていた。それに誘われたのだ。

その時は実家に戻っても誰かと遊びに行くということはなかった。
何だろう、新しい仕事のことばかり考えていたような気がする。家に帰る前にレンタルビデオを借りてほぼ毎日映画を見ていた。酒を呑みながら。
不思議なことに寂しさとかは全く感じなかった。世の中はバブル真っ盛りだったのだが。
一人でいることが好きだったのだろうか。たぶんそうだったのだろう。けっこう社交的ではあったが、少人数の付き合いが好きだった。

いつからか一人の寂しさを感じるようになった。
それは広島に住み始めてからだろう。学生時代にYMCAの子供スキーのセンセイをした。その時に知り合ったY君。そんなに親しくもなかったが、同じ大学の同じ学部。
そのY君と再び再会した。先輩の会社を辞めて転職した今の会社、その業界の展示会で隣のブースだったのだ。声を掛けられるまで気が付かなかった。
そのすぐ後に広島に転勤になるのだが、Y君も広島に転勤していた。そして住むところは歩いて5分という距離だった。

それからは毎日Y君と呑み歩いた。広島の繁華街にはほぼ毎日行っていた。
それは何年続いただろう。その後本社に転勤になり、また1年後に広島に戻った。その時にはY君も転勤していたのだったろうか。あまり覚えていない。
その後は得意先のFさん、その後輩のH君の3人で2日に1回は呑みに行くようになった。サウナに行ってマッサージをしてもらってから料理屋に行く。一緒に呑みに行かない日は一人で近所の居酒屋に行った。
Fさんは10歳くらい年上だったか。呑みに行っても9時にはもう眠いといって帰る。Fさんはもう何十年も単身赴任していた。毎日誰かを誘って呑みに行く生活だった。

Fさんは一人でいられないタイプだった。とにかく寂しがりやだった。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/127/0?1715919258

自分もいつの間にか寂しがりやになった。
それは広島でほぼ毎晩誰かと一緒にいることから始まったのだろう。その後は転勤した大阪では、今でも何度もママが電話をくれるお好み焼き屋。その後の東京では居酒屋S。店もそうだが、そこに集うお客さんと約束するわけではないが、集まって楽しく過ごした。
人との触れ合いが欲しくて長い時間酒場で過ごした。

寂しさにも慣れてきた。毎日誰かと触れ合いたかった時から、コロナ禍でそれを埋めたのがSNS。リアルでの人との触れ合いは週に何度かあれば良かった。
もう色んなことが面倒くさくなってきた。一人で楽しめることを考えないと。
もう人生も終盤なのだ。自分がやるべきことは、身体の状態の維持と両親のことを思うこと。たまに一人旅をして美味しい酒を呑みながら食べればよいか。
今日は魚の美味しい居酒屋。この店の予約頻度も上げていこう。食べて呑むくらいしか楽しみはないのだ。
posted by shigenon at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月15日

自律神経の調整

月曜日の午前中は調子が良くなかったのだが、午後になると復調。
頭痛アプリを見ると深夜から早朝にかけては気圧が下がり、午後から気圧が上昇予報だった。気圧は下がるときだけでなく上がるときも注意とアプリには表示されている。
でも自分は上昇ですっかり調子が良くなるようだ。会社を出るころは久しぶりにスキップができるくらいの脚の調子だった。
これを書いている今、辛くなり始めている。この時間から深夜にかけて15hpa以上の気圧が下がる。頭痛アプリの通りに身体が反応している。
それに加え、太陽フレアが活発になっている。太陽フレアの人体への影響は何のエビデンスもないようなのだが、何か関係があるのかもしれない。

去年はそれほど感じなかった気圧の変化による不調。何か自分の体質が変わったのだろうか。
自律神経失調症。気圧だけでなく、ストレスもあればホルモンの乱れも原因だ。
何かストレスはあるかと考えれば、母の認知症でイラついていることがあるか。でもそれはイラついてはいけないのだ、自分の母親のことだ。
それ以外にもイラつくことはある。でも何にせよイラついたり何かに気をもんでもどうしようもない事ばかりなのだ。身から出た錆もある。
ホルモンの乱れはどうなのだろう。こればかりはどうしようもないのだろうか。
ホルモンの不調を整えるには、適度な運動、質の良い睡眠、ストレス発散、トキメキを感じる生活らしい。
今はトキメキだけが足りないか。

先週あれだけ呑んでも幸いにも肝臓は元気なようだ。
月曜、火曜はそれほど酒が進まなかった。吞み過ぎると自然と自分で調整できる。
酒を少しでもゆっくり吞んで、食べたいものを食べる。これが一番の自分にとってのストレス解消なのだ。
水曜日、いつもの安居酒屋でなく、少しは会話ができるおばんざいの店に行くか。
posted by shigenon at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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