母親の進行がまた早くなったように思う。目の前のことをこなすのもスローになってきた。水曜日に呑んで帰り、冷蔵庫を開けると自分が買っておいた冷凍の食材が封を開けて置いてある。
先週の休みの日、いつもその日の夕食材料を一緒に買いに行って自分が作るのだが、ジムから帰ってくるとその冷凍の食材がテーブルに出してあった。買い物に行って夕食材料を一緒に買いに行くということを忘れて、おかずがないから作ろうとしたようだ。冷凍なので朝から解凍しないと無理な食材。そもそも自分がお取り寄せで買ったもので、十分に調理方法を見ながら作ろうと思っていたのだ。母親には難しいだろう。
それをかなりきつく注意して、「買い物はいつも休みの時に一緒に行くやろ?」と言った。
もうその食材を触ることはないだろうと安心していた。そしたら水曜日に何を思ったか冷凍から封を開けて皿に入れて冷蔵庫にある。他に取り寄せていた冷凍になったベーコンブロックも冷凍庫から冷蔵庫に入っている。
水曜日はちゃんと両親分の夕食の食材をそろえ、テーブルに大きく何を作ると書いていたのだが。
書いていたものを読む前に何かしようとしたのだろうか。いつも朝食の時に、昼は何を食べる・夜は何を食べると繰り返し伝えているうえに、メモも書いているのだけど。
当の本人は、その行為すら覚えていなかった。
昨晩、寝る前に加湿器のスイッチの入れ方がわからないと聞いてきた。
「早いよ〜」というのは、もうそれが終わってしまった人が言うことなのだろう。
恐らく振り返って思うことなのだろう。認知症の末期を経験した人の言葉だと思う。それを思うと今は始まりなのだろうか。
これまでは書いているよう、かなりキツク母親に対応していた。それが病気であるとは分かってはいるけど普通の時の方が多かった。ボケた人に対する対応のようにはしたくない自分がいた。これからはそれではいけない、2歳児を見守るようにしないといけないのだろうか。
これで自分の身体が不自由なままであったらイラつきもあっただろう。
でも今は生活においての不自由はない。健常な時に比べて、バランスを崩す、重い物をうまく持てないくらいか。フィジカル的にはひ弱な男性程度の役割は果たせるのだ。見かけは筋肉が付いているが。
歳をとること…体力の衰えだけでない、脳の衰え。病気は内臓だけでない、自分に起きた神経もそうだし脳も。気力の衰えも起きて来る。
肉体的な若さはまだ作ることはできる。かなりの無理が必要だが。まあ、それは今の維持で良い。
精神的な若さ、これは何かにときめいて、がんばろうと気を張り続けないと維持できないだろう。
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