あまりにも変化のない生活なので書くことが無いのも事実なのだ、変化というのは生活もそうだが身体も。
火曜日は歯医者。今まで受けたことのない治療としては、かぶせを外して土台のまま数か月放置してあること。グラついている土台がしっかりするらしい。右下、左上は土台のままで他の歯の治療を進めている。前歯の差し歯もやり直すから、あと10回は通わなければならないのだろう。
土曜日はゴルフだった。去年の10月以来だ。
ずっと雨だったり朝晩は冷え込んだりだったが、この土曜日は快晴。気温も高くなった。いわゆる絶好のゴルフ日和なのだ。ただゴルフ気分が自分の中でまだ盛り上がっていない。
自分にとってゴルフを楽しむ要素はいくつかあり、イメージした良いショットを打つ・良いスコアが出る・レジャーとして呑んで楽しめるなどだが、一番はリハビリとしての運動。
リハビリとしてのゴルフはとても行きたいのだが、それ以外をあまり思わなかった。会社のゴルフだからだろうが、やはり昔の仲間とだったらスコアを握ったりするからそれなりの緊張感や呑む楽しみを持っていたのだが。
今回は何も考えずに打つだけのゴルフだった。リハビリとしては感じることは多数ある。
ずっと書いているゴルフ後の脚の調子。これを思うと、それはかなり歩くことに難があった頃なのだろう。確かにコース内を歩くことも必死だった。今ではほとんど苦を感じずに歩ける。ただ疲れやすさはあるからカートに乗るが、前とは全く違う。
スウィングをして、健常な時と受傷後しばらくとの違いが感じられるのも良い点。脳は同じような命令を下してそれに筋肉が反応してクラブを振るのだ。健常な時と何が違っているのかがよく判る。
少なくとも左腕の可動域はかなり良くなっていることを感じる。力強さも出てきた。
ただ、それとスコアは別物だ。もうスコアは付けなかったが酷いスコアだった。こんなゴルフをしてはいけないのだ、それはもはやゴルフではないのだ。
ゴルフの翌日にジムに行ったことはこれまでほとんどなかったかもしれない。
やはり脚の調子よさは感じる。これまでも書いたように足首の柔軟性が大きな要因。ジムでストレッチをした時にそれは確信に変わった。右足首の前傾が通常よりもかなり良い。つまりは足首の柔らかさを保てば歩行も良くなるということなのだろう。
鉄のクラブを振ることは筋トレと同じだ。ジムでいつものマシンでいつもの荷重なのだが、ゴルフで使った筋肉に刺激が入っているのが判る。違う動きは大事だ、そこの筋肉を起点として中枢神経に働きかけれるように感じる。末梢神経が中枢に働きかけるという考え、これはほとんど動けないときにそうならないかと夢物語のように思ったことだが、経験上実際にあると思っている。
昨日、日曜日にジムから帰ると母親から息子が来たと伝えられる。
火曜日に大学入学のお祝いを送っていた。その礼にと来てくれたらしい。元奥さんの運転で。30分早く帰っていれば会えたのだろう。
でも思う、自分は息子に会う心の準備は何も出来ていない。息子はどうなのだろう、居るだろうと思って来たのだ、自分の記憶にない父親に会う心の準備は出来ているのだろう。彼にとっては全く記憶にない父親、自分にとってはつい昨日のように思い出せる、ただ赤ちゃんだが。
その間、どう育っていったのか、似たような歳の子供が気になったこともこの前のことのように思う。
このブログを書き始めた2017年は12歳だったのだ。
会えることが現実に近づいてきた。何度も夢見たこと。
どんな顔で何を語ればよいのだろうか。何も考えなくて良いか、いや多感な年ごろなのだ、悩む。
一番望んでいた嬉しいことが現実に近づいた時、それは無感覚に近いような感覚で何も考えられない。
今週は桜が満開になるだろう。珍しく週末は花見に出かける。
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