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2016年04月24日
全脳照射9回目・・母の日誌は白紙だった
母の入院中の日誌で、初めての白紙の日・・・
それが何を意味しているのか分かりません。
日付だけが書かれていて、あとは何も書かれていない。
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体温さえも記入していないのは、朝から体調が
思わしくなかったのだろうか・・・。
母のいる病室にはほぼ毎日顔を出していた。
3人兄弟なので、誰かしらが必ず病室に顔を出す
ことができたのも、母が頑張って私たちを産んで
育ててくれたからだ・・・。
子供たちに支えられているという実感と感謝、
そしてその状況に対する謝罪の気持ちは
日々の日誌に綴られている。
しかし、このような日誌を書いていることを
当時の私たちは気付かなかった。
だから、日誌が書けないほど体調が悪いか否かも
気付くことはなかった。
母は私たちが病室にいる時だけでも、
出来る限り元気に振る舞うという
演技をしてくれていたのかもしれない。
だとしたら、気づいてあげることが出来なくて
ごめんなさい・・・。
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結局、母が職場で倒れる前日まで、母の異変に気付いて
あげることが出来なかった私たちにとって、
母の我慢だったり、心配をさせまいとする
私たちへの気遣いだったりを、気づいてあげる力が
足りなかった・・・
というよりは、なかったと言った方が
正解なのかもしれない。
この日、9回目の放射線治療の日・・・
全部で10回の治療の終わりが見えてきたと同時に
原発巣である肺がんの治療の開始日が着々と近づいて
いたころのことですので、母の心境は複雑そのもの
であったに違いありません。
抗がん剤治療を受けるべきか、受けないべきかを
悩んでいた母に対して、当時の私が告げた言葉は・・・
「治療を受けるか受けないかは、母が決めればいい、
その決断を否定したりしない」、と言いました。
しかし、その反面で
「自分の気持ちとしては、治療を受けて欲しいと思っている」
そう言いました。
これって・・・ずるい言い方ですよね・・・
当時は気が付きませんでしたが、今になって冷静に考えると
受けて欲しいという感情を前面に押し出していながら、
自由に決めていいよ、なんて言ったりして・・・
かえって母を困らせていたはずです。
もう一歩・・二歩・・・、いや三歩くらいは
踏み込んで母の話を聞いてあげられる器でありたかった。
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それが何を意味しているのか分かりません。
日付だけが書かれていて、あとは何も書かれていない。
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体温さえも記入していないのは、朝から体調が
思わしくなかったのだろうか・・・。
母のいる病室にはほぼ毎日顔を出していた。
3人兄弟なので、誰かしらが必ず病室に顔を出す
ことができたのも、母が頑張って私たちを産んで
育ててくれたからだ・・・。
子供たちに支えられているという実感と感謝、
そしてその状況に対する謝罪の気持ちは
日々の日誌に綴られている。
しかし、このような日誌を書いていることを
当時の私たちは気付かなかった。
だから、日誌が書けないほど体調が悪いか否かも
気付くことはなかった。
母は私たちが病室にいる時だけでも、
出来る限り元気に振る舞うという
演技をしてくれていたのかもしれない。
だとしたら、気づいてあげることが出来なくて
ごめんなさい・・・。
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結局、母が職場で倒れる前日まで、母の異変に気付いて
あげることが出来なかった私たちにとって、
母の我慢だったり、心配をさせまいとする
私たちへの気遣いだったりを、気づいてあげる力が
足りなかった・・・
というよりは、なかったと言った方が
正解なのかもしれない。
この日、9回目の放射線治療の日・・・
全部で10回の治療の終わりが見えてきたと同時に
原発巣である肺がんの治療の開始日が着々と近づいて
いたころのことですので、母の心境は複雑そのもの
であったに違いありません。
抗がん剤治療を受けるべきか、受けないべきかを
悩んでいた母に対して、当時の私が告げた言葉は・・・
「治療を受けるか受けないかは、母が決めればいい、
その決断を否定したりしない」、と言いました。
しかし、その反面で
「自分の気持ちとしては、治療を受けて欲しいと思っている」
そう言いました。
これって・・・ずるい言い方ですよね・・・
当時は気が付きませんでしたが、今になって冷静に考えると
受けて欲しいという感情を前面に押し出していながら、
自由に決めていいよ、なんて言ったりして・・・
かえって母を困らせていたはずです。
もう一歩・・二歩・・・、いや三歩くらいは
踏み込んで母の話を聞いてあげられる器でありたかった。
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