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2016年04月01日

母がくれた時間 その2

押し寄せる治療計画




頭蓋内腫瘍摘出手術当日は、家族に心配を掛けまいと、
元気にふるまって手術室に入っていった。

頭部放射線治療は全脳照射という方法で、副作用のリスクが高い。
総放射線量は30Gy、脱毛と物忘れの症状を伴った。
後に母は、一番恐怖を感じた治療にこの頭部放射線治療を
掲げていました。

抗がん剤の投与は、ペメトレキセド+カルボプラチン療法 全6クール。
多かった副作用は症状は、気持ちが悪い、倦怠感、だるさ、でした。
じんましん発症で、投与開始日が1週間遅れました。
投与前日に一時帰宅していた母は、病院に戻る時
トイレで大泣き・・・子供のように大号泣していました。

この3つの治療1つ1つに想い出が詰まっています。
きっと母にとっては嫌な想い出だと思います。
私たち家族にとっても、決して良い想い出とは言えませんが、
それでも大切な時間、母と色々な思いを共にした大事な大事な
時間でした。

文字通り、2度と経験することが出来ない、貴重な体験でした。
全て・・・母は、1つ1つ段階を踏んで私たちに準備をさせてくれた。
私はそう感じています。

ある日突然・・・ではなく、しっかりと順番通りに、
治療を受ける勇敢な母の姿を見せつつ、生きる勇気と
生きることのすばらしさと辛さを同時に考えさせられた。


頭蓋内腫瘍摘出手術
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手術自体は何の問題もなく終了した。
術後の経過も順調で、極めて素晴らしいスタートを切った母ですが、
それでも術後3〜4日間は苦労していました。

頭を開頭するということがどれだけのリスクを背負っているかを
実感したのもこの時でした。
ろれつは回らない、手は自由に動かない、よだれは垂れる、
1日の殆どをベッドで寝て過ごす。

面会に行っても、うわ言か会話かわからない。
寝ぼけでしゃべっているようにも聞こえるし、
会話に反応しているようにも感じた。
笑ってごまかしましたが、心では笑えなかった。
ちょっと怖かったことを思い出します。

母はこのまま元の母に戻れるのだろうか・・・?
そんな不安からだったと思います。

あの時間も。私たちと母との思い出として強く記憶に
残っているのです。
それこそ、何気に過ごしていた日常生活よりもより印象的な
記憶として・・・。
強い母という印象しかなかった私たちに、弱い部分を少しずつ
見せてくれたことも・・・。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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