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2024年06月26日

身体の動きを考える

東京に住んでいる時は色々と身体をチェックする機会が多かった。
地下鉄までの道、地下鉄の通路、地下鉄を降りた後、タバコロードなど。今は週3日とはいえその日々は同じような行動範囲で動いているにもかかわらず、あまり身体のチェックが出来ていない。ほんの少しだけのチェックだ。
痛みや痺れがあるにしても、あまり心配するどの酷い状態ではないからなのだろうか。

家を出てバス停まで徒歩5分。この時の歩きはあまり良くない。
なんか左右の力の入れ方がうまくいかず、ちぐはぐな歩きになる。家の中では感じないことだ。これは家という狭い領域ではなく、見渡せられる広い道を歩いていることも関係あるのだろうか。
身体を動かすには脳→神経→筋肉だが、目に入る情報で自然と命令することがあるのかもしれない。例えば広々としているから、筋肉の緊張が解けすぎて力が入りにくいとか。

バスに乗車して降りた時も動きは良くない。バスは座ることが出来る。
東京では地下鉄に乗った後の歩きはすごく良かった。それまでの地下鉄通路がちぐはぐな歩きでも、地下鉄に乗って降りるとちゃんとした歩きになった。
歩いて乗り物に乗って落ち着くから、ちゃんと歩けるようになると思っていた。それは違ったようで、地下鉄で立っていて揺れを脚で吸収することが良かったのではないかと思うようになった。その証拠にバスのあと10分ほど列車に立ったまま揺られるが、その後の歩きは良くなる。

不思議なことに会社内での移動の動きは以前より良くない。この理由がよく判らない。
やはり以前の東京のオフィスと比べて目に入る情報が違うからなのだろうか。天井の高さが賃貸ビルとは違って高いのだ。広々としている。
終業時間が終わって席を立ってからの歩く動きは、その日の中で一番良いのは変わりない。やはり前に書いた“脳が喜ぶ”ことはあるのだ。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/875/0?1719382658

肉体的な刺激、精神的な刺激、この両方で身体を動かすことが変わるのは間違いない。歩くという動作の中で言えば、基本的な筋肉が付いていればあとは柔軟性なのだろう。柔軟性というか身体を使うしなやかさという表現がピッタリか。
精神的な部分は自分が頭で考えるよりも深層の部分か。無理やり脳を喜ばせようと考えても、それは脳の浅い部分の騙しに過ぎない。脳は騙せない、騙すことを考えるのも脳だ。

今日、バスを降りた後のちぐはぐな歩き。どう脳をコントロールできるか色んなことを考えた。
脳は騙されない、そうなれば全然関係のない事実の楽しいことを思い浮かべた。どう脚を動かして歩くということは全く思わず、全く違う楽しいことを思い浮かべて歩いた。
左右の力の入り方が違う歩きが、足並みが揃ったような気がした。そうか、こちらに帰ってきて調子が良いように感じていたのは、これまでの身体のチェックポイントが無くなって身体を意識することが少なくなったことが良いように働いていたのかもしれない。

もう1回出勤すると今月が終わる。
今年も半分が終わったことになる。いったい何をやってんだか。
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posted by shigenon at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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